『ぐぼぅはぁっ!』
人里の店に響く、断末魔の絶叫。
死屍累々と倒れ伏す人々の中、一人、平静を保っている女がいる。
「挑戦者。他にいないのですか?」
凛とした声と口調。
その視線で周囲を睥睨する彼女に、また一人、新たな挑戦者が立ちふさがる。
「……次は俺だ」
「どうぞ」
屈強な体躯の男。
まともに組み合えば、恐らく、女は相手にもならないだろう。
周囲が固唾を呑んで見守る中、彼は、彼女がついているテーブルへとついた。
「――お待たせしました」
神妙な声音で、店員が運んでくるそれを見て、彼は言う。
「先に選ばせてやる」
「ふふふ。なるほど、賢いですね。そうしてリスクを減らす――勝つために、己の尊厳すら捨てる行為、嫌いではありません」
彼女は口元に不敵な笑みを浮かべながら言った。
そして、彼女は迷わず、それを手に取る。
「どうぞ」
彼も同じく、それを手に取り、両者は一瞬にらみ合う。
そしてその直後、勝負はついていた。
「ふぅ。おなか一杯」
にこにこつやつや笑顔のピンク仙人こと茨木華扇こと茨華仙こと華扇ちゃんが、ぽんとおなかを叩いて椅子から立ち上がったのは、また少ししてからのこと。
最近、人里の店で流行っている『ロシアンルーレット』に挑戦しての一幕である。
ルールは簡単。
たとえば大福などを数個、同じ皿に載せて出し、その中から一つの『本物』を見つけ出せば勝利、と言うゲームだ。
本物の中身は美味しくて甘いあんこ。それ以外はわさびだのからしだのとうがらしだのといった強烈なものが入っている。
そしてこのゲーム、『負けた方が勝った方の代金を持つ』というルールになっている。
「お金がない時には助かりますね」
今月の華扇ちゃんは、ちょっぴり収支がマイナスである。何に使ったかは乙女の秘密。
だけど甘いもの食べたいな~と思ってふらふらしていたら、この張り紙を見つけて挑戦してみたのだ。
死屍累々と倒れ伏す男たちは、この里の中でその名を轟かせる剛の者たち。
そのいずれもが、華扇の圧倒的な『甘味力』(せんにんぱわーと読む)に敗北し、口の中を辛いものであふれさせて撃沈していった。
「ぬぅ……。なんという……」
「まさか全勝とは……」
「圧倒的不利である先手をとっても……かろうじて有利になる後手となっても……」
「一瞬たりとも迷わず、当たりを手に取るとは、さすがは仙人さまよ……」
それを見物していた観客たちが、皆、華扇の圧倒的な実力を前に冷や汗を流している。
「ありがとうございましたー」
店の看板娘が去っていこうとする華扇の背中に声をかける。
「ところで仙人さま」
続けて、娘は言った。
「実は、第二弾のゲームの内容に、こちらを用意しているのですが」
と、差し出すのは二つのお饅頭。
どちらも、これといって特徴のない普通の饅頭なのだが、『第二弾』というのだから、どちらかは激辛なのだろう。
「どちらがダメか、わかりますか?」
にっこり笑顔の店員。
「なんと……! 仙人さまに臆せず勝負を挑むとは……!」
「あの娘、侮れん……!」
観客たちが戦慄する。
華扇は『ふむ』と腕組みして、それを見る。
――彼女の『甘いもの』を見極める目は完璧であり、最高である。
甘味が放つわずかな変化すら感じ取り、見極めるのだ。それ故に、本当にわずかに混じる『違和感』を敏感に感じ取る。
辛いものを見極め、より分けるなど楽勝中の楽勝。
故に、何のためらいも見せず、『これですね』と華扇はそれを手に取った。
正直に言うと、華扇は『これは引っ掛けだな』と感じていた。
受ける感覚はどちらも一緒。どちらも間違いなく、『本物』のお饅頭。
彼女のレーダー(頭のお団子)が告げる。
大丈夫だ、問題ない、と。
――しかし。
「引っかかりましたね、仙人さま」
華扇がその饅頭を一口した瞬間、にっこりと、だがはっきりと、娘は言った。
「げーほげほげほっ! うぐぐ……まだ、口の中が……」
「まあまあ。茨華仙さま、何と痛々しい……」
口の周りを真っ赤に腫らして、何度水を飲んでも全く通り過ぎない辛さにのた打ち回っている華扇に、『どうぞ』と水を勧めるのは青の邪仙、霍青娥。
たまたま本日、華扇ちゃんのおうちを訪れた際、苦悶の表情と共に七転八倒する彼女を見て大慌てで『どうなさったのですか』となったのが理由である。
「あの店員……やりますね……。
まさか、あんこの中に、あんな強烈なものを仕込んでいるとは……」
「……一体、何を食べたんですか?」
「店員は『それはとうがらしです』と言っていたのですが、これまで食べたとうがらしとは辛さのレベルが違いました」
普段のとうがらしの辛さが火を吐く辛さだとしたら、今回の辛さは口からマスタースパークレベルだ、と言うのが華扇の意見だった。
