ごーん、と。割合近くにある寺が鳴らす、鐘の音が届く。
時刻は22時になったところだ。私は読んでいた新聞を片付け、茶をすすっては主である紫様を見た。
いつ何時見ても姿の変わらない、まるでよく出来た人形の様な佇まいである。黙っていればこれほどの美女もそうはいないのだが…このお人は黙っていることの方が極めて稀であり、結局残念な美女である。
私は彼女から目を逸らし、ちくわの絵が描かれたカレンダーを見た。
ついこの間豆をまき、花見をし、暑いぜ暑いぜ暑くて死ぬぜな夏を乗り越え、三崎へ行って車を停められず撤退し、広島へ行って外人と間違われ、北海道へ行ってクラーク像(偽)に騙されたと思ったらもうクリスマスだという。
そう、クリスマスである。
我が楽しい八雲一家においてのクリスマスは、紫様、橙、私の間でプレゼントを行き来させたのち、ティキンとケーキで粛々と祝うイベントである。
まぁ極めて普通で健全なイベントであり、話も膨らませようが無いのであるが…
「ねぇ藍」
「はい、なにか」
「今年ももうお終いねぇ…あとはクリスマスと大晦日くらいで」
おや珍しい…割合まともな話題である。てっきりいつもの様な支離滅裂な話題を振ってくるのかと身構えた己を恥じる。
昨日などは武田信玄×山県昌景の体格差ックスって夢があるじゃない? とかいう話題であったし、一昨日は北条家五代の親子水入らずックスっていいよね いい… といった話題であった。戦国武将の皆さんすいません。
そんなものだから、思わず身構えてしまったのにも無理はない。
「一年は早いものですね」
「うんうん、それでね、今年のクリスマスなんだけども」
「ふむ、何か良い案がありますか」
ごーん、と、最後の鐘の音が届く。
「ひえもんとりをやろうと思うのだけれど」
「ええ」
エドモント・リー? 米国人でありながら70年代の日本において『たら&れば』というフォークデュオを結成していたあのエドモント・リー? 代表曲は『後悔したって始まらない』の?
いや待て。否…否! 否否否否、否い否いバア! ヒエモントリ…
HIEMON=TORI!?
ひえもんとり! それは日本の果てにある魔境、薩摩の地においてかつて行われていた、極めてフェイタリティかつジゴクめいたエクストリームなイベントである。私ってば物知りだなハハハ。
いや待て。ハハハじゃない。
以前読んだ本によれば、ひえもんとりとは
『東西両軍にわかれて死罪人を馬に乗せて放ち、これの生肝を争奪するという実戦さながらの凄絶の風習』
とあった。要するに(途中まで)生きている人間をボールとして行うラグビーのようなもの、と言えばお判り頂けるだろうか。
八雲紫のスマートなブレイン略してスマートブレインたる私がそれを知らぬはずもなく、電光石火の左ストレートでこのトンチk…いや、紫様を黙らせるのも辞さない構えであった。
考えてもみて欲しい。数百年前の時代ならばともかく、この比較的平和な幻想郷においてそのようなイベントを行えば、地域との融和を念頭に置いた活動をする地域密着型な我が八雲組と言えども、その存在を危うくしてしまう。
「いやちょっと待って下さい紫様、ひえもんとりが何なのか知ってて仰っているんですよね?」
私はちりちりと痛みだしたこめかみを押さえつつ、主にそう尋ねた。左ストレート始動の八雲コンボは、抜き差しならぬところまで来たら繰り出すことにする。
「無論。無論よ。ヒゲにムロン・ムロンっていたわね」
「ならばアレが時代錯誤もいいところな、野蛮で非文化的なシロモノであるということも御存知ですね?」
「回りくどいわね、知ってるわよ」
「では何故、それをわざわざ今の、この100メガショックもとっくの昔に過ぎ去った今の時代にやろうなどと言い出すのですか」
妖怪として、そういったむーざんむざんな行為に興味がある、というのも頷ける話ではある。紫様に、そういった残酷な一面が無いなどとは言わない。聖人君子面をしていろとも言わない。
しかし何故、である。
「いいですか紫様、ここは薩摩でもないし数百年前の時代でもありません。しかもひえもんとり、クリスマスとはまったく関係の無いエクストリームラグビーです」
