Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ウサギ三匹今日も地球の下で

2015/09/02 18:56:09
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 時期は定かではないが、鈴仙が地上に降りる前のことになる。
 鼠色の月の都に連なる建築群。その中にひときわ大きな屋敷がある。鈴瑚は屋敷のそばに身をひそめていた。
 建物と建物の隙間、せまい路地裏にひざをたたんでいる。薄暗闇に鈴瑚の目が赤くきらめく。ひざの上には小型の端末が置かれ、器用に水平にバランスがとられている。端末は二つ折りのものを開いた形だ。上はモニタ。下の鏡面には文字が規則正しく羅列されている。月の古典的な機械だ。
 鈴瑚の頭の中にテレパシーが響く。秘密回線テレパシーは良好だ。
〈二階の東窓から綿月亭に侵入成功〉
〈二階は二十日前から警備の配置が変わってる。まっすぐに鈴仙の部屋にはいけないよ〉
〈じゃあどうするの〉
〈南の廊下から回りこんで〉
 端末モニタが綿月亭二階の間取り図を映し出す。点滅する緑の点が南の廊下を進んでいった。西廊下へ出るとなったとき、赤い点との距離が縮まる。鈴瑚は少しひやっとしたが、緑の点はその場で止まり、壁際へ身をひそめた。
 赤い点は南廊下を横切り、西廊下の奥へ進んでいった。ふたたび緑の点が動き出す。西廊下を進み、北廊下との丁字路へ。北廊下には二つ目の赤い点が漂っていた。
〈止まって、警備ドローンがそっち見てる……いまだ、部屋いっちゃえ〉
 赤い点が遠ざかっていくのに合わせて、緑の点が北廊下のど真ん中へ。部屋にたどり着いたようだ。
 鈴瑚は懐のきんちゃく袋から団子を取り出して、口に放り投げた。と、清蘭のテレパシーが飛び入る。
〈鍵が合わない。変えられたんだ〉
 鈴瑚は団子を噛むのをやめて、モニタにかじりつく。さっき東廊下へひっこんだはずの赤い点が引き返してきた。
〈ドローンが戻ってきてる。いったん隠れて……清蘭? 応答して〉
 赤い点は北廊下に入りつつあった。清蘭の位置は変わらない。場所を変えない限りは警備ドローンの視界に入ってしまうだろう。
 鈴瑚が焦っていると、テレパシーを通じて妙なノイズが入ってきた。清蘭の思考に乱れが起きた証拠だ。赤い点はさらに距離を縮めつつある。
〈清蘭!〉
 すると、緑の点がすっと部屋に入ったではないか。鈴瑚はモニタが狂ったのかとおもって文字の羅列に指を這わせる。録画していた映像記録を確かめたが、やはり緑の点は鈴仙の部屋に入る動きをしていた。再びリアルタイム映像に戻ってみると、恐れていた赤い点が黙々と鈴仙の部屋を通り過ぎていく。
 鈴瑚がまだ混乱していると、テレパシーにふたりぶんの声が流れてきた。
〈ありがとう〉
〈ノックしてよ。急に弾が飛んできてびっくりしたじゃない〉
〈どうよ私の力、便利でしょ〉
〈ちょっと、鈴瑚も聞いてるんでしょ。あんたの指示ね〉
 鈴瑚は「うーい」とだけいっておいた。清蘭の会話の相手は鈴仙だ。つまり侵入は成功したのだ。
 鈴仙の部屋の中で緑の点がふたつに増える。ひとつはせわしなく動きだす。
〈耳とぎブラシがまた新しいのになってる。使っていい?〉
〈やめてよ。あんたの毛が絡むでしょ〉
〈香水も新しいじゃん。綿月さまってさ、どこまでワガママ聞いてくれるの?〉
〈違うわよ。勝手にくれるんだもん。だから使わないでって〉
 ザッ、ザッというノイズが聞こえはじめる。清蘭が鈴仙の耳とぎブラシを使っている音だ。鈴瑚のしおれた耳までくすぐったくなってくる。
〈さっさと抜け出してよ〉
 鈴瑚が催促するとふたつの点が廊下を出た。堂々と赤い点の前を横切って、東廊下の窓にむかっていった。鈴仙がいれば警備ドローンは異常なしと判断するのだ。
