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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『念写少女のルナティック・ブルー #9』

2016/02/24 23:17:14
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 天地がひっくり返り、メリーベルは一瞬だけ意識を奪われる。痛打を受けたのだ、と彼女が判断できたのはその背中が地面に叩きつけられた後だった。退魔鎧がその衝撃をいくらかは受け止めてくれたものの、それでも全身がバラバラになりそうだ。吹き飛ばされた勢いが完全に失われる前に、その残滓を利用して体勢を立て直す。

「前よりかは、やるようになったじゃない」

 空中に浮かぶ幽香は、満身創痍の退魔術師と正反対で、まったく攻撃に堪えた様子がない。メリーベルは歯噛みする。先程から繰り返し、全力での突撃を仕掛け続けているというのに。

「私に挑み掛かってこられる間は、生かしておいてあげる」

 スカートの裾を優雅にはためかせ、花の大妖は微笑んだ。
 戦場と化した空中庭園は、壮絶な戦闘の余波でほとんど破壊されている。しかし花々の勢いは衰えるどころか、幽香の寵愛に応えるがごとくますます盛んに咲き誇っていた。圧し潰され、薙ぎ払われ、吹き飛ばされても、生じた空白を新しい花がすぐさま埋めていくのだ。花壇も通路もその別なく花が咲くせいで、もはや庭園というよりは野生の花畑だ。

 霊力循環増幅回路を暴走限界まで回転させ、メリーベルは力の回復に努めた。彼女の微少な霊力を数万倍にも引き上げてくれるこの機構は奇跡的に保(も)ってくれている。だが両拳に灯る青白い霊力光は、弱々しく明滅を始めていた。この光が失われたときが、きっと幽香に殺されるときだろう。
 当然、ここで死ぬわけにはいかない。退魔術師は死力を振り絞る。
 両手甲から最後の霊力弾がふわりと浮かんだ。2つは4つへと分かれ、4つは8つへ。これらひとつひとつが、彼女の思い通りに飛翔する霊力弾砲台である。4つの同時操作だけでも、術師の精神には相当の負担を強いる技だ。だがその技は先程すでに、幽香に破られている。2台ではまったく捉えられなかった。4つの砲台から斉射しても、幽香に掠りすらしなかった。ならば次は、そのまた更に倍だ。

「 ―――― ?」

 メリーベルの集中が、しかし不意に途切れる。幾つもの奇妙な気配。遙か足の下、それは無数に現れ、どんどん拡散していっている。
 そのどれもが、覚えのある気配だ。これは、まさか。

「あら、首尾良くやってくれたみたいね」

 幽香の楽し気な声に、メリーベルは自分たちが完全に出し抜かれたことを知る。大妖怪は囮に過ぎなかった。騒動の真の目的は、最初から地下の収容房だったわけだ。
 特殊異変隊は、帝都東京から妖怪を根絶することを第一の目標としていた。解体寸前だった隊が辛うじて生き残った理由がそれだったからだ。往時と比べるとすっかり弱体化した隊員たちは、メリーベルを除けば他は一般人に毛が生えた程度の実力しかない。それでも、何とか協力しながら多くの怪異を確保してきたのだ。
 その成果が今、水泡に帰そうとしている。

「 ―― ああああああああッ!!」

 メリーベルの絶叫とともに、8つの球電がついには16に分かれた。ここから先は完全に未知の領域である。どんな影響が術者にあるか分からない。しかし今、そんなことはもはやどうでも良かった。メリーベルの心にはひとつの思いしかなかった。風見幽香を、必ず討滅する!

 16の霊力砲台が、揺るぎない決意が、風に唸りながら幽香へと殺到した。あるものは一直線に、あるものは螺旋を描きながら。空の青にも負けることのない輝きは、あっという間に大妖怪を完全に包囲し、目映い矢を続けざまに放った。
 日傘が翻り、翻っては弾を弾(はじ)き、弾を弾(はじ)いては幽香は笑った。はしゃぎ回る子供のように、純粋な楽しさから笑っていた。こちらの全身全霊でさえ、妖怪にとっては遊戯でしかない。歴然とした力の差を、メリーベルはあらためて思い知る。

 それでも、負ける訳にはいかない。

 砲台の布陣を絶えず入れ替えながら、ただひたすらに射撃を続ける。16の球電の16の眼で、メリーベルは幽香をただ見据えていた。放たれる無数の矢を躱すその様は、まるでバレエダンサーのようでもあった。脚が入れ替わり、くるりと回っては、上体を反らし弾をやり過ごす。そんな幽香を、メリーベルは16のタクトを振りながら、16方向から鑑賞していた。踊り子を射止めるために、全霊を傾けて。

 狙いを定めて撃つ。身体を回して躱す。
 翠珠色の髪が舞う。狙いを定めて撃つ。
 身体を回して躱す。翠珠色の髪が舞う。
 狙いを定めて撃つ。身体を回して躱す。
 翠珠色の髪が舞う。16の視界が突然。
 立ち尽くす退魔術師を写す。

