Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

授業料は安くない

2014/07/05 00:31:17
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 それから数日が経ったある日、買出しのために里の往来を歩いていた雲居一輪は、憎むべき寺の論敵――鬼人正邪氏が、偶然にも、目の前の狭い路地から出てくるところにばったり鉢合わせてしまったのだが、幸いなことに、先方は両手を洋服のポケットに突っ込み、まるでつい今しがたギャンブルで有り金を全部すってしまったような忌々しいしかめ面で、不機嫌そうに唇を前に突き出し、何かしきりにぶつくさと独り言をつぶやきながら、大またの早足でずかずかと通りを横切り、すぐにまた別の路地に入ってしまったので、氏自身も、その取り巻きと思しき数人の若者たちも、一輪がいることに全く気付かなかった。
 彼女は逡巡した。〈声をかけようか? でも何て? 復讐するチャンスじゃない? でもどうやって?〉。この事態にどう対処していいか分からず、かといって、この好機をみすみす見逃すこともできない彼女は、こっそりと氏の跡を追って、見つからないように用心しながら、狭い路地に入っていくのだった。〈ちぇッ、いったい私は何をしようとしているのかしらん。これじゃまるで密偵だわ!〉彼女は心の中で悪態をつきながら、途中で気付かれたらどうしようとか、アジト――仮にそんなものがあればの話だが――を突き止めたらその後どうしようとか、そんなことばかり考えていたが、結局妙案は浮かばなかった。
 やがて路地を抜け、何度目かの辻を曲がり、比較的大きな通りに出たところで、彼女はふいに誰かに自分の名を呼ばれた気がして、身震いして立ち止まった。彼女は恐るおそる声のする方にゆっくりと視線を向けたが、そこに人影らしきものは見えなかった。
「こっちだよ」と今度ははっきりと声が聞こえた。
 彼女は視線を上げた。通りに面した居酒屋の壁に『悔い改めし自由思想家』と書かれた看板――それがこの店の名前らしい――が掲げられていたが、その上にある二階の小さな窓越しに見知った顔が見えた。ナズーリンだった。
 ナズーリンは何やら手招きしながらしきりに彼女を誘っているのだった。
 彼女は躊躇した。このまま尾行を続けるか、ナズーリンの誘いに応じるか、選択しなければならなかった。彼女は再度通りの先に視線を向けたが、氏のうしろ姿はもう見えなくなっていた。彼女はため息をひとつ吐くと、右手を軽く上げてナズーリンに合図を送り、小走りで往来を横切り、居酒屋の暖簾をくぐり、紫色の頭巾をかぶった尼僧が突然飛び込んできたので驚いたヤギみたいな表情のまま唖然としている店主を尻目に、店の奥にある急勾配の狭い階段で二階へのぼった。窓際の席にナズーリンがいた。
 このナズーリンという人物は小柄で、一見子供のようにも見えたが、その鋭い眼光と、どこか人を小馬鹿にしたような識者ぶった態度と、「きみらの知らない真実を私はいくつも知っているのさ」とでも言いたげな訳知り顔の微笑が、この人物が見た目よりも遥かに年長であることを物語っていた。
 テーブルには、明らかに焼きすぎて片面が真っ黒になっためざしが数尾盛られた皿と、お銚子ちょうしと、さかずきが並べられていた。およそ僧侶とは思えないこの人物は、堂々と獣肉を喰らい、酒を飲むのだった。以前、この人物が何か「鉱脈を探す」だとか「先行投資」だとか、いかにも山師めいた言葉を並べて周囲の人々から小銭を集めているところを、一輪は見たことがあった。今は無縁塚の近くに小屋を建てて住み着き、拾った鉄屑を金にかえて生活しているのだった。
 テーブルの向かいの席に腰を下ろした一輪が言った。「肉食にくじきに飲酒ですか、それも昼間から、あなたも一応僧侶でしょうに」
「いけない、拙僧せっそうも一応は坊主だったね」ナズーリンは《一応》の部分を強調して言うと、悪びれる様子もなく美味そうに酒を一口飲んで、続けた。「明日からは心を入れ替えることにするよ。それより、浮かない顔だね、きみ?」
「あなたには関係のないことです」一輪はぴしゃりと言った。彼女は窓の外――ちょうど氏が歩き去った通りの方向にちらと目を向け、すぐにまた室内に視線を戻した。
 ナズーリンは見透かすように、わずかに目を細めて言った。「ほら、こないだ、寺に来てたろ、名前なんて言ったかな。えーと、真偽じゃない、善悪? ちがうな……」
 彼女は人差し指をこめかみに当てて考えていたが、これは演技だった。この人物はなかなかに抜け目のない性格で、相手の口から名前を言わせて、その反応を探るために、わざと思い出せないふりをするのだった。狡猾な人たちは日常のちょっとした会話の中にも、しばしばこうした策を巡らすのである。