 ふたりが屋敷から出たのを見計らい、鈴瑚は端末を懐にしまった。やがて路地裏の奥から清蘭と鈴仙が走ってやってきた。あとは三人そろって屋敷から遠ざかるだけだ。
 路地裏を出ようとしたときだった。頭上からかすかな物音がするや否や、三人の目の前になにかが落下してくる。路地裏の石畳が粉々に砕け、瞬く間に土埃の壁を築く。衝撃はすさまじく、先頭をいく鈴瑚はごろりと尻もちをついた。
 土埃から現れ出てきたのは誰あろう、綿月依姫だった。力みなぎる足並みで鈴瑚の前にやってくるや、胸倉をつかんで空高く持ち上げてみせた。
「警備パターンを変えたのは、あなたたちが原因なのですよ!」
「す、すみません」
「鍵の変更もタダではありません!」
 依姫の視線はさらに鋭く、鈴瑚をいまにも切り裂いてしまいそうだった。腕がブルンと振るわれて、鈴瑚の体はマリのようにあっけなく宙を舞う。清蘭と鈴仙が受け止めてくれなければ、壁に叩きつけられていたところだ。
 依姫が鈴仙をにらみつける。
「七時間以内にもどってきなさい」



 鈴瑚、清蘭、鈴仙は知り合いだった。友だちといってもよかった。だが三人の間で友だちという言葉が交わされたことはなかった。
 三人は玉兎の宿舎に向かったが、宿舎に入るときも、こそこそとした動きをやめなかった。宿舎を勝手に抜け出したことがほかの玉兎に見つかってはまずい。上官に告げ口されると手痛いしごきを受ける。それとは別に、鈴仙のことが誰かに見られてもいけなかった。
 三人は宿舎裏側の窓から廊下に入った。忍び足で鈴瑚と清蘭の共同部屋へ向かっていく。
 途中、妙な音が聞こえてきたが、なんてことない、誰かの部屋から声が漏れているだけだ。三人はすみやかに通り過ぎていく。ふたりのウサギの湿り気ある声が重なって聞こえてくる。こういう音は玉兎の宿舎では日常茶飯事だ。
 廊下の向こうから玉兎の声が聞こえてきた。さすがに三人は壁際の隙間に身をひそめて、様子をうかがう。玉兎が三人、連れ立って横切っていった。
「地球の人間が攻めてくるんだって。でっかい筒で乗りこんでくるとか」
「えーやだね。戦争じゃん。どうせあたしら前線でしょ。そーだ鈴仙だけ出兵させりゃいいんだよ。あいつ強いし。それで死ねばいいんだよ」
「ダメだって。鈴仙は綿月さまのヒーキだもん。前線なんて来ないよ」
「あいつ今日の訓練も途中で抜けたよね。どんだけ綿月さまに気に入られてんの。股でも舐めてんのかな」
「わたしも綿月さまのおまた舐めて訓練さぼりたーい」
 玉兎が通り過ぎていった。
 鈴瑚がちらりと鈴仙をみると、無心の顔で壁だけを見つめている。鈴瑚は何もいわず再び進むことにした。
 部屋まで来ればもうなにも恐れることはない。鈴瑚は懐におさめていた機材を机になげうつ。清蘭は二段ベッドに飛びつき、こそこそしていた鬱憤を晴らすように跳ね回る。鈴仙は座布団の上にちょこんと座り、口を開いた。
「今日は何をしでかすつもりなの」
 鈴瑚は団子をみんなへ投げ渡しながら、しゃべる。
「永琳って知ってる?」
「裏切り者のばあさん」
 答えたのは清蘭だった。鈴瑚は鈴仙から目を離さない。
「永琳が昔に住んでいた屋敷があるんだよ。そこに侵入しよう」
「立ち入り禁止区域じゃん。私を巻き込まないでよ」
「永琳の作った薬にね、どんな食べ物でも極上にするって薬があるらしいの」
 ベッドのスプリングと一体になっていた清蘭が床に降りた。何をするのかと見ていると、部屋の隅から臼と杵を持ち出して、餅をつく準備をはじめた。
「おなかすいたよね。鈴仙てつだってよ」
 鈴仙は苦々しい顔をしながら清蘭のそばにいった。部屋の中で餅つきがはじまる。鈴瑚はそれを横目に机に投げたばかりの端末を起動させた。廃屋敷にまつわる資料を映し出す。
