とある夜のことであった。
妖怪たちが、人里の酒場の座敷で飲み明かしておった。朝も間近になれば参加者はひとりひとりと減っていきおる。最後には紫、博麗霊夢、八雲藍、二ッ岩マミゾウに、その部下タヌキの何匹か、あとは名無しの妖怪ばかりが顔を付き合わせておった。
このとき藍は酔っておった。気が高ぶって九つの尻尾が秋のすすきのように立ち上がっておる。ところがマミゾウは平気な顔をしておる。藍は自分ばかり酔いつぶれているのがむしょうに腹立たしく思え、こういった。
「マミゾウ、まだ頭は冴えているか」
「この通り。逆立ちだってしてみせられる」
「ひとつ試みてやろう。賭け事をするんだ」
「乗ってもいいんじゃが、勝てば何がもらえるのやら」
「なにかてきとうに見繕おうじゃないか。そちらも品を用意しておけよ」
藍はつまみで出されておった皿いっぱいの豆を一粒つまみ出す。それを上にむかって放り投げて、開けた口に落としてみせた。
「これをやってみろ」
マミゾウもさっそく近くの皿を引き寄せようとした。するとタヌキが皿を奪い取ってしまう。タヌキたちもほどよく酔いつぶれておった。
「あれや、ならばこちらの皿から一粒いただこう」
マミゾウはそういって藍の皿から豆を一粒つまみだしおる。藍と同じように上へ放り投げたが、口どころか体にかすりもしなかった。これを見た藍は大口を開けて笑い、こう思ったものである。
(この古だぬきは、やっぱり涼しい顔して酔っぱらっているな。化けの皮を剥がしてやるとは、このことよ)
マミゾウが落ちた豆をひろいながら話す。
「いや、どうもこれは苦手でな。しかし悔しいのお。もういちどやらせておくれ」
「何度やっても同じことよ」
「ならばあと二番、勝負しよう。勝った数の多いほうが、やらせたいことを申し伝えるのじゃ」
藍はしてやったりという気持ちで話にのった。すでに藍が一勝している。あと二番で残り一勝はたやすかろうと踏んだのである。
つぎはマミゾウが勝負を決めた。五つの豆を机に並べ、箸で五つを食べきるというものであった。部下タヌキが手拍子をしているうちに食べ終わる。手拍子の数の少ないほうが勝つ。
藍は先手になってこれに挑む。箸を持つと手拍子が始まりおった。藍の箸さばきは教科書にのせてよいほどきれいな手つき。並んだ豆をことごとく口に放っていく。口の中でかみ砕いた手間を合わせて、七拍で済ませてみせた。
つぎはマミゾウの番である。これもマミゾウが箸に触ると手拍子が始まる。ところがマミゾウは箸を持たなかった。何をしたかというと、まず片方の箸で豆をきれいに並べおった。そのままもう片方の箸と合わせて豆を挟み、水平に持ち上げてみせおる。あとは五つ丸ごと口に落とし入れる。かみ砕いた手間を合わせて、六拍で済ませてしまった。
これには藍も目を丸くした。だが勝負の決め事に反しておらぬ。してやられたと潔く負けを認めなければならなかった。しかしマミゾウの油断なさを放ってもおけぬ。
「三つめの勝負は私に決めさせろ。おぬしに決めさせると、どうも危ない」
「うむ、それがよかろう」
藍は、手拍子の間に皿いっぱいの豆をすべて食べきる勝負を申し出た。これも手拍子の少ないほうが勝つ。
藍はさっそく目の前の皿をつかみ取る。つかみ取るとタヌキの手拍子がはじまる。藍は可憐な顔を崩して、獣みたいに大口あけて豆を流し入れる。勢いよくかみ砕き、飲み下して六拍ばかり。さすが狐なだけはある。箸を使うより直に食うほうが早いときおった。
(これなら他の食い方などない。頼りになるのはあごの早さだけ。その点、古ダヌキに負けはしない)
藍はそこにあった水をゆっくりと飲んだ。その間にマミゾウの番。マミゾウは部下タヌキに命じて、ついさっき取られた皿をテーブルに戻させた。
奇妙なことになっておった。皿のうえに豆はなく、ぶかっこうな団子がひとつあるばかり。マミゾウがその団子へ手を近づけたところで手拍子がはじまる。団子をとり、口に放り、噛まずに飲み下した。たった三拍の出来事であった。
ガタッ。
と藍は立ち上がった。その団子はいったいとマミゾウを問い詰めると、マミゾウは平気な顔で皿いっぱいの豆だといいおる。藍がさらに目にしたのは、部下タヌキたちが持っているものである。すり鉢とすりこぎ。なんという知恵か。この勝負の前に、皿いっぱいの豆はすりつぶされ団子にかためられていたのである。
「こずるい。こんな勝負を勝ちとは認みない!」
藍は怒りをあらわにした。机のはしで霊夢と話していた紫が声をかけてきた。
「藍、うるさい。おとなしく負けを認めなさい」
「紫さま。これはインチキです」
「タヌキのすりこぎの音も聞こえなかったのあなた。聞こえていたらマミゾウの企みを見抜けていたでしょうに。あなたの不手際よ」
さすがに実の主人に諭されると、藍も言葉を濁さざるをえなかった。まだ腹は煮えるが、再び席に戻るのであった。
「でマミゾウ、何が欲しい。あまり高いものは出せないぞ」
「そうじゃな。おぬしと一晩、枕をともにしたい」
「な、なに」
「いや冗談。おぬしの毛をくれ。尻尾の毛をそらせておくれ。なに、九本のうち一本が裸になるだけよ」
これには藍も、少々怖気づいた。しかし負けてしまった手前、できぬと駄々をこねるのはかっこうが悪い。諦めて尻尾をゆだねることにした。
その夜、藍の九尾のうち一本はさっぱりしてしまった。
朝になると、藍は昨夜のことがいまさら腹立たしくなってきおった。酔いで頭が霧がかっていたとはいえ、知恵比べで負けたことは思い出すたび悔しい。そこで再戦を試みんとした。
尻尾は一本、みごとに皮ばかりとなっておる。だが残りの八本で隠してしまえば、外から見れば見分けがつかぬ。おかげで外に出るのも平気であった。
人間の里でマミゾウを探そうとすると、思いがけず道端で出会ったのであった。マミゾウは、藍の尾の毛で編んだマフラーを首に巻いておる。酒の席とおなじ笑顔を浮かべておる。藍は眉根をよせて話しかけた。
「マミゾウ、昨日の知恵比べだが、もうひと勝負といきたい」
「構わんよ。気が済むまで付き合ってやろう」
「昨夜とおなじ三番勝負だ。負けた者は尻尾の毛をそる。これでいいな」
「おぬし、これ以上そって大丈夫かえ。寒かろう」
藍はその言葉を無視して、あたりを見渡した。ちょうど通りのむこうがわで男子たちが集まってメンコしている(メンコとは紙板を打ちつけ合う遊び)のが見える。藍はそれを指し示して、最初の勝負にえらんだのである。
同じ男子に化けて彼らを別の遊びに誘うというものであった。先に誘ったほうが勝つ。誘えるなら何をしてもよし、準備の時間もとってよし。そうと決まれば、藍とマミゾウはさっそく各々に動きだした。
藍はまず路地裏へ寄ってそこで体をヘンゲさせた。年にして十才手前のみずみずしい男子の姿をとる。成りはこの季節、里でよく見かける藍染の長襦袢。
