これまで二回戦は、坤神と華人、毘沙門天と尸解仙、小人と小鬼という、いずれも魅力的な組み合わせを見せてきた。それでも、実力差はどうあれ次の試合を二回戦で最も注目している観客は少なくない。
興奮を抑えきれないのかざわめいている客席の声が少し遮られる場所である選手入場口前の廊下に、八雲藍は腕を組んで立っていた。一回戦とは違い、彼女にしては珍しい程に目には殺気が宿っていた。
「藍……様……」
背後から式である橙が近付いてくる事は分かっていたが、思っていたより離れた距離から話しかけられた事が意外で、振り向いた八雲藍はやや目を丸くした。
「おぉ、橙か。どうした? 紫様の隣に座ったままでいいんだぞ?」
口元は笑みを見せている藍に対し迷いつつも、橙はおずおずと問う。
「怒って……ます?」
その問いに、笑みのまま表情が固まった藍は背を向けた。
「さすが私の式……いや、橙とはいえ悟らせるつもりはなかったのだが。……私もまだまだ紫様には及ばないようだ」
さとりの選手入場を促す口上が廊下に響く。
「さて……すまないが時間が来た。行ってくるよ、橙」
「あ……あの……!」
「ん?」
いざとなったら自分を呼び出してほしい。そう言おうとした橙だったが、藍の澄ましたような表情から放たれる眼差しがそれを制した。
「あ……な……何でもありません」
「そうか。じゃあ行ってくる。紫様の隣で、私の勝利を見ていてくれ」
「……行ってらっしゃいませ……藍様」
背を向け、闘技場へ歩んでいく藍は心の中で橙に謝罪する。
――すまない。式の想いを汲み取れないようでは主として失格だ。しかし、こいつは私一人で倒すべきだ。橙とあいつを近づけあわせるなど反吐が出る。
既に闘技場の中央に立っていた、化け狸の二ッ岩マミゾウと視線を交わした。何も言わずただ、狐と狸が睨み合う。それだけで不思議と観客は盛り上がり、歓声がより大きくなっていく。観客の一人である魔理砂も高揚しているようだった。
「なーんとなく予想はできるけど、なんか凄いわくわくするな」
「とはいえ、道具は一個までだからね。単純な体術勝負なら藍に分がありそうだけど」
応える霊夢に対し魔理砂は小さく笑った。
「なんだ、霊夢ともあろう者が紫の式の依怙贔屓か。マミゾウの戦いにくさは分かってるだろ?」
宗教家同士の抗争が行われた際、二ッ岩マミゾウも、黒幕への道を示すなど暗躍していた。戦闘面でも、飄々と動き化かすように反撃を与え人気を奪っていった。
「そういえば藍の所に行かないで良かったのか?」
「……私よりも効果ありそうな奴がいるからねぇ」
霊夢は、静かに闘技場へ戻っている橙へ目を向けていた。
一方で、マミゾウが一応所属している命蓮寺勢の面々が座っている場所で、マミゾウの見送りから戻ってきた封獣ぬえに、長である聖白蓮が問いかける。
「マミゾウさんは……『あれ』を……?」
「使うだろうねぇ。相手が九尾なんだし。いいじゃん、弾幕勝負じゃないんだし」
どのような道具であっても持ち込んでよい、という規則には何の文句もないが、白蓮はぬえの言葉を素直に肯定することができなかった。
「それでは、両者離れて」
審判長が淡々と試合進行を行うなか、選手同士の睨み合いは続いていた。
「まぁ、二回戦の相手としては妥当じゃのう」
小声で放たれたマミゾウの言葉は、歓声が飛び交う中でもはっきりと藍の耳に届いた。
「ふん。二連続で寺の者が相手とはな。そして今回は、よりによって狸か」
「ふぉっふぉっ。心配することはないぞえ。八雲紫のいないお主の強さなどたかが知れてる。観客全員分かっておるよ」
挑発に対し、藍はただ視線を落とすだけだった事にマミゾウは訝しげな顔になった。
「お前の言う通りかもしれないな。私は紫様の足元にも及ばない。だが、貴様の言った通りいつまでも紫様の威を借りるなどという情けない姿で居続ける気はない。この大会で優勝する。五回戦と言わず、三十一……三十人を滅ぼすつもりでいかないといけない。鬼が相手でも、相手が狸でもな」
「かたいのう。そんな拳なんぞ受け流すには容易い」
「……試してみるか?」
今すぐにでも一触即発になりそうな雰囲気の中――
「離れなさいっ!」
二人が怯む程である映姫の一喝が闘技場に響き渡った。
閻魔様が出場者でなくて良かったな。とマミゾウは藍に目で伝え、背を向けた。
――紫様と拳を合わせるわけでもないのに、手が震えている……。緊張ではない何か。
藍は紫の座る方を向く。不安気に見つめる橙と目が合った彼女は小さく笑った。
――鬼の様に単細胞ではないが。決勝まで行けば、何か分かるかもしれないな。そのためにも、こんな所で躓いている暇はない!
大人しく狐と狸が離れ、客席に戻った閻魔は険しい表情ながらも一息吐き――
「二回戦第四試合、始め!」
試合開始を宣言した。
両者、強大な妖力を持つであろう狐と狸の対決が始まった事に、試合開始から既に客席の興奮が闘技場を響かせている。どのような化かし合いが始まるかと期待する一方で、その予想に反し、藍とマミゾウは互い、構えもせず歩いて近づきあっていく。あと一歩踏み出せば手が届きそうな距離で両者は立ち止まり、マミゾウは不意に微笑んだ。
「さっきは売り言葉に買い言葉じゃったが……儂はお前さんと戦える事が嬉しくてしょうがないんじゃ」
マミゾウは突然手を差し出した。試合中とは思えないその行動にも、藍は表情を崩さずマミゾウを見据える。
「何はともあれ、まずは握手じゃ」
藍はマミゾウの手と目を交互に見据える。
「怖いか? 儂の手を掴むのが」
マミゾウの言葉に藍は小さく苦笑した。
「いいだろう」
まるで正々堂々と戦う事を誓い合うかのように二人が手を握り合う光景に客席はどよめいている。その中でマミゾウは紫達の座る客席へ目を向けた。
「お前さんは九尾でありながら良い主と手下に恵まれてるのう。……そういえばあの化猫は――」
言葉の途中でマミゾウは突如行動に移る。二人が触れ合っているのは互いに握りあっている手のみ。しかし、手を握り、握られるというだけでもそこには複雑な力の流れが働いている。マミゾウがそれを巧みに操ると目の前にいる藍が視界からずれた。
「なん……じゃと?」
しかし、動かされ片膝を着いていたのはマミゾウの方だった。力の流れを逆手にとってマミゾウの関節を極め、それを更に操りマミゾウの片足までも封じたのだ。藍が、握っている手を落としながら放すと、まるで予め双方で決めていたかのように、マミゾウは綺麗にひっくり返され地を一度転がった。周りからは藍が力尽くでマミゾウをひっくり返したようにしか見えないが、霊夢は瞬時に理解し、苦笑いした。
「柔術……」
「……合気道、ってやつか?」
「まぁ、分かりやすく言えばそうね。藍との組手でよく受けちゃったけど、正直反則よね。萃香や入道使いのように力尽くで投げてるわけじゃないし。常に空を飛ぼうと考えてないと、あっという間に転んじゃうわ」
藍の技に盛り上がる闘技場の中央で、立ち上がったマミゾウは半ば感心したように呆けた表情になっていた。
「いや凄い……。儂以外にも柔を使う奴がいる事は想定していたが、まさか重ねられるとは思いもせんかった」
マミゾウは歩いて藍の前に立ち、再び手を差し出した。
「いやはや、不意打ちなどと言う真似をしてすまんかった。改めて握手じゃ」
実際はマミゾウによる不意打ちだが、観客のほとんどはそれを理解していない。次は対処する、とマミゾウが意気込んで手を差し出していると勘違いした観客は一層騒ぎ立っていた。
――狸め。
藍は今まで以上に鋭い目でマミゾウを睨む。
――不意打ちが来るのは分かっていたが、まさか握手などという単純な手段で来るとは。しかも懲りもせずもう一度。しかし、九尾である私が化け狸ごとき敵ではないと、私以外にもそう思っている者はいる。故に、狸の手を取らない訳にはいかなくなる。単純だが、そういった意味では食わせられてるな。
藍は再びマミゾウの手を取った。後、マミゾウは、今度はすぐに行動する。跳び、両足を藍の肩に掛けた。全身で藍の右腕にしがみ付き体重を掛ける。
「!」
しかし、藍が崩れることは一切なかった事にマミゾウは驚愕する。決して逞しくはない腕に妖怪一人の全体重が掛けられているにも関わらず藍はそれを支えているのだ。
「何故このまま地蔵に化けない?」
マミゾウは言葉を返さなかった。
「貴様と同程度に思ってもらっては困る」
藍はしがみ付いたマミゾウごと右腕を上げる。そして、十二分の勢いを付け、右腕を振り下ろした。誰もが、マミゾウが地面に叩きつけられることを想像した。しかし、振り下ろされるマミゾウの笑っている表情が、藍の目に焼き付けられる。地面に叩きつけられようとしたマミゾウの大きな尻尾が突如少し膨らんだ。弾力を持つ風船のように、マミゾウは自らの尻尾に受け止められ――
「!」
投げられていた勢いを利用し、依然右腕にしがみ付いている藍の身体を浮かせた。マミゾウの尻尾を支点として二人は回り、外側にいる藍は勢いよく地面に叩きつけられた。
――しまった……この体勢は……!
