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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『少女秘封倶楽部 #7』

2014/10/29 22:15:40
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 一番大事なことは、一番最後に残ったものをどうするかである。僅か半年で希代の興行師へと成り上がった森近清太郎にとって、それが大切な信念であった。あらゆる物事には最後がある。しかし終わりとは新たなる始まりでもある。終わりから始まりへと遅滞なく移行できるかどうかが人生において最も重要なのだ。そのための鍵となるのは、最後の最後に自分の手元に残った手札である。これをどう使って次の局面へと繋ぐか。成功の秘訣はそこにある、と清太郎は信じていた。
 だから、今日は気合いを入れて取りかからねばならない。彼に大きな成功をもたらしたキネマシリーズ『秘封倶楽部』の、これが最後の上映なのだ。

 清太郎はがらんとしたホールを見渡す。彼の他には誰もいない。いつもなら大量に並べられている椅子も、今日は僅かに4脚しかない。今日ここに迎えるのは大勢の観客ではなかった。ここに座るべき者は、彼を含めて4人だけでいいのだ。

「……公演1回分以上の見返りが、ちゃんとあればいいんだが」

 映写室に入り、清太郎は手に持ったフイルムロールをしげしげと眺めた。これが正真正銘、最後の1巻だ。これをいつも通りに大々的に上映すれば、稼ぎ出す金額は天井知らずだろう。その機会を捨てるのは余りにも惜しい。惜しいのだが、しかしそれに待ったをかける者がふたりあった。ひとつは白蓮寺、そしてもうひとつは、あろうことかキネマ制作者その人、八雲紫と名乗る謎の怪人である。
 彼女らの制止を押し退けてまで上映を決行するほど、清太郎は愚かではなかった。彼は幾分か商才があるだけのただの人間である。対して相手は妖怪だ。白蓮寺は魔都と化した東京を縦横無尽に駆け巡る法術の使い手であるという。そして八雲紫についてはさらに不明な点ばかりであり、はっきりしているのはただ人間ではないという一点のみなのだ。

 スイッチを入れると、バチンという音とともにスクリーンが白く浮かび上がる。キネマトグラフという機構を通じて、幻想の世界と現実の世界の境界線が引かれる。
 すぐ側の壇席に、銀の姿があった。いつも通りの眠たげな、というよりほとんど眠っているような顔で、幸運の女神は何やらむにゃむにゃと呟いていた。

 一番大事なことは、一番最後に残ったものをどうするかである。清太郎にそれを教えてくれたのは銀だった。忘れもしない半年前の真冬の夜、失意のどん底にいた彼と招き猫が初めて出会ったときのことだ。きっと何十年経ったって、彼はそれを昨日のことのように思い出すだろう。
 あの日、事業にしくじって全てを失った彼に残されていたものは、莫大な借金とひとつの握り飯だけだった。その最後の晩餐を、いったいどういうわけだか自分でも分からないまま、彼は薄汚い野良猫に与えた。その猫こそが銀であり、ふたりの縁はこうして結びついた。最後の握り飯を自分で食べてしまっていたら、今の成功はなかったのだ。

「……ならば、妾はもう用無しかえ、あるじ殿?」

 声に振り向くと、銀が薄く開いた目でこちらを見ていた。いつの間にか独り言になっていたらしいと彼は気づいた。

「どうしてそうなるんだい」
「あるじ殿は夢を叶えた。成功を掴んだ。妾を使ってな。だがそれも終わりじゃ。夢は叶ってしまった。妾の出番ももう無かろ」
「確かにその通りだ。東京で一大興行を成功させるという夢を、僕は現実に変えた。だがそれで終わるほど、僕は無欲な人間ではない。夢が叶ったら、また次の夢を見る。今度は日本中を回って、各地でキネマを上映するんだ。もっともっと大きな成功を掴んでみせる。……そのときは君も一緒だ、お銀。客を寄せる力、それを簡単に手放すほど僕は馬鹿じゃない」
「やれやれ」