 廃屋敷はかつて八意永琳という賢者が住んでいた場所で、いまだ壊されていない。理由は諸説ある。月の賢者たちが屋敷の施設を実験につかっているという、のっぴきならない噂もある。廃座敷の周囲は結界で阻まれているが、度重なる無法者の侵入で意味を成していない。
 鈴瑚はさらに端末を操る。入念にしらべておいた廃屋敷の情報を、いまいちど復習しているのだ。鈴瑚の情報収集は完ぺきだった。廃屋敷の間取り図も手に入れている。これを探し出すのは苦労した。
 鈴瑚が勉強熱心なそばで、清蘭と鈴仙は餅を作り終えていた。鈴瑚の手元にべちょべちょした白い塊がさしだされた。
「鈴仙の手水がへたくそだったから失敗しちゃった」
「だって、おもちなんて作ったことないもん」
 鈴瑚は餅のなりそこないを団子に絡めて口にはこんだ。まずかった。
(噂の薬が本当にあるのなら、たとえ鈴仙が作った餅でも美味しくなるんだ)



 三人は宿舎を抜け出て、廃屋敷へと急いだ。月の都の中央に建てられていながら、結界のためにほとんど目立たない。誰の目にも映らないまま、ひっそりと佇み続ける。
 廃屋敷は一見キレイで、まだ誰かが使っているとしても不思議ではなかった。三人は廃屋敷を覆う結界の、とりわけほころびが強い箇所から敷地へと侵入してみせる。正面玄関から堂々と中に入った。
 屋敷の中は、さすがに人の手入れが行き届いていない。薄暗く、音がなく、埃に覆われていた。三人の瞳が暗闇に赤い残光を生む。床を踏みしめると足元が霧を撒いたようになった。
「こっちだよ」
 鈴瑚は端末を片手に清蘭と鈴仙を導いていく。廃屋敷の構造と間取り図は一致していたので、道をまちがえる心配はなかった。
 玄関ホールから右側の廊下を抜けていく。廊下の行き止まりに薬品保管所がある。鈴瑚はそこに噂の薬があると予想していた。
「待って、音がする」
 突然、鈴仙が鈴瑚の肩をつかんだ。鈴瑚が振り向こうとしたとき、廊下の先で鉄の打ちつけられた音がした。天井から警備ドローンが降り立ってきた。八本足が動くたびに錆っぽくきしむ。
 警備ドローンの単眼レンズに三人の驚く顔が映りこむ。警備ドローンからサイレンのかすれきった小さな音が漏れ出る。きっとスピーカーが壊れているのだ。その情けない音をまとって廊下を疾走してきた。
「黙らせてやる」
 清蘭が前に出ようとする。だが、鈴仙が彼女を押しのけ前に出た。廊下に仁王立ちする。何をしようというのか。
「鈴仙」
「任せて」
「あんたが強いのは知ってるけどさあ」
 ふと、鈴瑚は景色の異変に気付いた。目の前の廊下がわずかに歪んでいるように見えたのだ。さっきまでそんなことはなかった。横目に鈴仙の顔を覗いてみれば、彼女の瞳は炎を灯したようだった。
 ドシン、と重たい音がした。警備ドローンは何を考えているのか、方向を転じ、壁に頭をこすりつけはじめた。足はせわしなく動いて、あくまで疾走する姿をやめない。壁の破片がぼろぼろと零れ落ちていく。
「じゃ、いこっか」
 鈴仙が何食わぬ顔で警備ドローンの横を通り過ぎていく。警備ドローンは鈴仙に目もくれず、壁にかじりつきっぱなし。鈴瑚は清蘭と顔を見合わせ、そそくさと鈴仙のあとを追った。
 三人は何事もなく薬品保管所の扉を潜り抜けた。扉を閉めた直後、廊下からすさまじい轟音が響き渡る。清蘭がおびえて鈴仙にしがみついた。
「な、なんの音」
「離れてよ」
 鈴瑚は埃くさい部屋を見渡して眉をひそめた。
 部屋はたしかに薬品保管所だ。打ち捨てられた今なお、薬品のするどい臭いが鼻をつく。そうした薬品たちを収めておくガラス棚がところせましと並び立ち、鈴瑚たちを圧している。ところが肝心の薬品はほとんど残されていなかった。棚の中には黒いぼんやりとした空間があるばかり。
