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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『白日は、穢れゆく街に #2』

2016/03/23 23:41:40
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「ねぇ父ちゃん、どれどれ? どれが九尾の狐なの?」
「どれって言われても、何匹もあちこちにいるもんだから、とても分からねぇよ」
「ここには狐ばっかり30匹もいるそうよ。まったく、九尾の狐にペンキでも塗っておいてほしいわ」
「ほらお嬢さん。きっとあれじゃないかな。いま餌場から弾き出されたやつ」
「え、あんた誰よ。気安く肩を触らないでくれる?」
「九尾の狐はまだ子供だって話だ。母狐の側にでもいるんじゃないか」
「ママ、九尾の狐ってなぁに?」
「尻尾が9本ある狐のことよ。もの凄い妖怪だって昔から有名なの」
「お、あそこにいるのがそうじゃねぇか? やたらともこもこしたのが寝てるぜ」
「確かに子供っぽいですが、ここからじゃあ何とも判じ難いですなぁ」

 ようやく檻の中が見えるくらいに近づけたのは、33分と21秒ほど悪戦苦闘した後のことだった。何せ見物客の整理など全くされておらず、九尾の狐を見つけることを諦めたひとが場所を空けなければ、次の人が前に進めないのだ。人の目がある場所で空を飛ぶわけにもいかず、私たちは辛抱強く前へと進むしかなかったのである。

 檻はとても広かった。30匹だか何だか、どのくらいかは知らないが、とにかく檻の中に狐の群れが丸ごと収まっているわけだ。九尾の狐と噂されているのは、その中の1匹であった。

「ねぇ星さん、そんな大層な妖怪、本当にここにいるの? 妖怪の気配なんて、檻の中には全然無いんだけど」
「私にも怪しい気配は感じられません。那津はどうですか?」
「同じく。普通の獣の群としか思えないな」

 少しずつ、本当に少しずつ、私たちは檻へと近づいていく。中の様子がだんだんと把握できるようになってきたが、九尾の狐がどこにいるのかは分からない。どれもこれも同じような狐にしか見えないのだ。おまけに気配だって全くない。どんなに小さな妖力だって、星さんと那津ならばどちらかが必ず気が付くはずなのに。

 するとがちゃんと音がして、奥の壁で檻の扉が開き、飼育係が餌の入ったバケツを持って入ってくる。ちょうど昼食の時間らしい。狐たちは一目散に飼育員へと駆け寄り、誰よりも早く多く餌にありつこうと押し合い圧(へ)し合いを繰り広げる。

 ふと、檻の片隅に1匹、うずくまったまま残っている小さな狐がいることに気が付いた。他の狐は皆、食料の奪い合いに参戦しているというのに、その幼子だけは微動だにしない。薄汚れた尻尾を1本、2本とぱたぱた振っているばかりだ。

「……うん?」

 見間違いか、と目を擦る。今、あの狐は2本の尻尾を振っていたような。
 飼育員は餌を撒きながら、うずくまる狐の方へと歩み寄る。そしてついに、空腹には勝てなかったのか、薄汚れた狐が立ち上がる。
 その腰には、尻尾というよりひとつの球体が生えていた。それが裂けたかと重うと、まるで燃え上がった炎のごとくに広がった。思わず息を呑む。仔狐には、中心に聳(そび)え立つ1本の尾を中心にして、左右に4本ずつの尾が対称に生えている。

 見物客たちの歓声が上がった。今や全員の目がその狐を見ていた。
 あれが九尾の狐だ。本当に、この動物園にいたのだ。

「凄ーい! 本当に尻尾が9本あるよ父ちゃん!」
「いやぁこりゃ魂消た。ありゃあ紛れもなく九尾の狐だ」
「どうしてあんなに沢山あるのかしら?」
「奇形の一種じゃないかな。最近の学説では突然変異と言って……」

 ざわつく群衆の中、私は星さんと那津へ交互に目配せをした。

「気付いた?」
「えぇ。あの仔狐が立ち上がった瞬間に、ほんの僅かにですが、妖力が感じ取れました」
「うぅん、これは参ったな。珍しいものを見たと言えば、確かにそうなんだけど」

 幼い九尾の狐は、おずおずと餌の方へと歩み寄る。しかし、身体が二回りは大きそうな年上の狐がそれを目敏く見つけ、その仔に牙を剥きだした。九尾の狐はたじろぎ、萎縮する。すると見る間に2匹3匹と、幼子を取り囲む狐が増えた。皆同じように牙を見せつけて威嚇し、九尾の狐は群れから、餌場から遠ざけられていく。
 聞いたことがある。群れを成す動物は、異質な個体を苛めて追い出すことがあるのだと。目立つものが1匹いるだけで、群れが見つかってしまう可能性が高まるからだ。苛めの対象となった個体は、群れから抜けて独りで生きていくことになる。野山であればあの仔もそうなったのだろう。だがこの檻の中では、逃げる場所などどこにもない。
 見かねた飼育員がわざと仔狐へ向けて餌を撒くと、ようやくそのひとつを銜(くわ)えることに成功し、九尾の狐は再び檻の隅へと引っ込んでしまった。