その後おもちゃ屋によって蹴まりを買った。その蹴まりをポオンポオンと蹴り進みながら男子の輪へ近づいた。
「メンコなんかしてんの? 蹴まりやろうよ」
男子たちは口をあけて藍を見つめた。
「なんで」
「なんでって、楽しいじゃん」
男子たちは互いに顔を見合わせた。ひとりがぎこちない様子で答え返してきおった。
「いや、蹴まりはいいよ。他のやつらとやったら?」
「えーそんな、お前らとやりたいんだけど」
藍が食い下がると、男子たちはみんな顔を貝のようにすぼめだす。誰も喋らなくなり、ばつが悪そうに「えー」とつぶやいたり、手にするメンコを触るだけになりおった。
藍がつぎの言葉を探していると、急に顔に冷たいものがかかってきた。驚いた拍子にうっかり気が緩む。ヘンゲが解けて元の姿形に戻ってしまう。冷たいものは水だった。顔から滴り、服を濡らしおる。水のとんできたほうを見ると、水鉄砲をもった生意気な目つきの男子がいた。
その男子が藍を見てゲラゲラ笑うものだから、藍はすぐさま怒鳴りつける。
「こいつ」
「いえーいキツネが怒った、キツネが怒った、怒りん坊のきつねん坊!」
すると、さっきまで黙っていた男子たちも、つられて笑いだす始末。
「怒りん坊のきつねん坊!」
その言葉を繰り返しながら、水鉄砲の男子と走り去っていきおる。藍は追いかけようとしたが、追いかけるとみんなますます、ひとかたまりで逃げていく。藍はそのうち勝負のことを思い出して追いかけるのをやめた。
藍はつぎの手を考えることにした。そうしていると、また横から冷たいものが顔にかかってきおった。すわあの男子が戻ってきたのかと怒り顔をあらわに振り向く。そこにいたのは水鉄砲をもったマミゾウであった。
「一戦目はわしの勝ちでよいな?」
藍は悔しくて二の句が告げられない。尻尾で顔の水をぬぐいながら二戦目を申し出る。女に化けて男を誘いだすという勝負であった。他に難しいことはなにもない。だが、こんな昼間から女の尻につられる男がいるであろう?
これも準備の時間がとられた。藍は路地裏でさっそく女にヘンゲした。年にして二十ばかりの若娘で、あえて質素な水色の長着を身にまとった。だが、髪や服の濡れているのが気になった。誤魔化そうとあれこれ苦労しているうちに、表通りから声が聞こえてきおる。
「お兄さん、お兄さん、ちょっと」
緑のエプロンドレスを着たすらりとした女が男に呼びかけておった。透き通るような美人っぷりを見て、藍はあれがマミゾウだと気づいた。
マミゾウはひとりのたくましい男に話しかけて笑っている。男も笑っているが、二言三言交わし終えると男は離れていく。藍はそれも仕方ないことだと思った。
(あのかっこうは頑張りすぎているからな。並みの男じゃ遠慮するだろう)
すると、ふいに気配を感じ取る。振り返ると背の高い男がきょとんとしておった。
「さっきからここで立って、何をしているのでしょうか」
突然のことであったが、藍はすばやく言葉をたぐりよせた。
「その、服を濡らしてしまって。人前に出るに出れぬ有り様で」
「服を」
男の目が遠慮がちに藍へ注がれる。藍はこれはよい魚がかかったと思い、言葉に餌をまきはじめる。
「あまり見ないでください。胸が透けてしまっているんです」
「え、それは失礼しました。そうだ、ではこれでも」
男が気恥ずかしそうに羽織っていた外套をよこしてくれた。藍はそれを身に着けながら、まだ踏みこむ。
「家は近くですか」
「ええまあ、この路地のすぐ奥で」
「ちょっと家に寄らせてくださいませんか。着替えをしないと人前に出られません」
「着替え。それは、たしかに」
すっかり落ち着きのなくなった男が先立って案内をはじめる。
「しかし他人の家になどあがって、大丈夫ですか」
「そうですね。あなたの奥さんが怒ってしまいそう」
「いやそんな、妻はいません」
「そうでしたか、こんなにお優しいおかたなのに」
「いえそんな、ははは、いえいえ」
「けど本当に、お優しい」
そういって藍はじっくり男を見つめる。男も見つめ返してくる。藍はいかにも恥ずかしいといった感じで目をそらした。それで横目に男をたしかめると、男はまだこちらを見つめておる。もはや魚は釣り上げたも同然であった。
男の言う通り路地裏の道を何度か曲がると、もうそこに男の家があった。男はためらいなく玄関戸をあけてくれる。藍は上げてもらったところで、男にまじないをかけて眠らせた。
藍はヘンゲをといて気長に座って待っていた。となりで男が寝息をたてておる。間もなくするとマミゾウがやってきたので得意になって話してやった。
「水鉄砲をかけられたおかげで、この通りだ」
「いやあっぱれ。流れるような誘いであったな。ところで次の勝負はどうする」
これは藍、マミゾウを待っている間に考えていた。今度は妖怪を誘ったものが勝つ。妖怪は人を誘うのは得意であるが、妖怪同士を誘うのはいぶかしまれてむずかしい。三番勝負の〆にふさわしかった。
それを聞いたマミゾウが手を口元にあて黙りおる。
「どうした、できないのか」
マミゾウが眠る男を端にどけて、藍の隣に腰をおろす。
「きのうの酒の席でわしが言ったことを覚えておるか」
「いろいろ言ったな」
「こう言ったはずじゃ。おぬしと一晩、枕をともにしたい」
そういうたぐいの言葉は、耳にしただけで息苦しくなってくるもの。藍は息苦しくなった。
「あれは実は本当なんじゃ」
「何を企んでいる」
「おぬしの枕の技はいかがもんじゃろ。うまいと聞いておる」
「そんなこと誰から聞いたんだ」
マミゾウがさらに体を近づけてきおった。衣ごしに尻の肉がこすれ合った。マミゾウの手が藍の手にのびて指をからめてきた。タヌキの臭いに混じって、お香の香りがした。
「化かし合いでは甲乙つけがたいでな。かといって弾幕ごっこは疲れる。しとねでお互い芸を見せ合うというのはいかがかな」
「なんでお前などと」
「わしに泣かされるのは怖いか」
藍はマミゾウと見つめ合う。マミゾウの頬はうっすらと赤みがかっていた。
「ならば。や、やるか」
「ためしに口吸いから」
マミゾウの顔がそっと近づいてきたので、藍は口を開こうとした。なぜか唇が微動だにしなかった。それどころかまぶたが重たくなってきて、ストン、と落ちてしまう。意識がどこかへ飛んでいきおった。
藍が再び目を覚ますと落ち葉の上で横になっておった。あたりは林で、夕暮れの強い日差しが木々の間から刺しこんでくる。
藍は立ち上がろうとして尻がズキンと痛んだ。ふりかえってみて驚く。九尾のうち二本が丸裸にされておった。酒の席でそられたものと合わせれば三本だ。
藍は自分がまんまと欺かれたことに気づき、茫然とした。それからマミゾウと口づけしかけたことを思い出し、みるみる怒りがあふれてくる。さすがに、あんな情けない欺かれ方をしたうえ、尾を三本もうしなったとなっては!
