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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『念写少女のルナティック・ブルー #7』

2016/01/13 21:09:41
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 地下道はもう、生い茂る向日葵のせいでほとんと密林と化している。那津の小さな身体でさえ通るのがやっとという場所もあったし、星の槍で茎を斬り開かなければ進めない道もあった。百戦錬磨の2人を以てしても安全の確保がやっとであり、とてもじゃないがはたての捜索に専念できる状況ではない。

「穴ぐらの中は鼠の独壇場のはずなんだけどね」

 那津の漏らした声には、悔しさがありありと滲み出ていた。辺りを這い回る鼠たちから聞こえてくる声なき声は、ただただ恐怖に満ちている。猛烈な成長を続ける向日葵に巻き込まれないよう必至なのだ。初めて遭遇する、全く想定していない状況。翻弄されるばかりの自分たちの不甲斐なさに、愚痴のひとつも零れようというものだ。

「那津、この辺りの鼠たちに捜索を手伝ってもらうことはできますか?」
「可能ではあるけれど、時間が掛かる……。しかし、手はそれしかないか。くそっ、ダウジングさえ使えれば」
「焦りは禁物ですよ。一歩ずつ着実に進めていかなければ」

 星の言葉にも、那津の表情から歯痒さが消えることはない。この場所に掛けられている退魔の封印術はごく簡単なものだが、仕掛けられた数が余りにも多過ぎた。那津のダウジングは繊細な術であり、こうも妨害が多いと正しく機能しない。

『我が同胞よ。御仏の忠実なる僕(しもべ)たちよ。毘沙門天の名の下に命じる。我が下へ集え』

 力ある言葉が那津の口から紡がれると、滅茶苦茶に逃げ惑うばかりだった鼠たちの動きが途端に落ち着きあるものになった。大将の暖かい妖力に惹かれ、次々と那津の足下へと彼らはやってくる。ものの数十秒で、辺りの床は蠢く鼠の群で覆い尽くされた。

「 ―― よし、散れ!」

 那津の号令が、命を受けた彼らに力を漲らせる。強大な寄る辺を得たことによる誇りと安心により、鼠たちはもはや半分は妖怪になったと言って差し支えない。ここで暮らす彼らならば、それぞれの通路の繋がりや抜け道など、那津の知らない情報を持っているはずだ。ただの鼠の知能ではそれを活かすことは難しいが、那津の力を注がれた今となっては話が別である。

「封印されている部屋はほとんどが独房のようだ。人間を見つけたら報告するように伝えたけれど」
「独房を封印、ですか。一体何のために」
「さてね。とりあえず、近場を捜し終わったやつの報告を待とう」

 言いながらも、2人は周囲への警戒を怠らない。向日葵の急成長はひとまず落ち着いたようだが、この地下通路の本来の利用者である特殊異変隊の連中が、いつどこから出てくるか分からないのだ。相手は念写少女の情報を得るためだけに、白蓮寺に忍び込みまでしてのけた連中である。もし奴らと出くわしてしまえば、いかに白蓮寺の両名と言えども事態を穏便に済ませられはしないだろう。
 幸い、誰も近づいてくる様子はなかった。幽香が齎(もたら)した地上の混乱を制圧するために、取る物も取りあえず全員が出払ってしまったらしい。洗練された組織体制だとはお世辞にも言えない。非常事態には不慣れと見えた。かつての精鋭部隊も堕ちたものだ、と那津は心の中だけで嘆息した。

 向日葵の茎を通して、強大な力が吸い上げられていく。幽香によって力を与えられた植物は深く深くその根を伸ばし、水や養分のみではなく地脈の力までも得ているのだろう。それは植物自身を猛々しい霊的存在へと昇華していくのみならず、余剰の霊力を幽香へと供給する役割も果たす。砂利とビルディングで覆われた東京の地下に、いつしか封じ込められてしまっていた地脈の霊力。尽きる底の見えないそれが、あの向日葵を通じて幽香ひとりに集められているのだ。
 今の彼女であれば、東京の街を単身で壊滅させることすら可能だろう。

「……何故、風見幽香はそこまでするんだ? 縁も所縁もない人間の娘、ただひとりのために」
「ただの気紛れ、と片づけることはできますが。どこか不可解ではあるんですよね」

 2人は僅かに視線を合わせ、懸念を共有していることを確認した。深遠な思惑があるように匂わせながら何も裏が無く、思い付きにしか見えない行動に遠大な計画が秘められている。それが大妖怪の行動の常である。寅丸星という真面目で一途な妖獣は例外中の例外だ。
 さらに言えば、この一件を主導しているのは明らかにあの鴉天狗、射命丸文である。頭も口も回る彼女のこと、その行動に裏がないとは到底思えない。帝都東京にてしがないブン屋のふりをしていた彼女であるが、その齢は数百年を下らないだろう。それがどうして、あの念写少女に拘るのだろうか。

