試合が進む度に、地底闘技場の観客席は埋まってきていた。
にも関わらず、紅い吸血鬼の座る席は一周囲全てが空席となっていた。二つ隣の席で吸血鬼のメイドが見張っているにも関わらず、周囲の席に座ろうとした妖怪達は、その瞬間に姿を消していくのだ。
自分のメイドが優秀である事に満足感を覚えるが、突如吸血鬼――レミリア・スカーレットは顔をしかめた。
「お嬢様?」
「あなたは気付いていないのかしら? ……まぁしょうがないか。こんな沢山の妖気と喧噪に囲まれれば人間の耳では何も聞き分けられないでしょうね」
メイドの十六夜咲夜は何も察する気配がないので、レミリアは小さく笑って口を開く。
「フランが近づいてる」
咲夜は目を見開く。
「フランがあとどのくらいで到着するのか確認してきなさい」
「……距離によりますが、時間が掛かりますよ?」
「構わない。試合でも見て時間を潰すさ」
レミリアとの会話を終えた咲夜は、何かを念じた瞬間にその場から一瞬で姿を消した。
「思ったよりは遅かったな。まぁいいか。パチェは私の言ったことをきちんと聞いてくれたようだし」
「戻りました」
闘技場を向いた顔をまた左に戻すと、先ほど姿を消したはずの咲夜が二つ隣の席に戻っていた。
「早かったわね……」
「いえ、結構時間がかかってしまいました」
「あぁ、そういう意味だったの」
時間を操る能力を持つ人間である咲夜が先程言った言葉の真意をレミリアは今理解した。
「で、どうだったのかしら?」
「全力で飛んできて、恐らく四十分程かと」
「そうか。……なら、八雲紫にそれを報告してきなさい」
「八雲紫に……ですか?」
「恐らくあいつも気付いてるだろう。念を入れてこちら側から言っておけば、責任の一切を押しつけられる等という面倒は起きない。あいつは自分で『大会を最も楽しみにしているのは自分』と言っていた。ならば、何が何でもフランの乱入を阻止するだろうな」
レミリアは背もたれに深く腰掛け会場を広く見回す。何人か見覚えのある者を除き、この場にいるのはほとんどが見知らぬ妖怪である。
「フランは、能力が能力だから早々外には出せない。戦いたい気持ちをくみ取ってはやりたいが、あんな汚い所で戦わせるわけにはいかないの」
会話を終えたにも関わらず動こうとしない咲夜を見て、レミリアは再び、紫の元へ行く旨を命じた。
二ッ岩マミゾウは観客として武道会を楽しんでいた。
二回戦第四試合で八雲藍に彼女は敗北した。しかしたいした傷は負っていなかったので医務室に行くことはなく、観客席で二回戦後半を見ていた。
「マミゾウ」
命蓮寺の面々はまたしても、次の試合を戦う聖白蓮を応援するため、自分と、選手ではない幽谷響子以外の全員が通路に行っている。しかし自分を呼ぶその声は明らかに響子が座る方とは反対側から聞こえたのでマミゾウは不思議に思う。振り向いた先にいたのは封獣ぬえだった。
「どうした、聖の所に行ったんじゃなかったのかい?」
いつものひねくれ癖でも出て戻ってきたか。そう思い、マミゾウは視線を闘技場に戻す。
「聖に頼まれた」
さほど深刻そうではなく、かといっていつもの調子ではないぬえの放ったその言葉に視線を戻したマミゾウは目を丸くしていた。
「何を……?」
「あんたへの伝言だ」
ぬえに伝言を頼んだ聖は、これから第七試合を戦う。入場の時間まであと三分もかからないだろう。故に白蓮から言伝を頼まれたぬえは、とりあえず概要を一言で伝えた。
「毘沙門天――あの寅の所に行ってほしいんだってさ」
当然の話ではあるが二回戦の試合数は一回戦の半分しかない。一時間程度で二回戦は既に四分の三が終わり六名の三回戦進出者が決定している。
――坤神、洩矢諏訪子。
――毘沙門天代理、寅丸星。
――鬼、伊吹萃香。
――式神、八雲藍。
――月の姫君、蓬莱山輝夜。
――鬼、星熊勇儀。
鬼二人は順当に勝ち進み、自らの式は、その鬼の一人である伊吹萃香と三回戦で当たる。残す二回戦の二試合、そしてこれから訪れる三回戦が楽しみで笑みを零しつつある八雲紫だったが、隣に座っている西行寺幽々子の膝にある物が気になっていた。
「それ、まだ食べないの?」
幽々子の膝には小さな直方体の箱が乗っていた。上に割りばしが乗っているので傍目から見てもそれは弁当箱だと分かる。彼女は一回戦が終わった際の休憩時間中、魂魄妖夢と地底を散歩している時にそれを購入していた。
「まぁ……ちょうどお腹は空いてきたんだけど……我慢するわ」
普段の幽々子からは聞けないような言葉に紫は内心困惑する。
「部下の晴れ舞台、ってわけじゃないけど。いつでも食べれる弁当のせいで妖夢の恰好いいところを見逃したら勿体ないでしょう?」
紫は驚きつつも、それ以上何も言わず闘技場へ視線を向ける。そこには二回戦第七試合を戦う者同士が既に集結していた。
審判長の四季映姫・ヤマザナドゥが正面にいる二人に向けて規則変更について問う中、聖白蓮は妖夢が手にする刀に視線を移す。
「私はこの試合、楼観剣を使いません」
彼女が手にしているのは楼観剣ではなく短刀――白楼剣だった。それは斬った者の迷いを絶つと言われている。
「確かに私は素手で戦いますが、それにあなたが合わせる必要は――」
「手加減をするつもりはありません」
聖の言葉を妖夢は切る。
「確かに楼観剣程の殺傷力は、この白楼剣にはありません。しかし、この剣に限らずなまくら刀――木刀であっても面を打てば頭は割れ、突けば喉を潰すこともできる。それが剣術というものです」
妖夢は右手を上げる。それは映姫に対し規則変更の旨を伝える事を意味していた。
「聖白蓮さんがどれだけ寸止めをしても失格にしない。と紫様に伝えてもらえないでしょうか」
一回戦第十四試合では、聖白蓮が有効打となったであろう打撃を全て寸止めにし、紫に『次から寸止めをすれば【警告】する』とまで言われていた。この試合では白蓮が何度打撃を止めても良いようにしてほしい、という妖夢の懇願が聞き取れていたのか、映姫と妖夢が振り向いた先で座っている紫は微笑みながら親指と人差し指で丸を作っていた。それを見て映姫も「了解しました」と言葉を放ち、両者に離れるよう促す。
白楼剣を右手に持ち替えつつ妖夢は白蓮から距離を離す。白蓮も既に試合開始の位置まで下がっていて、その構えからは一切の緊張が感じられない。
「二回戦第七試合、始め!」
腰を低くし、妖夢は居合いの如き構えを取る。一回戦でも見せた極限の集中力は殺気と混ざり、見える射程となって白蓮に感じさせる。しかしその殺気による射程は、彼女の持っている刀が違うことが影響しているのか一回戦の時よりも広いものではなかった。
白蓮も身体強化魔法による、一瞬なら天狗にも匹敵する瞬発力を持ち合わせているのだが妖夢に対しては分が悪いと悟ったのか、ゆっくりと空中に浮き上がる。刀という武器とその技の都合上、居合いの威力を十分に発揮できるのは前方、及び地上であると考えた白蓮は射程外から攻めやすいであろう空中から攻撃するために。しかし妖夢の射程はそれに合わせるよう空中に広がっていく。
「成程……。蘇我屠自古さんが突進したのは蛮勇かと思っていましたが……。確かに隙がないですね」
一方で妖夢は地に足を着けたまま白蓮を見据え続ける。
既に数十秒が経ったものの二人が交錯する気配はない。しかしそれに客席が野次を飛ばすことはない。妖夢は一撃で相手を両断し、白蓮はあらゆる攻撃を無力化し反撃を取る形でそれぞれ一回戦を勝利した。それを見てきた妖怪達は、野次を飛ばした瞬間に決着が着くかもしれないと感じていた。
その膠着の中、先に動いたのは白蓮だった。妖夢の射程外から攻めるため空中にいたにも関わらず、高度を下げ地上に降り立ち、両手を胸の前で合わせ、妖夢に向かいゆっくりと前進し始める。その姿に妖夢は見覚えがあった。身体硬化の魔法によってあらゆる攻撃を受け止め、双掌打による反撃に転じる技を面霊気異変の際、目にしている。
――馬鹿な……。私の目測では、あの技はどちらかといえば防御強化ではなく、相手の技を強引に耐え攻撃を捻じ込むための手段。殺傷力は劣るが、白楼剣をその身体で受けるつもりなの?