藍その場でよつん這いになった。怒りに任せて吠えた。
長い長い遠吠えであった。藍の体は一気に膨れあがり、おきにいりの唐風の衣を引き裂いていく。黄金の毛がぞろ伸びはえて瞬く間にゆびさきは埋もれ、むねは隠れ、全身を覆い尽くす。
すっかり化けギツネの本性をあらわにした藍であった。それでも三本の尻尾だけはつるりとしておる。体をいちど小刻みに震わせると大きく飛び跳ねる。林を三またぎもしないうちに乗り越えてしまいおった。
林は人里のすぐそばにあった。藍は人里をひとっとびに飛び越えて、らんらんと輝く赤い瞳で里をまんべんなく見渡す。マミゾウの姿がないと分かるや、そのままの勢いで命蓮寺まで突き進んだ。
命蓮寺の庭に降り立つ。庭で目を丸くするナズーリンを横切り、部屋にとがった顔を突き入れた。障子が吹き飛ぶ。その部屋にいたのは聖白蓮と寅丸星。星が立ち上がりながら叫ぶ。
「お前はいったいなんだ」
「マミゾウを出せ!」
藍の声は恐ろしく低く、喋っただけで部屋の中に旋風を巻き起こしおった。舞い上がるほこりに星が咳きこみ、聖の僧衣が乱れる。
「お前もしかして、八雲藍か」
「マミゾウはここによく来るんだろ。あなたたちなら居場所を知っているはず」
「知らん、今日はいちども顔をみせていない」
「ウソをつくなよ」
藍は左手を畳に叩きつける。すると聖が落ち着いた声でしゃべり出した。
「星の言葉に偽りはありません。臭いをかいでみなさい」
藍は黒い鼻をひくひくと動かした。かすかにマミゾウの臭いが漂うが、古い感じがした。それよりも遠くからマミゾウの臭いが臭ってくるではないか。藍は部屋から顔を引き抜き、妖怪の山の頂へ瞳をむける。
マミゾウが妖怪の山などにいったい何の用事であろうか。藍はこう思った。
(私が追ってくると見こんで、あんな場所まで逃げたのか)
藍はマミゾウを脅すように空にむかって吠えてから走り出す。地を蹴ったとき土がめくれあがり、庭でおろおろしていたナズーリンが土まみれになった。
藍のゆくところ木はことごとく倒れ伏し、幻想郷に新たな道を作らんばかりの勢いである。両手の指を折り終わらぬうちに妖怪の山までたどり着いた藍は、ここでも挨拶とばかり吠えた。
鳥がおどろき飛び立つかのように、天狗たちが一斉に空に飛び上がる。その中であえて藍の頭上まで近づいてきたのは射命丸文であった。
「もしかして藍さんですか。落ち着いてください」
落ち着いてなどいられるか。藍は山の頂からマミゾウの臭いを感じ取った。眠らされる前、体をすり合わせてきたマミゾウの臭いと瓜二つ。そうと決まれば山を登るのみ。
射命丸文を含めて、多くの天狗たちが落ち着け引き返せと訴えてくる。それでも藍は山登りをやめず、滝をも飛び越えて、とうとう山の頂にたどり着いた。
「マミゾウ、そこにいるな。隠れているな」
臭いのもとをたどっていくと、一本の枯れ木があった。藍は怒りにまかせて木を殴り飛ばした。すると木のうろから何かがヒラヒラと落ちてきおった。マミゾウが身に着けていた衣一式であった。
また、欺かれた! 藍の怒りはいっそう濃くなる。
(臭いだけでは誤魔化される。目にも頼ろう)
ちょうどそこは山の頂、幻想郷でもっとも高い場所であった。藍はゆっくりと背筋をのばして幻想郷中を見渡す。やがて視線は紅魔館へと吸い寄せられる。紅魔館の窓に、マミゾウのあの太い尻尾が覗き見えた。タヌキくさい臭いも、かすかであるが感じ取れる。
藍はいちどの跳躍で山のふもとに降り、そこから稲妻のごとくに走り出す。
夕焼けが落ちるよりも早く紅魔館の門前にたどり着いた。たどり着くやいなや、門の奥から無数の弾幕とナイフが飛んでくる。藍はそれらがぶつかるのをものともせずに紅魔館の庭へ跳び入った。十六夜咲夜とメイドが待ち構えていた。
「紅魔館を襲う者がいるという話。あなたのことね」
咲夜の言葉に藍は、内心で躍起になる。
(そんな警告がするのはマミゾウだけだ。紅魔館に隠れて、返り討ちは住人たちにやらせるわけか。よく考えるよ。けどタヌキめ、そうはさせない)
藍はまっすぐに紅魔館へ突撃していく。相手は時間を止める女。小細工はできぬと踏んでのことであった。案の定、まったく何もない場所からナイフが飛んでくる。体にいくつか突き刺さったが、藍の足を止められはしない。
赤い壁に張り付いた藍は、窓から通路を覗く。メイドの中にひとり、タヌキ尾の者を見出した。手を差し入れてそいつを捕まえる。ついにマミゾウを捕まえた。一瞬はキツネ顔をほころばせる藍であったが、すぐに目を細める。
タヌキ尾のメイドに息を吹きかけてみた。煙と共にメイド服が剥がれ落ち、ただのタヌキが現れ出たではないか。藍があっけにとられている間に、タヌキは手の隙間からすり抜けて逃げ出していきおる。
藍は自分の愚かな失敗にめまいを覚えたほどであった。頭に血が昇るあまり、マミゾウとただの化けダヌキの見分けもつかなくなっていたのは、恥ずかしいやら悔しいやら。が、すぐに気を取り直す。
(臭いと目だけではマミゾウにもてあそばれるままだ。こうなればマミゾウの力さえも見極めなければ)
藍は紅魔館の屋上に飛び乗って体を楽にしおった。鼻は隠れる数々のタヌキを探り取り、目はそこら中のタヌキをえり分けていく。何よりも霊感が、より強い力の持ち主を指し示す。
コレ、と感じられる者がついに見つかった。藍はここまで二度も失敗しておる。念のためによく確かめて、今度こそマミゾウで間違いなしと睨む。目当ては博麗神社である。
藍が博麗神社にたどり着いたとき、日が暮れかかっていた。神社は薄暗く影につつまれておる。博麗霊夢が屋根の上に仁王像もかくやという具合に飛んでおった。藍と目を合わせると、こう言い放った。
「藍、ちょうどいまから退治しにいこうと思っていたところよ」
「マミゾウがそこにいるな」
藍は少し背をかがめて本堂を覗きこむ。体を布一枚でおおってうずくまるマミゾウがいた。正真正銘、唯一無二のマミゾウである。そこで鳥居を飛び越えようとすると、霊夢のお札が眉間に刺さる。
