Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

凍える月 4

2015/12/30 03:57:26
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 クルーカットで顔の右側に傷を持つ隻眼の少将は、日に一往復しかないシャトル便のタラップを下りる鈴瑚の前に現れると、がっしりした右手を差し出して歓迎の意を表した。「耳は帽子の中に隠してください」赤熱するベクターノズルの騒音に負けじと声を張る。「ここでは兎は目立ちますから」
 長身でいかにも軍人然とした少将は、PLFの黒いベレーをかぶり小銃を携えた守備隊が睨みを利かせる入管ゲートを無視して、普段は立ち入り禁止で鍵のかかった秘密の裏口へと鈴瑚を案内した。薄暗い廊下を通って、整備用の機材庫から階段で地下駐車場へ下りた。少将は詰所に裏口の鍵を返しに行くついでに、そこで暇そうに欠伸をしていた守衛のポケットに酒瓶をねじ込んでゲートを開けさせ、我々が通過したあとにゲートのログをバックアップも含めてすべて削除するよう命じた。
 都ではほとんど見かけなくなった(おそらくは標識の偽装された)一世代前のポーターに乗り込み、乾燥して砂埃が舞う市街地に出た。大陸系の文化が色濃く残る市街地には、割れた窓ガラスや、所どころ舗装の剥げたでこぼこの道や、切れて垂れ下がったままになっているケーブル類がいたるところに見られた。155mm榴弾砲の直撃を受けて半壊のまま放棄されたビルの吹き飛ばされた玄関の脇には、星型の跡と公用語と現地語で併記された『州警察本部 各種免許の更新は1F免許課まで』のキャプションをかろうじて読み取ることができた。「あそこに木犀モクセイが植わっているのが見えるでしょう」少将がポーターの運転席から、闇市の粗末なテントがだらだら続く通りの先に霞む古い宮殿を指差した。「あれが広寒府です。今は鉄条網と塹壕で要塞化されていますが」
 ポーターはさっきから似た景色の中をぐるぐると走り続けていた。少将はしきりに尾行を気にしていたが、急にハンドルを切って、サイドバンパーを地面に接触させながら郊外へと伸びる狭い農道の一つに一気に車体を滑り込ませた。猛スピードで跡を追ってくるポーターは一台もなかった。鈴瑚は後部座席の窓を少し開けた。窓から流れ込む外気の浄化されていない自然の匂いは、強いアルコールのように鈴瑚の頭をクラクラさせたさせた。この会合のためだけに徴用されたらしい民家の前で少将はポーターを止めた。すぐに入管で見たのと同じ黒ベレーが数人現れて、ポーターをバックヤードに手際よく隠した。
 伝統と格式を巧みに織り込んだ絨毯の上で戦士たちが車座になって話し込んでいた。少将が顎をしゃくると、戦士たちは全員腰を上げて奥の部屋へ姿を消した。部屋は少将と鈴瑚の二人だけになった。少将はシガーボックスを開けて勧めたが、すぐ脇に弾薬と手榴弾の詰まった木箱が無造作に積まれているのが見えたので辞退した。少将は代わりにお茶を運ばせた。動物の乳を混ぜた甘いお茶をすすりながら、少将は顔に受けた古傷の由来と、その傷を負った戦闘でのちょっとした武勇伝について語りだした。社交的な話で客をもてなすのが土地の流儀だということは承知していたが、話題が少将の家族から七人の息子と娘たちに移ったところで、いつまで経っても本題に入ろうとしないことに苛立ち、たまりかねて口を挟んだ。「嫦娥よ見てるか、この言葉の意味するところをご存知ですか?」
「半月前まで広寒府にいました。純狐のことをお探しなら」少将は純狐のことを現地の発音で呼んだ。「我々は宮殿内部に信頼できる情報源をいくつか持っていますが、そのすべてが今では彼女の不在を告げています」
「その後の足取りは?」
 少将は黙って首を横に振った。鈴瑚は質問を変えた。
「嫦娥について何かご存知のことは?」
「ここではその名をみだりに口にしないことです」少将の声音はうっすらと警告の色を帯びていた。民族主義者で体面を重んじる少将が苦渋の表情で語ったところによると、彼らの間で嫦娥の名が口にされるとき、一族を売った、恥知らずの、裏切り者の、あるいはさらに過激な侮蔑の表現が枕詞として用いられるのだった。「玉兎の量産技術がなければ月夜見が今の体制を築くことはなかったでしょう。失礼……」眼前にいる少女もまた玉兎だということを思い出して少将はばつが悪そうに口をつぐんだ。
「純狐がある種の計画を練っていたようなことはないですか」鈴瑚は話題を純狐に戻した。「例えば買い物客でにぎわう週末の大通りを爆弾で吹き飛ばすとか?」
