「ごきげんよう」
「あ、こんにちは。お姉さん」
「何か面白い本は入ったかい?」
人里の一角、本が満ちるその空間、鈴奈庵に一人の女性が現れる。
彼女は店の店主――本居小鈴に、目を細めながら尋ねた。
「色々ありますよー。
最近、新作がどっさりと入ってきたんです。手前の棚にずらりと並べてありますので、お気に入りをどうぞ」
「ほほう。それじゃ、見させてもらおうか」
彼女――人の姿に化けた二ッ岩マミゾウは、『どれどれ』と腕組みをして、小鈴の勧めるずらりの新刊を眺めてみせる。
「どうじゃ。人の入りは」
「そうですねぇ。
この頃は、ぼちぼち、ですかね」
「ほほう? 人が減っているのか」
「うーん。そういうわけでもないんですけど。
なかなか面白い本が手に入らないものだから、順番待ちが発生しちゃってるんですよね」
「人気の本が手に入らないものだから、やってくるのはいいけれど、金は落としていかないということか」
「そういうことです」
「それは悲しいものだ」
この貸本屋に並ぶ本のラインナップは、それはそれは大したものである。
それら一冊一冊のタイトルを眺めているだけでも、本好きならば至福の時間となることだろう。
かてて加えて、見慣れぬ本も、また並ぶ。
小鈴曰く、『外の世界から流れてくる本』は、その見た目も文章も何もかも、この世界の一般的な本とは違う。
「外来本は?」
「大人気。いつだって出ていますよ。
待ちだけで……もう一ヶ月とかかな。人気のある本は半年待ちとかざらですね」
「ふぅん」
手に入れたところで、果たして読めるものかどうか。
この世界の基本的な言語とはまるで違う、まるで鬼の言葉のような不思議な言葉が並ぶ『本』。そんなものを手に取ったところで、大抵の人間は読むことすら出来ないはずだ。
「写真がたくさんあれば、読めなくても楽しいですけどね」
「確かに」
ビジュアルと言うのは大切だ。
文字ばかりの本を眺めることもいいことだが、やはり、絵がある方がわかりやすい。
ちなみに、そんな理由で、鈴奈庵の貸本ラインナップの中でもお客様人気上位を占めるのは漫画である。
「優先的に借りられたりはしないのか?」
「しますよ。
ただし、割増料金です」
「しっかりしている」
「どうぞどうぞ。もっと言ってください」
その見た目に反してしたたかな小娘は、自分の席としているカウンターに腰掛け、のんびりと、本を読んでいる。
見た目の装丁からして、あれは外様の本だろう。
少し興味は惹かれるが、彼女が手にしている本を奪うつもりはない。手を出そうものならかみつかれるだろう。
「うーん……」
並ぶ本を腕組みして眺めるマミゾウ。
なかなか、興味の向く本が見当たらないようだ。
「こんにちはー」
「こんにちは。いらっしゃいませ」
「借りていた本を返しに来たわ」
振り向くと、そこに、金色の髪をなびかせる女が一人、やってきていた。
あの女に、マミゾウは見覚えがある。
確か、人形遣いのアリス・マーガトロイドとかいう小生意気な娘だ。
「本好きの魔女様も、こうしたところにやってくるものなのかの?」
「あら、えっと……」
「こちら、うちのお店の常連さんなんです」
「そうですか。
こんにちは、アリスといいます。
ご推察の通り、本好きの魔女は雑食なので」
にやりと目許だけで笑うアリス。マミゾウの挑発を軽々と受け流す辺り、やはりしたたかだ。
「どんな本を読むんだい?」
マミゾウはアリスに聞いてみた。
このしたたかな娘だ。きっと、小難しい魔法書や、人間が手を出そうものなら博麗の巫女が飛んでくるような本を読んでいることだろう――そう思っての質問だったのだが、
「これです」
アリスが示したのは、カウンターの上に、綺麗にそろえられて並べられた文庫サイズの本。
タイトルはこうある。
『愛ゆえに、筋肉は戦う』
「………………………………えっ?」
「もう、すっごく面白い恋愛小説なんですよ! 特に第三巻からの盛り上がりが最高!」
「わかります! さすがアリスさん、お目が高い!
