Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『少女秘封倶楽部 #1』

2014/09/03 21:18:58
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―― 夢と現実は分け隔てられない。リアルとヴァーチャルはいつだって背中合わせなのよ。だってそうでしょう? 現実がなければ夢は見られない。ヴァーチャルがなければリアルは形作れないのだから。秘封倶楽部はその境界を暴くの。夢想家だと笑うやつは笑えばいい。いつか吠え面をかくのはそいつらの方よ。夢を夢だと切って捨てた代償は高く付くんだから。私はそいつらみたいな臆病者じゃない。夢が現実になることを知っている。私にはその力がある。私の眼には輝かしい未来がはっきりと視えているわ。ねぇメリー、あなたはどう? あなたのその気持ちが悪い眼にも、ちゃんと未来が視えているでしょう? 私たちは秘封倶楽部。世界にたった2人きりの、境界への反逆組織よ。それを頭の芯まで叩き込んで、骨の髄まで理解したなら、もう恐れるものなんて何もないわ。だから ――

「さぁ、夢を現実に変えるのよ!」





     ◆     ◇     ◆





 まるで説法堂だ、と那津は思った。
 決して広くはない講堂は薄暗い。すし詰めとなった人々は闇の中で息を潜めている。誰もが一心に前を見つめていた。瞳をきらきらとさせながらそれに聴き入っていた。その様子は、遠い遠い昔に、聖人の説く仏の教えを聴きにやってきた人々とそっくりだった。
 だが今日の観客たちが熱心に見入っているのは、徳を積むための尊い説法ではない。

「午前2時30分ちょうど! そう言い放つが早いか、星を眺めていたはずの蓮子はなんと、墓石をがっしと掴み力を籠めて回し始めたのでした。呆気に取られたメリーは、ねぇあなた、一体何をしているの? 気でも違ったのではないかしら? と不安な顔。しかし次の瞬間!」

 弁士の少女が声を張り上げると、バックミュージックが一際盛り上がった。すると白く四角に浮かび上がるスクリーンの中、2人の少女が立つ荒れ寺に、季節外れの桜が咲き誇る。観客たちの驚愕のどよめきが、つむじ風のように巻き上がってはすぐに解けた。

 スクリーンの中、彼女たちはまるで生きているようにそこにいた。
 もちろん、本当にそこに存在するわけではない。これはないものをあるように見せる術、人を騙すまやかしの像である。狐狸妖怪の用いる幻術に近いとも言えるかもしれない。しかしそれら化け術と大きく違うのは、これが人をからかうためのものではなく、人を楽しませるためのものであるという点だ。
 映像それ自体には音声がない。声を持たないスクリーンの中の2人に代わり、台詞を読み上げるのは活動弁士と呼ばれる人間だ。すると映像に命が吹き込まれ、ひとつの世界が完成する。
 先月から東京にて始まったこのキネマトグラフの公演は、連日満員御礼という大盛況であった。

「2分19秒の遅刻よ。メリーの怒りにも蓮子はどこ吹く風、すぐに次の境界の情報を話し始めるのでした。するとメリーも表情をころっと変えて、蓮子の話に夢中になってしまうのです。さぁ次に2人を待つのは一体どんな冒険なのか。その行く先やいかに。といったところで本日はお開き。またの皆様のお越しをお待ちしております」

 弁士が頭を下げると、会場は割れんばかりの喝采に包まれた。那津の傍らで、星もめいっぱい手を叩いている。その瞳は子供のようにきらきらと輝いていて、那津は少しだけ嘆息した。

 舞台袖から現れた興行師が、その日の『秘封倶楽部』の上映は終了であると案内する。観客たちはゆっくりと、夏の盛りの東京市街へ吐き出されていった。





     ◆     ◇     ◆





「いやぁ凄い! とても面白かったですよ。キネマというのは写し絵みたいなものかと思ってましたけど、比べものにならないくらいに映像が緻密。あれは凄い機械なんですねぇ」
「楽しそうなところを邪魔するようで悪いんだけれど、あなたひょっとして、わざわざあんな場所まで行った理由を忘れてやしないだろうね」

