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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『白日は、穢れゆく街に #4』

2016/04/13 22:27:05
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「うーん、どこかで会った気が物凄くするのよねぇ……。どこでだっけ?」

 朝食の食器を洗いながら、私は散々首を捻っていた。喉の辺りまで出掛かっている答えがなかなか出てこないので、もどかしいことこの上ない。答えというのは、昨日出会ったあの岡崎上等兵の正体である。ヘンタイの一員であるということはもはや分かり切っているからいいとして、どうしても彼の顔に既視感があるのだ。気のせいだと割り切るには強烈すぎる感覚だった。記憶力には自信があると思っていたが、この感覚の原因を一向に思い出せない。
 まぁ何と言うか、疑うことを知らない柴犬みたいなひとだった。真面目で忠には篤そうだけれど、軍人にしては芯が細いというか、ほわっとしている気がする。ヘンタイに人材がないというのは本当のようだ。

 濯(ゆす)いだ食器の水気を拭い終える。掌に染み込んだ水の冷たさが、なかなか消えてくれない。秋は少しずつ深まっていく。こうして私が何気ない日々を過ごしている間にも、確実に。
 もうそろそろ、私が白蓮寺にやってきてから1年が経とうとしていた。即(すなわ)ち、八雲紫によって勝手に博麗の巫女に仕立て上げられてから、東京が魔都と化してから、もう1年になるというわけだ。

 八雲紫は、目的を果たしたのだろうか。幻想京計画なるものをぶち上げて策謀を巡らせていたことは知っているが、その全貌が分からない以上、その計画が中途なのか完了しているのかすら不明だ。もっとも妖怪のほとんどは東京から去ってしまっている。幽香さんが予言したように、幻想京の終わりはすぐそこまで来ているのかもしれない。

「……どうして、終わっちゃうんだろう」

 水の滴が跳ね散る音がした。呟いたことに気が付いて、はっとした。
 私は、幻想京が終わってほしくないと思っている?

 いやいや、そんな馬鹿な。頭を振って私は否定する。こちとら勝手に巻き込まれた身だぞ。強引に巫女の座を押し付けられて、何が何だか分からないうちに妖怪退治をする羽目になったんだ。幸い大きな怪我もなくここまでやってこれたけれど、危ない目にだって何度も遭った。どこかで死んでいたっておかしくはなかったわけで、こんな立場からはさっさと解放されるに越したことはないじゃないか。
 そうだ。何も悩むことなんて無い。八雲紫が幻想京を終わらせたいのなら勝手にすればいい。東京から妖怪が消えて、無駄な面倒がなくなるのは良いことであるはずだ。歓迎こそすれ、拒む理由なんて私には全く無い。無いったら無い。これからは科学の時代なのだ。時代錯誤な妖怪変化どもの居場所をわざわざ確保しておけるほど、東京という都市に余裕は無い。

 星さんと那津は、と考えてちくりと胸が痛んだ。まぁ、大丈夫だろう。東京がこんな事態になるよりも遙か昔から、あの2人は長いこと一緒にやってきたのだ。幻想京が無くなったところで問題はない。彼女たちは白蓮寺を護り続けるだろう。どんな時代のどんな場所であっても。たとえ私が幻想京の巫女としての力を失ったとしても、それは変わらないはずだ。博麗の巫女はこの寺と直接の関係はないのだから。

 洗い桶を引っくり返して、水を全て捨てた。綺麗に片づいた台所に、私はどうしてだか、満足よりも寂寥を覚えた。





     ◆     ◇     ◆





 季節が巡るのがこれで何度目なのか、那津はとうに数えることを止めている。文字通りに数え切れないほど、彼女は季節の移ろいを眺めてきた。2人で見た春も、皆で迎えた夏も、独りで耐えた冬もあった。そんな鼠にとって、今年の秋は平穏な方であった。何せ今は戦乱も飢餓も影は見えない。彼女とその家族たちを待ち構える牙は全く見えない。とりあえず、今のところは。