「……え」

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。そこはもう日傘の影の中で、目と鼻の先に幽香の笑顔が咲いていた。包囲に夢中になるあまり、敵に接近されていることに気づかなかったのだ。
 球電が統率を失い、ひょろひょろと回りながらひとつ残らず霧散した。全てを振り絞った攻勢でさえも、あっさりと凌がれてしまった。全身から力が抜けていく。へたり込んでしまいそうなのに、幽香がその指をメリーベルの顎に添えると、それすら許されなくなってしまった。

「はい残念」

 甘い匂いが鼻を突く。

「筋は悪くないんだけどねぇ。どうにも素直すぎる。物分かりのいい私にこんなに苦戦しているようだと、もっと捻くれてる他の妖怪連中にしてみればいい玩具よ」

 喉の奥でメリーベルは呻く。心が悔しさでいっぱいになる。これでも駄目なのか。これほどまで力の差があるのか。並の妖怪は退治できても、力の強い大妖怪には敵わない。限界なのだろうか、これが。こんなところで終わってしまうのか。
 力なく垂れ下がった腕に、何とか力を込めようとする。何としても抗わなければ。そう心は逸るものの、身体は応えてくれない。こんなことでは駄目なのに。あの八雲紫をこの手で倒すためには、こんなところで倒れるわけにはいかないのに。
 紅珠色の瞳が、退魔術師の瞳を覗き込む。鮮烈な魔力がそこから自分へと注ぎ込まれてくるのを感じる。切り抜けなければ殺されるのだ。そうはっきりと覚った。時間が限界まで引き延ばされ、頭の中を走馬燈が巡る。狼に喰われる寸前の羊はこんな気持ちなのか。混迷する頭の片隅で、そんな呑気なことを考えて。

 次の瞬間、何が起こったのかは、メリーベル自身にも分からなかった。

「……あら」

 突然、緑の匂いが爆ぜる。幽香がふと自分の左腕を見やり、目を丸くした。肩と肘の中間で、それは乱暴に断ち斬られている。断面からは血の代わりに木屑や枯葉がはらはらと散っていた。
 メリーベルは気付く。力なく垂れ下がっているだけだった自分の右腕が、どうしてだか振り上げられている。振り絞りきって、使い果たしたと思っていた彼女の霊力の、正真正銘最後の一滴。それがたった今、振り切った指先から霧散した。

 2人はその傷口を、しばし無言で見つめていた。やがて、宙を舞っていた幽香の左腕がどさりと庭園跡地に落下する。それと同時に、メリーベルは仰向けに倒れた。今度こそお終いだった。自分の中に何も残っていないことが、どうしようもなく分かってしまった。

 刃向かいことができなくなれば殺す、と宣言していたはずの幽香はしかし、日傘をくるりくるりと回すばかりである。しばし立ち尽くしていたかと思えば、やがて満足気に頷き、地を軽く蹴って空へ浮かぶ。

「ま、及第点ね」

 庭園全体が激しく震え始めた。そして妖力の嵐がぶわりと巻き起こる。帝都東京に撒き散らされていた、無尽蔵にも思える幽香の妖力。それを彼女は、自身の身体へと呼び戻しているのだ。咲き乱れていた四季折々の花々もその嵐に乗り、崇拝する主に謁見する名誉に与らんと、一目散に幽香の許(もと)へと殺到する。
 空中庭園は傾き、土台ごとするすると解けて、すぐに嵐の一部となった。当然、メリーベルの身体は無抵抗なまま宙へと投げ出される。嵐に乗ることなく、退魔術師は石造りの都市へと真っ逆様に落ちていった。幽香の姿が、視界の中でどんどん小さくなっていく。

 花の竜巻を目掛けて、襤褸を纏った空色の少女が1人、メリーベルとすれ違って行った。茄子色の唐傘が、退魔術師を嘲笑うかのように揺れた。それを追いかけて、大勢の妖怪たちが空へと昇っていく。封印され、繋ぎ留められていた怪異が、白昼の百鬼夜行を成している。
 どこへ行くのだろう。その答えをメリーベルは知らないけれど、彼らがきっと戻っては来ないだろうことは、不思議と確信できた。東京から妖怪が去っていく。人間の街から、妖怪が消える。

 それは喜ぶべきことだった。喜ぶべきことだったはずなのに。
 どうして自分の心に、どうしようもない空虚が残るのだろう。

 墜ちるがまま、重力に身を任せることしか、メリーベルにはできない。東京の街のどこか、堅い地面へと叩き付けられるのを待つばかりである。百花繚乱も、百鬼夜行も、ぐんぐん空へ小さくなっていく。
 その視界が突然、暗転した。とうとう死んだ。メリーベルはそう確信しかけ、いやしかし、では今そう思っている自分は何なのかと考え直す。闇の中、風を切る音も消え失せて、指先ひとつすら動かせない。意識だけがはっきりと冴え渡っている。

