二回戦を控える者達の前に、開催者である八雲紫は突如姿を見せた。
「少しお時間を失礼。まずは一回戦突破おめでとう。知っての通りだけど、この大会の開催者は私です。あなたが優勝する可能性のある者故、今の内に是非聞いておきたいのです」
――あなたは何故、この大会に参加したのでしょうか?
――この大会を優勝した暁には、審判団三人によるささやかな粗品を贈呈する予定ですが、一応で良いので、あなたの望むものは何でしょうか?
坤神:洩矢諏訪子。
――神にそんな事を聞くとは愚問だねぇ。祭りは全ての者が平等に楽しむべきだろう。
――もし次、こういう大会が行われるなら、その開催場所を守矢神社の近くにしてほしいねぇ。人間のお客さんもたくさん来るよ。
紅魔館門番:紅美鈴。
――様々な妖怪と拳を合わせられると小耳に挟み、居てもたってもいられませんでした。
――この大会の参加を許可してくださった紅魔館に住む方々に贈り物をできる程度のお金を……。
毘沙門天代理:寅丸星。
――お恥ずかしながら、あまり寺から出たことがなかったので。地底妖怪の方々と接する良い機会かなと思いました。
――そうですね……聖……聖白蓮の望む物、というのは駄目でしょうか。
尸解仙:物部布都。
――この戦いが地上にも見られてるというのは意外だったが、そうでなくとも地底の者達に道教を広める良いきっかけになるであろう。
――丈夫で高価な皿を百枚だ。……何、本当に良いのか?
小人族:少名針妙丸。
――私のような小さき者でも大きい者を討てることを証明したいのじゃ。
――聞くところによると、お主が最強の妖怪と聞くが。この小槌を常に扱える程の魔力を注いでほしい。
地上の鬼:伊吹萃香。
――はぁ? こんな大会、鬼が参加しないわけないじゃん。
――当然、酒だ。地底中の酒を飲みたいよ。
式神:八雲藍
――え? 紫様が参加しろと……。……自分が本当に紫様の右腕としての資格があるのか、自らに示したかった。……これでいいですか?
――申し訳ありませんが、少しばかりの休暇をいただけないでしょうか。最近、盛んにこの世界に移る者がいるので、その名簿作りも兼ねて。
化け狸:二ッ岩マミゾウ
――郷に入っては郷に従え。ま、少しは妖怪らしく、人間達に恐ろしいところを見せてやらんとのう。
――金じゃ。しばらく経って、こっちの世界の奴らの事も大分分かってきたし、ここいらで、この世界で金貸しでもやろうかのう。
月の姫君:蓬莱山輝夜
――最近、偉そうな奴が増えてきて気に入らないわ。
――とりあえずは、龍の顎の玉。あなたなら簡単でしょう?
半獣教師:上白沢慧音
――理由は色々あるのだが……。まぁ、歴史家として興味もあった。観客にせよ参加者にせよ、見届けなければならないと思った。
――ふむ……。最近寺子屋が狭くなってきたから、その改築を頼みたい。霊夢の様に鬼に頼むのは少し気が引けるのでな。
地底の鬼:星熊勇儀
――こんな規模の喧嘩を開いて、鬼が参加しないわけないだろう。
――あんただ。あんたを相手に六回戦を戦いたい。
天邪鬼:鬼人正邪
――当然、下剋上計画の一環としてさ。文句はないだろう?
――地上の端にある神社をよこしな。
半霊の庭師:魂魄妖夢
――私がどれだけ成長できたか試したいのです。
――では僭越ながら、何かしらの名刀を頂ければ。
妖怪寺僧侶:聖白蓮
――本来参加するのは部下の妖怪達だけだったのですが。鬼を含め、まだ見ぬ方々がどれほどの強さを持つのか興味もあり、私自身も参加しました。
――…………。申し訳ありませんが妄念となってしまうので、その話は決勝まで持ち越しておいていただけますか。
乾神:八坂神奈子
――祭りには魔力がある。人、妖怪に限らず、神さえも引き付けるのさ。そうでなくとも、祭りを見に来ない神はいないさ。
――数日、数日でいいから外の世界と守矢神社を繋いでくれないか? そんな大した理由じゃないんだ。
不死の人間:藤原妹紅
――まぁ、なんだ。なりゆきとしか言えないな。
――私がいなくても人間が永遠亭に辿り着けるようにしてくれ。竹林を消さなければ何でもいいさ。
一回戦の全工程を終え一時間の休憩時間に入っている闘技場には観客がまばらにしかいない。
その中で、審判席に腰かけ目を閉じる八雲紫は静かに笑みを浮かべていた。
「嬉しそうね」
目を開けると、友人である亡霊の西行寺幽々子が顔を覗き込んでいた。
「えぇ。思った以上に楽しいわ。……決闘の方法がスペルカードルールになって何年経ったかしら?」
「そうね。最近だったはずだけど、正確な年は覚えてないわねぇ」
「最近、此処で生まれた、此処に来た人や妖怪は、スペルカードによる決闘しか知らない事になってしまう。強さと美しさを競い合うことができるこの決闘法は、しかし完全である事なんてあり得ない」
「ふふ、自分で創っといて……」
「美しさの基準は強さよりも一律させる事は難しいわ。弾幕を幾何学的芸術と捉えるか、それともただの球体の列と捉えるか。妖怪や人間の中には、この決闘法から美しさを学ぶ知恵さえ持たない者もいる。前に面霊気の異変の際、肉弾戦と弾幕を織り交ぜた戦いの方が人里は盛り上がったのがその良い証拠ね。人間と高さを合わせるのは論外だけど、方向性くらい合わせても罰は当たらないかしら」
「それが……この大会?」
「かもしれないわね。スペルカードルールが制定されてから生まれた者達のためにも。例え博麗の巫女であろうととても敵わないと思わせられるよう、妖怪の強さと恐ろしさを解りやすく伝えられると思って」
席に座り、紫の話を聞いていた幽々子は口元を押さえて苦笑した。
「本当に霊夢が好きなのね」
「えぇ。あの子が年をとって此処を去ってしまうまで、私はあの子に色んな物を見せてあげたいの。例えあの子に嫌われてもね。でも、少しだけ人間の時間が少なすぎる。だから密度を重要視して、あらゆる強者と霊夢が集まるようにしたわ。伊吹萃香のような力を使わず、私の手で」
「でも、霊夢はこの大会の参加者全員に勝てる程にスペルカードルールに……あぁ」
何かに納得したように頷いた幽々子を見て紫は微笑んだ。
「だから弾幕を禁止したのよ。スペルカードが盛んになったということは、これからそれが廃れる事だって。もしかしたらこの大会が終わった後、すぐかもしれない。そうなったら霊夢はあっという間に食べられてしまうわね。何だかんだ言ってもあの子、修行をよくさぼっているのよねぇ。藍が第七試合で見せた、相手の技を封じる弾幕。あれは月の兎を見て技を盗んだ、と言っていた。つまりあの技は使いようで月の兎以外も使えるって事。藍ったら大変な事を地味に地底妖怪中に知らしめたんですもの。これで優勝できなかったらお仕置きね」
会話を終えた紫は二回戦が始まるまでただ黙ってスキマを介した満月を見上げ続けた。
北東控え室の扉が開かれる。
そこにいた人物である現人神の東風谷早苗を見て神の八坂神奈子は疑問に思う。早苗は先程、信仰するもう一柱の洩矢諏訪子を応援するために部屋を飛び出したにも関わらずあっという間に戻ってきた。その理由を何となく察した神奈子は苦笑した。
「いやぁ……何か、近づけませんでした」
「懸命だね。私は此処からでもあいつの力を感じれるよ。まだ鬼と戦うわけでもないのに。あいつ、楽しんでるようだ」
神奈子の目には、控室の出入口から地を這うように流れてきている真っ黒な煙のような物が見えていた。
紅美鈴は向かいの選手入場口から溢れているそれに息を飲む。
「美鈴?」
気を操る能力を持っていない上司の十六夜咲夜はそれが見えていないのか、美鈴の様子を訝しく思う。
「二回戦なのにまだ緊張してるの?」
「え? あ、いや……」
答えあぐねている美鈴達の前に、通路の奥から一つの人影が姿を現す。咲夜はほとんど面識がなかったが、美鈴は先程その者に世話になっていた。