「文から聞いたわよ。そこら中で暴れ回っているそうじゃない」
「それはマミゾウのせいだ。マミゾウをこちらへ渡せばもう暴れない」
「マミゾウが言うには、あなたに襲われたって。服をとられて押し倒されたって」
「マミゾウの言葉を信じるな。とにかくマミゾウとふたりにさせろ」
霊夢の周囲に六色の光玉が生まれると、それぞれが藍へ突撃してきおった。問答無用であった。藍は霊夢がこうあっさり攻撃してくるとは思わなかったので、動きが鈍りおる。夢想封印はいともたやすく藍にぶつかり、花火のようにはじける。全身にしびれるような衝撃が走った。
「やめろ、私は本当にマミゾウをだな」
「昨日の酒の席でマミゾウとひと悶着おこしてたっけ。それで今日はマミゾウを襲ってるってわけ」
「ええいもう」
藍は体に鞭うって、とにかく本堂にたどり着こうとした。すると霊夢の陰陽玉が本堂の目の前に落ちて、居座ってしまった。陰陽玉は近づくだけで熱風を浴びているような痛みをおこす。藍は本堂の横から入ろうとした。
そのときちらりとマミゾウの顔が見えた。目元を赤く腫らして、目には涙をたっぷり浮かべておる。しかし藍と目が合うやニヤッとくちをゆがませる。
藍はもうがむしゃらに本堂へ潜り入ろうとした。ところが目の前に霊夢のお札が先回りして、目にみえるほど強力な結界の壁を作り出す。鼻がこげついたので藍は飛びのいた。ふたたび夢想封印の光が見えた。しかも一発ではなく、三発もたてつづけに。
この畳みかけにさすがの藍も足をすくませる。そうやって怖気づいたのが運の尽きか。全身が光に包まれて、衝撃にもみくちゃにされた。
藍はあっという間に気を失ってしまったのであった。
さて、藍がめをさましたのは翌日だった。
博麗神社の一室で布団につつまれておった。藍はめざめて、天井のひろい染みをみつめた。染みはタヌキの尻尾にも、なすびにもみえた。外では小鳥がさえずっている。廊下の奥から、何かのごとごと煮える音がする。鼻にかおるのはみそ汁の香りである。
体をあげて寝床からでる。布団をたたむと、馴染みのない他人のにおいがする。それがなんともいえず不思議なきぶんにさせる。藍は自分の走り回っていたことが夢のようにおもえてきた。
立ちあがって廊下を歩いていると、体中がぎくしゃくしおる。特に尻のあたりがいたかった。藍はそのうち、尻のいたみに違和感をおぼえる。夢想封印のしびれるような痛みと違い、かゆいたいのである。
藍は尻を覗きみて言葉をうしなった。なんと九尾すべて、綺麗さっぱり毛をそられてしまっておった。
尻尾の件をいそぎ、台所にいた霊夢にたずねた。知らないといわれてしまう。霊夢は藍を介抱して寝かせてあげただけだと。ではマミゾウはどうしたのかと尋ねると、介抱を手伝ってくれたあといなくなったと。
藍の頭にまざまざと思い浮かぶ。介抱を手伝うと申し出たマミゾウのわらう顔が。寝ている自分の九尾ひとつひとつ、丹念にかきわけてカミソリをいれていく姿が。
藍はけっきょく、最後の最後までマミゾウに出し抜かれてしまった。藍もそうと気づいたときには、もはやいかりは沸いてこない。霊夢が朝食を勧めるのもことわり、とぼとぼと博麗神社を後にしたほどであった。
そのごしばらくの間、藍は人前に出なくなった。ぶざまな尻尾を人前に晒せないのと、あばれまわった反省と、マミゾウとの知恵比べに何度も負けた醜聞をおそれてのことである。
いっぽうマミゾウはどうしたかというと、平気な顔で人前に出ておるそうだ。しかもこの冬の間、あたたかそうなキツネ色のマフラーと外套を羽織っておるとか。それはもしや八雲藍の尻尾の毛から編んだものでは、とたずねるとこう答えたそうである。
「いやいや、これはもらったのじゃ。酒に酔った八雲藍が、たわむれに差し出してくれたのじゃ」
これを聞いた人々は、ははあなるほどと合点したものである。
酒の席で酔いにまかせて賭け事などするべきではない。後々、八雲藍のように大変な目にあうかもしれぬ。幻想郷ではしばらく、酒の席でそんなことを言い合うのがはやったそうである。
妖怪たちが、人里の酒場の座敷で飲み明かしておった。朝も間近になれば参加者はひとりひとりと減っていきおる。最後には紫、博麗霊夢、八雲藍、二ッ岩マミゾウに、その部下タヌキの何匹か、あとは名無しの妖怪ばかりが顔を付き合わせておった。
このとき藍は酔っておった。気が高ぶって九つの尻尾が秋のすすきのように立ち上がっておる。ところがマミゾウは平気な顔をしておる。藍は自分ばかり酔いつぶれているのがむしょうに腹立たしく思え、こういった。
「マミゾウ、まだ頭は冴えているか」
「この通り。逆立ちだってしてみせられる」
「ひとつ試みてやろう。賭け事をするんだ」
「乗ってもいいんじゃが、勝てば何がもらえるのやら」
「なにかてきとうに見繕おうじゃないか。そちらも品を用意しておけよ」
藍はつまみで出されておった皿いっぱいの豆を一粒つまみ出す。それを上にむかって放り投げて、開けた口に落としてみせた。
「これをやってみろ」
マミゾウもさっそく近くの皿を引き寄せようとした。するとタヌキが皿を奪い取ってしまう。タヌキたちもほどよく酔いつぶれておった。
「あれや、ならばこちらの皿から一粒いただこう」
マミゾウはそういって藍の皿から豆を一粒つまみだしおる。藍と同じように上へ放り投げたが、口どころか体にかすりもしなかった。これを見た藍は大口を開けて笑い、こう思ったものである。
(この古だぬきは、やっぱり涼しい顔して酔っぱらっているな。化けの皮を剥がしてやるとは、このことよ)
マミゾウが落ちた豆をひろいながら話す。
「いや、どうもこれは苦手でな。しかし悔しいのお。もういちどやらせておくれ」
「何度やっても同じことよ」
「ならばあと二番、勝負しよう。勝った数の多いほうが、やらせたいことを申し伝えるのじゃ」
