Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

妖精の足跡 ⑧私たちのセンセたち

2017/01/11 03:53:13
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――バタバタ――
 爽やかな朝……とは似つかわしくもない騒がしいサウンドが家中に鳴り渡る。階段を降りたかと思うと、階上に忘れ物して再び駆け上がっていく。狭くない階段なのに、私たちはぎゅうぎゅうにすれ違いながら右往左往して慌てて出かける準備をしていた。

 せわしなく続く足音がようやくおさまり、私たち三人は玄関に立った。バタバタして荒げた息を整えると、玄関で待ってたもこたんが呆れ顔をしながら私たちに声を投げかける。
「用意できたんか?」
「できたよっ! お待たせ~」
 もこたんの失笑をものともせずに、私たちは元気よく声をはり上げた。
 もこたんと私たちは、寺子屋に寺入りした日からずっと一緒に通っている。だが寺子屋に通うこととなってからはや数日、毎度もこたんを待たせてしまっていた。朝起きてから用意が完了するまでの間、戦争のように家の中を駆けずり回って慌ただしい出発をしている。前日に用意しておけば慌てなくてよいことくらいはわかるのだが、必ずと言っていい程どこに何を置いたかを忘れてしまう。
 今日はチルノがリボンを忘れ、ルーミアが筆記用具を忘れ、私は顔を洗うのを忘れた。私たちは身だしなみをきちんとして勉強道具を欠かさず用意するという習慣が、まだ身についていないようだった。
 そんな私たちと大違いなのがもこたんだ。普段のもこたんのちゃらんぽらんな態度を見ていると、時間厳守とは程遠い存在だと思わずにいられない。
 しかし意外にも毎日ピッタリの時間にルーミア邸へ迎えに来るではないか。竹林の自宅からは結構遠いはずなのに不思議と遅れることはなく、用意のできていない私たちにハッパをかけるのだ。
「ほないこか。今日は昨日より早めに用意できたんやし、ゆっくり歩こや」
 けーねセンセからもらった革鞄を片手に持ち、私たちはもこたんに続いて歩いていく。人里までの道のりは一応教えてもらったのだがもこたん曰く、私たちは迷ったり道草を食う可能性が高いため付き添うことにするのだそうだ。
 恥ずかしながら、教えてもらった道のりは失念した。チルノも私と同様、というより端から説明を聞いてなかったはず。残るルーミアは森の出口まで知っているので人里への道のりは問題ないと思う。しかしルーミアは面白そうなものを見つけると道草を食う傾向にある……いや、私たち三人ともその傾向にある。なのでいくら寺子屋での勉強が楽しみで早く行きたくても、寺子屋まで時間通りにたどり着けるかどうかが怪しい。
 もこたんの見立ては間違いないと思われる。