「聖白蓮さん!」
聖白蓮は美鈴達に一礼する。
「教えたあの技をどう活かすのか気になって。此処で試合を見せてくれませんか?」
「構いません。ね、咲夜さん」
咲夜は首を横には振らなかった。
「本当に感謝します。それにしてもまだ二回戦なのに、見てくださいよ、あの真っ黒な気……」
「え?」
白蓮の反応に美鈴自身も戸惑う。
「み、見えませんか? 反対の通路から冷気の様に溢れる黒い気を……」
「凄い力は感じます。しかし今、温存するため何もしてないので、この目には洩矢諏訪子さんしか映りません。……色として見えているのですか?」
「あ……はい、まぁ……能力上」
会話の途中で天井から何かを起動するような音が響く。
『時間となりましたので、これより二回戦を始めます。洩矢諏訪子選手と紅美鈴選手は入場してください』
既に満員寸前の観客席から響く大きな歓声が通路にいる者達に衝撃として伝わる。その一瞬で目つきが変わった美鈴を見て、心配はいらないと直感した咲夜は小さく笑った。
「行ってきなさい」
「はい!」
美鈴は二回戦の初陣を行き、咲夜と白蓮はそれをただ黙って見送った。
副審判の一人である古明地さとりの隣に二つの人影が現れる。
「失礼するよー」
星熊勇儀が伊吹萃香と共にさとりの右隣りへと座っていく。
「自分の試合が終わってから今まで何処に行ってたんですか? ……なるほど」
勇儀の心を読み、会話を交わさず疑問を解消したさとりに勇儀は苦い表情をし、話を切り替える事にする。
「当然だけど、一回戦の時より盛り上がってきたねぇ」
「……一回戦の試合を地底のあちこちで見て、直接試合を見たいと思ったのでしょうね。私も、一回戦の全十六試合、良く楽しめました」
「こっから先はもっと楽しめるよ。弱い奴は落とされていったから、それぞれの試合の力の差は小さくなる。ま、それでも私達二人はまだまだ圧倒的だけどね」
中央に集まった諏訪子と美鈴を見て、審判長である四季映姫・ヤマザナドゥも中央に行く。勇儀が視線を逸らすと、紫の席にも既に西行寺幽々子、橙、比那名居天子が座っていた。
「楽しいねぇ」
萃香の言葉に間を置くことなく、勇儀はそれを肯定した。
「では、両者離れて」
映姫の指示に従い、諏訪子は美鈴から離れ、試合開始の位置に立つ。
――さぁて、天狗に勝ったその実力、ちゃんと呑みこんであげるよ。
映姫が元の位置に戻り、観客も合図を聞き逃すまいと自然に声を小さくする。
「魔理沙は何処に行ったの?」
上の方の観客席にいる幽香の言葉に霊夢は答える。
「医務室よ。『アリスの傷を治すためにマジックポーションを作りに行く』って言ってたわ。なんだかんだで優しいのよね」
「落ち着きがないのね。これから素晴らしい戦いが見れるというのに」
「諏訪子と美鈴ねぇ。ま、素晴らしくなればいいけど」
霊夢も闘技場を見据える中、審判全員の判断が一致する。
「二回戦第一試合、始め!」
様々な魑魅魍魎を退けた者達による二回戦の火蓋が切って落とされた。観客の大きな歓声が諏訪子の耳に届いた瞬間、視界にいる美鈴はいつの間にか目の前に来ていた。
「!」
力を全て速さに転化したかの如き移動。しかし、彼女の右拳には充分な破壊力が籠められている雰囲気を醸し出している。
「なんてね」
諏訪子はその速度でさえ難なく左に回避し、右手で美鈴の右目部分に触れる。
「殺気が丸見えだよ」
美鈴に右手を払われた衝撃に耐えようとせず、諏訪子は身体を丸め転がっていく。一方の美鈴は追撃をしようとして突如動きを止める。彼女の中で起き始めた異常によって、追撃する余力がなくなっていた。
「どうだい、私の祟りは」
今、美鈴の右目による視界には何も映っていなかった。先程のやりとりによって諏訪子に右目を数瞬触られた。その際に流し込まれた彼女の力はそれだけで美鈴の右目を失明させたのだ。
「見えてるかーい?」
諏訪子は左手を上げ戯れの様に指を縦横無尽に動かす。それを渋い表情で見る美鈴の右側には、一回戦で諏訪子が雲居一輪を仕留めた時のような岩の手が静かに競り上がっていた。その方向にまるで気付いていないのか一切顔の向きを変えない美鈴に咲夜は疑問に思う。
「まさか……視界を奪われている!?」
白蓮が言い終わると同時に岩の手は襲い掛かる。しかし美鈴はそちらに一切顔を向けない。
「美鈴!」
咲夜は叫ばずにはいられなかった。彼女の叫びが通じたのか美鈴は突如気合を入れ、顔の向きをそのままに襲い来る岩に右拳を放つ。手の平を吹き飛ばされ亀裂を走らせる岩は美鈴を通り抜けた後、粉々に崩れた。
――見えているのか。……いや違う。
間を置かず、虹色の気を纏わせた右腕を前に出し美鈴は前に踏み込む。その一歩だけで諏訪子との間を詰める。誰もが当たると思ったが、寸でのところで諏訪子は地面に潜り攻撃をかわす。坤を創造する神にとって地面に潜る事は朝飯前である。
「読んでました!」
美鈴は片足を上げる。
「黄震脚!」
勢いよく振り下ろされたそれは、しかし静かに地を鳴らす。一瞬の後、突如諏訪子が吹き飛ばされたように地面から飛び出し、転がった。
「くっ……油断したよ。少し酔ったかも」
美鈴は地面に気を送り地中の諏訪子を攻撃していた。しかし迎撃されはすれど立ち上がった諏訪子にそれほど傷はなく余裕杓者の様子でいる。
「楽しいね。当たり前だけど、勝ち残ってる奴なんだ。前の奴より弱いなんてことはない」
「私も同じ気分です。まさかいきなり右目を奪われるとは思ってませんでした」
「そう、それそれ。あなた、右目見えてないはずなのによくさっきの手に反応できたね」
「ちょっとした気の流れで、例え視界を奪われていようと何処に何があるかなど簡単に把握できます」
「あぁ、忘れてた。一回戦の時の天狗、そうやって迎撃したんだったね」
「いえ、射命丸文さんはあまりにも速すぎました。だから気を狭め、自分に近付く瞬間しか把握できなかった。つまり……」
多少言葉に迷った美鈴だったが、真剣勝負に迷いはいらないと判断する。
「あなた程度の速さなら、昼寝をしてたって対処できます」
言っておきながら、神に挑発が通用するのか疑問に思う美鈴だったが、諏訪子は小さく笑っていた。
「いいねぇ、その勝気。祟り殺したくなっちゃうよ」
諏訪子の身体から黒い気が溢れだす。それを見て美鈴は構えを整える。
「さすが、神だけあって凄い気ですね」
「ん? あなた、もう私の霊力が見えてるのかい?」
「えぇ」
美鈴の返答にまたも諏訪子は嬉しそうに微笑む。
「なぁるほど。これは思った以上に楽しめそうね」
諏訪子の黒い気はその幼き四肢の先に集まっていく。地に手を付け、蛙のように座った彼女の四肢が着く地面は真っ黒に染まっていく。
「一回戦みたく動けなくさせて仕留めようかと思ったけど。ちゃんと防ぎなよ。じゃないと穢れきって、消えちゃうかもしれないからね」
諏訪子に合わせる様に、美鈴は気合を込め両腕に、観客達の目に見える程に強い虹色の気を纏わせる。
「ほーう、これは強そうだ。……足にも付けないでいいのかい?」
「あなたほど器用ではありませんので。しかしこれくらいの気ならあなたを仕留める事ができる」
「……やってみな」
立ち上がり、両腕をだらりと下げて待ち構える諏訪子に対し、美鈴は隙を伺い周るように間合いを詰めていく。声援は徐々に止み、比例するように両者の間はまだ十分にあるとはいえ縮まっていく。先程のような踏み込みなら攻撃が当たる距離で美鈴は止まり諏訪子をじっと見据える。纏まった気がこれ以上散開しないよう諏訪子が両手の拳を握り直した瞬間、美鈴は動いた。
「はっ!」
彼女はその場で正拳突きを放つ。左手の闘気は砲のように放たれ、巨大化しつつ諏訪子を襲う。
――ここで遠距離攻撃か!
