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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『少女秘封倶楽部 #4』

2014/10/01 21:06:33
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 興業師、森近清太郎(せいたろう)はもう笑いが止まらなかった。

 今年一番の熱波が帝都を覆い尽くし、何もかもが茹で上がってしまったその日も、浅草電気館でのキネマ公演は超満員であった。観客のごった返す館内はもはや蒸し風呂のような暑さだったので、清太郎は人にそこら中からありったけの扇風機を掻き集めさせ、さらに氷菓も無料で配布した。それにかかった費用は決して安くはない。しかし今日1日の売り上げだけでも、その支出を補って余りあるほどの金額だ。

 電気館の2階から、清太郎は帰っていく観客の列を眺めていた。愉快なことこの上なかった。『秘封倶楽部』の勢いは、衰えるどころかますます加速している。明日の公演は今日以上に人を集めるだろう。さらに明後日、そしてその次の日にもなれば、指数関数的に観客は増えていくはずだ。もはや『秘封倶楽部』を観に行くという行為そのものが、帝都の人々にとってはひとつの勲章なのだ。井戸端会議では天気よりもこのキネマの話の方がよく聞かれる、と新聞に書かれたほどである。

 清太郎は紛うことなき勝者だった。目まぐるしく移り変わるこの東京で、見事に夢を掴んでみせたのだ。先日新調したばかりである上質な三つ揃いの背広も、長年愛用していた細い銀縁眼鏡にようやく馴染み始めたように思える。

 つい半年前まで、彼は借金まみれの逆境にあった。立ち上げたキネマ興業会社「香霖堂」は鳴かず飛ばずで、フイルムの買い付けに費やした元本の回収も覚束なかった。公演に不可欠な弁士を手配する金すらも工面できなくなった彼は、梁からぶら下がる己の姿を毎晩の夢に見ていた。

 しかし、今やもう恐れるものなど何もない。今の自分には、幸運が味方に付いている。
 もとい、幸運の女神が『憑いて』いるのだから。

「 ―― あるじ殿」

 呼ばれて振り向くと、活動弁士の少女が扉から眠たげな顔を突き出して、こちらをじっと見つめていた。

「あるじ殿、来客じゃ」
「お銀、そういうことはちゃんと中に入って扉を閉めてから伝えてくれ」

 清太郎が窘(たしな)めると、彼女はいかにも億劫そうにふわぁと欠伸をしてから、それでも言われた通りに部屋の中へと入る。そしてするすると滑るように彼へと歩み寄り、律儀に来意を繰り返し伝えた。

「あるじ殿、来客じゃ」

 了解の意を込めて少女の顎先を撫でてやると、彼女は心地よさそうに目を細める。銀という名に相応しく、彼女の髪は月光をそのまま糸にしたような銀色だ。
 そして頭頂に生えている三角形の耳と、腰で揺れている尻尾もまた、目の覚めるような銀色だった。

「約束も取り付けずに来る客ねぇ。どこかの新聞記者か?」
「ごろごろごろ。いやぁ、妾(わらわ)の見たところ、アレはたぶんそんなものじゃない。というか ―― 」

 お銀は瞼を上げる。滑らかな針のような視線が清太郎を縫い止める。

「 ―― そもそも人間ではないぞ」
「何だって? まさか、アイツが」

 彼は鼻を鳴らしながらお銀を問い正した。

「いんや、寅っぽいのと鼠っぽいのの2人組じゃ。もっとも、あやつの手の内の者でないとは言い切れないけど」
「ふむ……」

 顎を抓(つま)んで訝(いぶか)しむ。確かに、奴ならば玄関からではなく直接この部屋に、それも清太郎の眼前に突然現れるだろう。
 引き絞った弓のようにその身を伸ばしながら、お銀は再び欠伸をした。壇上で台詞を読み上げる堂々とした姿はもう欠片もない。『秘封倶楽部』が売れるに伴いお銀の人気も鰻登りだったが、平時の彼女がいつだってこうして緩みがちであることは彼以外に誰も知らなかった。

「ふわぁ……。妾は疲れた。昼寝しててもよいか? ほらあそこの出窓なぞ、日陰で風通りも良さそうで」
「駄目だ。僕と一緒に来い」
「ぶー」

 頬を膨らませるお銀の手を取って、清太郎は歩き出した。妖怪相手の談判は、一介の人間に過ぎない彼には少しばかり荷が重い。ここはお銀の力が必要だった。清太郎に憑いた吉兆である彼女の力が。





