1.見た事も無い悪夢の世界
宇佐見菫子は夢を見た。
最近の彼女にとって夢を見る事とは、幻想郷という別の世界に行く事であった。現の女子高生とは別の自分、幻の超能力者となって。
なのに、夢を見た。
幻の世界と夢の世界は、決定的に違う。ここには、人里離れた山奥の神社も、迷わせるほどの広さの竹林も、今や馴染みとなったファンタジーは見つけられない。
「髭面のユダヤ人が判断した通りじゃない」
菫子の目の前には彼女の心象風景がぼんやりと映っている。つまらない東深見高校がぐにゃぐにゃ蠢いては、化物の如く口を開けて飲み込もうとしていた。
現実にはありえない光景。ただし菫子は学校をそういう物と考えていた。
「どうしてこんな悪夢、見てしまうのかしら」
「はたして悪夢かしら?」
校舎が答えた。同時に校門から何かが飛び出す。
これが悪夢でなければ何を悪夢と言うのか、と厭な顔をしながらも、無視できない。彼女の好奇心がそれを拾いに行かせた。
東深見高等女学校 宇佐見×子
何かと思えば、生徒手帳。
だが菫子には見覚えがない。見た目があまりに古めかしい。校名も微妙に違っているし、掠れて読めない部分には別の字が入るだろう。
そんな捻じれた夢の世界に、白黒の珠を体に纏わりつけた少女が浮かんでいる。人を小馬鹿にしたような口元から警告を発するも、夢見る者に届くことなく消えていく。
――もう、景色は移り変わってしまっていた。
2.不思議の国のアリス
東深見高校に伝わる七不思議の一つに「消えた旧東深見女学校」というのがある。
何でも戦前にも東深見の名を冠する女学校が建っていたのだが、跡形も無くなってしまったらしい。今の校舎は二代目である、という噂だ。
そんな記録はどこにも残っていない。少なくともインターネット上には。
もし実在したとしても空襲で焼け落ちたとかだろう、よくある話で何も面白くない。そもそもそんなもの、なんで七不思議に数えられる?
――この時までは菫子もそう思っていた。しかし確実な証拠を手に入れてしまったのだ。女学生の手帳を開いてみれば、古い日本語が書かれている。
そして何よりも、足を踏み入れてしまった。「旧東深見女学校」の校舎と思しき場所に。「消えた」はずなのに。
煤汚れた廊下は、夢にしては現実味がありすぎる。
最早、他のどの七不思議も不思議ではなくなった。ここに比べれば。
ミシミシと歩く度に音がする。教室を覗いても誰もいない。普段菫子が通っている高校とは段違いだ。
彼女は皆の知らない東深見を独り占めにして、堪能していた。しかしこうも誰もいないと張り合いがないし、あくまで学校は学校。変わり映えしない景色に飽き始め、手帳の方に目移りする。
「あら、この字……」
興味の無い校訓などは読み飛ばしていくと、持ち主が遺したらしいメモに行き当たった。
簡潔に力強い筆で、こう書かれている。
東深見には魔女が潜んでいる。必ず証明してみせる。
不思議が不思議を呼べば、宇佐見の血は争えなくなる。
3.年中夢中の好奇心
「なーんだ、御先祖様も秘密を曝く者だったんだー。私が初代のはずなのに」
菫子は自分が特別な人間だと信じて疑わず生きていた。それ故先に学校のオカルトを調査していた同姓の人物に、憧憬と嫉妬、両方の感情を抱いた。
とにもかくにも東深見に潜む魔女とは何なのか、気になって仕方がない。幻想郷に行けば魔女など珍しくもないが、よりにもよって身近なところにいた、となれば話は別である。
昔のことといっても精々百年前くらいの、文明開化の後となれば、魔女なんて非常識な生き物、珍しい。幻想郷の魔女だってこう言うだろう、「レア物」だと。
「私だって魔女に負けてないけど」
菫子は手を動かさず教室の机を全てひっくり返した。
オカルトに対抗意識を抱くくらい自意識過剰な彼女だが、実際超能力者である。このくらい、朝飯前。
しかし手掛かりらしき物は落ちてこない。やはり、最大のヒントは手帳にある。
幸い口語で書かれているので、菫子は眠たくなるような古文の授業を思い出さずに済んだ。
魔女を見た、という噂は、下の学年に広まっている。
頭の幼い奴等は容易に信じるらしい。
次のサバトは逢魔ガ刻に中庭で。
忍び連れ込んで、今度こそ魔族を目にしてやる。
その後には何人かの人名、おそらく生徒の、が記述されていた。これは、「忍び連れ込む」協力者のリストだろうか。
更にページを捲ってみると、今度は梵字で埋め尽くされていた。ルーン文字をマスターした菫子もサンスクリットまでは読めない。暗号だとしても、見当もつかなかった。
俄然、挑戦心に火が付き、宇佐見の末裔は後を追った。
4.Oriental Magician
中庭は廊下の窓から見えていて、辿り着くのは容易い。
テレポートの使える菫子なら尚更だ。
壁を突き破る事も無く、すとんと落下する。長年手入れされずに自然の森と化した地に。まるで魔女に呼び出された眷属のように。
まさしく、太古の魔女に誘導されてしまった。