「そないにぎょうさんの教科書…手習本と往来物だっけか? よう毎日持って帰るな~重たない?」
「毎日書き取りの宿題があるから、お手本がないと綺麗に書けないのだ」
 寺子屋での学習とは別に、家に帰ってから行う宿題というものがある。私たちは学習の基礎の部分から始めるとのことなので、文字を書いたり読んだりすることが主な授業内容なのだ。特に書き取りは難解で、平仮名カタカナ漢字など覚える文字が多くて混乱する。最初は平仮名が楽だとけーねセンセは言ったが、とんでもない。あんなふにゃふにゃな文字をけーねセンセのお手本みたいに、美しく綺麗に書くのはとても難しい。それでも授業と宿題を重ねるごとにだんだんコツがつかめてきた気がする。
「読むのは出来るんだけど、書くのは難しいよね。あっでも、ダイちゃんは字を書くの褒められてたね! すごいなあ」
「読めないし上手く書けなかったけど、褒められるとすごい楽しい!」 チルノが私によっかかりながらニコニコと笑顔を寄せてきた。チルノに褒められるととても嬉しくて自然と口角がキュッとあがって幸せな気分に包まれる。
 私たちが二人で顔を突き合わせながら笑い合っていると、もこたんが振り返りながら肩をすくめて口を開く。
「そんなもんかね~あては勉学なんて、さぶイボ出るくらい嫌いやけどなあ」
「もこたんは志が低いのだ」
 ルーミアの鋭い指摘が図星だったのか、もこたんはヘラヘラ笑いながらも何も言わずにまた前を向いてのしのし歩く。
「平仮名ってむずかしいよね。くねくねしてて形が上手くとれないよ……」
「チルノの字はミミズが栄養失調になったみたいな字なのだ」
「それってもしかして褒めてるの?」
「全然褒めてないのだ」
 チルノにはどうやらルーミアの辛辣な評価は通用していないみたいだった。鞄をぶんぶん振り回しながらチルノが言った。
「ダイちゃんみたいに上手く書けたらなあ」
「ダイは寺子屋から帰ってもずっと練習してるから上手いのだ」
 なぜかルーミアが得意げにふふんとチルノに自慢する。書き取りの宿題はルーミアもチルノも同じくらいやってはいるのだが、寝転がりながらだったりうつらうつらとしながら書いていた。私は二人と違って寺子屋と同じように座って書き取りをしている。あくまで推論だが、もしかしたら書き取る姿勢のせいで字の習熟度が変わってくるのかもしれない。
「うーん。二人は字が読めるけど私は読めないからね、いっぱい勉強して二人に追いつきたいの」
「とっくに追い越してると思うのだ。特にチルノは足元にも及ばないのだ――うわっちべたっ!」
 チルノが小さな氷つぶてをルーミアにお見舞いしていた。小さな氷の塊を擦り付けあいながら小競り合いを続けている。チルノの立腹はもっともだったので私はチルノを応援した。
「ほらほら喧嘩せんと、もうすぐ人里やで。喧嘩してるとセンセに言いつけるで」
「頭突きは勘弁なのだ……」
 そう、ルーミアは寺入りした初日に不真面目な態度を取ってけーねセンセの頭突きを食らっている。それほど勢いもなかったのに物凄く鈍い音がルーミアの頭から鳴り、頭突きの破壊力と恐怖を思い知った。ルーミアは悶絶し、その日中ずっと頭痛を訴えていた。けーねセンセが本気の勢いで頭突きをしたなら、あるいは岩石など粉微塵にできるのではないかと私はにらんでいる。

 そうこうしているうちに人里――寺子屋の近くまでたどり着いた。もこたんの案内する近道のおかげで、四半刻(三十分程度)もしないうちに人里へ来れる。
 始めの頃は私たちが変な鳴き声の鳥や変な形の虫を見つけていちいち立ち止まるので、もこたんがよくはやし立てていたっけ。あまりに私たちがダラダラと歩くため、業を煮やしたもこたんが平原の多い近道を探し出したのだ。
 わいわいと話しながら歩いていくと、寺子屋の前で騒がしい人の声がする。声の主は人間の子供達だった。昼の部の寺子屋は人間の子供だけで授業が行われている。私たち妖怪や妖精は夜の部で、昼の部と入れ違いで登校するのだ。
 子供たちは皆笑顔で寺子屋から出ると、友人たちと手を取り合い人里の中心へと駆け出していく。これから遊びに行くのだろうか、それとも親や兄弟の待つ家に帰るのだろうか。表情を見ていると、背中についた羽や口に並んだ牙以外は私たちとさほど変わりないように見える。
 ふと目があった人間の子供に、私は手を振った。精一杯の笑顔で、しかし小さく手を振る。子供は手を振るでもなくニコリともせず、踵を返し走り去っていく。
 心の奥が少し冷たくなった。



 ††††††



 子供達全員が外に出たのであろう、けーねセンセが寺子屋の門に見送りに出てきた。腰に手を置き子供たちに向かって、日没までに早く帰れよと大声を張り上げている。やはり私たちと同じで、人間の子供たちも道草を食うのだろうな。
 子供たちが見えなくなり、けーねセンセが振り向く。傾き始めた日光が反射し、きらりと白く光るメガネの奥に優しそうなセンセの目が見えた。
 私たちはけーねセンセに駆け寄って、声を合わせて挨拶した。
「けーねセンセ、おはようございます!」
「おはよう! おや? もこたんおはようは?」
 けーねセンセは目を細めて、もこたんをからかうように言葉を放る。もこたんは視線を外しながら、しかし嫌がる素振りではなく挨拶し返した。
「もこたん言わんといてや。 おはよ……ってか時間で言うと、こんばんはやろ?」
「うむ。お早うございます、とはもともと歌舞伎の世界で使われていた敬語である。出勤した裏方さんたちが、早くに練習していた役者さんに敬う言葉として使っていたのが由来しているのだ。ちなみに歌舞伎というのは朝昼夜と一日に何度も上演す――」
「わかったわかった、ようわかったよ、おはようございます」
 いきなり門前で授業モードに切り替わったため、もこたんはめんどくさがるように話を切り上げてけーねセンセを寺子屋に押し込んだ。背中を押されながらも講釈を続けているけーねセンセの口には、どうあっても戸は立てられないようだった。私たちも寺子屋に入り、玄関で靴を脱ぐ。日本家屋ではこのように裸足で家の中を歩くのだそうだ。チルノのかまくらでもルーミア邸でも、靴を脱ぐのはベッドに入る時くらいだったためすごく新鮮な体験だ。たしかに、これなら泥だらけの地面を歩いたとしても汚れるのは玄関だけで掃除が楽だ。もし私が家を持ったとしたら、日本家屋の様式にのっとるのもいいかもしれない。