     ◆     ◇     ◆





「那津、猫は平気なんですか?」
「ご主人様らしくもない愚問だね。只の鼠だって追い込まれれば猫を噛む。ましてや私くらいになれば、猫などこちらから追い込んで噛みついてやるさ。それにしても、化け猫が人前で堂々と活動弁士とは。妖怪らしくないと言うか何と言うか」
「私たちが言えたことじゃありませんけどね」

 星と那津が通された浅草電気館の上階応接室は、天井の高い洋間だった。ここは常設キネマ公演場の元祖であり、今や日本全国に存在する各地の電気館は、ここの流行を受けて造られたものである。帝都はおろか日本国全土を見渡しても、ここの上映規模は最大級である。それを容易く満員にしてしまう『秘封倶楽部』好きたちの、その熱狂の凄まじさがよく分かる。

 さて2人の用向きは、『秘封倶楽部』の仕掛け人である森近清太郎への事情聴取である。

「素直に口を割ってくれればいいんだが」
「まだ私たちは相手の素性も知りません。警戒は最大級にしておきましょう。ただ ―― 」

 星は出されていた冷茶に口を付けた。上等な氷出しの煎茶だ。

「 ―― お茶から悪い風味は感じられません。私は、悪い人ではないと思いますよ」
「単にお茶汲み係が人の好い奴だった、ってオチは勘弁してもらいたいね」

 扉の開く重い音に、2人は立ち上がる。
 興行会社「香霖堂」社長の森近清太郎は、柔和な面持ちな細身の青年だった。その顔には成功者の自信がたっぷりと漲っている。そしてその傍らには、最初に2人を出迎えた活動弁士である、銀色の化け猫が寄り添っている。

「突然の訪問、申し訳ありません。白蓮寺の住職、寅丸星と申します。こちらは付き人の那津です」
「ふむ、まさかお寺の方とは。私が森近です。本日はどのような御用向きで?」
「少々お話を伺いたく」
「構いませんよ。ただ明日の公演の準備もありますので、あまり時間は割けませんな。手短に願いたいものです」

 清太郎と化け猫がソファにかけた。すると猫はするりと清太郎の首に腕を絡め、彼にしなだれかかろうとする。それを清太郎はあくまで自然なふうを装って解き、彼女をきちんとした姿勢で座らせた。猫の耳が不機嫌そうにぴこぴこと震えた。

「……失礼。これは弁士の銀。平時はちょっとアレですが、壇上で喋らせれば腕はピカ一でね」

 促されて頭を下げたお銀だが、星と那津を見つめる目はじとりと湿っている。

「おんしたちのこと、知っておるぞ。妖怪退治をして回ってる妖怪。人間の味方をする、仏の使徒気取りであろう」
「ふむん、妖怪退治……。まさかお銀を退治しようと? それは困りますな、これでもうちの稼ぎ頭だ」
「いいえ」

 静かな微笑みとともに、星は首を横に振った。

「我々が戦うのは、人間と妖怪の融和のため。過度に暴れる妖怪を諭しているだけですよ。そちらのお銀さんは確かに妖怪ですが、人に害を為しているわけではない。それどころか、妖怪たちは何故か公演場ではすっかり大人しいですからね。この状態なら、きっと人間が襲われる事件は起こらない」

 星の視線がお銀を見る。言外に「あなたの力でしょう」と問いかけていた。お銀は顔をぷいと逸らせる。
 那津もこの猫の正体を掴みかけていた。化け猫には大別して吉兆と凶兆を司る2つの種類がいる。猫という動物は人間と近いところでずっと暮らしているため、人間に対する善にも悪にも変わり得る。
 お銀からは、人間を襲う妖怪特有の陰の気配が全く感じられない。つまり彼女は清太郎と香霖堂に吉兆をもたらす存在である可能性が高い。
 商売の繁盛と人寄せを約束する福の神のような猫の妖怪。那津には心当たりがあった。彼女はきっと、招き猫の伝承より生まれた化け猫なのだ。招き猫が持つのは、客を招く程度の能力。お銀がいる限り、香霖堂は客足が遠のいてしまうような事件とは無縁だろう。

「私たちが今日伺ったのは、妖怪退治のためではありません。ですからお銀さん、そんなに毛を逆立てないでくださいね」
「え、あるじ殿。妾の毛は逆立っておるかの? 髪はまだしっかりと結ってあるはずなのだが」
「そんなことはないさ」

