「しかしなんで外の世界まで来てこんなアヒル顔を撮らなきゃならんのですかねー」
カシュン、カシュンと気の抜けたシャッター音に乗せて愚痴を垂れるもエメラルドグリーンのアヒルはなんの反応も返さない。そいつはただただ夕日の紅色が差し込むホームに黙して客の乗降を待つばかり。無機物と会話する趣味もないので喋られてもそれはそれで困りモノだが。
「私としては高層ビル群とか、ひたすらにごった返す人間の群れとか、そういういかにも"外界"な画がほしいんですけどねー」
カシュン、カシュン、かしゅん。
誰に向けたものでもない文句をぶちまけながらも、依頼された撮影対象――E5系新幹線――の姿を片膝をつきつつ前面から次々とフィルムに収めていく。いくら希望に沿わない内容だろうが、一度請け負った仕事は完遂しなければならない。最低限守るべき私のプライドである。それがたとえ閻魔のスカートを覗きに行くことでも。
「まあ、そうはいっても――」
「外の世界に連れ出されることになるとは、ですか?」
後ろからのかぶせるような声に少しだけ驚く。視界の端に夏らしい空色のワンピースがちらついていたのでわざわざ振り返るようなことはしなかった。
「衣玖さん、戻ってたなら早く言ってくださいよ」
「いえいえ、あなたがずいぶん楽しそうに新幹線とおしゃべりしていたようなので」
かしゅん、かしゅん。
あくまでシャッターを切る手は止めずに苦笑いでその場を濁す。アンタガ『撮れ』ッテイッタンデショーガ、という抗議の言葉をかろうじて喉元に押し込めることには成功した。天然に意地が悪いというのは中々やっかいである。
「それで、そちらの用事はお済みになったんですか?」
「ええ、おかげさまで」
ほら、と彼女は手に持った紙袋から何かを取り出してみせた。薄くて白っぽい煎餅のようだ、というより煎餅だ。
「ああ、これが南部せんべいなんですね。この地方の名物と聞いていましたが」
「そのようです。店員のお婆さんが話してくださったことによると昔の天皇がお食べになったものが始まりのようです」
へぇ、と軽く感心して薦められるままに一口かじってみる。見た目通りのパリっとした食感と香シンプルな味わい……?いや、これはほとんど味がしない。駄菓子屋のソースせんべいをソース無しで食べているような気になってきた。
「え、あの、衣玖さん、これ全然味がしないんですけど」
「それはそうかもしれませんね。本当は醤油仕立ての汁に入れていただくものらしいので」
「そういうことは早く言ってくださいよ」
「でもわたしはこの味のなさが好きなので文さんもきっと大丈夫だろうと思ったんですよ」
私の同僚たちにも好評ですし、と全く悪びれる様子のない龍宮の使いに軽く頭痛を覚えてこめかみを押さえる。こんな天然魚としばらく外の世界ですごさなければならないことに一抹どころではない不安を感じた。
「まあいいです、とりあえずそろそろ時間のようですし乗りましょうかこいつに」
指し示す先には、当然あのエメラルドグリーンのアヒル顔。沈みかけの最後の陽の光を反射する車体が美しく映える。締りがない面構えだと思っていたが、こうしてみるとどうしたものか急に頼もしく見えた。
幻想デスティネーションキャンペーン
どうしてこんなことになったのか。一言にすれば、利害が一致したということだ。
ネタがほしい鴉天狗と、鉄道好きな龍宮の使いと、幻想郷を開発したい山の神と、とにかく暇だったスキマ妖怪と。
他者多様の希望が一番簡潔に実現できる形がたまたまこの外界旅行だっただけで。
鉄道の写真がほしい、とせがまれた時にはここまで話が大きくなるとは考えもしなかったことではあるが。ネタになるかもしれないからといって安請け合いすることは大変危険であることは身を持って学んだ。
