妖精の足跡　②いざ森の中へ

――ん、んん……――

　まぶた越しに、日光が私の目に飛び込んだ。氷のかまくらは外の景色を透かし、初めてだらけの世界を優しく私に伝えてくれる。
　私は身体にかけていた薄手のタオルケットを避け、床で転がって寝ているチルノに声をかけた。
「おはよう、チルノ」　口もとの床には薄い氷の膜が――ああ、チルノのヨダレが凍ったのか。
「うん……？　あ！」
「ダイちゃん、手は大丈夫？」
　起きるなり私に駆け寄って、しもやけで痛めた手の心配をしてくれる。なぜか離れて手をまごまごさせているのは、触ってまたしもやけにさせないように遠慮しているのだろうか。
「うん、チルノが手当してくれたから大丈夫」　本当は、まだちょっと痒い。けれどこれ以上チルノに心配させるのはよくないと思い、私は生まれて初めて嘘をついた。
「レティの手帳に書いてあるお薬のおかげで治ったんだ」
　チルノの顔がぱあっと明るくなり、目を細めて朗らかに笑う。
　レティという人はとても聡明なようだ。チルノのそばにいない時でも、チルノに助言を与えられるよう色んな事を手帳にまとめている。
　《ともだちがしもやけになったら》なんて項目があるくらい、未来を見据えたかのような的確な指示を書いていた。そして、その通りに薬草を調合し塗布すると翌日には快方に向かうのだからすごい。
　チルノには読めるらしい平仮名で書いているが、残念ながら私には読めなかった。私も字くらいは読めるよう勉強したほうがいいかも知れない。

「これから一緒に暮らすのに、ダイちゃんがしもやけまみれになるのは良くないよね」
　チルノは氷の椅子に座り腕を組みながら悩んでいた。眉根を寄せて口を曲げ、いかにも難題にぶつかったような表情をしている。たしかに、冷たさや寒さの問題は氷精には理解しがたいだろう。
「私にもっと暖かい服とか布団があると、お互いちょうどいい暮らしができるのかも」
「う～ん、でもあたいが持ってる服って薄手のワンピースとシャツしかないからなあ」
「他に服を持ってそうな人は？」
「あたいの知ってるところはチビ妖精の住処ばかりだから、ダイちゃんが着れるような服はくれないと思う」
　ああ、あの意地悪チビ妖精か。サイズもさる事ながら、あんなののお世話になるなんてこっちから願い下げよ。でも困ったな、都合のいい服がその辺に落ちてるわけないだろうし。

「レティがいたら作ってくれるんだけど……」

　私も一緒にうんうん唸っていると、チルノが素晴らしい一言をポロっと出す。服を作る、か。まさに青天の霹靂だった。服が無いなら作ればいいじゃない。素材さえあれば私にぴったりのサイズで目的を果たせる服を用意できる。こんな妙案を提示するチルノは、もしや天才ではなかろうか。
「このあたりで服の生地をくれるようなところってある？」　半ば興奮気味に、食い入るようにチルノに聞く。チルノは自分の口から出た良案に気づいていないようで、意気込んだ私との温度差は明白だった。
「う～ん、ちょっと外に出てみようか」
　ひょいっと外に繰り出したチルノは、少し離れた湖の岸まで私を連れてきた。湿った空気――霧が立ち込め視界が悪い。空気がひんやりとしていて日差しなどどこ吹く風だ。
　チルノは白く透き通った短い指で遠くを指す。

「ほら、あそこに赤いお屋敷があるでしょ」
　確かに、遠くの方で霧と林に隠れた赤い館が見える。見たところ私たちのかまくらとは比べ物にならないくらい大きいみたい。
「高慢館っていうお屋敷なんだって。名前のとおり高慢ちきな女の子がいて、あたいが入ろうとしたら『お呼びじゃないから出ていきな』なんて言うんだよ。でもあそこなら……」
「なんて高慢ちき。そんな意地悪なやつは私も会いたくないわ」　チルノは少し顔をしかめながら私に言う。どうせあのチビ妖精みたいな意地の悪い奴なんだろう。やはりそんな奴に借りなんて作りたくない。