「あはは、エクストリームラグビーって上手い事言うわね」
「そこは流して下さいよ! ともかく納得の行く理由をお聞かせ下さい、下手すれば博麗の巫女に暴力で分からされちゃいますよ? お正月を寝たきりアンド前歯全損で過ごしたくはないでしょう。それに…」
一気呵成にまくし立てれば私も疲れる。だがそれどころではないのだ。一度言い出したら聞かないタチの紫様である。
ひえもんとりを行うことによって、喪失するのはご近所さんの印象やら前歯やら社会的地位やらその他諸々である。一時のノリでそうなるのは非常によろしくない。
紫様は黙って聞いているようではあったが、やがて眉根を寄せては立ち上がり、私を睨みつけて言った。
「そんなことは百も承知の上で提案してるのよラン・ザ・フォックス! その上で私が徹夜で考え抜いた冥王計画(プロジェクト)を改めて拝聴しなさい!」
「ぬぐ…ではお聞きしましょう…茶を淹れます」
茶に下剤を盛ってやろうかとも考えたが生憎切らしている。私はせめてもの抵抗としてあっつあつの湯で茶を淹れ、紫様の好きな菓子…通称三種の神器を添えて出す。
ルマンドにホワイトロリータにアルフォートだ。願わくばこれらに夢中になって忘れてしまって欲しい。
「藍…貴女の心配せんとする事もわかるわ。私だって子供じゃないんだから、そう人様に迷惑かけるような真似ばかりしないっていうのよ」
「まず私に迷惑をかけないで欲しいんですけども」
「貴女は別腹だからいいのよ…んでね、ひえもんとりって要するに死刑とガス抜きと鍛錬を組み合わせた全く新しい行事じゃない?」
江戸時代の中ごろ、太平の世に於いてもなお行われていたというひえもんとりは、財政の逼迫する藩や不当な差別に対して充満する、藩士達の不平不満を和らげる目的も確かにあったという。
しかしそこまで知っているとは思っていなかった。まあ、黙っていれば割と完璧超人なところもある紫様ゆえ…はっ?
「…もしや紫様、先日橙が買って来たアレを読みましたね?」
「薩南示現流?」
「弟の方じゃないです、兄の方」
知っている方は知っていると思うが、このひえもんとりを比較的容易に知ることの出来る手段として、平田弘史による劇画『薩摩義士伝』がある。
歴史漫画の大家による、極めて精緻かつ豪快な絵によって、一歩間違えばあわわキチガイじゃ…となる薩摩の風習風俗を知ることが出来る、貴重な一冊であるので、見かけたら是非手にとって頂きたいところだ。
オットット! 私は暗黒ミドルコーポであるリイド社とは全く関係の無いキツネであり無害です。
ちなみに『薩南示現流』は、平田御大の弟でやはり漫画家のとみ新蔵先生の作品である。
先日それ…薩摩義士伝のコンビニコミック版を、橙が大はしゃぎで買って来たものだから、オリジナルを所有している私も一緒になって読んだのだが…
当の紫様は不在で、それ以降今日まで触れた様子もなかったため安心していたのだが。
「え、とみ新蔵って平田弘史の弟なのォ!?」
「そうですよ、知らなかったんですか…」
「アワワ…今知ったわ…ちばてつやとちばあきおと七三太朗みたいな感じ?」
「まぁ、そうですね…って、今はそれはどうでもいいのです! ともかく! 漫画は漫画、現実は現実です! もうちょっとこう、血生臭いものではなく、和気藹々かつファニーなイベントにしましょう!」
「ハイそこ! じゃあその熱気ムンムンでファニチャーなイベントって例えば何よ!?」
都合の悪い話題をグレイズし煙に巻くのは八雲紫の固有スキルである。その手には乗らないがそうすると結局「対案も無いのに反対反対ってお母さんか貴様!」とか言って掴みかかってくるのが厄介だ。
ならばこの八雲藍のスマートなブレイン略してスマートブレインをフル稼働させて、物理的手段以外で黙らせねばなるまい。
「ええと…クリスマスなんですから、子供達を集めてポケ戦を見るとか」
「この人でなし! 人でなし! バーカ! お子様があんなウワーって気分になれる名作で楽しめるかボケーッ!」
「そ、そうでしょうか…じゃあ0083とか…MS戦はとてもいいものですし…」
「おまえーっ! 紫豚がなーっ! 笑顔でなーっ! 先日MXで最終回やってて視たけど、25年経た今でもなお三大悪女の座に君臨するあやつの邪悪さを子供らに刷り込むのかーっ! ゆるさーん!」