寸でのところで左手による受けが間に合い光球を結界に弾き飛ばすも、反動で諏訪子の左手を纏っていた黒い気は消滅し、前方にいた美鈴は姿を消していた。しかし動揺していても神は神、右後方で何者かが結界に足を着ける音を聞き逃さなかった。
――気を使えるのに気配は操れないんだね!
右に振り向いた時には三角跳びの要領で飛び蹴りを放って来ていたが諏訪子はその右足を難なく掴んだ。彼女の右手を纏っていた黒い気は少しずつ美鈴の肉体に染み込み、蝕んでいく。
「さぁ、これからゆっくりとあなたは――」
言いながら諏訪子に疑問が浮かぶ。今、美鈴の腕には虹色の闘気が纏わりついていない。片腕で気の大砲を放っただけにも関わらず、その闘気は両腕から消えていた。そして諏訪子が気付くと同時に突然背後が明るくなる。先程の様に巨大化した虹色の光球が襲い掛かってきている事を横目で察知した。
――まさか、私を周り込んだ地点からもう一発の闘気をさらに回り込むように飛ばした? わざと気配を分からせ、右を向く私の常に背後を回る、完璧なタイミングで!?
諏訪子にぶつかった光球は爆発し虹色の衝撃波を放つ。その最中、諏訪子の手から逃れる美鈴は驚愕する。攻撃を受けたはずの諏訪子の右腕が一切の力を無くさず自分の右足首を掴み続けていた。
「最初の球も当ててたら片膝は着いてたかもね」
目の前から虹は消え、諏訪子は多少の傷を負っているものの平気そうな顔をしていた。動揺しつつも美鈴は片足を地に着いたまま手刀で突く。諏訪子は小さな体躯を活かすように屈んでかわしながら、美鈴の足を持つ手を持ち替え、残ったその黒い気に塗れた手を美鈴の口に添えた。軸足にせざるを得ない左足を狩り、倒した美鈴に諏訪子は馬乗りになる。
「あまり使いたくないんだけどね。たいしたものだよ、あなた」
赤口さまとして恐れられた諏訪子の気を体内に流し込まれる光景を見せられる中、ただ二人、十六夜咲夜と観客席に座るレミリア・スカーレットは美鈴の劣勢を感じていない。
「馬鹿ね。美鈴に密着するなんて」
諏訪子の死角になっている彼女の右手は、再び虹色の輝きを放つ。そしてそれを諏訪子の脇腹に向ける。
「残念」
しかし諏訪子はその手首を左手であっさりと掴み止めた。
「あなたと私はよぉく似ている。だから、そんな手を見逃すはずが――」
突如、美鈴は立ち上がった。
――飛び上がった……違う、左腕と腹筋の力だけで立ち上がった!?
左手を掴む事に気を取られた諏訪子の力の流れを美鈴は読み取り、馬乗りにされた体勢から普通に立ち上がった。諏訪子が赤子のように美鈴に抱きついた体勢で、しかし彼女から放れる様子はない。彼女の右手は未だ美鈴の口元に添えられているのだ。
――たいしたものだよ! 今でさえ、発狂したい程苦しいだろうに。でも心配ない。あと少し流し込めば、あんたの身体は……。
美鈴は自由になった左手で諏訪子を殴らず、束縛するように抱きしめる。超近距離どころか互いに密着し合った状況で、それでも彼女には攻撃手段があった。彼女は心の中でその技の名を叫ぶ。『極彩「彩光乱舞」』と。回転しながら飛び上がり、虹色の風を荒れ狂わせる。それは一回戦第二試合で相手をした天狗の射命丸文が作った台風に及ぶ程ではないが、この技には所謂『台風の目』というものは存在しない。唯一存在するとすれば、それは技を放つ美鈴自身でしかない。
数秒で虹の嵐から諏訪子は飛び出し、結界に叩き付けられる。
「やるじゃないかい。この私に二回も傷をつけるなんて」
虹色の風は止み、相手の攻撃から解放された美鈴は、しかし疲弊していた。
「ぐっ……あっ……が……」
胸を抑えて呻く美鈴はたまらず着地する。傷を負った諏訪子に追撃することもできない。しかも地に足を着けた途端、彼女は崩れそうになる。諏訪子の気は体内だけでなく初めに右足をも蝕んでいるのだ。
「うっ!」
咳き込み、吐き出した血からは黒い気が蒸発していく。
「まだやるかい? 悪いけど、私がこのまま逃げ回っても、恐らく時間切れになる前にあなたの身体が持たない。それでも――」
諏訪子の問いに答えるように美鈴は口から手を放し、構える。自らの勝利を疑わないその眼は諏訪子に笑みを浮かばせた。
「最高だよ。早苗より諦めが悪そうだ。でもね、悪いけどもうあなたにチャンスはない」
諏訪子は衣服の中に手を回す。何処に入っていたのか彼女の上半身程度の大きさをした鉄輪が姿を見せる。
「もうあなたは私に近付くことさえできない!」
放たれた刃のないその円月は見当違いの方向に放たれたかと思うと、突如美鈴に向かい襲い掛かる。
「ぐぅっ!」
気で強化した右腕で防いでも、勢いと重さを乗せた鉄輪は骨を軋ませる。しかもそれは勢いを失うと、まるで意思があるかのように諏訪子の手へ戻っていく。
「さぁ、攻略してみなよ門番さん!」
鉄輪を地面に向けて垂直に投げつける。回転がかかったそれは車輪のように前に跳ぶ。両腕を交差させ防御に集中しても美鈴の身体が後ろに押される程の威力を有していた。
勢いが落ち戻ってきた鉄輪を掴んだ諏訪子は闘技場の中央まで歩いた。
「近付かせないけど逃がしもしない。さぁ、まだやるかい?」
少しの沈黙が流れると、美鈴は突如構えを解いた。追いつめられ、勝機はほとんどないと誰もが思う中、帽子を外した美鈴自身は一切そのような表情をしていなかった。帽子に付いている『龍』と書かれた星飾りを外し、ちぎれた糸の付いたそれで器用に紅く長い後ろ髪を縛り、残った帽子を自分側の選手入場口前まで飛んでいくよう放り投げた。
「なんだいそれは?」
「……なんでもありません。ただのおまじないです」
「はは、神を相手におまじないか」
美鈴は左拳と右掌を合わせ念じる。
「気符『猛虎内勁』」
爆発的に高められた体内の気は、観客の妖怪達からも見える程に荒れ狂いだした。
――私の力があの子の身体から消えた? あの子が気を操るのは解ったけど、まさか私の力を相殺したというの?
諏訪子は笑みを消し集中する。打ち消されたとはいえ自分の力はまだ美鈴の中に残っていると仮定する。その場合美鈴が取る方法は短期決戦しかないと判断する。諏訪子はすぐに策を練り、鉄輪を左上空に向けて放つ。それを見つつ、闘技場を見る白蓮は独り言のように話す。
「洩矢諏訪子さんは一つの失敗を犯しました。美鈴さんを逃がさないために中央へ立ったその行為は逆に、美鈴さんとの距離を縮めました。そしてあの距離ならば――」
美鈴は精神を集中させ、白蓮から教わった技術を思い出す。
白蓮が一回戦で見せた、相手に一瞬で接近する歩法を見た美鈴は、教えを乞う事を決心した。体術を扱う者同士であったためか美鈴はあっという間にその技術を吸収していった。
それを使い、美鈴は諏訪子の前に一瞬で間合いを詰める事ができた。多量の気を移動に費やしているわけではないのでその拳は充分に固められている。
「信じてたよ、門番さん」
笑みを絶やさない諏訪子と敵対する美鈴の背中に、軌道を変えた鉄輪が叩き付けられた。
「背骨、いただきました」
その鈍い轟音は誰もが美鈴の戦闘不能を予想させるものである。しかし、ただ一人諦めていない。それは美鈴本人だった。
――こいつ、何で立ってられる!?
