Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『念写少女のルナティック・ブルー #1』

2015/03/25 20:46:52
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 うんざりするほどの人混みを抜け出して、私はようやく新鮮な空気を吸った。どこぞで祭でもあるのだろうか。多くの人間が人集りに引き寄せられて私とすれ違っていく。
 両親に手を引かれた女の子と目が合った。淡青色の浴衣でおめかしした少女は、真ん丸い目を見開いて私をじっと見つめている。思わず、自分の顔に何か付いているのかと考えて、頬をぺたぺたと確かめた。その様子が面白かったようで、少女はにかりと微笑んで、そして手を引かれて行ってしまった。
 見上げた空には、鱗雲がびっしりと浮かんでいた。長かった東京の夏もそろそろ終わろうとしている。何を失くしたわけでもないけれど、何だかもの寂しい。人波の中だとよりいっそう孤独を深めてしまいそうだったから、私は歩く足を速めた。

 ビルディングの上を何かが飛んでいる。鳥ではなかった。その影は人の形をした何か、すなわち妖怪であった。以前なら異常だったこの光景にも、驚く者は誰もいない。東京に妖怪がいるのはもはや当たり前のことになってしまったのだ。
 今しがた通り過ぎた人混みの中にも、姿こそ人間を模しているものの、漂う妖気を隠せていない妖怪が何匹かいた。悪さをしているようではなかったから私は無視したが、たとえ他の人間がそれに気が付いたところで私と同じ態度を取るだろう。無意味に騒ぎ立てるのは混乱を引き起こすだけだと、多くの人は理解しているのだ。

 背後で太鼓の音が鳴り始めた。やはり祭をやっているようだ。歓声が上がる。すれ違う人々の顔には笑顔が溢れている。

 思えば、私が巫女になってから過ごしていた日々は、言わば祭のようなものだったのかもしれない。日常とはかけ離れたハレの世界を、私はずっと駆け抜けてきたのだ。最初のうちこそ戸惑い躊躇ったけれど、いつしかそれを楽しむようになっていた自分がいた。そう、確かに楽しかったのだ。自分の知らない世界。常識では考えられない存在。身の周りに溢れる不思議な出来事に、口では面倒だと言いながらも、胸の内ではわくわくしていたのだ。

 けれど祭はいつしか終わる。ハレの後には必ずケが、何事もない日常がやって来る。
 東京から妖怪が消える。私の博麗の巫女としての日々も、そろそろ終わってしまう。
 それは喜ぶべきことだろうか。それとも……。

 交差点で折れて違う通りに入った途端に、祭の喧騒は消え失せた。行き交う人々は皆、日常を抱えた真面目な顔をしていた。死に際にある夏の太陽は、冥土の土産とばかりに路面の砂を焦がす。それを盛大に巻き上げながら、黄色い路面電車が私を追い越していった。ちょうど白蓮寺へ帰る方向の便だったので、乗り遅れないように走って追いかける。車道を渡るために歩道から飛び出すとき、つい男の人の足を踏んづけてしまい、ぎゃっと野太い悲鳴が上がった。

「おい、気をつけろ!」
「すいませーん!」

 生返事で振り向きもせずに謝って、私は停車場を目指す。100メートルほど先で、路面電車は速度を緩め始めていた。これはまずいと脚に鞭打ち一心不乱に走る。乗降客のために停止する時間はほんの僅かだ。これを逃してしまうと30分は待ちぼうけを食らうことになる。
 しかし遠すぎる彼我の距離は無情にも、私に不可能通告を突きつける。もう駄目か、と思ったそのとき、ふっと風が止んだ。いや、正確には追い風が吹いていた。空気抵抗がすっかり拭い去られる。停車場まで続く私専用のレーンがはっきりと見えた。さらに速度を上げ、必死で駆ける。
 最後の客が乗り込んで、チリンチリンと鐘が鳴った。その瞬間、私は何とか閉まりかける乗降口に滑り込んだ。