 少将はわざとらしくそれは初耳だという顔をした。「もしそうなら、彼女はあなた方と我々の共通の敵ということになりますね」少将は話に本腰を入れるという合図に姿勢を少し変えた。「我々には宮殿に攻撃を仕掛ける用意があります」
 この告白は鈴瑚を少なからず動揺させた。情報提供の見返りを要求されることは予想していたが、クーデターの共犯者になれというのは想定外だ。「PLFの本隊と真正面からやり合うつもり? 馬鹿げてますよ。それより、純狐の行方です。すでに都に潜伏している可能性は?」
「それは我々よりあなた方のほうが詳しいでしょう」少将は冷ややかに答えた。「宮殿が攻撃を受ければ、彼女は戻ってくるでしょう。そこを捕らえなさい。我々は地域の安定のため、あなた方は容疑者の身柄確保のため。いかがです?」
 無論即答できるだけの権限は鈴瑚には与えられていない。持ち帰って検討するとだけ答え、その日は少将の前から辞去することにした。少将の部下の運転するホテルに向かうポーターの中で、鈴瑚は本部に送る報告の下書きを頭の中ではじめていた。
 少将の意向を本部に伝えてから一週間後、鈴瑚はあらかじめ打ち合わせておいた合流地点に時間通りに現れたポーターに乗り込んだ。ポーターは前回とは別の民家に向かっていた。本部からの回答は未だ得られていなかった。本部の石頭どもを動かすにはより詳細な計画書の提出が必要、鈴瑚は沈黙の意味をそう解釈した。はじめのうち情報が漏れることを懸念して話したがらなかった少将も、計画のディテールについて徐々に語りはじめた。それによると、蜂起には第八機械化師団と第一六歩兵師団、それに信頼できるいくつかの旅団が加わる手筈になっていた。さらに計画には、少将のおいにあたる人物が広寒府の一部の部隊を引き連れて敵方に寝返り、警備に穴をあけることも含まれていた。クーデターを成功させるには都が叛乱部隊を支援するか、最低でも中立を保つことが求められた。北部の砂漠地帯では、先の内戦で分裂した元州軍の一部がじっと反撃の機会をうかがっていたし、民族も宗派も異なる隣人たちの無人機の冷たい視線が、悪名高い民族〝融和〟政策によって画一的に引かれた境界線上を常に監視していた。少将は「確実な保証」を欲した。少将は最終的に計画が実行されるはずの日時も明かした。
 その日の夜、二人は暗闇の中にいた。少将は見せたいものがあると言って鈴瑚を連れ出し、照明の消えたシャトル発着場の巨大な闇を見下ろす丘の上にポーターを止めて、ライトを消した。夜が車内を満たした。エネルギーの供給が不安定なせいか、外気温は都のそれよりも低く感じられた。鈴瑚はポーターに積んであったごわごわした手触りの毛布にくるまっていた。たとえ行きずりの相手であったとしても、胸の内をすべてぶちまけてしまいたくなる夜というのが確かにあるものだが、少将にとってその夜はそんな夜だった。「わたしには三人の娘がいるが」と少将は静かに語りだした。その日は一番下の娘の結婚式で、娘とその婚約者を祝う準備をしていた。歌も踊りも風紀を乱すという理由で当局に禁止されていた。見つかれば恐ろしい刑罰が待っていた。だが、娘たちは踊ることを決意した。窓を閉ざした部屋の中で、自分たちだけに聞こえるささやき声で歌った。少将はこうも言った。「我々には生きようとする力がまだ残っている」
 闇の中にさっと二列の誘導灯がともり、定期便ではありえない一機のシャトルが這うような低空で進入した。シャトルの着陸と同時にすべての照明が一斉に消えた。少将は暗視装置を用意していたが、そんなものは必要ないと断った。鈴瑚の目は闇の中で蠢く波長をすでにとらえていた。PLFのベレー帽が六人、うち四人は武装してシャトルの四方を警戒している。残る二人が開いたシャトルのハッチに何かを積み込んでいた。それが新型の合成麻薬であることを少将は後に明かした。
 もし仮に、都が少将への支援を表明するなら、この重大な犯罪行為の暴露は支援に道義的正当性を与えるもっともらしい口実となっていたかもしれない。だが、これら諸々の情報を送信してから数日が過ぎても、本部からの回答はなかった。鈴瑚は暗号化されたチャンネルを使って本部の窓口に問い合わせた。
「第■■■号の報告ですね」窓口のオペレーターは淡々とした口調で繰り返した。「少しお待ちください」
 聞く者の気分を落ち着ける効果があるとされる単調なメロディの保留音を鼻歌でまねながら、鈴瑚はずっと帽子の中に隠して縮こまった耳を両手で引っ張って伸ばした。
「お待たせしました。その報告書なら十日前に通過しています」
