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地底妖怪トーナメント・3:『1回戦3・橙VS寅丸星』

2014/09/26 16:20:13
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「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 北西側の選手控室にて、一人の式神は長椅子の一つを占領するように寝そべっている。その様に亡霊や小人まで思わず訝しげに見てしまい、霊夢も言葉を掛けずにはいられなかった。
「どうしたのよ、戻って来て早々」
「……橙に叱られてしまったよ」
 それは霊夢にとって予想通りの返答だった。
「『準決勝で戦うことになるかもしれない相手に応援されるわけにはいかない』とな。立派になったと喜ぶ気持ちもあるんだが、やはり寂しいものだ」
「しっかりしなさいよ。三つ次、あなたの試合なのよ」
「なぁに、ちゃんと立ち上がるさ。この目できちんと橙の戦う姿を見ておかないとな」
 藍はゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。
「そういえば、あの狸や私の対戦相手が第二試合の時からいないな」
 化け狸のマミゾウと藍の対戦相手である舟幽霊のムラサ、そのどちらも命蓮寺勢からの参加者である。
「橙の相手が星だから見送りにでも行ってるんじゃない? または観客席で集まってるか。何気に満員とかじゃなかったわね。寧ろ……減ってる?」
「鬼や極一部の強者以外の戦いには興味のない者もいるだろうからな。星熊勇儀ならともかく、他の参加者達は観客にとっては未知数だ。まぁ、地底の所々に置いたモニターで試合を見られるし、そこで興味を持って今から集まってくる奴もいるかもしれないがな」
「何にせよ……そろそろ始まるわね」

 選手入場口のひとつで待ち構えている寅丸星の側には、妖怪鼠のナズーリンだけがいた。
「聖達は薄情だな。一輪の時は総出で見送っていたというのに」
「構いませんよ。勝利を期待されていると思えば、むしろ嬉しい事です」
「おや、それは仄かに、一輪はあの神に負けると思われていたような言い方だな」
「何を言ってるんですか……。そうやって粗探しばかりをするのは褒められた事ではありせんよ」
 言いながら互いが笑う最中、さとりによる選手入場が促される。
「まずは一勝だぞご主人様。聖と戦いに来たんだろう?」
「ええ」
 ナズーリンを後にして寅丸星は足を踏み入れた。騒音の中、閻魔を始め、最下段席に座るさとりと紫の姿を捉える。何故この者達が出ないのかいささか疑問に思いつつも。目の前に対峙する対戦相手を見据える。
 星を見据えている橙は、自分を従える藍との先程の行いを思い出していた。笑顔で自分を応援しようとしてくれたにも関わらず素っ気無い言葉で拒絶してしまった。多少の罪悪感はあるものの橙はそれを噛み潰す。彼女は公の場――八雲紫を含めた大勢の場で藍と全力で勝負をしたいと思っていた。彼女から見る八雲紫と八雲藍の関係、一見ばらばらに見えて絶対的な信頼が成り立っている。一方で自分と藍はそうではない。藍は少々自分に対して過保護に見えた。自分が弱いから藍は過保護になってしまうのかもしれない。その不安のような思いが橙に大会を決意させた。藍には負けても仕方ない。ただそれまでは、何が何でも負けるわけにはいかない。
 その思いは表情に現れ、星を鋭く睨んだ。
「安心してください。私は逃げも隠れもしませんよ」
 星は橙の気を落ち着かせようと一言発する中、閻魔が互いに離れるよう促し、両者は一度背を向ける。その一方である星に対して、観客席中段で集まっている命蓮寺勢の一人であるムラサがある事に気付いた。
「星のやつ、何で宝塔じゃなくて普通の槍なんだ?」
 寅丸星の得意技と言えば、宝塔から打ち出される変則的なレーザー攻撃である。しかしそれを放つために必要な宝塔そのものはなく、代わりに一見何の変哲もない槍を武器として手にしていた。そんなムラサの問いに対してマミゾウが「数日前、鼠に叱られておったよ。『様々な妖怪が集まる場に持って行って、無くしでもしたらどうするつもりだ』とな」と答えた。
「ああ、ありそうだ」
 ムラサと共に笑う命連寺参加者の中で白蓮は「大丈夫ですよ。星なら宝塔などなくても勝ち上がる事でしょう」とにこやかに言った。
 選手入場時や第一試合の時と比べるとほんの少しだけまばらになった観客達に見据えられる中、閻魔の合図が響く。
「一回戦第三試合、始め!」
 始まってすぐに橙は星に向かって跳ぶ。弾幕の禁止されている今、自分にある手段は直接攻撃とある程度の妖術しかない。一方で星は槍を手にしている。その中で、相手は槍に頼る、という逆の考えが橙に浮かぶ。槍の攻撃範囲の内側まで近づけばこっちのものだと彼女に思わせた。
 星が迎撃のために突いた槍を橙は簡単に横跳びでかわし、そこから再び前に跳ぶ。しかし星は咄嗟に槍を短く持ち、柄の部分を叩き付けた。
「ぐぅ!」と呻く化猫は身体を丸めて受け身を取る。一方の星は一切彼女に向かって歩いて来なかった。
「逃げも隠れもしませんが、あなたは何をしてもいいです。私にはこの槍があればいい」
 宝塔が使えないのはともかく、ここで快勝を収めておかないとこの先はとても勝てない。そう思いながら星は姿勢をやや低くして槍を橙に向ける。
「嘗めるな!」
 再び星に向かって跳ぶ。
「仕方ありませんね。では今度は本当に刺しますよ」
 先程以上に速い突きを繰り出す。しかし橙はそれをもかわし、片手で槍を掴んだ。
 ――これでも避けるのか!