一見自殺行為とも見える白蓮の行為に対し、恐れを感じているのは妖夢の方だった。
――しまった!
妖夢の集中が乱れた時、既に白蓮は間合いに入っていた。しかし妖夢は動かない。自らの殺気に触れているにも関わらず白蓮から殺気を一切感じない事が妖夢は不気味に感じていた。だが退くという選択肢はない。互い凄まじい瞬発力を持つ者同士であり、自分にとって最も勝負を決める事ができるであろう技こそが居合いなのだと妖夢は悟っている。
――迷いを……断ち切る!
自らの間合いの半分まで白蓮が辿り着いた時、遂に妖夢も動く。一瞬で白蓮の眼前まで跳び、その勢いを乗せたまま刀で一閃する。一回戦では相手の背後まで行く程の瞬発力を乗せた妖夢の斬撃であったが、今回は白蓮の前にその身体は残っていた。
――感触で判る。……全く斬れてない!
腹部の衣服には一文字に裂け目ができたものの、そこから除かせる白蓮の肌は一切の血を流していない。多少の動揺に集中力を削られてはいたものの、妖夢自身は会心の一撃を与えたと感じていた。
――返し技だけに気を付けていたが、そもそも硬い!
剣の感触から妖夢が全てを察知した瞬間、白蓮が動く。重ねていた両手を開き、眼前の妖夢に向けて双掌打を放つ。隙を見せ、傍目から見れば絶体絶命である妖夢だったが、彼女はこの状況を狙っていた。
彼女は振り切った刀を素早く持ち替え、刃を下に向けて自らの前に構える。殺傷力で勝る楼観剣を手放してまで白楼剣を持ち込んだのには当然訳があり、それが、今妖夢が取った返し技の構えである。
――目には目を……返し技には返し技を……!
相手の攻撃をいなし、隙を生んだ身体に一撃を与える事に白楼剣は特化していた。妖夢が蓄えた集中力は相手の攻撃を受け止める場面にも応用できる、はずだった。
白蓮は刀に触れる寸前で掌打を止めていた。
――読んでいたのか……? 私が返しに返しで対抗する事を……!
返し技に失敗し自らが無防備となった妖夢の側頭部に向け、白蓮は掛け声と共に上段回し蹴りを放つ。それこそ一振りの刀のように鋭い筋を描いた右足は妖夢の髪に触れる。そして、またしても白蓮は攻撃を止めた。
「何故……止めるんですか……」
「この戦いでは……相手を満身創痍にさせるだけが勝利条件ではないはずです」
「……!」
妖夢は瞬時に間合いを開ける。
「私の口から降参を言わせるつもり!?」
気丈に振る舞う妖夢だったが顔からは動揺が零れている。
――冷静になれ! 逆に好機なんだこれは。如何に隙を見せても相手は私を仕留める気はない、と考えれば……。
呼吸を整える妖夢を見て、客席にいる幽々子は特に表情を変えず紫に話しかける。
「不味いわね。確かに相手の攻撃を受け止める白楼剣を武器にしたところまでは正解だったかもしれないけど。今のように止められたら、流石のあの子でも受け止められない――受け止めることそのものができないわ」
「……でも、万策尽きた、って顔でもなさそうよ」
紫の見据える先にいる妖夢は再び体勢を低く構え、更に目を閉じていた。その姿を見る白蓮に、相手が自暴自棄になった、と捉える気はない。
「凄いですね……隙がありません」
「さっきは私の視線の動きが返し技を狙っていることを明かしてしまってたのかもしれない。ならば何をしてでもあなたに悟らせなければいい。白楼剣であるにも関わらず返しを狙わずあなたを斬り捨てるか、それとも狙うか。これで極力、私の行動は読めないはずです」
「……いいでしょう」
妖夢から漏れる殺気の射程は常に不安定なものとなって白蓮の視界に映っていた。恐らく妖夢自身、目を閉じて戦うことに不安を拭いきれないのだろう。しかし白蓮は一切奢りを見せず再び両手を胸の前に合わせ、妖夢に向かい一歩ずつ歩みを進めていく。
妖夢は一切動く気配を見せない。遮断した視覚以外のもので白蓮の気配を探る。再び静寂に包まれる闘技場の中、土を踏む白蓮の足音が妖夢の耳に届く。その音がある瞬間、一際大きく聞こえる。
――今!
目を開けると同時に妖夢は前へ跳んだ。視界を閉じていた妖夢の作戦は功を奏していて、白蓮はこの時点で斬撃が来るか返し技の構えが来るか判らずにいた。故に白蓮は先程同様返し技の構えを取る。先程受けた斬撃による痛みが癒えたわけではないが、先程と同程度の威力が来るなら耐える事は難しくなく、妖夢が返し技を構えるなら、こちらから攻める必要はないと考える。
そして目前にまで妖夢は迫り、彼女がとった行動はどちらでもなかった。彼女は白蓮が身につけてる衣服の襟を掴む。相手の狙いが投げである事に白蓮は気付くも、その瞬間、妖夢は腕を引いた。
――私の必殺技は確かに剣撃ですが、最終的にそこへ至るために、あらゆる手段を用いる!
しかし、白蓮の体勢を崩すための左手はぴたりと止まった。妖夢の手によって衣服こそ伸びているものの白蓮そのものは一切動いていなかった。妖夢の脳裏に、地面に埋まった巨大な岩の光景が浮かぶ。
そして、先程と同じく白蓮の手が開かれようとする。
「くっ!」
瞬時に妖夢は手を放し、白楼剣を横に振る。しかし白蓮も攻撃をやめ、後ろに跳んでかわした。
――避けた……。手を合わせてなければ耐えることができない……?
思考する妖夢を前に、相対する白蓮は笑みを浮かべる。しかし、今まであらゆる攻撃が通用していないにも関わらず妖夢も微笑む。それを見て僅かに困惑した白蓮の腰に後ろから衝撃が走った。妖夢が投げに失敗した瞬間、白蓮の背後に忍ばせていた半霊が今、体当たりをしたのだ。
後ろから襲いかかってきたものが何か見ようとして、しかし白蓮はすぐに視界を前に向けなおす。だが、既に妖夢は低く構え、万全の体勢だった。
「人符『現世斬』」
受けの構えを取ることも厳しいと瞬時に白蓮は判断し、力を足下に込め、地面を蹴り、飛び上がる。
投げで決める分の集中力しかなかったためか妖夢の剣撃は白蓮を捉えることはできなかった。
「逃がさない!」
上空に上がる白蓮を追うため、妖夢も地を蹴る。真っ直ぐに白蓮へは向かわず、壁の役割を担っている結界へ跳び、垂直に駆け上がっていく。
白蓮の呼吸が整うより前に、同じ高度まで来た妖夢と半霊が対角線上になるような挟み撃ちの形になる。
――守りの形には入らせない!
妖夢はまだ十分な距離があるにも関わらず、その場で腕を振る。相対している白蓮の目に映ったのは、単体で飛び込んでくる白楼剣だった。妖夢は刀を投擲武器として使用し、それを追いかけるような形で結界を蹴る。一方の白蓮は簡単に白楼剣を回避し、しかし妖夢が刀を放り投げた意味を考える。自分の背後には妖夢の半身とも言える存在の半霊しかいない。だが、仮に半霊も刀に触れる事ができる存在なら。白蓮がそこまで至ったと同時に妖夢は宣言する。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』」
宣言を聞き、今危険なのは刀がある方だと白蓮は察知し後方を振り向く。その方向にいた半霊は人としての妖夢の姿で飛んで来ていて、先程避けた刀をその手に持っていた。
――トレースではなく半霊自体として動かせるのはものの数秒! ここで勝負を決める!