「正邪……ですか?」と口にした一輪の表情がわずかに曇るのを、ナズーリンは見逃さなかった。
「そう、それ!」ナズーリンは箸で一輪を指しながら言った。「あれは傑作だったね」
「あの場にいらしたのですか!」一輪は顔に驚愕の色を浮かべながら言った。
「見てたよ。一部始終ね」
「ならどうして加勢してくれなかったんです!」
「どうして加勢しなきゃならないのさ?」
「我々は侮辱されたのですよ?」
「侮辱されたのはきみのお師さんだろ?」
「あなたも弟子でしょうに!」
「あッ!」とナズーリンは思い出したように声を上げた。「そう言えば、拙僧も弟子だったね。最近物忘れがひどくていけない。でも、まあ」と彼女は続けた。「面白いじゃないか。青二才が口先ひとつで既存の権力に喧嘩売ろうっていうんだ。ああいうの青春って言うんだぜ?」
 彼女は長年飲み続けた強い酒によってのどを焼かれた老人のようにしゃがれた短い笑い声を上げた。
「面白がってる場合じゃありませんよ!」一輪は呆れた調子で声を上げた。「あの日以来寺を訪れる人がめっきり減ってるんです。きっと里で変な噂が広まっているんですよ!」
「噂になるってことは、やっぱり面白いんじゃないか! 話題を提供できたのなら結構なことだと思わんかね、きみ?」
「ちっとも結構じゃありません! これは、寺の名誉に関わることです! 醜聞です! いったい何の目的でこんなひどいことをするんですかね! いったい私たちにどんな恨みがあるっていうんですかね!」
「きみたちは、ほんと人の心ってものが分かってないなあ」ナズーリンは空になった杯を手酌で満たしながら言った。「人様が後生大事にしているものを、あの小娘はいとも簡単にひっくり返してしまうんだ。これが面白くなくて、いったい何が面白いっていうのさ?」
「あの子は不幸です!」一輪は祈るような仕草で言った。「他人の痛みを知らない子はみな不幸です!」
「悲劇は喜劇なんだ」とナズーリン。「真面目に悲しんだり憤慨したりしてるのは当人だけで、はたから見たらみんな滑稽なんだよ。だから他人の不幸は見ていて飽きない」
「とても聖職者とは思えない発言ですね」
「《一応》だからね。きみたちはアレだ。寺にこもって修行ばかりしてるから、そこらへんの大衆心理というものがとんと理解できてない。いいかい、大衆は俗なもの、卑猥なもの、思わず目を背けたくなるほど醜悪なものの中に一粒の黄金を見つけ出すものなんだ。大衆を理解したかったら、まず俗なものに触れることさ。寺から出て、額に汗して働いてみるがいい」
「それじゃまるで私たちが引きこもりか何かで、まともに働いてないみたいじゃないですか」
「《みたい》じゃなくて、実際そうだろ? きみたちの仕事は内向きのもので、外に向いてない。人様の役に立たないものは労働とは呼べない。寺は世間の俗気から逃れるための避難所さ、あんなところに閉じこもって、労働もせずに夢想ばかりして、それで悟りが開けるもんか」
 一輪の目がきらりと光った。
「まるでご自身は悟りを開いたことがあるような口ぶりですね」
 ナズーリンは人を小馬鹿にした態度で鼻を鳴らした。
「悟りくらい何度も開いてるよ。先日は雪隠せっちんで用を足している最中に悟ったし、その前は確か里の何とか言うイカサマ師を数人の里人たちといっしょにこてんぱんにのしてやった後に突然悟った。日に三度悟ったことだってある」
 まるで説得力のないこれらの話を聞き流し、目の前の酒と料理を見ながら一輪が言った。「とても煩悩を捨てきれているようには見えませんね」
「きみたちみたいに『あれは駄目、これは不要』と言って切り捨てたりしないだけだよ。煩悩だって何かしら必要があってこの世に《ある》んだ。なら簡単に切り捨てちゃいけない、違うかね?」ナズーリンはめざしの一尾を箸でつまみ上げながら続けた。「俗世はこの焼き過ぎためざしみたいなものさ。きみたちはコゲが気に入らないと言って身の半分をこそげ落とそうとする。拙僧は好き嫌いはしない。尻尾の先まで美味しく頂くのさ」
 ナズーリンは大きく口を開けて、めざしを頭からばりばりと美味そうに咀嚼した。それから、また彼女は飲みさしの酒を一息にあおると、新しい酒をついで杯を満たし、それを一輪の鼻先に突き出した。彼女は上目遣いの鋭い視線で一輪の目を見据えながら、いくぶん威圧感のある低い声で言った。「いいかい、戒律というのは破ることに意味があるんだ。戒律は自分でものを考えられない弱い連中のためにあるのさ。戒律に従って生きてる限り自分に罪はありませんってね。この杯を満たすのは酒じゃない。これは罪だ! 自由だ! そして責任だ! きみらが毛嫌いする俗悪そのもので、悟りに至るための劇薬だ!」
