良い匂いの消しゴムから消えた年金記録まで探してみせたナズーリンへ寄せられる期待は、ついに聖白蓮の「人々が仏門に入りたくなる道具があれば良いんですけどねえ」という言葉を引き出させた。少し考えればそんな道具あるわけないことなどわかりそうなものだが、愛して止まない尼公の呟きを拾った周囲は「ナズーリンなら見つけられます」と自信満々に宣言してナズーリンを驚愕させた。
ナズーリンは逃げ出した。
無縁塚で数日ぶらぶらしていれば命蓮寺の面々も目を覚ますだろう。
聖が思い描いた道具がどんなものか、想像もつかないのだから探しようがなかった。そう思いつつもロッドを構えて宝探しをするあたり、自分は根っからのダウザーなのだとナズーリンは苦笑いをする。
――見つからないよぅ。どこにも無いよぅ。
ふと、森の中から湿った声が聞こえた。ナズーリンは立ち止まり耳を傾ける。声の主は必死に涙を堪えているのだろう、聞こえてくる悲愴さはいや増し、このまま素通りしようものなら一週間は寝覚めが悪いに違いない。
これはダウザーとしての宿命なのかとナズーリンは思う。
二本のロッドで藪を漕いでいく。すると、地べたに這いずり回って何かを探す鳥の妖怪がいた。
「どうしたんだい子猫ちゃん」
背中の羽がびくりと震え、少女は顔を上げてナズーリンを見た。潤んだ瞳をぱちくりさせて、
「子猫じゃないよ?」
ちょっと気取ってみたかった代償は、真顔での否定だった。ナズーリンは少し顔を赤く染め、
「う、うん。猫だったら声かけないしね。とりあえず立ちなよ。泥だらけになるし植物の染みはなかなか落ちにくい」
手を貸して引っ張り上げる。少女の背丈はナズーリンと同じくらい小柄だった。頭の上に載っていた葉っぱを払ってやり、髪に絡まっていた草を取ってやる。少女のくりくりとした瞳を正面から見据えたナズーリンは記憶に引っかかるものを感じた。
「あれ? 君はどこかで見覚えがあるな」
「私? 猫じゃないよ?」
「や、それはわかってるよ。……もしかしてウナギ屋の女将かい?」
「違うよ」
「む、そうか、それは失礼。私の記憶違いだったか。とりあえず何を探していたか聞いてもいいかな。もしかしたら力になれるかもしれない」
「一緒に探してくれるの?」
「探し物を見つけるのが私の取り柄でね」
二本のロッドを見せ付けるように構えた。ロッドだけではなくペンデュラムのダウジングやネズミローラー作戦も可能だと胸を張る。
「探し物が貴金属やマジックアイテムだったらすぐに見つけられると思うよ」
少女は少しだけ躊躇ったあと、
「じゃあ、人里でもらった営業許可証なんだけど、それをなくしちゃって」
「うーん……紙か……」
また面倒臭いものを紛失してくれたものだ。紙は反応が小さいのである。風が吹けばあっさり飛ばされ、枝に引っ掛かれば容易く破れ、雨に打たれたら溶けてしまうかもしれない。
「いつ紛失したのか覚えているかい」
「里から出てくるときはちゃんとあったんだけど……いつの間にか消えてた」
「今日の話?」
「うん」
「じゃあ来た道を里まで戻れば見つかるかもしれないな。どこを通ってきたか道案内してくれ」
一緒に森から抜け出し、そこで少女はぐるりと頭を巡らせる。何かを理解したように何度か頷き、
「忘れた」
「うん。そうか。いいぞ。覚えているフリをされるよりはよっぽど助かる」
「ごめんね。気を落とさないでね」
「その台詞は後で私が言うことになるかもしれないがね。ひとまず里の方へ歩こう。ロッドに反応があるかもしれない」
二人は揃って歩き出した。
「それにしても営業許可証とはね……人里で何か商売でもするのかい」
「私ね八目鰻の屋台を引いてるんだ」
「え?」
「でも最近お客の入りが悪くてさ。それならいっそ人里でやろうと思って」
ちょ、
「ちょっと待ってくれ、私さっきウナギ屋の女将かって聞いたよね?」
「ウナギ屋じゃないよ。八目鰻だよ」
「……君はミスティア・ローレライだね?」
「そうだけど」
ミスティアは何かに気付いたようにハッと息を飲む。
「そういうばあなた、見覚えがあるかも」
「ナズーリンだ。命蓮寺一同で君の屋台に行ったことがあるよ。その節は世話になったね」