相手には遠く及ばない半人前の腕だが、一応の体術も妖夢は会得している。半人前の剣術と体術で、一人前では済まない実力者を挟み撃ちにする。白蓮は刀を持つ半霊の方を向いていて、丸腰である人の妖夢には完全に背中を向けていた。妖夢が狙っているのはやはり刀による一撃だが、それで相手が油断しようものなら体術で決めるつもりで突進する。しかし妖夢は失念していた。体術を極めた白蓮は全身が武器である。彼女が目にしているその背中さえも。
白蓮は初めから人である方の妖夢を狙っていた。一見無防備と思わせておいてその実頑強な背面を相手に叩き込む体術を放つ。
――刀を持たぬ事で油断させたと思っていた。しかし実際は、背中を見せられることで私が油断させられてしまった。あまつさえ、その上で寸止めを……。
上空で、人の方である妖夢に、腕一本入るかどうかの隙間を開け、白蓮の背中は止まっていた。白蓮の狙いが人の方である事に驚き、同じく動きを止めていた半霊の妖夢はそれ以上人としての形を保ち続ける事ができず元の霊魂に戻る。その際に刀は手から落ち、地面に突き刺さった。
それを見て、古明治さとりは西側に手を上げ、聖白蓮が勝者であることを示す。しかし審判長である映姫と、紫は何も反応を示さない。白蓮がそのまま技を放っていたなら間違いなく一本を宣言したのだが、寸止めである以上、映姫はそれを有効打と認められなかった。一方で紫はただ妖夢を見上げて笑みを浮かべているだけである。
「まだ……続けますか?」
聖は構えを戻したものの振り向かず背中を見せたまま妖夢に問う。
「寸止めをされていなければ……私はきっと立ち上がれなかったでしょう」
そう言って妖夢はゆっくりと下降していく。白蓮も間合いを取りつつ地上へ降りていく。
「ですが、そのせいで私は倒れてません。こうして立っている」
地上に降り立った妖夢は白蓮から背を向け、突き刺さった白楼剣に向かい歩き出す。
「半人前である私一人を倒す事さえ、あなたはできてない」
刀を地面から抜き、自らの手に戻した妖夢は白蓮に向き直る。
「諦めが悪いんですね」
「……あなたの力は確かに私の想像を超えています。でも、何もできずに負けるわけにはいかない。どんな手を使ってでも勝つ。勝てなくとも、どんな手を使ってでも一矢報いたい」
妖夢は刀を掴み、白蓮に歩き近づいていく。しかし先程とは違い、刀は適当に掴むように握られていた。その事に白蓮が思案してる間に眼前まで来た妖夢は右手に持つ刀を地に突き刺し、手放して間合いを広げる。
「なんのつもりでしょうか?」
「あなたには……白楼剣を持って私と戦ってほしい」
妖夢の言葉に白蓮だけでなく観客も戸惑いざわめきだす中、紫だけが真意に気付いたのか口元を釣り上げていた。
妖夢の真意を掴めないまま白蓮は白楼剣を引き抜き、途端に違和感を感じる。試しに右手で振ってみると、まるで刀が離れたがっているかのように剣筋が乱れた。今の一振りで斬れるものはほとんどないだろう。
「まったく……馴染まない?」
「白楼剣は魂魄家の者にしか扱うことはできません」
妖夢は腰を落とし、構える。刀を持ってないせいか構えは先程とは違うものになっている。
「白楼剣を使えば寸止めをしなくても『私』を殺すことはできないでしょう」
「……なるほど。一見すると危険な刃物にも関わらず、使いこなせない私が持つと枷にしかならない」
微笑みつつも、決して妖夢に対し奢るつもりのない白蓮が提案を呑むか思案している中、妖夢は側にいる自らの半霊を指し示した。
「しかし、白楼剣は斬った者の迷いを断ち切る――幽霊を成仏させる事ができます。半人半霊である私の半霊部分を白楼剣で斬った時、どうなるのかは私にも分かりません」
「……よくわかりませんが……あなたにとっての利点が少なすぎる。そうであっても、攻撃を止めることはすれど、私はそもそも手加減するつもりはありません。私に刀を渡してしまえば、あなたが勝つ可能性は――」
「勝ちます」
白蓮の言葉を一蹴した妖夢の目を見て、その言葉に嘘偽りはないと判断する。
「いいでしょう」
白楼剣を持たされる事に迷っていた白蓮だったが、一見根拠のない妖夢の自信に、若干の期待を寄せてその短刀を両手で持つ。
そのやり取りを最前席で見た紫はにやけていた。
「凄いわね幽々子。あの子、相手に白楼剣を持たせ、その際の、自分の弱点が半霊である事を教えたわ。それはつまり、相手の攻撃手段を拳だけではなく刀にも分散させ、目標を半霊に絞らせた、ということ」
「相手が剣術を使うなら、妖夢はその対策を知っている。しかも白楼剣。妖夢でなければ落とさないように振るのがやっとのはずよ」
「人のいいあの子がとった、更に人のいい相手に対しての駆け引き、見事だわ。問題なのは、この行動が吉と出るか凶と出るかは、まだ判らない」
闘技場での二人は今まで以上に集中している。白楼剣を持つものが移動した事に観客は戸惑いつつも、勝負の瞬間を見逃すまいと、つられて集中する。
その中で、戦いの光景を広い視野で見ていた紫は白蓮の異変に気付く。
「向こうが下がった」
同時に妖夢は跳んだ。刀にはそれほどの重量があったわけではないが、それを手にしていない妖夢はこの試合一番の加速で白蓮に向けて肘をぶつける。しかし白蓮の方もぎりぎりで見切り、後ろに大きく跳んで回避した。その一連の流れに通路で観戦している命蓮寺の面々は驚き、妖夢は当てられなかった事に対し苦い顔になる。白蓮自身も自らが大きく下がらせられた事に動揺し、苦い笑みを浮かばせる。
「凄い……。正直、想定外でした」
うっかり喋った分の時間を相手に与えてしまった事を白蓮は後悔する。既に妖夢は次の攻撃に要する集中力を溜めていた。本気とも違う、窮鼠の如く死に物狂いで向かってきている。
「いいでしょう。今度は下がりません」
再び、且つ直ぐに攻撃を放つため妖夢は跳ぶ。その攻撃に対し白蓮はなるべく最小限の動きで妖夢の拳を回避する。
――そう来る事は読んでいた!
地に付いた足に力を入れ、強引に体勢を変えて白蓮を追い攻撃する。白蓮はそれさえも上体をそらして回避したが、この試合で最も妖夢の攻撃が近付いた瞬間だった。
妖夢が刀を手にしていた時と劣らない試合の激しさに観客が沸く中、幽々子は一人疑問に思っていた。
「いつも通りの……妖夢ね。刀を捨てたのは正直自殺行為だと思ったのに、さっきより分がある……。あそこでは何か起きてるのかしら?」
妖夢が再び白蓮に突撃する中、幽々子が座る席に立てかけられてある楼観剣を紫は取り、刀と試合の光景を交互に見やる。
「あなたの言った通りよ。刀を手放しただけで、あの妖夢は普段の私達が知る妖夢と何ら変わらない。ただ聖白蓮は妖夢のとった行為に潜む恐ろしい可能性を考えているだけ」
「……可能性?」
「えぇ。聖白蓮の方が素手による戦術に精通している。自らの知る最高の体術を妖夢がその瞬発力と共に放ったら、という『最悪』を想定した場合、彼女は後ろに下がらない限り逃れる事はできないと判断したのでしょうね。しかし先程、想定する最悪を繰り出さなかった事により妖夢のメッキは簡単に剥がれてしまった。聖白蓮に恐怖を与える事はできなかった」
「……仮に……物語のような閃きや偶然、それが起こらなかったら今の妖夢が勝つ可能性はどれくらいなのかしら」
幽々子の問いに紫が口を開くことはなかった。
一方で妖夢が素手になってから始めは沸いていた客席からも歓声は小さくなっていく。その中で幽香は感嘆したような表情で笑みを浮かべる。
「凄いわね。まるで舞のようだわ。事実上、ただ逃げ続けてるだけなのに妖怪達が文句一つ言わず見てる」
白蓮は一切攻撃せず、妖夢による徒手空拳の攻めをかわし続けている、にも関わらず観客達は妖夢が劣性であることを感じさせられ、映姫も白蓮への評価を下げる気は起きなかった。
それでも妖夢はひたすら攻め続ける。拳、脚が何度空を切ろうとも自らの身体を休ませることはない。
――これが……刀を捨てた私の限界……。やはり……渡さなければ良かったかな。というより、刀を一本しか持ち込めないルールでは元から私が勝つ望みは薄かった……。
彼女の目から闘志は消えない。
――とは思わない! 半人前の考えと笑われても……。限界があるなら、それを超えてみせる!
先程使用した際に、その使い方では体力の消費が激しい事を改めて悟ったにも関わらず、彼女は構わず宣言する。
「『幽明求聞持聡明の法』!」
白蓮が後ろに下がり妖夢の攻撃を見切ったと同時にそれは宣言される。再び、人の形を得た半霊としての自身と共に白蓮を挟み撃ちにする。
――半人前で構わない! 人の身である私と幽霊としての私、合わせてようやく一人前の私で、討つ!