 出されたお冷をきゅーっと飲み干して、それでも涼を得るには若干物足りず、那津は扇子で自分を思いっ切り扇いだ。1時間以上も立ち見をしていて疲れたから、と星を少々強引に喫茶店へ引き入れた格好だ。道路にパラソルを出して作られた屋外席は、申し訳程度の日陰しか作り出していない。陽がもう少し傾けば、この傘もきっと用を成さなくなるだろう。
 慣れない場所に疲れてしまった那津とは対照的に、星はまだまだ元気いっぱいである。もっとも千年以上の付き合いの中で、星が疲労困憊した様子など本当に数えるほどしか見たことがなかったが。

「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいよ。たまには羽を伸ばしたっていいじゃありませんか。東京に出てきてからこっち、那津もずっと頑張り通しだったわけですし。たまにはこうやって2人でデートでも」
「で、でぇと……」

 頬がかっと熱を持つ。が、那津は首をぶんぶんと振って、それをすぐに振り払った。そしてなるだけ真面目な顔をしてみせる。

「そうやって茶化すのはやめてくれないか。私たちは妖怪騒ぎの調査に来たんだ。『活動写真館に妖怪が入り浸ってる』って噂を受けてね」

 初めはただの噂に過ぎないと2人は思っていた。妖怪が人間の新技術にそうそう簡単に魅入られるはずがないと踏んでいたのだ。
 しかしあの薄暗く密閉された空間には、居並ぶ観客に混じって、明らかに人間ではない気配を纏う者がいた。それも1人や2人ではない。那津が察知しただけでも20は下らない数の妖怪が、人間に混じって活動写真館へやってきていた。噂は真実だったわけだ。

「もちろん忘れた訳じゃありませんって。冗談ですよ、冗談」
「あれだけはしゃいでる様子を見せられると、冗談も冗談に聞こえやしない」
「そ、それとこれとは別の話です。それに、妖怪がキネマを観ているからって、それだけなら別段の問題はないでしょう」
「そうは言っても……あ、どうも」

 氷出し珈琲とケーキのセットが星の前に置かれ、那津の前にはオレンジジュースが運ばれてきた。ちゅうと啜って思案する。反論はしてみたものの、那津ももはや、あの館を過剰に危険視する必要性を感じなかった。何せあそこにいる妖怪たちは皆一様に、子供のような真剣な眼差しでスクリーンを見つめているのである。何のことはない、彼らもやっていることは星と一緒だった。ただキネマトグラフを楽しんでいるだけだ。

「キネマは人間の作り出した、人間のための娯楽です。つまり活動写真館とは、人間の属性を持つ場所なのです。妖怪もそれを楽しむことはできますが、そのためには人間のしきたりに従わなければならない。あの場所で人を襲ったりすれば、あの環境は呆気なく崩壊するでしょう。そういう分別を、皆がつけ始めたのですよ」

 ショートケーキの一欠片を口に運びながら、星は言った。

「東京がこんな状態になって、もう半年です。妖怪も人間も、互いの領分というものを弁え始めた。喜ばしいことじゃないですか」
「それでも、後先考えない馬鹿はどこにでも現れるものさ。あの場所が永久に絶対安全だなんて保証はどこにもない」

 引き続き目を光らせておくことは必要だ。那津は心の中の手帳にそう綴る。

「それよりも、気になるのはあのキネマ、それ自体だな」

 珈琲の中で、氷がからんと音を立てて崩れた。陽光は既に小机の半分ほどを勢力下に置いており、2人の清涼飲料をじわじわと温め始めている。

「あのシリーズ、『秘封倶楽部』だっけ? だいぶ流行っているそうだね」
「流行なんてものじゃありません。観ていない人は周囲の話に着いていけないってくらいに、皆がこぞって『秘封倶楽部』を観に行くのですよ。子供たちがあの2人の真似をして、夜の肝試しやら危険な探検やらをするというので、ある学校じゃ観覧禁止令を出したとか」