背中を叩きつけられ仰向けになった藍の右腕にしがみ付き続けていたマミゾウは最後の行動に出る。怯みによって力が消えた藍の右肘を本来曲がる方向とは逆の方向へ力を掛けた。
「がっ……!」
高いとも低いとも言えない音が一瞬だけ闘技場中に響き、藍はそれに加え電流のような激痛が右腕に走った。マミゾウはゆっくりと立ち上がり、まるで藍がなぜ仰向けになっているのか解らないかのような態度で口を開く。
「起きんかい。起きて戦いを始めるぞ」
マミゾウの言葉に、客席からは侮蔑と感嘆の言葉がそれぞれ飛び交った。化け狸の行いはあまりに汚すぎる。狸が九尾を見事化かした。と。
「おやおや。八雲紫の式ともあろう者が擁護されとるぞい。まさか、卑怯とは言うまいな?」
マミゾウの言葉に対し藍はすぐ様立ち上がる。
「何を言っている。丁度いいハンデだ」
物珍しそうに破壊された肘に触れていく。
――折れてはいない……綺麗に外されている。
五体が砕け散っても時間さえあればいずれ完治する事ができる妖怪とは違うが、藍程の力を持つ妖獣ならば例え腕を切断されても、それが残ってさえいれば回復するのに長い時間は要さないだろう。
――もう先程のように針が落ちている事もない。
二回戦第三試合で針妙丸が見せた、一回戦第五試合の時に隠した針を道具として扱われなくして規則の穴を突く戦法。それを審判長である映姫は、先程こそ見過ごさざるを得なかったものの、心中激昂し、これから毎試合事に闘技場に残った異物をスキマによって排除するよう紫に命じていた。巨大化した小鬼の一撃によって陥没した地面もすっかり元通りになっている。
――ならば自力で不意打ちするしかないか。
「少々恰好が悪いが仕方ない」
肘が外れている右腕を左手で無理やり腰の側に固定する。
「攻撃するなら今の内だぞ」
藍の言葉に対しマミゾウは攻めようとはしなかった。言葉を放ってすぐ、突如その場で前に宙返りをした藍の様子を見た。着地した藍は再び地面を蹴り宙返りをする。しかし今度のそれは一度の跳躍で二度回った。そして着地し再び跳ね、しかし今度は三回転した。それは紛れもなき攻撃手段だと既に気が付いているのは藍と戦った事がある者達と、それぞれ彼女の式と主である橙と紫だけであり、当のマミゾウは、藍が五回転の宙返りをしたその時も、ただ様子を見ていた。
まだ宙返りをするのか、それとも終わるのか。そんな事をマミゾウが思う中、藍は再び着地する。そしてまたも地面を離れた。
「!」
その軌道を真上ではなく、猛烈な速度を含みマミゾウに向けた。しまったと思った時には、咄嗟の防御が間に合ったにも関わらずマミゾウの身体は向かいの結界まで吹き飛ばされた。言ってしまえばそれは只の、回転しながらの体当たりである。しかし、幻想郷に住む少女達の中では、妖力の溜まった九尾の分もあり藍は軽い方ではない。その体重を回転しつつ高速でぶつけるのだから相当な破壊力が生まれる。膝は曲げられ最早球体のようになっている藍はマミゾウに当たって跳ね返り、結界に足を着け、点対称となる位置にいるマミゾウに向かい再び襲い掛かる。いくらかの動揺はあるもののマミゾウはすぐに上へ飛び藍の攻撃を回避する。藍の戦法は空を飛べない人間同士の戦いならば上等だっただろう、とマミゾウは思った。こうして空へ逃げてしまえば、視界が回っている中で自分の姿を捉える事はできない。そうマミゾウが思った瞬間、強烈な衝撃が背中に叩き付けられた。
「がっ! なん……と……!?」
藍の踵が背中にぶつけられていた。反撃を試みようと思った時には既に、丸まった体勢のまま近い部分の結界に向かい藍は落ちていく。空中へ逃げるという動きを読まれたのかと一瞬思いつつも、マミゾウは瞬時に一つの仮定に辿り着けた。
それに答えるかのように魔理沙は口を開く。
「見えてるんだから凄いよな」
「見えている?」
幽香が反応したので魔理沙は言葉を続ける。
「何て言ったらいいか……。悔しいけど藍は目茶苦茶頭がいいんだ。脳の構造的な意味でもな」
吸血鬼はともかく妖獣に脳はあるだろう。と魔理沙は頭の中で結論付けた。
「私が今の藍のような事をしてもきっと目を回す。一瞬で変化する視界に脳が追いつかないからな。でも藍はそれができる。一瞬一瞬を写真のように記憶して、更に整理してもまだ、あいつの頭は十パーセントも使われてないかもな」
闘技場中を縦横無尽に跳ねる、文字通り丸くなった藍はマミゾウへ次々と攻撃を当てている。
「今のあいつの視界は回ってる。だからそもそも死角なんてないんだ。上下左右、そして前後関係なく三六〇度全部見えてるんだよ」
魔理沙の言っている事は概ね当たっており。回る事によって藍の視界に死角というものはほぼ存在しなくなっている。マミゾウが攻撃をかわそうとしても、先を読んだかのように跳ぶ位置を調節して、結界から離れた瞬間にはマミゾウに更なる一撃を入れていた。
最早逃げ場はないかと思うような状況であるがマミゾウは冷静に逆転の策を練っていた。回っていて死角がないとはいえ、藍は別に妖力等で守られているわけではない。今、藍の身体は前方へ宙返りし続けている。それが、マミゾウが見つけた彼女の弱点だった。
藍の攻撃を捌きつつマミゾウは静かに機会を待つ。五感を研ぎ澄まし、藍に及ばなくとも計算する。視覚によって藍が背後から来る瞬間を予測し、聴覚で藍が背後の結界を蹴った事を察知し、嗅覚で憎々しき狐が近づいてくる事に反応した。
「そこじゃ!」
前方に回り続ける藍に向け、振り返ったマミゾウは下からの掌底を放った。勝手に向かってくる藍の顔面を吹き飛ばすが如く。しかし目の前に藍の姿はなく、掌底を放ち上がりきった右腕には藍の帽子が被せられていた。背後から感じた臭いはこれだった、とマミゾウが気づいた時、藍は既に彼女の背後にいて、左手を斜めに振り上げていた。
「終わりだ」
手は振り下ろされ、マミゾウの首が切断されようとした瞬間、咄嗟に生んだ球体結界に藍の攻撃は阻まれた。舌打ちしつつ藍は強引に結界を押し、それ事マミゾウを吹き飛ばす。しかし、そもそもマミゾウの意思によって生み出された結界は本人の意思によって消え、あっさりと地上に着地された。
「儂ともあろうものが情けない。お前さんの道具が何なのかはともかく、道具でも何でもない帽子をそう使うとは」
帽子を回す事に飽きたマミゾウによってそれは放り投げられ、綺麗な弧を描き藍の元へ返った。
――私とした事が。物部布都の試合を見ておきながら、何故こいつもチキンガードをすると思っていなかったのだ。それを破壊できる力を溜めておかなかったのは完全に私の誤算だ。だが、一応は奴を追い詰めた。
今のマミゾウが行った防御は、丁度の瞬間に防いだ素晴らしい防御、ととれるかもしれない。しかし観客にとって結界防御の印象は、第二試合で乱用した物部布都のせいで、逃げの印象が強くなっていた。マミゾウ側ではない妖怪達は我先にという勢いで彼女を批判し始めている。