「間に、合った……!」

 私はその場で扉へと寄りかかった。目を瞑って深呼吸を繰り返し、荒い呼吸を何とか整えようとする。
 こんなに走ったのは久しぶりなように思えた。身体のあちこちが悲鳴を上げている。早鐘のごとく鳴り続ける鼓動が、全力の抗議の声に聞こえてくる。そういえば、博麗の巫女になってからの私は空を飛んでばかりだった。空中の方が邪魔物のない分だけ距離を詰められるし、筋肉も使わないので身体は疲れることがない。今は巫女の姿でないから自重したけれど。

 呼吸も落ち着いてきたので、さて空いている席はないものかと考えながら瞼を開く。すると目と鼻の先で、見覚えのある天狗が微笑んでいた。

「のわっ!」
「駆け込み乗車は感心しませんねぇ」

 妖怪新聞記者、射命丸文は、言葉とは裏腹にさも愉快そうな声で言った。真っ白なカッターシャツから、仄かな石鹸の香りがした。

「ほら、襟元が乱れてますよ。少しばかり殿方の目に毒かもしれません。あ、直す前に一枚撮っても?」
「いいわけないでしょ助平天狗め」

 軽口を返しながらも、私の動悸はさっきまでとはまた違う意味で荒ぶっていた。相手はかなり高位な妖怪のはずなのに、彼女の接近に全く気付くことができなかったのだ。姿形だってほとんど人間にしか見えない。完全に妖気を断ち、人間の中に溶け込んでいたようだ。私より拳ひとつ分だけ高いところにある赤い瞳がほんの少しだけ魔力を帯びていて、それが辛うじて彼女が妖怪であることの判別を可能にしている。
 どぎまぎする私を余所に、文は私の隣に収まった。

「お急ぎのようだったので、少しばかりお手伝いさせていただきましたよ」
「手伝い……。あ、さっきの追い風はあんたが?」
「風を使うのは得意でして。もっと感謝していただいても結構ですよ」

 ふふん、と胸を張る様は、文字通りの鼻高々な天狗である。わざわざ取り合うこともあるまい、と私は無視した。

「で、今日は何の用よ。勝手に記事にした取材料でもくれるの?」
「『情報は金で買わずに脚で稼ぐ』ってのがモットーでしてね。あいや、たまたまお見かけしたので、何か面白いお話でも仕入れられればなぁ、なんて」
「何もないわよ」
「そんなことはないでしょう。博麗の巫女はいつだって巻き込まれ体質、奇妙な事件の方から勝手に寄ってくるものなんです」

 言いながら文は帳面を取り出して、万年筆の蓋を外す。今にも舌なめずりを始めそうな貪欲な笑顔だ。

「さぁさぁ何でも構いませんよ。妖怪を退治した話でも、妖怪に退治された話でも」
「だから何もないんだってば」
「そんな殺生な。文々。新聞の一面を『路面電車に乗り遅れそうな巫女、街中を全力疾走』なんて下らない記事で埋めろって言うんですか」
「おいさっきの撮ってたのかふざけんな。それ記事にしたら徹底的にやっつけてやるから」
「でしたら何かネタを下さいよ。そうですね……」

 こちらを見た赤い瞳の奥で、何かが燃え上がった。

「例えば、先日の活動写真騒動。あの裏で八雲紫がどう暗躍していたか、とか」
「…………」

 予想外の展開に、思わず言葉を失ってしまった。この天狗、どこまで知っているというのか。

「いやあそれにしても、あれは随分と面白そうなことになってましたね。『秘封倶楽部』関連の記事、東京に来てからじゃ一番反響がありましたよ。巫女さまさまです」

 文は私を拝む素振りをしてみせる。眉のあたりがひくついた。傍(はた)から見れば面白そうだったのかもしれないが、張本人としては二度と経験したくない出来事であった。しかしあの興行の裏に八雲紫が関わっていたことは、最後の上映のときに居合わせた人々くらいしか知らないはずだ。

「……『どうして知ってるの』って顔をしてるから説明してあげるけど」

 万年筆の蓋を締め直した文の口調から、慇懃無礼な態度が消える。かといって親しみやすくなったというわけでもない。子供を呼びつける大人のように、生まれたときから与えられている高慢さが見え隠れしている。