「なら、その報告に対する回答はどこでどうなっているかな?」
「回答ですか、お待ちください」再び保留音が流れる。「えーと、ありました。まだ発出されてませんね。分類が検討中になっています」
「十日も経つのに?」
「それをわたしに言わないでくださいよ。上の判断ですから」
 それからさらに数日が経って、計画が実行に移される直前になってようやく送られてきた本部からのメッセージは鈴瑚をさらに困惑させた。それは『すべての情報源を放棄して帰還せよ』というもので、さすがの少将もこれには落胆の色を隠せなかった。鈴瑚は「あなた方と我々の利害は一致している」と言って少将を勇気付けようとしたが、その言葉に何の意味もないことを鈴瑚自身よく理解していた。とにかく、少将の人脈を通じて純狐を探し出す当初からの案を捨てきれないでいた鈴瑚は、ぎりぎりまで残って情報収集を続けるつもりでいた。
 その日、鈴瑚は地響きのような爆音で寝ていたベッドから飛び起きた。広寒府がある方角から数条の黒煙が上がっているのがホテルの窓越しに見えた。ひときわ大きな地鳴りのあとに部屋の照明が数回点滅して消えた。少将の別働隊が予告通り南部のエネルギープラントを強襲しているらしかった。鈴瑚は本部とのチャンネルを開いた。
「クーデター……ですか。少しお待ちください」送話口の向こうで、保留ボタンを押し忘れたらしいオペレーターが誰かとひそひそ話をする気配が感じ取れたが、何を話しているかまでは分からなかった。そうしている間にも砲声と爆発の頻度は増し、今にも装甲車に乗った制圧部隊の一団が乗り込んできそうだった。
「お待たせしました」オペレーターが戻ってきて言った。「こちらでは、そういった報告は上がっていません」
 鈴瑚は怒鳴り散らしたい気持ちに駆られたがやめて、かわりに帰還後上司に報告するから所属と氏名を明かすようオペレーターに迫ると、オペレーターは態度を軟化させた。
「もちろん、わたしは信じてますよ。けど上が信用しないんです」
 鈴瑚は通話を切った。
 早々と脱出を決め込んだ人々の群れで、発着場はすでにごった返していた。ひょっとするとここから脱出できる最後の一便になるかもしれないシャトルに乗り込む直前に、少将の遣いを名乗る男が書類を持って現れた。鈴瑚は一見してその書類が純狐に関わるものだと直感した。PLFの拠点を強襲した少将の部隊は最優先で純狐関連の情報を押さえたのだ。鈴瑚は大急ぎでページをめくり、視覚情報を神経網に接続されたピアスの暗号化されたメモリー領域に記録した。
 シャトルは助走のボルテージを上げ、あとはどちらかの陣営が気まぐれに放った対空ミサイルに撃墜されないことを祈るだけだった。シャトルが離陸するとき、ほぼ入れ違いで三機編成の軍用輸送機が強行着陸の態勢に入るのが見えた。その太ったマッコウクジラのようなシルエットを鈴瑚はよく知っていた。あきらめずに送り続けた情報がようやく本部の石頭どもに重い腰を上げさせたのだ、と鈴瑚は思った。少将はクーデターを成功させるだろう。努力は報われたのだ。鈴瑚はシートに深く背をもたせ、何日かぶりの充足感に包まれて眠りに落ちた。夢の中で鈴瑚は少将の娘の結婚式に出席していた。鈴瑚は少将の隣に座り、花嫁と花婿の門出を祝福した。盛大に銅鑼ドラが鳴り、民族楽器の華やかな演奏に合わせて、着飾った花嫁が伝統の踊りを披露した。少将は娘を送り出す父親の複雑な表情でそれを見守っていた……
 時代がどれほど進もうとも、ヒューマンファクターによる情報収集の重要性に変わりはないと鈴瑚は考えていた。仕事にそれなりの愛着も感じていた。鈴瑚は自分が本部と同じ土台に立っているものと信じていた。だが、それは錯覚にすぎなかった。鈴瑚にとっての至上命題は、本部にとって必ずしも優先的に処理されるべき課題ではなかった。クジラの腹に満載された軍需物資が、少将の叛乱部隊の頭上を通り過ぎて広寒府の守備隊に届けられたのだと知ったのは、難民と一緒に各地を迂回してへとへとになりながら72時間以上かけてようやく都の港に到着したあとのことだった。
【参考】
 次の書籍を参考にしています。
○ ロバート・ベア著 『CIAは何をしていた?』(新潮文庫)
譎詐百端
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
名作の予感がいたしますね。
2.名前が無い程度の能力削除
毎回、楽しく読ませてもらってます。
3.名前が無い程度の能力削除
これは面白い。
4.奇声を発する程度の能力削除
毎回面白いですね
5.名前が無い程度の能力削除
この鈴瑚にはどんどんスレていって欲しいですね。