「でもまあ、たまにはこーいうのもいいかもしれませんねぇ」
「何の話ですか?」
「いえ、こちらの話です」
向かいに座ってかわいらしく首をひねる龍宮の使いに小さく手を振ると、彼女はすさまじい速度で過ぎ去っていく外の景色を鑑賞する作業に戻った。暗くなりだいぶ見えづらいがそれでも楽しいのだろうか。身をわざわざ横に向けて、あんなに子供みたいな笑顔をして。ノースリーブで空色のワンピースが見せる幻想か、ますます子供っぽく見えてしまう。隣の空席に置かれた白い帽子がまたいじらしい。幻想郷で普段見かける羽衣とは違う"外行き"の格好はあまりに新鮮にすぎた。私が普段とそれほど変わらない格好をしているというのも大きいかもしれない。
(っと写真、写真……)
見惚れる前にシャッターを切れ、というのが人物写真を取る上での鉄則である。もっともこの場合、シャッター音で被写体に気づかれることが問題だが。
パシャリ。
「無許可で他人の写真を勝手に撮るのはあまり感心しませんね」
「失礼しました。あまりに絵になっていたもので」
おだてても無駄ですよ、と肩をすくめてみせる彼女を不意打ちでパシャリ。
「そういえば天狗に写真を撮るなというのは総領娘様に我侭は止めろということと同じくらい無駄なことでしたね」
「お分かりいただきありがとうございます」
呆れたようにため息をひとつ。芝居がかっているので本気で怒ってはいないでしょう。多分。
「そんなことより今は、こっちですね」
衣玖にむりやり襟元を捕まえられるようにしてて窓の外を見る。日はすでに沈みきっており視界の殆どは黒くそびえ立つ山に占められていた。
「こんなに暗くては何も見えないですよ」
「違いますよ、そろそろですから……ほら!」
二人仲良く夜の窓をのぞきこむが私にはやっぱりなにも見えない。認められるのはせいぜいやたら川幅の大きい川の上を通っていることくらいか。
「あの衣玖さんやっぱ何も見えないです」
何を呆けたことを、とでも言いたげな憮然とした、しかしちょっと小馬鹿にしたような表情で衣玖はわざとらしく両手を広げて高らかに宣言した。
「いま!私達は!日本一長い鉄道橋を通過しているのです!!」
「はいはい他のお客さんの迷惑になりますから声を落としてくださいねー」
「なんでそんな無感動なんですか!」
なんでと尋ねられても暗くてわかりづらいからとしか答えようがない。たとえ昼間通ったとしてもそんなに感動しないだろうと断言できるが。
「別に私は日本一長い鉄道橋とやらに興味はありませんからね。どうせなら日本一長い"鉄道橋"より"橋"をフィルムに収めたいものです」
「ああ、かわいそうに。ナンバーワンにとらわれてオンリーワンの心を忘れてしまっているのですね」
「いやどっちにしろナンバーワンですから」
「ナンバーワンにならなくてもいい♪」
「適当な歌でごまかさないでくださいよ」
むーっとむくれる衣玖。やはり当社比七割増で子供っぽい。というか可愛い。すかさず写真に収めようとするが伸ばした腕に押さえられてしまった。 しかたがないので話題を変えることにする。
「そんなことより、次の駅は何時くらいにつくのですかね」
「予定では17時29分ですよ」
「その後は?」
「紫さんが市内に夕食の店を予約してくださっているようですよ。なんでも牛たんがおいしいとか」
牛たん。
想像しただけでよだれが出てくる。あの肉厚でしっかりした歯ごたえと、噛めば噛むほどに出てくる肉そのものの味がたまらない逸品である。もっぱら酪農メインの幻想郷ではそれなりに貴重なシロモノでもある。つまり牛たんの食レポをすればそれだけで記事が一つ書ける。これを一石二鳥とせずになんとするか。
「ううむそれは俄然楽しみになってきましたよ」
「そんなに美味しいものなのですか。その牛たんというのは」