 銀色の三角耳がぴこぴこと揺れている。言葉とは裏腹に、その声色にはどこか喜色があった。

「これはとんでもないあるじ殿に捕まってしまったようじゃ。おちおち昼寝もできそうにない」
「ま、僕が隠居するまでは辛抱してくれよ」

 機械の準備を終えて映写室を出る。すると血相を変えた銀が駆け寄ってきていた。

「お、おんし今、隠居するまでと言ったか」
「あぁ、そうだが……どうした、顔が赤いぞ。夏風邪か?」
「どうしたもこうしたも、隠居するまで側にいろというのは、つまり、その」

 頬をほおずきのように染めながら、銀は目を白黒させる。清太郎の頭上にクエスチョンマークが浮かんでは消えていく。

「何だ、弁士が嫌になったのか? てっきり続けたいから、用無しがどうこうと言ってるのかと思ったが」
「嫌ではない! 妾は、あるじ殿が望むなら望むだけあるじ殿の側に……って何を言っているんじゃ妾は!」
「僕は君を捨てたりしないさ。君は自活能力に乏しいから、僕がいなけりゃまた貧乏猫生活に逆戻りだろうしね」
「う、あ、あう……」

 ついに言葉を失ってしまった銀を、清太郎は訝しんだ。何か悪いものでも食べさせたっけか。
 来客を知らせるノック音が響いたのはそのときだった。銀を宥めながら、清太郎は入室を許可する。そこにいたのは彼の予想通り、待っている3人の客のうち、きちんとドアから入ってくる2人だ。

「お邪魔します。……って、これはこれは本当にお邪魔しまして」
「いやぁ今日は熱いな。本当にお熱くて参ってしまうよ」

 寅が含みのある言葉とともに頭を下げる傍らで、鼠が大仰にばたばたと自分を扇いでいた。その言動の意味を、清太郎は計りかねる。

「まぁとにかく、よく来てくれた。『秘封倶楽部の最終巻は白蓮寺も招いて流せ』という向こうさんの指定だったものでね」
「……銀とやら、同情させてもらうよ。君はこれから結構難儀しそうだ」
「まぁまぁ那津。さて、こちらも本題に入りましょうか。単刀直入に申し上げましょう。昨晩、宇佐見桜子とメリーベル・ハーンが白蓮寺より姿を消しました。寝室から忽然とね。これは今までになかった現象です。恐らくは、その最終巻と関係がある」

 皆が映写室へと視線を向けた。得体の知れない夢の方を見た。

「2人の夢と、キネマトグラフという幻想。それらが今、ほとんどひとつに融合してしまっているのでしょう。キネマを上映することは、幻想を現実に変換する行為。桜子さんとメリーベルさんがあの中にいるのなら、フイルムを流さない限り『現実』に戻ってはこれない」
「これほど複雑怪奇で奇想天外、かつ強力無比な術など見たことがない。妖術のみならず、人間の技術にも精通していなければ実現し得ない術式だ。これの作り手には大いに興味があるね」

 那津が椅子に着き、平静を取り戻した銀が壇席へ戻る。そして清太郎と星が席に座った。観客席に残る椅子は1つ。全ての元凶が座るための椅子だ。

「八雲は来るのか来ないのか分からず終まいさ。席は一応用意しておいたんだが。まぁいい、始めようか」
「えぇ、始めましょう。終わりをね」
「『秘封倶楽部』もこれで終わりか。残念じゃないのかい、社長」
「未練がないと言えば嘘になるがね。けれど、終わりは始まりになる。誰にとっても、いつどこであっても、その原則は変わりはしない」

 照明が落ちた。闇の中で、空間を切り取ったかのようにスクリーンが輝いている。やがて回り出したフイルムから、別世界の光景が映し出される。宇宙に浮かぶ、幻想の世界が。
 そしてがらんとした講演場を、弁士の声が朗々と響き渡っていく。

「さァてさて皆々様! 本日はどうか目をくっきりと開いてご覧くださいませ。長らくお楽しみいただきました『秘封倶楽部』も、この度千秋楽を迎えることと相成りました次第。月の傍らに浮かぶ人工の衛星、トリフネ遺跡にて蓮子とメリーを待ち受ける運命とは? 『鳥船遺跡』、いざ幕開けにございまする ―― 」





     ◆     ◇     ◆





 夢が現実となることを、いったいどれだけの人が願っているだろう。夢とはただ見るもの、思い描くものだ。それはいつだって勝手に具現化したりはしない。夢を現実へと変えるには莫大なエネルギーが必要なのだ。雨垂れが巨大な岩を穿つほどに気の長い時間と、星を巡らせるほどに強大な力。描いた夢を現実にできるのは、その両方を兼ね備えた者だけだ。