「思い出した! 八目鰻のチーズ蒲焼きが無いことに腹を立てていたネズ公!」
「そ、そうだったかな……」
誤魔化しきれない黒歴史だった。食欲旺盛な自分が恨めしい。
しかし口悪いなこの女将。
「ここってリンが付く人が多くてなかなか覚えられないんだよ」
「顔もろくに覚えてなかったじゃないか。それにリンなんて付くのそんなにいるかな」
「えーりん、こーりん、おりん、ゆかりん、ゆうかりん……あとは」
「ああもういいよ。そんなにいるんじゃ忘れても仕方ないか。そういえばウチにも私以外にリンがいたよ」
「あ、ひじりんね」
「え、雲居の……いや……」
何も言うまいと思う。
「おっと」
右のロッドが反応した。
「右だ。何かある」
道を逸れる。再び藪を漕いでゆき、嫌がらせのように枝を伸ばす背の低い木々の下をかいくぐる。二人が転がり出たそこは、小さな泉が湧き出る妖精の秘密基地のような場所だった。四方を木々に囲まれて、真上には狭苦しく切り取られた青空がひどく遠くに見える。
そしてナズーリンの足下に帽子が一つ。引っ繰り返って空を見上げていた。
「あ、私の帽子だ。そっか、ここで休憩したとき落としたんだ」
「君は一つの探し物をすると一つの持ち物をなくしそうだね」
「だいじょぶだいじょぶ。ほら、帽子に小さな羽飾りがついてるでしょ? 時間が経てばこの子が自力で羽ばたいて家まで戻ってくるから」
「なるほど。ロッドが反応したわけだ。そんな機能がつているなら十分お宝と言えるね」
「なんちゃって。嘘です」
何も言うまいと思う。
「……戻ろう。目的のものを探さないと」
再び人里への道を歩き出す。帽子を取り戻したミスティアは機嫌良さそうに歌い始めた。
「夜雀はっ、ハイっ、悲しからずや空の青っ、ハイっ、海の青にもっ、ハイっ、染まず漂う、ハイハイっ!」
「ちょっと馬鹿女将、激しく歌うのには目を瞑るけどセルフ手拍子はやめてくれないか。気が散るんだが」
「元気になるのに」
「君はまだ元気になっちゃいけない」
左のロッドが反応した。
「おっと、左だ。何かある」
ロッドに導かれるまま左へ逸れると、今度はカスタネットが落ちていた。
ナズーリンの中に一つの仮説が浮かび上がった。もしかしたらこの夜雀は営業許可証をもらって帰る途中、大事な紙切れを脇に挟んでカスタネットを叩きながら歩いていたのではないか。軽快に奏でられたカスタネットの拍子は「ハイハイッ!」のタイミングでミスティアの気分を呆気なく最高潮へと押し上げ、フラメンコの情熱もかくやという勢いで手を突き上げさせたのではないか。そしてその瞬間、脇に挟んでいた許可証が落ちたのだ。
アホかい。
ナズーリンはカスタネットを素早く拾いポケットの中にねじ込んだ。
「何も無かった。戻ろう」
「ダウジングでも外れることがあるんだね」
「たまに外れるから面白いのさ。百発百中の宝くじなんて君は買うのかい?」
「買うけど」
「だよね。私は何を言っているんだろう。疲れてるのかな。ちょっと馬鹿がうつったのかも」
「さっきから酷くない? 私は夜雀であって馬でも鹿でもないのに」
「おっとまた反応だ、今度は大物だ」
反応の大きさに歩みが少し早まる。
「ねえねえねえ、財宝ざっくざくだったら分け前はどうする?」
「えっ? わ、分け前? だって君、なんにも……」
「えっ?」
「……や、じゃあ、まあ、半分ずつで……」
「やった。約束だよ。忘れないでよネズーミン」
「ナズーリンだ。もはや名前にリンがついていなじゃないか。さっきの会話は何だったんだ」
落ちていたのは屋台だった。
「あの、ミスティアさん、これは一体どういう」
「……えへへ」
力が抜ける。はにかむように笑うミスティアが妙に愛らしく、馬鹿だアホだと言う気も失せた。
「これほど精神的に疲れるモノ探しは初めてだ」
「休憩しよっか。仕込みは終わってるからすぐに出せるよ。約束通り半分こしよう」
「もらえる分け前は頂くとするよ」
@
夜がどっぷり深くなりナズーリンは屋台を出た。足下が覚束ない。飲み過ぎた。腰の辺りがなんだかむずむずする。