「それはもう!少なくとも私は大好きです」
ははあ、としきりに頷く龍宮の使い。考えてみれば、彼女はあまり地上に降りてこないものだから桃以外の食べ物が珍しいのかもしれない。
「とにかく、一度食べればわかることでしょう、ものは試しです」
それもそうですね、と衣玖が頷くのと新幹線がトンネルに入ったのはほぼ同時のことだった。
駅から少し離れた雑居ビルの三階にその店はあった。階段を上がったすぐ隣りのドアに下げられた『OPEN』の文字を確認して店内へ。
なるほど、あのスキマ妖怪もいい趣味をしている。
決して広いとはいえない店内の中は、暗めの照明と黒檀に似た艶やかさを持つカウンター席、そして店の奥にはピアノが置かれている。やはり人気の店なのか、立地が悪いにもかかわらず空席は殆ど無いが予約のお陰ですんなりと席に通された。肉の焼ける音と匂いに私の腹がきゅうと催促の音を上げる。
メニューを手渡され、隣に座る衣玖さんと一瞥。
「牛たん定食を、塩で」
即断即決。幻想郷最速は伊達じゃない。あと牛たんは塩に限る。
「じゃあ私も彼女と同じものをください」
かしこまりました、と愛想よく笑った店員が慣れた手つきで目の前の鉄板に肉を豪快に並べて焼き始める。とても舌とは思えないボリューム感。やはり本場はこうでなくては。
「……いいにおいですね」
隣を見れば熱に浮かされたような表情で肉の焼けるさまを見つめる衣玖。今度は新幹線内とは真逆に大人の色気を醸す横顔をしていた。
「天界にはない香りでしょうね。こんな妖怪の本能をくすぐるような匂いは」
鼻腔を通った香りがそのまま胃の中まで落ち込んできて余計に食欲を駆り立てられる。
匂いだけではない。鉄板の上でたてるジュウジュウという音、肉と鉄板の境界に溢れ出す肉汁の弾ける様、五感のほとんどが食欲を増幅させるために総動員され体全体が今か今かと飢えの満たされる時を待つ。
欲のない天界には、無縁の感覚だろう。
「……久しぶりです。こんなに食事が待ち遠しいのは」
「見れば誰にだってわかりますよ。衣玖さん、さっきからずっと鉄板に釘付けですからね」
「あら、はしたないところを見られてしまったようですね」
はにかんで口元を隠す衣玖。よっぽど何処かの不良天人よりも天人らしい。
「天子さんもそれぐらい淑女だとあなたも幾らか苦労しないで済むと思うんですけどね」
「総領娘様は、お転婆すぎるくらいでちょうどいいんですよ、きっと」
「あやややや。あなたの口からそんな言葉が出るとは、意外です」
ご本人の前では口が裂けても言えませんけどね、と衣玖は小さく肩をすくめる。
「もちろん私だって天子様には大人の女性らしく、不良呼ばわりされないご立派な天人らしくしていただきたいとは常日頃から思っています。あの方にも口を酸っぱくして言い聞かせていることでもあります」
「でもですね、私のどこかに総領娘様にはこのままでいてほしいと願う心もあるのです」
「我侭で、ひねくれてて、素直じゃなくて、その割には繊細なところもあって。どれをとっても天人らしくありませんが、どれが欠けても総領娘様らしくない。逆にこれらが総領娘様の魅力であるような気さえもします」
「言われてみれば確かに、天子さんほど付き合いやすい天人もいませんからね。天人らしくないということは、それだけ我々や人間に近いということになります」
「そう、だから総領娘様は今のままでちょうどいいのですよ、幻想郷にも多くの知己を得たようですし」
はて、知己、そんな方が天子さんにいらっしゃいましたかね、と惚けてみせたが衣玖はどこ吹く風だった。事実、私自身彼女のことは嫌いではない。むしろ好意を持って接している方だと思う。天人のくせに生意気なのが癪に障ることもあるが、ストレートでわかりやすい感情表現と絶えずコロコロと変わる豊かな表情に接していると素直に一緒にいて楽しくなる。なにより天性のトラブルメーカーである彼女はとんでもないネタを時としてもたらしてくれる。