　しかし困った。いくら作るという選択肢ができたとしても、材料がなければどうしようもない。服の素材になりそうな物の入手方法なんて私には思いつかない。なのでチルノの天才っぷりに期待して、チルノの青い瞳をじっと見る。
「妖精に限らないなら、森の中に親切な妖怪がいるかもしれないね」
「きっといるよ、二人で探そう！」　やはりチルノは活路を見出す能力に長けてるとしか思えない。湖の反対側に広がるとてつもなく広大な森に、服の材料を探すためだけに足を踏み入れるなんて私には到底思いつかなかった。
　
「そうと決まったら探検ね。見た感じかなり大きい森みたいだし」
「かなり大きいよ。住み慣れたあたいだって、家からそんなに離れたことないもの」
「そうなの？　だったら探検グッズはいるかもね」　私はチルノとかまくらに戻り、タンスの中から必要になりそうなものをベッドの上に並べた。
「地図は絶対いるね。この紙とペンで道を描きながら進もう」
「じゃあ地図を描くのはチルノに任せるね。私は食べ物と食器を運ぼうかな」　ちいさな肩掛けポーチに紙とペンを入れてチルノに渡した。私も同じくらいのポーチを肩から下げ、中に入れる食べ物を探そうと冷蔵庫に向かう。
「じゃあこれとこれ」
　チルノは戸棚からボトルを数本持ってきて私のポーチにぎゅうぎゅう詰めた。何を入れたのかとポーチを覗くと、色とりどりのボトルの口から甘ったるい香り流れてきた。
「これ、シロップじゃない。こんなの舐めながら歩くの？」
「ううん、あたいって氷を出せるでしょ？　だからかき氷を作ってそれにかければお腹いっぱいになるよ」　
「チルノ、あなた天才ね。これならスプーンと器だけ持っていけばいいから、食料を除いた分荷物が少なくて済むわ」
「へへん、この能力もたまには役に立つんだよ」
　自信たっぷりなチルノの態度に、私は深く納得した。冷気を操る能力もさることながら、たぐいまれな応用力を有するチルノの頭脳には感嘆する。
　私はチルノのおかげで軽くなったポーチを担ぎ、まだ太陽がさんさんと元気に輝いている外に出る。森の入口までは意外と近く、少し歩いただけで到着した。
　あらためて見上げると、背の高い樹木が連なり繁茂した葉は明るい太陽をことごとく遮る。深く、深く、所々に木漏れ日が落ちるだけで、あとに続くは重い暗闇。
　私たちは身震いするような秘境に、偉大なる第一歩を踏み出した。
「いざ！　素材を求めて森の奥深くへ！」
「いざ～！」
　拍子抜けするチルノの掛け声に、私の口角はキュッと上がった。
　踏み出したチルノの足元からは、パキパキと小さな音がした。



　******



　そこかしこに木々が生え、足の踏み場もないくらい木の根が敷き詰められているので歩きにくくてしょうがない。あたいたちはしょうがなく、低空飛行で木々をかわしながら奥へと進んだ。
「結構進んだね。そろそろ休憩しようか」
「うん、お腹もすいてきたことだしお昼ご飯にしよう」　ダイちゃんは飛び慣れていないせいで疲れるのが早く、小休止をこれまでに何度か挟んだ。薄くて白い羽が、元気な時より心なしかしなびている。ダイちゃんの羽も、あたいと同じく体調によって変化するみたいだ。
　あたいは休憩毎に地図に描き記している。こんな大きな森で迷わないためにも、道中に見た目印を覚えているうちに詳細に描かなければいけない。なので定期的に休憩をはさむのは、あたいとしても大賛成だ。
「チルノ、氷をお願い」
「まかせて、とうっ！」　差し出された二つの器に両手をかざし、心の中でこんもり積もったかき氷をイメージした。空気中の水分が寄り集まり氷の結晶に変わった刹那、あたいは両手を閉じて氷の成長をすかさず止める。
　白いモヤが晴れた器には、雄大な白い山のようにかき氷が出来上がっていた。
「すごいすごい！　さすが氷精、職人芸ね」
「ふっふっふ。実をいうとかき氷は、あたいの繊細な力加減で作れる至高の一品なんだ」　はしゃいでいるダイちゃんに気をよくしてあたいは鼻を高くした。
　指先で小さな氷の結晶を作り、ダイちゃんのかき氷にぷすっと刺す。あたいほどの《ぱてぃしえ》になると、お菓子の飾りつけだってできるのさ。
　ダイちゃんはかき氷の上から持ってきたシロップをミックスして垂らす。あたいも真似して色とりどりの美味しそうなかき氷を作り、一気に口にかき込んだ。ああ、冷たくて気持ちいい。
「うっ！　キーンときた～」
「あれ？　頭抑えてどうしたの？」
「なんだかかき氷を一気に食べたら頭が痛くなったの。今は大丈夫」
　ダイちゃんは頭の病気になったのだろうか。でもすぐに治ったところを見ると、頭が悪いというわけではなさそうだ。もしかしたら冷たさに耐性がある、あたいやレティには無い症状なのかもしれない。
　熱があるかも知れないのでダイちゃんの頭を撫でた。あたいの指が、ダイちゃんのさらっとした緑の長髪をすうっと通る。
「ありがと」
　ダイちゃんはくりっとした目を閉じあたいの冷気に浸っていた。