 鈴瑚はためしにガラス棚のひとつを開いてみた。ラベルのついていないカラ瓶がふたつ転がっているのみだった。清蘭の声が聞こえてくる。
「何もないじゃん、鈴仙はどう」
「こっちもダメ。カラ瓶ばっか」
 清蘭と鈴仙も棚をあちこち見て回っていたが、状況は鈴瑚と変わらぬらしい。やがて清蘭が鈴瑚のもとまで戻ってきた。
「拍子抜け。どうすんのこれ」
「ちょっと待ってよ」
 鈴瑚はいそぎ間取り図を開いて確かめる。廃屋敷は地下室をふくめ三階までしかなく、薬品保管所は一階にしか見当たらない。他にそれらしい名前の部屋はなし。そこで鈴瑚はとある部屋にめぼしをつける。
「地下にいってみよう、倉庫が気になる」
「私、そろそろ綿月さまのところに戻らないと」
「まだ時間はあるでしょ。それに鈴仙の力があれば、警備ドローンもさばける」
 廊下に出た三人を待っていたのは、無数の警備ドローンだった。
 どこから湧いて出たのか、狭い廊下に群がっている。三人が廊下に出たと同時に、一斉に単眼レンズが向けられる。
「れ、鈴仙」
 清蘭は鈴仙を先頭に突き出した。ふたたび鈴仙の瞳が燃えはじめる。警備ドローンの群がっているあたりが歪む。それは鈴仙の力で光の波長が操作され、警備ドローンの視界をねじまげているからだった。事実、警備ドローンのいくつかは、またしても壁や天井にむかって突撃しはじめた。
「なにやってんの、こっち来てるじゃん」
 清蘭が叫んだのも無理はない。警備ドローンの半分ほどが三人へ向かってきたのだ。いくら鈴仙が睨みを効かせても彼らの動きは止まらない。レンズはあらぬ方向をむいているので、やみくもに走ってきているわけだ。
 ここは廊下の突き当り、逃げ道は正面を超えるしかない。鈴瑚は意を決する。
「正面突破だ。鈴仙はそのまま力をつかって。いくよ」
 ちょうどそこで、鈴瑚の頭にむかってドローンの前足が振り下ろされた。鈴瑚は飛び跳ねて前足を避け、ドローンの頭上をまたぎこえる。ふたりがついてくる。足場はほとんど埋め尽くされていたが、玉兎には関係のないことだった。鈴瑚たちはつま先をピンとのばしてドローンの頭に飛び移ると、体重を感じさせぬ軽やかさで飛び跳ねた。
「あっ」
 と、清蘭の声が聞こえた。鈴瑚が振り返ってみると、清蘭の姿がない。彼女の青い衣が、かろうじてドローンたちの隙間に垣間見えた。足を踏み外したのだ。
 鈴仙も振り返って、足を止めようとさえした。
「清蘭が!」
「立ち止まらないで」
 鈴瑚は鈴仙を思いとどまらせながら、どんどんドローンを追い越していく。
 まもなくしてふたりは床に降り立った。玄関ホールにもドローンがいたので、すみやかに地下室の階段へと潜っていった。
 適当な部屋にひそんだふたり。鈴瑚はきんちゃく袋の団子を口に投げ、鈴仙にも手渡した。鈴仙は団子を受け取らなかった。そのそっけない様子が、普段みんなから嫌われている彼女の姿を思い出させる。鈴瑚はふと、そのことについて口にしたくなった。
「鈴仙、綿月さまはどう」
「べつに、よくしてもらっているけど」
「綿月さまから、みんなと仲良くするなって指示されているの?」
「なんでそんなこと聞くの」
 鈴瑚はあまり噛んでいない団子を飲みこんだ。
「みんなと仲良くないし」
「あいつらが仲良くしてくれないだけでしょ」
「鈴仙がそっけないから」
「だから悪いのはあいつらだって」
「そんな敵視しなくても」
 鈴仙は露骨に顔をゆがめた。
「なんなんだよさっきから。余計なお世話だよ」
「親切でいってんだよ」
「うるさいなあ!」
 鈴仙は怒鳴って、ひとりで歩き出した。鈴瑚が腕をつかもうとすると、その腕を強く振り払った。
 鈴瑚はムキになってもういちど腕を捕まえにかかる。すると、テレパシーの受信音が脳内に響き渡った。どうやら鈴仙にも伝わったようだ。ふたりして虚空を見つめる。