来る者拒まず。幻想郷に根付くその精神が、現在の人妖入り交じる混沌とした状況の中でも楽園を楽園たらしめているのかもしれない。どことなくかの大妖怪の得意顔が目に浮かんできた、気がした。
「お待たせしました、牛たん定食です」
「ああ、どうも」
店員が大きめのおぼんを二枚運んできた。メインの牛たんをどっしりと中央に据え、つけあわせには白菜と胡瓜の漬物、大きめに刻まれたネギのスープと麦飯が並び、さも当然であるかのように添えられたとろろが心憎い。
「「いただきます」」
箸を手に取り、まずはとろろを軽くかき混ぜ麦飯の上にかけていく。器から流れ落ちるとろろがしっとりと麦飯の上に軟着陸しその裾野を広がっていく様がますます食欲をそそる。醤油をさっと回すようにかけ、そのまま箸でかきこむ。ほっと息をつきたくなるような優しい美味しさ。醤油と麦飯、とろろがちょうどよく口の中で混ざり合って絶妙な味と食感を生み出している。この舌の上でとろっふわっとした感じがたまらない。最初にとろろという名前をつけた方は間違いなく天才である。
「ではメインディッシュの方に……」
このままとろろご飯一気にかきこみたいところだがそれは愚かというもの。あくまで主役はこの牛たん。表面につけられた焦げ目と断面からのぞく赤みのコントラストだけで軽くご飯三杯はいけそうなものだ。分厚く大胆にカットされたうちの一切れを箸でつかみ、傍らにちいさく盛られた焼き塩にそっとつけて一口に頬張る。ああ、美味しい。口に入れた瞬間に肉の香りがいっぱいに広がり鼻腔をもとろけさせてゆく。このまま舌の上にのせておきたいくらいだが、そうもいかないのでゆっくりと、ゆっくりと噛みしめる。一噛み、二噛みとそのたびに次々と溢れだす自然と頬の筋肉が緩んでいってしまうのがわかる。これが本物の牛たんだ。間違っても人里の安い居酒屋で出すような、あんなペラッペラな安物では断じてない。
漬物も塩味がよくきいていて、牛たんを惜しみながら咀嚼したのどにはたまらない一品だった。ネギスープもあっさりとして箸休めにちょうどいい。スープをすすって一息つくといま自分が全力で幸せを感じているのがわかる。美味しい料理は、誰も彼もを幸せにするのだ。
「しあわせですねぇ」
「ほんと、そうですねぇ」
ぽやぽや。
幸福感に浸りながらとろろご飯からの流れをもう一周。美味い、ひたすらに美味い。かきこんだとろろご飯の柔らかい舌触りの中に、強烈なインパクトを持つ牛たんがアクセントとなり、漬物とスープがあと引く余韻を整える。完璧、完璧とも言える組み合わせだった。
私も衣玖さんも箸が止まらない。一切れ二切れと肉が消えていき、最後の一切れを口に入れたのはほぼ同時だった。
「「ごちそうさまでした」」
すっかりきれいになった皿を前に私は満足してお腹をなでる。ちょっと量が多かったような気もするが、大変に美味しかったので問題ではない。向かいに座る相方も非常に満足気な表情である。
「……外の世界も、いいものですね」
「こんなに美味しい料理が食べられるならこっち側に戻ってもいいような気もしてしまいますよ」
今回ばかりはあのスキマ妖怪に感謝ですね、と付け加えておく。再びいかにも得意そうな大妖怪の顔が浮かんだが、今度はすぐに消えた。そうだ、怠惰怠慢で打ち鳴らす彼女のこと、どうせ今回の件だって配下の式にやらせたに違いないのだ。いつぞやのように傘でビシバシと叩かれながら奴隷のように職務へ従事する九尾の狐のことを思うと心が痛む。
「動物虐待反対!」
何ですか急に、と冷めた瞳を向ける衣玖を尻目にやるせない気持ちになった私は会計を済ませてさっさと店を出た。