何かよくわからないが、とりあえずすごそうというのはわかったのか、青娥は『大変でしたね』とうなずくばかり。
「……まさか、この私が敗北するとは思ってもいませんでした」
「世の中には、わたくし達の領域を超えた存在があることは、重々、承知しております」
「その基本を忘れていたということです。不覚」
そしてまた咳き込み、水を飲む。
辛さを相殺するために甘いもの食べればいいんじゃないかと華扇は最初に思ったのだが、口にしても、辛さで舌が麻痺していて全く味を感じることが出来なかったのだ。
とにかく、この、辛さで受けたダメージが癒えるまでは何も出来ないというのが現状である。
「まぁ、そのような戯れに手を出してみるのも悪いこととは申しませんが……」
「油断は、やはり大敵です」
「ええ、そうですわね」
いやちょっと違います華扇さま、と言いたかったのだが、青娥はその一言は飲み込んだ。
苦しむ華扇を見て、さらに追い討ちかけるような真似だけはするまい、と胸に決めているが故の行動である。
「私に足りないものは、やはり、修行です」
「人も仙人も、生きている限り、何かをするたびにそれが経験となり、ひいては生きるための修行となりますものね」
「そういうことです。
私にも、まだまだ、乗り越えねばならぬ壁が存在していたのです」
「なるほど」
だけどやっぱり何か違います華扇さま、と青娥は言いたかったのだが、この一言も飲み込んだ。
華扇の瞳に燃える炎の熱に気圧されたのだ。
「迷惑をかけました」
「いいえ。華扇さまには、わたくしの方が、普段から迷惑をおかけしております。
このくらいのご奉公がなせるのでしたら、むしろ、わたくしにとっては喜びとなります故」
「助かります。
……舌痛い」
「……さすがにそれはどうにも」
真っ赤になった舌を、コップの中の冷たい水につけている華扇を見て、『だから何か違います華扇さま』と言いたい青娥の表情は、ちょっとばかり微妙なものであった。
華扇は己の『甘味力』を鍛えることにした。
彼女の『甘味力』に伴う『華扇ちゃんレーダー』は下記のものを対象として、その甘味の存在を感知する。
すなわち、視覚、嗅覚、触覚である。
その目で見ることで、彼女の瞳は、それが『甘味』であるかを判断する。
漂う香りから、その甘味がどれほどのものかを認識する。
そして最後に触覚によって、相手の存在を確定させるのだ。
どれほどその姿を別のものに偽装させていたとしても、これまで、彼女のレーダーは完璧にこれらの要素から対象を判断していた。
見た目を偽ろうとも匂いを偽ることは出来ない。
たとえ匂いを偽ったとしても、触覚までもごまかすことは出来ない。
――そう、彼女は信じていた。
しかし、それは違った。いや、打ち破られたというべきか。
彼女のそれは五感に頼っていた。頼りすぎていたのが敗因なのだ。
ほんのわずかの違和感に気づくことが出来ない、まさにその過信こそが敗北の原因だったのである。
いくら仙人とはいえ、その五感は獣のそれにはかなわない。
彼らならば見抜けたであろう違和感を、華扇では見抜けない――ただそれだけのことだ。
だが、それ故に、勝ち目はある。
己の五感を全て絶ち、ただ、その気配のみで――存在のみで、相手を見抜けるようにすればいいのだ。
簡単なことである。
簡単であるからこそ、だが、難しい。
己の力の全てが宿る『華扇ちゃんレーダー』を鍛えるべく、彼女は修行に臨む。
「霊夢、次を」
「……私、何かもうバカらしいんだけど」
「いいから続けなさい」
かくて、目隠し、耳栓、鼻栓を装着し、己の感覚全てを絶った華扇が、とある巫女を巻き込んで『甘味力』を鍛えるべくロシアンルーレット続けまくるという異様な光景が、しばしの間、とある神社で見受けられたという。
「ごきげんよう」
華扇が再び、その店に現れたのは、それからしばらく後のことである。
ざわつく店内。
悠々とそれを受けて案内する店員。
そして威風堂々、席へと足を進め、迷わず「ロシアンルーレット~地獄コース~ 難易度:ルナティックで」と彼女は注文する。
「おい……マジかよ……」
「いくら仙人さまとはいえ、出来るはずがない……!」
「無謀な……! 死ぬつもりか……!」
店内の動揺はピークに達する。
その状況を意に介さず、店員は営業スマイルを浮かべたまま、例のものを持ってきた。
華扇が先日、撃沈させられた『ロシアンルーレット』がそこにある。
その数、優に32個。
小さな大福がずらっとお盆の上に載っている。
見た目だけでは、その中のどれが『当たり』なのかを判別するのは不可能だ。
鼻を近づけてみても、あんこの甘い香りしか伝わらない。
もはや手にとって食べてみるしかない――しかし、外れを引けば、口の中に直撃するのは地獄の辛さ。
まさに、難易度ルナティック――!