「御主人様、話って何だい?」

 彼女を自室に呼び出した星は、南窓から射す朝日の中で振り返った。黄金の光の中に立つ寅は輪郭も曖昧で、何だか今にも溶け消えてしまいそうだった。顔が逆光で暗く染め抜かれているせいで、その表情も口の動きも全く読めない。代わりに彼女の放つ気が、どうしようもなく雄弁に物語っている。いい話では、ない。
 こういうときの彼女は、不安定であるが故に分かり易い。星の第一声は、おそらく。

「すっかり、秋めいてきましたね」

 無難に季節の話から入るだろう。相槌を返しながら、那津は心の中だけで苦笑した。まったく、千年経っても相変わらず不器用なひとだ。
 倒れることなき巨人のように不動に見える星が、実はとても繊細な精神を持っていることを、那津は知っている。寅丸星は喜怒哀楽の激しい妖獣だ。ただそれを分厚い笑顔で覆い隠しているに過ぎない。その心の中に吹き荒れる暴風を察知できるのは、那津を除けば聖白蓮くらいのものだろう。

「ちょっと行ったところにイチョウ並木があるでしょう。あれもいい色になるみたいで、銀杏の実もそろそろ ―― 」
「あー、本題に入ろうか」

 那津はその手を大仰に振ってみせた。言い辛い話を前にして、逸れた脇道がどんどん深くなっていくのは星の悪い癖だ。
 寅の乾いた笑い声は尻すぼみに消える。少し俯かせた顔は未だ暗い。

「……白蓮寺は、この東京を離れようと思います」

 紡ぎ出された言葉に、那津は少しの間、言葉を失う。尾に掛かる籠へと、配下の鼠が1匹、ぴょこんと飛び込んだ。その重みが那津の腰をほんの少しだけ重くする。
 こうなることを予想をしていなかった訳ではない。そんな訳ではないが、やはり実際に口に出されると堪えるものがあった。だってその言葉は、降参の白旗だ。白蓮寺の、妖怪たちの、私とあなたの、敗北宣言じゃないか。

「どうして」

 絞り出した言葉はどこか平たかった。那津の平静を装う術は、星のそれにはまだ遠く及ばなかった。

「だって、まだ1年間じゃないか、ここに来てから。それじゃあまりにも」
「えぇ、ほんの1年です。私たちが紀州の山奥に隠れ住んでいた期間に比べれば、瞬きのごとき時間でしょう。ですが、思い知らされるのには十分な時間でした。もはやこの世界に、私たちの居場所はない」

 カーテンを閉め、星は椅子に座る。その表情がようやく見えた。悲痛を湛えたその顔は、しかしどこか穏やかだった。

「妖怪は人間の未知から生まれるのです。人間が得体の知れないものを恐れ、それに理由を付けるときに妖怪は必要とされる。かつて、人間にとって未知は当たり前にそこに在るものでした。妖怪の生まれる場所も、隠れ潜む場所も、幾らでもあった。そして人々はそれを恐れると同時に、どうしようもなくそれに魅かれた。未知へと手を伸ばす者に対して、妖怪たちもまた手を伸ばした。両者の手が触れ合うところで、あるときは悲劇が生まれ、あるときは奇跡が起きたのです。そう、そしてその関係性を完成させることが、聖の、そして私の目指した場所。ですが ―― 」

 星はその目を少しだけ細める。煌めく瞳は、黄金の太陽というよりも、その名の通りに星の光のようで。

「 ―― ですが、もはやその関係性自体、この科学世紀には望めない。未知に魅せられた人間たちの欲望は、いつしか科学技術で彩られた。暗闇へと手を伸ばすことしかできなかった彼らは、今やそれを完全に暴き出す術を手に入れようとしている。夜の闇は消え、星の光は掻き消される」
「でも、そんなことはどこへ行っても同じだろう。東京にいち早くその傾向が出ているだけで、たとえ別の場所へ逃げたって同じだ。いつかはそこも同じような人間の都市になる」
「そうかもしれません。けれど、そうじゃない場所がある、としたら?」
「……何だって?」
「地下収容所から解放した妖怪たちは、風見幽香に率いられてどこかへと消えました。百鬼夜行ならぬ百鬼昼行、その一団の気配を、私は追っていました。花の大妖の気配は強い上に独特の香りを持っています。東京に居ながらでも、追い続けるのはそれほど難しくはなかった。見つめ続けるのは得意なんですよ、捜すのは苦手ですけど」
「あぁ、そうだろうね。よく知っているとも」
「そしてその気配は、ある一点で突如消失しました。それと同時に、強烈な妖力の解放も行われた。……那津、風見幽香の居場所を、ここから検索できますか?」