カシュン、カシュンと気の抜けたシャッター音に乗せて愚痴を垂れるもエメラルドグリーンのアヒルはなんの反応も返さない。そいつはただただ夕日の紅色が差し込むホームに黙して客の乗降を待つばかり。無機物と会話する趣味もないので喋られてもそれはそれで困りモノだが。
「私としては高層ビル群とか、ひたすらにごった返す人間の群れとか、そういういかにも"外界"な画がほしいんですけどねー」
カシュン、カシュン、かしゅん。
誰に向けたものでもない文句をぶちまけながらも、依頼された撮影対象――E5系新幹線――の姿を片膝をつきつつ前面から次々とフィルムに収めていく。いくら希望に沿わない内容だろうが、一度請け負った仕事は完遂しなければならない。最低限守るべき私のプライドである。それがたとえ閻魔のスカートを覗きに行くことでも。
「まあ、そうはいっても――」
「外の世界に連れ出されることになるとは、ですか?」
後ろからのかぶせるような声に少しだけ驚く。視界の端に夏らしい空色のワンピースがちらついていたのでわざわざ振り返るようなことはしなかった。
「衣玖さん、戻ってたなら早く言ってくださいよ」
「いえいえ、あなたがずいぶん楽しそうに新幹線とおしゃべりしていたようなので」
かしゅん、かしゅん。
あくまでシャッターを切る手は止めずに苦笑いでその場を濁す。アンタガ『撮れ』ッテイッタンデショーガ、という抗議の言葉をかろうじて喉元に押し込めることには成功した。天然に意地が悪いというのは中々やっかいである。
「それで、そちらの用事はお済みになったんですか?」
「ええ、おかげさまで」
ほら、と彼女は手に持った紙袋から何かを取り出してみせた。薄くて白っぽい煎餅のようだ、というより煎餅だ。
「ああ、これが南部せんべいなんですね。この地方の名物と聞いていましたが」
「そのようです。店員のお婆さんが話してくださったことによると昔の天皇がお食べになったものが始まりのようです」
へぇ、と軽く感心して薦められるままに一口かじってみる。見た目通りのパリっとした食感と香シンプルな味わい……?いや、これはほとんど味がしない。駄菓子屋のソースせんべいをソース無しで食べているような気になってきた。
「え、あの、衣玖さん、これ全然味がしないんですけど」
「それはそうかもしれませんね。本当は醤油仕立ての汁に入れていただくものらしいので」
「そういうことは早く言ってくださいよ」
「でもわたしはこの味のなさが好きなので文さんもきっと大丈夫だろうと思ったんですよ」
私の同僚たちにも好評ですし、と全く悪びれる様子のない龍宮の使いに軽く頭痛を覚えてこめかみを押さえる。こんな天然魚としばらく外の世界ですごさなければならないことに一抹どころではない不安を感じた。
「まあいいです、とりあえずそろそろ時間のようですし乗りましょうかこいつに」
指し示す先には、当然あのエメラルドグリーンのアヒル顔。沈みかけの最後の陽の光を反射する車体が美しく映える。締りがない面構えだと思っていたが、こうしてみるとどうしたものか急に頼もしく見えた。
幻想デスティネーションキャンペーン
どうしてこんなことになったのか。一言にすれば、利害が一致したということだ。
ネタがほしい鴉天狗と、鉄道好きな龍宮の使いと、幻想郷を開発したい山の神と、とにかく暇だったスキマ妖怪と。
他者多様の希望が一番簡潔に実現できる形がたまたまこの外界旅行だっただけで。
鉄道の写真がほしい、とせがまれた時にはここまで話が大きくなるとは考えもしなかったことではあるが。ネタになるかもしれないからといって安請け合いすることは大変危険であることは身を持って学んだ。
「でもまあ、たまにはこーいうのもいいかもしれませんねぇ」