「当たりを引けば賞金。外れを引いた場合はお値段のお支払いをお願いします」
「お金など持ってきていません」
華扇は言った。
店内のあちこちで『何だと!?』『バカな……! 最初から勝つつもりで!?』『愚かな! 仙人さま、どうなされたのだ!』という声が上がる。
華扇は、その声を無視して目の前の大福に向き直る。
大きく息を吸って、彼女は瞳を閉じた。
真っ暗な世界。何も見えぬ世界。次第に音も遮断される。虚空の中に己が浮かぶ感覚に包まれる。世界そのものが消えてなくなる。
その、圧倒的なまでの絶対的な『無』の中に、一つの明かりがあった。
暖かな桃色の光――彼女はただ静かにそれに手を伸ばし、掴み、そしてゆっくりと口の中へ運ぶ。
「よいあんこを使っていますね」
当てた。
彼女は大当たりを引き当てた。
31個の地獄へと至る道を見事に回避したのだ。
人々は、皆、最初は言葉もなかった。
呆然と、そして愕然と、目の前の光景を見つめていた。
ありえない!
信じられない!
その感情が、やがて、変わっていく。
「仙人さま……!」
「お見事です、仙人さま!」
「仙人さま、さすがです!」
高まる華扇への信仰。沸き起こる『仙人さま』コール。
その中で、華扇は、残りの大福を一つ手に取ると、それを開いてみせた。
「あんこの中に、本当に小粒のとうがらしを複数練りこむ。それによって、とうがらしの匂いと感覚を排除した――いい腕をしていますね」
「はい」
「一度目は、私も引っかかった。私の修行が足りない証拠でした。
ですが、私は、二度、同じ過ちを繰り返すつもりはありません」
「お見事です」
「ごちそうさまでした。
賞金は、ここにいる皆さんで分けてください。
美味しい大福をありがとうございました」
「ありがとうございました。
またのご来店をお待ちしております」
涙を流して追いすがる人々に軽く手を振って、華扇はその店を後にした。
今回のこれを発案し、そして実行する店員――腕利きのパティシエールであった彼女へと、華扇は一度振り返り、ウインクをした。
華扇が店を立ち去った後、その場に残るのは、ただただ響き渡る『仙人』への信仰、畏怖、そして何よりも尊敬の念。
ここに、華扇は、また新たな伝説を築いたのである。
伝説の立会人となった人々は、皆、その栄光に身を震わせ、『英雄』の名を叫び続けていた――。
「………………………………」
「青娥、どうしたんだ?」
「………………ああ、いえ。その……なんかすごいの見たな、という……」
「芳香もおなかすいた! 大福食べたいぞ!」
「……そうですわね、芳香。
じゃあ、あちらのお店で、美味しい大福、一杯買っていきましょうね……」
「わーい! 青娥、大好きだ!」
そしてたまたま、その店の前を通りすがることになってしまったとあるにゃんにゃんは、己の中の『さすがは茨華仙さま』という尊敬の念と『いやいやいやいやいやいやいやいや』というツッコミたくて仕方ない念とに、ちょっと悩まされることになったのだが、それはまた別の話である。
人里の店に響く、断末魔の絶叫。
死屍累々と倒れ伏す人々の中、一人、平静を保っている女がいる。
「挑戦者。他にいないのですか?」
凛とした声と口調。
その視線で周囲を睥睨する彼女に、また一人、新たな挑戦者が立ちふさがる。
「……次は俺だ」
「どうぞ」
屈強な体躯の男。
まともに組み合えば、恐らく、女は相手にもならないだろう。
周囲が固唾を呑んで見守る中、彼は、彼女がついているテーブルへとついた。
「――お待たせしました」
神妙な声音で、店員が運んでくるそれを見て、彼は言う。
「先に選ばせてやる」
「ふふふ。なるほど、賢いですね。そうしてリスクを減らす――勝つために、己の尊厳すら捨てる行為、嫌いではありません」
彼女は口元に不敵な笑みを浮かべながら言った。
そして、彼女は迷わず、それを手に取る。
「どうぞ」
彼も同じく、それを手に取り、両者は一瞬にらみ合う。
そしてその直後、勝負はついていた。
「ふぅ。おなか一杯」
にこにこつやつや笑顔のピンク仙人こと茨木華扇こと茨華仙こと華扇ちゃんが、ぽんとおなかを叩いて椅子から立ち上がったのは、また少ししてからのこと。