 何かに思い当たったように、星は顔をはたと上げた。

「もしかすると、私たちは ―― 」

 ちょうどそのとき、1匹の鼠が戻ってきたので、那津の意識はそちらへと向いた。星の思考がどこへ行き着いたのかは、そのときには聞けずじまいとなった。

「どうやら何かを見つけたらしい。どれどれ」

 鼠と鼻を付き合わせるようにして、ふんふんとその話を聞いていた那津だったが、すぐさまその血相を変えた。

「ご主人様。ここに捕らわれているのは妖怪だ。あっちにもこっちにも、ヘンタイのやつらは片っ端から……」

 星が息を呑んだのと、頭上で妖力の嵐が吹き荒れたのはほとんど同時だった。分厚い地面の上では、花々から妖力を得た幽香が、誰かと交戦を始めたものと見えた。
 2人はこの場所の正体をようやく知った。ここは妖怪の収容所なのだ。無数に並ぶ独房のひとつひとつに、東京の街で騒いでいた妖怪たちが封じられていた。彼らは大妖怪でも何でもない。星や那津のように何か使命があるわけではなく、風見幽香や八雲紫のように強大な力を誇るわけでもない。ただ気ままに生きていただけの、ちっぽけな者たちである。確かに現状のヘンタイ程度の練度であっても十分に御し得るだろう。

 寅は奥歯を強く噛み締める。心の奥底にわだかまる、黒い油のようなものに火が灯る。炎はじくじくと燃え上がり、星の瞳を通して赤熱光を投射した。
 白蓮寺が目指すものは、そして聖白蓮がかつて追い求めたものは、人間と妖怪が平等に生きる世界だ。互いが互いの隣人として、誰かが踏みにじられることなど決してない世界だ。星はその理想を信じ、白蓮の言う通りに毘沙門天の代理となった。そしてその信念は、今もって消えることはない。だからこそ彼女は、今まで護り続けてきたのだ。敬愛する聖人が拓いた寺を、千年以上も。

「 ―― 聖ならば、こんな所業は見過ごさないはずです」

 感情を押し殺した星の声に、那津の背筋が少しだけ粟立つ。普段は穏やかな眠れる寅も、ひとたび憤激すれば手が付けられなくなる。毘沙門天の代理は、いつしか本家譲りの激情家となっていた。

「ご主人様、どこへ」
「決まっているでしょう」

 駆け出した寅の背中を、鼠の言葉は何とか引き留めた。

「ここにある全ての封印を解きます。皆を助けなくては」
「ま、待ってくれ。術こそ大したことはないが、数が多過ぎる。それに今の目的は攫われた娘を見つけ出すことで ―― 」
「並行して捜します。収容房を虱潰しにすれば、どのみち見つかるでしょう」

 星はそう吐き捨て、そしてもう振り返らなかった。彼女の背中はあっと言う間に地下茎の向こうへと消える。はぐれてはならぬと、那津も遅れて走り出す。異常な成長と魔力の吸引を止めどなく続ける向日葵が、石で固められた地下通路を少しずつ歪めている。崩壊も時間の問題かもしれない。災害を忌避しようとする鼠の本能が、那津の頭の片隅で警鐘を鳴らしていた。





     ◆     ◇     ◆





 それは正しく、神速の神業と言えるものだった。

「はッ!!」

 文が裂帛の気合とともに天狗団扇を振るうたび、目に見えない風の刃が放たれて茎を切り裂く。そうして拓かれた道を私たちは全速力で駆けていた。寸分違わぬ狙いに加え、刃が放たれる絶妙な間隔。走行を緩める必要が全くない。

「ちょ、ちょっと、文!」
「何よ。こんなときに」
「あ、あの娘が、どこにいるのか、ちゃんと、分かってるんでしょうね?」
「勿論! ご心配なく! てやッ!」

 砕かれた向日葵の欠片が口に飛び込んできて、私は慌てて吐き出す。天狗が風の扱いを得意とするのは知っていたが、こんな芸当までできるとは知らなかった。

 二手に分かれてはたてを捜す。そう提案したのはこの射命丸文だ。てっきり効率的に捜索を行うためだと思っていたが、その割には天狗の脚に迷いがない。まるでもう念写少女の居場所が分かっているかのように、地下通路を一目散に駆けていく。
 嫌な予感がする。天狗が何らかの手段で、既に捜索を完了しているとしたら。文の提案が、星さんと那津を自身から遠ざけるためだったのだとしたら。

「文、待ちなさい!」

 胸の奥から桜色の霊力を引き出す。2秒後には、博麗の巫女へと変じた私がそこにいた。脚を止め振り向いた文は、警戒心を剥き出しにした私を見ても、その笑顔を崩すことはなかった。