「何の話ですか?」
「いえ、こちらの話です」
向かいに座ってかわいらしく首をひねる龍宮の使いに小さく手を振ると、彼女はすさまじい速度で過ぎ去っていく外の景色を鑑賞する作業に戻った。暗くなりだいぶ見えづらいがそれでも楽しいのだろうか。身をわざわざ横に向けて、あんなに子供みたいな笑顔をして。ノースリーブで空色のワンピースが見せる幻想か、ますます子供っぽく見えてしまう。隣の空席に置かれた白い帽子がまたいじらしい。幻想郷で普段見かける羽衣とは違う"外行き"の格好はあまりに新鮮にすぎた。私が普段とそれほど変わらない格好をしているというのも大きいかもしれない。
(っと写真、写真……)
見惚れる前にシャッターを切れ、というのが人物写真を取る上での鉄則である。もっともこの場合、シャッター音で被写体に気づかれることが問題だが。
パシャリ。
「無許可で他人の写真を勝手に撮るのはあまり感心しませんね」
「失礼しました。あまりに絵になっていたもので」
おだてても無駄ですよ、と肩をすくめてみせる彼女を不意打ちでパシャリ。
「そういえば天狗に写真を撮るなというのは総領娘様に我侭は止めろということと同じくらい無駄なことでしたね」
「お分かりいただきありがとうございます」
呆れたようにため息をひとつ。芝居がかっているので本気で怒ってはいないでしょう。多分。
「そんなことより今は、こっちですね」
衣玖にむりやり襟元を捕まえられるようにしてて窓の外を見る。日はすでに沈みきっており視界の殆どは黒くそびえ立つ山に占められていた。
「こんなに暗くては何も見えないですよ」
「違いますよ、そろそろですから……ほら!」
二人仲良く夜の窓をのぞきこむが私にはやっぱりなにも見えない。認められるのはせいぜいやたら川幅の大きい川の上を通っていることくらいか。
「あの衣玖さんやっぱ何も見えないです」
何を呆けたことを、とでも言いたげな憮然とした、しかしちょっと小馬鹿にしたような表情で衣玖はわざとらしく両手を広げて高らかに宣言した。
「いま!私達は!日本一長い鉄道橋を通過しているのです!!」
「はいはい他のお客さんの迷惑になりますから声を落としてくださいねー」
「なんでそんな無感動なんですか!」
なんでと尋ねられても暗くてわかりづらいからとしか答えようがない。たとえ昼間通ったとしてもそんなに感動しないだろうと断言できるが。
「別に私は日本一長い鉄道橋とやらに興味はありませんからね。どうせなら日本一長い"鉄道橋"より"橋"をフィルムに収めたいものです」
「ああ、かわいそうに。ナンバーワンにとらわれてオンリーワンの心を忘れてしまっているのですね」
「いやどっちにしろナンバーワンですから」
「ナンバーワンにならなくてもいい♪」
「適当な歌でごまかさないでくださいよ」
むーっとむくれる衣玖。やはり当社比七割増で子供っぽい。というか可愛い。すかさず写真に収めようとするが伸ばした腕に押さえられてしまった。 しかたがないので話題を変えることにする。
「そんなことより、次の駅は何時くらいにつくのですかね」
「予定では17時29分ですよ」
「その後は?」
「紫さんが市内に夕食の店を予約してくださっているようですよ。なんでも牛たんがおいしいとか」
牛たん。
想像しただけでよだれが出てくる。あの肉厚でしっかりした歯ごたえと、噛めば噛むほどに出てくる肉そのものの味がたまらない逸品である。もっぱら酪農メインの幻想郷ではそれなりに貴重なシロモノでもある。つまり牛たんの食レポをすればそれだけで記事が一つ書ける。これを一石二鳥とせずになんとするか。
「ううむそれは俄然楽しみになってきましたよ」
「そんなに美味しいものなのですか。その牛たんというのは」
「それはもう!少なくとも私は大好きです」