「では教室にいこうか……ふあ……」
「けーねセンセ眠そうだね」 とてとてと廊下を歩きながらあくびをする。発する声に眠気をはらみ、布団と枕が目の前にあったらすぐにでも入眠してしまいそうな足取りだ。
「ん? いやいや、そんなことはない! みんなと楽しいお勉強をするのだからな。眠さなんて吹っ飛ぶぞ!」
 けーねセンセはカラ元気のような取り繕った素振りで私たちに向きなおした。普段落ち着いた姿勢のけーねセンセなだけに、異様にエネルギッシュな仕草が対照的すぎる。
「でも目の下にクマができてるよ」
「ちゃんと寝てるのか~?」
 先程は陽の光で見えなかったがチルノの指し示す通り、けーねセンセの目の下にはうっすらとクマができている。しかし、疲れが目に見えているのにもかかわらず、私たちの心配をよそにけーねセンセは一向に聞き入れようとせず教室へとずんずん進んだ。しようがないので私とチルノがけーねセンセの手を取り教室までつれていく。
 けーねセンセの握った手に力はなく、柳のように指が添えられているだけだった。

「……少しだけ授業変わったろか?」
「!」

 もこたんが見るに見かねたようで、けーねセンセに進言した。すると今まで眠そうにふんにゃりしていたまぶたがカッと開く。
「妹紅、もしかしてわたしに気を使ってくれたのか!」
「ん……まあ……『わたしの気持ちになってくれ』と言われた手前、気にかけんわけにもいかんやろ?」   
 グイグイと詰め寄るけーねセンセに、もこたんはたじろぎながらもおずおずと切り出し、恥ずかしそうに言葉を繋げる。
 けーねセンセもさる事ながら私たちも驚いた。嫌々ながら寺子屋に入門したもこたんが積極的……とは言い難いがけーねセンセの手助けをするとは。いや、私だってもこたんは実は優しいと知っている。だが、いつどの機会に優しいもこたんが出るかはよくわからない。変なときに優しかったり、後になって考えたら優しさだったのかな? と思う程度なのだ。それが、まさかこんなにドンピシャで絶好のタイミングに優しさが出るとは思わなかった。
「おぉ……うおおっ! 妹紅が私のことを気遣ってくれるとは! やはり私の見込みは間違ってなかった! 妹紅は素晴らしく良い人間だ!」
「恥ずかしいやん……もうええからそっちの部屋で休んどき」
 けーねセンセの絶叫にも近い感嘆に、もこたんは耳まで赤面して恥ずかしがる。私もルーミアもチルノも、微笑ましい二人の掛け合いにニヤニヤしながらクスクス笑った。
「よしわかった! せっかくの妹紅の気遣いを無にするのはいかんからな、全力で休んでくる!」
「じゃあゆっくり寝てね~けーねセンセ」 私たちが言う間もなくセンセは教室の反対の部屋に飛び込み、ものすごい勢いで布団を敷いていた。よほど眠かったのだろう、ふすまを閉めるのも忘れ布団に潜り込んでしまう。私たちが豪快に寝始めたけーねセンセを覗いていると、もこたんが私たちの前に割り込みゆっくりとふすまを閉める。
「ほな、あんたらはこっちの部屋で授業な」
 そう言うと反対側の教室に歩き出し、私たちを座らせた。
 寺子屋では清掃の時間が設けられており、授業が終わると次の日のために整理整頓をすることになっている。御多分に漏れず昼の部の子供たちも整頓してくれていたのだろう、座布団も座敷机も綺麗に並んでいて、気持ちよく授業が始められた。
 本当はルーミア邸でも清掃の習慣を適用すれば良いのだけれど、あいにく自宅と寺子屋は勝手が違う。調理場はルーミアのこだわりがありいつも綺麗に保たれているのだが、それ以外の部屋はしっちゃかめっちゃかで今朝のように物が行方不明になることもしばしばである。