「あややや、どうしたのよ桜子。急がないとヘンタイの皆さんが戻ってきちゃうかも」
「ひとつだけ聞かせて。あんた、はたてを見つけたらどうするつもりなの?」

 文は天狗団扇で口元を隠し、鋭い目をさらに細めた。妖気にじわりと粘り気が混じった。

「どうするつもり、とは? 私が彼女に何をどうしようと、あなたにそれを咎める権利があるとでも?」
「権利は、そりゃあ、ないけど」

 ひらり舞う桜色の光が、一瞬だけ逡巡した。
 私は法じゃない。誰かを裁いたり、誰かを縛ったり、そういったことをするわけじゃない。私はひとりの人間で、私は一介の小娘で、私は博麗の巫女だ。生まれたときから決まっていて、誰かのせいでそうなって、それでも今ここに自分の脚で立っているのだ。
 私は私の、思う通りにやる。

「だけど、あんたが良からぬことを企んでいるのなら、阻止するわ」
「良からぬことだなんて。正義感に溢れる気鋭の新聞記者をつかまえて、酷い言い種もあったものです」
「いいから答えなさい! あの娘をどうするつもり?」
「どうするも何も、助け出すだけよ。籠に捕らわれた哀れな小鳥を、広い世界へと羽ばたかせてあげるの」
「嘘を吐きなさい!」

 予感はもはや確信となって私の中に在った。文は私たちを出し抜くつもりなのだ。白蓮寺よりも先にはたてを見つけ出して、そして。

「あんた、はたてを攫うつもりでしょう」

 私の言葉に、文は応えなかった。辺りの妖気がその濃度を増していく。天狗団扇の向こう側で、彼女は壮絶に笑っているに違いなかった。
 天狗は人間を攫う。幼い子供がよくその被害者となる。有名な伝承だ。もっと早く気が付くべきだった。攫われた子供の末路は様々だという。無事に戻ってきた例もあるが、大抵は二度と帰ることはない。天狗が喰ってしまうのだとも、儀式の生け贄になるのだとも、あるいは人間の理から外されてしまうのだとも言われる。
 そのどれだとしても、私は人攫いを見過ごす訳にはいかない。だってはたては人間だ。念写という超常能力を持っていたって、ひとりの少女なのだ。天狗の魔の手に渡してしまえば、はたては二度とこちら側には戻って来られない。

「そんなこと、私は許さないから」

 桜吹雪が舞い上がる。無数の花弁が充満する妖気を払いのける。ここで押し負けてはいけない。ここで気圧されてはいけない。天狗の悪行は私が止めなければ。星さんも那津もここにはいないのだから、頼れるのは私の心だけだ。

 問い質(ただ)すために近づこうとして、私は違和感に気づく。風が吹いていた。空気の流れなど存在しないはずの地下通路で、私に向かって風が吹いてきている。
 どうして、なんて決まっている。文の攻撃は既に始まっている!

「その直情で傲慢なところ、嫌いじゃないわ。いかにも博麗の巫女って感じで」

 向かい風はどんどん強くなる。私は走り出す。けれど遅かった。数歩進んだ頃には、風は私の前進を圧し留めるほどまで威力を増していた。全てを吹き飛ばしそうな強風の中で、文は平然とした顔で私を見下している。

「言ったでしょう。私はあの娘を助け出すだけ。この地下牢から救い、無理解な人間社会から救い、そして科学都市東京から救い出すのよ」

 その宣言に何かを言い返す余裕すらなく、私は地面へとへばり付く。もはや自分の身体をその場に繋ぎ留めることすら難しい。暴風に歪む視界の向こうで、文は黒い翼を広げる。

「御堂はたてがいるべき場所はここではない。人間ではあの念写能力を十二分に活かせない。このままではあの娘は自分の能力に殺されてしまうわ。だから救ってあげないといけないの。私が連れて行ってあげないといけないのよ。ねぇ桜子、私だって、いつもならこんなこと賛成はしない。だけどあの娘は、あの念写少女はね、数少ない例外なの。御堂はたては ―― 」

 抵抗しようと必死で花弁を掻き集めるも、片っ端から吹き飛ばされ消えていく。妖気の暴風は霊力をも引き剥がし、私に反撃の機会を与えようとしない。
 もはや目も開けていられなくなった。身体が石畳から浮き上がり、岩の凸凹を掴んでいた手が離れた。慌てて霊力の全てを防護に回す。壁に、床に、天井に。叩き付けられる私の身体を、桜色の光盾が辛うじて護ってくれた。妖気を孕んだ文の声が、木霊のように辺りを満たしている。

 そして唐突に風が凪ぐ。宙で慌てて体勢を立て直すも、通路の先にもはや文の姿はない。私はひとり取り残される。何もなかったかのように辺りは平穏を取り戻していた。私は慌てて文の後を追う。

 必死で走っている間も、天狗の最後の一言が、耳の奥でいつまでも響いていた。

「 ―― 御堂はたては、人間を辞めるべきだわ」




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
続きを楽しみにしてます!