ダメだ…サンライズから一旦離れて考えねば…そうなると今熱いのは何だろう…ひえもんとりよりHOTなサムシングを見つけねば…
私はバシーンと叩いてくる紫様を八雲流大外刈りで投げ倒し、茶をすすった。
「オウフ! おふ…終わり? ふン、所詮は矢立肇無しじゃ対案の一つも出せないお子ちゃまが、薩摩の伝統行事であるひえもんとりを凌駕する案を出すのには無理があったわね」
「いやいやちょっと待って下さいよ…今考えてるんですから…」
「ハイ出た! 藍あなた、授業とかで意見求められた時、何も考えてないのに『考え中です』って逃げるタイプだったものね! 授業参観しててもう情けないやら恥ずかしいやらでねー!」
「な、ちょ、そういうのやめましょうよ! 幼い日のかわいい藍ちゃんだけを記憶のアルバムに仕舞っておいてくれませんかね!」
幼き日の思い出がぱっと花開いたが、私はそれを思考の隅へと追いやって、再び思案を始める。
確かに矢立肇・富野由悠季が私の脳のカルチャー部門を占める割合は少なくない…だが今はよろしくない。とりあえずそれは置いておいて、だ…
「ちなみに矢立肇って人物は架空の人物ですからね、藍や…」
「えっ…ええ? ハハハ何を馬鹿な…ガンダム見てると最初にクレジットされるじゃないですか!」
「…あんた八手三郎とか東堂いづみとかの実在も信じてるでしょ…」
「おごぼっ、え、いや…ええー…」
予想だにしないフェイタリティを、予想外の方向から貰った私の意識は千々にかき回され、脈拍は乱れ、呼吸も荒くなる。
馬鹿な…矢立肇も八手三郎も東堂いづみも、この世に存在しない人間だったとは…!?
「ハァーッ! ハァーッ! そのマウスカー(意訳・口車)にはライドしませんよ紫様…こういう時は素数! そう、素数を数えます! はい! いんいちがいちィ! いんにがにぃ! ええとなんでしたっけ、えーと…薩摩…」
「ろくはしじゅうはちっておかしいわよね、48もないっしょアレ」
「ハァーッ! ハァーッ! ふじさんろくおうむなく…ヒーローわーわー(1600)関が原…なくぜうぐいす平安京…なくぜ…なくぜ?」
落ち着け八雲藍。私は正常だ。八雲紫のスマートなブレイン略してスマートブレインたる矜持を思い出すのだ。状況を整理しろ! 考えることをやめたらそれ即ち死だ!
クリスマス
ミンチよりひどい
バーナード
「ウウ…」
「何その俳句…まぁいいけど、バーナード軍曹の話しちゃう? もう目は見えねェがすっげぇ力をビンッビン感じちゃうバーナード軍曹の話しちゃう?」
黙れババア。バーナード軍曹がいなければDボゥイはブラスター化する前にランスに殺されていたかもしれないのだぞ。
ええと、ええと…そうじゃない…
クリスマス
エドモント・リー
リサイタル
「誰だよ!!!!!!1」
「フフフ…いい感じに効いてきたわね…」
「んだテメーコラ…何が…私は正常だってんだろテメーババァ…ババァテメーこれコミック乱じゃなくてコミック乱ツインズじゃねーか! さいとう・たかをが描いてねー方っつったろォ!?」
「どっちも描いてるわよ! って危ない…乗せられるとこだったわ…しかし抑圧されてた反抗期ってやつかしらねぇ、藍ちゃんちっちゃい頃からとってもいい子だったものねぇ」
ウウ
ソウダ
ワタシはよい子であったのダ
「私の言うことは何でも聞いてねえ、ゆかりさま! ゆかりさま! ってそりゃあもう可愛かったわよ」
「ソウデショウトモ」
「だからね乱、今回の私のお願いも聞いてくれるわよね?」
「ウウ…なんだカよくわかりマセンが…ワタシ、オマエノ…イウコト キク」
「じゃあこの書類にサインしてね。拇印も添えてね、あなたおっぱい大きいから。なんつってねハハハ」
「ワカッタゾ ワカッタゾ」
決着!
~次回予告~
八雲紫の説得力のある説得により、障害は取り除かれた。
ひえもんとりの開催にゴーサインが出されたということは、幻想郷に血生臭い風が吹くということでもある。
本来ならば起こってはいけないイベントだったのだけれど、でも、やってしまった。
次回、俗物百景・参 後編!
SS読みすぎて、寝不足になるなよ!