 銀の頭を撫でながら、清太郎は首を振った。

「では、妖怪の専門家様が、ここにいらっしゃった理由を教えていただけますかな?」
「それでは、単刀直入に伺いたい。『秘封倶楽部』のフイルムは、誰から手に入れた?」

 那津の質問に、興行師の顔から余裕が少々抜けた。
 思った通りだ、と那津は口角を僅かに釣り上げる。やはり『秘封倶楽部』は単なるキネマのフイルムではない。

「……とあるキネマ製作者から買い取っていますよ。申し訳ないが、契約の都合で身元は明かせない」
「なるほど。先週から上映されている今の章の題は、えぇと、何でしたっけ?」
「表の看板にもデカデカと書かれているでしょう。『卯酉東海道』ですよ」
「そうでした、そうでした。何でも、その衝撃的な結末が話題になっているそうで。私も拝見しましたが、いやはやとんでもない物語でしたね。あぁお銀さん、ちょっと演ってもらっても? 今日の最後の一節だけで結構です」

 星の言葉に、お銀の背筋がぴんと伸びた。先程までの眠たげな声とは打って変わって、朗々とした大声が応接室に響き渡る。

「さァさァ、超特急ヒロシゲは止まらない! 速度は時速の400キロ、卯京都と酉東京を53分で結ぶそのスピードが、今となっては大きな仇! 蓮子とメリーは運転室を探して走り回るも、ヒロシゲは無人運転だ、車内からでは止められない! 2人にはもはや為す術もなく、ヒロシゲは最高速で酉東京駅に激突、爆発、大炎上! 憐れ秘封倶楽部の命運は、これにて尽きてしまうのでありました。はてさてここからどうなってしまうのか、次章乞うご期待」

 そして彼女はまるで壇上にいるかのように、深々と一礼した。

「お見事、ありがとうございます。そう、秘封倶楽部の2人は死んでしまった。しかし物語にはまだ次の章がある。続きはひょっとしたら死後の世界の話になるんでしょうか? いや結末は意外でしたが、物語の筋としては有り得ないものではありません。私が知りたいのはそこではない。私自身、『秘封倶楽部』の1人の観客として、次章を楽しみにしておりますので……。伺いたいのは、このキネマについて立っている妙な噂についてです。何でも、『上映するごとに内容が少しずつ変わる』とか」

 清太郎は応えない。星は片目を瞑り両手の人差し指を打ち合わせた。そして横目で那津に合図を送る。
 那津は帳面を取り出し開いた。完璧主義者な彼女らしい細かい文字が、帳面の中身をびっしりと埋め尽くしていた。

「ここ一週間分の『卯酉東海道』の筋書きを、劇場で確認させてもらった」

 その中身の掻い摘んだところが那津によって読み上げられていく。上映された『卯酉東海道』の全ての回で、大まかな粗筋は変わらない。ヒロシゲに乗車した2人が席にて会話を交わし、最後に列車が酉東京駅に突っ込み爆発炎上して終わる。

「……けれど不可解なのは、結末に至るまでの秘封倶楽部の行動にある。2人はヒロシゲが止まらないことに気づくのだが ―― それに対して取る行動が上映ごとに違う。最初の回では、2人は立ち上がって混乱するような素振りを見せるものの、最後まで席から離れることはない。しかし次の回では席から離れて、暴走するヒロシゲを止める手段を探し始める。4回目からはもはや冒頭の会話場面すら挟まれなくなり、2人は最初からヒロシゲを止めるためだけに行動するようになった。そして今日の上映分では運転室を探して先頭から最後尾まで全ての車両を巡ったものの、それでもヒロシゲは止まらなかったというわけだ」
「キネマはフイルムを投射することで映像を楽しむ娯楽です。同じフイルムを使っている限り、その内容が変化するなんてことはあり得ません」
「おんしたちが何を言いたいのか分からん」

 お銀が視線を鋭く尖らせた。あいも変わらず声は眠たげなままだが、言葉に込められた反抗の意は痛いほどに伝わってくる。

「フイルムの中身を変えるなんてことは、人間でも簡単にできることぞ。それに、内容が変わるのが本当だからといって、何ぞ問題でもあるのかや? 帝都の人間が迷惑しておるのか?」
「いえ、迷惑ではありません。東京の人間の大多数にとってはね。もちろん、フイルムを切り貼りして編集することは可能でしょう。ですがそれだけでは説明の付かない現象が、我々の周囲で起こっていまして」

 星はポケットから何かを取り出し、机の上に置いた。それは花弁だった。真夏の東京にあるはずのない桜の花弁。桜子が夢の中から持ち帰ったものだ。

「単刀直入に申し上げましょう。『秘封倶楽部』のフイルムは人間の作ったものではない。宇佐見桜子とメリーベル・ハーン。この2人を狙った妖怪により作り上げられた、妖魔製のキネマである。私たちはそう考えているのです」

 香霖堂社長は、諦めたようにふっと笑ってみせた。それだけで、星には十分な答えだった。




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
二人を狙った?どういうこと何だろう