ははあ、としきりに頷く龍宮の使い。考えてみれば、彼女はあまり地上に降りてこないものだから桃以外の食べ物が珍しいのかもしれない。
「とにかく、一度食べればわかることでしょう、ものは試しです」
それもそうですね、と衣玖が頷くのと新幹線がトンネルに入ったのはほぼ同時のことだった。
駅から少し離れた雑居ビルの三階にその店はあった。階段を上がったすぐ隣りのドアに下げられた『OPEN』の文字を確認して店内へ。
なるほど、あのスキマ妖怪もいい趣味をしている。
決して広いとはいえない店内の中は、暗めの照明と黒檀に似た艶やかさを持つカウンター席、そして店の奥にはピアノが置かれている。やはり人気の店なのか、立地が悪いにもかかわらず空席は殆ど無いが予約のお陰ですんなりと席に通された。肉の焼ける音と匂いに私の腹がきゅうと催促の音を上げる。
メニューを手渡され、隣に座る衣玖さんと一瞥。
「牛たん定食を、塩で」
即断即決。幻想郷最速は伊達じゃない。あと牛たんは塩に限る。
「じゃあ私も彼女と同じものをください」
かしこまりました、と愛想よく笑った店員が慣れた手つきで目の前の鉄板に肉を豪快に並べて焼き始める。とても舌とは思えないボリューム感。やはり本場はこうでなくては。
「……いいにおいですね」
隣を見れば熱に浮かされたような表情で肉の焼けるさまを見つめる衣玖。今度は新幹線内とは真逆に大人の色気を醸す横顔をしていた。
「天界にはない香りでしょうね。こんな妖怪の本能をくすぐるような匂いは」
鼻腔を通った香りがそのまま胃の中まで落ち込んできて余計に食欲を駆り立てられる。
匂いだけではない。鉄板の上でたてるジュウジュウという音、肉と鉄板の境界に溢れ出す肉汁の弾ける様、五感のほとんどが食欲を増幅させるために総動員され体全体が今か今かと飢えの満たされる時を待つ。
欲のない天界には、無縁の感覚だろう。
「……久しぶりです。こんなに食事が待ち遠しいのは」
「見れば誰にだってわかりますよ。衣玖さん、さっきからずっと鉄板に釘付けですからね」
「あら、はしたないところを見られてしまったようですね」
はにかんで口元を隠す衣玖。よっぽど何処かの不良天人よりも天人らしい。
「天子さんもそれぐらい淑女だとあなたも幾らか苦労しないで済むと思うんですけどね」
「総領娘様は、お転婆すぎるくらいでちょうどいいんですよ、きっと」
「あやややや。あなたの口からそんな言葉が出るとは、意外です」
ご本人の前では口が裂けても言えませんけどね、と衣玖は小さく肩をすくめる。
「もちろん私だって天子様には大人の女性らしく、不良呼ばわりされないご立派な天人らしくしていただきたいとは常日頃から思っています。あの方にも口を酸っぱくして言い聞かせていることでもあります」
「でもですね、私のどこかに総領娘様にはこのままでいてほしいと願う心もあるのです」
「我侭で、ひねくれてて、素直じゃなくて、その割には繊細なところもあって。どれをとっても天人らしくありませんが、どれが欠けても総領娘様らしくない。逆にこれらが総領娘様の魅力であるような気さえもします」
「言われてみれば確かに、天子さんほど付き合いやすい天人もいませんからね。天人らしくないということは、それだけ我々や人間に近いということになります」
「そう、だから総領娘様は今のままでちょうどいいのですよ、幻想郷にも多くの知己を得たようですし」
はて、知己、そんな方が天子さんにいらっしゃいましたかね、と惚けてみせたが衣玖はどこ吹く風だった。事実、私自身彼女のことは嫌いではない。むしろ好意を持って接している方だと思う。天人のくせに生意気なのが癪に障ることもあるが、ストレートでわかりやすい感情表現と絶えずコロコロと変わる豊かな表情に接していると素直に一緒にいて楽しくなる。なにより天性のトラブルメーカーである彼女はとんでもないネタを時としてもたらしてくれる。
