私は一人、色の無い世界を歩いていた。理由は簡単だ。
紅魔館の広い広い廊下。見慣れたモノクロームの景色の中で、私は湯気を漂わせたまま微動だにしない紅茶をお嬢様の元へと運ぶためである。
昨晩は珍しく博麗神社ではなくて、この紅魔館で宴会が行われた。洋式だからパーティという言い方が正しいかもしれない。
あっちでは日本酒や麦酒が主に消費されていたが、ここではワインやブランデーがぐびぐびと音を立てるように消えて行った。アルコールが含まれていれば水だろうと嬉々として呑むような連中ばかりが集まるので、想像に難くは無いが。
朝方になってようやく、参加者の八割がフラフラとおぼつかない足取りになってパーティーは終了した。うちのお嬢様は夜行性なので「今からが面白いところなのに」と愚痴を溢していたが、彼女の顔もまた林檎の様に赤くなっていて、また千鳥足であったことは言うまでも無いだろう。
……かくいう私も、実は時間を止めたまま半日程酔いつぶれていた。もし誰かに見られていたなら、と思うとゾッとする。私は酒が入るといびきが凄いのだ。
「……ん?」
そして今。来客を何食わぬ顔で館から追い出したあと、お嬢様に少しでも酔いを醒ましていただこうと水と紅茶を運んでいる最中。
私はその世界の中で、転がる異物を視認した。
「あらら、一人返し忘れたわね」
モノクロの世界の中で相も変わらない図々しさを見せる、魔法使いの少女がうつぶせに転がっている。大方、酒に呑まれて倒れたのだろう。
彼女の腕を少し持ち上げてみる。重力しか及ばない世界では、たかだか少女の腕一本でもなかなかに重さのある物体だ。
そして、死体のようにそれはヒンヤリと冷たい。勿論、脈も動いていないし息は止まっている。私はゆっくりと持ち上げた腕を元通りに戻す。
「まったく、どんなところで潰れてるんだか」
はぁ、とらしくない溜め息を溢した。こいつはこうなると自分で起きあがるまでは戻ってこない。つまり、それだと往来の邪魔になってしまうのだ。解決方法としては彼女を抱え上げてベッド、残念ながら今余っているベッドは無いので棺桶か何かで代用してもらうほかないが、に移動させなければならない。ただでさえ多い仕事を増やされてしまったと思うと、少し憂鬱だ。
「せめてもっと人目に付かないとこで潰れてくれればいいのに。門の辺りとか」
魔法使いと門番、二人まとめて眠り潰れている光景を想像すると少し吹き出しそうになった。
魔法使いを一旦置き去りにしたまま、私はお嬢様の部屋の扉の前までやって来た。聞こえてはいないけれど、従者のマナーとして、必ずノックをするように心がけている。
二、三回扉が音を立てた後、私は部屋の中へと入った。
そしてそこには、先ほどまでとは打って変わって、たくさんの花々が所狭しと飾られていた。
命あるものには、必ず色がある。
優雅に一人、椅子に腰掛けながら窓の外を見つめる、美しい吸血鬼の姿。白黒の世界だからこそ、いつもより満ち満ちているようなその姿に、私はいつも心奪われる。
蒼く艶のある髪。魅了されるような紅い瞳。
時が止まっていても、見つめていれば一たび私は吸い込まれそうになる。
「……お嬢様」
ポツリと、呟く。
私は本当に、この人の従者でよかった。
テーブルに注いだばかりの紅茶を置いて、私はお嬢様にこうべを垂れながら、時を動かす。
「咲夜。ありがとう」
「いえ」
「もう大丈夫よ」
「では、また何かありましたら」
それだけの会話。瞬間また時を止める。私は頭を上げ、扉をゆっくり閉めて来た道を引き返した。
件の彼女はもちろん、まだ廊下に転がっている。
「……流石に持ち上げられないわね」
仕方ない。時を動かして、無理やり起こすか。
それでだめだったら、美鈴でも呼べば何とか棺桶くらいには仕舞えるだろう。
私は時を再び動かす。白黒の彼女はまだ動かない。