「あ~授業……っていっても大したことはせんけどな」
 もこたんは教壇に立つと頭を掻いてつぶやいた。けーねセンセなら挨拶が終わり次第、即真面目な話が始まるのだが、もこたんの授業は雑談の延長のような印象を受ける。でも、いつもの雑談と違い授業と銘打っているので期待も半分である。
「なんのお勉強するの?」
「せやな~読み物でも読んだろか。読まれへん字とかもあるんやろ?」
「うん、漢字がまだ読めないの」
 チルノが手習本と書取帳を広げて見せた。手習本にはいろは唄が連なって記述されており、私たちは手習本の平仮名を見よう見まねで書取帳に書き写す。チルノの書取帳はなんとも……ファンタスティックな形の平仮名が並んでいた。とてもチルノらしい芸術的な字で、私は好きである。
 私たちはまだ平仮名しか本格的に練習していないので、難しい漢字は全然読めない。
「じゃあこの『白狼兵書』読んでほしいのだ。昨日途中までけーねセンセが読んでくれたのだ」
 けーねセンセは昨日、漢字だらけの本を朗読してくれた。私たちも同じ本を見て、読めない漢字を見つけたら平仮名でふりがなを書き記していく。読めない漢字を読めるように、そして平仮名を素早く書くための練習に、この朗読の授業があるのだと私たちに説明していた。
 けーねセンセが朗読していた頃もこたんはどうしていたかというと、教室の隅の方で寝転がってグウスカ寝ていたので授業内容を把握していないようだった。なので、ルーミアが読み始めのページをもこたんに告げる。
「ここからか……『白狼天狗の哨戒任務において最も重要なのは個の戦闘力ではなく多の団結力にある。日々の鍛錬は言うまでもなく、個々の突出した能力を適所に活かし的確な連携を行うことで広い範囲を強固に守ることが可能になる。また、テリトリーの地勢を把握し少数の集団を効果的に分散配置することにより挟撃・強襲を容易く行うことができ、且つ奇襲・謀略の罠に落ちいようとも防御が瓦解することは……』 ……うーん」
 もこたんはスラスラと聞き取りやすい速度で読んでくれていたのに、なぜか途中で朗読をやめた。
「どうしたの?」
「なあ、これおもろいか? あんたら内容わかるんか?」
 ため息混じりに私たちに尋ねる。冗談かと思ったが、その目は真剣に疑問に思っているようだ。片眉がみょんと釣り上がり、怪訝な顔で白狼兵書を眺めている。
「面白いのだ。天狗さんたちは仲良しこよしでお山を守ってるって話なのだ」
「お仕事でも友情は大事ってお話だから好きだよ」
 もこたんの評価が気に入らないのか、何言ってるんだという勢いでルーミアが食ってかかった。チルノも鼻息を荒くして感想を述べる。
「私たちもこんなかっこいい人たちになりたい」 遅ればせながら私も率直な意見を発した。私はルーミア以外の妖怪を見たことがない。天狗も妖怪のようだが本の内容を聞く限りだと非常に統率のとれた集団のようで互いを信頼し結束が高く、しかも頭が良くて強いらしい。それぞれの能力を駆使しつつ協力して死地を切り抜ける猛者の集団。これだけかっこいい要素が揃っていて、かっこいいと思わないことなんてあるのだろうか、いやない。
「ほんまか……人の好みはようわからんな……ほな続き読むわ」