妖夢と妖夢による、全く同じ瞬間に攻撃が放たれる。
その瞬間、聖白蓮の右手――その手に持つ白楼剣が突如光り輝きだす。それは刀本来のものではなく、白蓮の力によるものだった。白楼剣自体は、魂魄家以外の者に扱う事はできない。ならば、かろうじて持つ事はできるその刀を自らの魔力で覆い、『中に白楼剣が包まれている魔力の剣』という全く別の武器として、自分の手に馴染ませればいい。
前後から放たれる拳をかわし白蓮は相手の首筋に刃を置いた。正面に見える人としての妖夢の首筋には左手による手刀を……。背後にいる幽霊としての妖夢の首筋には右手に持つ、振り終えて魔力の膜が消え刃のむき出しになった白楼剣を……。
『妖夢』は互いに『妖夢』と視線が合う。互い視線の先にいる『妖夢』は首筋に刀を向けられ、文句なしに一本を取られていると認めざるを得ない。
「まだ……続けますか」
白蓮の言葉が刃の如く胸に突き刺さる。半人前ではなく、合わせて一人前の妖夢から取った二つの一本は、妖夢の心を折るには十分すぎるものだった。
「ありがとうございます……。もう……十分です……。…………。……降参です」
静寂を割るように映姫は勝負ありを宣言する。
「そこまで! 魂魄妖夢の降参宣言により、勝者、聖白蓮!」
一回戦第十四試合で似た光景――勝者どころか敗者ですら無傷による決着、という光景を前に観客達は感嘆の声こそ上げるが、大きく騒ぐことはない。
「恥辱と捉える必要などありません。あなたの攻撃は全てに必殺の気を孕んでいましたので回避に重点を置かざる得ませんでした。私は、良い試合だったと思ってます」
既に半霊の方は人としての形を失い、人である妖夢に白蓮は白楼剣を返す。
「この刀……あなたの意志と覚悟を汲み取り、霊魂に突きつけるべきだったかもしれませんが……。豊聡耳さんを相手に勝利した事のあるあなたを葬ってしまうには、どうしても惜しかったのです。あなたが望むのなら、またいつか戦いましょう」
差し出された白蓮の手を握っても妖夢の頭は『敗北』という結果で一杯だった。しかし今はまだ、闘技場に立つ選手の一人である自覚を持ち、堂々と振り返り、選手出入口を潜る。そして、誰も見る者がいなくなった廊下で、崩れ落ち壁にもたれかかる彼女は一人の少女らしく感情を――
「妖夢」
感情が弾ける寸前に届いた声は涙が溢れるのを制した。
「幽々子様……」
彼女の主である西行寺幽々子が、先回りしていたかのように妖夢の前に現れた。しかし妖夢は一度合った視線を逸らす。
「申し訳ありません……。鬼や藍さんと戦う前に……負けてしまいました」
「そうね。そういう話は後でしましょう。それよりも――」
妖夢の気持ちなど露知らずといった態度で、幽々子は笑みを浮かべ二つに重なる箱を妖夢に見せる。
「早くご飯にしましょう」
「……え?」
「地底で買ったお弁当。冷めすぎると本当に美味しくなくなっちゃうわ」
「ま……まだ食べてなかったんですか!? 幽々子様が!?」
自分が負けたという感情をあっという間に塗りつぶす程に、幽々子が食事を我慢するという事に妖夢は驚かずにはいられなかった。
「負けちゃったんだから一緒に試合を見ながら食べましょう。あなたと一緒に食べるから美味しいのよ」
幽々子のあっけらかんとした態度に、あっという間に胸をしめつけていた負の感情が消えていった事に妖夢は小さく苦笑した。
「どうせ私の分もほとんど幽々子様が食べちゃうじゃないですか……」
「あなたが私に上げたそうな顔をするからよ」
「幽々子様が半端でないくらい私の分も欲しそうな顔をするからですよ」
心の乱れは消えた妖夢は姿勢よく立ち上がる。
「もし次があるならば、その時こそより良い結果を持ってきます」
「あら、一回戦で負けた私に対する当てつけかしら。それに勝ち続けたら、ご飯が冷めちゃうじゃない」
いつまでも弁当を食べられないというのは、部下が勝ち続けるという喜ばしい意味を持つ、故に自分はそれを願っていた。という幽々子の真意に気付かず、相対している少女は主が言ったいつも通りにしか聞こえない言葉にただすまし顔で応える。
振り返り、既に白蓮のいない闘技場を見て、いつか再びその場所に足を踏み入れた際には、幽々子と自分、共に認める結果を得ようと決意する。今はただ、主と共にその場を後にする。
選手控え室は、敗北したら選手であっても入室禁止になる、などという決まりはない。しかし、敗北した選手は医務室で傷を癒すか客席で試合を楽しむため、実質は非脱落者しか部屋にいない、といった感じになっている。だが、今現在、南東控え室には、脱落したマミゾウが、我が物顔といった態度で腕を組みつつ椅子に座っていた。その近くには本来その部屋にいるべきである寅丸星が立っていて、そして少し離れた位置の壁端では洩矢諏訪子が三角座りで目を瞑り瞑想している。
「こうして見ると、とんでもない奴じゃのう」
白蓮の試合を見終えた直後の二人は共に驚嘆し、今マミゾウが言葉を放つまでは沈黙し合っていた。
「儂に勝った事もあるあの半霊をあそこまで手玉に取るとは……。今日のあやつは儂やぬえでもそうそう勝てないかもしれんな」
マミゾウは咥えた煙管を吸い訝しげな表情のまま煙を吐く。
「まぁ、その聖に頼まれて儂は此処にいるんじゃがな」
第七試合が始まる前、ぬえを介してマミゾウは白蓮に頼まれている。
――星が決勝まで行けるよう力になってほしい。
その聖の言葉通りマミゾウはこうして星のいる控え室に来ていた。
「勝ち進んで決勝にいくには、あと二つ勝たんといかん」
マミゾウは横目で諏訪子を見る。星が三回戦で戦う相手は既に彼女で決定している。そして仮に勝利した場合、準決勝は伊吹萃香と八雲藍のどちらかと戦う事になる。
「とはいえ聖も無茶を言うのう。それぞれの方に鬼がいるにも関わらず、要はお前さんを決勝まで行かせろ、と」
「……お恥ずかしながら、二回戦は私だけが時間切れによる勝ちでした」
「ま、勝てばいいんじゃよ。……さて、とりあえずはお前さんが三回戦、四回戦を勝てる方法を見つけんとな。とはいえその目星はついておる」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ。殿下の宝刀……文字通り宝塔も持ってないお前さんが儂を介して、すぐに訪れる三回戦で勝つようにする方法なんぞ限られておる。しかしそうなると……」
マミゾウは横目で諏訪子を見る。今この状態で何かを教えてしまえば三回戦の相手である彼女に対し筒抜けになってしまう。それを諏訪子も感じとったのか立ち上がり出入口に向って歩き出す。
「分かった分かった。楽しみに目を瞑っておくよ」
諏訪子が扉を閉じ向こう側へ消えていったのをはっきり確認してマミゾウは改めて星の方へ向き直る。
「よし、ではとっとと教えるか。どちらかと言えばこの技は、出ていったあの神というよりは鬼に対して有効であり、且つ鬼に対して使うべきだと思っておる」
「技……ですか」
「そうじゃ。こういう話にありがちな必殺技じゃ。この技は鬼に対して有効。そして儂の見解では三回戦の第二試合、狐は……十中八九……負ける。あやつは負ける」
マミゾウの言葉に若干私怨の気が孕んでいた事に星は口を挟まないでおいた。
「鬼に対策をされないよう、この技を三回戦で使うことはできん。さっきはさも、あの神に勝つための技のように言ったがな。お前さんは自力で三回戦を勝ち、四回戦で鬼に勝つためにこの技を教わる。いいな?」
星は覚悟を決めたのか強い眼差しでその首を縦に振る。
「では教えるぞ。虎が万物を噛み砕くがごときこの技。文字通りお前さんにこそふさわしいじゃろう」
聖白蓮と戦うため。三回戦、準決勝を勝ち進むために星はマミゾウから技を聞き、教わる。
三回戦、その中で星が戦う第一試合が始まるまで、そう時間はかからない。次に行われる神と不死者の戦いによって二回戦の最後が締めくくられるのだから。