時刻は22時になったところだ。私は読んでいた新聞を片付け、茶をすすっては主である紫様を見た。
いつ何時見ても姿の変わらない、まるでよく出来た人形の様な佇まいである。黙っていればこれほどの美女もそうはいないのだが…このお人は黙っていることの方が極めて稀であり、結局残念な美女である。
私は彼女から目を逸らし、ちくわの絵が描かれたカレンダーを見た。
ついこの間豆をまき、花見をし、暑いぜ暑いぜ暑くて死ぬぜな夏を乗り越え、三崎へ行って車を停められず撤退し、広島へ行って外人と間違われ、北海道へ行ってクラーク像(偽)に騙されたと思ったらもうクリスマスだという。
そう、クリスマスである。
我が楽しい八雲一家においてのクリスマスは、紫様、橙、私の間でプレゼントを行き来させたのち、ティキンとケーキで粛々と祝うイベントである。
まぁ極めて普通で健全なイベントであり、話も膨らませようが無いのであるが…
「ねぇ藍」
「はい、なにか」
「今年ももうお終いねぇ…あとはクリスマスと大晦日くらいで」
おや珍しい…割合まともな話題である。てっきりいつもの様な支離滅裂な話題を振ってくるのかと身構えた己を恥じる。
昨日などは武田信玄×山県昌景の体格差ックスって夢があるじゃない? とかいう話題であったし、一昨日は北条家五代の親子水入らずックスっていいよね いい… といった話題であった。戦国武将の皆さんすいません。
そんなものだから、思わず身構えてしまったのにも無理はない。
「一年は早いものですね」
「うんうん、それでね、今年のクリスマスなんだけども」
「ふむ、何か良い案がありますか」
ごーん、と、最後の鐘の音が届く。
「ひえもんとりをやろうと思うのだけれど」
「ええ」
エドモント・リー? 米国人でありながら70年代の日本において『たら&れば』というフォークデュオを結成していたあのエドモント・リー? 代表曲は『後悔したって始まらない』の?
いや待て。否…否! 否否否否、否い否いバア! ヒエモントリ…
HIEMON=TORI!?
ひえもんとり! それは日本の果てにある魔境、薩摩の地においてかつて行われていた、極めてフェイタリティかつジゴクめいたエクストリームなイベントである。私ってば物知りだなハハハ。
いや待て。ハハハじゃない。
以前読んだ本によれば、ひえもんとりとは
『東西両軍にわかれて死罪人を馬に乗せて放ち、これの生肝を争奪するという実戦さながらの凄絶の風習』
とあった。要するに(途中まで)生きている人間をボールとして行うラグビーのようなもの、と言えばお判り頂けるだろうか。
八雲紫のスマートなブレイン略してスマートブレインたる私がそれを知らぬはずもなく、電光石火の左ストレートでこのトンチk…いや、紫様を黙らせるのも辞さない構えであった。
考えてもみて欲しい。数百年前の時代ならばともかく、この比較的平和な幻想郷においてそのようなイベントを行えば、地域との融和を念頭に置いた活動をする地域密着型な我が八雲組と言えども、その存在を危うくしてしまう。
「いやちょっと待って下さい紫様、ひえもんとりが何なのか知ってて仰っているんですよね?」
私はちりちりと痛みだしたこめかみを押さえつつ、主にそう尋ねた。左ストレート始動の八雲コンボは、抜き差しならぬところまで来たら繰り出すことにする。
「無論。無論よ。ヒゲにムロン・ムロンっていたわね」
「ならばアレが時代錯誤もいいところな、野蛮で非文化的なシロモノであるということも御存知ですね?」
「回りくどいわね、知ってるわよ」
「では何故、それをわざわざ今の、この100メガショックもとっくの昔に過ぎ去った今の時代にやろうなどと言い出すのですか」
妖怪として、そういったむーざんむざんな行為に興味がある、というのも頷ける話ではある。紫様に、そういった残酷な一面が無いなどとは言わない。聖人君子面をしていろとも言わない。
しかし何故、である。
「いいですか紫様、ここは薩摩でもないし数百年前の時代でもありません。しかもひえもんとり、クリスマスとはまったく関係の無いエクストリームラグビーです」
「あはは、エクストリームラグビーって上手い事言うわね」