「私たち天狗とあの隙間妖怪の関係は、味方だったときもあれば敵だったときもあるけど、形はとにかくとしてもう何百年と続いてるの。奴のやり方はあなたよりもよっぽど熟知してる。博麗の巫女に似た登場人物を主人公にした活動写真を使うなんて、いかにも八雲が好みそうな回り諄(くど)い手口だわ」
「知り合いなら直接聞けばいいじゃない。どうして私が」
「あなた、あの妖怪がインタビューを実直に受けてくれるようなタイプに見える?」

 問われた私は、考えるまでもなく首を横に振り、自らの不明を恥じた。神出鬼没という言葉をそのまま具現化した存在が八雲紫である。質問に素直に答える心づもりなど微塵も持ち合わせていないどころか、そのまともな機会すら与えてはくれないだろう。そのお鉢がこちらに回ってくることについて異論反論がないわけではないが。

「分かったわよ。どうせ暇だし、話してあげる。もっとも自分でも分かってないところがたくさんあるけど」
「おぉ、ありがとうございます。なに、話に多少の穴があったって構いやしません。こっちで取り繕って見てくれだけをミステリアスな事件に仕立て上げればいいんですから」

 帳面にメモを取る体勢へとあっと言う間に戻り、新聞記者は目を輝かせた。私は順を追って話し出す。夢と現実を超えた奇妙な冒険について、そして八雲紫が私とメリーベルに持ってこさせたものについて。

 そう言えば、紫は言っていた。人間に捨てられる夢を自分が現実に変える、と。私たちはいつしか科学技術にとらわれて、その理(ことわり)から外れたものを否定するようになるのだと。ならば今の東京はどうなのだろう。自分の目的を果たすために必要なものを、私とメリーベルを使って集めることが『幻想京計画』であるのなら、この東京はその副産物だ。人間の築き上げた街の中を我が物顔で妖怪が闊歩している状態は確かに歪(いびつ)だけれど、とにもかくにも現在の東京は人間と妖怪がともに暮らす魔都である。この街は、八雲紫の求めるものではないというのか。

 一通り話し終わると、文は大きく息を吐きながら万年筆に蓋をした。眉間を摘んで揉み解そうとする天狗は、かなり疲れた顔をしていた。

「時間すら越えるとは……。化け物め、もう何でもアリか」
「流石にハッタリだろうとは思うけど」
「あれがハッタリ臭いことを宣(のたま)うときは、大抵真実なのよ。そして息を吐くように嘘を吐(つ)くの。まぁとにかく、八雲紫は大結界の材料を揃えたということね。やはり帝都を奪うだなんて絵空事は、私たちを口車に乗せるための口実だったのか」

 何やら一人合点しているのが気に食わなかったので、私は問い返した。

「博麗大結界って、何なの?」
「私も詳しくは知らないけど」

 そう前置きして文が話してくれたことによると、それは人間の常識と非常識を隔てる概念的な障壁なのだという。

「八雲紫は、それを私たちが予(かね)てより住まう地、幻想郷において構築しようとしている」
「幻想京、ってこの東京にそんなものを?」
「違うわ、幻想『郷』よ。ミヤコじゃなくてサトと書くの」

 明治政府の目も届かない山奥に、人間と妖怪が住む隠れ里が、厳重に隠されて存在するらしい。つまり紫の目的は、そこに完全な密室を完成させることだ。人間が非科学的だと断じた「夢」を集めて濾過し、その郷の内部にて「現実」へと変換するというわけである。

「幻想郷はもうすぐ閉じる。結界は物理的なものじゃなくても、実際の出入りは少々面倒になるでしょうね。私もあまりのんびりしていられなくなってきたわ。結界が成立する前に帰らないと」

 帰る。その言葉を聞いた瞬間に、遠ざかっていた喧騒が一気に戻ってきた。天狗が東京から去る。強大な結界によって隔てられた向こう側の世界へと、いなくなってしまう。いや天狗だけではない。きっと他の妖怪たちもそうだろう。幽香さんの言っていた、『東京が人間の街に戻る』というのは、このことを指しているのだ。

「……今の東京じゃ、幻想京じゃ、駄目なの?」

 私は思わず、そう口に出していた。

「ちゃんと人間と妖怪が一緒に生きてるじゃない。そりゃ20世紀は科学の時代になるんだろうけど、それでもこの街がこのまま続けば、きっと妖怪が消えることなんてないはずよ。そうでしょう?」