 一輪はナズーリンから杯をひったくるようにして、杯の中をのぞき込み、逡巡し、もう一度ナズーリンの挑戦的な表情を確認してから、意を決したように、一息にそれを飲み干した。
「いいぞ! 飲んだな? これできみも同罪だ。このことはお師さんに内緒だぜ? 拙僧が怒られるからな」
 実際のところ、一輪が戒律を破るのはこれが初めてではなかったが、それでもナズーリンは意地の悪い笑みを顔いっぱいに浮かべて大げさに喜んでみせた。
 ナズーリンは給仕を呼び、もう一つ杯を用意させ、一輪と自分の杯に酒をつぎながら言った。「で、きみはあの小娘の跡をつけて、その後どうするつもりだったんだい?」
 一輪の顔がさっと赤くなった。
「知ってて声をかけたんですか!」
「最初小娘の姿が見えてね、声をかけようと思っていたら、そこにまるで後ろから角材で殴りつけようか、それとも濡れ手ぬぐいで絞め殺そうか、いや、ぜひとも絞め殺してやらなくちゃいけない、断じてそうすべきだと思案しているような、恐ろしい形相のきみが現れたってわけさ」
「そんな恐ろしいこと!」一輪は叫びながら顔の前で激しく両手を振った。「私はこれっぽっちも考えちゃいませんよ!」
 もちろん、尾行中の彼女がそんな物騒なことを考えていたわけはないのだが、実のところ、彼女の心の奥底に、何か罪を犯しているような、うしろめたい気持ちがあったのは事実で、ナズーリンに声をかけられた時、彼女は内心ほっとして、救われた気持ちになっていたが、そのことを隠そうとして、彼女はいっそうムキになって否定するのだった。
「まあ、そうムキになりなさんな。きみは小娘を殴り倒したかもしれないし、殴り倒さなかったかもしれない。どっちだって構やしないさ。どの道なるようにしかならないんだ。『なるようになれ』だ。見たまえ」と言ってナズーリンは懐から財布を取り出すと、がま口を開けてテーブルの上に逆さにして振った。ニ枚の銅銭――居酒屋で飲み食いするには明らかに少なすぎた――が音を立てて転がり出た。それから何かの四つ折にされた小さな紙片がテーブルの上に落ちた。彼女は続けた。「金はない。でも、どうしても酒が飲みたい。『まあ、なるようになるさ』そう思って飲んでたら、偶然きみが通りかかった」
「じゃあ、あなたはこの店の勘定払わせるために私を呼び止めたんですか!」一輪は呆れ顔で声を上げた。
「仏のお導きに感謝しないとね」
「私が拒否したらどうするつもりで……また『なるようになれ』ですか?」
「分かってきたじゃないか、きみ!」
 結局のところ一輪は、ある時は悟りを開いたとうそぶき、またある時は居酒屋で飲み代をせびり、誰はばかることなく毘沙門天の遣いを自称し、時に里のゴロツキ連とつるんで悪徳にふけり、同じ門弟でありながら協調性がなく、修行にも加わらず、堂々と戒律を破り、それでも破門されないこの年齢不詳の奇怪な人物のことがどうにも理解できないでいるのだった。彼女はたずねた。「ずいぶんと刹那的なんですね。あなたは運命論者ですか?」
「《先のことが分からない》のと《先のことがあらかじめ決まってる》のはまた別の話だよ。刹那的ってのもちょっと違うね。刹那的に生きる連中は世界を信じてない。拙僧はすべてを信じているんだよ。コゲも含めてね」そう言ってナズーリンはめざしの最後の一尾をたいらげた。
「すべてを信じる……ですか」一輪が重苦しい口調でたずねた「それが悟りですか?」
「言葉で説明できるようなものじゃないよ」とナズーリンは答えた。
 そこでまた真面目な一輪は黙り込み、深く考え込んでしまった。
「どれ、ならヒントをあげよう。目を閉じたまえ。そして不動明王の真言を心の中でゆっくりと十回唱えるんだ。目を開けた時、この世の真実がもう少しはっきり見えるはずさ」
 一輪は言われるままに目を閉じ、心の中で真言を唱え始めた。
 再び目を開けた時、ナズーリンの姿は消えていた。食い散らかした皿と、空になった杯と、二枚の銅銭と、四つ折にされた小さな紙片だけがテーブルの上に残されていた。
 紙片を拾い上げて、それを読んだ彼女は心の中で断定した。〈あいつはペテン師ね!〉
 紙片にはこう書かれていた。

 『お勘定よろしく』
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
ナズがかっこいいのが何か悔しい、寺組の人達も頑張って欲しいものです
2.名前が無い程度の能力削除
いい詐欺師っぷりじゃあないか
3.名前が無い程度の能力削除
面白い、この世界観の東方キャラをもっと見てみたい
4.名前が無い程度の能力削除
同じようにひとをたぶらかすことを言っていても、ナズだとやはり安定感がありますね
我らが正邪君のような、いつ、どっちに転ぶかわからないスリルを感じられない