にも関わらず、紅い吸血鬼の座る席は一周囲全てが空席となっていた。二つ隣の席で吸血鬼のメイドが見張っているにも関わらず、周囲の席に座ろうとした妖怪達は、その瞬間に姿を消していくのだ。
自分のメイドが優秀である事に満足感を覚えるが、突如吸血鬼――レミリア・スカーレットは顔をしかめた。
「お嬢様?」
「あなたは気付いていないのかしら? ……まぁしょうがないか。こんな沢山の妖気と喧噪に囲まれれば人間の耳では何も聞き分けられないでしょうね」
メイドの十六夜咲夜は何も察する気配がないので、レミリアは小さく笑って口を開く。
「フランが近づいてる」
咲夜は目を見開く。
「フランがあとどのくらいで到着するのか確認してきなさい」
「……距離によりますが、時間が掛かりますよ?」
「構わない。試合でも見て時間を潰すさ」
レミリアとの会話を終えた咲夜は、何かを念じた瞬間にその場から一瞬で姿を消した。
「思ったよりは遅かったな。まぁいいか。パチェは私の言ったことをきちんと聞いてくれたようだし」
「戻りました」
闘技場を向いた顔をまた左に戻すと、先ほど姿を消したはずの咲夜が二つ隣の席に戻っていた。
「早かったわね……」
「いえ、結構時間がかかってしまいました」
「あぁ、そういう意味だったの」
時間を操る能力を持つ人間である咲夜が先程言った言葉の真意をレミリアは今理解した。
「で、どうだったのかしら?」
「全力で飛んできて、恐らく四十分程かと」
「そうか。……なら、八雲紫にそれを報告してきなさい」
「八雲紫に……ですか?」
「恐らくあいつも気付いてるだろう。念を入れてこちら側から言っておけば、責任の一切を押しつけられる等という面倒は起きない。あいつは自分で『大会を最も楽しみにしているのは自分』と言っていた。ならば、何が何でもフランの乱入を阻止するだろうな」
レミリアは背もたれに深く腰掛け会場を広く見回す。何人か見覚えのある者を除き、この場にいるのはほとんどが見知らぬ妖怪である。
「フランは、能力が能力だから早々外には出せない。戦いたい気持ちをくみ取ってはやりたいが、あんな汚い所で戦わせるわけにはいかないの」
会話を終えたにも関わらず動こうとしない咲夜を見て、レミリアは再び、紫の元へ行く旨を命じた。
二ッ岩マミゾウは観客として武道会を楽しんでいた。
二回戦第四試合で八雲藍に彼女は敗北した。しかしたいした傷は負っていなかったので医務室に行くことはなく、観客席で二回戦後半を見ていた。
「マミゾウ」
命蓮寺の面々はまたしても、次の試合を戦う聖白蓮を応援するため、自分と、選手ではない幽谷響子以外の全員が通路に行っている。しかし自分を呼ぶその声は明らかに響子が座る方とは反対側から聞こえたのでマミゾウは不思議に思う。振り向いた先にいたのは封獣ぬえだった。
「どうした、聖の所に行ったんじゃなかったのかい?」
いつものひねくれ癖でも出て戻ってきたか。そう思い、マミゾウは視線を闘技場に戻す。
「聖に頼まれた」
さほど深刻そうではなく、かといっていつもの調子ではないぬえの放ったその言葉に視線を戻したマミゾウは目を丸くしていた。
「何を……?」
「あんたへの伝言だ」
ぬえに伝言を頼んだ聖は、これから第七試合を戦う。入場の時間まであと三分もかからないだろう。故に白蓮から言伝を頼まれたぬえは、とりあえず概要を一言で伝えた。
「毘沙門天――あの寅の所に行ってほしいんだってさ」
当然の話ではあるが二回戦の試合数は一回戦の半分しかない。一時間程度で二回戦は既に四分の三が終わり六名の三回戦進出者が決定している。
――坤神、洩矢諏訪子。
――毘沙門天代理、寅丸星。
――鬼、伊吹萃香。
――式神、八雲藍。
――月の姫君、蓬莱山輝夜。
――鬼、星熊勇儀。
鬼二人は順当に勝ち進み、自らの式は、その鬼の一人である伊吹萃香と三回戦で当たる。残す二回戦の二試合、そしてこれから訪れる三回戦が楽しみで笑みを零しつつある八雲紫だったが、隣に座っている西行寺幽々子の膝にある物が気になっていた。
「それ、まだ食べないの?」
幽々子の膝には小さな直方体の箱が乗っていた。上に割りばしが乗っているので傍目から見てもそれは弁当箱だと分かる。彼女は一回戦が終わった際の休憩時間中、魂魄妖夢と地底を散歩している時にそれを購入していた。
「まぁ……ちょうどお腹は空いてきたんだけど……我慢するわ」
普段の幽々子からは聞けないような言葉に紫は内心困惑する。
「部下の晴れ舞台、ってわけじゃないけど。いつでも食べれる弁当のせいで妖夢の恰好いいところを見逃したら勿体ないでしょう?」
紫は驚きつつも、それ以上何も言わず闘技場へ視線を向ける。そこには二回戦第七試合を戦う者同士が既に集結していた。
審判長の四季映姫・ヤマザナドゥが正面にいる二人に向けて規則変更について問う中、聖白蓮は妖夢が手にする刀に視線を移す。
「私はこの試合、楼観剣を使いません」
彼女が手にしているのは楼観剣ではなく短刀――白楼剣だった。それは斬った者の迷いを絶つと言われている。
「確かに私は素手で戦いますが、それにあなたが合わせる必要は――」
「手加減をするつもりはありません」
聖の言葉を妖夢は切る。
「確かに楼観剣程の殺傷力は、この白楼剣にはありません。しかし、この剣に限らずなまくら刀――木刀であっても面を打てば頭は割れ、突けば喉を潰すこともできる。それが剣術というものです」
妖夢は右手を上げる。それは映姫に対し規則変更の旨を伝える事を意味していた。
「聖白蓮さんがどれだけ寸止めをしても失格にしない。と紫様に伝えてもらえないでしょうか」
一回戦第十四試合では、聖白蓮が有効打となったであろう打撃を全て寸止めにし、紫に『次から寸止めをすれば【警告】する』とまで言われていた。この試合では白蓮が何度打撃を止めても良いようにしてほしい、という妖夢の懇願が聞き取れていたのか、映姫と妖夢が振り向いた先で座っている紫は微笑みながら親指と人差し指で丸を作っていた。それを見て映姫も「了解しました」と言葉を放ち、両者に離れるよう促す。
白楼剣を右手に持ち替えつつ妖夢は白蓮から距離を離す。白蓮も既に試合開始の位置まで下がっていて、その構えからは一切の緊張が感じられない。
「二回戦第七試合、始め!」
腰を低くし、妖夢は居合いの如き構えを取る。一回戦でも見せた極限の集中力は殺気と混ざり、見える射程となって白蓮に感じさせる。しかしその殺気による射程は、彼女の持っている刀が違うことが影響しているのか一回戦の時よりも広いものではなかった。
白蓮も身体強化魔法による、一瞬なら天狗にも匹敵する瞬発力を持ち合わせているのだが妖夢に対しては分が悪いと悟ったのか、ゆっくりと空中に浮き上がる。刀という武器とその技の都合上、居合いの威力を十分に発揮できるのは前方、及び地上であると考えた白蓮は射程外から攻めやすいであろう空中から攻撃するために。しかし妖夢の射程はそれに合わせるよう空中に広がっていく。
「成程……。蘇我屠自古さんが突進したのは蛮勇かと思っていましたが……。確かに隙がないですね」
一方で妖夢は地に足を着けたまま白蓮を見据え続ける。
既に数十秒が経ったものの二人が交錯する気配はない。しかしそれに客席が野次を飛ばすことはない。妖夢は一撃で相手を両断し、白蓮はあらゆる攻撃を無力化し反撃を取る形でそれぞれ一回戦を勝利した。それを見てきた妖怪達は、野次を飛ばした瞬間に決着が着くかもしれないと感じていた。
その膠着の中、先に動いたのは白蓮だった。妖夢の射程外から攻めるため空中にいたにも関わらず、高度を下げ地上に降り立ち、両手を胸の前で合わせ、妖夢に向かいゆっくりと前進し始める。その姿に妖夢は見覚えがあった。身体硬化の魔法によってあらゆる攻撃を受け止め、双掌打による反撃に転じる技を面霊気異変の際、目にしている。
――馬鹿な……。私の目測では、あの技はどちらかといえば防御強化ではなく、相手の技を強引に耐え攻撃を捻じ込むための手段。殺傷力は劣るが、白楼剣をその身体で受けるつもりなの?