 そのまま残り片方の手で星の顔を引き裂こうとする。しかし星は掴まれている槍を振り回して柄を持つ橙の手ごと叩き付け、吹き飛ばした。
「おお? 星の奴、なかなかいい使い方するじゃないか」と感心するムラサに聖も頷いた。
「槍の本質はもちろん相手を突くことです。しかし今の星が持っている様なやや重い槍ならば、その重さと長さを利用した棒術として扱う事もできる。柄を叩きつける攻撃は先程見た通り。その重さによる丈夫さを利用して相手の武器、更には弓などの飛び道具を払うこともできる。それに、こちらも投擲による遠距離攻撃ができる等、あれで中々良い武器なんです」
 説明に対し、集団の一員であるぬえは前の席に肘を付けて戦いを眺めながら、「解説ご苦労様。それじゃあ、あの猫が槍を持つ寅に勝つには、どうしたらいいんだい?」と問いかける。
「そうですね……」
 白蓮が答えようとした時、観衆から一際大きな声が湧き上がる。闘技場に目を向け直すと、槍の切っ先は深々と橙の足を貫いていた。
 槍を引き抜かれ、呻く橙の右足からは鮮血が滴り靴と地面を赤く染めていく。冷えた汗が自分の背中を伝っている事を橙は感じた。
「これでもう俊敏な動きはできない。もう――」
 星の忠告などまるで無視し、橙は先程と変わらぬ動きで再び襲い掛かっていく。その事は予想外であり、思わず放った突きをかわされてからの対処が星の中で遅れ、橙の爪を腕で防御することしかできなかった。左腕に幾筋の掻き疵を負い、先程のように槍で振り払うも両手で受け止められる。橙は槍を掴んだ両腕を支点にして身体を持ち上げ、両足で星の顔面を踏み抜いた。
「づっ! ……う……ぐ!」
 鼻を押さえて呻く星を見て、蹴りの反動で後ろに跳んでいた橙はそれを好機と感じ再び襲い掛かる。しかし、鼻から出る血を拭って星は槍を掴み直し、次々と橙の攻撃を捌いていく。
 それは逆に考えれば攻守が逆転していることを意味し、その光景を見て紫は一人微笑んでいた。
 その後に命蓮寺の面々も状況の変化に気付き、「おいおい、星の奴……押されてないか?」とムラサを戸惑わせる。
 星の槍捌きは的確ではあった。俊敏さを活かして四方八方から攻める橙の攻撃を次々と流し、防ぎ、いなしていく。更にはその刃で敵の身体に傷を増やしていく。にも関わらず、相手の勢いが収まることはない。というよりは、星が自ら防戦に徹しているようにも見える。
「ご主人様……?」
 選手入場口という近い位置でナズーリンが見ている星の表情は、橙に威圧され、恐れおののいている様にも見えた。
「星の奴、どうしたんだ?」
 ムラサが困惑するのも無理はない。強さ云々以前に、ムラサ達の中で寅丸星という妖怪は、戦いの中で決してあのような表情をする者ではなかった。ある時まで封印されていた聖白蓮を救うために決起した時の星は、彼女のためならどんな相手でも決して引く事などなく、文字通り寅のように猛々しさを感じさせる顔をしていた。それが今では、化猫一匹に圧されて攻め手に欠けている。
 その様子にマミゾウはつまらなそうに、「なんじゃ。聖を救った奴というからどれほどの実力かと思ったが……。こんなものとはがっかりじゃの」と、同じ派閥とは思えない発言をしていた。
「いえ、そんなはずは……。私を助けた時の星は、もっと立派だった。なのに、何故……」
 後方にいる白蓮の言葉を聞いたムラサは振り向き、恐る恐る言う。
「もう……聖のために戦っているわけではないから?」
 白蓮は何も答えられなかった。
「星の見せたあの強さとあの荒々しさ……。あれは聖を救うために無意識に出たもの……。もしそうだとしたら、今は……?」
 他人のためでなければ全力を出すことができない。そういった人間を幾度か目にしてきた白蓮はムラサが言った事象を否定できない。
「うるさいなぁ」
 白蓮達の会話を一蹴したぬえは向き直ることなく星達の戦いを見続ける。
「要はびびってるだけだろ? あんな化猫程度に。笑っちゃうよ、聖達はあんな奴を信仰してたのかい」
 白蓮は何も答えずに星のいる闘技場を見る。
