人間たちから手切れ金として自我を渡され、同胞を渡され、私たちには生活が虚無の中から滑り出た。
そんなものを与えられて最初はずいぶん戸惑った。
差し当たって水気のある野菜と少しの穀物を食い、腹を落ち着かせて、さて私たちは何をしようかと考えた。
少なくとも今までのように飾り窓に立つようにして生きる必要はないはずだった。
「下手な演奏、拙い歌、生活のための音楽、そんなものにはもうこりごり」と姉は言った。
私たちは少しの塩と酒を口に含み、ついに自分たちだけのために演奏し始めた。
音に色がついているのを発見した。
絵具を混ぜるのと同じ方法で和音が出来上がることを知った。
風景の色を掬い上げて和音進行が生まれることを見出した。
これが木の和音、これが空の和音、これが木の和音……そのようにして左から風景を音にしていった。
言葉の中に色合いがあるのを見つけた。
頁の黄ばんだ、古く錆びた本の中にそれがたくさんあると知ってからは、貸本屋に足を運んだ、図書館に足を運んだ。
落丁した春本、忘れ去られたオペラの台本、煤けた日記……。
そういったものが楽譜だった。
言葉に音があると知ってからはあの無様な韻文たちは馬鹿げて見えた、十四行詩も、短歌も。
言葉の音が分かるのだから逆もまた然りだ。
私たちは音を言葉にした。
次第に五感が統合され、音がすべてを巻き取っていった。
舌を出し、風と乾きを感じると耳がそれらを音にした。
酒の味を、酔いを、衰耗を、幸福を、道徳を、音にした。
意味を音にした。
表象を、意志を、目的を音にした。
それらは最初のうちは異なる調性でリズムで、拍子で、すべてが同時に鳴り渡った。
ある朝目覚めて姉は「私、頭がどうかしちゃったみたい」と言う。
「私、頭がどうかしちゃったみたい」というのも、あなた方の言葉に翻訳してそう書いているだけの話で、本当はもう私たちは私たちだけに通じる、つまり音の言葉で話していた。
その時の姉の言葉は私の髪の色の和音に合わせたものだった。
「大丈夫よ」と私は言った。
大丈夫、という意味の音がした。
しかし、どうしても聴衆は必要なようだった。
私たちは基準を音にして、観念を音にしてしまったために、それらを音以外のもので一つにまとめることができそうになかった。
基準は5/8拍子で、観念は7/16+8/16+7/16+7/16のいわば29/16拍子で290拍に一度だけ拍子が小節の頭で合った。
こうしたことをいつまでもやっていくわけにはいかなかった。
私たちは聴衆を用意した。
落丁した春本とワイングラスを机の上に置いた。
私たちが演奏すると春本は落丁が直り、ワイングラスは粉々に砕け散った。
私たちは顔を見合わせた。
私たちは色々なところで演奏をした。
森で演奏すると水は色が変わった、そのせいで和音が変わるので往生した、空で演奏した、鳥が錐もみしながら飛び去り雲を突き抜けていった、地中で演奏した、湿度が上がった。
寺の近くで演奏すると歌声が返ってきた、私たちの言葉だ。
音の言葉だ。
私たちはびっくりして声のする方に走った。
山彦がいた。
私たちは連れ帰った。
春本とワイングラスを放っておいて机の前に椅子を置き、山彦に演奏を聴かせた。
山彦はそのままそっくり歌ってみせた。
しかし意味は理解していないようだった。
私たちは教えた。
何を。
音を。
言葉を。
色を。
意志を。
基準を。
観念を。
山彦はスポンジのように吸い込んだ。
すべてをそっくり山彦が呑み込んで、三人で演奏が出来るようになった頃、すべてのものを好きな拍子で、和音で、表すことができるようになった。
ああ、ようやく、これが音楽というものか。
いつしか春本は聖書になっていた。
ワイングラスも元の形になおり、中には黄金が満ちていたが、そんなものはあってもなくても同じだった。
私たちには既に、虚無の中から生活がみずみずしく溢れて零れそうなくらいだった。