「厄介ですね。あの仔は今、妖怪となるかどうかの瀬戸際にある」

 星さんが神妙な表情で頭を振る。私にはどういう意味か分からなかったけれど、那津も真剣な顔で顎を抓み考えているので、恐らくその通りなのだろう。あの仔狐は立ち上がった瞬間に妖気を纏っていた。あんなものは見たことがない。
 妖怪に成りつつある動物。だけど、もしそれが本当だとして。

「それって、何が問題なの ―― あ」

 星さんの方を見ようとして、その向こうに見覚えのある顔を見つけてしまった。真っ白い光が鮮烈に瞳へと焼き付いた。人波のずっと先、辛うじて表情が分かる程度の距離。憂いを湛えた横顔が、狐の檻の中を見つめていた。

「メリーベル……?」

 遠くの退魔術師は、こちらにまったく気付いていない。生気がまったく感じられない幽鬼のような表情に、私はぞっとした。
 先立っての向日葵騒動で、メリーベルと幽香さんが対峙したとは聞いていたけれど、それ以降の消息は知らなかった。特殊異変隊が息を潜めると同時に、その構成員である彼女も姿を現さなくなったからだ。
 彼女がここにいるのが偶然でないなら、目的はひとつしかないだろう。私たちと同じく、九尾の狐。

「ご、ごめん。ちょっと待ってて」

 星さんと那津に断りを入れ、私は何とか人混みから抜け出そうとした。メリーベルが今どうしているのか知りたかった。ここに来た理由を知りたかった。
 しかし人垣はいつの間にかだいぶ厚くなっていて、抜け出すだけでも相当に苦労した。檻の周囲に集まっている人数は100人では利きそうにない。東京の人間は暇な物好きばかりなのか。人混みから抜け出すのに要した時間は2分9秒。何だかどっと疲れた。
 気を取り直してメリーベルが立っていた辺りに行ってみるものの、そちらも人が多すぎて、いるのかいないのかすら分からない。見間違えではなかったはずだけれど。

「メリーベル、あなたでしょう!? ねぇってば!」

 何度か呼び掛けてみるものの、返ってくるのは人垣からの訝しげな視線だけだった。金色の退魔術師の姿は影も形も見えず、だんだんとこっ恥ずかしくなってきたころ、星さんと那津の2人が追い付いてきた。

「あの退魔術師が来てたって? そんなバカな。あんな分かりやすい霊気の持ち主、近くにいるなら即座に分かる」
「でも見たんだもん。見間違えるような風貌じゃないでしょ」
「東京でもまだまだ異邦の方は目立ちますからね。しかしメリーベルさんがいたとして、なぜ九尾の狐を見に来たんでしょう」
「あの娘のことだもの。退治するかどうかを見極めに来たんでしょうよ」
「それなら、衆目の中でも遠慮せずに檻ごと吹き飛ばしそうなものだがな、あいつの見境の無さなら。ははっ」

 那津は自分の冗談に笑ってみせるものの、こちとら全く面白くはない。私は確かに見たのだ、メリーベルが感情のない視線を九尾の狐へと投げている横顔を。
 もっとも、現に見つからないものは仕方がない。今はとりあえずあの仔狐を優先しなければ。と、そう結論が出たところで、私たちにおずおずと声を掛ける者があった。

「あ、あの……今『メリーベル』って言いました?」

 振り向くと、そこにはひとりの少年が立っていた。少年、といっても私よりはひと回り年上だろうか。茶色の癖っ毛が跳ねまくっている奥で、菫色の大きな瞳がきょろきょろと動いている。柔和という概念を人間に変換するとこうなるだろう、という印象が第一だった。

「メリーベルって、メリーベル・ハーンさんのことですか?」
「確かに、いま彼女について話していたところですが……それが何か?」
「ほ、本当ですか! あぁ良かったぁ。ハーンさんを探せって言われても、何処をどう捜せばいいか見当もつかなくて……。もうあちこちで聞き込みして、ようやくここまで辿り着いたんですよぉ」

 首を捻る。頭の中に強烈な既視感が生じる。どこかで会ったことがあったっけ?
 大仰に首を振る彼が纏っているのは陸軍の軍服だ。軍人にしてはどこか覇気がない。とは言え、帝国陸軍所属の人間でメリーベルの名を知っている者といえば、その候補は多くはない。というか答えはひとつしかないだろう。
 3人で顔を見合わせる。嫌な予感は共有しているようだ。彼がヘンタイの一員だとすれば、妖怪退治を続けていた私たちのことだって知っているに違いないのだから。何を狙って近づいてきたのか、分かったものじゃない。

 こちらの訝しげな視線に気づいた彼は、何を勘違いしたのか、びしりと敬礼を決めてみせた。上半身を反らして大袈裟に格好を付けるせいで、顔はほとんど空を向いてしまっている。

「申し遅れました。私、帝国陸軍第一師団所属、岡崎十三上等兵であります。どんな情報でも構いません。彼女の行く先について、何かご存知ではないですか?」




 
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