「これは思った以上に痛いのう」
マミゾウが苦笑いしつつ顎を掻く中、藍も地上へと降り立った。
「これで貴様に逃げる事は許されんぞ」
「……ふん。残念じゃが、神社で眺めていただけの狐さんと違って、儂はこういう状況になっても逆転する方法なぞ、いくらでも知っておるよ。勝負も、人気もな」
マミゾウは右手を上げ、それを前に出す。
「何の真似だ」
「無駄だったんじゃよ。儂は狸でお主は狐。互い、化かし合う事には慣れておる。それでは勝負はつかんじゃろう。お主の利き腕がどちらなのかは知らんが。ここまで観客がお主に期待してるんじゃ。逃げんよな?」
「…………」
付き合う義理もない。そう言おうとした途端、客席は沸き上りだす。
――単純だな。
溜息を吐きつつ、藍は、まるで初めから乗り気であったかのような態度になる。
「好都合だな。技、そして力でも貴様を負かし、屈服させてやろう。二度と私に戦いを売る気などないようにな」
動かせる左手を身体に付けて器用に袖をめくり、上げる。そのまま互い歩いて距離を縮める。暗黙の了解など無視し奇襲する機会はあったにも関わらず互い、片手を掴み合った。合気も柔術も使用せず、力尽くで相手の手を沈めようと。
「ほう……大したもんじゃ! 儂にここまで力を出させるとは……!」
十数秒の均衡は崩れ、マミゾウの手の甲が上を向く。
「どれだけ妖力がでかかろうが、力は儂が上だったようじゃの……!」
「……構わないさ」
突如、藍の左手による力が大きくなった。そうマミゾウが感じた時には既に掴みあう手の均衡は元に戻っていて、今度は自らの右手が地面に近付く。
「貴様……!」
溢れる妖力を藍は少しだけ力に変換した事を自らも大きな妖力を持つマミゾウは瞬時に理解できた。
「ここでも……儂を化かすか!」
「お前が……素直に力勝負を続けるとは思わなかったがな」
「はは……。儂は……いつだって正直者じゃよ」
互いに言葉を振り絞る。しかしマミゾウの身体が地面に近付きつつあることに変わりはなく、誰もが、力勝負でも藍が圧倒していると感じさせられた。しかし――
「勝つために……全てを騙す。……常識もな」
組み合いの最中、マミゾウは空いている左手で懐から何かを取り出す。見覚えのないそれに藍は一瞬思考し、しかしマミゾウからとてつもない殺気を感じた。突如藍は、試合の序盤で放った合気道と同じく、マミゾウを浮かし放り投げようとする。地から足を浮かされて回るマミゾウは、しかしそのまま、ただ左手に持つ物の引き金を引いた。
それは、弾幕が放たれる時のものよりも鈍い轟音だった。
力の流れに逆らう事無く、投げられたマミゾウは地面を転がる。
「いつつ……。まったく、敵ながら惚れ惚れする合気じゃ。ま、ともあれ、どうじゃ? 儂お手製の弾幕の効き目は」
マミゾウは左手に持つ物から上がる硝煙に息を吹きかける。その物体を見て紫は顔をしかめていた。
「やはり下品ね」
マミゾウの持つそれは紛れもなく拳銃だった。六連式の回転式連発拳銃である。そして、それから放たれた一発の銃弾は藍の右腹部を貫いていた。
「貴様……!」
今まで受けた事のない、理解できない貫通力の攻撃。傷口からは当然血が溢れ、衣服を赤く染めていく。
一方で客席はどよめきだす。拳銃というものを一切知らないという者は少ない。だが、この大会は、弾幕は禁止され道具も制限され、事実上素手同士による対決という印象が大きい。そんな大会で、あのような飛び道具の使用が許されるのか。
「認めています」
観客達の疑問に答えるかのように、試合中であるにも関わらず紫は説明を始める。
「開会式に伝えました通り『道具は一つだけ使用可能』という規則に例外はありません。それが小さな針であっても一つしか持ち込めず、それがどんな反則的な道具であったとしても一つだけなら良いのです。二ッ岩マミゾウの持つ道具は六連続で弾を放つことができる鉄砲です。それは圧倒的な破壊力を持ち、驚異的な速さを誇り、そして――美しさの欠片もありません」
命蓮寺の面々だけではなく、紫もマミゾウの銃をこの大会が始まる以前から知っていた。二ッ岩マミゾウは、封獣ぬえによって外の世界から連れて来られた妖怪である。大雑把に弾幕の事を聞き、当時は幻想郷での『弾幕』を知らないマミゾウは武器としてこの拳銃を持ち込み、幻想郷へ足を踏み入れた。しかし霊夢達と戦う前に、それを使用することを紫は禁じた。そして白蓮からも、容易く命を奪う拳銃の使用を強く禁じられ、それは命蓮寺にある引き出しの一つに収め続けられていた。その薄い封印をマミゾウは今日解いたのだ。
天邪鬼による騒動からしばらく経った、スペルカードによる勝負が主なこの幻想郷。地上、地底問わず、実弾の銃を用いて戦う強者はいない。
紫は闘技場を睨みつける。その視線は何故か藍へ向けられていた。
「しかし、この大会はそれすらも受け入れましょう。道具一つで戦況が変わる事は今までの戦いを見ればお分かりでしょうが。道具一つでこの戦いを勝ち続けていけるとでも?」
客席ではなく、藍達、そして参加者へ向けられたような言葉にマミゾウは笑みを零していた。
「お前さんの主人も言っておるぞ? 『道具も使わず戦いに勝つつもりか』とな。まぁ、今更何を使おうがもう手遅れかもしれんがのう」
その異変に本人以外で最初に気づいたのは橙だった。
「藍……様?」
藍は倒れこそしていないが、撃たれた腹部を左手で押さえ息を荒くしていた。人間が撃たれたのとは当然訳が違うが、彼女は疲弊しているように見える。
「これを当てるのには苦労したわい。あれだけ弾幕弾幕言ってる世界じゃ。不意打ちでもしない限り銃だろうがかわされかねん」
霊力が漏れている、というよりは霊力の流れが何かによって遮られつつある。そこまで感じて藍は理解し、マミゾウを睨んだ。
「そう。先程も言ったが、それは普通の弾丸ではない。弾には貴様の嫌いな、狸である儂の力をたっぷりと籠めておる。舟幽霊の時は強がっておったが、普段冷静なお前さんが最後のあの場面、一気に舟幽霊を仕留めにかかったのは、内心焦っていたのじゃろう?」
一回戦で村紗水蜜と戦った際、藍は妖力を込められた水を大量に飲まされたが難なく打ち勝った。しかし今、マミゾウの妖力が籠められている弾丸が体内に入っている彼女は、もう客席からでも明らかなほど不快に顔を歪めていた。
「儂も、妖力には自信がある」
「全てこのための……伏線だったのか」
「いやいや、そんな格好いい話ではない。ただ狐が罠にかかり撃ち殺された。それだけじゃよ」
藍は両足に力を入れてみるも、初めのような俊敏さを出せる自信がなかった。
「動きさえ鈍らせれば、あとは普通の銃として機能する。さらばじゃ、八雲藍」
連発式拳銃という名の通り、破裂音と共に弾丸が短い間に連続して藍に向かい飛んでいく。
――あの弾幕の強度は身をもって知った!