「さあ行こっか」
　ダイちゃんは疲れが取れたのか、森に入る前の元気な姿に戻っている。あたいもお腹が膨れたので元気満点だ。
　空中に舞おうと勢いをつけてジャンプした時、ダイちゃんがあたいの服を引っ張り呼び止める。
「結構歩いたよね。私たちどれくらい進んだんだろ？」
「ええっとね、地図によると……」　ポーチにたたんで入れた地図を引っ張り出し、ガサガサと広げて現在地と出発地点を探す。
「……んーと……うーんと……」
「ここかな？　いや……」
「どうしたの？　見てもいい？」
　あたいが手間取っていたせいで、ダイちゃんがしびれを切らして覗き込んできた。
　はい、とあたいは地図を手渡す。ところが最初は静かに見ていたみるみるうちにダイちゃんの顔が青ざめていった。もしや頭を撫ですぎて冷えちゃったのかな？

「なにこれ！」

　驚いた目であたいの顔を見つめるダイちゃん。どうしたのだろう。
「ほとんど目印になるものがないじゃない！　なによこの《かっこいい木》とか《イケてる草》って」
「え～だって、幹の曲がり方が尋常じゃないくらいかっこよかったんだもん。草もイケてたもん」
「そうじゃなくて！　森の中で木や草を目印にしたって簡単に見つけられないじゃない」
「み、見つけられるもん！」　突然ダイちゃんが怒りだした。地図を読むのがちょっと遅れたくらいで何を怒っているのだろうか。ようく見れば必ずこの地図は役に立つ。あたいはそのことを説明しようと必死に言葉を考えたが、思いつかないばかりか買い言葉で応酬してしまった。
「じゃあこの場所から一番近い《キラキラ蜘蛛の巣》ってのはどこにあるのよ」
「それなら大丈夫、さっき描いたからすぐわかるよ。ほら、あそこっ……あれ？」　あたいは少し離れた木の枝をビッと指差したが、あったはずの蜘蛛の巣が影も形もない。周りの木もぐるっと見渡したけれど、どの枝も似通っていてどれが蜘蛛の巣を張り巡らせていた木かわからなくなってしまった。
「ほら、見失っちゃったでしょ。もう、チルノったらしょうがないんだから」
「なんだいなんだい、あたいに描かせといて文句ばっか……あ、そうか！」　あたいに名案が浮かぶ。
「なに？」
「空からあたいたちの家を探せば方角はわかるでしょ」
「あ、そうか。すごい！　さすがチルノ！　文句言ったことは謝るわ」
「へへん、いいってことよ。さあ空へレッツゴー」　ダイちゃんも謝ってくれたことだし解決策も編み出したし、まさに順風満帆。入り組んだ枝をスイスイと通り抜け、あたいとダイちゃんは森のてっぺんにたどり着く。
　急に現れたあたいたちに驚いて、小鳥たちがチチチッと一斉に飛び立っていった。