一見自殺行為とも見える白蓮の行為に対し、恐れを感じているのは妖夢の方だった。
――しまった!
妖夢の集中が乱れた時、既に白蓮は間合いに入っていた。しかし妖夢は動かない。自らの殺気に触れているにも関わらず白蓮から殺気を一切感じない事が妖夢は不気味に感じていた。だが退くという選択肢はない。互い凄まじい瞬発力を持つ者同士であり、自分にとって最も勝負を決める事ができるであろう技こそが居合いなのだと妖夢は悟っている。
――迷いを……断ち切る!
自らの間合いの半分まで白蓮が辿り着いた時、遂に妖夢も動く。一瞬で白蓮の眼前まで跳び、その勢いを乗せたまま刀で一閃する。一回戦では相手の背後まで行く程の瞬発力を乗せた妖夢の斬撃であったが、今回は白蓮の前にその身体は残っていた。
――感触で判る。……全く斬れてない!
腹部の衣服には一文字に裂け目ができたものの、そこから除かせる白蓮の肌は一切の血を流していない。多少の動揺に集中力を削られてはいたものの、妖夢自身は会心の一撃を与えたと感じていた。
――返し技だけに気を付けていたが、そもそも硬い!
剣の感触から妖夢が全てを察知した瞬間、白蓮が動く。重ねていた両手を開き、眼前の妖夢に向けて双掌打を放つ。隙を見せ、傍目から見れば絶体絶命である妖夢だったが、彼女はこの状況を狙っていた。
彼女は振り切った刀を素早く持ち替え、刃を下に向けて自らの前に構える。殺傷力で勝る楼観剣を手放してまで白楼剣を持ち込んだのには当然訳があり、それが、今妖夢が取った返し技の構えである。
――目には目を……返し技には返し技を……!
相手の攻撃をいなし、隙を生んだ身体に一撃を与える事に白楼剣は特化していた。妖夢が蓄えた集中力は相手の攻撃を受け止める場面にも応用できる、はずだった。
白蓮は刀に触れる寸前で掌打を止めていた。
――読んでいたのか……? 私が返しに返しで対抗する事を……!
返し技に失敗し自らが無防備となった妖夢の側頭部に向け、白蓮は掛け声と共に上段回し蹴りを放つ。それこそ一振りの刀のように鋭い筋を描いた右足は妖夢の髪に触れる。そして、またしても白蓮は攻撃を止めた。
「何故……止めるんですか……」
「この戦いでは……相手を満身創痍にさせるだけが勝利条件ではないはずです」
「……!」
妖夢は瞬時に間合いを開ける。
「私の口から降参を言わせるつもり!?」
気丈に振る舞う妖夢だったが顔からは動揺が零れている。
――冷静になれ! 逆に好機なんだこれは。如何に隙を見せても相手は私を仕留める気はない、と考えれば……。
呼吸を整える妖夢を見て、客席にいる幽々子は特に表情を変えず紫に話しかける。
「不味いわね。確かに相手の攻撃を受け止める白楼剣を武器にしたところまでは正解だったかもしれないけど。今のように止められたら、流石のあの子でも受け止められない――受け止めることそのものができないわ」
「……でも、万策尽きた、って顔でもなさそうよ」
紫の見据える先にいる妖夢は再び体勢を低く構え、更に目を閉じていた。その姿を見る白蓮に、相手が自暴自棄になった、と捉える気はない。
「凄いですね……隙がありません」
「さっきは私の視線の動きが返し技を狙っていることを明かしてしまってたのかもしれない。ならば何をしてでもあなたに悟らせなければいい。白楼剣であるにも関わらず返しを狙わずあなたを斬り捨てるか、それとも狙うか。これで極力、私の行動は読めないはずです」
「……いいでしょう」
妖夢から漏れる殺気の射程は常に不安定なものとなって白蓮の視界に映っていた。恐らく妖夢自身、目を閉じて戦うことに不安を拭いきれないのだろう。しかし白蓮は一切奢りを見せず再び両手を胸の前に合わせ、妖夢に向かい一歩ずつ歩みを進めていく。
妖夢は一切動く気配を見せない。遮断した視覚以外のもので白蓮の気配を探る。再び静寂に包まれる闘技場の中、土を踏む白蓮の足音が妖夢の耳に届く。その音がある瞬間、一際大きく聞こえる。
――今!
目を開けると同時に妖夢は前へ跳んだ。視界を閉じていた妖夢の作戦は功を奏していて、白蓮はこの時点で斬撃が来るか返し技の構えが来るか判らずにいた。故に白蓮は先程同様返し技の構えを取る。先程受けた斬撃による痛みが癒えたわけではないが、先程と同程度の威力が来るなら耐える事は難しくなく、妖夢が返し技を構えるなら、こちらから攻める必要はないと考える。
そして目前にまで妖夢は迫り、彼女がとった行動はどちらでもなかった。彼女は白蓮が身につけてる衣服の襟を掴む。相手の狙いが投げである事に白蓮は気付くも、その瞬間、妖夢は腕を引いた。
――私の必殺技は確かに剣撃ですが、最終的にそこへ至るために、あらゆる手段を用いる!
しかし、白蓮の体勢を崩すための左手はぴたりと止まった。妖夢の手によって衣服こそ伸びているものの白蓮そのものは一切動いていなかった。妖夢の脳裏に、地面に埋まった巨大な岩の光景が浮かぶ。
そして、先程と同じく白蓮の手が開かれようとする。
「くっ!」
瞬時に妖夢は手を放し、白楼剣を横に振る。しかし白蓮も攻撃をやめ、後ろに跳んでかわした。
――避けた……。手を合わせてなければ耐えることができない……?
思考する妖夢を前に、相対する白蓮は笑みを浮かべる。しかし、今まであらゆる攻撃が通用していないにも関わらず妖夢も微笑む。それを見て僅かに困惑した白蓮の腰に後ろから衝撃が走った。妖夢が投げに失敗した瞬間、白蓮の背後に忍ばせていた半霊が今、体当たりをしたのだ。
後ろから襲いかかってきたものが何か見ようとして、しかし白蓮はすぐに視界を前に向けなおす。だが、既に妖夢は低く構え、万全の体勢だった。
「人符『現世斬』」
受けの構えを取ることも厳しいと瞬時に白蓮は判断し、力を足下に込め、地面を蹴り、飛び上がる。
投げで決める分の集中力しかなかったためか妖夢の剣撃は白蓮を捉えることはできなかった。
「逃がさない!」
上空に上がる白蓮を追うため、妖夢も地を蹴る。真っ直ぐに白蓮へは向かわず、壁の役割を担っている結界へ跳び、垂直に駆け上がっていく。
白蓮の呼吸が整うより前に、同じ高度まで来た妖夢と半霊が対角線上になるような挟み撃ちの形になる。
――守りの形には入らせない!
妖夢はまだ十分な距離があるにも関わらず、その場で腕を振る。相対している白蓮の目に映ったのは、単体で飛び込んでくる白楼剣だった。妖夢は刀を投擲武器として使用し、それを追いかけるような形で結界を蹴る。一方の白蓮は簡単に白楼剣を回避し、しかし妖夢が刀を放り投げた意味を考える。自分の背後には妖夢の半身とも言える存在の半霊しかいない。だが、仮に半霊も刀に触れる事ができる存在なら。白蓮がそこまで至ったと同時に妖夢は宣言する。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』」
宣言を聞き、今危険なのは刀がある方だと白蓮は察知し後方を振り向く。その方向にいた半霊は人としての妖夢の姿で飛んで来ていて、先程避けた刀をその手に持っていた。
――トレースではなく半霊自体として動かせるのはものの数秒! ここで勝負を決める!
