Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『少女秘封倶楽部 #8』

2014/11/05 23:18:51
最終更新
サイズ
10.11KB
ページ数
1
 




 走り出した身体が羽根のように軽かった。トリフネの中は重力が弱い。ほんの僅かな力を脚に籠めるだけで、最高速まで一瞬で加速できる。
 そして、こと瞬発力に関してはメリーベルに分がある。彼女はキマイラの振るった前脚を躱(かわ)したと思ったら、そのまま死角である腹の下へと潜り込んでいた。

「はァッ!!」

 青白い閃光が走った。霊力弾を放つとともに、強烈な拳打を見舞ったのだ。
 苦悶の声を上げるキマイラ。私はあえてその正面へ陣取って、陰陽玉を繰り返し叩きつける。その度に桜色の衝撃が舞い上がり、花弁刃の嵐となってキマイラを切り刻んだ。奴の注意をこちらに引きつけておかないと、巨大な脚や腹がメリーベルを圧し潰してしまう。正面からの派手な弾幕と、死角からの的確な一撃。即席の連携にしては上出来だろう。

 24秒間の一方的な攻勢。私は勝てると確信した。揺るぎない勝利を、夢想してしまった。
 勝負事においては、その慢心が命取りとなる。

 キマイラの首がぐりんと動いた。猿と獅子の相の子みたいな顔が顎を大きく開く。私の腕ほどもありそうな4本の牙が獰猛に輝く。そして何度も自分を叩く陰陽玉を、その顎が ―― 捉えた!

「なっ!?」

 こちらの攻撃軌道は、どうしても樹々の隙間を縫ったものになってしまう。キマイラはそれを学習し、陰陽玉の襲い来る軌道を予測したのだ。獣にあるまじき知性である。
 何とかこちらに引き戻そうとしてみるものの、陰陽玉は完全にびくともしない。噛まれた衝撃でキマイラの口内に桜吹雪が吹き荒れるも、奴はそれに構うことなく顎に力を籠めていく。ぎしぎしと軋んでいるのはその牙の方か、それとも陰陽玉の方だろうか。このままでは噛み砕かれてしまう!

 そのとき、キマイラの背後で何かが飛んでいくのが見えた。青白い霊力光の軌跡、メリーベルだ。キマイラの長い蛇のような尾が、彼女の脚を絡め取って放り投げていた。ジャングルの中へ飛ばされたメリーベルは、樹々の枝にぶつかりながらも何とか体勢を立て直し、辛うじての着地を決める。

「こんな森の中じゃ無理よ! 樹のせいで全然動けない!」

 退魔術師は叫んだ。

「どこか開けたところまでおびき寄せるの。こっちが十分にスピードで翻弄できる場所まで」
「そんなこと言っても、都合のいいところなんて ―― 」

 あるはずがない、と言いかけてはっとした。いや、ある。森林に覆われた衛星トリフネの内部において、唯一とも言える人工の場。『私たち』が、『秘封倶楽部』が現実から夢へと入り込んだ場所。

「『メリー』、来た道を戻るわよ!」
「元の道を? ……あぁ、なるほどね。でもその前に」

 メリーベルは霊力珠から一矢を放った。それは見事にキマイラの右眼を直撃。悲鳴とともに陰陽玉が取り落とされる。

「貸しひとつ、ね」

 にっ、と笑ってメリーベルはこちらへと加速、そしてあっと言う間に私の側をすり抜けて、元の場所へと戻っていく。先程までの意気消沈した様子はどこにもない。妖怪退治(と言っていいのかは分からないが)になると人が変わるのだろうか。
 陰陽玉が戻ってくる。キマイラの怒り狂う声が響く。ぐずぐずしている暇はない。私も急いで彼女の後を追う。

 衛星トリフネには天鳥船神社が備えられていた。超未来の最先端技術の結晶に神社だなんて場違い甚だしい気もするが、とにかく『秘封倶楽部』はその神社を通してトリフネに入り込んでいたのだ。そこは森の中とは比べものにならないほど整備されているはずだ。そこに上手く誘導することができれば。
 この獣、全身が凶器でできている。四肢、顎、両翼に尻尾。どれもが脅威だ。それら全てが闘争本能を剥き出しにして、私たちを狩ろうとしている。侵入者を決して許さないトリフネの番人は、賊の命が尽きるまで攻撃の手を緩めることはしないだろう。
 そのおかげ、と言うべきか、誘導することには全く苦労しなかった。私たちの追跡を、奴は決して止めようとしなかったからだ。