何せ、外庭を覗く教室の窓が一つも見つからない方が、よっぽど不思議なのに気付かない。手玉に取られていると気付かない。
生い茂る草花はどこかドギツイというか、毒々しい色合いをしている。
確かに魔力の痕跡は、今もある。魔法も科学と同じで、周囲の環境を変化させるほど大規模な実験は、歴史上度々行われてきた。
菫子が手帳を開くと、白紙に新たな文字が浮かび上がった。手品でなければ、魔法で。
東深魅の魔女に近づいた。
五人は魔物に変えられた。
私は恐ろしい。古の魔法の力が。
加えて、魔法陣らしき模様が書き殴られていく。今まさに、手帳の持ち主が半狂乱になって写したみたいに。
菫子は驚いたていで手帳を閉じてみせるも、内心むしろワクワクし始めていた。
先祖と同じ行動を取るに応じて新しく記述が増えるだなんて、もしかすると、他の場所へ行けばまた追加されるかもしれない――ゲームめいて面白い、と。
フラグを立ててルートを進むようなゲームは、一人でも遊べるので菫子の好物だった。気分は、魔女退治の勇者の血を引く、ロールプレイングゲームの主人公だ。
しかし、すぐ後悔することになる。
魔女は常に上手で、罠に嵌った生贄を弄ぶ。
5.狂気の瞳 ~ Invisible Full Moon
繁みから、目玉のお化けが躍り出た。
一つ一つが人間一人分くらいの大きさはあろう。
全部で五体。いや五人か、と菫子は直感した。手帳に記された元人間の魔物と、頭数が一致する。
「うわっ、何これ……ってこれくらいじゃ驚かないわー」
幻想郷にはもっと恐ろしい妖怪がいる。地上の妖怪をも恐れさせる神様が月にいるらしい。それらと比べたらただの目玉なんて……。
余裕満々の菫子はテレキネシスで近くの木を引っこ抜き、化け物にぶつけた。しかしその時、目玉から放たれた光線が消し炭にし、彼女のスカートをも掠めた。
傷口は熱く、背筋はひんやり。
しかし、怯んでもいられない。眷属が現れたということは、東深魅の魔女と接触する最大のチャンスである。
五つの目玉の奥に、金髪を揺らして逃げる少女の姿。
「待ちなさい、魔女! ……えっ嘘でしょ?」
テレポートで追いついた矢先、後方にあるはずの目玉に囲まれた。自分が使える超能力を相手も使えると考えなかった、増長が危機を招いた。
一斉に放たれる光線。咄嗟に菫子はテレキネシスで地面を吹き上げる。
土煙の中で光が拡散し、殺傷力を失う。理系の学生なれば知る光の性質の応用だ。もう一つ、目潰しの効果も期待する菫子だったが、その程度で倒せる魔物でもなかった。
二度目のテレポートで、校舎の中に逃げ込む。
親玉の方は見失い、目玉の怪物は尚も迫りくる……が、狭い通路には一体ずつしか入れないのが幸いであった。
赤い瞳に見張られながら、菫子は探した。武器になるような物を。
「あーあ、こんな奴、3Dプリンターガンさえ持って来てれば……」
6.魔鏡
錆びついたものの鉄製の工具を見つけた菫子は、それを目玉にぶつけて撃退することが出来た。
ヘトヘトになって廊下の隅に腰掛けた途端、後ろから横に人影が過ぎった。先の目玉を操る金髪の娘に違いない。慌てて立ち上がり、菫子はまたもテレポートを使う。
「お前が東深魅の魔女ね! 捕まえたわー」
しかし、掴みかかった途端、すり抜けた。そいつが小さな蝙蝠に変化して。魔女というより、吸血鬼の技だ。
菫子はますます謎の魔女に夢中になった。
逃げる蝙蝠はすばしっこく、中々捕まえ難い。しかし、人が入れない管などに潜り込めばお仕舞いなのに、そうはせず飛ぶ。誘導するかのように、誘惑するかのように。。
やがて玄関へと辿り着く。ひらひら舞う紫の羽を追って、ついに、菫子は学校の外へ出た。
待ち受けていたのは、驚愕の光景。空は赤褐色に塗り潰され、その下に黒い海がうねる。ザバーっと音を立てて、波打ち際に立ち尽くす菫子の足を絡めとる。すでに流されたらしい校舎の一部が、廃墟のオブジェと化していた。
おおよそ、女子高生の貧困な想像力が思い描く、世界の終わりみたいな景色が、どこまでも広がっていく。
「やっぱり、私、夢を見てるんだ……こんなとこ、現実にないし」
「ここは夢の世界ではないわ」
蝙蝠が翼はそのままに、金髪の女の子に戻る。頭と胸元に赤いリボンを付け加えて。
ニタニタ厭味な笑みを浮かべ、彼女は言った。
「さぁ、手帳を開いてごらんなさい」
学校が魔界に堕とされた。
「魔界、ですって?」
7.魔界地方都市エソテリア
「そうよ。魔界はよいとこ、一度はおいで、ってね。その手帳の持ち主も悦んでいたわ」
「冗談じゃない。こんな、わけわかんない場所に飛ばされて、帰れないかもしれないのに!」
「訊いてみれば? ウサミマコに。ウサミの子」
くすくす笑いながら、金髪の少女はまたも蝙蝠に変化して、校舎に戻っていった。
一人残された菫子は、手帳をパラパラと捲る。
魔界の物質には何か意思が宿っているようだ。
流石魔法のメッカと呼ばれることはある。
あの海を魔界人は「生命の海」と呼んでいた。
魔物を生み出す意思を、魔界の水は持つのか?