お腹が一杯になるまで食べてしまいかえって申し訳ない気もしたが、ミスティアが嬉しそうにどんどん焼くものだから、つい食欲に負けてしまった。話にも花が咲いた。ゆくゆくは鳥を食べられないようにしたいと夢を語るミスティアに、なるほどネズミたちの地位向上を目指すのも悪くないかもしれないと考えた。どうもネズミは人間に舐められている。緑の巫女にモルモットと蔑まれたことをミスティアに話すと、ミスティアは我が事のように怒り出し、頭は弱いけど良い奴だなぁなどとナズーリンは心地良い気持ちになった。
湿った夜風が吹く。
腰に下げたダウジングロッドが風に逆らった。
腰がむずむずするのは、ロッドが反応しているからだと今更気付いた。
ロッドを構える。導かれるまま進むと、くしゃくしゃに丸められた紙くずが、夜風に弄ばれて地面を転がっていた。ロッドはコレに反応していた。
拾おうとしてもころころ転がって手の中をすり抜けていく。二度失敗し、三度失敗し、四度目にロッドを放り投げて夢中で飛びついた。
ナズーリンはもたつきながら紙を広げた。夜の闇の中で目を凝らすと、ミスティア・ローレライという文字が辛うじて読めた。
やった。見つけた。
お宝を探し当てた時いつもそうするように、ナズーリンはその紙を空へとかかげた。そのとき、透き通った月明かりが差し込み、ようやくそいつの正体がわかった。
立ち退き要求書。
なんだこれは、とナズーリンは思う。
ミスティアは営業許可証をもらったのではないのか。
そして、ふと、仕込みの終えてある屋台が落ちているその意味にナズーリンは思い至り、根拠のない理解が肺腑にすとんと落ちてきた。
それは朝のことかもしれない。
ミスティアは人里で、今晩のための仕込みをしていたのかもしれない。
妖怪が人里で屋台を始めるには様々な手続きが必要であろうことは容易に予想がつくが、しかしミスティアはそんなことを考えたことを無かったのかもしれない。
立ち退きを要求されて、初めてそのことに気付いたのかもしれないし、あるいは、妖怪だから排斥されたのだと解釈したのかもしれない。
ミスティアは重たい屋台を引いて人里から追い出されたのかもしれない。
出て行けと言われたことが悔しくて、人里を出てからこの立ち退き要求書をぐしゃぐしゃに丸めて捨てたのかもしれない。
ささくれた心に屋台の重たさは苦痛以外の何物でもなく、屋台を置いて走り出さずにはいられなくなったのかもしれない。
お客に披露する予定だったカスタネットがポケットに入っていることに気付いて、バカらしくなって投げ捨てたのかもしれない。
秘密の隠れ家で悔し涙を洗い流したときに、大切な帽子を置き忘れたのかもしれない。帽子をなくしたことに気づき、
そして、
それから、
ナズーリンという妖怪に出会い、
何の根拠もない妄想だった。かもしれないを重ねれば竜巻だって蝶の羽ばたきから始まるに決まっている。紙切れを丸め直しポケットに突っこむと、拾ったままのカスタネットがパチンと音を立てた。
ミスティアを良い奴だと思った。
そして自分は良い奴だったろうか。
踵を返す。すぐにお腹が痛くなる。好意に甘えて食べ過ぎた。浅ましい食い意地である。愚かしい鈍感さである。ミスティアの大盤振る舞いがヤケ酒とヤケ食いのそれだと知っていれば、もう少しかける言葉もあったろうに。
屋台はさっきと同じ場所にあって、ミスティアは屋根の上で星を見上げ、哀切極まる音程で何かを口ずさんでいた。
「馬ッ鹿みたいだな君は」
「うわっ、……ナズーリン?」
「どうせ無断で店を開いていたんだろう。そりゃ当然追い出されるって。正式な手続きを踏むか、誰かに口利きをしてもらえば、簡単に許可をもらえただろうに」
「だって知らなかったんだもん」
「それなら今からやればいい。上白沢女史にでもお願いすれば良いだろう。簡単なことだ」
「悪態ついて出てきたからね。きっともう無理だよ」
人間は危険な妖怪とそうでない妖怪の区別に神経質になっている。癇癪を起こしたのなら、確かにまずいかもしれない。
「最近はお客さんも来ないし、お酒も食材もいっぱい余っちゃってさ。捨てるのは勿体ないし私一人じゃ食べきれないし」
だからあんなに焼いたのか。
「屋台を始めたとき天狗の新聞に取り上げてもらったんだけど、やっぱりそういう宣伝って重要だったんだね。全然気付かなかった。もらった新聞は鍋敷きにしてたよ」