藍はしてやったりという気持ちで話にのった。すでに藍が一勝している。あと二番で残り一勝はたやすかろうと踏んだのである。
つぎはマミゾウが勝負を決めた。五つの豆を机に並べ、箸で五つを食べきるというものであった。部下タヌキが手拍子をしているうちに食べ終わる。手拍子の数の少ないほうが勝つ。
藍は先手になってこれに挑む。箸を持つと手拍子が始まりおった。藍の箸さばきは教科書にのせてよいほどきれいな手つき。並んだ豆をことごとく口に放っていく。口の中でかみ砕いた手間を合わせて、七拍で済ませてみせた。
つぎはマミゾウの番である。これもマミゾウが箸に触ると手拍子が始まる。ところがマミゾウは箸を持たなかった。何をしたかというと、まず片方の箸で豆をきれいに並べおった。そのままもう片方の箸と合わせて豆を挟み、水平に持ち上げてみせおる。あとは五つ丸ごと口に落とし入れる。かみ砕いた手間を合わせて、六拍で済ませてしまった。
これには藍も目を丸くした。だが勝負の決め事に反しておらぬ。してやられたと潔く負けを認めなければならなかった。しかしマミゾウの油断なさを放ってもおけぬ。
「三つめの勝負は私に決めさせろ。おぬしに決めさせると、どうも危ない」
「うむ、それがよかろう」
藍は、手拍子の間に皿いっぱいの豆をすべて食べきる勝負を申し出た。これも手拍子の少ないほうが勝つ。
藍はさっそく目の前の皿をつかみ取る。つかみ取るとタヌキの手拍子がはじまる。藍は可憐な顔を崩して、獣みたいに大口あけて豆を流し入れる。勢いよくかみ砕き、飲み下して六拍ばかり。さすが狐なだけはある。箸を使うより直に食うほうが早いときおった。
(これなら他の食い方などない。頼りになるのはあごの早さだけ。その点、古ダヌキに負けはしない)
藍はそこにあった水をゆっくりと飲んだ。その間にマミゾウの番。マミゾウは部下タヌキに命じて、ついさっき取られた皿をテーブルに戻させた。
奇妙なことになっておった。皿のうえに豆はなく、ぶかっこうな団子がひとつあるばかり。マミゾウがその団子へ手を近づけたところで手拍子がはじまる。団子をとり、口に放り、噛まずに飲み下した。たった三拍の出来事であった。
ガタッ。
と藍は立ち上がった。その団子はいったいとマミゾウを問い詰めると、マミゾウは平気な顔で皿いっぱいの豆だといいおる。藍がさらに目にしたのは、部下タヌキたちが持っているものである。すり鉢とすりこぎ。なんという知恵か。この勝負の前に、皿いっぱいの豆はすりつぶされ団子にかためられていたのである。
「こずるい。こんな勝負を勝ちとは認みない!」
藍は怒りをあらわにした。机のはしで霊夢と話していた紫が声をかけてきた。
「藍、うるさい。おとなしく負けを認めなさい」
「紫さま。これはインチキです」
「タヌキのすりこぎの音も聞こえなかったのあなた。聞こえていたらマミゾウの企みを見抜けていたでしょうに。あなたの不手際よ」
さすがに実の主人に諭されると、藍も言葉を濁さざるをえなかった。まだ腹は煮えるが、再び席に戻るのであった。
「でマミゾウ、何が欲しい。あまり高いものは出せないぞ」
「そうじゃな。おぬしと一晩、枕をともにしたい」
「な、なに」
「いや冗談。おぬしの毛をくれ。尻尾の毛をそらせておくれ。なに、九本のうち一本が裸になるだけよ」
これには藍も、少々怖気づいた。しかし負けてしまった手前、できぬと駄々をこねるのはかっこうが悪い。諦めて尻尾をゆだねることにした。
その夜、藍の九尾のうち一本はさっぱりしてしまった。
朝になると、藍は昨夜のことがいまさら腹立たしくなってきおった。酔いで頭が霧がかっていたとはいえ、知恵比べで負けたことは思い出すたび悔しい。そこで再戦を試みんとした。
尻尾は一本、みごとに皮ばかりとなっておる。だが残りの八本で隠してしまえば、外から見れば見分けがつかぬ。おかげで外に出るのも平気であった。
人間の里でマミゾウを探そうとすると、思いがけず道端で出会ったのであった。マミゾウは、藍の尾の毛で編んだマフラーを首に巻いておる。酒の席とおなじ笑顔を浮かべておる。藍は眉根をよせて話しかけた。
「マミゾウ、昨日の知恵比べだが、もうひと勝負といきたい」
「構わんよ。気が済むまで付き合ってやろう」
「昨夜とおなじ三番勝負だ。負けた者は尻尾の毛をそる。これでいいな」
「おぬし、これ以上そって大丈夫かえ。寒かろう」
藍はその言葉を無視して、あたりを見渡した。ちょうど通りのむこうがわで男子たちが集まってメンコしている(メンコとは紙板を打ちつけ合う遊び)のが見える。藍はそれを指し示して、最初の勝負にえらんだのである。
同じ男子に化けて彼らを別の遊びに誘うというものであった。先に誘ったほうが勝つ。誘えるなら何をしてもよし、準備の時間もとってよし。そうと決まれば、藍とマミゾウはさっそく各々に動きだした。
藍はまず路地裏へ寄ってそこで体をヘンゲさせた。年にして十才手前のみずみずしい男子の姿をとる。成りはこの季節、里でよく見かける藍染の長襦袢。
その後おもちゃ屋によって蹴まりを買った。その蹴まりをポオンポオンと蹴り進みながら男子の輪へ近づいた。
「メンコなんかしてんの? 蹴まりやろうよ」
男子たちは口をあけて藍を見つめた。
「なんで」
「なんでって、楽しいじゃん」
男子たちは互いに顔を見合わせた。ひとりがぎこちない様子で答え返してきおった。
「いや、蹴まりはいいよ。他のやつらとやったら?」
「えーそんな、お前らとやりたいんだけど」
藍が食い下がると、男子たちはみんな顔を貝のようにすぼめだす。誰も喋らなくなり、ばつが悪そうに「えー」とつぶやいたり、手にするメンコを触るだけになりおった。
藍がつぎの言葉を探していると、急に顔に冷たいものがかかってきた。驚いた拍子にうっかり気が緩む。ヘンゲが解けて元の姿形に戻ってしまう。冷たいものは水だった。顔から滴り、服を濡らしおる。水のとんできたほうを見ると、水鉄砲をもった生意気な目つきの男子がいた。