相手には遠く及ばない半人前の腕だが、一応の体術も妖夢は会得している。半人前の剣術と体術で、一人前では済まない実力者を挟み撃ちにする。白蓮は刀を持つ半霊の方を向いていて、丸腰である人の妖夢には完全に背中を向けていた。妖夢が狙っているのはやはり刀による一撃だが、それで相手が油断しようものなら体術で決めるつもりで突進する。しかし妖夢は失念していた。体術を極めた白蓮は全身が武器である。彼女が目にしているその背中さえも。
白蓮は初めから人である方の妖夢を狙っていた。一見無防備と思わせておいてその実頑強な背面を相手に叩き込む体術を放つ。
――刀を持たぬ事で油断させたと思っていた。しかし実際は、背中を見せられることで私が油断させられてしまった。あまつさえ、その上で寸止めを……。
上空で、人の方である妖夢に、腕一本入るかどうかの隙間を開け、白蓮の背中は止まっていた。白蓮の狙いが人の方である事に驚き、同じく動きを止めていた半霊の妖夢はそれ以上人としての形を保ち続ける事ができず元の霊魂に戻る。その際に刀は手から落ち、地面に突き刺さった。
それを見て、古明治さとりは西側に手を上げ、聖白蓮が勝者であることを示す。しかし審判長である映姫と、紫は何も反応を示さない。白蓮がそのまま技を放っていたなら間違いなく一本を宣言したのだが、寸止めである以上、映姫はそれを有効打と認められなかった。一方で紫はただ妖夢を見上げて笑みを浮かべているだけである。
「まだ……続けますか?」
聖は構えを戻したものの振り向かず背中を見せたまま妖夢に問う。
「寸止めをされていなければ……私はきっと立ち上がれなかったでしょう」
そう言って妖夢はゆっくりと下降していく。白蓮も間合いを取りつつ地上へ降りていく。
「ですが、そのせいで私は倒れてません。こうして立っている」
地上に降り立った妖夢は白蓮から背を向け、突き刺さった白楼剣に向かい歩き出す。
「半人前である私一人を倒す事さえ、あなたはできてない」
刀を地面から抜き、自らの手に戻した妖夢は白蓮に向き直る。
「諦めが悪いんですね」
「……あなたの力は確かに私の想像を超えています。でも、何もできずに負けるわけにはいかない。どんな手を使ってでも勝つ。勝てなくとも、どんな手を使ってでも一矢報いたい」
妖夢は刀を掴み、白蓮に歩き近づいていく。しかし先程とは違い、刀は適当に掴むように握られていた。その事に白蓮が思案してる間に眼前まで来た妖夢は右手に持つ刀を地に突き刺し、手放して間合いを広げる。
「なんのつもりでしょうか?」
「あなたには……白楼剣を持って私と戦ってほしい」
妖夢の言葉に白蓮だけでなく観客も戸惑いざわめきだす中、紫だけが真意に気付いたのか口元を釣り上げていた。
妖夢の真意を掴めないまま白蓮は白楼剣を引き抜き、途端に違和感を感じる。試しに右手で振ってみると、まるで刀が離れたがっているかのように剣筋が乱れた。今の一振りで斬れるものはほとんどないだろう。
「まったく……馴染まない?」
「白楼剣は魂魄家の者にしか扱うことはできません」
妖夢は腰を落とし、構える。刀を持ってないせいか構えは先程とは違うものになっている。
「白楼剣を使えば寸止めをしなくても『私』を殺すことはできないでしょう」
「……なるほど。一見すると危険な刃物にも関わらず、使いこなせない私が持つと枷にしかならない」
微笑みつつも、決して妖夢に対し奢るつもりのない白蓮が提案を呑むか思案している中、妖夢は側にいる自らの半霊を指し示した。
「しかし、白楼剣は斬った者の迷いを断ち切る――幽霊を成仏させる事ができます。半人半霊である私の半霊部分を白楼剣で斬った時、どうなるのかは私にも分かりません」
「……よくわかりませんが……あなたにとっての利点が少なすぎる。そうであっても、攻撃を止めることはすれど、私はそもそも手加減するつもりはありません。私に刀を渡してしまえば、あなたが勝つ可能性は――」
「勝ちます」
白蓮の言葉を一蹴した妖夢の目を見て、その言葉に嘘偽りはないと判断する。
「いいでしょう」
白楼剣を持たされる事に迷っていた白蓮だったが、一見根拠のない妖夢の自信に、若干の期待を寄せてその短刀を両手で持つ。
そのやり取りを最前席で見た紫はにやけていた。
「凄いわね幽々子。あの子、相手に白楼剣を持たせ、その際の、自分の弱点が半霊である事を教えたわ。それはつまり、相手の攻撃手段を拳だけではなく刀にも分散させ、目標を半霊に絞らせた、ということ」
「相手が剣術を使うなら、妖夢はその対策を知っている。しかも白楼剣。妖夢でなければ落とさないように振るのがやっとのはずよ」
「人のいいあの子がとった、更に人のいい相手に対しての駆け引き、見事だわ。問題なのは、この行動が吉と出るか凶と出るかは、まだ判らない」
闘技場での二人は今まで以上に集中している。白楼剣を持つものが移動した事に観客は戸惑いつつも、勝負の瞬間を見逃すまいと、つられて集中する。
その中で、戦いの光景を広い視野で見ていた紫は白蓮の異変に気付く。
「向こうが下がった」
同時に妖夢は跳んだ。刀にはそれほどの重量があったわけではないが、それを手にしていない妖夢はこの試合一番の加速で白蓮に向けて肘をぶつける。しかし白蓮の方もぎりぎりで見切り、後ろに大きく跳んで回避した。その一連の流れに通路で観戦している命蓮寺の面々は驚き、妖夢は当てられなかった事に対し苦い顔になる。白蓮自身も自らが大きく下がらせられた事に動揺し、苦い笑みを浮かばせる。
「凄い……。正直、想定外でした」
うっかり喋った分の時間を相手に与えてしまった事を白蓮は後悔する。既に妖夢は次の攻撃に要する集中力を溜めていた。本気とも違う、窮鼠の如く死に物狂いで向かってきている。
「いいでしょう。今度は下がりません」
再び、且つ直ぐに攻撃を放つため妖夢は跳ぶ。その攻撃に対し白蓮はなるべく最小限の動きで妖夢の拳を回避する。
――そう来る事は読んでいた!
地に付いた足に力を入れ、強引に体勢を変えて白蓮を追い攻撃する。白蓮はそれさえも上体をそらして回避したが、この試合で最も妖夢の攻撃が近付いた瞬間だった。
妖夢が刀を手にしていた時と劣らない試合の激しさに観客が沸く中、幽々子は一人疑問に思っていた。
「いつも通りの……妖夢ね。刀を捨てたのは正直自殺行為だと思ったのに、さっきより分がある……。あそこでは何か起きてるのかしら?」
妖夢が再び白蓮に突撃する中、幽々子が座る席に立てかけられてある楼観剣を紫は取り、刀と試合の光景を交互に見やる。
「あなたの言った通りよ。刀を手放しただけで、あの妖夢は普段の私達が知る妖夢と何ら変わらない。ただ聖白蓮は妖夢のとった行為に潜む恐ろしい可能性を考えているだけ」
「……可能性?」
「えぇ。聖白蓮の方が素手による戦術に精通している。自らの知る最高の体術を妖夢がその瞬発力と共に放ったら、という『最悪』を想定した場合、彼女は後ろに下がらない限り逃れる事はできないと判断したのでしょうね。しかし先程、想定する最悪を繰り出さなかった事により妖夢のメッキは簡単に剥がれてしまった。聖白蓮に恐怖を与える事はできなかった」
「……仮に……物語のような閃きや偶然、それが起こらなかったら今の妖夢が勝つ可能性はどれくらいなのかしら」
幽々子の問いに紫が口を開くことはなかった。
一方で妖夢が素手になってから始めは沸いていた客席からも歓声は小さくなっていく。その中で幽香は感嘆したような表情で笑みを浮かべる。
「凄いわね。まるで舞のようだわ。事実上、ただ逃げ続けてるだけなのに妖怪達が文句一つ言わず見てる」
白蓮は一切攻撃せず、妖夢による徒手空拳の攻めをかわし続けている、にも関わらず観客達は妖夢が劣性であることを感じさせられ、映姫も白蓮への評価を下げる気は起きなかった。
それでも妖夢はひたすら攻め続ける。拳、脚が何度空を切ろうとも自らの身体を休ませることはない。
――これが……刀を捨てた私の限界……。やはり……渡さなければ良かったかな。というより、刀を一本しか持ち込めないルールでは元から私が勝つ望みは薄かった……。
彼女の目から闘志は消えない。
――とは思わない! 半人前の考えと笑われても……。限界があるなら、それを超えてみせる!
先程使用した際に、その使い方では体力の消費が激しい事を改めて悟ったにも関わらず、彼女は構わず宣言する。
「『幽明求聞持聡明の法』!」
白蓮が後ろに下がり妖夢の攻撃を見切ったと同時にそれは宣言される。再び、人の形を得た半霊としての自身と共に白蓮を挟み撃ちにする。
――半人前で構わない! 人の身である私と幽霊としての私、合わせてようやく一人前の私で、討つ!