美鈴が諏訪子の攻撃に耐えた謎を知っているのは、彼女と親しい咲夜とレミリア、そしてその原因を持つ『道具』を使用することを知らされた映姫、紫である。紅美鈴はこの時、地味に道具を使用していた。彼女が帽子から外し、髪に縛り身に着けた髪飾り、それは装飾品などではなく、歴とした効能のある道具なのだ。気が漲り、相手の攻撃に対し怯まなくなる。先程受けた諏訪子の鉄輪によって美鈴の肉体は損傷こそしたが、今、その痛みにより精神面で弱る事は一切ない。
――そうか、さっきの宣言か!
諏訪子は勘違いしているが、美鈴が先程宣言したスペルにも別の効果がある。『猛虎内勁』によって気を高めたその肉体で打つ拳はどこを打っても致命的になるほど鋭いものになる。そして、美鈴がとっていた構えを見て鬼である勇儀達も反応する。
「あれは……三歩必殺だと?」
美鈴は勇儀の三歩必殺を見た。一歩目で跳び、二歩目で詰め、三歩目で殺す。圧倒的な踏み込みと、それに比例する力によってできる鬼の技術。しかし三歩必殺という理念は、実は美鈴が扱う武術にもあった。一歩目で崩し、二歩目で撃ち、三歩目で備える。それは道具や妖術による遠距離攻撃が織り交ぜられるこの大会では非現実的な夢物語のようなものだと美鈴自身が思っていた。しかしその壁は、聖白蓮という一人の元人間があっさりと打ち砕いたのだ。感謝の意を込め白蓮を一瞥し、美鈴は諏訪子を討つ。
「華人式・三歩必殺、一」
諏訪子の鳩尾に放たれた美鈴の左拳は正中をとらえる。その衝撃によって諏訪子は高速で吹き飛び、結界に叩き付けられた。その結果に美鈴と白蓮が最も驚愕する。苦戦の末、神である諏訪子をあっさりと闘技場の中心から端まで吹き飛ばす。それは、あってはならないことだった。
「な、なぜ……」
一歩目で崩し、二歩目で撃ち、三歩目で備える。つまり、この三歩必殺には、一歩目に敵を倒す、という概念はない。
「硬直に対する……脱……力……」
着地し、よろめく諏訪子は声を絞り出す。
「追撃に対する……後退……? ……静に対する……動」
その言葉だけで美鈴は理解してしまう。
「あんたは少し……正々堂々の気が強すぎるんだよねぇ。それは……お互い……戦う意志がある者を倒す事しか想定していない。だから私は抵抗せずに受け入れ、逃げた。私の顔面じゃなく腹部を見ていて連続技が来ることに私は賭けた。あんたが距離を詰めるなら……私は下がればいい……あんたの拳を利用してね」
諏訪子は力を抜いて美鈴の拳をわざと急所で受け、吹き飛ばされたのだ。それによって開いた広い間合いは、相手を撃ち、討つべく美鈴の二撃目を絶望的なものにした。驚きと悔しさを隠せない美鈴だったが、すぐに構えなおす。
「ならば……次で決めてみせます。もう……あなたの背後に空間はない」
「……無理だよ」
白蓮から教わった歩法で美鈴は諏訪子との間合いを一気に詰める。
「私を倒すために気を荒れ狂わせたあんたの身体はもう、私の力でいっぱいだ」
美鈴はわずか半分ほどの距離しか詰められなかった。初めに掴まれた右足首は既にどす黒く変色し左目は濁っている。それでも背を向けた諏訪子を逃すまいと残された左足に力を込めた美鈴は――
「ぐ……うっ!」
血反吐を吐き出し、前のめりに倒れていった。吐いた血は黒い雨の様に倒れた美鈴の目に映る。その視界の中で立つ諏訪子は両手を合わせ彼女に向かい礼拝していた。
「そこまで! 勝負あり!」
閻魔の宣言により二回戦の初戦が決する。小柄な神の予想通りの邪悪な力を称賛する者、天狗を下した拳法家が力及ばなかった事に落胆する者、それぞれの声が闘技場に響き渡る中、諏訪子は美鈴の元に近付き胸に手を添える。
「結構です」
体内に残っている蝕みを吸い取ろうとする諏訪子の行為を美鈴は制した。
「この傷は……油断と……功夫が足りなかった私への戒めとして残してくださって結構です」
「自惚れるんじゃないよ。あんたを楽にするためじゃない。私にはまだ三戦残ってるんだからね」
美鈴の胸から黒い霧のようなものが浮かび上がっていき諏訪子の手の平に吸い込まれていく。美鈴は自分の身体が幾分楽になった事を感じ、それを見た諏訪子は立ちあがり咳き込みつつ去って行く。
「もっともっと修行すれば私に勝てるかもね」
美鈴から見えないように隠す諏訪子の右手甲には血がついていた。それは美鈴の放った初段が完璧であると同時に、それほどの威力で放ってしまったため諏訪子を吹き飛ばし、三歩必殺としては失敗している証拠だった。仮に、完全に一撃で決める程の威力を持つ技を当てるか、崩しを含めた全ての技を致命傷にしてしまう『猛虎内頸』を使用せずに三歩必殺の初段を決めていれば勝敗は違っていたかもしれない。
やや呆けた表情で美鈴は退場すると、通路にいる咲夜や白蓮と目を合わせた。
「負けちゃいました。白蓮さん、すみません。教えてもらったのに、勝つことができませんでした」
精一杯の笑顔も上手く作れず美鈴は視線を下に向ける。
「あなたにしてはよくやった方じゃないかしら」
余計な励ましは必要ない。それが、付き合いの長い咲夜が出した判断だった。
「問題は……」
突如、通路の奥から人影が近付いて来る。その覚えのある雰囲気に美鈴と咲夜は緊張する。姿を見せたのは二人が仕える主である吸血鬼のレミリア・スカーレットだった。沈黙する美鈴達の前でレミリアは口を開く。
「負けたか。使えぬ門番ね」
美鈴は片膝を着き小柄な体躯のレミリアより下に頭を落とす。
「申し訳ありません」
「お前の役目は何だ」
「それは……屋敷への侵入者を排除する――」
重苦しい雰囲気に反するようにレミリアは小さく笑った。
「お前にそこまでの力なんて求めてない。お前の役目は時間稼ぎだ、侵入者が館に入ってくるまでに私が着替え終える時間をな」
目を丸くする美鈴に構わずレミリアは言葉を続けていく。
「そしてさっきの試合を見て。神相手にあそこまで時間を稼げるんだ。とりあえずは、及第点、と言ったところかな」
「お嬢様、では……」
咲夜はレミリアから『無様な戦いを見せれば門番である美鈴を首にする』という旨を聞かされていた。
「優勝できなかった罰だ。お前が紅魔館門番を辞める事は許さない」
「……はい」
俯く美鈴に対し、咲夜は心中安堵していた。美鈴が館を立ち去るかもしれない、という不安は今の会話で消え去った。レミリアは立ち去って行くが咲夜はその後を着いて行こうとはせず美鈴の方を向く。
「そこに座りなさい」
一回戦同様、余計な反論をせず美鈴は通路の端に腰を落とす。諏訪子の鉄輪によって痛めつけられた部分に、応急処置として咲夜は軟膏を塗っていく。
「あなたにしてはよくやったわ」
先程と違い若干嬉しそうな表情を咲夜は隠せなかった。重い一撃を受けた背中を治療してもらうために立ち上がった美鈴は白蓮と目が合う。
「白蓮さん、頑張ってください」
「はい。この場で見たあなたの戦いを無駄にはしません」
互いに微笑み合う二人の側で、同じ参加者というだけでここまで親しくなれるものなのか、と参加者ではない咲夜は戸惑いつつもつられて微笑んでいた。
いずれにせよ、紅美鈴はここで脱落となり勝者である洩矢諏訪子は最初に三回戦へ足を進めた。一回戦を勝ち上がった者達によって行われるこの二回戦の初戦を見た観客達は、次の戦いにも胸を膨らませる。
二回戦第二試合を戦う者達は、それぞれ仏教と道教を広める者に仕える、右腕対決である。
「少しお時間を失礼。まずは一回戦突破おめでとう。知っての通りだけど、この大会の開催者は私です。あなたが優勝する可能性のある者故、今の内に是非聞いておきたいのです」
――あなたは何故、この大会に参加したのでしょうか?
