Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『念写少女のルナティック・ブルー #4』

2015/12/02 20:54:26
最終更新
サイズ
9.16KB
ページ数
1
 




「……あぁ、もちろん知っているさ。『ヘンタイ』の連中だろう?」
「へ、ヘンタイ?」

 昇りきった太陽が、ほとんど去りかけた夏の残暑を執拗に引き留めていた。けれど白蓮寺の風通しはどうしてだかだいぶ良くなってしまっていて、秋色の東風が詰めろの一手を今にも打とうとしている。

 文の言葉の正否を那津に問うた私は、余りにもあんまりな答えにひっくり返りそうになった。

「帝国陸軍第1師団の特殊異変隊。略して『ヘンタイ』と呼ばれている」
「ほとんど悪口じゃないの、それ」
「実際、軍の中じゃ疎まれっぱなしの部隊らしい」

 説明しながらも、那津は箒を動かす手を止めない。

 荒らされた寺の光景にも驚いたけれど、その原因を聞いた私はさらに驚いた。白蓮寺に賊が進入し、気づかれるや否や逃げていってしまったのだという。強力な2人の妖獣が守る聖なる寺に忍び込み、そしてまんまと逃げおおせることができる者。私には全く心当たりがなかった。

「そりゃ、私もご主人様も、その辺の人間や妖怪にはそうそう遅れを取りはしないさ。だがまぁ、『ヘンタイ』の構成員なら分からないこともない。成る程、賊はあの連中だったんだな」
「そんなに腕が立つの? 疎まれてるんなら弱いような気もするけど」
「これから列強諸国に追い付け追い越せというときに、妖怪退治だの霊能力だの真面目に取り合うこともないだろう。……とまぁ、お偉いさん方にとってはそういうことらしい。今じゃもう見る影もないが、かつてはそりゃあもう厄介だった。何せ帝や将軍を守護する者たちだ。全国から選りすぐりの有能な術士が集められ、ありとあらゆる秘術に通じた部隊を構築していたんだ」
「しかし年月が過ぎ、この明治は科学世紀となりました」

 声に振り返る。星さんが神妙な面持ちで立っていた。

「霊能力者の実力は落ち、反対に兵器の威力は跳ね上がった。人間にとっての脅威は『妖怪や怪異』ではなく、『他の人間』になった。そうして難事に備えるための組織も移り変わってきたのです」

 黄金色の視線には心地よい温もりが満ちている。星さんの眼差しはいつもそうだった。誰かを慈しむ光があった。けれど今になって初めて、そこに一抹の寂しさを感じた。憂いを湛えたその顔も、悔しいくらいに絵になっていた。
 星さんが大きな紙袋の口を開くと、那津は塵取りの中身をその中へ放り込んだ。陶器や硝子の破片が、がしゃがしゃと耳障りな音を立てる。星さんはその輝く双眸を静かに閉じた。

「……もはや、誰も望んではいないのかもしれません。人間と妖怪の共存など」

 こんなに弱気な星さんを、私は初めて見た。思わず那津に目線を投げる。鼠は力無く首を振った。

「ご主人様。賊を取り逃して悔しいのは分かるけれど」
「いえ、そうではなくて」

 紙袋をさらに大きな紙袋へ仕舞いながら、星さんは続ける。

「昨晩の侵入者は人間でした。我々はまた、人間に敵と見なされつつある。それがたまらなく悲しいのです」

 首筋を撫でていった風の冷たさに、どきりとした。
 白蓮寺は、常に人間と妖怪の間に在ろうとしていた。どちらに傾きすぎるでもなく、どちらに肩入れするでもなく。悪さをする妖怪がいればそれを諭し、反対に妖怪が人間に苛められていたらそれを助けた。両者を取り持つことこそが、星さんと那津が信じる正義であった。
 その正義に、人間が反旗を翻した。星さんはそう感じているのだろう。

「ですが、敵であるうちはまだ良いでしょう。元来より人間と妖怪の脅威は対抗する形で存在してきたのですから。翻って今この時代は、妖怪を無視し忘却しようとしている。隣人でも仇敵でもなく、存在そのものを無かったことにしようとしている」
「そんなこと……」