〈清蘭だよ。面白い部屋を見つけたんだけど、みんな今どこにいるの〉
〈鈴瑚。地下だけど〉
〈私も地下なんだ。建物の南側に来れるかな〉
〈ああ、うん〉
〈どうしたの、早く来てね〉
 テレパシーが終わって、鈴瑚は鈴仙に近づくことなく声だけかけた。
「南側にいこう」
 地下階の南廊下にむかうと清蘭が待っていた。
「どうやって地下に来たの」
「逃げたさきにあった部屋がね、床が抜けててさ、みにいく?」
「いいよ。面白い部屋ってとこに連れてって」
 彼女はとある部屋へ案内してくれた。扉には自室とだけ記されていた。事務室のような部屋は、しかし薬品の臭いがきつい。
 部屋の机のうえには薬瓶が転がっていた。清蘭が自慢げな顔でそれを指さした。薬瓶を実際に手にとってみれば、中でジャラジャラと音がした。
「やったじゃん清蘭」
「けどどれがどの薬だか分かんないんだよね」
 たしかに、鈴瑚がざっと見た限り、どの薬もラベルがないか、破られていた。だがこんなことで臆する鈴瑚ではない。目につく薬瓶をすべて懐に忍ばせていった。持ちきれないものは清蘭と鈴仙に渡していった。
 三人で獲物に喜んでいると、廊下の向こうから警備ドローンの歩行音がした。長居は無用と、三人はそそくさ部屋を出ていくのだった。



 宿舎にもどった三人はさっそく薬の選別にとりかかった。
 色のついた錠剤はまずそうだったのでゴミ箱に捨てた。白い錠剤はあまりに多すぎたので選別がむずかしく、けっきょく捨てた。残されたのはただひとつ、液体で満たされた薬瓶だった。
 鈴瑚は薬瓶のふたを開いて臭いをかいでみた。形容のできない臭いがほのかに香る。正直なところ、食べ物と合わせたくない臭いだった。
「液体ならご飯にかけることだってできるし、餅に混ぜることだってできる。けどすぐに試したいから、今は団子だ」
 鈴瑚は皿を一枚用意した。そこにお月見でするように団子を並べ重ねたあと、上から薬をかけていった。液体は無色透明だったので、ちょうど水あめをかけたみたいな風情だった。そして、ここからが不思議なことだ。薬は団子のまわりを覆ったと思いきや、みるみるうちに団子に吸いとられていく。団子はほんの少し膨らんで、しっとりとした。はたで見ていた清蘭と鈴仙も、感嘆の声を漏らす。
 三人、さっそく団子を食べてみる。
 鈴瑚は欲張ってふたつも頬張った。薬品特有のえぐい臭いが口に満ちて、息をすると鼻を通り抜けていく。さっさと飲みこもうとしたが、薬を吸った団子は異常にもっちりとしていた。噛みきれない。無理に噛み切ろうとすると粘ついた生地が歯に絡みつく。飲むこむと、形を保った団子が食堂を広げていくのだった。胃にドスンと落ちたところで、鈴瑚は食べなければよかったと後悔する。
 三人ともおなじ具合だった。薬を間違えたのだ。部屋の空気がみるみる悪くなっていく。一言も交わされなくなった。
 が、不運はこれだけでは終わらない。しばらくすると、鈴瑚は猛烈な胃もたれに襲われはじめる。さっき食べた団子が消化されず、悪意をもって胃の中で暴れはじめたかのようだ。猛烈な吐き気。
 我さきにと立ち上がったのは鈴仙だった。部屋を飛び出していく。清蘭は部屋のゴミ箱をかかえて、さっそくげえげえやりはじめた。鈴瑚は胸のむかつきにかろうじて耐えながら部屋の換気扇を回す。清蘭の吐しゃ物の臭みは、鈴瑚の鼻にたどり着く前に換気扇へ吸いとられていった。
 しばらくして、落ち着いてきた鈴瑚と清蘭は水を飲み回した。ふと、清蘭が思い出したようにしゃべりだした。
「ねえ、廃墟で鈴仙となにかあったの」
「ちょっと人付き合いのことで助言をしようとして、喧嘩になった」