この作家さん、本当に、女性の心の機微の表現が上手ですよね!」
「うんうん!」
「……え? れ、恋愛……?」
表紙は、何やら暑苦しいスタイルで、『HAHAHAHAHA!!』とか笑いそうなガチムチマッチョのおっさんがこれでもかというくらいに厳しい表情でごっついGペンで線が描かれたものである。
どこにも恋愛要素などない。
いや待て、そもそも恋愛小説って、こう、美女と美男があれやこれやの困難乗り越えて結ばれたり破局になったりする、あれじゃないのか。
何このマッチョなおっさん。
「私も最初は、この表紙とタイトルで『何これ、ネタ?』と思って借りたんですけど、中を読んでびっくり!」
「第三巻の『インナーマッスルは心を結ぶ』なんて、本当に、タイトルそのものが伏線でしたよね!」
「そう! そうなのよ!」
「……筋肉で結ばれる心って一体……?」
色々なものが理解できない。
理解できないがゆえに、興味が惹かれる。
この恐ろしいタイトルと表紙と、そして中身とのアンバランスがいかほどのものなのか、まずは見てみたい。
「『マッスルラバーズ』は全巻そろってますよ。人気が高いので、全部、複製して大量に並べてあります。
奥の棚から順番に並んでいます。
最新刊は、その手前の棚ですね」
「あ、最新刊、入ったのね。どれ?」
「惜しい。アリスさん。タッチの差で借りられていっちゃいました」
「えー!?」
あの魔法使い、普段は冷静で、うっとうしいくらいに冷徹だとも聞く。
その彼女が、ここまで感情を発露させて残念がるなんて、きっと面白い本なのだろう。
何せ、魔女の読書量と言うか、本の虫っぷりは大したものだ。世の中にある、そんじょそこらの本じゃあ、こいつらはここまで残念がらない。
「じゃあ、仕方ないわね。
既刊をもう一回、読み返そうかなー」
「アリスさん、どの辺りの展開が好きですか?」
「そうねー。
まずは三巻が挙げられるけれど、私は十二巻辺りの、『立てよ、震えよ、我が筋肉! その戦いはプロテインと共に!』辺りも好きだわ」
「通ですね~。その辺りに隠された伏線の数々、そしてちりばめられた展開の妙が、読者の心を打つ。
よく見てらっしゃいますね~」
「あったり前でしょ」
マミゾウは、じっと、目の前のマッスルおっさんを眺めている。
顔をちょっぴり引きつらせながら、『どうしよう』と悩んでいる。
悩みつつ、手を伸ばす。
ページをめくるのが恐ろしいのだが、どうしたもんだかと動きが止まる。
「ああ、あったあった。
じゃあ、これ、また借りていくわ」
「はーい。
あ、お姉さん、マッスルラバーズシリーズは、途中から読むのはお勧めしませんよ。
まずは最初から。それが一番」
「……そ、そうか。じゃあ、それを借りていくとするか……のぅ」
「はーい」
小鈴お勧めの『三巻』を含めて、『初心者ならまずここまで』という六巻までを手渡される。
表紙はどれも暑苦しい、むっさいガチムチマッチョメンがこれでもかというくらいに分厚い胸板と上腕二頭筋を表現するものから始まっている。
「六冊で、えーっと、二週間。お値段は……」
言われるがまま、お金を払い、本を借りて、マミゾウは鈴奈庵を後にする。
「……どうしよう」
つい勢いで借りてきてしまったが、扱いに困る。めっちゃ困る。
っていうか、これ、家に持って帰っていいもんなんだろうか。
すんげー困る。
「……とりあえず、寺の連中に渡してみるか。あいつらなら、何ていうか、こう……あたしよりゃ、うん……適応力高いだろうし」
幻想郷っつーもんは、色んなもんごちゃまぜのごった煮の世界であるが、まぁ、そんな世界であるからして、こんな本もあるのだろう。きっと。絶対。間違いなく。すげー自信ないけど。
その世界において、まだまだ『初心者』の自分には、濃い部分への『突入』は、まだまだ無理があったのだ。
そう考えておかないと、色々、頭が痛い。
「……帰り道に、茶でも飲んでいくか」
そうつぶやくマミゾウには、明らかに『逃避』の色があったという。
ちなみに、くだんの『マッスルラバーズ』シリーズであるが、寺――彼女が住居としている命蓮寺という妖怪寺――へと持ち帰り、そこの連中に振舞ったところ、
「マミゾウさん……! こんな、こんな素晴らしい本があったんですね……!」
「い、いや、まぁ、うん……」
「私、こんなにも心を打つ、感動的な恋愛があるだなんて、今の今まで知りませんでしたっ!