「……？　ねえチルノ、どこを見ても森ばっかりでかまくらが見えないんだけど」
　ダイちゃんは遠くを見渡すように少し高いところまで飛んだけれど、家が見つからないようだ。ということは森の切れ目が見えないということだろうか。あたいはダイちゃんと同じ高さまで飛び上がったけれど、確かに見えるのは木々の頭ばかりだ。
「もしかしたら……あたいたちの家ってそんなに背が高くないから木に隠れちゃって見えないんじゃ」　あたいの真理をついた言葉に目を丸くしたダイちゃんは、大きくため息をついて落胆した。
「前言撤回よ、やっぱりチルノはしょうがないわね」
「面目ない」　じっとりとした目付きと低く脅すような声に、あたいは謝ることしかできなかった。
　家の方角を見失ったあたいたちは、がっくり肩を落としながら地上まで降りてきた。コブのように盛り上がった木の根に腰を下ろしてこれからどうすれば良いのか色々考えを巡らしていると、ダイちゃんが焦燥した声で話しかける。
「ね、ねえチルノ、私たちどこから来たんだっけ」
「それはこの地図の目印を見れば」
「蜘蛛の巣見つからなかったじゃない」
「じゃあ足跡を探せば」
「空を飛んでいたのに足跡なんて残らないわよ」
　ダイちゃんの言葉をようやく理解したあたいは、氷精なのにサアッと血の気が引いて寒気がした。ダイちゃんの顔もみるみる青くなっていき、あたいと顔を見合わせる。何かを言いたそうに唇を震わせているが、何を言いたいかは不思議とあたいもわかった。
　そう、あたいもダイちゃんも、お互いに同じ最悪の展開を導きだしていたのだ。

「……もしかしてあたいたち」
「完全に迷った？」



　††††††



　陽がだんだん傾き差し込む光もわずかになってきた頃、私たちは果てしない暗闇に絶望していた。あてどなく飛んでもいたずらに体力を消耗するだけである。方向もわからない、見渡す限り同じような曲がりくねった木々の群ればかり。体力よりも先に、心が疲弊してしまった。
「う～疲れたよ～休もうよ～」
「そうね……」　チルノがついに立ち止まり、木の根が絡まった岩の上にちょこんと腰を下ろしてしまった。短い付き合いだが私にはわかる、あの座り方はちょっとやそっとじゃ立ち上がれない。
　私は闇雲にうごいても家にたどり着けない事にうすうす感づいていた。その考えもあってか、足取りは重く体の動きも心なしか鈍くなってきた。もしかしたら空腹のせいかもしれない。
「お腹すかない？　チルノ、かき氷が欲しいわ」　チルノは口をだらしなく開けながら、それでも無言で頷き手を器にかざす。大気中の何もないところから白いモヤが発生し、器に急激に集まり――

「とう」
　キン！　と硬い音がしたかと思うと、次の瞬間にはカラの器にかき氷が――いや、器には巨大な氷の塊が出来上がっている。見てくれこそかき氷のように器に収まっているものの、カチカチに凝固しているためスプーンでは歯が立たなかった。　

「うわ、氷の塊になってるわ！　チルノ、かき氷よかき氷！」
「あうう……疲れすぎて微妙な調整ができないみたい」
　チルノは自らの能力をコントロールできないほどに疲れきっていたようだ。たしかにこれだけ疲労しているのに普段通りに集中なんてできるわけがない。しかも、わざわざ私のために氷を作ってくれたのだ。感謝こそすれ不満など言うことなどできない
「ありがとうチルノ、この氷を舐めとくわ」　氷になけなしのシロップをかけペロペロ舐めてみたら、意外といける。心から感謝し、水分補給も兼ねて賞味した。

　氷を舐め終わる頃、突然刺すような痛みが腹部を襲った。　
「……うう、なんだかお腹が痛い」
「もしかしてなにか拾い食いでもしたの」
「しないわよ……もしかしてお腹壊しちゃったのかしら」
「えー！　どうしよう、こんな獣道じゃぽんぽんのお薬もないだろうし」
　薬という単語で私はピンときた。そうだ、しもやけになった時もレティの手帳を見て薬を調合したじゃないか。
「レティの手帳に薬のつくり方載ってるんじゃない？」
「そうだ、手帳。　あれ、ダイちゃんが持ってきたんじゃないの？」
「私は食器だけよ。チルノのポーチは……ああ、地図用の紙でいっぱいだったわね……」　私たちは痛恨のミスをしてしまった。こんな窮地にこそレティの手帳が指針となるはずが、よりによって肝心の手帳を忘れてしまうとは。私はお腹をおさえ、痛みが過ぎるのをひたすら待った。
「もう少し休んだら治るかも」　チルノが心配そうにこちらを見ているので、精一杯の笑顔で安心させる言葉を紡ぐ。内心治る見通しなどこれっぽっちもないけれど。
　私たちが意気消沈していたところ、カサッと遠くの草むらから音がする。
　ただの野生動物だろうから無視していた。が、だんだんと私たちのほうに向かって音が大きくなってくる。私はチルノに寄り添い何が出てきても驚かないよう身構えた――そしてついに目の前の草むらが踊り――