飲んでみたが、直ちに影響はない。
「ちょっと、何を暢気に、御先祖様ってば」
その後もつらつらと、魔界に関する調査結果が箇条書きにされていた。
魔界とは異界の一つで、古くから修験者や調伏師の間で知られていた。そこから現れる妖怪や悪魔を退治したり、あるいは現世の魔物をここに封印したという。
遥か昔、魔神に創造されて以来、魔界は膨張し続けた。最早神さえ把握出来ない程広大。東深見高等女学校が漂着したヴィナ地域も端っこの、片田舎に過ぎないらしい。
「それにしても気になるなー、一体どうやってこんな知識……悪魔とか、魔界人やらから直接? だったら帰る方法をまず訊いてよ」
手帳はこれ以上答えなかった。
とはいえ、宇佐見マ子、と名前の判明した持ち主は元の世界に帰れたはずだ。彼女の血を菫子が引いているなら。そう、楽観的に考えることにした。
――親戚筋だとか、ただの同性の可能性を、頭の片隅に追いやって。
8.ヴワル魔法図書館
ひとまず校内に引き返した菫子は、魔女を探す当てもないので、とりあえず図書室を目指した。
旧制一高のような大図書館、は流石に備わっていない。もっとも、明治四十二年には小学校にも学級文庫があったのだ。女学校でもそれなりに蔵書は蓄えていよう。
大量の本を前にしながら、手帳を開く。すっかりその癖が付いていた。現代人が何かにつけてスマホを弄るみたいに。その方が圧倒的に楽なのだ、今や検索せずともSNSなどを通じて情報が流れてくる。
だからといって、正しい情報が手に入るとは限らない。むしろ、デマという名の妖怪に踊らされることの方が多い。それでも画一的に齧り付く大衆。彼らを見下してきた菫子でさえ、同じ轍を踏ませる魔力を、便利すぎる情報端末は持っていた。
「あれ、おっかしー、全然更新されない」
「当然よウサミ。当時を考えなさいな、女子が学校に行けるようになったとはいえ、まだまだ男社会。それに専門的な魔術書なんて、こんなとこに置かれるはずないじゃない」
「魔女! いつの間に」
「エリス、と呼んでくれる?」
実に妖しい金髪の少女が、背中から翼で身体を包んで、埃と黴を寄せ付けないようにしていた。やはり、本を読む気はないらしい。
「太田はその身勝手さで人を弄びながら、友人を憎むことで後ろめたさを隠した、つまらない奴とは思わない?」
「えーっと、森鴎外の何だっけ。雪国? 現国つまんないのよねー」
「その点、ウサミマコは最高に面白かった。だから、あの子にだけ現実世界と魔界とを行き来する秘鍵を授けたの。探しなさい。貴女も楽しませて頂戴」
ちょうどその時、手帳に浮かび上がる新たな記述を菫子は目にした。
9.アンティークテラー
旧東深見女学校時代にも七不思議があって、その一つが「開かずの岩戸」である。
普段使用している小さな物置の隣に、常に閉まっている立派な倉庫があるのが、生徒にとって得体が知れなかった。鍵を持っていそうな教師も使えない、というより使おうとしないのが。
ところが、全校生でただ一人、岩戸を行き来していた者がいた。
「始めの方で『岩戸は開かず』って書いてたのに、後になって『岩戸に戻る』だなんて……魔女に鍵をもらった? あ、ここかー」
曰くつきの倉庫は校舎裏にひっそりと佇む。菫子はまた化け物が出てこないか、おっかなびっくり近づいた。門が固く閉ざされていて、人を寄せ付けない雰囲気を醸す。
もっとも、超能力者の前では抵抗など無意味だ。
もしやここが異世界へと通じるゲートなのでは、と期待して入った菫子だが、ただ真っ暗なだけの空間が広がっていた。
スマホのLEDライトを灯り代わりにすれば、徐々に浮かび上がる。何十年も前に閉じ込められた、呪詛が。
壁一面に書き殴られた、魔法陣を思わせる模様。そして悪意。血文字のように赤い塗料で、大量の「死」の字。
性質の悪い、いかにも悪い魔女の実験場みたい、と菫子は思った。個人的な理由で「死」も忌々しかった。
その上気味の悪いことに、手帳が勝手に捲れていくではないか。まるで意思を持ったかのように。ライトを浴びて見せつけてくる。
魔界の深秘珠の真の力を解放すれば、夢ではない。
地獄の深秘珠も、やはりここにあるのではないか。
さあ、夢を現にかえるのよ!
――深秘珠。横文字にすればオカルトボール。
かつて蒐集した悪夢が、再び菫子の下に転がってきた。
10.アルティメットトゥルース
宇佐見菫子が霊験あらたかなパワーストーン、オカルトボールを利用して幻想郷の結界を破壊しようとしたのは、つい今夏の出来事だった。それから様々な経験をした今となっては、苦い思い出でもある。
拾った埃まみれの珠を白手袋で綺麗にしながら、過去に思いを馳せる。不思議な縁を感じずにはいられなかった。
これが魔界のオカルトボールなら、難なく帰宅できる。パンドラの箱に残った最後の希望だった。しかし、手帳が示すもう一つの方であれば、繋がるのは地獄であるが。
見た目で判別出来そうになかった、ので躊躇してしまう。
確証欲しさに唯一の手掛かりを参照すれば、ふと、今まで何気なく思っていた記述に引っ掛かりを覚えた。
「東深『見』の魔女を東深『魅』の魔女って書くの、何でだろう。こっから変わってる……そもそも、結局何だったんだ、東深魅の魔女。途中から探してもいないし……」
魔界に着いてからというものの、手記の内容は魔界についてばかり。突然異世界に飛ばされればそうなるのが人間心理だろう、と菫子も思うが、それにしては冷静な筆。
まるで、魔導書のよう。
そう呟いた時だ。一気に現世に戻ってからの記述が追加されたのは。そして菫子は気づく、今まで大きな読み違いをしていたことに。
筆跡は非常に乱雑で、荒々しく、壁の字とも一致した。