「よし、ここなら……」

 樹の間を縫って駆けてくるキマイラへと、私は振り返った。鳥居と小さな祠だけの小ぢんまりとした神社だが、両者の間には私たちが樹々に邪魔されないだけの十分な土地がある。ここでなら十全の力で迎え討てる!
 私は陰陽玉に霊力を籠める。相棒は腰を少し落とし、いつでも突撃できる体勢を取る。

「……あれ?」

 しかし、キマイラは突然動きを止めた。先程までの興奮が嘘のように、境内の外側を所在無げにうろうろするばかりだ。森の中から一歩も出てこようとしない。下草を踏みしだく音と、牙の間から漏れる唸り声だけが辺りに響く。

 そして67秒後、キマイラは森の向こうへと帰っていってしまった。
 私はメリーベルと目を見合わせ、同時にぱちくりと瞬きをした。

「どういうこと? どうしてこっちに来ないのよ」
「神社の中には入れない、ってことなのかも」

 2人して同時に祠へと目をやる。お世辞にも立派とは言えない、百葉箱よりひと回り大きい程度の祠だ。

「神社の神秘的な退魔の力でも働いてる、とか」
「うーん、そんな気配は全然感じられないけど」

 私の答えに相棒は怪訝な眼をした。これでも私は博麗の巫女であり、白蓮寺に半年ほど居候している身なので、そういった気配にはかなり敏感になっている。その私の感覚が全く働かないのだから、この神社自体に聖域のような力はないはずだ。
 私の見解に、それでもメリーベルは不満があるようだ。

「何か原因があるはずよ。この神社には、キマイラを寄せ付けない何かがある」

 そう言いながら、彼女は慎重に祠を調べ始める。私はその様子を横目に、ひとり考えを巡らせていた。この夢の結末についてだ。『持ち帰ってきてほしいものがある』と八雲紫は言った。私はてっきり、あのキマイラを討ち下せばいいのだと思っていたが、ひょっとしたら正解はそれではないのだろうか。彼女の目的は、夢を終わらせるために必要なものは、キマイラとは関係がない?

 かちり、と何か音がした。祠の裏で、メリーベルが何かを見つけていた。その瞳は驚愕に染まり、唇はわなわなと震えている。

「何よ、これ……」

 相棒の後に続き、祠の裏側を肩越しに覗き込んで息を呑んだ。彼女によって祠の裏側が観音開きに開かれている。そこにあるのは御神体ではなかった。祠の内部に備え付けられた真っ黒い窓から空中へと、立体的な格子模様が投影されている。数多(あまた)の光の線分から成る枠の中に、無数のアルファベットが浮かび流れていた。さらに幾つかの格子はゆっくりと点滅を繰り返しており、それぞれ「OK」とか「CANCEL」とか、短い英単語が大きめの文字で書かれている。

 メリーベルが、指先でそろりと「OK」の格子に触れた。するとそれは釦(ボタン)だったようで、3度の鋭い明滅を持って反応を返す。投影される光の模様たちは一瞬で再構築され、ひとつの大きなスクリーンを構成した。
 そこに映し出された文字に、私たちは再び驚いた。

『TORIFUNE Operating System // H.A.C.L.A.Y. ; Habitably, Adaptability while Crashing, and Leadability of Artificial satellite Yarning //』

 私にも英語は読めるけれど、「オペレイティング・システム」というのが一体何なのかは理解できなかった。私よりも英語に強いであろうメリーベルも同様のようだ。しかし、その次の単語は異様な迫力を持ってそこに存在していた。
 HACLAY、すなわち、ハクレイ。

「偶然、よね? それとも、何かの冗談?」

 メリーベルが呟く。私には分かってしまった。この事実がそのどちらでもないことを。文字の背景で、陰陽図がゆっくりと回転していた。これは必然なのだ。夢だろうと、現実だろうと。未来だろうと、過去だろうと。今、私の目の前にあるこの事実こそが全てだ。
 これは、博麗神社なのだ。衛星トリフネには、ハクレイの名を冠するものが奉じられていたのだ。