 そう言いながら星が取り出したのは日本地図だ。上野動物園でメリーベルを捜したときと同じものである。那津は少しだけ顔を顰(しか)めた。あのとき、ペンデュラムが全く反応しなかったことを思い出したからだ。

「……一応言っておくけれど、風見幽香の持ち物なんてここには無いから、精度が高いとは言えないぞ」
「分かっていますよ。でも、彼女ほどの力を持つ妖怪の気配なら、あなたもよく覚えているでしょう?」

 確かに、風見幽香は単身で東京を向日葵畑に変えられるほどに、圧倒的な力を誇る妖怪だ。その目で一度見た大妖怪ならば、何もなくとも那津のダウジングは有効に働くはずである。
 しかし、青い宝玉へいくら力を注いでも、反応は全く得られなかった。ぴくりとも動かないペンデュラムに、那津は目を丸くする。

「これは……」
「やはり。これで確信が持てました」

 独り合点する星に、那津は説明を求める鋭い視線を送った。このままでは失せ者捜しの鼠の名折れ、捨て置いてはおけない。しかしその剣幕を受けて、星は優しく首を横に振った。

「これは那津の能力が弱ったせいではありません。あなたのペンデュラムはちゃんと仕事をしたのですよ。この地図のどこかに、求めるものがあるかと問われ、ペンデュラムはこう答えた。『ここに捜し求めるものは存在しない』、と。地図に記された範囲からは、文字通りに消え失せてしまったのだと」

 成程、と那津は首肯した。それなら話は分かる。地図はあくまで、この世界の位相のひとつを図示したものに過ぎない。そこに求めるものがなければ、ダウジングは当然成功しない。であれば、彼女たちが向かった先は明らかだ。那津の脳裏に、春先に赴いた無限の図書館が蘇る。現(うつ)し世の理(ことわり)の全てが通用せず、あらゆる法則が根本から異なる別世界。あれはそんな無数の世界のうちの、ほんのひとつに過ぎなかった。那津が知るだけでも、ああいった場所は両手の指で足りないほど存在する。普通の人間ならば、普通の方法では到底辿り着けない場所。だが妖怪なら、それも風見幽香ほどの大妖ならばきっと、国の境界を越えるのと同じくらい容易く。

「世界の境界を、跨いだのか」
「妖怪たちがあるがままの姿で生きていける場所。ここではないどこか別の世界。彼女はそれを知っているのでしょう。だから帝都に集結した妖怪たちを、その場所へと導いた。おそらくは最初から、私たちが東京へやってきた頃にはもう仕組まれていたのでしょう。これも八雲紫の言う、幻想京計画の一環に違いありません。それであれば私は、その計画に乗ろうと思う」
「……何だって?」
「その世界に、私たちも向かうのです。そこで白蓮寺を護る。聖を解放する、その時まで」

 冗談みたいなその星の言葉は、しかし真剣な眼差しと共に紡がれていた。彼女は本気なのだ。本気で顕界を見限り、その妖怪の世界へと移るつもりなのだ。那津にはとても信じられない。だって星はこの千年間、この世界での妖怪を救うために寺を護ってきたのではないのか。人間と妖怪の共存という理想を目指していたのではなかったのか。
 いつの間にか太陽はその高度を上げていて、窓から射す光はもはや星を照らしてはいない。日陰の中で、それでもまだ彼女は微笑みを絶やしてはいなかった。那津は時の流れを思う。巡る空を旅する太陽と月と星と雲を思う。光の推移とともに、未来は過去へ過ぎ去っていく。だけど、これが時の流れだというのならあまりにも無情だ。