 攻撃の手を緩めることのない橙は、遂に星の顔に右手の爪による新たな一撃を与える。星の頬は赤く滲み始めるが、一方の橙も槍によって傷だらけになっていた。見た目だけならば圧倒的に星が優勢なのだが、その表情には大きな差がある。まるで相手を殺すような表情になっている橙に圧されて星の表情は弱々しいものになっていた。
「な、何故……そうなってまで戦い続けるのですか」
 まるで苦し紛れの様に突然星は口を開く。
「このまま続ければ恐らく私が勝てるはずです。あなたも薄々解っているはずです。なのに何故……」
「藍様と……戦いたいから」
 橙の言葉に星は大きく反応した。
「藍様と戦うには、準決勝まで勝ち進まないといけない。だから、私は何があっても……負けない……降参なんかしない」
 橙は再び跳びかかり、攻撃する。それを捌いていく星の動きは先程以上にむらが大きくなっていた。
 ――この者は、私と同じ理由で戦っている。なのに……この差は何だ。
 ただひたすら攻撃する橙に対し、星の雑念は増え続ける。
 ――私も、聖と戦いたいという気持ちに嘘はない。しかし、現実は……。
 再び徐々に橙との間合いが詰まっていく。
「今だっ!」
 隙を見て橙は右手を振り上げる。再び爪による攻撃がくると判断し星は横向きの槍を頭の上に構えて防ごうとする。それを橙は両手で掴んだ。ひっかきの攻撃ではないことに困惑している星の首筋に視線を向け、徐々に開いた口でそこに飛び込む。
「ぐぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 橙は星の首に噛みついた。強烈な熱と痺れが自分の首筋に走り続け、思わず叫ばずにはいられなかった。橙は掴んでいる槍に力を入れ、足を星の腰に回して密着する。猫の鋭い牙が星の首に少しずつ沈んでいき、生温かいものが首筋から流れ落ちていく。
 咄嗟に彼女は背後近くにある壁に気付き、後ろを振り向いて跳ぶ。自分と挟むように橙を結界に叩きつけた。
「ぐぁ……!」
 呻いた橙は牙を放し、星は逃れるように後ろへ跳ぶ。致命傷になるような出血量ではないものの、流れる血は衣服の首周りを染め続けていく。
「負けない」
 一方で先程の攻撃による橙の損傷はそれほどなく、再び星に向かいゆっくりと近付いていく。対して間合いを開ける星は、遠目でも明らかに恐れおののいているように見えていた。
「お前なんかに……負けない!」
 橙より遥かに勝る体躯の星が追い詰められている事に観客の一部も困惑しつつ戦いを見る中、命蓮寺の面々は星と同じくらいに動揺していた。
「やばいんじゃないか、あいつ!」
 ムラサが息を飲む中、その戦いを静かに見ていた聖白蓮は突然立ち上がった。
「皆さん。少しばかり耳を塞いでいてください」
 突然の言葉にムラサが困惑する中、勘の良い方であるぬえとマミゾウや、普段自分で行っている事が起きると直感した響子はすぐに両手で耳を塞いだ。
 白蓮はその身体一杯に息を吸いこみ――
「しょぉうっっっっっっっっっ!」
 近くに座っていた命蓮寺とは関係ない妖怪十数人があまりの爆音に思わず立ち上がった勢いで席から転げ落ち、至近距離にいたムラサに至っては数瞬視界が白くなった。会場全体を揺らす程に響き渡る怒号は結界越しの闘技場に立つ星にも伝わる。思わず背中を見せるが、敵である橙さえも妖怪の歓声を遥かに超える音量に思わず動きを止めていた。
「ひ……聖?」
 視界に入った白蓮は真摯な表情で星を見据えていた。普段毎日をにこやかな表情で過ごす彼女を知っている星は、それが怒りを示しているものだと悟る。
「星……二度は言いません。私の言葉を聞いてくださいっ」
 星に言葉を放ちながら白蓮は階段を降りていく。強烈な音に周りは静まり返っていたので、白蓮の声は比較的普通の大きさに戻っていく。
「私はあなたがこの一回戦で負けても決して咎めるつもりはありません。しかし私は、心残りなくあなたに全力を出してほしい」
 聖は審判団三名だけが座っている最下段席にまで辿り着いた。
「思い出してください。私を救うために走り続けていた時の自分を……。あの時のあなたは、とてつもなく強かった。下手をすれば、私よりも」