 あぁ、もはや認めざるを得ない。私は終わらないことを願っている。面倒ばかりだけれど、愉快で不思議な妖怪都市が、いつまでも在ればいいと思っている。博麗の巫女であることを、私は楽しんでいたのだ、ずっと。
 目を丸くしていた文が、ふっと笑った。

「成程。確かにあなたの言う通り、今この街では妖怪が存在できている。でもそれは、ただそこにいるというだけに過ぎない。それは八雲の真に望むところではないし、私たち天狗にとっても不本意なのよ」
「不本意、って」
「まぁ単純に、今の山を離れたくないっていうのが天狗にはあるけど。だけどそれ以上に、ここは人間と妖怪が ―― 」

 人間と妖怪が何なのか、その時は知ることができなかった。文の言葉が急ブレーキによって遮られたからだ。硝子を引っ掻くような耳障りな音の中、いまだ扉に寄り掛かるような格好だった私はつんのめってしまう。あわや転んでしまう、というすんでのところで、文の腕が私を掴んだ。

「あ、ありがと……。でもどうしたのかしら。まだ停車場じゃないのに」
「はて」

 運転手が窓から身を乗り出して、車両の前に向かって何やら叫んでいた。誰かが路面電車の軌条上に飛び込んだらしい。窓越しに見やると、両手を広げた女の子が進路上に立ちはだかり車両を止めているのだった。停車の目論見が上手くいったことを知って、少女はこちらに駆け寄ってくる。

「あなたよりも大胆な乗客もいるものね」
「うっさい」

 少女は私たちが今まで寄りかかっていた引き扉を開いて、転がるように車内へ入るや否やすぐに扉を閉めた。年は私より一回り下といったところだろうか。しかし随分と酷い格好をしている。身体中のそこかしこが汚れており、元は上物だったであろう服にも染みやほつれが目立つ。

「早く出して!」

 少女の声には、見た目とは裏腹の力強さがあった。有無を言わさぬ迫力に、文句を言おうとしていた運転手も思わずたじろいだ。

「変な奴らに追われてるの。早く逃げないと追いつかれちゃう!」

 背後を指さしながら彼女は叫ぶ。その方向を私と文は振り返ったが、そこにはいつも通りの雑踏しかない。

「あの……」
「いいから早くしてよ!」

 運転手は剣幕に負けてブレーキを外した。発進した車体ががたんと揺れる。少女の方はというと、扉の側にしゃがみ込むと窓から注意深く外を見つめていた。
 頭の天辺(てっぺん)辺りで二つに束ねられた長い髪が、車窓から差し込む陽光を跳ね返して、香木のように輝いていた。
 文が腕を組み、嘲るような調子で言う。

「あなたねぇ、まず先に善良な乗客に迷惑かけたことを自覚してる?」
「静かにして! あいつらに気づかれちゃうわ。物凄い地獄耳なんだから」
「だから『あいつら』って誰なのよ」
「それは ―― 」

 そのとき、少女の傍の窓硝子が粉々に砕け散った。危ない、と叫ぶ暇もあらばこそ、無数の鋭い破片が雨のようにしゃがむ少女へと降り注ぐ。血塗れとなったその姿を幻視した。が、瞬きの間にそこから彼女は消えている。無人の床へ硝子の刃がバラバラと撒き散らされた。
 轟、と耳元で風が鳴った。振り向くと、文が少女の襟を引っ掴んでいた。天狗の機転が少女を救ったのだ。

「伏せて、また撃ってくるわ!」

 文の警告が終わらない内に、もう1枚の硝子が割れ砕ける。乗客たちは窓際の座席から転がるように離れ、床へと退避した。私たちもその場で身を低くする。
 思わず減速しはじめた運転手を、文が制した。

「停めるな! 速度を上げなさい! 蜂の巣になりたいの!?」
「ちょ、ちょっと文。蜂の巣ってどういうこと? 撃ってくるって?」
「小銃の弾丸が見えたわ。誰かがこの車両を銃撃してるのよ」
「銃撃……!?」