妖夢と妖夢による、全く同じ瞬間に攻撃が放たれる。
その瞬間、聖白蓮の右手――その手に持つ白楼剣が突如光り輝きだす。それは刀本来のものではなく、白蓮の力によるものだった。白楼剣自体は、魂魄家以外の者に扱う事はできない。ならば、かろうじて持つ事はできるその刀を自らの魔力で覆い、『中に白楼剣が包まれている魔力の剣』という全く別の武器として、自分の手に馴染ませればいい。
前後から放たれる拳をかわし白蓮は相手の首筋に刃を置いた。正面に見える人としての妖夢の首筋には左手による手刀を……。背後にいる幽霊としての妖夢の首筋には右手に持つ、振り終えて魔力の膜が消え刃のむき出しになった白楼剣を……。
『妖夢』は互いに『妖夢』と視線が合う。互い視線の先にいる『妖夢』は首筋に刀を向けられ、文句なしに一本を取られていると認めざるを得ない。
「まだ……続けますか」
白蓮の言葉が刃の如く胸に突き刺さる。半人前ではなく、合わせて一人前の妖夢から取った二つの一本は、妖夢の心を折るには十分すぎるものだった。
「ありがとうございます……。もう……十分です……。…………。……降参です」
静寂を割るように映姫は勝負ありを宣言する。
「そこまで! 魂魄妖夢の降参宣言により、勝者、聖白蓮!」
一回戦第十四試合で似た光景――勝者どころか敗者ですら無傷による決着、という光景を前に観客達は感嘆の声こそ上げるが、大きく騒ぐことはない。
「恥辱と捉える必要などありません。あなたの攻撃は全てに必殺の気を孕んでいましたので回避に重点を置かざる得ませんでした。私は、良い試合だったと思ってます」
既に半霊の方は人としての形を失い、人である妖夢に白蓮は白楼剣を返す。
「この刀……あなたの意志と覚悟を汲み取り、霊魂に突きつけるべきだったかもしれませんが……。豊聡耳さんを相手に勝利した事のあるあなたを葬ってしまうには、どうしても惜しかったのです。あなたが望むのなら、またいつか戦いましょう」
差し出された白蓮の手を握っても妖夢の頭は『敗北』という結果で一杯だった。しかし今はまだ、闘技場に立つ選手の一人である自覚を持ち、堂々と振り返り、選手出入口を潜る。そして、誰も見る者がいなくなった廊下で、崩れ落ち壁にもたれかかる彼女は一人の少女らしく感情を――
「妖夢」
感情が弾ける寸前に届いた声は涙が溢れるのを制した。
「幽々子様……」
彼女の主である西行寺幽々子が、先回りしていたかのように妖夢の前に現れた。しかし妖夢は一度合った視線を逸らす。
「申し訳ありません……。鬼や藍さんと戦う前に……負けてしまいました」
「そうね。そういう話は後でしましょう。それよりも――」
妖夢の気持ちなど露知らずといった態度で、幽々子は笑みを浮かべ二つに重なる箱を妖夢に見せる。
「早くご飯にしましょう」
「……え?」
「地底で買ったお弁当。冷めすぎると本当に美味しくなくなっちゃうわ」
「ま……まだ食べてなかったんですか!? 幽々子様が!?」
自分が負けたという感情をあっという間に塗りつぶす程に、幽々子が食事を我慢するという事に妖夢は驚かずにはいられなかった。
「負けちゃったんだから一緒に試合を見ながら食べましょう。あなたと一緒に食べるから美味しいのよ」
幽々子のあっけらかんとした態度に、あっという間に胸をしめつけていた負の感情が消えていった事に妖夢は小さく苦笑した。
「どうせ私の分もほとんど幽々子様が食べちゃうじゃないですか……」
「あなたが私に上げたそうな顔をするからよ」
「幽々子様が半端でないくらい私の分も欲しそうな顔をするからですよ」
心の乱れは消えた妖夢は姿勢よく立ち上がる。
「もし次があるならば、その時こそより良い結果を持ってきます」
「あら、一回戦で負けた私に対する当てつけかしら。それに勝ち続けたら、ご飯が冷めちゃうじゃない」
いつまでも弁当を食べられないというのは、部下が勝ち続けるという喜ばしい意味を持つ、故に自分はそれを願っていた。という幽々子の真意に気付かず、相対している少女は主が言ったいつも通りにしか聞こえない言葉にただすまし顔で応える。
振り返り、既に白蓮のいない闘技場を見て、いつか再びその場所に足を踏み入れた際には、幽々子と自分、共に認める結果を得ようと決意する。今はただ、主と共にその場を後にする。
選手控え室は、敗北したら選手であっても入室禁止になる、などという決まりはない。しかし、敗北した選手は医務室で傷を癒すか客席で試合を楽しむため、実質は非脱落者しか部屋にいない、といった感じになっている。だが、今現在、南東控え室には、脱落したマミゾウが、我が物顔といった態度で腕を組みつつ椅子に座っていた。その近くには本来その部屋にいるべきである寅丸星が立っていて、そして少し離れた位置の壁端では洩矢諏訪子が三角座りで目を瞑り瞑想している。
「こうして見ると、とんでもない奴じゃのう」
白蓮の試合を見終えた直後の二人は共に驚嘆し、今マミゾウが言葉を放つまでは沈黙し合っていた。
「儂に勝った事もあるあの半霊をあそこまで手玉に取るとは……。今日のあやつは儂やぬえでもそうそう勝てないかもしれんな」
マミゾウは咥えた煙管を吸い訝しげな表情のまま煙を吐く。
「まぁ、その聖に頼まれて儂は此処にいるんじゃがな」
第七試合が始まる前、ぬえを介してマミゾウは白蓮に頼まれている。
――星が決勝まで行けるよう力になってほしい。
その聖の言葉通りマミゾウはこうして星のいる控え室に来ていた。
「勝ち進んで決勝にいくには、あと二つ勝たんといかん」
マミゾウは横目で諏訪子を見る。星が三回戦で戦う相手は既に彼女で決定している。そして仮に勝利した場合、準決勝は伊吹萃香と八雲藍のどちらかと戦う事になる。
「とはいえ聖も無茶を言うのう。それぞれの方に鬼がいるにも関わらず、要はお前さんを決勝まで行かせろ、と」
「……お恥ずかしながら、二回戦は私だけが時間切れによる勝ちでした」
「ま、勝てばいいんじゃよ。……さて、とりあえずはお前さんが三回戦、四回戦を勝てる方法を見つけんとな。とはいえその目星はついておる」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ。殿下の宝刀……文字通り宝塔も持ってないお前さんが儂を介して、すぐに訪れる三回戦で勝つようにする方法なんぞ限られておる。しかしそうなると……」
マミゾウは横目で諏訪子を見る。今この状態で何かを教えてしまえば三回戦の相手である彼女に対し筒抜けになってしまう。それを諏訪子も感じとったのか立ち上がり出入口に向って歩き出す。
「分かった分かった。楽しみに目を瞑っておくよ」
諏訪子が扉を閉じ向こう側へ消えていったのをはっきり確認してマミゾウは改めて星の方へ向き直る。
「よし、ではとっとと教えるか。どちらかと言えばこの技は、出ていったあの神というよりは鬼に対して有効であり、且つ鬼に対して使うべきだと思っておる」
「技……ですか」
「そうじゃ。こういう話にありがちな必殺技じゃ。この技は鬼に対して有効。そして儂の見解では三回戦の第二試合、狐は……十中八九……負ける。あやつは負ける」
マミゾウの言葉に若干私怨の気が孕んでいた事に星は口を挟まないでおいた。
「鬼に対策をされないよう、この技を三回戦で使うことはできん。さっきはさも、あの神に勝つための技のように言ったがな。お前さんは自力で三回戦を勝ち、四回戦で鬼に勝つためにこの技を教わる。いいな?」
星は覚悟を決めたのか強い眼差しでその首を縦に振る。
「では教えるぞ。虎が万物を噛み砕くがごときこの技。文字通りお前さんにこそふさわしいじゃろう」
聖白蓮と戦うため。三回戦、準決勝を勝ち進むために星はマミゾウから技を聞き、教わる。
三回戦、その中で星が戦う第一試合が始まるまで、そう時間はかからない。次に行われる神と不死者の戦いによって二回戦の最後が締めくくられるのだから。