 それはもはや異常とも呼べる熱狂だった。和製キネマシリーズ『秘封倶楽部』は、公開から間を置かないうちに人気に爆発的な火が着いた。
 その道の人に言わせれば、人気の原因はその物語だ。これまで日本のフィクションキネマのネタとなってきたのは歌舞伎や落語の定番演目ばかりであった。舶来キネマにはもっと分かりやすい子供向けのものもあったが、フイルムの買い付けが高く付くためなのか数はそれほど多くない。
 そこへ来て『秘封倶楽部』の筋立てには個性があった。2人の特異な眼を持つ少女がコンビとなり、日本に点在する不思議を巡る冒険物語。これはまず子供たちに熱狂的に受け入れられ、じきに大人をも巻き込んだ一大ブームとなる。単純な子供向け作品ではなく、大人の鑑賞にも堪え得る上級なキネマであるという評価を得たのだ。
 今や興行は毎回超満員で、一日で千円は稼ぎ出すのだという。

「これほどまでに広く人気を博したキネマはありませんよ。恐らく演劇史に残るシリーズになるでしょう」
「まぁ、それは結構なことだ。けれど問題はそこじゃない」

 オレンジジュースのグラスを日陰に避難させてから、那津は身を乗り出した。

「まさか気づかなかったとは言わないだろうね。主人公、『秘封倶楽部』の構成員の、あの2人のことさ」
「……えぇ、もちろん、分かっています」

 2人から成るオカルトサークル、秘封倶楽部。問題なのは、少女たちのそれぞれの名と、その姿形だった。

 黒髪を短く切り揃え、月と星を視るだけで場所と時間が分かる少女、『宇佐見蓮子』。
 ゆるくウェーブがかった金髪の、境界を視ることができる少女、『マエリベリー・ハーン』。

 その2人から那津と星が想起するのは、ごく身近に暮らす2人の人間。

「桜子とメリーベルに、あまりにも似通っている。名前だけなら、あるいは見た目だけならば、偶然と片づけてもいいだろう。だが、両方とも酷似しているというのは看過できない異常だ」

 帝都狭しと暴れ回る、博麗の巫女と退魔術師。キネマの登場人物はその2人を模したものであるとしか、那津には思えなかった。

「確かに、薄気味悪い符合ですが」

 星は机の上に置いたシャッポを指先で撫でながら言う。

「それが一体何を意味するのか、私たちにはまだとても理解できません。あるいは何かの予兆なのかもしれませんが」
「始まってみるまで分からない、か……」

 机に突っ伏した那津は、大きな耳をぱたぱたと動かした。頭を回転させたことで発生した熱を何とか放射して冷まそうとした。
 2人が東京へ移って、そして桜子と出会って以降、妖怪都市は2人を放っておいてくれなかった。あちこちで毎日のように妖怪が騒ぎを起こすのだ。悪さをする妖怪に説諭することは昔からやっていたとはいえ、ここ最近の忙しさは尋常ではない。そして多種多様な妖怪が集うことで、引き起こされる事件も複雑化していた。今回のキネマに関しても、誰がどんな目的でこんなことをしているにせよ、真相を事前に推し量ることは難しそうだ。

「まぁ、何とかなりますよ」

 あっけらかんと星は笑ってみせる。尊敬に値する能天気さだと那津は思った。

「はは、こっちは胃に穴が開きそうだ」
「那津はいろいろと気にしすぎなんですって。あ、そういえば『秘封倶楽部』にはもうひとつ、不思議な噂がありましてね」

 ケーキの欠片が乗ったフォークが、那津の鼻先で揺れている。

「あのキネマは、上映する度に、フィルムの中身が少しずつ変わるんだそうですよ」
「はぁ」

 玩具を目線で追う猫のように、那津は瞳を左右させながら生返事をした。
 キネマトグラフは、基本的に同じフィルムを繰り返し上映する芸術だ。つまり同じ作品であれば、内容は登場人物の一挙手一投足に至るまで変わらないはずである。

「フィルムを切り貼りして変えてるんじゃないのかな」
「さて。そんな面倒なことをしますかね」

 星が頬杖とともにそっぽを向いた隙に、那津は身を起こしフォークにかぶり付いた。つもりが狙いが外れ、ケーキの欠片は空中へ跳ね飛ばされてしまう。

「あ」
「あ」

 落下点には、星のシャッポがあった。スポンジはそこに見事な着地を決め、生クリームの足跡をくっきりと残した。

「……………………」
「………………ごめん」

 テラス席の日傘は既に役目を放棄し、小机は完全に日向(ひなた)の領土となっていた。オレンジジュースの中で、氷がからんと音を立てて崩れた。




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
連載再開待ってました!