「ひどいじゃありませんか」
「何がよ」
いきなり大根になじられたので、とりあえず霊夢は問い返した。
いつもの縁側での、ささやかな午睡から覚めた矢先のことだった。
「私の、この姿を見ればお解りでしょう?」
「はぁ」
姿。
繰り返すが大根である。
寸胴でやや小ぶりの白い根菜が、二股に分かれた所を足にして、ちょこんと縁側に立っている。
葉の部分は根本近くで断ち切られており、霊夢から見下ろすと、さながら刈り上げ頭の童子のような風情があった。
「あんた、きのう私が八百屋で買ってきた大根よね? 台所に置いといた……」
「いかにも。数ある大根の中でこの私を選んだあなたの目利き、なかなかのものです」
「どうやら目利きを誤ったらしい」
得意げに足をくねくねさせる大根を前に、霊夢は溜め息をつく。
大根が喋るという異常事態に対して霊夢がこうも無感動なのは、もういいかげん慣れっこになってしまったからである。
ここ最近、幻想郷のそこかしこで、身の回りの道具が次々と付喪神化するという異変が起こっていた。里では鍋や茶碗が舞い躍り、魔理沙の八卦炉はところ構わず黒炎を吹き上げ、博麗神社では血に飢えたお祓い棒が手当たり次第に妖怪を追い回している。どうせなら箒も勝手に働いてくれないものかと期待していた霊夢だったが、果たして動き出した箒は職務を放棄して昼寝ばかりしている。まったく、どんな教育を受けてきたのか。
改めて、霊夢は傍らの大根を見る。冷静に考えれば、これほど流暢に喋る付喪神も珍しい。発生する個体がより強力になりつつあるのかもしれない。
妖怪退治の手間が省けるので放っておいたこの異変だが、そろそろ解決にかかる潮時か、と巫女の勘が告げていた。
……まあ、それはそれとして、
「私、大根に非難される心当たりは無いんだけど……」
「嘆かわしい」
「勿体ぶってないで、何が不満だってのよ。食われるのが嫌なの?」
霊夢が問うと、大根はぷるぷると横揺れを始めた。どうやら首を振っているらしい。
「滅相もない。逆ですよ逆」
「あら、食われたいの?」
「野菜の本懐ですから」
「ふーん。でもそれなら、今朝ちゃんと食べたじゃない。あんたの、この葉っぱ」
言いながら、大根の刈り上げ頭をつついてやる。
そう。霊夢は今朝、この大根の葉をまず食べた。
茹でて刻んで塩を振り、炊きたてのご飯に混ぜて菜飯をこしらえ、お揚げの入った味噌汁とともに美味しくいただいたのだ。
「葉っぱだって大根の一部でしょ。違うの?」
「存在意義の比重という点では、ノーと申し上げておきましょう。私の名は伊達ではないのですよ。やはり、この白さ太さこそが大根の華」
「花じゃなくて根でしょうが」
大根は聞こえない振りをした。
「まあ……言いたい事は解ったわ。要するに、葉っぱを先に食われたのが気に入らないのね」
「そういうことです。人間には理解しにくいかもしれませんが」
「別に理解したくもないけど」
「例えばですね。あなたが首尾良く愛しの相手に押し倒されたとして、その相手があなた自身よりも剥ぎ取ったぱんつの方に夢中だったら腹が立つでしょう?」
「いやだから説明しなくていいっていうかどういう喩えだ」
だんだん面倒になってきた霊夢。
いっそ退治してやろうかとも思ったが、せっかく買った食材であるし、恨まれると後々消化不良を起こすかもしれない。ここは大人の対応で穏便に済ませることにする。
「……とにかく、あんたの事はせいぜい美味しく食べてあげるから、おとなしく台所に戻りなさい」
「そうですか! それなら良かった」
「なんだったら、選ばせてやってもいいわよ。味噌汁に浮かぶか、糠床に漬かるか、大根おろしになって焼き魚と添い遂げるか」
「あっ、それなら私ポトフがいいです」
「……ポ……なんだって?」
唐突に出た未知の単語に、霊夢は眉をひそめる。
「ポトフ、知らないんですか? 自炊なさってるのに」
「あんたはなんで大根のくせにそんなこと知ってるのよ」
「ポトフというのはー、野菜とか肉? か何かを煮たような炊いたような、お洒落な料理ですよ」
「やっぱり良く知らないんじゃないの」