 ない、とは言い切れなかった。否定しようとして、その根拠がないことにはっとした。
 超特急ヒロシゲの夢の中、二百由旬の儚光の庭で聞かされた八雲紫の言葉が蘇る。人間は夢を現実に変えながら先へ進む。科学技術に傾倒した人間はいずれ、それによって実現する夢だけを選ぶようになり、他の幻想は切り捨てていくだろう ―― 。

 いつか人間は、妖怪の存在を無かったことにする。退魔術師たちは「ヘンタイ」へと追いやられ、歴史の裏側へと葬り去られてしまう。たとえ今の東京が妖怪と怪異に満ち満ちているとしても、その事実ごと、人間は忘却できるというのだろうか。
 じゃあ私は、白蓮寺は、一体何のために。

「 ―― おやぁ、しばらく見ない間に、何だか随分と辛気くさい寺になったものね」

 場違いに明るい声に振り返る。そこには、やけにしっとりつやつやとした文がいた。全身から仄かに湯気を立ち昇らせて、勝手に水差しの水をくいっと飲むその姿は、どうやら湯屋帰りのようで。

「いやぁ、何とか閉店間際に滑り込めて良かったわ。あ、手拭い借りました」

 その飄々とした態度は、私たち三人を呆気に取らせるのに十分だった。こんな状況で一体何をしているというのか。

「借りました、じゃないわよ!」

 理解の範疇を外れた天狗の行動に、私の語気は荒くなる。

「あんた、何で暢気に風呂なんか入ってるのよ。今がどういう状況か分かってないの?」
「ほらほら、怒らないの。可愛いお顔が台無しよ」

 まるで幼子にするように、文は私の頭をごしごしと撫でた。神経を逆撫ですることにかけては、きっとこいつの右に出る者はないだろう。

「メリーベルさんを使ってあの人間を連れ去ったのは、『ヘンタイ』の連中でほぼ間違いないわ。あの娘は軍事機密である東京市の航空写真を念写して、それが原因となって追われる身となった。これは科学捜査では決して立件できない、怪異を用いた犯罪よ。そして、だからこそ『ヘンタイ』は飛び着いた。この一件は退魔の力を行使できるあいつら以外に解決できない。いや、解決どころか、もし逆にあの娘を『ヘンタイ』に加えることができれば ―― 」
「帝国陸軍は、世界中の航空写真を自由自在に入手できる。そういう訳か、成程」

 那津は箒を脇に置いて手の埃を払った。

「いや、航空写真だけじゃない。カメラの技術が発展していけば、様々な情報が写真の形で保管されることになる。新兵器、要人の潜伏先、密談の内容。念写がそれらの極秘写真すら一瞬で奪えるなら、日本軍は世界の情報戦において圧倒的優位に立つ」
「そしてその成果を軍にもたらした『ヘンタイ』は、かつての発言権を取り戻す。とまぁそういう目論見でしょうね」

 文は残りの水を一気に飲み干す。形の良い喉が軽やかに脈を打つ。
 今の話が真実ならば、事態は手の負えない盤面まで進んでいるということになる。疑いの目を向けかけた私に、しかし文は機先を制して指をびしりと突きつけた。

「『今の状況が分かってるか』って? 桜子、その言葉をそっくりそのままお返しするわ。今この時こそ歴史の分岐点。非常識が常識を駆逐するのか、あるいは人間原理が世界を席巻するのか。人間と幻想、その趨勢が今まさに決しようとしている!」
「う……」

 文の目に灯った真剣の光を、私は確かに見た。見てしまった。こいつは本気だ。

「人間と、幻想……」

 星さんがどこか遠くへ向けて呟いた。天狗の言葉に、寅の憔悴が説得力を上乗せする。星さんがここまで危機感を覚えてしまうほどに、魔都東京の怪異は消滅の危機にあるのだろうか。
 やはり、博麗の巫女としての私も、終わりなのだろうか。