その男子が藍を見てゲラゲラ笑うものだから、藍はすぐさま怒鳴りつける。
「こいつ」
「いえーいキツネが怒った、キツネが怒った、怒りん坊のきつねん坊!」
すると、さっきまで黙っていた男子たちも、つられて笑いだす始末。
「怒りん坊のきつねん坊!」
その言葉を繰り返しながら、水鉄砲の男子と走り去っていきおる。藍は追いかけようとしたが、追いかけるとみんなますます、ひとかたまりで逃げていく。藍はそのうち勝負のことを思い出して追いかけるのをやめた。
藍はつぎの手を考えることにした。そうしていると、また横から冷たいものが顔にかかってきおった。すわあの男子が戻ってきたのかと怒り顔をあらわに振り向く。そこにいたのは水鉄砲をもったマミゾウであった。
「一戦目はわしの勝ちでよいな?」
藍は悔しくて二の句が告げられない。尻尾で顔の水をぬぐいながら二戦目を申し出る。女に化けて男を誘いだすという勝負であった。他に難しいことはなにもない。だが、こんな昼間から女の尻につられる男がいるであろう?
これも準備の時間がとられた。藍は路地裏でさっそく女にヘンゲした。年にして二十ばかりの若娘で、あえて質素な水色の長着を身にまとった。だが、髪や服の濡れているのが気になった。誤魔化そうとあれこれ苦労しているうちに、表通りから声が聞こえてきおる。
「お兄さん、お兄さん、ちょっと」
緑のエプロンドレスを着たすらりとした女が男に呼びかけておった。透き通るような美人っぷりを見て、藍はあれがマミゾウだと気づいた。
マミゾウはひとりのたくましい男に話しかけて笑っている。男も笑っているが、二言三言交わし終えると男は離れていく。藍はそれも仕方ないことだと思った。
(あのかっこうは頑張りすぎているからな。並みの男じゃ遠慮するだろう)
すると、ふいに気配を感じ取る。振り返ると背の高い男がきょとんとしておった。
「さっきからここで立って、何をしているのでしょうか」
突然のことであったが、藍はすばやく言葉をたぐりよせた。
「その、服を濡らしてしまって。人前に出るに出れぬ有り様で」
「服を」
男の目が遠慮がちに藍へ注がれる。藍はこれはよい魚がかかったと思い、言葉に餌をまきはじめる。
「あまり見ないでください。胸が透けてしまっているんです」
「え、それは失礼しました。そうだ、ではこれでも」
男が気恥ずかしそうに羽織っていた外套をよこしてくれた。藍はそれを身に着けながら、まだ踏みこむ。
「家は近くですか」
「ええまあ、この路地のすぐ奥で」
「ちょっと家に寄らせてくださいませんか。着替えをしないと人前に出られません」
「着替え。それは、たしかに」
すっかり落ち着きのなくなった男が先立って案内をはじめる。
「しかし他人の家になどあがって、大丈夫ですか」
「そうですね。あなたの奥さんが怒ってしまいそう」
「いやそんな、妻はいません」
「そうでしたか、こんなにお優しいおかたなのに」
「いえそんな、ははは、いえいえ」
「けど本当に、お優しい」
そういって藍はじっくり男を見つめる。男も見つめ返してくる。藍はいかにも恥ずかしいといった感じで目をそらした。それで横目に男をたしかめると、男はまだこちらを見つめておる。もはや魚は釣り上げたも同然であった。
男の言う通り路地裏の道を何度か曲がると、もうそこに男の家があった。男はためらいなく玄関戸をあけてくれる。藍は上げてもらったところで、男にまじないをかけて眠らせた。
藍はヘンゲをといて気長に座って待っていた。となりで男が寝息をたてておる。間もなくするとマミゾウがやってきたので得意になって話してやった。
「水鉄砲をかけられたおかげで、この通りだ」
「いやあっぱれ。流れるような誘いであったな。ところで次の勝負はどうする」
これは藍、マミゾウを待っている間に考えていた。今度は妖怪を誘ったものが勝つ。妖怪は人を誘うのは得意であるが、妖怪同士を誘うのはいぶかしまれてむずかしい。三番勝負の〆にふさわしかった。
それを聞いたマミゾウが手を口元にあて黙りおる。
「どうした、できないのか」
マミゾウが眠る男を端にどけて、藍の隣に腰をおろす。
「きのうの酒の席でわしが言ったことを覚えておるか」
「いろいろ言ったな」
「こう言ったはずじゃ。おぬしと一晩、枕をともにしたい」
そういうたぐいの言葉は、耳にしただけで息苦しくなってくるもの。藍は息苦しくなった。
「あれは実は本当なんじゃ」
「何を企んでいる」
「おぬしの枕の技はいかがもんじゃろ。うまいと聞いておる」
「そんなこと誰から聞いたんだ」
マミゾウがさらに体を近づけてきおった。衣ごしに尻の肉がこすれ合った。マミゾウの手が藍の手にのびて指をからめてきた。タヌキの臭いに混じって、お香の香りがした。
「化かし合いでは甲乙つけがたいでな。かといって弾幕ごっこは疲れる。しとねでお互い芸を見せ合うというのはいかがかな」
「なんでお前などと」
「わしに泣かされるのは怖いか」
藍はマミゾウと見つめ合う。マミゾウの頬はうっすらと赤みがかっていた。
「ならば。や、やるか」
「ためしに口吸いから」
マミゾウの顔がそっと近づいてきたので、藍は口を開こうとした。なぜか唇が微動だにしなかった。それどころかまぶたが重たくなってきて、ストン、と落ちてしまう。意識がどこかへ飛んでいきおった。
藍が再び目を覚ますと落ち葉の上で横になっておった。あたりは林で、夕暮れの強い日差しが木々の間から刺しこんでくる。
藍は立ち上がろうとして尻がズキンと痛んだ。ふりかえってみて驚く。九尾のうち二本が丸裸にされておった。酒の席でそられたものと合わせれば三本だ。
藍は自分がまんまと欺かれたことに気づき、茫然とした。それからマミゾウと口づけしかけたことを思い出し、みるみる怒りがあふれてくる。さすがに、あんな情けない欺かれ方をしたうえ、尾を三本もうしなったとなっては!