許せない。
愚民共め、皆死んでしまうがいい。
魔物を呼び出し現し世を破壊する計画は完璧だった。
なのに、なのに、あいつが邪魔をする。
あいつが、博麗の巫女が。
この私に楯突くあいつが。
この東深魅の魔女に、この宇佐見麻子に。
「そんな、嘘でしょ……御先祖様、貴方が東深魅の魔女だなんて」
11.かわいい悪魔 ~ Innocence
鈍い音と共に、仄暗い倉庫に強烈な光が射しこむ。扉を開いたのは、エリスと名乗ったあの金髪だった。
「オカルトボールは見つかったかい? 魔女の娘」
「じゃあ、貴方は何者よ。魔女じゃないなら」
「私はしがない魔界の悪魔よ。ウサミマコに呼び出され、ちょっと魔法を教えてあげただけの。彼女は類稀な才能があったわ、そのオカルトボールもすぐ使いこなした」
「そして、学校ごと魔界に飛んで、ヤバい奴らを連れて戻ったんだ。でもなんで、こんな……」
同性だけあって、とても他人事ではなかった。自身異変を起こしたことのある菫子にとっては。本当は、なんとなく推察が付いていたが。
手帳には記されていない宇佐見麻子の半生を、生き証人の悪魔は語る。極めて愉快そうに。
麻子は元々東の国の山の中に住んでいた。しかし何やらあったか、わざわざ遠くの東深見高等女学校に通うべく、仲の良かった博麗の巫女と二人で出てきたという。
博麗といっても、「外の世界の博麗神社」の方だ。お蔭で今は誰も住んでいない。肝心の巫女が、魔女と相討ちになったのだから。
何故二人はそのような末路を辿ってしまったか。まさに魔が差した、という他ないだろう。
菫子は森鴎外の「舞姫」を正確に思い出した。
「つまり、お前はエリスじゃなく、相沢だったのね」
「あんな良友の役を演じるだけの奴と一緒にされちゃ困るわ。善かれと思ってあの子を魔女に育てたんじゃない。愛する人間同士がすれ違い、憎み合い、破滅するのが見たくて見たくって、思い出しただけでもたまらないわ!」
見た目こそ愛らしくも、悪魔は悪魔。ついに歪な本性を曝け出した。人の神経を逆撫でるような甘い声で、囁く。
「ネェ、東深魅の魔女を継いでみる気はなぁい?」
12.ラストオカルティズム ~ 現し世の秘術師
「それって、私も御先祖様みたいにお前の操り人形になれってことよね? 絶対お断りです!」
「拒否権なんてないよ。絶対に逃してあげない。逃げようったって、瞬間移動ごとき初歩の魔法は私にも出来る」
「魔法じゃなくて超能力なんだけど」
「彼女も魔法的素養を持ってた。ウサミの血には抗えない。貴女だってどうせ、人間は嫌いなんでしょう」
実際、今までの菫子は人を遠ざけてきた。自分は他の者より優れた能力を持ち、故に理解されるはずがない、と。
人払いの為にオカルトサークルを作り、魔の道にのめり込み、興味本位で幻想郷を破滅へと導きかけた。自分自身でさえどうなろうと知ったことではない、と。
けれども彼女は知った。教わった。先祖とは逆の道を、よりにもよって博麗の巫女から。
だから答えた。悪魔にではなく、巫女達に応えた。
「私は東深見高校一年、宇佐見菫子。東深見高等女学校の宇佐見麻子ではないし、東深魅の魔女なんかでもない! 真・秘封倶楽部会長として最初の大仕事をします。曝いてしまった秘密はこの手で封じてみせる!」
「ほざくな人間! すでに詰みよ」
金髪の悪魔は瞬きするよりも早く、菫子に襲い掛かる。
背後にワープしての奇襲。もっとも、これは予知されていた。その瞬間、超能力者は「弾幕ごっこ」で済む相手ではないと判断し、「死」の字が書かれた壁をテレキネシスで引き寄せる。躊躇いなく頭を狙い。
だがこの程度では致命傷に至らない。肉体的な強さでは人間よりも遥かに上。悪魔の見下した顔が再生される。先に倒されたはずの魔眼まで、周りに浮かべて。
「これ以上、何が出来るというの?」
「……もうオカルトボールの力を解放するしか無い」
怪物達は一斉に笑った。菫子が持っているのは魔界の珠ではなく、使っても地獄に落ちるだけと知っていたのだ。
なのに――菫子の思い通りに、現世の光景が一部、魔界の空間を割って覗かせた。魔界のパワーストーンが一つと限らない。過去の宇佐見が遺した手帳が、オカルトボールと化した。
*幻視せよ! 異世界の狂気を*
不思議を否定する現実が、光となって流れ込んでくる。悪魔達はかような精神攻撃に対しては、脆い。魔界という一つの幻想世界そのものでさえ。
「ヤメテ、止めて頂戴! こんなことしたら貴女だって、無事じゃあ済まないんだから!」
「私は人間よ、特別じゃなくなるかもしれないけど。でも御先祖様と自分の罪を償わせてもらう、生きてね。夜の夢なんて嘘、夢は現し世となれ!」
東深見高等女学校なんて、実在した記録は残っていない。ましてや魔界など――光は古い校舎を一帯ごと焼き払う。ヴィナの海は悲鳴を上げた。
巻き込まれる前に、摩天楼を映すスクリーンへと、菫子は飛び込む。
ところが一寸先は闇。果たして夢から醒めて現へと戻れたか、あるいは別の夢へと切り替わっただけか、当人も誰も知る由はなかった。
いや、もしかすると、東深魅の魔女なら全て知っているのかもしれない。
魔界の物質で書き直された手帳には、彼女の意思が宿るのも当然。何せ未来の末裔を誘ったのは他でもない、ソレなのだから。
13.テーマ・オブ・イースタンストーリー
結局オカルトボール一つでは、現実世界と魔界の境界を完全に打ち破ることは叶わなかった。
それほどまでに広大な異界なのである。
創造主たる魔神が気付くことさえなかった。
「へぇ、じゃあ、魔界に行ってきたんだ。大変なところでしょ。よく戻って来れたわね」