「そしてその転換点に、この私というジャーナリストが居合わせたことは、後世の歴史家にとって正しく僥倖と言えるでしょう!」

 そんなこちらの感傷を意に介する様子など微塵も見せず、文は高らかに笑った。

「この顛末は子細に渡って、我が『文々。新聞』が独占取材できるわけです。いやあ、腕が鳴りますねぇ! 山に引き籠もって出てこない連中の、悔しがる顔がもう目に浮かびますよ。新聞大会の首位は手中にあるも同然ですね」
「……あんたのブン屋としての意固地は心底どうでもいい」
「あやややや、随分とつれないじゃないですか桜子さんてば。一緒に『ヘンタイ』の拠点へ潜入しましょうよ。そしてあなたの八面六臂の大活躍を記事にするんです。もう最っ高に楽しいこと請け合いですよ」
「『楽しい』ってあんたね……」

 寝不足と無神経のせいで高まり続けたイライラが、ここにきてついに爆発した。床の木目をバカ天狗の顔面だと思って強く強く踏みならしながら、私は文へと詰め寄った。

「子供がひとり攫われてるのよ! そんなときに『楽しい』だなんてあんた、よくも言えたものね!」
「では、行かないのですか?」

 文の丸い大きな瞳が、こちらの怒気をさらりと受け流す。

「攫われた女の子を捨て置くと、見捨てると、そう言いたい?」
「だ、誰もそんなこと言ってないでしょ」
「でっすよねぇ! そう仰って頂けると信じておりましたとも!」

 満面の笑顔で抱き付かれた。私の身体に巻き付く文の両腕が、怒りまでも握り潰してしまった。乗せられている、確実に。乗せられているということを理解しながらも、私はそれに対抗することができない。ブン屋の口車は思ったより何倍も回るようだった。

「もうこの際、小難しいことを考えるのはよしましょう。女の子がひとり捕まった。桜子さんにとってはそれだけで、動く理由になるのでは?」
「うぐ……」

 鼻と鼻がくっついてしまいそうな距離でそう諭されると、もはや何も言えない。文の吐息が真綿のように柔らかく私の首を絞めていく。

「義を見てせざるは勇無き也。悲しんでいる子供がいるのなら」

 星さんが立ち上がる。その目から迷いはもう消え失せていた。いや、憂いを正義で塗り潰したというべきか。

「いやいや、白蓮寺のお二方のお手を煩わせずとも」

 文はふるふると首を横に振った。白々しいことこの上ない遠慮にも、星さんの真っ直ぐな視線は律儀に回答した。

「非道を正し正義を貫くことこそ我らが使命。そのためならば尽力を惜しみませんよ。ねぇ、那津」
「……まぁね」

 那津が溜息とともに応え、文の得意顔は決定的なものとなった。この天狗、初めから星さんたちまで動員するつもりだったのか。どこまでも抜け目がない奴である。

「そうと決まれば動かなきゃいけない。まずは『ヘンタイ』の潜伏場所をはっきりさせる必要があるな。……あぁ御主人様、地図はどこへしまったっけ……。とりあえずそれは私が何とかしよう。桜子、君は寝てないんだろう。出動まで休んでおいた方がいい」
「目が冴えて眠れなくても、瞼を閉じているだけでも違うわ。徹夜の先輩からのアドバイス」

 文が片目を瞑っておどけてみせるので、せめてもの抵抗としてキツい睨みを返してやった。

 自室へ戻り布団の上に身を投げる。外行きのまま着替えてすらいないけれど、もはやどうでも良かった。目を瞑って、念写少女のことを考える。どうして彼女が、こんな目に遭わなければならないのだろうか。はたては裏表のない素直な娘だ。それが念写という異能のせいで、軍から追われる身になっている。人間の身勝手が、ひとりの少女を不幸にしようとしている。そのことがどうしても、私には許せなかった。

 いつしか意識は微睡みへと落ちていた。夢を見たような気がする。どんな夢かは思い出せないけれど、とても寂しい夢を。




 
コメント



0. コメントなし