最近、人里の店で流行っている『ロシアンルーレット』に挑戦しての一幕である。
ルールは簡単。
たとえば大福などを数個、同じ皿に載せて出し、その中から一つの『本物』を見つけ出せば勝利、と言うゲームだ。
本物の中身は美味しくて甘いあんこ。それ以外はわさびだのからしだのとうがらしだのといった強烈なものが入っている。
そしてこのゲーム、『負けた方が勝った方の代金を持つ』というルールになっている。
「お金がない時には助かりますね」
今月の華扇ちゃんは、ちょっぴり収支がマイナスである。何に使ったかは乙女の秘密。
だけど甘いもの食べたいな~と思ってふらふらしていたら、この張り紙を見つけて挑戦してみたのだ。
死屍累々と倒れ伏す男たちは、この里の中でその名を轟かせる剛の者たち。
そのいずれもが、華扇の圧倒的な『甘味力』(せんにんぱわーと読む)に敗北し、口の中を辛いものであふれさせて撃沈していった。
「ぬぅ……。なんという……」
「まさか全勝とは……」
「圧倒的不利である先手をとっても……かろうじて有利になる後手となっても……」
「一瞬たりとも迷わず、当たりを手に取るとは、さすがは仙人さまよ……」
それを見物していた観客たちが、皆、華扇の圧倒的な実力を前に冷や汗を流している。
「ありがとうございましたー」
店の看板娘が去っていこうとする華扇の背中に声をかける。
「ところで仙人さま」
続けて、娘は言った。
「実は、第二弾のゲームの内容に、こちらを用意しているのですが」
と、差し出すのは二つのお饅頭。
どちらも、これといって特徴のない普通の饅頭なのだが、『第二弾』というのだから、どちらかは激辛なのだろう。
「どちらがダメか、わかりますか?」
にっこり笑顔の店員。
「なんと……! 仙人さまに臆せず勝負を挑むとは……!」
「あの娘、侮れん……!」
観客たちが戦慄する。
華扇は『ふむ』と腕組みして、それを見る。
――彼女の『甘いもの』を見極める目は完璧であり、最高である。
甘味が放つわずかな変化すら感じ取り、見極めるのだ。それ故に、本当にわずかに混じる『違和感』を敏感に感じ取る。
辛いものを見極め、より分けるなど楽勝中の楽勝。
故に、何のためらいも見せず、『これですね』と華扇はそれを手に取った。
正直に言うと、華扇は『これは引っ掛けだな』と感じていた。
受ける感覚はどちらも一緒。どちらも間違いなく、『本物』のお饅頭。
彼女のレーダー(頭のお団子)が告げる。
大丈夫だ、問題ない、と。
――しかし。
「引っかかりましたね、仙人さま」
華扇がその饅頭を一口した瞬間、にっこりと、だがはっきりと、娘は言った。
「げーほげほげほっ! うぐぐ……まだ、口の中が……」
「まあまあ。茨華仙さま、何と痛々しい……」
口の周りを真っ赤に腫らして、何度水を飲んでも全く通り過ぎない辛さにのた打ち回っている華扇に、『どうぞ』と水を勧めるのは青の邪仙、霍青娥。
たまたま本日、華扇ちゃんのおうちを訪れた際、苦悶の表情と共に七転八倒する彼女を見て大慌てで『どうなさったのですか』となったのが理由である。
「あの店員……やりますね……。
まさか、あんこの中に、あんな強烈なものを仕込んでいるとは……」
「……一体、何を食べたんですか?」
「店員は『それはとうがらしです』と言っていたのですが、これまで食べたとうがらしとは辛さのレベルが違いました」
普段のとうがらしの辛さが火を吐く辛さだとしたら、今回の辛さは口からマスタースパークレベルだ、と言うのが華扇の意見だった。
何かよくわからないが、とりあえずすごそうというのはわかったのか、青娥は『大変でしたね』とうなずくばかり。
「……まさか、この私が敗北するとは思ってもいませんでした」
「世の中には、わたくし達の領域を超えた存在があることは、重々、承知しております」
「その基本を忘れていたということです。不覚」
そしてまた咳き込み、水を飲む。
辛さを相殺するために甘いもの食べればいいんじゃないかと華扇は最初に思ったのだが、口にしても、辛さで舌が麻痺していて全く味を感じることが出来なかったのだ。
とにかく、この、辛さで受けたダメージが癒えるまでは何も出来ないというのが現状である。