――この大会を優勝した暁には、審判団三人によるささやかな粗品を贈呈する予定ですが、一応で良いので、あなたの望むものは何でしょうか?
坤神:洩矢諏訪子。
――神にそんな事を聞くとは愚問だねぇ。祭りは全ての者が平等に楽しむべきだろう。
――もし次、こういう大会が行われるなら、その開催場所を守矢神社の近くにしてほしいねぇ。人間のお客さんもたくさん来るよ。
紅魔館門番:紅美鈴。
――様々な妖怪と拳を合わせられると小耳に挟み、居てもたってもいられませんでした。
――この大会の参加を許可してくださった紅魔館に住む方々に贈り物をできる程度のお金を……。
毘沙門天代理:寅丸星。
――お恥ずかしながら、あまり寺から出たことがなかったので。地底妖怪の方々と接する良い機会かなと思いました。
――そうですね……聖……聖白蓮の望む物、というのは駄目でしょうか。
尸解仙:物部布都。
――この戦いが地上にも見られてるというのは意外だったが、そうでなくとも地底の者達に道教を広める良いきっかけになるであろう。
――丈夫で高価な皿を百枚だ。……何、本当に良いのか?
小人族:少名針妙丸。
――私のような小さき者でも大きい者を討てることを証明したいのじゃ。
――聞くところによると、お主が最強の妖怪と聞くが。この小槌を常に扱える程の魔力を注いでほしい。
地上の鬼:伊吹萃香。
――はぁ? こんな大会、鬼が参加しないわけないじゃん。
――当然、酒だ。地底中の酒を飲みたいよ。
式神:八雲藍
――え? 紫様が参加しろと……。……自分が本当に紫様の右腕としての資格があるのか、自らに示したかった。……これでいいですか?
――申し訳ありませんが、少しばかりの休暇をいただけないでしょうか。最近、盛んにこの世界に移る者がいるので、その名簿作りも兼ねて。
化け狸:二ッ岩マミゾウ
――郷に入っては郷に従え。ま、少しは妖怪らしく、人間達に恐ろしいところを見せてやらんとのう。
――金じゃ。しばらく経って、こっちの世界の奴らの事も大分分かってきたし、ここいらで、この世界で金貸しでもやろうかのう。
月の姫君:蓬莱山輝夜
――最近、偉そうな奴が増えてきて気に入らないわ。
――とりあえずは、龍の顎の玉。あなたなら簡単でしょう?
半獣教師:上白沢慧音
――理由は色々あるのだが……。まぁ、歴史家として興味もあった。観客にせよ参加者にせよ、見届けなければならないと思った。
――ふむ……。最近寺子屋が狭くなってきたから、その改築を頼みたい。霊夢の様に鬼に頼むのは少し気が引けるのでな。
地底の鬼:星熊勇儀
――こんな規模の喧嘩を開いて、鬼が参加しないわけないだろう。
――あんただ。あんたを相手に六回戦を戦いたい。
天邪鬼:鬼人正邪
――当然、下剋上計画の一環としてさ。文句はないだろう?
――地上の端にある神社をよこしな。
半霊の庭師:魂魄妖夢
――私がどれだけ成長できたか試したいのです。
――では僭越ながら、何かしらの名刀を頂ければ。
妖怪寺僧侶:聖白蓮
――本来参加するのは部下の妖怪達だけだったのですが。鬼を含め、まだ見ぬ方々がどれほどの強さを持つのか興味もあり、私自身も参加しました。
――…………。申し訳ありませんが妄念となってしまうので、その話は決勝まで持ち越しておいていただけますか。
乾神:八坂神奈子
――祭りには魔力がある。人、妖怪に限らず、神さえも引き付けるのさ。そうでなくとも、祭りを見に来ない神はいないさ。
――数日、数日でいいから外の世界と守矢神社を繋いでくれないか? そんな大した理由じゃないんだ。
不死の人間:藤原妹紅
――まぁ、なんだ。なりゆきとしか言えないな。
――私がいなくても人間が永遠亭に辿り着けるようにしてくれ。竹林を消さなければ何でもいいさ。
一回戦の全工程を終え一時間の休憩時間に入っている闘技場には観客がまばらにしかいない。
その中で、審判席に腰かけ目を閉じる八雲紫は静かに笑みを浮かべていた。
「嬉しそうね」
目を開けると、友人である亡霊の西行寺幽々子が顔を覗き込んでいた。
「えぇ。思った以上に楽しいわ。……決闘の方法がスペルカードルールになって何年経ったかしら?」
「そうね。最近だったはずだけど、正確な年は覚えてないわねぇ」
「最近、此処で生まれた、此処に来た人や妖怪は、スペルカードによる決闘しか知らない事になってしまう。強さと美しさを競い合うことができるこの決闘法は、しかし完全である事なんてあり得ない」
「ふふ、自分で創っといて……」
「美しさの基準は強さよりも一律させる事は難しいわ。弾幕を幾何学的芸術と捉えるか、それともただの球体の列と捉えるか。妖怪や人間の中には、この決闘法から美しさを学ぶ知恵さえ持たない者もいる。前に面霊気の異変の際、肉弾戦と弾幕を織り交ぜた戦いの方が人里は盛り上がったのがその良い証拠ね。人間と高さを合わせるのは論外だけど、方向性くらい合わせても罰は当たらないかしら」
「それが……この大会?」
「かもしれないわね。スペルカードルールが制定されてから生まれた者達のためにも。例え博麗の巫女であろうととても敵わないと思わせられるよう、妖怪の強さと恐ろしさを解りやすく伝えられると思って」
席に座り、紫の話を聞いていた幽々子は口元を押さえて苦笑した。
「本当に霊夢が好きなのね」
「えぇ。あの子が年をとって此処を去ってしまうまで、私はあの子に色んな物を見せてあげたいの。例えあの子に嫌われてもね。でも、少しだけ人間の時間が少なすぎる。だから密度を重要視して、あらゆる強者と霊夢が集まるようにしたわ。伊吹萃香のような力を使わず、私の手で」
「でも、霊夢はこの大会の参加者全員に勝てる程にスペルカードルールに……あぁ」
何かに納得したように頷いた幽々子を見て紫は微笑んだ。
「だから弾幕を禁止したのよ。スペルカードが盛んになったということは、これからそれが廃れる事だって。もしかしたらこの大会が終わった後、すぐかもしれない。そうなったら霊夢はあっという間に食べられてしまうわね。何だかんだ言ってもあの子、修行をよくさぼっているのよねぇ。藍が第七試合で見せた、相手の技を封じる弾幕。あれは月の兎を見て技を盗んだ、と言っていた。つまりあの技は使いようで月の兎以外も使えるって事。藍ったら大変な事を地味に地底妖怪中に知らしめたんですもの。これで優勝できなかったらお仕置きね」
会話を終えた紫は二回戦が始まるまでただ黙ってスキマを介した満月を見上げ続けた。
北東控え室の扉が開かれる。
そこにいた人物である現人神の東風谷早苗を見て神の八坂神奈子は疑問に思う。早苗は先程、信仰するもう一柱の洩矢諏訪子を応援するために部屋を飛び出したにも関わらずあっという間に戻ってきた。その理由を何となく察した神奈子は苦笑した。
「いやぁ……何か、近づけませんでした」
「懸命だね。私は此処からでもあいつの力を感じれるよ。まだ鬼と戦うわけでもないのに。あいつ、楽しんでるようだ」
神奈子の目には、控室の出入口から地を這うように流れてきている真っ黒な煙のような物が見えていた。
紅美鈴は向かいの選手入場口から溢れているそれに息を飲む。
「美鈴?」
気を操る能力を持っていない上司の十六夜咲夜はそれが見えていないのか、美鈴の様子を訝しく思う。
「二回戦なのにまだ緊張してるの?」
「え? あ、いや……」
答えあぐねている美鈴達の前に、通路の奥から一つの人影が姿を現す。咲夜はほとんど面識がなかったが、美鈴は先程その者に世話になっていた。
「聖白蓮さん!」
聖白蓮は美鈴達に一礼する。
「教えたあの技をどう活かすのか気になって。此処で試合を見せてくれませんか?」