「とにかくポトフになりたいのです。憧れなんですポトフ」
「あーうるさいうるさい」
ぴょんぴょんはしゃぐ大根にまとわりつかれながら、妙な仏心を見せるんじゃなかったと霊夢は頭を抱える。
ポトフとやらが美味しくて真っ当な料理であるなら、作ってやるのは別に構わないのだが、なにしろレシピが判らない。紫がいれば、大抵のレシピは(スキマの向こうでなんかカタカタ調べる音がした後に)教えてくれるのだが、こういう時に限っていないのがあの妖怪だ。
名前から察するに洋食の一品だろうか。さてどうしたものか――。
◇ ◇ ◇
そして、霊夢は眠りから覚めた。
「……ふ、ぇ?」
目を開き、体を起こせば、そこはいつもの縁側だった。
あくびと溜め息を同時にしながら、やれやれと霊夢は体を伸ばす。奇妙な夢を見たものだ。
ポトフなるものがどんな料理だったのか、気にならないといえば嘘になるが、ともかくこれで永遠の謎になってしまったわけだ。
さて、今夜はなにを作ろうかと考えながら、霊夢はなんとなく周囲を見回し、
――置いた覚えのない、それでいて見覚えのある大根が一本、ごろんと傍らに転がっていた。
「………………」
「どうしたのよ。大根なんかと見つめ合っちゃって」
視界の外から飛んできた声に、ふらりと顔を上げる。
アリスが、不思議そうな顔をしながら鳥居をくぐるところだった。
「……ちょっと、もしもし? 霊夢起きてる? ほっぺたに縁側の木目の跡がついてるわよ」
ぼんやりと己の頬を撫でながら、霊夢はぽつりと尋ねた。
「アリス、ポトフの作り方って知ってる?」
「へっ?」
◇ ◇ ◇
「普通は大根じゃなくて蕪を使うんだけどね。ま、こんなもんでしょ」
「へえー。なんというか……なんでもない料理ね」
「ありふれた家庭料理だもの。実家ではよく食べたわ。おか……母が得意だったから」
霊夢は里へ材料の買い足しに。
アリスは自宅へ魔界産の香辛料を取りに。
二人が神社に戻り、いくばくかの作業と気長な煮込み時間を経て、ポトフは完成した。
さきほど霊夢の隣に転がっていた大根も、今は人参や玉葱や塩漬け豚と一緒に鍋の中でほかほかと湯気を立てている。
「いただきます」
「いただきます」
思わぬ長居をすることになったアリスと、霊夢。二人で食卓に手を合わせる。
霊夢にとって初めてのポトフは、別にお洒落でもないけど、なんでもない料理だけど、暖かくて優しくて、またいつか食べたいと思う味だった。またいつか、アリスが来た日にでも。
「おやつのつもりで持ってきたんだけど、夕食のデザートになっちゃったわね」
食後。
アリスが持参してきた籠から取り出したのは、色よく焼けたふわふわのシフォンケーキ。そもそもアリスはこれを差し入れるために神社を訪ねて来たのだ。
やわらかなスポンジを崩さぬよう慎重に切り分けて出してやると、わあ、と霊夢が顔を綻ばせた。普段はなにかと冷淡な霊夢だが、甘い物を前にした時はつくづく素直であどけない笑顔を見せる。実のところアリスはそれが見たくて差し入れしているようなものだった。
「んー、おいしい」
「そう? それなら良かったわ。このケーキ、ちょっといつもと違うから」
「違う? ……ああ、このちょっとほろ苦い粒々のことね。いい香りだけど、何を混ぜたの?」
「オレンジの皮を削ってね。細かく刻んで、軽く砂糖煮にしたのを入れてみたの」
「ふーん。オレンジの、皮をねえ……」
「どうかした?」
なにやら思案顔の霊夢に、首を傾げるアリス。
「ねえアリス。皮を取ったオレンジって、それからどうしたの?」
「えっ? 後で食べようと思って、とりあえず台所に置いといたはず……だけど……」
霊夢がおもむろに、部屋の隅に置いてあったアリスの籠へと視線を向ける。
アリスもつられてそちらを見る。
「ひどいじゃありませんか」
恨めしそうな声を上げ、日除けの布を掻き分けて、あちこち皮の禿げたオレンジが籠から顔を覗かせていた。
うん。明日、異変解決に行こう。
怯えるアリスに抱きつかれながら、霊夢はそう決心したのだった。
<完>
「何がよ」
いきなり大根になじられたので、とりあえず霊夢は問い返した。