それは自業自得だ。
「別に屋台で生計を立てている訳じゃないしね。この際だからもういいかなって思うんだ」
そう言ってミスティアは笑った。
ああ――夜雀は悲しからずや。染まり方を知らなかった彼女はやっぱり馬鹿でアホで、残念ながら真っ直ぐだったのだ。
「なんだ。そうか。それは良かった。それじゃあ屋台は私のものだ」
きょとんとしているミスティアの顔に、できるだけ意地悪そうに笑いかける。
「約束したじゃないか。お宝は山分けだと。君がもう屋台を利用しないというのなら、私にもらう権利があるだろう」
「……むぅ、それは、むぅ」
むぅむぅ懊悩するミスティアはそれ以上言葉を続けられない。言い出したのは自分自身だからだろう。
ミスティアを屋根に乗せたままナズーリンは屋台を引き始めた。行き先が人里方面だと察知したミスティアがわあわあと騒ぎ始める。なんだかそれがおかしくてナズーリンは素直な笑みを零した。
「ああしかし困ったな。この屋台を私のコレクションとして隠しておくには少々かさばる。仕方ないからしばらくは命蓮寺の境内に保管しておくほかないな。まあ、半分は君のものでもある。もし気が向いて使いたくなったときは一々私に断らずに使っても良いだろう」
わめき声が止まった。ミスティアが何かを言おうとして結局何も言えずに言葉を飲み込む、そんな気配をナズーリンは背中で感じていた。自分が言わんとしていることの意味がわからないほどミスティアとて察しは悪くないはずで、きっと振り返って見てみればそれなりに面白い顔をしていることだろうとナズーリンは思った。しかし、このわざとらしいお節介が自分の顔を真っ赤にさせていて、とても振り返るどころではなかった。尻尾は挙動不審に揺れているし、屋台を引く足取りは逃げ出すみたいに早足だった。本音を言えば、あまりの面映ゆさに逃げ出してしまいたい思いだった。
首筋まで紅潮していることが自覚でき、それが目立たない夜で良かったとナズーリンは思う。
もしかしたらミスティアもそう思っているかもしれない。
@
「また天狗の新聞に記事を載せてもらったんだよね」
「へえ」
「それでね、その記事が載ってる新聞をもらったんだけど、鍋敷きに使ってたらいつの間にか無くなってて」
「君は学習能力がないのか?」
「だから探してきて欲しいなって。お願いナズーリン、お代はサービスするからさ」
あの夜から屋台はずっと境内にある。
肉料理を提供しないことを条件に尼公がそれを認めた。不飲酒戒の尼公は酒の提供にも渋っていたが、彼女を慕う周囲の「まあまあ姐さん、まあまあ」「まあまあ聖、まあまあ」で解禁となった。
愛すべき生臭修行僧たちである。
新メニューの最後の一切れを頬張ってナズーリンは立ち上がった。腹ごなしをかねて境内を散策すると、腰に下げたロッドがくるりと向きを変えた。新聞は呆気なく見つかった。屋台からそう離れていなかった。風で飛んだのだろう。軽く手を振ってミスティアにそれを知らせる。
お宝を見つけた時にいつもそうするように、ナズーリンは青空に新聞をかかげた。
文々。新聞
第百二十六季 文月の二
ミスティア・ローレライさん(夜雀)が商う八目鰻屋は、ついに新たなステージへと踏み出した。人里のすぐ近くにある命蓮寺の境内の一角を借りて商売を始めたのである。
店主の目論見通りは大当たり。商いはうまくいっているようだ。
里から近いということで人間のお客も通いやすいこと、寺内での争いは御法度であること、そしてこれを機に作ったという新メニューが成功の鍵となった。その新メニューとは「八目鰻のチーズ蒲焼き」だ。焼き鳥撲滅を狙う店主の野望は、ついにチーズの可能性を見出した。
私も食してみたが、これは強くおすすめできるものである。
縁起が良いと人間の信仰をそれなりに集めていた命蓮寺はますます活気づいている。ひょっとすると、ミスティアさんに話を持ちかけたのは仏門を増やしたいとするお寺の住人かもしれない。
(射命丸 文)
<了>
ナズーリンは逃げ出した。
無縁塚で数日ぶらぶらしていれば命蓮寺の面々も目を覚ますだろう。