 問い返したその瞬間、3枚目の硝子が砕け散る。誰かの悲鳴が上がった。
 これが何者かの攻撃だとして、妖気はまったく感じ取れない。害意を持つ妖怪は、襲う相手の恐怖をかき立てるため、普段から妖気を見せつけるように漂わせているものだ。低級な妖怪ほどその傾向は強い。それがないということは、そして向こうの武器が文の言う通りに銃なのであれば、相手はおそらく人間である。
 それにつけても天狗の目は尋常ではない。突如として始まった狙撃の、銃弾まで見て取るとは。

 顔を上げた瞬間、またもや硝子が撃ち抜かれた。

「あぁもう、じれったい! 桜子、この娘をお願い」

 少女を私に押し付けると、文は車両の扉を開けて後方を睨(ね)め付けた。

「いた。あそこね……」

 その口の端が、少しだけ嗜虐的に歪んだ。手にはいつの間にか、天狗の象徴とも言える葉団扇が握られている。そして瞬きの内に、彼女の背には黒い翼が生えていた。文の妖気が膨れ上がるのを感じ取って、私の全身が粟立つ。すぐ側で巨大な炎が天高く燃え上がったような威圧感だった。
 文は思い切り、葉団扇をひと振りした。ただの一度だ。しかしそれだけで、風は主の命に応えた。何本ものつむじ風が湧き起こり、路面電車を護るように周回し始めたのだ。車窓からの景色が遮られてしまうほどに分厚い風の渦だった。なるほど、これで銃弾を弾き返そうというのか。

「あんた、凄いじゃない」

 少女は瞳を輝かせた。

「こんな凄いやつが私を護ってくれるなんて、心強いわ」
「だって私まで撃たれるのは御免だもの」

 軽口で返した文は、まだ後方を警戒している。

「……これで諦めてくれると思うんだけど」
「この娘を追っかけてきてる連中って、何者なの?」
「分からない。けど ―― 」

 天狗の紅い眼が、細く鋭く引き絞られる。

「 ―― 軍服を着てるように見える」
「えっ」

 思わぬ言葉に面食らった。子供ひとりを、複数の軍人が追っているだって?
 しかし次の瞬間、車体は青い閃光に包まれた。巨大な衝撃に、文の身体が扉から跳ね飛ばされて床を転がる。もはや銃撃ではない。これは砲撃だ。衝撃は1度で終わらなかった。2度、3度と、突き上げられるような衝撃に車体が軋む。その度に青白い爆炎が、窓の外を舐めるように這っていく。

「これは……」

 見覚えのある攻撃だった。青白い霊力光による圧倒的な物量作戦。

「何だってのよ。あいつら、慣れ過ぎてる」

 傍らで、何とか身を起こした文が呟いた。

「こっちが展開したのが妖力による障壁だと気づいて、即座に退魔術に切り替えたんだわ。それにこの光、あの南蛮退魔師が使っていたやつじゃない」

 瞼の裏でブロンドが揺れた気がした。まさか、追っ手の中にメリーベルがいる?
 首を振って疑念を追い払った。今はそれよりも大事なことがある。この砲撃を防がなければ、あの娘はおろか私まで乗員乗客ごと御陀仏だ。文の風による防御が効かないのならば、私がやるしかない。
 胸の奥から、霊力を汲み上げる。その迸りに任せて腕を伸ばす。掌の中には、まるで生まれたときからそこにあるように陰陽玉が収まっていた。もはやこの変身にも1秒とかからない。桜色のタイが靡(なび)くと、私はもう博麗の巫女だった。
 うずくまる乗客たちをふわりと飛び越えた。後部の窓からは、剛速で渦巻くつむじ風が、そして今にも車両に着弾しようとする霊力弾が見えた。メリーベルがいるかどうかは、分からなかった。

 腕から、口から、胸から胴から脚から、私は全身から止めどなく花弁を放つ。車外へ舞っていったそれらは即座に半球状の盾となって、青白い砲撃を受け止める。硝子細工を叩き割るような音とともに盾は砕け散った。それでも私は絶えることなく花弁を供給し、桜色に輝く盾を車両後方に展開し続ける。
 砲撃を何度か防いだところで、車体が大きく傾(かし)いだ。思わず踏鞴(たたら)を踏んでしまう。すわ車輪でも吹き飛んだかと思ったが違った。車両が速度を落とさずに交差点のカーブへと入ったのだ。ビルディングの陰へと路面電車は進入し、砲撃者の死角へと入る。するとそれっきり霊力弾の嵐が止んだ。何とか防ぎきったのか。