ガササッ

「みつけたーっ！」
「うわあああああっ！」
「きゃあああああっ！」
　草むらから飛び出してきた《何か》に驚き、私とチルノは抱き合って叫び声をあげた。

「ありゃ？　何だあお前ら、猪じゃないな」
　暗闇からとぼけた声が湧いてきた。恐る恐る目を開けるとそこには少女がたたずんでいた。白く光るギザギザの歯、わずかな陽光に反射した真紅の瞳、キラキラと輝くくせ毛の金髪が可愛らしくもあり怖くもあった。
　金髪の少女は大きく開いた眼をぱちくりしながら私たちに言葉を投げつける。私は思わず、猪が何者なのかわからなかったけれど、毅然と言い返した。
「な、なんで私たちを猪なんかと間違えたのよ。いや、それよりもあんた誰？」
「そりゃ、森の奥深くの獣道なんかでガサガサしてるのは猪くらいのもんだ」
　彼女は私が答えて欲しい質問を華麗に無視し、どうでもいい質問の方をさらりと答えた。
――いや、獣道だって？　私たちのいるこの場所は獣道だったのか。一見なんの変哲もない森の地面だけれど、彼女にはこれが道だとわかるということか。
「あなたはこの森に詳しいの？」
「おう、詳しいぞ」
「じゃあ、あたいたちを霧の湖の近くにある家まで連れて行ってちょうだい。あたいたち道に迷っちゃったの」
　ひょうきんな表情の彼女に、チルノと私はすがって懇願する。しかし、彼女は天を見上げながら何かを思いついたかと思うと、私たちに視線を戻して命題を課した。
「ん～猪を捕まえるのに協力してくれたら案内するぞ」

「ダイちゃん、あたいが行ってくるよ。ダイちゃんは休んでて」
　チルノはすかさずすっくと立ち、私に勇ましくも優しい言葉を投げかけた。チルノ自身もかなり体力を消耗しているはずなのに……私は痛むお腹をさすりながら、チルノの優しさに感謝した。
「あたいはチルノ、こっちはダイちゃん。あなたは？」
「ルーミアなのだ」
　私が聞いたときは答えなかったくせに。
「じゃあルーミア、ダイちゃんは具合が悪いからさっさと猪を捕まえよう！」
「さっき毛むくじゃらのお尻を見かけたから、きっとこのへんにいるぞ」
　意気込むチルノにいいかげんな返答をするルーミア。そんな見当でどうやって猪とやらを捕まえられるというのか。これは、頼りにならない案内人になりそうだ。
　そう思っていると、視界の隅に黒い何かが見えた。
「ねえ」　
「こんなに広い森の中でどうやってその毛深いお尻を探すの？」
「ねえ」
「ここは獣道で、アタシはこっちから来たから、きっとそっち側にいるはずなのだ」
「ねえ」
「でもあたいたちはそっちから来たのよ。獣道のとおりに歩いてるとは限らないんじゃない？」
「ねえ」
「猪は目が悪いから、夕方以降の暗さなら獣道からそんなに外れてうろつかないのだ」