聖が思い描いた道具がどんなものか、想像もつかないのだから探しようがなかった。そう思いつつもロッドを構えて宝探しをするあたり、自分は根っからのダウザーなのだとナズーリンは苦笑いをする。
――見つからないよぅ。どこにも無いよぅ。
ふと、森の中から湿った声が聞こえた。ナズーリンは立ち止まり耳を傾ける。声の主は必死に涙を堪えているのだろう、聞こえてくる悲愴さはいや増し、このまま素通りしようものなら一週間は寝覚めが悪いに違いない。
これはダウザーとしての宿命なのかとナズーリンは思う。
二本のロッドで藪を漕いでいく。すると、地べたに這いずり回って何かを探す鳥の妖怪がいた。
「どうしたんだい子猫ちゃん」
背中の羽がびくりと震え、少女は顔を上げてナズーリンを見た。潤んだ瞳をぱちくりさせて、
「子猫じゃないよ?」
ちょっと気取ってみたかった代償は、真顔での否定だった。ナズーリンは少し顔を赤く染め、
「う、うん。猫だったら声かけないしね。とりあえず立ちなよ。泥だらけになるし植物の染みはなかなか落ちにくい」
手を貸して引っ張り上げる。少女の背丈はナズーリンと同じくらい小柄だった。頭の上に載っていた葉っぱを払ってやり、髪に絡まっていた草を取ってやる。少女のくりくりとした瞳を正面から見据えたナズーリンは記憶に引っかかるものを感じた。
「あれ? 君はどこかで見覚えがあるな」
「私? 猫じゃないよ?」
「や、それはわかってるよ。……もしかしてウナギ屋の女将かい?」
「違うよ」
「む、そうか、それは失礼。私の記憶違いだったか。とりあえず何を探していたか聞いてもいいかな。もしかしたら力になれるかもしれない」
「一緒に探してくれるの?」
「探し物を見つけるのが私の取り柄でね」
二本のロッドを見せ付けるように構えた。ロッドだけではなくペンデュラムのダウジングやネズミローラー作戦も可能だと胸を張る。
「探し物が貴金属やマジックアイテムだったらすぐに見つけられると思うよ」
少女は少しだけ躊躇ったあと、
「じゃあ、人里でもらった営業許可証なんだけど、それをなくしちゃって」
「うーん……紙か……」
また面倒臭いものを紛失してくれたものだ。紙は反応が小さいのである。風が吹けばあっさり飛ばされ、枝に引っ掛かれば容易く破れ、雨に打たれたら溶けてしまうかもしれない。
「いつ紛失したのか覚えているかい」
「里から出てくるときはちゃんとあったんだけど……いつの間にか消えてた」
「今日の話?」
「うん」
「じゃあ来た道を里まで戻れば見つかるかもしれないな。どこを通ってきたか道案内してくれ」
一緒に森から抜け出し、そこで少女はぐるりと頭を巡らせる。何かを理解したように何度か頷き、
「忘れた」
「うん。そうか。いいぞ。覚えているフリをされるよりはよっぽど助かる」
「ごめんね。気を落とさないでね」
「その台詞は後で私が言うことになるかもしれないがね。ひとまず里の方へ歩こう。ロッドに反応があるかもしれない」
二人は揃って歩き出した。
「それにしても営業許可証とはね……人里で何か商売でもするのかい」
「私ね八目鰻の屋台を引いてるんだ」
「え?」
「でも最近お客の入りが悪くてさ。それならいっそ人里でやろうと思って」
ちょ、
「ちょっと待ってくれ、私さっきウナギ屋の女将かって聞いたよね?」
「ウナギ屋じゃないよ。八目鰻だよ」
「……君はミスティア・ローレライだね?」
「そうだけど」
ミスティアは何かに気付いたようにハッと息を飲む。
「そういうばあなた、見覚えがあるかも」
「ナズーリンだ。命蓮寺一同で君の屋台に行ったことがあるよ。その節は世話になったね」
「思い出した! 八目鰻のチーズ蒲焼きが無いことに腹を立てていたネズ公!」
「そ、そうだったかな……」
誤魔化しきれない黒歴史だった。食欲旺盛な自分が恨めしい。
しかし口悪いなこの女将。
「ここってリンが付く人が多くてなかなか覚えられないんだよ」
「顔もろくに覚えてなかったじゃないか。それにリンなんて付くのそんなにいるかな」
「えーりん、こーりん、おりん、ゆかりん、ゆうかりん……あとは」
「ああもういいよ。そんなにいるんじゃ忘れても仕方ないか。そういえばウチにも私以外にリンがいたよ」