「構いません。ね、咲夜さん」
咲夜は首を横には振らなかった。
「本当に感謝します。それにしてもまだ二回戦なのに、見てくださいよ、あの真っ黒な気……」
「え?」
白蓮の反応に美鈴自身も戸惑う。
「み、見えませんか? 反対の通路から冷気の様に溢れる黒い気を……」
「凄い力は感じます。しかし今、温存するため何もしてないので、この目には洩矢諏訪子さんしか映りません。……色として見えているのですか?」
「あ……はい、まぁ……能力上」
会話の途中で天井から何かを起動するような音が響く。
『時間となりましたので、これより二回戦を始めます。洩矢諏訪子選手と紅美鈴選手は入場してください』
既に満員寸前の観客席から響く大きな歓声が通路にいる者達に衝撃として伝わる。その一瞬で目つきが変わった美鈴を見て、心配はいらないと直感した咲夜は小さく笑った。
「行ってきなさい」
「はい!」
美鈴は二回戦の初陣を行き、咲夜と白蓮はそれをただ黙って見送った。
副審判の一人である古明地さとりの隣に二つの人影が現れる。
「失礼するよー」
星熊勇儀が伊吹萃香と共にさとりの右隣りへと座っていく。
「自分の試合が終わってから今まで何処に行ってたんですか? ……なるほど」
勇儀の心を読み、会話を交わさず疑問を解消したさとりに勇儀は苦い表情をし、話を切り替える事にする。
「当然だけど、一回戦の時より盛り上がってきたねぇ」
「……一回戦の試合を地底のあちこちで見て、直接試合を見たいと思ったのでしょうね。私も、一回戦の全十六試合、良く楽しめました」
「こっから先はもっと楽しめるよ。弱い奴は落とされていったから、それぞれの試合の力の差は小さくなる。ま、それでも私達二人はまだまだ圧倒的だけどね」
中央に集まった諏訪子と美鈴を見て、審判長である四季映姫・ヤマザナドゥも中央に行く。勇儀が視線を逸らすと、紫の席にも既に西行寺幽々子、橙、比那名居天子が座っていた。
「楽しいねぇ」
萃香の言葉に間を置くことなく、勇儀はそれを肯定した。
「では、両者離れて」
映姫の指示に従い、諏訪子は美鈴から離れ、試合開始の位置に立つ。
――さぁて、天狗に勝ったその実力、ちゃんと呑みこんであげるよ。
映姫が元の位置に戻り、観客も合図を聞き逃すまいと自然に声を小さくする。
「魔理沙は何処に行ったの?」
上の方の観客席にいる幽香の言葉に霊夢は答える。
「医務室よ。『アリスの傷を治すためにマジックポーションを作りに行く』って言ってたわ。なんだかんだで優しいのよね」
「落ち着きがないのね。これから素晴らしい戦いが見れるというのに」
「諏訪子と美鈴ねぇ。ま、素晴らしくなればいいけど」
霊夢も闘技場を見据える中、審判全員の判断が一致する。
「二回戦第一試合、始め!」
様々な魑魅魍魎を退けた者達による二回戦の火蓋が切って落とされた。観客の大きな歓声が諏訪子の耳に届いた瞬間、視界にいる美鈴はいつの間にか目の前に来ていた。
「!」
力を全て速さに転化したかの如き移動。しかし、彼女の右拳には充分な破壊力が籠められている雰囲気を醸し出している。
「なんてね」
諏訪子はその速度でさえ難なく左に回避し、右手で美鈴の右目部分に触れる。
「殺気が丸見えだよ」
美鈴に右手を払われた衝撃に耐えようとせず、諏訪子は身体を丸め転がっていく。一方の美鈴は追撃をしようとして突如動きを止める。彼女の中で起き始めた異常によって、追撃する余力がなくなっていた。
「どうだい、私の祟りは」
今、美鈴の右目による視界には何も映っていなかった。先程のやりとりによって諏訪子に右目を数瞬触られた。その際に流し込まれた彼女の力はそれだけで美鈴の右目を失明させたのだ。
「見えてるかーい?」
諏訪子は左手を上げ戯れの様に指を縦横無尽に動かす。それを渋い表情で見る美鈴の右側には、一回戦で諏訪子が雲居一輪を仕留めた時のような岩の手が静かに競り上がっていた。その方向にまるで気付いていないのか一切顔の向きを変えない美鈴に咲夜は疑問に思う。
「まさか……視界を奪われている!?」
白蓮が言い終わると同時に岩の手は襲い掛かる。しかし美鈴はそちらに一切顔を向けない。
「美鈴!」
咲夜は叫ばずにはいられなかった。彼女の叫びが通じたのか美鈴は突如気合を入れ、顔の向きをそのままに襲い来る岩に右拳を放つ。手の平を吹き飛ばされ亀裂を走らせる岩は美鈴を通り抜けた後、粉々に崩れた。
――見えているのか。……いや違う。
間を置かず、虹色の気を纏わせた右腕を前に出し美鈴は前に踏み込む。その一歩だけで諏訪子との間を詰める。誰もが当たると思ったが、寸でのところで諏訪子は地面に潜り攻撃をかわす。坤を創造する神にとって地面に潜る事は朝飯前である。
「読んでました!」
美鈴は片足を上げる。
「黄震脚!」
勢いよく振り下ろされたそれは、しかし静かに地を鳴らす。一瞬の後、突如諏訪子が吹き飛ばされたように地面から飛び出し、転がった。
「くっ……油断したよ。少し酔ったかも」
美鈴は地面に気を送り地中の諏訪子を攻撃していた。しかし迎撃されはすれど立ち上がった諏訪子にそれほど傷はなく余裕杓者の様子でいる。
「楽しいね。当たり前だけど、勝ち残ってる奴なんだ。前の奴より弱いなんてことはない」
「私も同じ気分です。まさかいきなり右目を奪われるとは思ってませんでした」
「そう、それそれ。あなた、右目見えてないはずなのによくさっきの手に反応できたね」
「ちょっとした気の流れで、例え視界を奪われていようと何処に何があるかなど簡単に把握できます」
「あぁ、忘れてた。一回戦の時の天狗、そうやって迎撃したんだったね」
「いえ、射命丸文さんはあまりにも速すぎました。だから気を狭め、自分に近付く瞬間しか把握できなかった。つまり……」
多少言葉に迷った美鈴だったが、真剣勝負に迷いはいらないと判断する。
「あなた程度の速さなら、昼寝をしてたって対処できます」
言っておきながら、神に挑発が通用するのか疑問に思う美鈴だったが、諏訪子は小さく笑っていた。
「いいねぇ、その勝気。祟り殺したくなっちゃうよ」
諏訪子の身体から黒い気が溢れだす。それを見て美鈴は構えを整える。
「さすが、神だけあって凄い気ですね」
「ん? あなた、もう私の霊力が見えてるのかい?」
「えぇ」
美鈴の返答にまたも諏訪子は嬉しそうに微笑む。
「なぁるほど。これは思った以上に楽しめそうね」
諏訪子の黒い気はその幼き四肢の先に集まっていく。地に手を付け、蛙のように座った彼女の四肢が着く地面は真っ黒に染まっていく。
「一回戦みたく動けなくさせて仕留めようかと思ったけど。ちゃんと防ぎなよ。じゃないと穢れきって、消えちゃうかもしれないからね」
諏訪子に合わせる様に、美鈴は気合を込め両腕に、観客達の目に見える程に強い虹色の気を纏わせる。
「ほーう、これは強そうだ。……足にも付けないでいいのかい?」
「あなたほど器用ではありませんので。しかしこれくらいの気ならあなたを仕留める事ができる」
「……やってみな」
立ち上がり、両腕をだらりと下げて待ち構える諏訪子に対し、美鈴は隙を伺い周るように間合いを詰めていく。声援は徐々に止み、比例するように両者の間はまだ十分にあるとはいえ縮まっていく。先程のような踏み込みなら攻撃が当たる距離で美鈴は止まり諏訪子をじっと見据える。纏まった気がこれ以上散開しないよう諏訪子が両手の拳を握り直した瞬間、美鈴は動いた。
「はっ!」
彼女はその場で正拳突きを放つ。左手の闘気は砲のように放たれ、巨大化しつつ諏訪子を襲う。
――ここで遠距離攻撃か!