いつもの縁側での、ささやかな午睡から覚めた矢先のことだった。
「私の、この姿を見ればお解りでしょう?」
「はぁ」
姿。
繰り返すが大根である。
寸胴でやや小ぶりの白い根菜が、二股に分かれた所を足にして、ちょこんと縁側に立っている。
葉の部分は根本近くで断ち切られており、霊夢から見下ろすと、さながら刈り上げ頭の童子のような風情があった。
「あんた、きのう私が八百屋で買ってきた大根よね? 台所に置いといた……」
「いかにも。数ある大根の中でこの私を選んだあなたの目利き、なかなかのものです」
「どうやら目利きを誤ったらしい」
得意げに足をくねくねさせる大根を前に、霊夢は溜め息をつく。
大根が喋るという異常事態に対して霊夢がこうも無感動なのは、もういいかげん慣れっこになってしまったからである。
ここ最近、幻想郷のそこかしこで、身の回りの道具が次々と付喪神化するという異変が起こっていた。里では鍋や茶碗が舞い躍り、魔理沙の八卦炉はところ構わず黒炎を吹き上げ、博麗神社では血に飢えたお祓い棒が手当たり次第に妖怪を追い回している。どうせなら箒も勝手に働いてくれないものかと期待していた霊夢だったが、果たして動き出した箒は職務を放棄して昼寝ばかりしている。まったく、どんな教育を受けてきたのか。
改めて、霊夢は傍らの大根を見る。冷静に考えれば、これほど流暢に喋る付喪神も珍しい。発生する個体がより強力になりつつあるのかもしれない。
妖怪退治の手間が省けるので放っておいたこの異変だが、そろそろ解決にかかる潮時か、と巫女の勘が告げていた。
……まあ、それはそれとして、
「私、大根に非難される心当たりは無いんだけど……」
「嘆かわしい」
「勿体ぶってないで、何が不満だってのよ。食われるのが嫌なの?」
霊夢が問うと、大根はぷるぷると横揺れを始めた。どうやら首を振っているらしい。
「滅相もない。逆ですよ逆」
「あら、食われたいの?」
「野菜の本懐ですから」
「ふーん。でもそれなら、今朝ちゃんと食べたじゃない。あんたの、この葉っぱ」
言いながら、大根の刈り上げ頭をつついてやる。
そう。霊夢は今朝、この大根の葉をまず食べた。
茹でて刻んで塩を振り、炊きたてのご飯に混ぜて菜飯をこしらえ、お揚げの入った味噌汁とともに美味しくいただいたのだ。
「葉っぱだって大根の一部でしょ。違うの?」
「存在意義の比重という点では、ノーと申し上げておきましょう。私の名は伊達ではないのですよ。やはり、この白さ太さこそが大根の華」
「花じゃなくて根でしょうが」
大根は聞こえない振りをした。
「まあ……言いたい事は解ったわ。要するに、葉っぱを先に食われたのが気に入らないのね」
「そういうことです。人間には理解しにくいかもしれませんが」
「別に理解したくもないけど」
「例えばですね。あなたが首尾良く愛しの相手に押し倒されたとして、その相手があなた自身よりも剥ぎ取ったぱんつの方に夢中だったら腹が立つでしょう?」
「いやだから説明しなくていいっていうかどういう喩えだ」
だんだん面倒になってきた霊夢。
いっそ退治してやろうかとも思ったが、せっかく買った食材であるし、恨まれると後々消化不良を起こすかもしれない。ここは大人の対応で穏便に済ませることにする。
「……とにかく、あんたの事はせいぜい美味しく食べてあげるから、おとなしく台所に戻りなさい」
「そうですか! それなら良かった」
「なんだったら、選ばせてやってもいいわよ。味噌汁に浮かぶか、糠床に漬かるか、大根おろしになって焼き魚と添い遂げるか」
「あっ、それなら私ポトフがいいです」
「……ポ……なんだって?」
唐突に出た未知の単語に、霊夢は眉をひそめる。
「ポトフ、知らないんですか? 自炊なさってるのに」
「あんたはなんで大根のくせにそんなこと知ってるのよ」
「ポトフというのはー、野菜とか肉? か何かを煮たような炊いたような、お洒落な料理ですよ」
「やっぱり良く知らないんじゃないの」
「とにかくポトフになりたいのです。憧れなんですポトフ」
「あーうるさいうるさい」