藍は左手に妖力を集中させる。回避という選択肢を捨て、妖力で包んだ左手で銃弾を叩き落とした。しかし一つを落としても、新たな銃弾が次々と襲いかかる。それでも、一発を落とした藍にとっては既に容易い作業と化していた。二発目を裏拳で弾き飛ばし、三発目と四発目に至ってはそれを掴み止めた。僅か一秒と少しで起きたその事象に、頭の回転が早い方であるマミゾウも表情から疑問と驚嘆を隠せなかった。
「貴様……何をした?」
「貴様のように結界を使う必要などない」
「……じゃが、一発は既に当たった。その傷で時間切れまで耐えられるかのう?」
「何を言っている。貴様が結界の防御を――」
マミゾウは最後の銃弾を奇襲気味に放った。いささか動揺しつつ放たれたその銃弾は、しかし正確に藍の顔面へと向かっていった。
――最後で、こんな奇襲か。
挑発などの意はなく、そちらの方が容易だからという理由で、藍は銃弾を奥歯で受け止めた。弾の勢いを殺すため顔の向きをずらした藍は、マミゾウの方へと視線を戻す。
「!?」
そこにマミゾウの姿はなかった。
「なっ……」
藍の怯みは数瞬だったが、そのせいで真上から襲ってきたマミゾウに気付くことができなかった。肩車の要領で乗られ、マミゾウの両足は藍の首に組み付いた。
――おかしい。行動の間隔が短すぎる! 当たらなかった際の作戦というより、まるで、始めから当たらない体での動き……!
「お前さんがさっき言った言葉は半分ほど正解じゃ。拳銃もこのための『ふぇいく』じゃよ」
藍を逃すまいとマミゾウの足に力が入る。
「最後がこんな奇襲ですまんが。お主の無残な姿を見られるなら十分じゃ。ごきげんよう、狐さんや」
大会規則の一つに『頭部を破壊されるか、首を切断される』というものがある。頸椎破壊による妖怪への傷は致命傷とまではいかないものの、試合の一本として有効打ではあると、紫を含めた審判三名は思っていた。
固めた相手の首を支点にマミゾウは周る。これはもう詰みの形だ、と誰もが思う中、霊夢だけは哀れみの眼差しを優勢であるマミゾウに向けていた。
「所詮、此処に来て日が浅いのね」
突如、マミゾウは地面に落ちた。破壊しようとした首の持ち主である藍が、突如消えた。どういうわけか脱出された、というのが、マミゾウが感じた印象だった。体勢を立て直し視線を向けると藍は何事もなかったかのように立っていた。
「どういうことじゃ……」
「私を誰だと……いや、私の主を誰だと思っている」
周りから見れば、マミゾウがまるで勝手に藍から放れたように見えていた。客席がざわつく中、紫だけが笑いをこらえるように下を向いていた。
「解りやすく言ってやろう。貴様程度の硬い身体、どれだけ強く絞めようとスキマだらけだったぞ」
藍が放った言葉の意図を理解したマミゾウの表情はみるみる険しくなり、それでいて困惑の色が滲み出る。マミゾウが先ほど繰り出した技は首を絞めることが目的ではなかったとはいえ、藍にとって少ししか首を動かせない程度の隙間しかなかった。しかし――
「私にとっては抜け出すことなど十分可能だ。紫様程ではないがな」
マミゾウが理解できる範疇を超えていたが、藍にとってはそれが説明の全てだった。紫の『スキマ妖怪』という種族はあくまで能力的なものであり、身体が柔軟である比喩ではない。それでも、藍が文字通り化物のような、絞め技から逃れる能力によってマミゾウから逃れたのは事実である。
「ならばその腕は……そんな力があるなら何故右肘が極まった?」
「……言ったはずだ。丁度いいハンデだとな」
藍の言葉にマミゾウは心中困惑する。そこまで堂々と言われてしまうと、自身でさえ見事に決まったと思っていた藍への関節技が偽りのように思えてきた。それに加え、先程は首を極めたにも関わらず逃れられ、更には未だ体内で力を阻んでいる銃弾は残っているであろうにも関わらず藍から感じる妖力は自分のそれと未だ互角に感じる。
「面白いの、お前さんは。儂の予想以上じゃ」
マミゾウは目を瞑り、何かを諦めたように溜息を吐いた。銃弾も全て無くなり、自らの知識不足で相手を仕留め損ねてしまった。『その行為』をするなら、自分には目立った外傷はなく、相手の右肘が破壊されている今が最も、相手に効くだろう、と彼女は思った。
「降さ――」
藍の回し蹴りがマミゾウの側頭部に炸裂した。マミゾウを転がした藍は憤怒の形相で歩き、追っていく。
「ふざけるな」
体勢を戻したマミゾウは、しかし何故か胡坐をかいて座り、立ち上がらない事が益々藍の癇に障った。
「一方的に勝負を終わらせる事など許さん。せっかく狐と狸が相対しているんだ。どちらか滅びるまで楽しまないとな」
依然、マミゾウはへらへらとにやけた顔でいる。しかし気にせず、藍は左腕を振り上げた。
「私と戦った事を後悔するが――」
「そこまで」
先程までの試合とは違う、閻魔の静かな言葉に藍の攻撃は止められた。藍が戸惑う中、映姫は淡々と言葉を続けた。
「勝負あり」
観客は当然、藍でさえ、何故試合が終わったのか瞬時に理解できない。今までの情報から、相手の戦闘不能以外による判定なら必ず勝者の名が挙げられると藍は考えている。しかし今、自分とマミゾウ、どちらの名も挙がらなかった。映姫が左手を上げていることから一応は自分が勝者なのだと理解できた。
――しかし、戦闘不能による決着は閻魔と副審判一人が手を上げないといけないはず!
藍は紫に視線を向ける。手はどちらも上がっていない。さとりに視線を向ける。
「!」
彼女は左手を上げている。藍が勝者であることを示していた。
――閻魔はともかく、狸に目立った外傷はないにも関わらずさとりが手を上げた。ということは――
「きさまぁ!」
種族自体が犬猿の仲であるが故か、藍は激昂しマミゾウを睨む。
「何故、心の底から戦意を無くしている!」
互い、少しの差はあれど大きな力を持つ者同士であり、この試合は強者と弱者の戦いではなく、加えてマミゾウの性格から考えて、怖気づいて戦意を喪失することなど間違ってもない、と藍は熟知している。
「そうおかしな話かのう。儂は十分楽しめたぞ?」
藍にとっては最早彼女の言動一つ一つが腹立たしかった。
「一回戦の時に言ったじゃろう? こんな楽しい祭りで殺し合いなんぞ、それこそ顰蹙ものじゃ。ま、そんな固い頭では、計算はできても空気は読めんかのう」
再び頭を蹴り飛ばしたい気持ちを堪えてこれ以上狸の言葉を聞かずに済むよう、藍は選手出入り口へ向かうためマミゾウから背を向ける。それを見て紫がおかしそうにしていた事が比那名居天子は気になった。
「私でさえ煮え切らないと思ったのに、何で主であるあなたは笑ってるのかしら?」
「あの子のあんな表情を見ることなんて少ないから、楽しいのよ」
若干引いている天子を尻目に紫は言葉を続ける。
「あの子は、勝てるけど楽しんで勝てないのよねぇ」
「勝てるならそれでいいじゃない?」
「楽しめないと、勝ち続けることはきっとできないわ。頭も固いから一人では直せないだろうし」
言いたい放題言われている中、闘技場を後にした紫の式は客席から回り込んで通路に来た者と目が合った。
「あの子の頑張り次第ね」
客席から居てもたってもいられず廊下まで走って来た彼女の頭を主である紫の式は優しく撫でた。
試合進行の都合上、審判長である映姫しか主に通らない南側の闘技場出入り口。
そこに藤原妹紅は胡坐をかいて座っていた。何かに困惑し続けている彼女は大きく溜息を吐く。
「慧音を応援すればいいものを……どうして此処にいるんだろうなぁ」
自嘲気味に自らへ問いかける。しかし他の誰にも聞こえなかったその問いに対する答えは、自らを含め誰からも返ってこない。
彼女が迷い続けている間も、蓬莱山輝夜と上白沢慧音が戦う第五試合の開始時間は徐々に近づいていた。
興奮を抑えきれないのかざわめいている客席の声が少し遮られる場所である選手入場口前の廊下に、八雲藍は腕を組んで立っていた。一回戦とは違い、彼女にしては珍しい程に目には殺気が宿っていた。
「藍……様……」
背後から式である橙が近付いてくる事は分かっていたが、思っていたより離れた距離から話しかけられた事が意外で、振り向いた八雲藍はやや目を丸くした。
「おぉ、橙か。どうした? 紫様の隣に座ったままでいいんだぞ?」