「あ、ひじりんね」
「え、雲居の……いや……」
何も言うまいと思う。
「おっと」
右のロッドが反応した。
「右だ。何かある」
道を逸れる。再び藪を漕いでゆき、嫌がらせのように枝を伸ばす背の低い木々の下をかいくぐる。二人が転がり出たそこは、小さな泉が湧き出る妖精の秘密基地のような場所だった。四方を木々に囲まれて、真上には狭苦しく切り取られた青空がひどく遠くに見える。
そしてナズーリンの足下に帽子が一つ。引っ繰り返って空を見上げていた。
「あ、私の帽子だ。そっか、ここで休憩したとき落としたんだ」
「君は一つの探し物をすると一つの持ち物をなくしそうだね」
「だいじょぶだいじょぶ。ほら、帽子に小さな羽飾りがついてるでしょ? 時間が経てばこの子が自力で羽ばたいて家まで戻ってくるから」
「なるほど。ロッドが反応したわけだ。そんな機能がつているなら十分お宝と言えるね」
「なんちゃって。嘘です」
何も言うまいと思う。
「……戻ろう。目的のものを探さないと」
再び人里への道を歩き出す。帽子を取り戻したミスティアは機嫌良さそうに歌い始めた。
「夜雀はっ、ハイっ、悲しからずや空の青っ、ハイっ、海の青にもっ、ハイっ、染まず漂う、ハイハイっ!」
「ちょっと馬鹿女将、激しく歌うのには目を瞑るけどセルフ手拍子はやめてくれないか。気が散るんだが」
「元気になるのに」
「君はまだ元気になっちゃいけない」
左のロッドが反応した。
「おっと、左だ。何かある」
ロッドに導かれるまま左へ逸れると、今度はカスタネットが落ちていた。
ナズーリンの中に一つの仮説が浮かび上がった。もしかしたらこの夜雀は営業許可証をもらって帰る途中、大事な紙切れを脇に挟んでカスタネットを叩きながら歩いていたのではないか。軽快に奏でられたカスタネットの拍子は「ハイハイッ!」のタイミングでミスティアの気分を呆気なく最高潮へと押し上げ、フラメンコの情熱もかくやという勢いで手を突き上げさせたのではないか。そしてその瞬間、脇に挟んでいた許可証が落ちたのだ。
アホかい。
ナズーリンはカスタネットを素早く拾いポケットの中にねじ込んだ。
「何も無かった。戻ろう」
「ダウジングでも外れることがあるんだね」
「たまに外れるから面白いのさ。百発百中の宝くじなんて君は買うのかい?」
「買うけど」
「だよね。私は何を言っているんだろう。疲れてるのかな。ちょっと馬鹿がうつったのかも」
「さっきから酷くない? 私は夜雀であって馬でも鹿でもないのに」
「おっとまた反応だ、今度は大物だ」
反応の大きさに歩みが少し早まる。
「ねえねえねえ、財宝ざっくざくだったら分け前はどうする?」
「えっ? わ、分け前? だって君、なんにも……」
「えっ?」
「……や、じゃあ、まあ、半分ずつで……」
「やった。約束だよ。忘れないでよネズーミン」
「ナズーリンだ。もはや名前にリンがついていなじゃないか。さっきの会話は何だったんだ」
落ちていたのは屋台だった。
「あの、ミスティアさん、これは一体どういう」
「……えへへ」
力が抜ける。はにかむように笑うミスティアが妙に愛らしく、馬鹿だアホだと言う気も失せた。
「これほど精神的に疲れるモノ探しは初めてだ」
「休憩しよっか。仕込みは終わってるからすぐに出せるよ。約束通り半分こしよう」
「もらえる分け前は頂くとするよ」
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夜がどっぷり深くなりナズーリンは屋台を出た。足下が覚束ない。飲み過ぎた。腰の辺りがなんだかむずむずする。
お腹が一杯になるまで食べてしまいかえって申し訳ない気もしたが、ミスティアが嬉しそうにどんどん焼くものだから、つい食欲に負けてしまった。話にも花が咲いた。ゆくゆくは鳥を食べられないようにしたいと夢を語るミスティアに、なるほどネズミたちの地位向上を目指すのも悪くないかもしれないと考えた。どうもネズミは人間に舐められている。緑の巫女にモルモットと蔑まれたことをミスティアに話すと、ミスティアは我が事のように怒り出し、頭は弱いけど良い奴だなぁなどとナズーリンは心地良い気持ちになった。