「まぁ、そのような戯れに手を出してみるのも悪いこととは申しませんが……」
「油断は、やはり大敵です」
「ええ、そうですわね」
いやちょっと違います華扇さま、と言いたかったのだが、青娥はその一言は飲み込んだ。
苦しむ華扇を見て、さらに追い討ちかけるような真似だけはするまい、と胸に決めているが故の行動である。
「私に足りないものは、やはり、修行です」
「人も仙人も、生きている限り、何かをするたびにそれが経験となり、ひいては生きるための修行となりますものね」
「そういうことです。
私にも、まだまだ、乗り越えねばならぬ壁が存在していたのです」
「なるほど」
だけどやっぱり何か違います華扇さま、と青娥は言いたかったのだが、この一言も飲み込んだ。
華扇の瞳に燃える炎の熱に気圧されたのだ。
「迷惑をかけました」
「いいえ。華扇さまには、わたくしの方が、普段から迷惑をおかけしております。
このくらいのご奉公がなせるのでしたら、むしろ、わたくしにとっては喜びとなります故」
「助かります。
……舌痛い」
「……さすがにそれはどうにも」
真っ赤になった舌を、コップの中の冷たい水につけている華扇を見て、『だから何か違います華扇さま』と言いたい青娥の表情は、ちょっとばかり微妙なものであった。
華扇は己の『甘味力』を鍛えることにした。
彼女の『甘味力』に伴う『華扇ちゃんレーダー』は下記のものを対象として、その甘味の存在を感知する。
すなわち、視覚、嗅覚、触覚である。
その目で見ることで、彼女の瞳は、それが『甘味』であるかを判断する。
漂う香りから、その甘味がどれほどのものかを認識する。
そして最後に触覚によって、相手の存在を確定させるのだ。
どれほどその姿を別のものに偽装させていたとしても、これまで、彼女のレーダーは完璧にこれらの要素から対象を判断していた。
見た目を偽ろうとも匂いを偽ることは出来ない。
たとえ匂いを偽ったとしても、触覚までもごまかすことは出来ない。
――そう、彼女は信じていた。
しかし、それは違った。いや、打ち破られたというべきか。
彼女のそれは五感に頼っていた。頼りすぎていたのが敗因なのだ。
ほんのわずかの違和感に気づくことが出来ない、まさにその過信こそが敗北の原因だったのである。
いくら仙人とはいえ、その五感は獣のそれにはかなわない。
彼らならば見抜けたであろう違和感を、華扇では見抜けない――ただそれだけのことだ。
だが、それ故に、勝ち目はある。
己の五感を全て絶ち、ただ、その気配のみで――存在のみで、相手を見抜けるようにすればいいのだ。
簡単なことである。
簡単であるからこそ、だが、難しい。
己の力の全てが宿る『華扇ちゃんレーダー』を鍛えるべく、彼女は修行に臨む。
「霊夢、次を」
「……私、何かもうバカらしいんだけど」
「いいから続けなさい」
かくて、目隠し、耳栓、鼻栓を装着し、己の感覚全てを絶った華扇が、とある巫女を巻き込んで『甘味力』を鍛えるべくロシアンルーレット続けまくるという異様な光景が、しばしの間、とある神社で見受けられたという。
「ごきげんよう」
華扇が再び、その店に現れたのは、それからしばらく後のことである。
ざわつく店内。
悠々とそれを受けて案内する店員。
そして威風堂々、席へと足を進め、迷わず「ロシアンルーレット~地獄コース~ 難易度:ルナティックで」と彼女は注文する。
「おい……マジかよ……」
「いくら仙人さまとはいえ、出来るはずがない……!」
「無謀な……! 死ぬつもりか……!」
店内の動揺はピークに達する。
その状況を意に介さず、店員は営業スマイルを浮かべたまま、例のものを持ってきた。
華扇が先日、撃沈させられた『ロシアンルーレット』がそこにある。
その数、優に32個。
小さな大福がずらっとお盆の上に載っている。
見た目だけでは、その中のどれが『当たり』なのかを判別するのは不可能だ。
鼻を近づけてみても、あんこの甘い香りしか伝わらない。
もはや手にとって食べてみるしかない――しかし、外れを引けば、口の中に直撃するのは地獄の辛さ。
まさに、難易度ルナティック――!