「そこは流して下さいよ! ともかく納得の行く理由をお聞かせ下さい、下手すれば博麗の巫女に暴力で分からされちゃいますよ? お正月を寝たきりアンド前歯全損で過ごしたくはないでしょう。それに…」
一気呵成にまくし立てれば私も疲れる。だがそれどころではないのだ。一度言い出したら聞かないタチの紫様である。
ひえもんとりを行うことによって、喪失するのはご近所さんの印象やら前歯やら社会的地位やらその他諸々である。一時のノリでそうなるのは非常によろしくない。
紫様は黙って聞いているようではあったが、やがて眉根を寄せては立ち上がり、私を睨みつけて言った。
「そんなことは百も承知の上で提案してるのよラン・ザ・フォックス! その上で私が徹夜で考え抜いた冥王計画(プロジェクト)を改めて拝聴しなさい!」
「ぬぐ…ではお聞きしましょう…茶を淹れます」
茶に下剤を盛ってやろうかとも考えたが生憎切らしている。私はせめてもの抵抗としてあっつあつの湯で茶を淹れ、紫様の好きな菓子…通称三種の神器を添えて出す。
ルマンドにホワイトロリータにアルフォートだ。願わくばこれらに夢中になって忘れてしまって欲しい。
「藍…貴女の心配せんとする事もわかるわ。私だって子供じゃないんだから、そう人様に迷惑かけるような真似ばかりしないっていうのよ」
「まず私に迷惑をかけないで欲しいんですけども」
「貴女は別腹だからいいのよ…んでね、ひえもんとりって要するに死刑とガス抜きと鍛錬を組み合わせた全く新しい行事じゃない?」
江戸時代の中ごろ、太平の世に於いてもなお行われていたというひえもんとりは、財政の逼迫する藩や不当な差別に対して充満する、藩士達の不平不満を和らげる目的も確かにあったという。
しかしそこまで知っているとは思っていなかった。まあ、黙っていれば割と完璧超人なところもある紫様ゆえ…はっ?
「…もしや紫様、先日橙が買って来たアレを読みましたね?」
「薩南示現流?」
「弟の方じゃないです、兄の方」
知っている方は知っていると思うが、このひえもんとりを比較的容易に知ることの出来る手段として、平田弘史による劇画『薩摩義士伝』がある。
歴史漫画の大家による、極めて精緻かつ豪快な絵によって、一歩間違えばあわわキチガイじゃ…となる薩摩の風習風俗を知ることが出来る、貴重な一冊であるので、見かけたら是非手にとって頂きたいところだ。
オットット! 私は暗黒ミドルコーポであるリイド社とは全く関係の無いキツネであり無害です。
ちなみに『薩南示現流』は、平田御大の弟でやはり漫画家のとみ新蔵先生の作品である。
先日それ…薩摩義士伝のコンビニコミック版を、橙が大はしゃぎで買って来たものだから、オリジナルを所有している私も一緒になって読んだのだが…
当の紫様は不在で、それ以降今日まで触れた様子もなかったため安心していたのだが。
「え、とみ新蔵って平田弘史の弟なのォ!?」
「そうですよ、知らなかったんですか…」
「アワワ…今知ったわ…ちばてつやとちばあきおと七三太朗みたいな感じ?」
「まぁ、そうですね…って、今はそれはどうでもいいのです! ともかく! 漫画は漫画、現実は現実です! もうちょっとこう、血生臭いものではなく、和気藹々かつファニーなイベントにしましょう!」
「ハイそこ! じゃあその熱気ムンムンでファニチャーなイベントって例えば何よ!?」
都合の悪い話題をグレイズし煙に巻くのは八雲紫の固有スキルである。その手には乗らないがそうすると結局「対案も無いのに反対反対ってお母さんか貴様!」とか言って掴みかかってくるのが厄介だ。
ならばこの八雲藍のスマートなブレイン略してスマートブレインをフル稼働させて、物理的手段以外で黙らせねばなるまい。
「ええと…クリスマスなんですから、子供達を集めてポケ戦を見るとか」
「この人でなし! 人でなし! バーカ! お子様があんなウワーって気分になれる名作で楽しめるかボケーッ!」
「そ、そうでしょうか…じゃあ0083とか…MS戦はとてもいいものですし…」
「おまえーっ! 紫豚がなーっ! 笑顔でなーっ! 先日MXで最終回やってて視たけど、25年経た今でもなお三大悪女の座に君臨するあやつの邪悪さを子供らに刷り込むのかーっ! ゆるさーん!」