寸でのところで左手による受けが間に合い光球を結界に弾き飛ばすも、反動で諏訪子の左手を纏っていた黒い気は消滅し、前方にいた美鈴は姿を消していた。しかし動揺していても神は神、右後方で何者かが結界に足を着ける音を聞き逃さなかった。
――気を使えるのに気配は操れないんだね!
右に振り向いた時には三角跳びの要領で飛び蹴りを放って来ていたが諏訪子はその右足を難なく掴んだ。彼女の右手を纏っていた黒い気は少しずつ美鈴の肉体に染み込み、蝕んでいく。
「さぁ、これからゆっくりとあなたは――」
言いながら諏訪子に疑問が浮かぶ。今、美鈴の腕には虹色の闘気が纏わりついていない。片腕で気の大砲を放っただけにも関わらず、その闘気は両腕から消えていた。そして諏訪子が気付くと同時に突然背後が明るくなる。先程の様に巨大化した虹色の光球が襲い掛かってきている事を横目で察知した。
――まさか、私を周り込んだ地点からもう一発の闘気をさらに回り込むように飛ばした? わざと気配を分からせ、右を向く私の常に背後を回る、完璧なタイミングで!?
諏訪子にぶつかった光球は爆発し虹色の衝撃波を放つ。その最中、諏訪子の手から逃れる美鈴は驚愕する。攻撃を受けたはずの諏訪子の右腕が一切の力を無くさず自分の右足首を掴み続けていた。
「最初の球も当ててたら片膝は着いてたかもね」
目の前から虹は消え、諏訪子は多少の傷を負っているものの平気そうな顔をしていた。動揺しつつも美鈴は片足を地に着いたまま手刀で突く。諏訪子は小さな体躯を活かすように屈んでかわしながら、美鈴の足を持つ手を持ち替え、残ったその黒い気に塗れた手を美鈴の口に添えた。軸足にせざるを得ない左足を狩り、倒した美鈴に諏訪子は馬乗りになる。
「あまり使いたくないんだけどね。たいしたものだよ、あなた」
赤口さまとして恐れられた諏訪子の気を体内に流し込まれる光景を見せられる中、ただ二人、十六夜咲夜と観客席に座るレミリア・スカーレットは美鈴の劣勢を感じていない。
「馬鹿ね。美鈴に密着するなんて」
諏訪子の死角になっている彼女の右手は、再び虹色の輝きを放つ。そしてそれを諏訪子の脇腹に向ける。
「残念」
しかし諏訪子はその手首を左手であっさりと掴み止めた。
「あなたと私はよぉく似ている。だから、そんな手を見逃すはずが――」
突如、美鈴は立ち上がった。
――飛び上がった……違う、左腕と腹筋の力だけで立ち上がった!?
左手を掴む事に気を取られた諏訪子の力の流れを美鈴は読み取り、馬乗りにされた体勢から普通に立ち上がった。諏訪子が赤子のように美鈴に抱きついた体勢で、しかし彼女から放れる様子はない。彼女の右手は未だ美鈴の口元に添えられているのだ。
――たいしたものだよ! 今でさえ、発狂したい程苦しいだろうに。でも心配ない。あと少し流し込めば、あんたの身体は……。
美鈴は自由になった左手で諏訪子を殴らず、束縛するように抱きしめる。超近距離どころか互いに密着し合った状況で、それでも彼女には攻撃手段があった。彼女は心の中でその技の名を叫ぶ。『極彩「彩光乱舞」』と。回転しながら飛び上がり、虹色の風を荒れ狂わせる。それは一回戦第二試合で相手をした天狗の射命丸文が作った台風に及ぶ程ではないが、この技には所謂『台風の目』というものは存在しない。唯一存在するとすれば、それは技を放つ美鈴自身でしかない。
数秒で虹の嵐から諏訪子は飛び出し、結界に叩き付けられる。
「やるじゃないかい。この私に二回も傷をつけるなんて」
虹色の風は止み、相手の攻撃から解放された美鈴は、しかし疲弊していた。
「ぐっ……あっ……が……」
胸を抑えて呻く美鈴はたまらず着地する。傷を負った諏訪子に追撃することもできない。しかも地に足を着けた途端、彼女は崩れそうになる。諏訪子の気は体内だけでなく初めに右足をも蝕んでいるのだ。
「うっ!」
咳き込み、吐き出した血からは黒い気が蒸発していく。
「まだやるかい? 悪いけど、私がこのまま逃げ回っても、恐らく時間切れになる前にあなたの身体が持たない。それでも――」
諏訪子の問いに答えるように美鈴は口から手を放し、構える。自らの勝利を疑わないその眼は諏訪子に笑みを浮かばせた。
「最高だよ。早苗より諦めが悪そうだ。でもね、悪いけどもうあなたにチャンスはない」
諏訪子は衣服の中に手を回す。何処に入っていたのか彼女の上半身程度の大きさをした鉄輪が姿を見せる。
「もうあなたは私に近付くことさえできない!」
放たれた刃のないその円月は見当違いの方向に放たれたかと思うと、突如美鈴に向かい襲い掛かる。
「ぐぅっ!」
気で強化した右腕で防いでも、勢いと重さを乗せた鉄輪は骨を軋ませる。しかもそれは勢いを失うと、まるで意思があるかのように諏訪子の手へ戻っていく。
「さぁ、攻略してみなよ門番さん!」
鉄輪を地面に向けて垂直に投げつける。回転がかかったそれは車輪のように前に跳ぶ。両腕を交差させ防御に集中しても美鈴の身体が後ろに押される程の威力を有していた。
勢いが落ち戻ってきた鉄輪を掴んだ諏訪子は闘技場の中央まで歩いた。
「近付かせないけど逃がしもしない。さぁ、まだやるかい?」
少しの沈黙が流れると、美鈴は突如構えを解いた。追いつめられ、勝機はほとんどないと誰もが思う中、帽子を外した美鈴自身は一切そのような表情をしていなかった。帽子に付いている『龍』と書かれた星飾りを外し、ちぎれた糸の付いたそれで器用に紅く長い後ろ髪を縛り、残った帽子を自分側の選手入場口前まで飛んでいくよう放り投げた。
「なんだいそれは?」
「……なんでもありません。ただのおまじないです」
「はは、神を相手におまじないか」
美鈴は左拳と右掌を合わせ念じる。
「気符『猛虎内勁』」
爆発的に高められた体内の気は、観客の妖怪達からも見える程に荒れ狂いだした。
――私の力があの子の身体から消えた? あの子が気を操るのは解ったけど、まさか私の力を相殺したというの?
諏訪子は笑みを消し集中する。打ち消されたとはいえ自分の力はまだ美鈴の中に残っていると仮定する。その場合美鈴が取る方法は短期決戦しかないと判断する。諏訪子はすぐに策を練り、鉄輪を左上空に向けて放つ。それを見つつ、闘技場を見る白蓮は独り言のように話す。
「洩矢諏訪子さんは一つの失敗を犯しました。美鈴さんを逃がさないために中央へ立ったその行為は逆に、美鈴さんとの距離を縮めました。そしてあの距離ならば――」
美鈴は精神を集中させ、白蓮から教わった技術を思い出す。
白蓮が一回戦で見せた、相手に一瞬で接近する歩法を見た美鈴は、教えを乞う事を決心した。体術を扱う者同士であったためか美鈴はあっという間にその技術を吸収していった。
それを使い、美鈴は諏訪子の前に一瞬で間合いを詰める事ができた。多量の気を移動に費やしているわけではないのでその拳は充分に固められている。
「信じてたよ、門番さん」
笑みを絶やさない諏訪子と敵対する美鈴の背中に、軌道を変えた鉄輪が叩き付けられた。
「背骨、いただきました」
その鈍い轟音は誰もが美鈴の戦闘不能を予想させるものである。しかし、ただ一人諦めていない。それは美鈴本人だった。
――こいつ、何で立ってられる!?