藍その場でよつん這いになった。怒りに任せて吠えた。
長い長い遠吠えであった。藍の体は一気に膨れあがり、おきにいりの唐風の衣を引き裂いていく。黄金の毛がぞろ伸びはえて瞬く間にゆびさきは埋もれ、むねは隠れ、全身を覆い尽くす。
すっかり化けギツネの本性をあらわにした藍であった。それでも三本の尻尾だけはつるりとしておる。体をいちど小刻みに震わせると大きく飛び跳ねる。林を三またぎもしないうちに乗り越えてしまいおった。
林は人里のすぐそばにあった。藍は人里をひとっとびに飛び越えて、らんらんと輝く赤い瞳で里をまんべんなく見渡す。マミゾウの姿がないと分かるや、そのままの勢いで命蓮寺まで突き進んだ。
命蓮寺の庭に降り立つ。庭で目を丸くするナズーリンを横切り、部屋にとがった顔を突き入れた。障子が吹き飛ぶ。その部屋にいたのは聖白蓮と寅丸星。星が立ち上がりながら叫ぶ。
「お前はいったいなんだ」
「マミゾウを出せ!」
藍の声は恐ろしく低く、喋っただけで部屋の中に旋風を巻き起こしおった。舞い上がるほこりに星が咳きこみ、聖の僧衣が乱れる。
「お前もしかして、八雲藍か」
「マミゾウはここによく来るんだろ。あなたたちなら居場所を知っているはず」
「知らん、今日はいちども顔をみせていない」
「ウソをつくなよ」
藍は左手を畳に叩きつける。すると聖が落ち着いた声でしゃべり出した。
「星の言葉に偽りはありません。臭いをかいでみなさい」
藍は黒い鼻をひくひくと動かした。かすかにマミゾウの臭いが漂うが、古い感じがした。それよりも遠くからマミゾウの臭いが臭ってくるではないか。藍は部屋から顔を引き抜き、妖怪の山の頂へ瞳をむける。
マミゾウが妖怪の山などにいったい何の用事であろうか。藍はこう思った。
(私が追ってくると見こんで、あんな場所まで逃げたのか)
藍はマミゾウを脅すように空にむかって吠えてから走り出す。地を蹴ったとき土がめくれあがり、庭でおろおろしていたナズーリンが土まみれになった。
藍のゆくところ木はことごとく倒れ伏し、幻想郷に新たな道を作らんばかりの勢いである。両手の指を折り終わらぬうちに妖怪の山までたどり着いた藍は、ここでも挨拶とばかり吠えた。
鳥がおどろき飛び立つかのように、天狗たちが一斉に空に飛び上がる。その中であえて藍の頭上まで近づいてきたのは射命丸文であった。
「もしかして藍さんですか。落ち着いてください」
落ち着いてなどいられるか。藍は山の頂からマミゾウの臭いを感じ取った。眠らされる前、体をすり合わせてきたマミゾウの臭いと瓜二つ。そうと決まれば山を登るのみ。
射命丸文を含めて、多くの天狗たちが落ち着け引き返せと訴えてくる。それでも藍は山登りをやめず、滝をも飛び越えて、とうとう山の頂にたどり着いた。
「マミゾウ、そこにいるな。隠れているな」
臭いのもとをたどっていくと、一本の枯れ木があった。藍は怒りにまかせて木を殴り飛ばした。すると木のうろから何かがヒラヒラと落ちてきおった。マミゾウが身に着けていた衣一式であった。
また、欺かれた! 藍の怒りはいっそう濃くなる。
(臭いだけでは誤魔化される。目にも頼ろう)
ちょうどそこは山の頂、幻想郷でもっとも高い場所であった。藍はゆっくりと背筋をのばして幻想郷中を見渡す。やがて視線は紅魔館へと吸い寄せられる。紅魔館の窓に、マミゾウのあの太い尻尾が覗き見えた。タヌキくさい臭いも、かすかであるが感じ取れる。
藍はいちどの跳躍で山のふもとに降り、そこから稲妻のごとくに走り出す。
夕焼けが落ちるよりも早く紅魔館の門前にたどり着いた。たどり着くやいなや、門の奥から無数の弾幕とナイフが飛んでくる。藍はそれらがぶつかるのをものともせずに紅魔館の庭へ跳び入った。十六夜咲夜とメイドが待ち構えていた。
「紅魔館を襲う者がいるという話。あなたのことね」
咲夜の言葉に藍は、内心で躍起になる。
(そんな警告がするのはマミゾウだけだ。紅魔館に隠れて、返り討ちは住人たちにやらせるわけか。よく考えるよ。けどタヌキめ、そうはさせない)
藍はまっすぐに紅魔館へ突撃していく。相手は時間を止める女。小細工はできぬと踏んでのことであった。案の定、まったく何もない場所からナイフが飛んでくる。体にいくつか突き刺さったが、藍の足を止められはしない。
赤い壁に張り付いた藍は、窓から通路を覗く。メイドの中にひとり、タヌキ尾の者を見出した。手を差し入れてそいつを捕まえる。ついにマミゾウを捕まえた。一瞬はキツネ顔をほころばせる藍であったが、すぐに目を細める。
タヌキ尾のメイドに息を吹きかけてみた。煙と共にメイド服が剥がれ落ち、ただのタヌキが現れ出たではないか。藍があっけにとられている間に、タヌキは手の隙間からすり抜けて逃げ出していきおる。
藍は自分の愚かな失敗にめまいを覚えたほどであった。頭に血が昇るあまり、マミゾウとただの化けダヌキの見分けもつかなくなっていたのは、恥ずかしいやら悔しいやら。が、すぐに気を取り直す。
(臭いと目だけではマミゾウにもてあそばれるままだ。こうなればマミゾウの力さえも見極めなければ)