ぴょんぴょんはしゃぐ大根にまとわりつかれながら、妙な仏心を見せるんじゃなかったと霊夢は頭を抱える。
ポトフとやらが美味しくて真っ当な料理であるなら、作ってやるのは別に構わないのだが、なにしろレシピが判らない。紫がいれば、大抵のレシピは(スキマの向こうでなんかカタカタ調べる音がした後に)教えてくれるのだが、こういう時に限っていないのがあの妖怪だ。
名前から察するに洋食の一品だろうか。さてどうしたものか――。
◇ ◇ ◇
そして、霊夢は眠りから覚めた。
「……ふ、ぇ?」
目を開き、体を起こせば、そこはいつもの縁側だった。
あくびと溜め息を同時にしながら、やれやれと霊夢は体を伸ばす。奇妙な夢を見たものだ。
ポトフなるものがどんな料理だったのか、気にならないといえば嘘になるが、ともかくこれで永遠の謎になってしまったわけだ。
さて、今夜はなにを作ろうかと考えながら、霊夢はなんとなく周囲を見回し、
――置いた覚えのない、それでいて見覚えのある大根が一本、ごろんと傍らに転がっていた。
「………………」
「どうしたのよ。大根なんかと見つめ合っちゃって」
視界の外から飛んできた声に、ふらりと顔を上げる。
アリスが、不思議そうな顔をしながら鳥居をくぐるところだった。
「……ちょっと、もしもし? 霊夢起きてる? ほっぺたに縁側の木目の跡がついてるわよ」
ぼんやりと己の頬を撫でながら、霊夢はぽつりと尋ねた。
「アリス、ポトフの作り方って知ってる?」
「へっ?」
◇ ◇ ◇
「普通は大根じゃなくて蕪を使うんだけどね。ま、こんなもんでしょ」
「へえー。なんというか……なんでもない料理ね」
「ありふれた家庭料理だもの。実家ではよく食べたわ。おか……母が得意だったから」
霊夢は里へ材料の買い足しに。
アリスは自宅へ魔界産の香辛料を取りに。
二人が神社に戻り、いくばくかの作業と気長な煮込み時間を経て、ポトフは完成した。
さきほど霊夢の隣に転がっていた大根も、今は人参や玉葱や塩漬け豚と一緒に鍋の中でほかほかと湯気を立てている。
「いただきます」
「いただきます」
思わぬ長居をすることになったアリスと、霊夢。二人で食卓に手を合わせる。
霊夢にとって初めてのポトフは、別にお洒落でもないけど、なんでもない料理だけど、暖かくて優しくて、またいつか食べたいと思う味だった。またいつか、アリスが来た日にでも。
「おやつのつもりで持ってきたんだけど、夕食のデザートになっちゃったわね」
食後。
アリスが持参してきた籠から取り出したのは、色よく焼けたふわふわのシフォンケーキ。そもそもアリスはこれを差し入れるために神社を訪ねて来たのだ。
やわらかなスポンジを崩さぬよう慎重に切り分けて出してやると、わあ、と霊夢が顔を綻ばせた。普段はなにかと冷淡な霊夢だが、甘い物を前にした時はつくづく素直であどけない笑顔を見せる。実のところアリスはそれが見たくて差し入れしているようなものだった。
「んー、おいしい」
「そう? それなら良かったわ。このケーキ、ちょっといつもと違うから」
「違う? ……ああ、このちょっとほろ苦い粒々のことね。いい香りだけど、何を混ぜたの?」
「オレンジの皮を削ってね。細かく刻んで、軽く砂糖煮にしたのを入れてみたの」
「ふーん。オレンジの、皮をねえ……」
「どうかした?」
なにやら思案顔の霊夢に、首を傾げるアリス。
「ねえアリス。皮を取ったオレンジって、それからどうしたの?」
「えっ? 後で食べようと思って、とりあえず台所に置いといたはず……だけど……」
霊夢がおもむろに、部屋の隅に置いてあったアリスの籠へと視線を向ける。
アリスもつられてそちらを見る。
「ひどいじゃありませんか」
恨めしそうな声を上げ、日除けの布を掻き分けて、あちこち皮の禿げたオレンジが籠から顔を覗かせていた。
うん。明日、異変解決に行こう。
怯えるアリスに抱きつかれながら、霊夢はそう決心したのだった。
<完>
面白かったです。
貧乏性ゆえ、塩漬け豚肉の塩抜きを怠り、いつも塩加減を失敗してしまいます。
作者に感謝
本当にこんな小異変があったかも、と思ってしまいますね。
オレンジに怯えるアリス可愛い