湿った夜風が吹く。
腰に下げたダウジングロッドが風に逆らった。
腰がむずむずするのは、ロッドが反応しているからだと今更気付いた。
ロッドを構える。導かれるまま進むと、くしゃくしゃに丸められた紙くずが、夜風に弄ばれて地面を転がっていた。ロッドはコレに反応していた。
拾おうとしてもころころ転がって手の中をすり抜けていく。二度失敗し、三度失敗し、四度目にロッドを放り投げて夢中で飛びついた。
ナズーリンはもたつきながら紙を広げた。夜の闇の中で目を凝らすと、ミスティア・ローレライという文字が辛うじて読めた。
やった。見つけた。
お宝を探し当てた時いつもそうするように、ナズーリンはその紙を空へとかかげた。そのとき、透き通った月明かりが差し込み、ようやくそいつの正体がわかった。
立ち退き要求書。
なんだこれは、とナズーリンは思う。
ミスティアは営業許可証をもらったのではないのか。
そして、ふと、仕込みの終えてある屋台が落ちているその意味にナズーリンは思い至り、根拠のない理解が肺腑にすとんと落ちてきた。
それは朝のことかもしれない。
ミスティアは人里で、今晩のための仕込みをしていたのかもしれない。
妖怪が人里で屋台を始めるには様々な手続きが必要であろうことは容易に予想がつくが、しかしミスティアはそんなことを考えたことを無かったのかもしれない。
立ち退きを要求されて、初めてそのことに気付いたのかもしれないし、あるいは、妖怪だから排斥されたのだと解釈したのかもしれない。
ミスティアは重たい屋台を引いて人里から追い出されたのかもしれない。
出て行けと言われたことが悔しくて、人里を出てからこの立ち退き要求書をぐしゃぐしゃに丸めて捨てたのかもしれない。
ささくれた心に屋台の重たさは苦痛以外の何物でもなく、屋台を置いて走り出さずにはいられなくなったのかもしれない。
お客に披露する予定だったカスタネットがポケットに入っていることに気付いて、バカらしくなって投げ捨てたのかもしれない。
秘密の隠れ家で悔し涙を洗い流したときに、大切な帽子を置き忘れたのかもしれない。帽子をなくしたことに気づき、
そして、
それから、
ナズーリンという妖怪に出会い、
何の根拠もない妄想だった。かもしれないを重ねれば竜巻だって蝶の羽ばたきから始まるに決まっている。紙切れを丸め直しポケットに突っこむと、拾ったままのカスタネットがパチンと音を立てた。
ミスティアを良い奴だと思った。
そして自分は良い奴だったろうか。
踵を返す。すぐにお腹が痛くなる。好意に甘えて食べ過ぎた。浅ましい食い意地である。愚かしい鈍感さである。ミスティアの大盤振る舞いがヤケ酒とヤケ食いのそれだと知っていれば、もう少しかける言葉もあったろうに。
屋台はさっきと同じ場所にあって、ミスティアは屋根の上で星を見上げ、哀切極まる音程で何かを口ずさんでいた。
「馬ッ鹿みたいだな君は」
「うわっ、……ナズーリン?」
「どうせ無断で店を開いていたんだろう。そりゃ当然追い出されるって。正式な手続きを踏むか、誰かに口利きをしてもらえば、簡単に許可をもらえただろうに」
「だって知らなかったんだもん」
「それなら今からやればいい。上白沢女史にでもお願いすれば良いだろう。簡単なことだ」
「悪態ついて出てきたからね。きっともう無理だよ」
人間は危険な妖怪とそうでない妖怪の区別に神経質になっている。癇癪を起こしたのなら、確かにまずいかもしれない。
「最近はお客さんも来ないし、お酒も食材もいっぱい余っちゃってさ。捨てるのは勿体ないし私一人じゃ食べきれないし」
だからあんなに焼いたのか。
「屋台を始めたとき天狗の新聞に取り上げてもらったんだけど、やっぱりそういう宣伝って重要だったんだね。全然気付かなかった。もらった新聞は鍋敷きにしてたよ」
それは自業自得だ。
「別に屋台で生計を立てている訳じゃないしね。この際だからもういいかなって思うんだ」
そう言ってミスティアは笑った。
ああ――夜雀は悲しからずや。染まり方を知らなかった彼女はやっぱり馬鹿でアホで、残念ながら真っ直ぐだったのだ。
「なんだ。そうか。それは良かった。それじゃあ屋台は私のものだ」