「まぁ、帰れたというか、夢違えただけというか……ここだってまだ、夢の中なんだし」
「そうだったっけ。すっかり馴染んじゃって」
菫子も、幻想郷に落ち着いてしまったなと思った。博麗の巫女の暢気さが心地良く、安心感を抱かせる。
かつて魔女となる前の宇佐見麻子も、このようなひと時を送っていたのだろうか。そうでないから魔女になってしまったか。彼女の手記は最早語らず、後は空想でしか窺い知れない。
「それにしてもウサミマコだっけ、あんたそっくりの迷惑な奴。どっかで聞き覚えあるんだけど」
「その都度はすみません」
「いいけどね、過去のことだし。精々祟らないように供養してやるのよ」
浅はかな巫女は外の女子高生ですら知ってて当たり前の天神様を例に挙げ、得意げに御霊信仰の話などする。
夢の中なのに、菫子の欠伸が止まらない。聞くふりだけして、興味は外側の博麗神社の方に向いていた。
コインの表裏のような関係と言えようか。なんとなく、賑やかなこことは真逆の、寂れた廃墟を幻視する。未知に既知を、東深見高校に対する東深見高等女学校のイメージを当てはめてみれば。当然、別の可能性だってある。裏側の住人達には確かめようがないけれど。
菫子にとっては、ただ未知なだけだ。
目覚めたならお参りに行こう、御先祖様の分も……などと今後の秘封倶楽部の活動予定を、密かに組み立てるのであった。
宇佐見菫子は夢を見た。
最近の彼女にとって夢を見る事とは、幻想郷という別の世界に行く事であった。現の女子高生とは別の自分、幻の超能力者となって。
なのに、夢を見た。
幻の世界と夢の世界は、決定的に違う。ここには、人里離れた山奥の神社も、迷わせるほどの広さの竹林も、今や馴染みとなったファンタジーは見つけられない。
「髭面のユダヤ人が判断した通りじゃない」
菫子の目の前には彼女の心象風景がぼんやりと映っている。つまらない東深見高校がぐにゃぐにゃ蠢いては、化物の如く口を開けて飲み込もうとしていた。
現実にはありえない光景。ただし菫子は学校をそういう物と考えていた。
「どうしてこんな悪夢、見てしまうのかしら」
「はたして悪夢かしら?」
校舎が答えた。同時に校門から何かが飛び出す。
これが悪夢でなければ何を悪夢と言うのか、と厭な顔をしながらも、無視できない。彼女の好奇心がそれを拾いに行かせた。
東深見高等女学校 宇佐見×子
何かと思えば、生徒手帳。
だが菫子には見覚えがない。見た目があまりに古めかしい。校名も微妙に違っているし、掠れて読めない部分には別の字が入るだろう。
そんな捻じれた夢の世界に、白黒の珠を体に纏わりつけた少女が浮かんでいる。人を小馬鹿にしたような口元から警告を発するも、夢見る者に届くことなく消えていく。
――もう、景色は移り変わってしまっていた。
2.不思議の国のアリス
東深見高校に伝わる七不思議の一つに「消えた旧東深見女学校」というのがある。
何でも戦前にも東深見の名を冠する女学校が建っていたのだが、跡形も無くなってしまったらしい。今の校舎は二代目である、という噂だ。
そんな記録はどこにも残っていない。少なくともインターネット上には。
もし実在したとしても空襲で焼け落ちたとかだろう、よくある話で何も面白くない。そもそもそんなもの、なんで七不思議に数えられる?
――この時までは菫子もそう思っていた。しかし確実な証拠を手に入れてしまったのだ。女学生の手帳を開いてみれば、古い日本語が書かれている。
そして何よりも、足を踏み入れてしまった。「旧東深見女学校」の校舎と思しき場所に。「消えた」はずなのに。
煤汚れた廊下は、夢にしては現実味がありすぎる。
最早、他のどの七不思議も不思議ではなくなった。ここに比べれば。
ミシミシと歩く度に音がする。教室を覗いても誰もいない。普段菫子が通っている高校とは段違いだ。
彼女は皆の知らない東深見を独り占めにして、堪能していた。しかしこうも誰もいないと張り合いがないし、あくまで学校は学校。変わり映えしない景色に飽き始め、手帳の方に目移りする。
「あら、この字……」
興味の無い校訓などは読み飛ばしていくと、持ち主が遺したらしいメモに行き当たった。
簡潔に力強い筆で、こう書かれている。
東深見には魔女が潜んでいる。必ず証明してみせる。
不思議が不思議を呼べば、宇佐見の血は争えなくなる。
3.年中夢中の好奇心
「なーんだ、御先祖様も秘密を曝く者だったんだー。私が初代のはずなのに」
菫子は自分が特別な人間だと信じて疑わず生きていた。それ故先に学校のオカルトを調査していた同姓の人物に、憧憬と嫉妬、両方の感情を抱いた。
とにもかくにも東深見に潜む魔女とは何なのか、気になって仕方がない。幻想郷に行けば魔女など珍しくもないが、よりにもよって身近なところにいた、となれば話は別である。
昔のことといっても精々百年前くらいの、文明開化の後となれば、魔女なんて非常識な生き物、珍しい。幻想郷の魔女だってこう言うだろう、「レア物」だと。
「私だって魔女に負けてないけど」
菫子は手を動かさず教室の机を全てひっくり返した。
オカルトに対抗意識を抱くくらい自意識過剰な彼女だが、実際超能力者である。このくらい、朝飯前。
しかし手掛かりらしき物は落ちてこない。やはり、最大のヒントは手帳にある。
幸い口語で書かれているので、菫子は眠たくなるような古文の授業を思い出さずに済んだ。
魔女を見た、という噂は、下の学年に広まっている。
頭の幼い奴等は容易に信じるらしい。
次のサバトは逢魔ガ刻に中庭で。
忍び連れ込んで、今度こそ魔族を目にしてやる。
その後には何人かの人名、おそらく生徒の、が記述されていた。これは、「忍び連れ込む」協力者のリストだろうか。