口元は笑みを見せている藍に対し迷いつつも、橙はおずおずと問う。
「怒って……ます?」
その問いに、笑みのまま表情が固まった藍は背を向けた。
「さすが私の式……いや、橙とはいえ悟らせるつもりはなかったのだが。……私もまだまだ紫様には及ばないようだ」
さとりの選手入場を促す口上が廊下に響く。
「さて……すまないが時間が来た。行ってくるよ、橙」
「あ……あの……!」
「ん?」
いざとなったら自分を呼び出してほしい。そう言おうとした橙だったが、藍の澄ましたような表情から放たれる眼差しがそれを制した。
「あ……な……何でもありません」
「そうか。じゃあ行ってくる。紫様の隣で、私の勝利を見ていてくれ」
「……行ってらっしゃいませ……藍様」
背を向け、闘技場へ歩んでいく藍は心の中で橙に謝罪する。
――すまない。式の想いを汲み取れないようでは主として失格だ。しかし、こいつは私一人で倒すべきだ。橙とあいつを近づけあわせるなど反吐が出る。
既に闘技場の中央に立っていた、化け狸の二ッ岩マミゾウと視線を交わした。何も言わずただ、狐と狸が睨み合う。それだけで不思議と観客は盛り上がり、歓声がより大きくなっていく。観客の一人である魔理砂も高揚しているようだった。
「なーんとなく予想はできるけど、なんか凄いわくわくするな」
「とはいえ、道具は一個までだからね。単純な体術勝負なら藍に分がありそうだけど」
応える霊夢に対し魔理砂は小さく笑った。
「なんだ、霊夢ともあろう者が紫の式の依怙贔屓か。マミゾウの戦いにくさは分かってるだろ?」
宗教家同士の抗争が行われた際、二ッ岩マミゾウも、黒幕への道を示すなど暗躍していた。戦闘面でも、飄々と動き化かすように反撃を与え人気を奪っていった。
「そういえば藍の所に行かないで良かったのか?」
「……私よりも効果ありそうな奴がいるからねぇ」
霊夢は、静かに闘技場へ戻っている橙へ目を向けていた。
一方で、マミゾウが一応所属している命蓮寺勢の面々が座っている場所で、マミゾウの見送りから戻ってきた封獣ぬえに、長である聖白蓮が問いかける。
「マミゾウさんは……『あれ』を……?」
「使うだろうねぇ。相手が九尾なんだし。いいじゃん、弾幕勝負じゃないんだし」
どのような道具であっても持ち込んでよい、という規則には何の文句もないが、白蓮はぬえの言葉を素直に肯定することができなかった。
「それでは、両者離れて」
審判長が淡々と試合進行を行うなか、選手同士の睨み合いは続いていた。
「まぁ、二回戦の相手としては妥当じゃのう」
小声で放たれたマミゾウの言葉は、歓声が飛び交う中でもはっきりと藍の耳に届いた。
「ふん。二連続で寺の者が相手とはな。そして今回は、よりによって狸か」
「ふぉっふぉっ。心配することはないぞえ。八雲紫のいないお主の強さなどたかが知れてる。観客全員分かっておるよ」
挑発に対し、藍はただ視線を落とすだけだった事にマミゾウは訝しげな顔になった。
「お前の言う通りかもしれないな。私は紫様の足元にも及ばない。だが、貴様の言った通りいつまでも紫様の威を借りるなどという情けない姿で居続ける気はない。この大会で優勝する。五回戦と言わず、三十一……三十人を滅ぼすつもりでいかないといけない。鬼が相手でも、相手が狸でもな」
「かたいのう。そんな拳なんぞ受け流すには容易い」
「……試してみるか?」
今すぐにでも一触即発になりそうな雰囲気の中――
「離れなさいっ!」
二人が怯む程である映姫の一喝が闘技場に響き渡った。
閻魔様が出場者でなくて良かったな。とマミゾウは藍に目で伝え、背を向けた。
――紫様と拳を合わせるわけでもないのに、手が震えている……。緊張ではない何か。
藍は紫の座る方を向く。不安気に見つめる橙と目が合った彼女は小さく笑った。
――鬼の様に単細胞ではないが。決勝まで行けば、何か分かるかもしれないな。そのためにも、こんな所で躓いている暇はない!
大人しく狐と狸が離れ、客席に戻った閻魔は険しい表情ながらも一息吐き――
「二回戦第四試合、始め!」
試合開始を宣言した。
両者、強大な妖力を持つであろう狐と狸の対決が始まった事に、試合開始から既に客席の興奮が闘技場を響かせている。どのような化かし合いが始まるかと期待する一方で、その予想に反し、藍とマミゾウは互い、構えもせず歩いて近づきあっていく。あと一歩踏み出せば手が届きそうな距離で両者は立ち止まり、マミゾウは不意に微笑んだ。
「さっきは売り言葉に買い言葉じゃったが……儂はお前さんと戦える事が嬉しくてしょうがないんじゃ」
マミゾウは突然手を差し出した。試合中とは思えないその行動にも、藍は表情を崩さずマミゾウを見据える。
「何はともあれ、まずは握手じゃ」
藍はマミゾウの手と目を交互に見据える。
「怖いか? 儂の手を掴むのが」
マミゾウの言葉に藍は小さく苦笑した。
「いいだろう」
まるで正々堂々と戦う事を誓い合うかのように二人が手を握り合う光景に客席はどよめいている。その中でマミゾウは紫達の座る客席へ目を向けた。
「お前さんは九尾でありながら良い主と手下に恵まれてるのう。……そういえばあの化猫は――」
言葉の途中でマミゾウは突如行動に移る。二人が触れ合っているのは互いに握りあっている手のみ。しかし、手を握り、握られるというだけでもそこには複雑な力の流れが働いている。マミゾウがそれを巧みに操ると目の前にいる藍が視界からずれた。
「なん……じゃと?」
しかし、動かされ片膝を着いていたのはマミゾウの方だった。力の流れを逆手にとってマミゾウの関節を極め、それを更に操りマミゾウの片足までも封じたのだ。藍が、握っている手を落としながら放すと、まるで予め双方で決めていたかのように、マミゾウは綺麗にひっくり返され地を一度転がった。周りからは藍が力尽くでマミゾウをひっくり返したようにしか見えないが、霊夢は瞬時に理解し、苦笑いした。
「柔術……」
「……合気道、ってやつか?」
「まぁ、分かりやすく言えばそうね。藍との組手でよく受けちゃったけど、正直反則よね。萃香や入道使いのように力尽くで投げてるわけじゃないし。常に空を飛ぼうと考えてないと、あっという間に転んじゃうわ」
藍の技に盛り上がる闘技場の中央で、立ち上がったマミゾウは半ば感心したように呆けた表情になっていた。
「いや凄い……。儂以外にも柔を使う奴がいる事は想定していたが、まさか重ねられるとは思いもせんかった」
マミゾウは歩いて藍の前に立ち、再び手を差し出した。
「いやはや、不意打ちなどと言う真似をしてすまんかった。改めて握手じゃ」
実際はマミゾウによる不意打ちだが、観客のほとんどはそれを理解していない。次は対処する、とマミゾウが意気込んで手を差し出していると勘違いした観客は一層騒ぎ立っていた。
――狸め。
藍は今まで以上に鋭い目でマミゾウを睨む。
――不意打ちが来るのは分かっていたが、まさか握手などという単純な手段で来るとは。しかも懲りもせずもう一度。しかし、九尾である私が化け狸ごとき敵ではないと、私以外にもそう思っている者はいる。故に、狸の手を取らない訳にはいかなくなる。単純だが、そういった意味では食わせられてるな。
藍は再びマミゾウの手を取った。後、マミゾウは、今度はすぐに行動する。跳び、両足を藍の肩に掛けた。全身で藍の右腕にしがみ付き体重を掛ける。
「!」
しかし、藍が崩れることは一切なかった事にマミゾウは驚愕する。決して逞しくはない腕に妖怪一人の全体重が掛けられているにも関わらず藍はそれを支えているのだ。
「何故このまま地蔵に化けない?」
マミゾウは言葉を返さなかった。
「貴様と同程度に思ってもらっては困る」
藍はしがみ付いたマミゾウごと右腕を上げる。そして、十二分の勢いを付け、右腕を振り下ろした。誰もが、マミゾウが地面に叩きつけられることを想像した。しかし、振り下ろされるマミゾウの笑っている表情が、藍の目に焼き付けられる。地面に叩きつけられようとしたマミゾウの大きな尻尾が突如少し膨らんだ。弾力を持つ風船のように、マミゾウは自らの尻尾に受け止められ――
「!」
投げられていた勢いを利用し、依然右腕にしがみ付いている藍の身体を浮かせた。マミゾウの尻尾を支点として二人は回り、外側にいる藍は勢いよく地面に叩きつけられた。
――しまった……この体勢は……!