「当たりを引けば賞金。外れを引いた場合はお値段のお支払いをお願いします」
「お金など持ってきていません」
華扇は言った。
店内のあちこちで『何だと!?』『バカな……! 最初から勝つつもりで!?』『愚かな! 仙人さま、どうなされたのだ!』という声が上がる。
華扇は、その声を無視して目の前の大福に向き直る。
大きく息を吸って、彼女は瞳を閉じた。
真っ暗な世界。何も見えぬ世界。次第に音も遮断される。虚空の中に己が浮かぶ感覚に包まれる。世界そのものが消えてなくなる。
その、圧倒的なまでの絶対的な『無』の中に、一つの明かりがあった。
暖かな桃色の光――彼女はただ静かにそれに手を伸ばし、掴み、そしてゆっくりと口の中へ運ぶ。
「よいあんこを使っていますね」
当てた。
彼女は大当たりを引き当てた。
31個の地獄へと至る道を見事に回避したのだ。
人々は、皆、最初は言葉もなかった。
呆然と、そして愕然と、目の前の光景を見つめていた。
ありえない!
信じられない!
その感情が、やがて、変わっていく。
「仙人さま……!」
「お見事です、仙人さま!」
「仙人さま、さすがです!」
高まる華扇への信仰。沸き起こる『仙人さま』コール。
その中で、華扇は、残りの大福を一つ手に取ると、それを開いてみせた。
「あんこの中に、本当に小粒のとうがらしを複数練りこむ。それによって、とうがらしの匂いと感覚を排除した――いい腕をしていますね」
「はい」
「一度目は、私も引っかかった。私の修行が足りない証拠でした。
ですが、私は、二度、同じ過ちを繰り返すつもりはありません」
「お見事です」
「ごちそうさまでした。
賞金は、ここにいる皆さんで分けてください。
美味しい大福をありがとうございました」
「ありがとうございました。
またのご来店をお待ちしております」
涙を流して追いすがる人々に軽く手を振って、華扇はその店を後にした。
今回のこれを発案し、そして実行する店員――腕利きのパティシエールであった彼女へと、華扇は一度振り返り、ウインクをした。
華扇が店を立ち去った後、その場に残るのは、ただただ響き渡る『仙人』への信仰、畏怖、そして何よりも尊敬の念。
ここに、華扇は、また新たな伝説を築いたのである。
伝説の立会人となった人々は、皆、その栄光に身を震わせ、『英雄』の名を叫び続けていた――。
「………………………………」
「青娥、どうしたんだ?」
「………………ああ、いえ。その……なんかすごいの見たな、という……」
「芳香もおなかすいた! 大福食べたいぞ!」
「……そうですわね、芳香。
じゃあ、あちらのお店で、美味しい大福、一杯買っていきましょうね……」
「わーい! 青娥、大好きだ!」
そしてたまたま、その店の前を通りすがることになってしまったとあるにゃんにゃんは、己の中の『さすがは茨華仙さま』という尊敬の念と『いやいやいやいやいやいやいやいや』というツッコミたくて仕方ない念とに、ちょっと悩まされることになったのだが、それはまた別の話である。
華扇の間違った方向での頑張りが好きです
まるで鬼みたいだぁ…
攻守逆転仙人コンビのときよしかの癒し力ぱねえ
辛味成分であるカプサイシンは、水を口に含む事で辛味が口全体に広がりさらに被害が増えます。
抑えるには乳成分に含まれるカゼインを取ると軽減されます。
青娥さまならそれを分かった上で水を渡しそうですが。
というより、それの方がもっと面白そうですが。