 ならば、と私は考える。
 八雲紫は一体どれだけのエネルギーを行使しているのだろうか。

「『メリー』、大丈夫?」
「……………………」

 私の問いかけに相棒は答えない。ただ真っ直ぐに、熱帯雨林をかきわけて進んでいく。ここ最近、彼女はずっとこんな調子だ。特に夢の中では酷かった。無理もないだろう。親の仇と憎む相手の術中にいるのだから。
 衛星トリフネの内部は、まるで蒸し風呂のような暑さだった。足下はぬかるんでおり、快適な散策であるとはお世辞にも言えない。おまけに沈黙が重苦しくて、私の独り言は自然と増えていく。

「こんな場所から、何を持ち帰れっていうのよ……」

 もうひとつ取ってきてもらいたいものがある。紫は確かにそう言った。それはつまり、このトリフネの内部にある何かなのだろう。夢を現実へ、幻想を真実へと変換するために必要なものが、必ずここにあるはずだ。そしてそれを見つけなければ、この夢も永遠に終わらないわけだ。
 八雲紫は一体どれだけの力を持っているのだろうか。彼女は自らの夢を叶えるために私たちの夢に干渉し、それをキネマという手段を用いて現実に投影しようとしている。何をどうすればそんなことができるのか、私には全く見当もつかないが、ただひとつ確信できたことがある。紫が持つ力は、ただひとりで夢を現実に変え得るほどに強大なのだ。人間が何千年間もの間、世代を受け継ぎ続けることでようやく手に入れた力を、彼女はひとりで持っているのだ。

「だったら自分で何とかすればいいのに。そう思わない、『メリー』?」

 夢の中で自我を取り戻してから、緑の濃い匂いにも鼻が慣れきってしまうほどの時間が経っているが、それでも彼女はだんまりを決め込んでいる。溜息とともに天を仰ぐと、漆黒の宇宙空間が硝子天井の向こうに広がっていた。

 気分は晴れない。何せ、この後に起こることが『私』には分かっている。一度見ている夢なのだから当たり前だ。
 前回は意識がはっきりしないまま終わってしまったが、今度は別だ。夢に入った瞬間から、今までにないほどしっかりとした現実の感触がある。それに為すべきことが分かり易くて良い。ヒロシゲのときは難解な謎解きだったが、今度は単純だ。キマイラだか何だか知らないが、とにかくあの怪物をぶっ倒せば先へ進めるだろう。実に明快である。
 とはいえ、奴は象のように巨大だ。私ひとりだけの力では心許ない。

「『メリー』!」

 後ろから肩を掴んで、相棒をこちらへと向き直らせる。ぼうっとした瞳の焦点が、徐々に私へと定まってくる。

「何、よ」
「シャキっとしなさいよ。いつまでもこんな馬鹿げた夢の中にいるわけにはいかないでしょう? さっさと終わらせて、平穏な現実を取り戻すの。そして夢の外で、あいつを思いっ切りぶん殴る。……私も手伝ってあげるから、ね?」
「『蓮子』……」

 彼女は何度か瞬きを繰り返し、そして微かに頷いた。少しだけではあるけれど、確かに頷いた。

「そうね、終わらせましょう、こんな夢」

 肩を掴んだ手を相棒が握る。

―― グオオオォォォォ!!

 咆哮が轟いてきたのは、そのときだった。密林の向こうから、どんな声よりも気味の悪い低い叫びが上がったのだ。
 来た。奴だ。2人して声のした方向を警戒する。声の残響がまだ、地鳴りのようにびりびりと響いている。そしてそれはすぐに現れた。獅子のような、猿のような、馬のような、鷲のような、巨大で出鱈目な身体。継ぎ接ぎだらけの怪物、キマイラ!
 私は陰陽玉を具現する。相棒の手甲で霊力光が輝く。どうってことはない。夢の中だろうと、今の私たちには戦う力がある。こいつを打ち倒し、現実に戻ってみせる!

 焦(じ)れたようにキマイラが再び吼える。それを合図にして、私たちは同時に地を蹴った。




 
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