背中を叩きつけられ仰向けになった藍の右腕にしがみ付き続けていたマミゾウは最後の行動に出る。怯みによって力が消えた藍の右肘を本来曲がる方向とは逆の方向へ力を掛けた。
「がっ……!」
高いとも低いとも言えない音が一瞬だけ闘技場中に響き、藍はそれに加え電流のような激痛が右腕に走った。マミゾウはゆっくりと立ち上がり、まるで藍がなぜ仰向けになっているのか解らないかのような態度で口を開く。
「起きんかい。起きて戦いを始めるぞ」
マミゾウの言葉に、客席からは侮蔑と感嘆の言葉がそれぞれ飛び交った。化け狸の行いはあまりに汚すぎる。狸が九尾を見事化かした。と。
「おやおや。八雲紫の式ともあろう者が擁護されとるぞい。まさか、卑怯とは言うまいな?」
マミゾウの言葉に対し藍はすぐ様立ち上がる。
「何を言っている。丁度いいハンデだ」
物珍しそうに破壊された肘に触れていく。
――折れてはいない……綺麗に外されている。
五体が砕け散っても時間さえあればいずれ完治する事ができる妖怪とは違うが、藍程の力を持つ妖獣ならば例え腕を切断されても、それが残ってさえいれば回復するのに長い時間は要さないだろう。
――もう先程のように針が落ちている事もない。
二回戦第三試合で針妙丸が見せた、一回戦第五試合の時に隠した針を道具として扱われなくして規則の穴を突く戦法。それを審判長である映姫は、先程こそ見過ごさざるを得なかったものの、心中激昂し、これから毎試合事に闘技場に残った異物をスキマによって排除するよう紫に命じていた。巨大化した小鬼の一撃によって陥没した地面もすっかり元通りになっている。
――ならば自力で不意打ちするしかないか。
「少々恰好が悪いが仕方ない」
肘が外れている右腕を左手で無理やり腰の側に固定する。
「攻撃するなら今の内だぞ」
藍の言葉に対しマミゾウは攻めようとはしなかった。言葉を放ってすぐ、突如その場で前に宙返りをした藍の様子を見た。着地した藍は再び地面を蹴り宙返りをする。しかし今度のそれは一度の跳躍で二度回った。そして着地し再び跳ね、しかし今度は三回転した。それは紛れもなき攻撃手段だと既に気が付いているのは藍と戦った事がある者達と、それぞれ彼女の式と主である橙と紫だけであり、当のマミゾウは、藍が五回転の宙返りをしたその時も、ただ様子を見ていた。
まだ宙返りをするのか、それとも終わるのか。そんな事をマミゾウが思う中、藍は再び着地する。そしてまたも地面を離れた。
「!」
その軌道を真上ではなく、猛烈な速度を含みマミゾウに向けた。しまったと思った時には、咄嗟の防御が間に合ったにも関わらずマミゾウの身体は向かいの結界まで吹き飛ばされた。言ってしまえばそれは只の、回転しながらの体当たりである。しかし、幻想郷に住む少女達の中では、妖力の溜まった九尾の分もあり藍は軽い方ではない。その体重を回転しつつ高速でぶつけるのだから相当な破壊力が生まれる。膝は曲げられ最早球体のようになっている藍はマミゾウに当たって跳ね返り、結界に足を着け、点対称となる位置にいるマミゾウに向かい再び襲い掛かる。いくらかの動揺はあるもののマミゾウはすぐに上へ飛び藍の攻撃を回避する。藍の戦法は空を飛べない人間同士の戦いならば上等だっただろう、とマミゾウは思った。こうして空へ逃げてしまえば、視界が回っている中で自分の姿を捉える事はできない。そうマミゾウが思った瞬間、強烈な衝撃が背中に叩き付けられた。
「がっ! なん……と……!?」
藍の踵が背中にぶつけられていた。反撃を試みようと思った時には既に、丸まった体勢のまま近い部分の結界に向かい藍は落ちていく。空中へ逃げるという動きを読まれたのかと一瞬思いつつも、マミゾウは瞬時に一つの仮定に辿り着けた。
それに答えるかのように魔理沙は口を開く。
「見えてるんだから凄いよな」
「見えている?」
幽香が反応したので魔理沙は言葉を続ける。
「何て言ったらいいか……。悔しいけど藍は目茶苦茶頭がいいんだ。脳の構造的な意味でもな」
吸血鬼はともかく妖獣に脳はあるだろう。と魔理沙は頭の中で結論付けた。
「私が今の藍のような事をしてもきっと目を回す。一瞬で変化する視界に脳が追いつかないからな。でも藍はそれができる。一瞬一瞬を写真のように記憶して、更に整理してもまだ、あいつの頭は十パーセントも使われてないかもな」
闘技場中を縦横無尽に跳ねる、文字通り丸くなった藍はマミゾウへ次々と攻撃を当てている。
「今のあいつの視界は回ってる。だからそもそも死角なんてないんだ。上下左右、そして前後関係なく三六〇度全部見えてるんだよ」
魔理沙の言っている事は概ね当たっており。回る事によって藍の視界に死角というものはほぼ存在しなくなっている。マミゾウが攻撃をかわそうとしても、先を読んだかのように跳ぶ位置を調節して、結界から離れた瞬間にはマミゾウに更なる一撃を入れていた。
最早逃げ場はないかと思うような状況であるがマミゾウは冷静に逆転の策を練っていた。回っていて死角がないとはいえ、藍は別に妖力等で守られているわけではない。今、藍の身体は前方へ宙返りし続けている。それが、マミゾウが見つけた彼女の弱点だった。
藍の攻撃を捌きつつマミゾウは静かに機会を待つ。五感を研ぎ澄まし、藍に及ばなくとも計算する。視覚によって藍が背後から来る瞬間を予測し、聴覚で藍が背後の結界を蹴った事を察知し、嗅覚で憎々しき狐が近づいてくる事に反応した。
「そこじゃ!」
前方に回り続ける藍に向け、振り返ったマミゾウは下からの掌底を放った。勝手に向かってくる藍の顔面を吹き飛ばすが如く。しかし目の前に藍の姿はなく、掌底を放ち上がりきった右腕には藍の帽子が被せられていた。背後から感じた臭いはこれだった、とマミゾウが気づいた時、藍は既に彼女の背後にいて、左手を斜めに振り上げていた。
「終わりだ」
手は振り下ろされ、マミゾウの首が切断されようとした瞬間、咄嗟に生んだ球体結界に藍の攻撃は阻まれた。舌打ちしつつ藍は強引に結界を押し、それ事マミゾウを吹き飛ばす。しかし、そもそもマミゾウの意思によって生み出された結界は本人の意思によって消え、あっさりと地上に着地された。
「儂ともあろうものが情けない。お前さんの道具が何なのかはともかく、道具でも何でもない帽子をそう使うとは」
帽子を回す事に飽きたマミゾウによってそれは放り投げられ、綺麗な弧を描き藍の元へ返った。
――私とした事が。物部布都の試合を見ておきながら、何故こいつもチキンガードをすると思っていなかったのだ。それを破壊できる力を溜めておかなかったのは完全に私の誤算だ。だが、一応は奴を追い詰めた。
今のマミゾウが行った防御は、丁度の瞬間に防いだ素晴らしい防御、ととれるかもしれない。しかし観客にとって結界防御の印象は、第二試合で乱用した物部布都のせいで、逃げの印象が強くなっていた。マミゾウ側ではない妖怪達は我先にという勢いで彼女を批判し始めている。