更にページを捲ってみると、今度は梵字で埋め尽くされていた。ルーン文字をマスターした菫子もサンスクリットまでは読めない。暗号だとしても、見当もつかなかった。
俄然、挑戦心に火が付き、宇佐見の末裔は後を追った。
4.Oriental Magician
中庭は廊下の窓から見えていて、辿り着くのは容易い。
テレポートの使える菫子なら尚更だ。
壁を突き破る事も無く、すとんと落下する。長年手入れされずに自然の森と化した地に。まるで魔女に呼び出された眷属のように。
まさしく、太古の魔女に誘導されてしまった。
何せ、外庭を覗く教室の窓が一つも見つからない方が、よっぽど不思議なのに気付かない。手玉に取られていると気付かない。
生い茂る草花はどこかドギツイというか、毒々しい色合いをしている。
確かに魔力の痕跡は、今もある。魔法も科学と同じで、周囲の環境を変化させるほど大規模な実験は、歴史上度々行われてきた。
菫子が手帳を開くと、白紙に新たな文字が浮かび上がった。手品でなければ、魔法で。
東深魅の魔女に近づいた。
五人は魔物に変えられた。
私は恐ろしい。古の魔法の力が。
加えて、魔法陣らしき模様が書き殴られていく。今まさに、手帳の持ち主が半狂乱になって写したみたいに。
菫子は驚いたていで手帳を閉じてみせるも、内心むしろワクワクし始めていた。
先祖と同じ行動を取るに応じて新しく記述が増えるだなんて、もしかすると、他の場所へ行けばまた追加されるかもしれない――ゲームめいて面白い、と。
フラグを立ててルートを進むようなゲームは、一人でも遊べるので菫子の好物だった。気分は、魔女退治の勇者の血を引く、ロールプレイングゲームの主人公だ。
しかし、すぐ後悔することになる。
魔女は常に上手で、罠に嵌った生贄を弄ぶ。
5.狂気の瞳 ~ Invisible Full Moon
繁みから、目玉のお化けが躍り出た。
一つ一つが人間一人分くらいの大きさはあろう。
全部で五体。いや五人か、と菫子は直感した。手帳に記された元人間の魔物と、頭数が一致する。
「うわっ、何これ……ってこれくらいじゃ驚かないわー」
幻想郷にはもっと恐ろしい妖怪がいる。地上の妖怪をも恐れさせる神様が月にいるらしい。それらと比べたらただの目玉なんて……。
余裕満々の菫子はテレキネシスで近くの木を引っこ抜き、化け物にぶつけた。しかしその時、目玉から放たれた光線が消し炭にし、彼女のスカートをも掠めた。
傷口は熱く、背筋はひんやり。
しかし、怯んでもいられない。眷属が現れたということは、東深魅の魔女と接触する最大のチャンスである。
五つの目玉の奥に、金髪を揺らして逃げる少女の姿。
「待ちなさい、魔女! ……えっ嘘でしょ?」
テレポートで追いついた矢先、後方にあるはずの目玉に囲まれた。自分が使える超能力を相手も使えると考えなかった、増長が危機を招いた。
一斉に放たれる光線。咄嗟に菫子はテレキネシスで地面を吹き上げる。
土煙の中で光が拡散し、殺傷力を失う。理系の学生なれば知る光の性質の応用だ。もう一つ、目潰しの効果も期待する菫子だったが、その程度で倒せる魔物でもなかった。
二度目のテレポートで、校舎の中に逃げ込む。
親玉の方は見失い、目玉の怪物は尚も迫りくる……が、狭い通路には一体ずつしか入れないのが幸いであった。
赤い瞳に見張られながら、菫子は探した。武器になるような物を。
「あーあ、こんな奴、3Dプリンターガンさえ持って来てれば……」
6.魔鏡
錆びついたものの鉄製の工具を見つけた菫子は、それを目玉にぶつけて撃退することが出来た。
ヘトヘトになって廊下の隅に腰掛けた途端、後ろから横に人影が過ぎった。先の目玉を操る金髪の娘に違いない。慌てて立ち上がり、菫子はまたもテレポートを使う。
「お前が東深魅の魔女ね! 捕まえたわー」
しかし、掴みかかった途端、すり抜けた。そいつが小さな蝙蝠に変化して。魔女というより、吸血鬼の技だ。
菫子はますます謎の魔女に夢中になった。
逃げる蝙蝠はすばしっこく、中々捕まえ難い。しかし、人が入れない管などに潜り込めばお仕舞いなのに、そうはせず飛ぶ。誘導するかのように、誘惑するかのように。。
やがて玄関へと辿り着く。ひらひら舞う紫の羽を追って、ついに、菫子は学校の外へ出た。
待ち受けていたのは、驚愕の光景。空は赤褐色に塗り潰され、その下に黒い海がうねる。ザバーっと音を立てて、波打ち際に立ち尽くす菫子の足を絡めとる。すでに流されたらしい校舎の一部が、廃墟のオブジェと化していた。
おおよそ、女子高生の貧困な想像力が思い描く、世界の終わりみたいな景色が、どこまでも広がっていく。
「やっぱり、私、夢を見てるんだ……こんなとこ、現実にないし」
「ここは夢の世界ではないわ」
蝙蝠が翼はそのままに、金髪の女の子に戻る。頭と胸元に赤いリボンを付け加えて。
ニタニタ厭味な笑みを浮かべ、彼女は言った。
「さぁ、手帳を開いてごらんなさい」
学校が魔界に堕とされた。
「魔界、ですって?」
7.魔界地方都市エソテリア
「そうよ。魔界はよいとこ、一度はおいで、ってね。その手帳の持ち主も悦んでいたわ」
「冗談じゃない。こんな、わけわかんない場所に飛ばされて、帰れないかもしれないのに!」
「訊いてみれば? ウサミマコに。ウサミの子」
くすくす笑いながら、金髪の少女はまたも蝙蝠に変化して、校舎に戻っていった。
一人残された菫子は、手帳をパラパラと捲る。
魔界の物質には何か意思が宿っているようだ。
流石魔法のメッカと呼ばれることはある。
あの海を魔界人は「生命の海」と呼んでいた。
魔物を生み出す意思を、魔界の水は持つのか?