 理解した私は、迷わずに陰陽玉をその映像に重ねた。そうしなければならないのだ、と強く思った。

 途端に流入が開始された。トリフネを動かす巨大な意志が、私の中へと膨大な情報を送り込み始めたのだ。辺りは轟音によって静寂へと染められている。相棒が何かを叫んでいた。私はそれを見ながら、それではないものを見ていた。それは衛星トリフネの活動記録。映像として文字として数字として音声として、それは子細に記録されていた。計画当初よりテラフォーミングの試験を目的としていたトリフネは、半永久的に宇宙空間で特殊生態系を維持するための機能を備えていた。衛星のOS、ハクレイはそれを管理し記録し調停するもの。しかしそれは、偶発的な事故により重大なバグを孕(はら)んでしまいました。通信が断絶したトリフネを、地上管制側は全機能喪失したと判断。当然、内部に存在した生命は悉(ことごと)く死亡したものと考えたのです。しかしそれは間違いでした。人工知能ハクレイに生じたバグは、それによりシステムそのものを変質させたのです。トリフネは楽園となりました。他の誰にも絶対に干渉され得ない、完璧に閉じた世界となったのですわ。そう、私に必要なのは変質したOSハクレイの複製。僅かな破綻すらなく箱庭を存続させるための機構。私が博麗大結界を構築するために不可欠な式。これを得るのには、私も随分と苦心いたしました。過去と未来を繋ぎ、夢と現実を繋いだ。宇佐見桜子と宇佐見蓮子を繋ぎ、メリーベル・ハーンとマエリベリー・ハーンを繋いだ。この八雲紫一世一代の、全身全霊を投じた策なのですわ。まぁもちろん、この私の立案した計画が狂うことなど、万にひとつだってあり得ませんけれど。

 ご協力に感謝いたしますわ。宇佐見さんに香霖堂さん。それと、白蓮寺の方々とメリーベルさんにもね。





     ◆     ◇     ◆





 その場の誰もが、彼女が出現したことを認識しなかった。キネマトグラフのスクリーンから桜子とメリーベルが吐き出された瞬間を誰も見ていなかったし、銀の読み上げていたはずの台詞がいつの間にか彼女の声に変わっていたことに誰も気がついていなかった。全ての現象は、変遷の瞬間を全く認識させることなく発生していた。そこからはあらゆる境界が取り払われていたのである。

 空席だったはずの4つ目の椅子に、洋風の喪服に身を包んだ八雲紫は悠然と座っていた。

 那津が慌てて後ずさる。星は即座に槍を構えた。その穂先を眼前に突きつけられても、紫の表情には動揺の一片すら生まれなかった。

「あなたが、黒幕ですか」
「えぇ。始めまして、と挨拶させていただきましょう。毘沙門天の代理殿に、小さな小さな賢将さん」

 微笑みながら紫は刃へと触れた。人間の指一本くらいなら容易く落とす槍先を、彼女の指先はほんの僅かな力だけで退けてみせた。星の額を冷や汗が伝う。まるで自分で刃を逸らしているような気がしたからだ。
 そして紫は悠然と立ち上がり、傍らで固まる香霖堂社長に深々と頭を下げた。

「改めまして、お世話になりました。あなたの興行したキネマのおかげで、全ては完成する。夢は現実となり、幻想は実体となる。『幻想京』より『幻想郷』が生まれ出でる」
「……儲けさせてもらったことには感謝するがね」

 清太郎は頭を振った。

「一体、君は僕に何をさせたんだ?」
「いずれ分かるときが来るでしょう。人間も、妖怪も、この世の誰もがいつか必ず理解します。私が成したことを、そしてあなた方が成したことをね。それでは ―― 」

 ヴェールの向こうで菫色の闇が蠢く。倒れた桜子の傍らから陰陽玉が飛来し、紫の掌へと収まった。それは胎動のようなびくびくとした淡い光を放っていた。

「 ―― 皆様、どうぞ御機嫌よう。次は幻想でお会いいたしましょう」

 呆気に取られている一同を全く意に介することなく、八雲紫は消え失せた。中空が裂けて漆黒空間が口を空け、彼女を一瞬で飲み込んだのだ。
 暫しの静寂が、浅草電気館のホールを支配した。全員が恐怖していた。百戦錬磨であるはずの星すらも怖気(おぞけ)を抑えられなかった。この僅かな邂逅で、彼女は自分があらゆる理の埒外に位置することを見せつけたのだ。敵とか味方とか、そういった概念すら意味を失ってしまう。八雲紫という者はそういう存在だと、心の奥深くに刻み付けられてしまった。

 上映を終えた映写機が空回るカラカラという音だけが、いつまでも鳴り響いていた。




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
H.A.C.L.A.Y. は何かの頭文字だったんだっけ?
どうだったっけ? よく憶えてない・・・