きょとんとしているミスティアの顔に、できるだけ意地悪そうに笑いかける。
「約束したじゃないか。お宝は山分けだと。君がもう屋台を利用しないというのなら、私にもらう権利があるだろう」
「……むぅ、それは、むぅ」
むぅむぅ懊悩するミスティアはそれ以上言葉を続けられない。言い出したのは自分自身だからだろう。
ミスティアを屋根に乗せたままナズーリンは屋台を引き始めた。行き先が人里方面だと察知したミスティアがわあわあと騒ぎ始める。なんだかそれがおかしくてナズーリンは素直な笑みを零した。
「ああしかし困ったな。この屋台を私のコレクションとして隠しておくには少々かさばる。仕方ないからしばらくは命蓮寺の境内に保管しておくほかないな。まあ、半分は君のものでもある。もし気が向いて使いたくなったときは一々私に断らずに使っても良いだろう」
わめき声が止まった。ミスティアが何かを言おうとして結局何も言えずに言葉を飲み込む、そんな気配をナズーリンは背中で感じていた。自分が言わんとしていることの意味がわからないほどミスティアとて察しは悪くないはずで、きっと振り返って見てみればそれなりに面白い顔をしていることだろうとナズーリンは思った。しかし、このわざとらしいお節介が自分の顔を真っ赤にさせていて、とても振り返るどころではなかった。尻尾は挙動不審に揺れているし、屋台を引く足取りは逃げ出すみたいに早足だった。本音を言えば、あまりの面映ゆさに逃げ出してしまいたい思いだった。
首筋まで紅潮していることが自覚でき、それが目立たない夜で良かったとナズーリンは思う。
もしかしたらミスティアもそう思っているかもしれない。
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「また天狗の新聞に記事を載せてもらったんだよね」
「へえ」
「それでね、その記事が載ってる新聞をもらったんだけど、鍋敷きに使ってたらいつの間にか無くなってて」
「君は学習能力がないのか?」
「だから探してきて欲しいなって。お願いナズーリン、お代はサービスするからさ」
あの夜から屋台はずっと境内にある。
肉料理を提供しないことを条件に尼公がそれを認めた。不飲酒戒の尼公は酒の提供にも渋っていたが、彼女を慕う周囲の「まあまあ姐さん、まあまあ」「まあまあ聖、まあまあ」で解禁となった。
愛すべき生臭修行僧たちである。
新メニューの最後の一切れを頬張ってナズーリンは立ち上がった。腹ごなしをかねて境内を散策すると、腰に下げたロッドがくるりと向きを変えた。新聞は呆気なく見つかった。屋台からそう離れていなかった。風で飛んだのだろう。軽く手を振ってミスティアにそれを知らせる。
お宝を見つけた時にいつもそうするように、ナズーリンは青空に新聞をかかげた。
文々。新聞
第百二十六季 文月の二
ミスティア・ローレライさん(夜雀)が商う八目鰻屋は、ついに新たなステージへと踏み出した。人里のすぐ近くにある命蓮寺の境内の一角を借りて商売を始めたのである。
店主の目論見通りは大当たり。商いはうまくいっているようだ。
里から近いということで人間のお客も通いやすいこと、寺内での争いは御法度であること、そしてこれを機に作ったという新メニューが成功の鍵となった。その新メニューとは「八目鰻のチーズ蒲焼き」だ。焼き鳥撲滅を狙う店主の野望は、ついにチーズの可能性を見出した。
私も食してみたが、これは強くおすすめできるものである。
縁起が良いと人間の信仰をそれなりに集めていた命蓮寺はますます活気づいている。ひょっとすると、ミスティアさんに話を持ちかけたのは仏門を増やしたいとするお寺の住人かもしれない。
(射命丸 文)
<了>
食べてみたい
軽快なリズムの文章があり、細かい構成の妙があり、バタフライ・エフェクトがあり。
対照的な二人の交流って、好いものですね。
キャラがやっはかわいいなぁ…
これからもみつばさんの作が読めたらうれしいなぁ
あなたの文章が好きです。
キャラの掛け合いとか上手くて素敵。
小気味の好いものでした
次の作品待ってます
しかしこの賢将中々粋なことしますね
いや、すごい素敵な話でした