 もこたんはそう言うと朗読を続けた。私は必死で漢字にふりがなを書きつつ白狼天狗の勇猛な様子に思いを馳せ、まるで白狼天狗の一人になったかのような想像をする。強大な敵の脅威から守るべき者のために大きな剣を振るって戦い、戦友を守るために盾を構える。勇ましい哨戒任務にその身をやつす妄想を幾度となく繰り広げた。
 しかし楽しい時間というのは早く過ぎるようだ。いつの間にか日は落ち、群青の空が窓一面に押し寄せる。時計の針を見れば宵五つ(二十時くらい)。
 ずっと朗読を続けていたもこたんはへとへとになりながら白狼兵書を閉じ、教壇を降りて畳に座り込む。持ってきた竹の水筒を開けてガブガブと水を飲み干し、授業の終わりを告げる。
「は~しんど。センセはこないしんどいこと毎日してるんか……」
「せーのっ、もこたんセンセ、ありがとうございます」
 私たちはけーねセンセにするように、授業の終わりの挨拶をする。もこたんは突然立ち上がった私たちに面食らい、キョトンと呆けた顔を披露した。
「およっ? いやはや、どういたしまして。ちょびっとセンセぽかったやろ?」
「うん、もこたんは立派な先生だよ。休憩も入れずに読み続けるなんてすごい!」
 チルノが笑顔とともに賞賛する。
「え! けーねセンセは休憩入れてたんか! ありゃー失敗したな、これからはもうちょっと真面目に聞くか」
「そのほうがいいのだ」
 授業の合間に小休憩を挟むことを知らなかったらしい。もこたんの疲弊ぶりを見るに、今度からは小休憩が長くなりそうだ。
 もこたんはついに、畳に寝そべってしまった。いつもの寺子屋での姿である。
「休憩挟まんかったとはいえ、こんなしんどいこと一日に二回もようできるなあ」
「もこたんがいつも手伝ってあげればけーねセンセも楽になるんじゃない?」
 チルノの提案は非常に理にかなっている。むしろ、なぜ今までせずに教室の隅で寝転がっていたのか。もこたんらしいといえばもこたんらしいが。
「そっか~そうなるわな~。でもあては面倒見るの、三人が限度やけどな」
「三人……」
「どうしたのだ?」
 ルーミアが私の顔を覗き込む。私はもこたんの言葉に引っかかった。
「こんなに広い教室なのに私たちだけって寂しくない?」 そう、私たちにとって広すぎるのだ。座布団と座敷机がちょうど十対。そのうちの三対しか使っていない。別段不満があるというわけではないのだが、昼の部と比べるとどうも少ない気がする。気心の知れたメンバーで授業をするのも楽しいのだが、もし他にもメンバーが増えたなら……
「思ってもみなかったけど、言われてみればたしかに」
「私、もっとお友達ができるかもと思ってたけど、人間の子とお話する機会ないんだもの」
「授業ではけーねセンセとしか話さないもんねえ」
 チルノも私と同じ意見だ。もし交流の機会があるとすれば昼の部と夜の部が入れ違いになる時くらいのものだが、それも期待は薄い。
「昼の部はもっと大勢いるのだ。アタシたちも昼の部に行けばいいのだ」
「ん~そりゃ無理やろな」
「どうして?」 もこたんは顎に手を当て悩んでいた。ルーミアは閃いた名案を即座に否定されて少しムッとしている。代わりに私が理由を聞いた。
「そりゃあんたらが妖怪や妖精やからな。一緒に授業はできんで」
「そうなのか……」
 にべもない所以に、ルーミアはシュンとしてしまう。人間からしたら私たちはどう映って見えているのだろう。怖い存在? 悲しい存在? いやな存在? いずれにしてもポジティブな印象でないことは確かだった。
「まあ……あたいたちだけでも楽しいから、いいよね?」
「そうだよね。チルノとルーミアと一緒にお勉強出来るだけでも私幸せだよ」 チルノの励まし私は精一杯答えた。無理なものは無理なのだ、いつまでもくよくよしたって何も進展はしない。三人だけではなく三人もいると考えて、これからの寺子屋を楽しもう。元気付けてくれたチルノに、私はにっこり微笑んだ。
「あ、そうや。ちょっとけーねセンセの様子みてくるから帰りの支度してここで待っといて」
 もこたんはすっくと立ち上がると、早足でけーねセンセの自室へ向かっていった。
 部屋の空気がもこたんの移動にあわせてかき乱され、いぐさの香りに混じって窓から冷涼な夜の芳香が流れてきた。