一輪、一輪はどこ!? 今から全巻借りてくるから、お金ちょうだい! いちりーん!」
――と言う具合に、そこの住職の心の琴線を、これでもかというくらいに掻き立てまくる結果となった。
涙ぶわーと滝のように流し、ハンカチ片手に迫ってくる彼女の姿は、何というか、『仁王さまより怖かった』そうな。
「……あ、これ、中身は普通なんじゃな。意外に」
「知らないの? マミゾウ。
この人、タイトルをつけるセンスと表紙を致命的に間違ってるだけで、まともな作家さんなんだよ」
「……世の中、人は見た目によらんわい」
「あ、こんにちは。お姉さん」
「何か面白い本は入ったかい?」
人里の一角、本が満ちるその空間、鈴奈庵に一人の女性が現れる。
彼女は店の店主――本居小鈴に、目を細めながら尋ねた。
「色々ありますよー。
最近、新作がどっさりと入ってきたんです。手前の棚にずらりと並べてありますので、お気に入りをどうぞ」
「ほほう。それじゃ、見させてもらおうか」
彼女――人の姿に化けた二ッ岩マミゾウは、『どれどれ』と腕組みをして、小鈴の勧めるずらりの新刊を眺めてみせる。
「どうじゃ。人の入りは」
「そうですねぇ。
この頃は、ぼちぼち、ですかね」
「ほほう? 人が減っているのか」
「うーん。そういうわけでもないんですけど。
なかなか面白い本が手に入らないものだから、順番待ちが発生しちゃってるんですよね」
「人気の本が手に入らないものだから、やってくるのはいいけれど、金は落としていかないということか」
「そういうことです」
「それは悲しいものだ」
この貸本屋に並ぶ本のラインナップは、それはそれは大したものである。
それら一冊一冊のタイトルを眺めているだけでも、本好きならば至福の時間となることだろう。
かてて加えて、見慣れぬ本も、また並ぶ。
小鈴曰く、『外の世界から流れてくる本』は、その見た目も文章も何もかも、この世界の一般的な本とは違う。
「外来本は?」
「大人気。いつだって出ていますよ。
待ちだけで……もう一ヶ月とかかな。人気のある本は半年待ちとかざらですね」
「ふぅん」
手に入れたところで、果たして読めるものかどうか。
この世界の基本的な言語とはまるで違う、まるで鬼の言葉のような不思議な言葉が並ぶ『本』。そんなものを手に取ったところで、大抵の人間は読むことすら出来ないはずだ。
「写真がたくさんあれば、読めなくても楽しいですけどね」
「確かに」
ビジュアルと言うのは大切だ。
文字ばかりの本を眺めることもいいことだが、やはり、絵がある方がわかりやすい。
ちなみに、そんな理由で、鈴奈庵の貸本ラインナップの中でもお客様人気上位を占めるのは漫画である。
「優先的に借りられたりはしないのか?」
「しますよ。
ただし、割増料金です」
「しっかりしている」
「どうぞどうぞ。もっと言ってください」
その見た目に反してしたたかな小娘は、自分の席としているカウンターに腰掛け、のんびりと、本を読んでいる。
見た目の装丁からして、あれは外様の本だろう。
少し興味は惹かれるが、彼女が手にしている本を奪うつもりはない。手を出そうものならかみつかれるだろう。
「うーん……」
並ぶ本を腕組みして眺めるマミゾウ。
なかなか、興味の向く本が見当たらないようだ。
「こんにちはー」
「こんにちは。いらっしゃいませ」
「借りていた本を返しに来たわ」
振り向くと、そこに、金色の髪をなびかせる女が一人、やってきていた。
あの女に、マミゾウは見覚えがある。
確か、人形遣いのアリス・マーガトロイドとかいう小生意気な娘だ。
「本好きの魔女様も、こうしたところにやってくるものなのかの?」
「あら、えっと……」
「こちら、うちのお店の常連さんなんです」
「そうですか。
こんにちは、アリスといいます。
ご推察の通り、本好きの魔女は雑食なので」
にやりと目許だけで笑うアリス。マミゾウの挑発を軽々と受け流す辺り、やはりしたたかだ。
「どんな本を読むんだい?」
マミゾウはアリスに聞いてみた。
このしたたかな娘だ。きっと、小難しい魔法書や、人間が手を出そうものなら博麗の巫女が飛んでくるような本を読んでいることだろう――そう思っての質問だったのだが、
「これです」
アリスが示したのは、カウンターの上に、綺麗にそろえられて並べられた文庫サイズの本。
タイトルはこうある。
『愛ゆえに、筋肉は戦う』
「………………………………えっ?」
「もう、すっごく面白い恋愛小説なんですよ! 特に第三巻からの盛り上がりが最高!」
「わかります! さすがアリスさん、お目が高い!