 その身体を背後から、誰かが柔らかく抱き締めた。ふわりと甘い風が匂った。懐かしい、温かい手の感触。それがメリーベルの両腕を優しく撫でる。籠手で護られているはずの柔肌を、指先が慈しむように解(ほぐ)していく。
 退魔術師の頭の中に、その光景は突然蘇った。暖かい窓辺で、私は彼女に抱かれて揺り椅子の上で、安穏だけで心をいっぱいにして、陽光の中で目を閉じて ―― 。

「……ママ?」

 そんなはずはないと考えながら、そうに違いないと思いながら、メリーベルは呟いた。

 その声に、彼女はメリーベルの両腕を握ったままで、背後から眼前へと移動した。世の理を無視しながら、ぐるりと世界を引っくり返した。メリーベルが見たものは、母に瓜二つの、決して母などではないものだった。

「あなたに死なれると、困るのよねぇ。色々と」

 八雲紫はそう言って、メリーベルの両腕を捧げるように持ち上げる。漆黒の喪服で暗黒の空間に浮かんでいるせいで、白い顔と白い手袋だけが存在するようにも見える。手の温かさはまだ直に伝わってきていた。籠手の上から、手袋をした手で触られているというのに。

 家族の仇を前にして、メリーベルは心を怒りで燃やそうとして、しかしもはやその余力すら残ってはいなかった。代わりに様々な思考がぼんやりと浮かんでは消える。妖怪都市、幻想京計画、父の運命、風見幽香、特殊異変隊、その行先、妖怪退治、宇佐見桜子、幻想郷、無限増幅回路、あの花、その花、この花、そして眼、眼、眼、無数の眼。
 漆黒の空間に、いくつもの目が開く。禍々しく輝く瞳が、2人の少女を取り囲む。メリーベルの心が恐怖で塗り潰される。不安も希望も、その全てが消え失せて。

 今度こそ本当に、メリーベルの意識は暗転した。





     ◆     ◇     ◆





「……また取れたよ! ねぇねぇ文、この花は何て言うの?」
「えぇと、これは金鳳花(きんぽうげ)。いやしかし、風見幽香の力はやはり凄い。四季折々の花がここまで入り乱れているなんて。敵に回したくはないわね」
「じゃあ次は、この花。これも綺麗じゃない?」
「あのねぇ、はたて。私がさっき言ったこと覚えてる?」

 負ぶったはたてへと、文は非難がましい声をかける。はたてはそれに動じることなく、摘まんだ花をくるくると玩んでいた。

「『新しい自分の名前を決めなさい』でしょ」
「そうよ。ちゃんと真面目に考えなさい。あなたがこれから天狗としてずっと名乗っていく名前なんだから」
「ちゃんと考えてるよ! だからここらを飛んでる花を見てるんじゃない。桜子みたいにさ、花の名前にするの。空の上なんて、全然落ち着かないけど」
「遊んでいるようにしか見えないのよねぇ……」
「だいたい、どうして新しい名前が必要なわけ?」
「あなたは生まれ変わるのよ。人間としてのあなたはここで終わり。幻想郷で、あなたは天狗としての新しい一歩を踏み出す。そのためには今までの名前を捨てなければ」
「ふぅん、そういうものなの。……あっ、これ! これ可愛い! ねぇ文、この花は何て名前?」
「どれ、ふむ。これはね ―― 」

 文の眼前に突きつけられたのは、薔薇のように棘のある枝に咲いた、淡い桃色の花。
 蜜の匂いに、烏天狗は思わず微笑んだ。

「 ―― これは、姫海棠の花よ」

 花の嵐は、数多の幻想を孕んで、帝都東京の上空から風に乗って去っていく。その只中で、はたては目を輝かせていた。きっと彼女は、その花の名を貰うのだろう。この先に待つ、人間の寿命とは比べ物にならないほど長い人生を通じて、彼女が冠する名。
 その未来がどんなものになるのかは、彼女自身はもちろん、文も、神様だって知る筈はない。





 1人の少女が、こうして武蔵野から姿を消した。両親は必死になって娘を捜したが、その行方は杳として知れなかった。やれ川へ落ちたのだとか、やれ外国へ売られただとか、様々な噂が立っては消えた。やがて実しやかに、周囲ではこんな話が囁かれるようになった。

―― あの娘は、天狗に魅入られて、攫われたのだ。

 それを本気にしたのか、あるいは単に弔いのためか。いつしか少女の生家の近くに、天狗を祀る小さな祠が建てられた。その祠は、事件から百年以上経った今も、まだ供物が絶えないのだという。




 

第5章は終わりとなります。
最終章『白日は、穢れゆく街に』へ続く。
 
うるめ
http://roombutterfly.web.fc2.com/laternamagika/index.htm
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