美鈴が諏訪子の攻撃に耐えた謎を知っているのは、彼女と親しい咲夜とレミリア、そしてその原因を持つ『道具』を使用することを知らされた映姫、紫である。紅美鈴はこの時、地味に道具を使用していた。彼女が帽子から外し、髪に縛り身に着けた髪飾り、それは装飾品などではなく、歴とした効能のある道具なのだ。気が漲り、相手の攻撃に対し怯まなくなる。先程受けた諏訪子の鉄輪によって美鈴の肉体は損傷こそしたが、今、その痛みにより精神面で弱る事は一切ない。
――そうか、さっきの宣言か!
諏訪子は勘違いしているが、美鈴が先程宣言したスペルにも別の効果がある。『猛虎内勁』によって気を高めたその肉体で打つ拳はどこを打っても致命的になるほど鋭いものになる。そして、美鈴がとっていた構えを見て鬼である勇儀達も反応する。
「あれは……三歩必殺だと?」
美鈴は勇儀の三歩必殺を見た。一歩目で跳び、二歩目で詰め、三歩目で殺す。圧倒的な踏み込みと、それに比例する力によってできる鬼の技術。しかし三歩必殺という理念は、実は美鈴が扱う武術にもあった。一歩目で崩し、二歩目で撃ち、三歩目で備える。それは道具や妖術による遠距離攻撃が織り交ぜられるこの大会では非現実的な夢物語のようなものだと美鈴自身が思っていた。しかしその壁は、聖白蓮という一人の元人間があっさりと打ち砕いたのだ。感謝の意を込め白蓮を一瞥し、美鈴は諏訪子を討つ。
「華人式・三歩必殺、一」
諏訪子の鳩尾に放たれた美鈴の左拳は正中をとらえる。その衝撃によって諏訪子は高速で吹き飛び、結界に叩き付けられた。その結果に美鈴と白蓮が最も驚愕する。苦戦の末、神である諏訪子をあっさりと闘技場の中心から端まで吹き飛ばす。それは、あってはならないことだった。
「な、なぜ……」
一歩目で崩し、二歩目で撃ち、三歩目で備える。つまり、この三歩必殺には、一歩目に敵を倒す、という概念はない。
「硬直に対する……脱……力……」
着地し、よろめく諏訪子は声を絞り出す。
「追撃に対する……後退……? ……静に対する……動」
その言葉だけで美鈴は理解してしまう。
「あんたは少し……正々堂々の気が強すぎるんだよねぇ。それは……お互い……戦う意志がある者を倒す事しか想定していない。だから私は抵抗せずに受け入れ、逃げた。私の顔面じゃなく腹部を見ていて連続技が来ることに私は賭けた。あんたが距離を詰めるなら……私は下がればいい……あんたの拳を利用してね」
諏訪子は力を抜いて美鈴の拳をわざと急所で受け、吹き飛ばされたのだ。それによって開いた広い間合いは、相手を撃ち、討つべく美鈴の二撃目を絶望的なものにした。驚きと悔しさを隠せない美鈴だったが、すぐに構えなおす。
「ならば……次で決めてみせます。もう……あなたの背後に空間はない」
「……無理だよ」
白蓮から教わった歩法で美鈴は諏訪子との間合いを一気に詰める。
「私を倒すために気を荒れ狂わせたあんたの身体はもう、私の力でいっぱいだ」
美鈴はわずか半分ほどの距離しか詰められなかった。初めに掴まれた右足首は既にどす黒く変色し左目は濁っている。それでも背を向けた諏訪子を逃すまいと残された左足に力を込めた美鈴は――
「ぐ……うっ!」
血反吐を吐き出し、前のめりに倒れていった。吐いた血は黒い雨の様に倒れた美鈴の目に映る。その視界の中で立つ諏訪子は両手を合わせ彼女に向かい礼拝していた。
「そこまで! 勝負あり!」
閻魔の宣言により二回戦の初戦が決する。小柄な神の予想通りの邪悪な力を称賛する者、天狗を下した拳法家が力及ばなかった事に落胆する者、それぞれの声が闘技場に響き渡る中、諏訪子は美鈴の元に近付き胸に手を添える。
「結構です」
体内に残っている蝕みを吸い取ろうとする諏訪子の行為を美鈴は制した。
「この傷は……油断と……功夫が足りなかった私への戒めとして残してくださって結構です」
「自惚れるんじゃないよ。あんたを楽にするためじゃない。私にはまだ三戦残ってるんだからね」
美鈴の胸から黒い霧のようなものが浮かび上がっていき諏訪子の手の平に吸い込まれていく。美鈴は自分の身体が幾分楽になった事を感じ、それを見た諏訪子は立ちあがり咳き込みつつ去って行く。
「もっともっと修行すれば私に勝てるかもね」
美鈴から見えないように隠す諏訪子の右手甲には血がついていた。それは美鈴の放った初段が完璧であると同時に、それほどの威力で放ってしまったため諏訪子を吹き飛ばし、三歩必殺としては失敗している証拠だった。仮に、完全に一撃で決める程の威力を持つ技を当てるか、崩しを含めた全ての技を致命傷にしてしまう『猛虎内頸』を使用せずに三歩必殺の初段を決めていれば勝敗は違っていたかもしれない。
やや呆けた表情で美鈴は退場すると、通路にいる咲夜や白蓮と目を合わせた。
「負けちゃいました。白蓮さん、すみません。教えてもらったのに、勝つことができませんでした」
精一杯の笑顔も上手く作れず美鈴は視線を下に向ける。
「あなたにしてはよくやった方じゃないかしら」
余計な励ましは必要ない。それが、付き合いの長い咲夜が出した判断だった。
「問題は……」
突如、通路の奥から人影が近付いて来る。その覚えのある雰囲気に美鈴と咲夜は緊張する。姿を見せたのは二人が仕える主である吸血鬼のレミリア・スカーレットだった。沈黙する美鈴達の前でレミリアは口を開く。
「負けたか。使えぬ門番ね」
美鈴は片膝を着き小柄な体躯のレミリアより下に頭を落とす。
「申し訳ありません」
「お前の役目は何だ」
「それは……屋敷への侵入者を排除する――」
重苦しい雰囲気に反するようにレミリアは小さく笑った。
「お前にそこまでの力なんて求めてない。お前の役目は時間稼ぎだ、侵入者が館に入ってくるまでに私が着替え終える時間をな」
目を丸くする美鈴に構わずレミリアは言葉を続けていく。
「そしてさっきの試合を見て。神相手にあそこまで時間を稼げるんだ。とりあえずは、及第点、と言ったところかな」
「お嬢様、では……」
咲夜はレミリアから『無様な戦いを見せれば門番である美鈴を首にする』という旨を聞かされていた。
「優勝できなかった罰だ。お前が紅魔館門番を辞める事は許さない」
「……はい」
俯く美鈴に対し、咲夜は心中安堵していた。美鈴が館を立ち去るかもしれない、という不安は今の会話で消え去った。レミリアは立ち去って行くが咲夜はその後を着いて行こうとはせず美鈴の方を向く。
「そこに座りなさい」
一回戦同様、余計な反論をせず美鈴は通路の端に腰を落とす。諏訪子の鉄輪によって痛めつけられた部分に、応急処置として咲夜は軟膏を塗っていく。
「あなたにしてはよくやったわ」
先程と違い若干嬉しそうな表情を咲夜は隠せなかった。重い一撃を受けた背中を治療してもらうために立ち上がった美鈴は白蓮と目が合う。
「白蓮さん、頑張ってください」
「はい。この場で見たあなたの戦いを無駄にはしません」
互いに微笑み合う二人の側で、同じ参加者というだけでここまで親しくなれるものなのか、と参加者ではない咲夜は戸惑いつつもつられて微笑んでいた。
いずれにせよ、紅美鈴はここで脱落となり勝者である洩矢諏訪子は最初に三回戦へ足を進めた。一回戦を勝ち上がった者達によって行われるこの二回戦の初戦を見た観客達は、次の戦いにも胸を膨らませる。
二回戦第二試合を戦う者達は、それぞれ仏教と道教を広める者に仕える、右腕対決である。
一回戦までと違ってここからは読者としても予測が付き難い。美鈴は功夫への情熱で戦ったが祟り神のしたたかさに敗れた。勝利とは実力 知恵 意志を織り成し相手の一枚上手を行く者が掴む。後は運(文と神子は確かな練達だった) それにしても諏訪子様よくよく悪い笑みが似合う御方