来る者拒まず。幻想郷に根付くその精神が、現在の人妖入り交じる混沌とした状況の中でも楽園を楽園たらしめているのかもしれない。どことなくかの大妖怪の得意顔が目に浮かんできた、気がした。
「お待たせしました、牛たん定食です」
「ああ、どうも」
店員が大きめのおぼんを二枚運んできた。メインの牛たんをどっしりと中央に据え、つけあわせには白菜と胡瓜の漬物、大きめに刻まれたネギのスープと麦飯が並び、さも当然であるかのように添えられたとろろが心憎い。
「「いただきます」」
箸を手に取り、まずはとろろを軽くかき混ぜ麦飯の上にかけていく。器から流れ落ちるとろろがしっとりと麦飯の上に軟着陸しその裾野を広がっていく様がますます食欲をそそる。醤油をさっと回すようにかけ、そのまま箸でかきこむ。ほっと息をつきたくなるような優しい美味しさ。醤油と麦飯、とろろがちょうどよく口の中で混ざり合って絶妙な味と食感を生み出している。この舌の上でとろっふわっとした感じがたまらない。最初にとろろという名前をつけた方は間違いなく天才である。
「ではメインディッシュの方に……」
このままとろろご飯一気にかきこみたいところだがそれは愚かというもの。あくまで主役はこの牛たん。表面につけられた焦げ目と断面からのぞく赤みのコントラストだけで軽くご飯三杯はいけそうなものだ。分厚く大胆にカットされたうちの一切れを箸でつかみ、傍らにちいさく盛られた焼き塩にそっとつけて一口に頬張る。ああ、美味しい。口に入れた瞬間に肉の香りがいっぱいに広がり鼻腔をもとろけさせてゆく。このまま舌の上にのせておきたいくらいだが、そうもいかないのでゆっくりと、ゆっくりと噛みしめる。一噛み、二噛みとそのたびに次々と溢れだす自然と頬の筋肉が緩んでいってしまうのがわかる。これが本物の牛たんだ。間違っても人里の安い居酒屋で出すような、あんなペラッペラな安物では断じてない。
漬物も塩味がよくきいていて、牛たんを惜しみながら咀嚼したのどにはたまらない一品だった。ネギスープもあっさりとして箸休めにちょうどいい。スープをすすって一息つくといま自分が全力で幸せを感じているのがわかる。美味しい料理は、誰も彼もを幸せにするのだ。
「しあわせですねぇ」
「ほんと、そうですねぇ」
ぽやぽや。
幸福感に浸りながらとろろご飯からの流れをもう一周。美味い、ひたすらに美味い。かきこんだとろろご飯の柔らかい舌触りの中に、強烈なインパクトを持つ牛たんがアクセントとなり、漬物とスープがあと引く余韻を整える。完璧、完璧とも言える組み合わせだった。
私も衣玖さんも箸が止まらない。一切れ二切れと肉が消えていき、最後の一切れを口に入れたのはほぼ同時だった。
「「ごちそうさまでした」」
すっかりきれいになった皿を前に私は満足してお腹をなでる。ちょっと量が多かったような気もするが、大変に美味しかったので問題ではない。向かいに座る相方も非常に満足気な表情である。
「……外の世界も、いいものですね」
「こんなに美味しい料理が食べられるならこっち側に戻ってもいいような気もしてしまいますよ」
今回ばかりはあのスキマ妖怪に感謝ですね、と付け加えておく。再びいかにも得意そうな大妖怪の顔が浮かんだが、今度はすぐに消えた。そうだ、怠惰怠慢で打ち鳴らす彼女のこと、どうせ今回の件だって配下の式にやらせたに違いないのだ。いつぞやのように傘でビシバシと叩かれながら奴隷のように職務へ従事する九尾の狐のことを思うと心が痛む。
「動物虐待反対!」
何ですか急に、と冷めた瞳を向ける衣玖を尻目にやるせない気持ちになった私は会計を済ませてさっさと店を出た。