「……トラはね、もう謎の怪物ではないんですよ。動物園に行けばいつでも観られる、数ある猛獣のひとつになってしまった。そうなればもはや、私もいつまで私のままで在ることができるか分からない。私は那津ほど確固として存在できているわけではありませんから」
「だけどあなたは、毘沙門天の代理じゃないか」
「同じことです。仏も神も、いずれトラと同じ道を辿る」
「そんな……」
「私は、いつか聖を魔界から救い出す。何に代えても必ず救い出す。いつか来るそのときまで、私は死ぬわけにはいかないのです」
「宝塔はどうする。東京には宝塔を捜すために来たんだ。あれの力が無ければ、魔界深部の封印を突破することなど到底不可能だよ」

 那津の言葉に、星は細く長い息を吐き、返答を捜していた。
 この1年間、様々な妖怪騒ぎに巻き込まれながらも、2人は宝塔の行方を探り続けていた。方々の手を尽くしてはみたものの、どこかで売りに出されているとか、誰かが仕舞い込んでいるとか、そういった噂程度の情報すら出てはこなかった。
 星の声は、苦々しげに沈む。

「宝塔はこの世界そのものから、失われたのかもしれません。失われたものは、その向かう先にあるかもしれない」
「でも、もしそこにも無かったら? 世界の境界を跨いで、戻ってこられるとは限らない。位相が違うっていうのはそういうことだ。この前のヴワルって場所のときも間一髪だっただろう」
「……いざとなれば、私はこの身を賭してでも、封印を吹き飛ばす。私の妖力を全て解放すれば、宝塔までとはいかなくても、十分な力が」
「止めろ!!」

 鉄のような那津の怒声が響く。それは部屋の中をくるくると漂い始めていた諦観を、残らず叩き落とした。その両目に涙を溜ながら、那津は不甲斐ない主人を睨みつけた。

「本末転倒だぞ、寅丸星よ!! 聖を救うということは、生きてあのひとにもう一度会うということだ。自分のために命を捨てるだなんてことを、聖が喜ぶと本当に思っているのか!?」

 那津の声はほとんど悲鳴だった。聡明な寅も、あの尼公の話になると我を忘れる。叫んでやらなければ届かなかった。そのことが堪らなく悲しかった。
 震える鼠を、暖かい何かが優しく抱いた。よく知っている温もり。夜明けの星のような、今にも消えそうな熱。腕に籠もる力は、相も変わらずに不器用なままだった。

「御免ね。もう言いません、あんなことは」
「……もう言わないって言葉、これで何度目だろうね」
「何度目でしょうね。繰り返してばかりですよ。私は弱いから。だけど、あなたを不安にさせたくはない」
「いつも不安ばかりだよ。あなたは真っ直ぐすぎるから、次にどこへ向かうのか分からないんだ」

 震える身体が強く強く抱き締められる。本当にこのひとは、千年経っても変わらない。恩人を見殺しにしてしまったあの日から、ただ彼女を取り戻すことだけを考え続けている。それ以外のことは星にとっては些事でしかないのだ。言葉にすれば簡単な、ただそれだけのこと。ただそれだけのことを千年間続ける信念は、端から見れば狂気でもある。慕情を募らせ、自責の果てに狂った獣。担わなくても良かったものを片っ端から背負い込んで、重みで潰れそうな身体でそれでも笑ういかれた妖怪。だから、大事なひとの抱き方も分からない。強すぎる力に、那津の肩と背骨が軋んで、彼女は痛みに思わず寅の背を強く叩く。
 途端に解放されて、鼠はずっと吸えなかった息を思いっきり吸い込んだ。

「……不安ばっかりだ。本当に」

 平謝りの星に、那津は何とか笑ってみせた。自分だってそうだ。千年経とうと何も変わっちゃいない。

「まずは八雲紫を捜さなければ。あのスキマ妖怪と風見幽香には繋がりがある。あの集団越境だって、奴の仕業に違いないんだ。八雲紫に直談判して、位相を越える手段を手に入れよう。……案外あなたの言う通り、見つからなかった宝塔も、そこにあったりするかもしれないし」




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
なるほど、星が白蓮の理想を目指して活動していたのだとしたら、「幻想入りの決断」も再び訪れた大きな挫折と考えられる、と……。
二度も理想を踏みにじられた彼女の悲しみは如何ばかりか……。
2.名前が無い程度の能力削除
承認欲求を満たしたいという気持ちは痛いほどわかるが、至る方々で連載転載しまくるのは果たしてどうなんだ?