飲んでみたが、直ちに影響はない。
「ちょっと、何を暢気に、御先祖様ってば」
その後もつらつらと、魔界に関する調査結果が箇条書きにされていた。
魔界とは異界の一つで、古くから修験者や調伏師の間で知られていた。そこから現れる妖怪や悪魔を退治したり、あるいは現世の魔物をここに封印したという。
遥か昔、魔神に創造されて以来、魔界は膨張し続けた。最早神さえ把握出来ない程広大。東深見高等女学校が漂着したヴィナ地域も端っこの、片田舎に過ぎないらしい。
「それにしても気になるなー、一体どうやってこんな知識……悪魔とか、魔界人やらから直接? だったら帰る方法をまず訊いてよ」
手帳はこれ以上答えなかった。
とはいえ、宇佐見マ子、と名前の判明した持ち主は元の世界に帰れたはずだ。彼女の血を菫子が引いているなら。そう、楽観的に考えることにした。
――親戚筋だとか、ただの同性の可能性を、頭の片隅に追いやって。
8.ヴワル魔法図書館
ひとまず校内に引き返した菫子は、魔女を探す当てもないので、とりあえず図書室を目指した。
旧制一高のような大図書館、は流石に備わっていない。もっとも、明治四十二年には小学校にも学級文庫があったのだ。女学校でもそれなりに蔵書は蓄えていよう。
大量の本を前にしながら、手帳を開く。すっかりその癖が付いていた。現代人が何かにつけてスマホを弄るみたいに。その方が圧倒的に楽なのだ、今や検索せずともSNSなどを通じて情報が流れてくる。
だからといって、正しい情報が手に入るとは限らない。むしろ、デマという名の妖怪に踊らされることの方が多い。それでも画一的に齧り付く大衆。彼らを見下してきた菫子でさえ、同じ轍を踏ませる魔力を、便利すぎる情報端末は持っていた。
「あれ、おっかしー、全然更新されない」
「当然よウサミ。当時を考えなさいな、女子が学校に行けるようになったとはいえ、まだまだ男社会。それに専門的な魔術書なんて、こんなとこに置かれるはずないじゃない」
「魔女! いつの間に」
「エリス、と呼んでくれる?」
実に妖しい金髪の少女が、背中から翼で身体を包んで、埃と黴を寄せ付けないようにしていた。やはり、本を読む気はないらしい。
「太田はその身勝手さで人を弄びながら、友人を憎むことで後ろめたさを隠した、つまらない奴とは思わない?」
「えーっと、森鴎外の何だっけ。雪国? 現国つまんないのよねー」
「その点、ウサミマコは最高に面白かった。だから、あの子にだけ現実世界と魔界とを行き来する秘鍵を授けたの。探しなさい。貴女も楽しませて頂戴」
ちょうどその時、手帳に浮かび上がる新たな記述を菫子は目にした。
9.アンティークテラー
旧東深見女学校時代にも七不思議があって、その一つが「開かずの岩戸」である。
普段使用している小さな物置の隣に、常に閉まっている立派な倉庫があるのが、生徒にとって得体が知れなかった。鍵を持っていそうな教師も使えない、というより使おうとしないのが。
ところが、全校生でただ一人、岩戸を行き来していた者がいた。
「始めの方で『岩戸は開かず』って書いてたのに、後になって『岩戸に戻る』だなんて……魔女に鍵をもらった? あ、ここかー」
曰くつきの倉庫は校舎裏にひっそりと佇む。菫子はまた化け物が出てこないか、おっかなびっくり近づいた。門が固く閉ざされていて、人を寄せ付けない雰囲気を醸す。
もっとも、超能力者の前では抵抗など無意味だ。
もしやここが異世界へと通じるゲートなのでは、と期待して入った菫子だが、ただ真っ暗なだけの空間が広がっていた。
スマホのLEDライトを灯り代わりにすれば、徐々に浮かび上がる。何十年も前に閉じ込められた、呪詛が。
壁一面に書き殴られた、魔法陣を思わせる模様。そして悪意。血文字のように赤い塗料で、大量の「死」の字。
性質の悪い、いかにも悪い魔女の実験場みたい、と菫子は思った。個人的な理由で「死」も忌々しかった。
その上気味の悪いことに、手帳が勝手に捲れていくではないか。まるで意思を持ったかのように。ライトを浴びて見せつけてくる。
魔界の深秘珠の真の力を解放すれば、夢ではない。
地獄の深秘珠も、やはりここにあるのではないか。
さあ、夢を現にかえるのよ!
――深秘珠。横文字にすればオカルトボール。
かつて蒐集した悪夢が、再び菫子の下に転がってきた。
10.アルティメットトゥルース
宇佐見菫子が霊験あらたかなパワーストーン、オカルトボールを利用して幻想郷の結界を破壊しようとしたのは、つい今夏の出来事だった。それから様々な経験をした今となっては、苦い思い出でもある。
拾った埃まみれの珠を白手袋で綺麗にしながら、過去に思いを馳せる。不思議な縁を感じずにはいられなかった。
これが魔界のオカルトボールなら、難なく帰宅できる。パンドラの箱に残った最後の希望だった。しかし、手帳が示すもう一つの方であれば、繋がるのは地獄であるが。
見た目で判別出来そうになかった、ので躊躇してしまう。
確証欲しさに唯一の手掛かりを参照すれば、ふと、今まで何気なく思っていた記述に引っ掛かりを覚えた。
「東深『見』の魔女を東深『魅』の魔女って書くの、何でだろう。こっから変わってる……そもそも、結局何だったんだ、東深魅の魔女。途中から探してもいないし……」
魔界に着いてからというものの、手記の内容は魔界についてばかり。突然異世界に飛ばされればそうなるのが人間心理だろう、と菫子も思うが、それにしては冷静な筆。
まるで、魔導書のよう。
そう呟いた時だ。一気に現世に戻ってからの記述が追加されたのは。そして菫子は気づく、今まで大きな読み違いをしていたことに。
筆跡は非常に乱雑で、荒々しく、壁の字とも一致した。
許せない。
愚民共め、皆死んでしまうがいい。
魔物を呼び出し現し世を破壊する計画は完璧だった。
なのに、なのに、あいつが邪魔をする。
あいつが、博麗の巫女が。
この私に楯突くあいつが。
この東深魅の魔女に、この宇佐見麻子に。
「そんな、嘘でしょ……御先祖様、貴方が東深魅の魔女だなんて」
11.かわいい悪魔 ~ Innocence
鈍い音と共に、仄暗い倉庫に強烈な光が射しこむ。扉を開いたのは、エリスと名乗ったあの金髪だった。
「オカルトボールは見つかったかい? 魔女の娘」
「じゃあ、貴方は何者よ。魔女じゃないなら」