 ††††††



 もう帰りの支度も済んでぽけーっと天井を見ていると、視界の端に金髪の毛がゆらゆら動いている。視線を移すとルーミアが座りながらうにょうにょと腰を動かしもじもじしている。
「どうしたのルーミア?」
「う~ん……おトイレに行きたくなってきたのだ」
 いままでは家に着くまでにトイレに行きたくなったらその辺の草むらでしていたが、寺子屋に寺入りしてからは外では一切していない。寺子屋のトイレか自宅のトイレか。とにかく野外ですることはけーねセンセに禁止されているのだ。よっぽどの緊急事態ならともかく、普段ははしたないので屋内でするようにとのこと。お日様の下でおトイレすることが品位を欠くとはカルチャーショックだったが、タイミングを見計らって屋内であらかじめしておけば大した不便はない。
「私も行きたいかも。いこっか」
「え、二人共行くならあたいも行く!」
 私たちは三人揃ってぞろぞろと便所までの行進を始めた。掃除されて塵一つない桑染め色の廊下は、裸足で歩くとひんやりしていて気持ちがいい。
 廊下に出て、歩き始めて三歩でお花摘みへの行進は止まる。先頭のルーミアのモジャ毛がふいと横を向き、教室の反対の部屋――けーねセンセの自室に近づいた。
「けーねセンセ起きたんだ」
「何話してるのだ」
「なんだろ……」
 私たちは示し合わせたようにふすまに耳を近づけ声を聞いた。
「……妹紅のおかげでゆっくり眠れたよ」
「そらよかったわ……茶はいるか?」
「うむ、ほうじ茶か、いただくとするよ」
 こぽこぽとお茶を注ぐ音がする。ふすまの隙間からお茶のいい香りがしてきた。ルーミアは耳を近づけていたはずが、いつの間にか鼻をふすまの隙間に突っ込んでいる。
「ところでな、あてから提案なんやけど……」
「ほう、妹紅から提案とは珍しい。話してくれ」
「あの子ら三人だけやと寂しいみたいやねん。そこでな、他の寺子入れたったらどうやろかと思うねん」
 けーねセンセは一呼吸おいて受け答えする。
「しかしいくら安全とは言え妖精や妖怪と一緒に授業をさせて怒らない親はいないと思うが……」
 けーねセンセの声はくぐもっていて、気分が暗然としているのが明白だった。やはり人間にとって人外は距離のある存在なのか。けーねセンセやもこたんが人妖分け隔てなく接してくれたとしても、ここは人里。その他大勢の人間が拒否反応を起こせば受け入れてもらえないのだろう。以前聞いたもこたんの悩みも、こういった人間の差別的な視線が原因なのかも知れない。
 だとしたらけーねセンセが難色を示すのも理解できる。昼の部の子供たちが手を振り返してくれなかったのも、理解できた。
「せやな。きっと人里の人らは嫌がるやろな。せやから人間の寺子やなくて妖怪の寺子を入れたったらどうやろ」
「うーむ……しかし……あまりにひょいひょいと妖怪を招いていては人里の目も厳しくなりそうだな」
「人に迷惑かけんような妖怪やったらええんとちゃう? しかも人間に危害を与えないよう教育するって言ったら人里の人たちも納得するんやないかな」
「そうだな……たしかに一理ある。あの子達のためにもなりそうだし、私の本懐も遂げられる」
 もこたんはけーねセンセに粘り強く提唱していた。もこたんが私たちのために頑張ってくれている。私たちは目を合わせながら、もこたんの勇姿を耳に刻んだ。白狼天狗もかっこいいけど、私たちの事を想ってくれるもこたんとけーねセンセもかっこいい。私は指をギュッと握り胸を躍らせていた。

「だが簡単には妖怪の本性など変えられん。あの子達並みに安全な妖怪でなければ人里で悪さをしないとも限らん」
「まあまかせとき、あてに心当たりあるから」
「そうか。それならあの子達も喜ぶだろう。では妹紅、頼んでいいか?」
「よっしゃ、あてに任せとき。それから……」
 話が終わる前に、私たちが耳をくっつけていたふすまがガラリと開く。体重をふすまに預けていたせいで私たち三人とも揃って部屋に倒れ込んだ。
 猩々緋のズボンが私たちに近づき、ロウソクの後光に照らされた白銀の髪が私の顔にばさっと落ちてくる。目や鼻に絡まり、どうにか髪を退けると口元をにやけさせながら目の前には見慣れたもこたんの顔がにゅっと出てきた。
「教室で待ってろ言うたやろ」
「バレちゃった」 私は照れ隠しにおどけてみせた。
 すぐそのあとに、こめかみをグリグリされたのは言うまでもない。



コメント



1.影狼ちゃんもふもふ削除
今回のもこたんしっかりとしていて更に優しくなってますね!チルノ達も難しい本でも興味津々にきちんと勉強をしていてすごいな…と思いました。ちょっと悲しい部分もありましたが笑える部分もあって良かったです。次はどんな子がでてくるのか楽しみです。
2.CARTE削除
影狼ちゃんもふもふさんコメントありがとうございます☆
あたらしい寺子はわたしも楽しみです。まだどんな子を入れるか検討中ですが、自分も楽しんでストーリーを作れる子達を入れたいと思います♪