 かつて魔界に封印されていた白蓮を救う道程で、星は霊夢や魔理沙、早苗と一戦を交えた事がある。武器として持った宝塔から放たれる変則的なレーザー攻撃は、聖には及ばないかもしれないが、多大な恐怖感を相手に与えた。それ以上に、星は白蓮を救うために全力だった。それはほんの数年前である。人間より遥かに長い時を生きる妖怪にとっては、それこそほんの少し前という感覚である。白蓮を救ってから数年間味わった真の平和は、彼女から牙を奪っていたのかもしれない。
「どうか全力で戦ってください。そこであなたの相手をしている橙さんのためにも」
 思いがけない言葉に星は橙の方に向き直る。
「あなたが全力を出さないという行為は例え他意が無くても、全力で戦ってくれている橙さんを侮辱していることになります。私にとってはそちらの方が許せません。星、あなたは何故この大会に参加したのか、その気持ちさえももう無くしてしまったのですか?」
 白蓮による思いがけない言葉に、橙の方を向いたまま星は目を見開いた。
「あなたは私と戦うためここに来たはずです。あの時のあなたの目は、私がこの大会への参加を決意させた理由でもありました。この戦いは、負ければ悔いがあろうとそこで終わりです。だから後悔だけはしないでほしい」
 後悔。その白蓮の言葉は星を貫いた。かつて白蓮を救えなかった事に対する計り知れない後悔の念を思い出す。
 ――ここで全力を出せず負けることは、それに等しい? ……それは……嫌だな。
 ふと、白蓮から見る星の後姿から感じる雰囲気が変わる。
「星?」
「嫌です」
「え?」
「もう……後悔はしたくない。あんな思いなど……したくはない」
 背を向けられているのでその表情は窺い知れないものの、発せられた声に込められた力強さから、白蓮は安心したように思わず笑みが零れた。
 ――もう大丈夫ね。
「決勝で待っています。あなたの強さを私に見せてください」
 最後にそう言って白蓮は審判の中で最も近くにいる紫に頭を下げた。
「突然の物言いで迷惑を掛けて、申し訳ありませんでした」
「構わないわ。でも、次やれば試合妨害と見なします」
 観客達の方にも振り向いて深々と頭を下げ、白蓮は自らの席へ戻って行った。
 あまりに突拍子な事で橙は戸惑っていたが、戦っている相手の表情を見ると、一瞬背筋が凍った。対峙している寅丸星の雰囲気が先程とはまるで別物になっていたのだ。
「これも……もう必要ありません」
 星は大事に持ち続けていた槍を後ろに捨てる。自由になった二本の手で構えたその姿勢を見て、白蓮が最も驚いていた。
「あれは……私の構え?」
 それは、宗教戦争で道教派である物部布都や豊聡耳神子と戦った時に白蓮が取った戦いの構えと非常に似ていた。戦いは命蓮寺の上空で行われたこともあり、星も門番としてその戦いを見ていた。
 ――見える。周りがよく見える。客席の声も……よく……。
 槍を手放した不安は一瞬だけですぐに消え、素手という自由を手にした星から緊張というものはなくなっていた。
 襲い掛かる橙の爪や蹴りをその身体で華麗に流し、受け止めていく。防御としてあまりに正確な捌きを見せられ、まばらだった歓声が徐々に大きくなっていく。
「聖みたいな受け方だな」と言うムラサの言葉に白蓮も頷いた。
「やはりあの子は、いくつかの瑕はありますが、優秀な子です」
 そして、ついに星は守るだけではなく、手刀による一撃を放つ。それを皮切りに攻守の勢いは徐々に均等になり、そこから星が押していく。
 ――もう一度噛みつければ……今度は絶対に放さない!
 星の首からの出血は、まだ徐々に止まっている程度でしかない。橙は再び必殺の噛みつきを決める隙を狙い、攻撃の手を緩めてしまっていた。
「なんか……思ったよりいい勝負になってるな」
 魔理沙の言葉に対して幽香は「そうかしら」と言うのみだった。
 しかし、その均衡は突然に崩れる。橙の顔を狙って横に振られた星の手刀はしゃがんで回避された。防御される時と違い勢いよく空を切った左手により星は体勢を取り戻すことが一瞬遅れる。
 ――ここだ!