この作家さん、本当に、女性の心の機微の表現が上手ですよね!」
「うんうん!」
「……え? れ、恋愛……?」
表紙は、何やら暑苦しいスタイルで、『HAHAHAHAHA!!』とか笑いそうなガチムチマッチョのおっさんがこれでもかというくらいに厳しい表情でごっついGペンで線が描かれたものである。
どこにも恋愛要素などない。
いや待て、そもそも恋愛小説って、こう、美女と美男があれやこれやの困難乗り越えて結ばれたり破局になったりする、あれじゃないのか。
何このマッチョなおっさん。
「私も最初は、この表紙とタイトルで『何これ、ネタ?』と思って借りたんですけど、中を読んでびっくり!」
「第三巻の『インナーマッスルは心を結ぶ』なんて、本当に、タイトルそのものが伏線でしたよね!」
「そう! そうなのよ!」
「……筋肉で結ばれる心って一体……?」
色々なものが理解できない。
理解できないがゆえに、興味が惹かれる。
この恐ろしいタイトルと表紙と、そして中身とのアンバランスがいかほどのものなのか、まずは見てみたい。
「『マッスルラバーズ』は全巻そろってますよ。人気が高いので、全部、複製して大量に並べてあります。
奥の棚から順番に並んでいます。
最新刊は、その手前の棚ですね」
「あ、最新刊、入ったのね。どれ?」
「惜しい。アリスさん。タッチの差で借りられていっちゃいました」
「えー!?」
あの魔法使い、普段は冷静で、うっとうしいくらいに冷徹だとも聞く。
その彼女が、ここまで感情を発露させて残念がるなんて、きっと面白い本なのだろう。
何せ、魔女の読書量と言うか、本の虫っぷりは大したものだ。世の中にある、そんじょそこらの本じゃあ、こいつらはここまで残念がらない。
「じゃあ、仕方ないわね。
既刊をもう一回、読み返そうかなー」
「アリスさん、どの辺りの展開が好きですか?」
「そうねー。
まずは三巻が挙げられるけれど、私は十二巻辺りの、『立てよ、震えよ、我が筋肉! その戦いはプロテインと共に!』辺りも好きだわ」
「通ですね~。その辺りに隠された伏線の数々、そしてちりばめられた展開の妙が、読者の心を打つ。
よく見てらっしゃいますね~」
「あったり前でしょ」
マミゾウは、じっと、目の前のマッスルおっさんを眺めている。
顔をちょっぴり引きつらせながら、『どうしよう』と悩んでいる。
悩みつつ、手を伸ばす。
ページをめくるのが恐ろしいのだが、どうしたもんだかと動きが止まる。
「ああ、あったあった。
じゃあ、これ、また借りていくわ」
「はーい。
あ、お姉さん、マッスルラバーズシリーズは、途中から読むのはお勧めしませんよ。
まずは最初から。それが一番」
「……そ、そうか。じゃあ、それを借りていくとするか……のぅ」
「はーい」
小鈴お勧めの『三巻』を含めて、『初心者ならまずここまで』という六巻までを手渡される。
表紙はどれも暑苦しい、むっさいガチムチマッチョメンがこれでもかというくらいに分厚い胸板と上腕二頭筋を表現するものから始まっている。
「六冊で、えーっと、二週間。お値段は……」
言われるがまま、お金を払い、本を借りて、マミゾウは鈴奈庵を後にする。
「……どうしよう」
つい勢いで借りてきてしまったが、扱いに困る。めっちゃ困る。
っていうか、これ、家に持って帰っていいもんなんだろうか。
すんげー困る。
「……とりあえず、寺の連中に渡してみるか。あいつらなら、何ていうか、こう……あたしよりゃ、うん……適応力高いだろうし」
幻想郷っつーもんは、色んなもんごちゃまぜのごった煮の世界であるが、まぁ、そんな世界であるからして、こんな本もあるのだろう。きっと。絶対。間違いなく。すげー自信ないけど。
その世界において、まだまだ『初心者』の自分には、濃い部分への『突入』は、まだまだ無理があったのだ。
そう考えておかないと、色々、頭が痛い。
「……帰り道に、茶でも飲んでいくか」
そうつぶやくマミゾウには、明らかに『逃避』の色があったという。
ちなみに、くだんの『マッスルラバーズ』シリーズであるが、寺――彼女が住居としている命蓮寺という妖怪寺――へと持ち帰り、そこの連中に振舞ったところ、
「マミゾウさん……! こんな、こんな素晴らしい本があったんですね……!」
「い、いや、まぁ、うん……」
「私、こんなにも心を打つ、感動的な恋愛があるだなんて、今の今まで知りませんでしたっ!
一輪、一輪はどこ!? 今から全巻借りてくるから、お金ちょうだい! いちりーん!」
――と言う具合に、そこの住職の心の琴線を、これでもかというくらいに掻き立てまくる結果となった。
涙ぶわーと滝のように流し、ハンカチ片手に迫ってくる彼女の姿は、何というか、『仁王さまより怖かった』そうな。
「……あ、これ、中身は普通なんじゃな。意外に」
「知らないの? マミゾウ。
この人、タイトルをつけるセンスと表紙を致命的に間違ってるだけで、まともな作家さんなんだよ」
「……世の中、人は見た目によらんわい」
手にとってもらえるかどうかの基準だし