藍は紅魔館の屋上に飛び乗って体を楽にしおった。鼻は隠れる数々のタヌキを探り取り、目はそこら中のタヌキをえり分けていく。何よりも霊感が、より強い力の持ち主を指し示す。
コレ、と感じられる者がついに見つかった。藍はここまで二度も失敗しておる。念のためによく確かめて、今度こそマミゾウで間違いなしと睨む。目当ては博麗神社である。
藍が博麗神社にたどり着いたとき、日が暮れかかっていた。神社は薄暗く影につつまれておる。博麗霊夢が屋根の上に仁王像もかくやという具合に飛んでおった。藍と目を合わせると、こう言い放った。
「藍、ちょうどいまから退治しにいこうと思っていたところよ」
「マミゾウがそこにいるな」
藍は少し背をかがめて本堂を覗きこむ。体を布一枚でおおってうずくまるマミゾウがいた。正真正銘、唯一無二のマミゾウである。そこで鳥居を飛び越えようとすると、霊夢のお札が眉間に刺さる。
「文から聞いたわよ。そこら中で暴れ回っているそうじゃない」
「それはマミゾウのせいだ。マミゾウをこちらへ渡せばもう暴れない」
「マミゾウが言うには、あなたに襲われたって。服をとられて押し倒されたって」
「マミゾウの言葉を信じるな。とにかくマミゾウとふたりにさせろ」
霊夢の周囲に六色の光玉が生まれると、それぞれが藍へ突撃してきおった。問答無用であった。藍は霊夢がこうあっさり攻撃してくるとは思わなかったので、動きが鈍りおる。夢想封印はいともたやすく藍にぶつかり、花火のようにはじける。全身にしびれるような衝撃が走った。
「やめろ、私は本当にマミゾウをだな」
「昨日の酒の席でマミゾウとひと悶着おこしてたっけ。それで今日はマミゾウを襲ってるってわけ」
「ええいもう」
藍は体に鞭うって、とにかく本堂にたどり着こうとした。すると霊夢の陰陽玉が本堂の目の前に落ちて、居座ってしまった。陰陽玉は近づくだけで熱風を浴びているような痛みをおこす。藍は本堂の横から入ろうとした。
そのときちらりとマミゾウの顔が見えた。目元を赤く腫らして、目には涙をたっぷり浮かべておる。しかし藍と目が合うやニヤッとくちをゆがませる。
藍はもうがむしゃらに本堂へ潜り入ろうとした。ところが目の前に霊夢のお札が先回りして、目にみえるほど強力な結界の壁を作り出す。鼻がこげついたので藍は飛びのいた。ふたたび夢想封印の光が見えた。しかも一発ではなく、三発もたてつづけに。
この畳みかけにさすがの藍も足をすくませる。そうやって怖気づいたのが運の尽きか。全身が光に包まれて、衝撃にもみくちゃにされた。
藍はあっという間に気を失ってしまったのであった。
さて、藍がめをさましたのは翌日だった。
博麗神社の一室で布団につつまれておった。藍はめざめて、天井のひろい染みをみつめた。染みはタヌキの尻尾にも、なすびにもみえた。外では小鳥がさえずっている。廊下の奥から、何かのごとごと煮える音がする。鼻にかおるのはみそ汁の香りである。
体をあげて寝床からでる。布団をたたむと、馴染みのない他人のにおいがする。それがなんともいえず不思議なきぶんにさせる。藍は自分の走り回っていたことが夢のようにおもえてきた。
立ちあがって廊下を歩いていると、体中がぎくしゃくしおる。特に尻のあたりがいたかった。藍はそのうち、尻のいたみに違和感をおぼえる。夢想封印のしびれるような痛みと違い、かゆいたいのである。
藍は尻を覗きみて言葉をうしなった。なんと九尾すべて、綺麗さっぱり毛をそられてしまっておった。
尻尾の件をいそぎ、台所にいた霊夢にたずねた。知らないといわれてしまう。霊夢は藍を介抱して寝かせてあげただけだと。ではマミゾウはどうしたのかと尋ねると、介抱を手伝ってくれたあといなくなったと。
藍の頭にまざまざと思い浮かぶ。介抱を手伝うと申し出たマミゾウのわらう顔が。寝ている自分の九尾ひとつひとつ、丹念にかきわけてカミソリをいれていく姿が。
藍はけっきょく、最後の最後までマミゾウに出し抜かれてしまった。藍もそうと気づいたときには、もはやいかりは沸いてこない。霊夢が朝食を勧めるのもことわり、とぼとぼと博麗神社を後にしたほどであった。
そのごしばらくの間、藍は人前に出なくなった。ぶざまな尻尾を人前に晒せないのと、あばれまわった反省と、マミゾウとの知恵比べに何度も負けた醜聞をおそれてのことである。
いっぽうマミゾウはどうしたかというと、平気な顔で人前に出ておるそうだ。しかもこの冬の間、あたたかそうなキツネ色のマフラーと外套を羽織っておるとか。それはもしや八雲藍の尻尾の毛から編んだものでは、とたずねるとこう答えたそうである。
「いやいや、これはもらったのじゃ。酒に酔った八雲藍が、たわむれに差し出してくれたのじゃ」
これを聞いた人々は、ははあなるほどと合点したものである。
酒の席で酔いにまかせて賭け事などするべきではない。後々、八雲藍のように大変な目にあうかもしれぬ。幻想郷ではしばらく、酒の席でそんなことを言い合うのがはやったそうである。