「これは思った以上に痛いのう」
マミゾウが苦笑いしつつ顎を掻く中、藍も地上へと降り立った。
「これで貴様に逃げる事は許されんぞ」
「……ふん。残念じゃが、神社で眺めていただけの狐さんと違って、儂はこういう状況になっても逆転する方法なぞ、いくらでも知っておるよ。勝負も、人気もな」
マミゾウは右手を上げ、それを前に出す。
「何の真似だ」
「無駄だったんじゃよ。儂は狸でお主は狐。互い、化かし合う事には慣れておる。それでは勝負はつかんじゃろう。お主の利き腕がどちらなのかは知らんが。ここまで観客がお主に期待してるんじゃ。逃げんよな?」
「…………」
付き合う義理もない。そう言おうとした途端、客席は沸き上りだす。
――単純だな。
溜息を吐きつつ、藍は、まるで初めから乗り気であったかのような態度になる。
「好都合だな。技、そして力でも貴様を負かし、屈服させてやろう。二度と私に戦いを売る気などないようにな」
動かせる左手を身体に付けて器用に袖をめくり、上げる。そのまま互い歩いて距離を縮める。暗黙の了解など無視し奇襲する機会はあったにも関わらず互い、片手を掴み合った。合気も柔術も使用せず、力尽くで相手の手を沈めようと。
「ほう……大したもんじゃ! 儂にここまで力を出させるとは……!」
十数秒の均衡は崩れ、マミゾウの手の甲が上を向く。
「どれだけ妖力がでかかろうが、力は儂が上だったようじゃの……!」
「……構わないさ」
突如、藍の左手による力が大きくなった。そうマミゾウが感じた時には既に掴みあう手の均衡は元に戻っていて、今度は自らの右手が地面に近付く。
「貴様……!」
溢れる妖力を藍は少しだけ力に変換した事を自らも大きな妖力を持つマミゾウは瞬時に理解できた。
「ここでも……儂を化かすか!」
「お前が……素直に力勝負を続けるとは思わなかったがな」
「はは……。儂は……いつだって正直者じゃよ」
互いに言葉を振り絞る。しかしマミゾウの身体が地面に近付きつつあることに変わりはなく、誰もが、力勝負でも藍が圧倒していると感じさせられた。しかし――
「勝つために……全てを騙す。……常識もな」
組み合いの最中、マミゾウは空いている左手で懐から何かを取り出す。見覚えのないそれに藍は一瞬思考し、しかしマミゾウからとてつもない殺気を感じた。突如藍は、試合の序盤で放った合気道と同じく、マミゾウを浮かし放り投げようとする。地から足を浮かされて回るマミゾウは、しかしそのまま、ただ左手に持つ物の引き金を引いた。
それは、弾幕が放たれる時のものよりも鈍い轟音だった。
力の流れに逆らう事無く、投げられたマミゾウは地面を転がる。
「いつつ……。まったく、敵ながら惚れ惚れする合気じゃ。ま、ともあれ、どうじゃ? 儂お手製の弾幕の効き目は」
マミゾウは左手に持つ物から上がる硝煙に息を吹きかける。その物体を見て紫は顔をしかめていた。
「やはり下品ね」
マミゾウの持つそれは紛れもなく拳銃だった。六連式の回転式連発拳銃である。そして、それから放たれた一発の銃弾は藍の右腹部を貫いていた。
「貴様……!」
今まで受けた事のない、理解できない貫通力の攻撃。傷口からは当然血が溢れ、衣服を赤く染めていく。
一方で客席はどよめきだす。拳銃というものを一切知らないという者は少ない。だが、この大会は、弾幕は禁止され道具も制限され、事実上素手同士による対決という印象が大きい。そんな大会で、あのような飛び道具の使用が許されるのか。
「認めています」
観客達の疑問に答えるかのように、試合中であるにも関わらず紫は説明を始める。
「開会式に伝えました通り『道具は一つだけ使用可能』という規則に例外はありません。それが小さな針であっても一つしか持ち込めず、それがどんな反則的な道具であったとしても一つだけなら良いのです。二ッ岩マミゾウの持つ道具は六連続で弾を放つことができる鉄砲です。それは圧倒的な破壊力を持ち、驚異的な速さを誇り、そして――美しさの欠片もありません」
命蓮寺の面々だけではなく、紫もマミゾウの銃をこの大会が始まる以前から知っていた。二ッ岩マミゾウは、封獣ぬえによって外の世界から連れて来られた妖怪である。大雑把に弾幕の事を聞き、当時は幻想郷での『弾幕』を知らないマミゾウは武器としてこの拳銃を持ち込み、幻想郷へ足を踏み入れた。しかし霊夢達と戦う前に、それを使用することを紫は禁じた。そして白蓮からも、容易く命を奪う拳銃の使用を強く禁じられ、それは命蓮寺にある引き出しの一つに収め続けられていた。その薄い封印をマミゾウは今日解いたのだ。
天邪鬼による騒動からしばらく経った、スペルカードによる勝負が主なこの幻想郷。地上、地底問わず、実弾の銃を用いて戦う強者はいない。
紫は闘技場を睨みつける。その視線は何故か藍へ向けられていた。
「しかし、この大会はそれすらも受け入れましょう。道具一つで戦況が変わる事は今までの戦いを見ればお分かりでしょうが。道具一つでこの戦いを勝ち続けていけるとでも?」
客席ではなく、藍達、そして参加者へ向けられたような言葉にマミゾウは笑みを零していた。
「お前さんの主人も言っておるぞ? 『道具も使わず戦いに勝つつもりか』とな。まぁ、今更何を使おうがもう手遅れかもしれんがのう」
その異変に本人以外で最初に気づいたのは橙だった。
「藍……様?」
藍は倒れこそしていないが、撃たれた腹部を左手で押さえ息を荒くしていた。人間が撃たれたのとは当然訳が違うが、彼女は疲弊しているように見える。
「これを当てるのには苦労したわい。あれだけ弾幕弾幕言ってる世界じゃ。不意打ちでもしない限り銃だろうがかわされかねん」
霊力が漏れている、というよりは霊力の流れが何かによって遮られつつある。そこまで感じて藍は理解し、マミゾウを睨んだ。
「そう。先程も言ったが、それは普通の弾丸ではない。弾には貴様の嫌いな、狸である儂の力をたっぷりと籠めておる。舟幽霊の時は強がっておったが、普段冷静なお前さんが最後のあの場面、一気に舟幽霊を仕留めにかかったのは、内心焦っていたのじゃろう?」
一回戦で村紗水蜜と戦った際、藍は妖力を込められた水を大量に飲まされたが難なく打ち勝った。しかし今、マミゾウの妖力が籠められている弾丸が体内に入っている彼女は、もう客席からでも明らかなほど不快に顔を歪めていた。
「儂も、妖力には自信がある」
「全てこのための……伏線だったのか」
「いやいや、そんな格好いい話ではない。ただ狐が罠にかかり撃ち殺された。それだけじゃよ」
藍は両足に力を入れてみるも、初めのような俊敏さを出せる自信がなかった。
「動きさえ鈍らせれば、あとは普通の銃として機能する。さらばじゃ、八雲藍」
連発式拳銃という名の通り、破裂音と共に弾丸が短い間に連続して藍に向かい飛んでいく。
――あの弾幕の強度は身をもって知った!