「あんたが喧嘩しちゃだめでしょ。ウサギでさ、鈴仙と仲いいのは私とあんただけなんだから」
「だから、それを何とかしたくって」
「今の鈴仙じゃ無理だって。ほかのウサギと仲良くなるの。本人が嫌がってるし、ほかのウサギもうざがってる」
「うーん」
「今のままがいいよ」
 廊下から争いっぽい声が聞こえてきた。ふたりはさいしょ気にしなかったが、争いに鈴仙の声が混じっているような気がした。
 ふたりは急いで廊下に出る。トイレの入り口に鈴仙の背中が見える。三人の玉兎が鈴仙を取り囲んでいた。駆けつけたふたりの耳に、玉兎の声が突き刺さってくる。
「宿舎に忍びこんできちゃって!」
「忍びこんでない。私だって書類上は宿舎に入っていいの」
「あんた綿月さまのペットでしょ、ペットが勝手に出歩いてんじゃねーよ!」
 と、玉兎たちが鈴瑚に気づいた。
「あんたまた鈴仙を連れこんで。ペットの散歩なら外でやれって」
「うるさいなあ」
「あ、そっかー。あんたデブだから外で散歩するのがおっくうなんだ」
 鈴瑚はその一言にカッとなって玉兎に組み付いた。壁にむかって投げ飛ばすや、ほかの玉兎が背中にとびのってくる。それを清蘭が蹴り飛ばす。三匹目の玉兎が拳を振り上げたが、これにはさすがに反応できず、鈴瑚は頬を殴られた。
 投げ飛ばされた玉兎が体を起こして、弾幕を飛ばしてきた。鈴瑚と清蘭の耳元で火花になって弾ける。清蘭がうっとうしそうに怒鳴る。その弾幕がいきなり掻き消えて、瞬きせぬ間に蹴り飛ばされた玉兎の腹へ雨あられと降り注いだ。鈴瑚は目の前の玉兎を殴り返して、またもや投げ飛ばす。さっき団子をふたつも食べたものだから、力が有り余っていた。
 こんな調子で五人の玉兎はぶつかりまくった。鈴仙だけは壁際によって、茫然とした目で眺めているばかり。そうこうしていると廊下に野次馬が集まってきて、しまいには上官の玉兎がやってきた。
「喧嘩しているのは誰だ。なんで鈴仙がここにいる。お前ら邪魔だ散らばれ」
 上官は野次馬を追い払った。そのころには五人も上官に気づいて、めいめいに動きを止める。
「五人とも離れろ。今すぐ私の部屋にこい」
「さいしょに手を出したのは鈴瑚ですよ」
「黙れ。鈴仙以外の五人は来い」
「また鈴仙だけヒーキにして! 上官、綿月さまが怖いんだ」
 上官はごねる玉兎を睨みつけた。するとその玉兎が頭を抱えてうなりだす。テレパシーで頭痛を与えているのだ。彼女はそれっきり黙った。
 上官が歩きはじめたので、五人もしぶしぶついていく。鈴瑚は鈴仙とのすれ違いざま、そっと声をかけた。
「今のうちに屋敷へ戻りなよ」
 鈴仙は目くばせだけしてきた。



 上官にこってり絞られたあと、鈴瑚と清蘭はまたしても宿舎を抜け出した。月の都から離れて、広すぎる灰の海原へと向かったのだ。そこに彼女たちのお気に入りの丘がある。
 ふたりはお気に入りの丘まで走ってやってきた。走った勢いのまま飛び跳ねて、月のおだやかな重力に身を任せる。空で何回転もしたあと丘に寝そべった。ふたりの頭上には青々とした地球が止まっていた。
 ふたりは地球を眺めた。いつまでも眺めた。いつもならそれだけで心がスッとしてくる。しかし鈴瑚はもやもやしていた。鈴仙と喧嘩したことが、心から離れてくれなかった。
 ふいに、ふたりの頭上に影が刺す。鈴瑚はつい口を開いた。
「鈴仙、帰らなかったの?」
「あそこで帰っちゃダメでしょ」
 鈴仙が鈴瑚のそばに腰をおろしてくる。ふたりと同じように地球を眺めはじめた。
 鈴瑚はあれこれと迷った、気恥ずかしかったのだ。だが、やがて決心もついてあのことを謝ろうとおもった。
「あの、廃墟でさ、ごめんね。変なこといって」
「え」
「あの、あのことね」
「いいよ。私もごめん。いきなり怒鳴っちゃって。みっともないね」