「ねえってば！」

「ど、どうしたの」
　大声を上げて、ようやく私に気づいてくれた。火急の案件があるというのにのんびりした人たちだ。
「あそこの……草むらからこっちを見てる毛むくじゃらがいるんだけど、もしかしてあれが猪ってやつ？」　私の指差した先には、大きく黒い四本足の動物がぎらつく眼を光らせながらこちらを見て鼻息を荒くしていた。たくましく盛り上がった背中には黒くゴワゴワした毛が無数に生え、口元にはヨダレに濡れた大きな牙が堂々とそびえ立つ。
「お～そこにいたのか～」
　手を顔の横に合わせて歓喜したルーミアは、軽い足取りで猪のほうへ駆け出した。それに呼応してゴフッと声を漏らした猪が、頭をくんっと下げて猛烈な勢いで私たちの方へ突進してきた。
「うわっ！　向かってきた！」
　チルノは先ほどの勇ましい言葉と裏腹に、私を引っ張り木の陰に隠れた。
「ガウッ」
　ルーミアはものすごいスピードで駆ける猪をひらりと躱し、背中のコブにギザッ歯を突き立てて噛みついた。だが、背中の異物を振り払うため急停止急旋回を繰り返す猪に、ルーミアはたまらず振り落とされる。落ちた時に木の根でしこたま全身を打ったルーミアは、私たちの隠れた木の近くまでゴロゴロと転がってきた。
「うわわ！　ルーミア、大丈夫？」
「いてー。猪のくせに生意気な」
　チルノと私は駆け寄って、衣服がぼろぼろになった彼女を抱き上げた。しかし、ルーミアの瑞々しい玉の肌には傷ひとつなかった。当の本人はふくれっ面で土を払い、じろりと猪を睨んでいる。

「ものすごい暴れてるよ、どうするのアレ」
「いつもはあそこまで大きくないからすんなり仕留められるんだけど……アイツの動きをちょっとだけ止められたらな～」
　腕を組んで唸るルーミアに、チルノが手を挙げて立候補する。
「あたいなら動きを止められるよ、任せて！」
　たたっと木の根を飛び越えて、足で地面を掻く猪に向かって手をかざす――白く輝く猛烈な氷塊が、地面を瞬間的に凍結させた。猪は地面を伝う強力な冷気に襲われ、全身を氷に包まれる。
　足止めどころではない、チルノは自身の能力で完全なる決着をつけたのだ。

「おお！　すごいなチルノ！」
　チルノの能力を初めて見たルーミアは驚き――いや、初見ではない私も驚いた。チルノの能力は体の周りに冷気を漏らし、かき氷を作れるくらいの能力だと思っていたからだ。だが実際は小規模とは言えすべてを凍てつかせて氷に包んでしまうほどの力を持っていたのだ。

「いや～すごいすごい。ていっ」
　ルーミアは先ほどの驚きが嘘のようなマイペースで、猪と地面が癒着している氷を手際よく砕いた。ごろんと転がした冷凍猪を、ポッケから取り出した大きな布で包む。
「なかなかの上玉をゲットしたのだ。二人には感謝するのだ」
　こちらに振り向いたルーミアは、きらりとギザッ歯を光らせて私たちに笑顔を投げかける。私もチルノもホッと一息つき、大木に背中をあずけて座り込む。安心したせいか、またお腹がキュルルルと痛みだす。どっと噴きでた冷や汗を拭いつつ、私はルーミアに案内を頼むことにした。
「じゃあ約束も果たしたし、私たちの家まで送ってくれないかしら」
　ルーミアは、またもや天を見上げて何かを考えている。変なことを思いつかなければ良いのだけれど。
「家って霧の湖の近くなんだろ？　もう夜になって危ないから、ここから近いアタシの家に来たらいい」
　そういえばさっきから随分暗いと思っていたら、いつのまにか完全に日が落ちていた。たしかに私もチルノも夜目が利くわけではないので、こんな暗闇の中危険な森の中を突っ切るのは得策ではない。
「そうしてもらおうよダイちゃん。ぽんぽんもまだ痛いんでしょ？」
「そうね……悪いけどルーミア、お邪魔してもいいかしら」
「いいぞ～。あ、ダイはアタシが肩をかすのだ。チルノは猪を運んでくれなのだ」
「なんであたいが……」

　ぶつくさ文句を言うチルノをみて、私は思わずクスッと笑った。凍った猪をひいこら担ぐチルノを見ていると、お腹の痛みも忘れて頬が緩む。
　そんな私を見たルーミアが一言耳元で囁いた。
「ダイはチルノのことが大好きなんだな」
　私はもちろん、というように大きく頷いた。