藍は左手に妖力を集中させる。回避という選択肢を捨て、妖力で包んだ左手で銃弾を叩き落とした。しかし一つを落としても、新たな銃弾が次々と襲いかかる。それでも、一発を落とした藍にとっては既に容易い作業と化していた。二発目を裏拳で弾き飛ばし、三発目と四発目に至ってはそれを掴み止めた。僅か一秒と少しで起きたその事象に、頭の回転が早い方であるマミゾウも表情から疑問と驚嘆を隠せなかった。
「貴様……何をした?」
「貴様のように結界を使う必要などない」
「……じゃが、一発は既に当たった。その傷で時間切れまで耐えられるかのう?」
「何を言っている。貴様が結界の防御を――」
マミゾウは最後の銃弾を奇襲気味に放った。いささか動揺しつつ放たれたその銃弾は、しかし正確に藍の顔面へと向かっていった。
――最後で、こんな奇襲か。
挑発などの意はなく、そちらの方が容易だからという理由で、藍は銃弾を奥歯で受け止めた。弾の勢いを殺すため顔の向きをずらした藍は、マミゾウの方へと視線を戻す。
「!?」
そこにマミゾウの姿はなかった。
「なっ……」
藍の怯みは数瞬だったが、そのせいで真上から襲ってきたマミゾウに気付くことができなかった。肩車の要領で乗られ、マミゾウの両足は藍の首に組み付いた。
――おかしい。行動の間隔が短すぎる! 当たらなかった際の作戦というより、まるで、始めから当たらない体での動き……!
「お前さんがさっき言った言葉は半分ほど正解じゃ。拳銃もこのための『ふぇいく』じゃよ」
藍を逃すまいとマミゾウの足に力が入る。
「最後がこんな奇襲ですまんが。お主の無残な姿を見られるなら十分じゃ。ごきげんよう、狐さんや」
大会規則の一つに『頭部を破壊されるか、首を切断される』というものがある。頸椎破壊による妖怪への傷は致命傷とまではいかないものの、試合の一本として有効打ではあると、紫を含めた審判三名は思っていた。
固めた相手の首を支点にマミゾウは周る。これはもう詰みの形だ、と誰もが思う中、霊夢だけは哀れみの眼差しを優勢であるマミゾウに向けていた。
「所詮、此処に来て日が浅いのね」
突如、マミゾウは地面に落ちた。破壊しようとした首の持ち主である藍が、突如消えた。どういうわけか脱出された、というのが、マミゾウが感じた印象だった。体勢を立て直し視線を向けると藍は何事もなかったかのように立っていた。
「どういうことじゃ……」
「私を誰だと……いや、私の主を誰だと思っている」
周りから見れば、マミゾウがまるで勝手に藍から放れたように見えていた。客席がざわつく中、紫だけが笑いをこらえるように下を向いていた。
「解りやすく言ってやろう。貴様程度の硬い身体、どれだけ強く絞めようとスキマだらけだったぞ」
藍が放った言葉の意図を理解したマミゾウの表情はみるみる険しくなり、それでいて困惑の色が滲み出る。マミゾウが先ほど繰り出した技は首を絞めることが目的ではなかったとはいえ、藍にとって少ししか首を動かせない程度の隙間しかなかった。しかし――
「私にとっては抜け出すことなど十分可能だ。紫様程ではないがな」
マミゾウが理解できる範疇を超えていたが、藍にとってはそれが説明の全てだった。紫の『スキマ妖怪』という種族はあくまで能力的なものであり、身体が柔軟である比喩ではない。それでも、藍が文字通り化物のような、絞め技から逃れる能力によってマミゾウから逃れたのは事実である。
「ならばその腕は……そんな力があるなら何故右肘が極まった?」
「……言ったはずだ。丁度いいハンデだとな」
藍の言葉にマミゾウは心中困惑する。そこまで堂々と言われてしまうと、自身でさえ見事に決まったと思っていた藍への関節技が偽りのように思えてきた。それに加え、先程は首を極めたにも関わらず逃れられ、更には未だ体内で力を阻んでいる銃弾は残っているであろうにも関わらず藍から感じる妖力は自分のそれと未だ互角に感じる。
「面白いの、お前さんは。儂の予想以上じゃ」
マミゾウは目を瞑り、何かを諦めたように溜息を吐いた。銃弾も全て無くなり、自らの知識不足で相手を仕留め損ねてしまった。『その行為』をするなら、自分には目立った外傷はなく、相手の右肘が破壊されている今が最も、相手に効くだろう、と彼女は思った。
「降さ――」
藍の回し蹴りがマミゾウの側頭部に炸裂した。マミゾウを転がした藍は憤怒の形相で歩き、追っていく。
「ふざけるな」
体勢を戻したマミゾウは、しかし何故か胡坐をかいて座り、立ち上がらない事が益々藍の癇に障った。
「一方的に勝負を終わらせる事など許さん。せっかく狐と狸が相対しているんだ。どちらか滅びるまで楽しまないとな」
依然、マミゾウはへらへらとにやけた顔でいる。しかし気にせず、藍は左腕を振り上げた。
「私と戦った事を後悔するが――」
「そこまで」
先程までの試合とは違う、閻魔の静かな言葉に藍の攻撃は止められた。藍が戸惑う中、映姫は淡々と言葉を続けた。
「勝負あり」
観客は当然、藍でさえ、何故試合が終わったのか瞬時に理解できない。今までの情報から、相手の戦闘不能以外による判定なら必ず勝者の名が挙げられると藍は考えている。しかし今、自分とマミゾウ、どちらの名も挙がらなかった。映姫が左手を上げていることから一応は自分が勝者なのだと理解できた。
――しかし、戦闘不能による決着は閻魔と副審判一人が手を上げないといけないはず!
藍は紫に視線を向ける。手はどちらも上がっていない。さとりに視線を向ける。
「!」
彼女は左手を上げている。藍が勝者であることを示していた。
――閻魔はともかく、狸に目立った外傷はないにも関わらずさとりが手を上げた。ということは――
「きさまぁ!」
種族自体が犬猿の仲であるが故か、藍は激昂しマミゾウを睨む。
「何故、心の底から戦意を無くしている!」
互い、少しの差はあれど大きな力を持つ者同士であり、この試合は強者と弱者の戦いではなく、加えてマミゾウの性格から考えて、怖気づいて戦意を喪失することなど間違ってもない、と藍は熟知している。
「そうおかしな話かのう。儂は十分楽しめたぞ?」
藍にとっては最早彼女の言動一つ一つが腹立たしかった。
「一回戦の時に言ったじゃろう? こんな楽しい祭りで殺し合いなんぞ、それこそ顰蹙ものじゃ。ま、そんな固い頭では、計算はできても空気は読めんかのう」
再び頭を蹴り飛ばしたい気持ちを堪えてこれ以上狸の言葉を聞かずに済むよう、藍は選手出入り口へ向かうためマミゾウから背を向ける。それを見て紫がおかしそうにしていた事が比那名居天子は気になった。
「私でさえ煮え切らないと思ったのに、何で主であるあなたは笑ってるのかしら?」
「あの子のあんな表情を見ることなんて少ないから、楽しいのよ」
若干引いている天子を尻目に紫は言葉を続ける。
「あの子は、勝てるけど楽しんで勝てないのよねぇ」
「勝てるならそれでいいじゃない?」
「楽しめないと、勝ち続けることはきっとできないわ。頭も固いから一人では直せないだろうし」
言いたい放題言われている中、闘技場を後にした紫の式は客席から回り込んで通路に来た者と目が合った。
「あの子の頑張り次第ね」
客席から居てもたってもいられず廊下まで走って来た彼女の頭を主である紫の式は優しく撫でた。
試合進行の都合上、審判長である映姫しか主に通らない南側の闘技場出入り口。
そこに藤原妹紅は胡坐をかいて座っていた。何かに困惑し続けている彼女は大きく溜息を吐く。
「慧音を応援すればいいものを……どうして此処にいるんだろうなぁ」
自嘲気味に自らへ問いかける。しかし他の誰にも聞こえなかったその問いに対する答えは、自らを含め誰からも返ってこない。
彼女が迷い続けている間も、蓬莱山輝夜と上白沢慧音が戦う第五試合の開始時間は徐々に近づいていた。
自分スズナアン?未読 シンピロク?未プレイなのでよう知らんが、マミゾウさん常に利を考える性格なのか? その上仕来たりより快楽を選ぶと? そりゃ滅私奉公謹厳実直且つシステム管理者の藍様とは生き方合わんわな。
あんまりコメント付かないみたいですけどここまで来たら完結させましょう!(私はコメントしかできないけどね!)
トジーとマミゾウさん好きだったので残念です(今更