「私はしがない魔界の悪魔よ。ウサミマコに呼び出され、ちょっと魔法を教えてあげただけの。彼女は類稀な才能があったわ、そのオカルトボールもすぐ使いこなした」
「そして、学校ごと魔界に飛んで、ヤバい奴らを連れて戻ったんだ。でもなんで、こんな……」
同性だけあって、とても他人事ではなかった。自身異変を起こしたことのある菫子にとっては。本当は、なんとなく推察が付いていたが。
手帳には記されていない宇佐見麻子の半生を、生き証人の悪魔は語る。極めて愉快そうに。
麻子は元々東の国の山の中に住んでいた。しかし何やらあったか、わざわざ遠くの東深見高等女学校に通うべく、仲の良かった博麗の巫女と二人で出てきたという。
博麗といっても、「外の世界の博麗神社」の方だ。お蔭で今は誰も住んでいない。肝心の巫女が、魔女と相討ちになったのだから。
何故二人はそのような末路を辿ってしまったか。まさに魔が差した、という他ないだろう。
菫子は森鴎外の「舞姫」を正確に思い出した。
「つまり、お前はエリスじゃなく、相沢だったのね」
「あんな良友の役を演じるだけの奴と一緒にされちゃ困るわ。善かれと思ってあの子を魔女に育てたんじゃない。愛する人間同士がすれ違い、憎み合い、破滅するのが見たくて見たくって、思い出しただけでもたまらないわ!」
見た目こそ愛らしくも、悪魔は悪魔。ついに歪な本性を曝け出した。人の神経を逆撫でるような甘い声で、囁く。
「ネェ、東深魅の魔女を継いでみる気はなぁい?」
12.ラストオカルティズム ~ 現し世の秘術師
「それって、私も御先祖様みたいにお前の操り人形になれってことよね? 絶対お断りです!」
「拒否権なんてないよ。絶対に逃してあげない。逃げようったって、瞬間移動ごとき初歩の魔法は私にも出来る」
「魔法じゃなくて超能力なんだけど」
「彼女も魔法的素養を持ってた。ウサミの血には抗えない。貴女だってどうせ、人間は嫌いなんでしょう」
実際、今までの菫子は人を遠ざけてきた。自分は他の者より優れた能力を持ち、故に理解されるはずがない、と。
人払いの為にオカルトサークルを作り、魔の道にのめり込み、興味本位で幻想郷を破滅へと導きかけた。自分自身でさえどうなろうと知ったことではない、と。
けれども彼女は知った。教わった。先祖とは逆の道を、よりにもよって博麗の巫女から。
だから答えた。悪魔にではなく、巫女達に応えた。
「私は東深見高校一年、宇佐見菫子。東深見高等女学校の宇佐見麻子ではないし、東深魅の魔女なんかでもない! 真・秘封倶楽部会長として最初の大仕事をします。曝いてしまった秘密はこの手で封じてみせる!」
「ほざくな人間! すでに詰みよ」
金髪の悪魔は瞬きするよりも早く、菫子に襲い掛かる。
背後にワープしての奇襲。もっとも、これは予知されていた。その瞬間、超能力者は「弾幕ごっこ」で済む相手ではないと判断し、「死」の字が書かれた壁をテレキネシスで引き寄せる。躊躇いなく頭を狙い。
だがこの程度では致命傷に至らない。肉体的な強さでは人間よりも遥かに上。悪魔の見下した顔が再生される。先に倒されたはずの魔眼まで、周りに浮かべて。
「これ以上、何が出来るというの?」
「……もうオカルトボールの力を解放するしか無い」
怪物達は一斉に笑った。菫子が持っているのは魔界の珠ではなく、使っても地獄に落ちるだけと知っていたのだ。
なのに――菫子の思い通りに、現世の光景が一部、魔界の空間を割って覗かせた。魔界のパワーストーンが一つと限らない。過去の宇佐見が遺した手帳が、オカルトボールと化した。
*幻視せよ! 異世界の狂気を*
不思議を否定する現実が、光となって流れ込んでくる。悪魔達はかような精神攻撃に対しては、脆い。魔界という一つの幻想世界そのものでさえ。
「ヤメテ、止めて頂戴! こんなことしたら貴女だって、無事じゃあ済まないんだから!」
「私は人間よ、特別じゃなくなるかもしれないけど。でも御先祖様と自分の罪を償わせてもらう、生きてね。夜の夢なんて嘘、夢は現し世となれ!」
東深見高等女学校なんて、実在した記録は残っていない。ましてや魔界など――光は古い校舎を一帯ごと焼き払う。ヴィナの海は悲鳴を上げた。
巻き込まれる前に、摩天楼を映すスクリーンへと、菫子は飛び込む。
ところが一寸先は闇。果たして夢から醒めて現へと戻れたか、あるいは別の夢へと切り替わっただけか、当人も誰も知る由はなかった。
いや、もしかすると、東深魅の魔女なら全て知っているのかもしれない。
魔界の物質で書き直された手帳には、彼女の意思が宿るのも当然。何せ未来の末裔を誘ったのは他でもない、ソレなのだから。
13.テーマ・オブ・イースタンストーリー
結局オカルトボール一つでは、現実世界と魔界の境界を完全に打ち破ることは叶わなかった。
それほどまでに広大な異界なのである。
創造主たる魔神が気付くことさえなかった。
「へぇ、じゃあ、魔界に行ってきたんだ。大変なところでしょ。よく戻って来れたわね」
「まぁ、帰れたというか、夢違えただけというか……ここだってまだ、夢の中なんだし」
「そうだったっけ。すっかり馴染んじゃって」
菫子も、幻想郷に落ち着いてしまったなと思った。博麗の巫女の暢気さが心地良く、安心感を抱かせる。
かつて魔女となる前の宇佐見麻子も、このようなひと時を送っていたのだろうか。そうでないから魔女になってしまったか。彼女の手記は最早語らず、後は空想でしか窺い知れない。
「それにしてもウサミマコだっけ、あんたそっくりの迷惑な奴。どっかで聞き覚えあるんだけど」
「その都度はすみません」
「いいけどね、過去のことだし。精々祟らないように供養してやるのよ」
浅はかな巫女は外の女子高生ですら知ってて当たり前の天神様を例に挙げ、得意げに御霊信仰の話などする。
夢の中なのに、菫子の欠伸が止まらない。聞くふりだけして、興味は外側の博麗神社の方に向いていた。
コインの表裏のような関係と言えようか。なんとなく、賑やかなこことは真逆の、寂れた廃墟を幻視する。未知に既知を、東深見高校に対する東深見高等女学校のイメージを当てはめてみれば。当然、別の可能性だってある。裏側の住人達には確かめようがないけれど。
菫子にとっては、ただ未知なだけだ。
目覚めたならお参りに行こう、御先祖様の分も……などと今後の秘封倶楽部の活動予定を、密かに組み立てるのであった。