ダメだ…サンライズから一旦離れて考えねば…そうなると今熱いのは何だろう…ひえもんとりよりHOTなサムシングを見つけねば…
私はバシーンと叩いてくる紫様を八雲流大外刈りで投げ倒し、茶をすすった。
「オウフ! おふ…終わり? ふン、所詮は矢立肇無しじゃ対案の一つも出せないお子ちゃまが、薩摩の伝統行事であるひえもんとりを凌駕する案を出すのには無理があったわね」
「いやいやちょっと待って下さいよ…今考えてるんですから…」
「ハイ出た! 藍あなた、授業とかで意見求められた時、何も考えてないのに『考え中です』って逃げるタイプだったものね! 授業参観しててもう情けないやら恥ずかしいやらでねー!」
「な、ちょ、そういうのやめましょうよ! 幼い日のかわいい藍ちゃんだけを記憶のアルバムに仕舞っておいてくれませんかね!」
幼き日の思い出がぱっと花開いたが、私はそれを思考の隅へと追いやって、再び思案を始める。
確かに矢立肇・富野由悠季が私の脳のカルチャー部門を占める割合は少なくない…だが今はよろしくない。とりあえずそれは置いておいて、だ…
「ちなみに矢立肇って人物は架空の人物ですからね、藍や…」
「えっ…ええ? ハハハ何を馬鹿な…ガンダム見てると最初にクレジットされるじゃないですか!」
「…あんた八手三郎とか東堂いづみとかの実在も信じてるでしょ…」
「おごぼっ、え、いや…ええー…」
予想だにしないフェイタリティを、予想外の方向から貰った私の意識は千々にかき回され、脈拍は乱れ、呼吸も荒くなる。
馬鹿な…矢立肇も八手三郎も東堂いづみも、この世に存在しない人間だったとは…!?
「ハァーッ! ハァーッ! そのマウスカー(意訳・口車)にはライドしませんよ紫様…こういう時は素数! そう、素数を数えます! はい! いんいちがいちィ! いんにがにぃ! ええとなんでしたっけ、えーと…薩摩…」
「ろくはしじゅうはちっておかしいわよね、48もないっしょアレ」
「ハァーッ! ハァーッ! ふじさんろくおうむなく…ヒーローわーわー(1600)関が原…なくぜうぐいす平安京…なくぜ…なくぜ?」
落ち着け八雲藍。私は正常だ。八雲紫のスマートなブレイン略してスマートブレインたる矜持を思い出すのだ。状況を整理しろ! 考えることをやめたらそれ即ち死だ!
クリスマス
ミンチよりひどい
バーナード
「ウウ…」
「何その俳句…まぁいいけど、バーナード軍曹の話しちゃう? もう目は見えねェがすっげぇ力をビンッビン感じちゃうバーナード軍曹の話しちゃう?」
黙れババア。バーナード軍曹がいなければDボゥイはブラスター化する前にランスに殺されていたかもしれないのだぞ。
ええと、ええと…そうじゃない…
クリスマス
エドモント・リー
リサイタル
「誰だよ!!!!!!1」
「フフフ…いい感じに効いてきたわね…」
「んだテメーコラ…何が…私は正常だってんだろテメーババァ…ババァテメーこれコミック乱じゃなくてコミック乱ツインズじゃねーか! さいとう・たかをが描いてねー方っつったろォ!?」
「どっちも描いてるわよ! って危ない…乗せられるとこだったわ…しかし抑圧されてた反抗期ってやつかしらねぇ、藍ちゃんちっちゃい頃からとってもいい子だったものねぇ」
ウウ
ソウダ
ワタシはよい子であったのダ
「私の言うことは何でも聞いてねえ、ゆかりさま! ゆかりさま! ってそりゃあもう可愛かったわよ」
「ソウデショウトモ」
「だからね乱、今回の私のお願いも聞いてくれるわよね?」
「ウウ…なんだカよくわかりマセンが…ワタシ、オマエノ…イウコト キク」
「じゃあこの書類にサインしてね。拇印も添えてね、あなたおっぱい大きいから。なんつってねハハハ」
「ワカッタゾ ワカッタゾ」
決着!
~次回予告~
八雲紫の説得力のある説得により、障害は取り除かれた。
ひえもんとりの開催にゴーサインが出されたということは、幻想郷に血生臭い風が吹くということでもある。
本来ならば起こってはいけないイベントだったのだけれど、でも、やってしまった。
次回、俗物百景・参 後編!
SS読みすぎて、寝不足になるなよ!
しかし紫はマジで脈絡ねー発言好きだなw
コミック乱のせいで紫が藍を呼ぶ時「乱」って呼んでるけど誤字かギャグかの判断ができない辺りがこの作品の凄さ