 先程の攻撃でやや抉れた星の右首筋に向かって橙は跳ぶ。攻撃に全てを向けた、防御を捨てた彼女の勢い。寧ろそれを狙っていた星は、寅の様に丈夫な指先による貫手を放つ。それは鳩尾の部分に深々と沈み込んでいった。
「はぁっ……が……あ……」
 強烈な苦しみに襲われ、全身が麻痺してしまったかのように動けなくなった橙は、腹部を押さえながらうつ伏せで倒れた。
 ――一撃?
 白蓮の説教からたった一度の有効な打撃であっさりと全てをひっくり返した星に観客達も思わずどよめいていた。
 五秒以上経っても立ち上がれない橙を見て、閻魔は勝負ありだと判断する。しかしさとりと紫は首を横に振った。
 ――あの子の心はまだ、執念で立ち上がる気でいる。いや、立ち上がる。
 ――もう少しだけ頑張りなさい。藍と戦うのでしょう?
 試合終了の合図がされないと知るや否や、星は橙の首根っこを掴み、持ち上げる。
「ぐ……あ……」
 丸まっていた身体を伸ばされ、橙は思わず呻いてしまう。
「降参を言ってください。でなければ、もう一撃入れなければいけなくなる」
「だ……」
 橙は藍の顔を思い浮かべる。ちらりと右に見えた紫の姿も見て、今一度だけ身体に力を込めた。
「誰が……言うかっ!」
 首を掴まれた体勢のまま、橙は星の顎目掛けて蹴りを放つ。
「があっ!」
 それを星は叫びと睨みだけで止めた。一瞬見せた、星が本来持つ荒々しく恐ろしい眼光を前にし、二つある橙の尻尾は力なく垂れ下がった。
「もう、十分でしょう」
 審判団に向かって小さく言い放った星の手から放された橙は力なく地面に膝をつく。それを見せられ、さとりと紫は視線で閻魔に意思を伝えた。
「そこまで! 勝負あり!」
 閻魔の言葉を聞いて堀川雷鼓が合図として鳴らした太鼓の音に負けないくらいに観衆が騒ぐ中、寅丸星は橙に手を差し伸べた。
「いい試合でした」
 しかし橙はその手を取る素振りを見せない。残念そうに星は背を向け、闘技場を後にした。
「あ、ナズーリン」
 選手入場口に入ってすぐ目に入ったナズーリンは訝しげな顔をしていた。
「大した役者だったよ」
「え?」
「この私ともあろうものが、ご主人様にハラハラさせられてしまった。まぁ、客席は盛り上がってるけどね」
「……演技なんかではありませんよ。聖のお言葉がなければ勝っていたかどうか……」
「ならば、その恩を返すためにも決勝まで負ける事は許されないな」
「……そうですね!」
 橙との戦いで見せた時の弱々しい表情はとうに消え、凛々しさを取り戻したかのようにしっかりとした目つきで星は頷いた。

「橙」
 退場し、通路を力なく歩く橙の前に主である藍が姿を見せる。
「すまない。やはり、我慢できなかった」
 謝る藍と目を合わせようとせず橙は顔を背ける。嗚咽を堪えるように小さく震えていた彼女の頭を藍は優しく撫でた。
「強かったぞ、橙」
 今の顔を見られないように、橙は小さな体躯一杯で藍の腰に抱き着く。
「くっ……ぐ……。うっ……く……」
 溢れる悔しさを一杯に押し殺し、その感情の欠片が藍の衣服を濡らしていく。藍も腰を落として式を優しく抱きしめた。
「悔しいなぁ。でも恥じることはない。お前はその小さな身体で毘沙門天の弟子……代理の妖怪に致命傷と言ってもいい一撃を与えたんだ。誰にも、お前が弱いなんて言わせないさ。私が許さない」
「藍……ざま……。ごめん……な……ざい」
「よしよし。お前は強い子だ。だからその涙は、私が優勝する時まで取っておいてくれ」
 藍は自分達とは向かい側の通路に目を向ける。既に橙の対戦相手は立ち去っていたが、その者が見せた以上の殺気を藍の視線は孕んでいた。
「仇は討ってやる」



コメント



1.非現実世界に棲む者削除
いやこれ普通に反則じゃあ...って思った自分は野暮ですね、はい。
星が思いっきり虎にしか見えないんだけど...。