「桜子!」

 文の声に振り向くと、天狗は少女を小脇に抱え、乗降口を開け放ったところだった。そのまま目配せとともに、文は車両を飛び降りる。何が何だか分からぬまま、私も手近な方の扉を開いて後に続いた。車両はほとんど最高速度で走っていたが、空を飛べる私たちにとっては途中下車など訳もない。
 そのまま目立たない路地裏に走り込んだ。建物と建物の隙間に身を潜めたところで、文は大きく溜息を吐いた。

「まったく、とんでもないことに巻き込まれたもんだわ。どう落とし前つけてくれるのかしら、博麗の巫女様?」
「博麗の巫女は巻き込まれ体質、って言ったのはそっちじゃない。お望み通りに『面白そうなこと』に巻き込んであげたのよ。でも飛び降りる必要はなかったんじゃないの?」
「逃げた路面電車の運行履歴くらい、追っ手はすぐに突き止める。そんな場所に長居する必要はないわ。……それにしても」

 私と文はまじまじと少女を見た。ボロボロな形(なり)のくせに、その髪と瞳と笑顔はきらきらと輝いていた。

「凄いわ、2人とも妖怪みたいな力を使うのね! 私にもそういう力があれば、あいつらを自分で追っ払ってやるのに」
「あなた、追われる理由に心当たりは?」

 文の問いかけに、少女の目の輝きが一際増した。両腰に手を当て胸を張り、ふんぞり返った格好である。

「よくぞ聞いてくれました! 聞いて驚け見て騒げ、この私にはお天道様もあっと驚く不可思議な秘密が ―― 」
「いいから、手短に話しなさい」

 天狗の笑顔は、眼が笑っていなかった。気圧された少女の態度が一回り小さくなる。

「……んじゃ、それ、貸して」

 そして指さしたのは、文が首から提げていたカメラであった。レンズの部分を折り畳んで収納することができ、写真をロールフイルムへと焼き付ける最新型だ。私はカメラに詳しいわけではないが、それでもこれが平均月給ひと月分ほどするものだということくらいは知っている。
 文が後ずさった。その手でカメラを後生大事に抱えながら。

「い、嫌よ。子供の玩具じゃないのよ。私がこれを手に入れるのにどれだけ苦労したと」
「だってそれを使うのが一番話が早いんだもん」

 壁を背にしてしまい逃げ場を失くした文へと、少女は素早く駆け寄って、あっという間にカメラの裏蓋を開く。そしてロールフイルムを抜き取って、その残りを一気に引っ張り出した。

 その瞬間、少女の持つ気配が豹変した。世界中に響き渡りそうなほどに強大な波動が渦を巻いた。私は思わず身構える。その気配はしかし、少女がフイルムを巻き戻すとすぐに霧散した。

「ふふ……」

 髪をふわりとかき上げて見せながら、意味ありげに少女は笑う。彼女なりに精一杯の妖しさの演出らしい。

「今、このフイルムに写し出したわ。私が追われる理由……と思うものをね。答えはそこに写っているはず」

 その言葉の意味が理解できない私たちを見て、満悦至極といった風に少女は微笑んだ。

「おぉっと、自己紹介がまだだったわね。私ははたて。東京にその人ありと謳われる『念写少女』とは、何を隠そうこの私のことよ」




 
 
大変申し訳ありませんが、これ以降は不定期連載でやっていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
 
うるめ
http://roombutterfly.web.fc2.com/laternamagika/index.htm
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
やれやれ、ついにエタったかと思い始めてたよ。まあ、気長に待つんで頑張ってくださいな。
2.名前が無い程度の能力削除
おお、続きが来てる!待ってました!
気が向いたときにでも更新してくれるとうれしいです
3.名前が無い程度の能力削除
お久しぶりです
毎回楽しみにしてるので更新頑張って下さい