 言葉が途切れる。しばらく無言になった。月面で無言になると一切の音がなくなる。月面にはなにもない。
 清蘭が鈴瑚にむかってしゃべりだした。
「永琳って人、あそこにいったんでしょ」
「逃げたんだよ。輝夜さまって人をつれて雲隠れしたんだって」
 鈴仙が笑みをうかべる。
「逃げたいくらい良いところなのかな」
「人間がいっぱいいて穢れてるんでしょ」
 鈴瑚は清蘭に首をむけた。
「地上の人間がさ、月に攻めてくるって噂」
「望遠鏡で見えるよね。あのへんな筒でここまで飛んでくるんでしょ」
「あの筒にいっぱい兵隊を入れるらしいよ」
 鈴仙が顔を伏せた。
「そうなったら戦争じゃん。いやだな。どうせ私らが前線に出されるんでしょ」
「いやだよね。ま、私はデスクだろうから戦わないけど、鈴仙と清蘭はがんばってね」
 清蘭のひじが鈴瑚の横腹をつく。鈴瑚はおかしくなってへらへら笑った。すると清蘭も笑い出した。鈴仙もクスクスと笑みをうかべたが、地球を見上げて目を細めるのだった。
 ひとしきり笑った鈴瑚は鈴仙の表情に気づいた。単に地球にみとれているように見えた。自分も顔をあげてまた地球を眺めはじめる。明日もここに来ようとおもった。三人でここに来ようとおもった。



 その後。
 地上から人間が攻めてくるという噂が、稀神サグメ以外の誰も彼もの口からささやかれるようになった。玉兎の宿舎でもそういう雰囲気が強くなってきた。訓練が厳しくなったのが鈴瑚にも感じ取れた。
 鈴仙が月から消えたのはそんな折のことだった。なんの前触れもなく、ある日突然、綿月亭からいなくなった。綿月姉妹が残念がったのは語るまでもないことだ。
 逃走経路はわかっていた。夢の世界に築かれた地上偵察用の槐安通路を通ったのだ。どの通路を用いて、どこに降り立ったのはすべて判明していた。
 さらにしばらくして、いよいよ地上から人間がやってきた。だが大げさな争いごとは起きなかった。彼らが帰っていったあと、彼らの着陸地点の穢れ掃除に玉兎が駆り出された。それから地上侵攻の噂はしばらく続いたが、やがておちついていった。
 こういった事件が起きている途中、鈴瑚は趣味の情報収集でとあることを知った。
(地上には、幻想郷という比較的新しい世界があるらしい)
 宿舎の部屋はあかりが消えて薄暗い。机の上に置かれた端末のモニタだけがぼんやりとした光を放つ。モニタと向き合う鈴瑚の瞳はきらきらと赤い。背後の二段ベッドからは清蘭の寝息が聞こえていた。
 鈴瑚は端末の文字をいじって、上官からくすねてきた情報をつぎつぎとスライドさせていく。幻想郷の事細かな資料だ。鈴瑚は眉をひそめる。
(新しい世界か。上はこんな大事なことまで隠しちゃって、なにがしたいんだろ)
 清蘭が寝返りをうつ音がした。鈴瑚は手元の皿の団子をちらりと見る。手をのばしたが、思うところがあって引っこめた。昔の喧嘩で、喧嘩相手にぶつけられた言葉を思い出したのだ。それに合わせて鈴仙の顔も思い浮かんできた。
(鈴仙は地上にいった。上は鈴仙の行き先をまだ調べている最中だ。けど私にはわかる。鈴仙はこの幻想郷ってところにいったんだ)
 鈴瑚はしばらく幻想郷の資料とにらみ合いを続けた。これまでは月から幻想郷に入る方法が確立されていなかったが、資料にはその方法が書かれている。地上と月をつなぐ槐安通路の一部を、幻想郷向けに転用するというものだ。技術的には可能だが、実現のめどは立っていない。
 鈴瑚は目が痛くなってきたので端末の電源を落とした。ベッドに潜り、自分もいつか幻想郷に行くことがあるだろうと考えてみた。
青春モノみたいな雰囲気を目指す。
月舞台だと機械・現代用語を好きなだけ出せるので良い。
今野
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