そんなものを与えられて最初はずいぶん戸惑った。
差し当たって水気のある野菜と少しの穀物を食い、腹を落ち着かせて、さて私たちは何をしようかと考えた。
少なくとも今までのように飾り窓に立つようにして生きる必要はないはずだった。
「下手な演奏、拙い歌、生活のための音楽、そんなものにはもうこりごり」と姉は言った。
私たちは少しの塩と酒を口に含み、ついに自分たちだけのために演奏し始めた。
音に色がついているのを発見した。
絵具を混ぜるのと同じ方法で和音が出来上がることを知った。
風景の色を掬い上げて和音進行が生まれることを見出した。
これが木の和音、これが空の和音、これが木の和音……そのようにして左から風景を音にしていった。
言葉の中に色合いがあるのを見つけた。
頁の黄ばんだ、古く錆びた本の中にそれがたくさんあると知ってからは、貸本屋に足を運んだ、図書館に足を運んだ。
落丁した春本、忘れ去られたオペラの台本、煤けた日記……。
そういったものが楽譜だった。
言葉に音があると知ってからはあの無様な韻文たちは馬鹿げて見えた、十四行詩も、短歌も。
言葉の音が分かるのだから逆もまた然りだ。
私たちは音を言葉にした。
次第に五感が統合され、音がすべてを巻き取っていった。
舌を出し、風と乾きを感じると耳がそれらを音にした。
酒の味を、酔いを、衰耗を、幸福を、道徳を、音にした。
意味を音にした。
表象を、意志を、目的を音にした。
それらは最初のうちは異なる調性でリズムで、拍子で、すべてが同時に鳴り渡った。
ある朝目覚めて姉は「私、頭がどうかしちゃったみたい」と言う。
「私、頭がどうかしちゃったみたい」というのも、あなた方の言葉に翻訳してそう書いているだけの話で、本当はもう私たちは私たちだけに通じる、つまり音の言葉で話していた。
その時の姉の言葉は私の髪の色の和音に合わせたものだった。
「大丈夫よ」と私は言った。
大丈夫、という意味の音がした。
しかし、どうしても聴衆は必要なようだった。
私たちは基準を音にして、観念を音にしてしまったために、それらを音以外のもので一つにまとめることができそうになかった。
基準は5/8拍子で、観念は7/16+8/16+7/16+7/16のいわば29/16拍子で290拍に一度だけ拍子が小節の頭で合った。
こうしたことをいつまでもやっていくわけにはいかなかった。
私たちは聴衆を用意した。
落丁した春本とワイングラスを机の上に置いた。
私たちが演奏すると春本は落丁が直り、ワイングラスは粉々に砕け散った。
私たちは顔を見合わせた。
私たちは色々なところで演奏をした。
森で演奏すると水は色が変わった、そのせいで和音が変わるので往生した、空で演奏した、鳥が錐もみしながら飛び去り雲を突き抜けていった、地中で演奏した、湿度が上がった。
寺の近くで演奏すると歌声が返ってきた、私たちの言葉だ。
音の言葉だ。
私たちはびっくりして声のする方に走った。
山彦がいた。
私たちは連れ帰った。
春本とワイングラスを放っておいて机の前に椅子を置き、山彦に演奏を聴かせた。
山彦はそのままそっくり歌ってみせた。
しかし意味は理解していないようだった。
私たちは教えた。
何を。
音を。
言葉を。
色を。
意志を。
基準を。
観念を。
山彦はスポンジのように吸い込んだ。
すべてをそっくり山彦が呑み込んで、三人で演奏が出来るようになった頃、すべてのものを好きな拍子で、和音で、表すことができるようになった。
ああ、ようやく、これが音楽というものか。
いつしか春本は聖書になっていた。
ワイングラスも元の形になおり、中には黄金が満ちていたが、そんなものはあってもなくても同じだった。
私たちには既に、虚無の中から生活がみずみずしく溢れて零れそうなくらいだった。
楽しませて頂きました。