Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

四畳半怪異大系

2014/07/03 07:19:53
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 今年の梅雨は八月に差し迫る勢いで長引いた。
 やっとのことで明けただろうと確信できたのが七月二八日、霊夢は庭に出て訪れた夏を踏みしめた。
 日差しは暑く、手ぬぐいを頭に掛け午前いっぱい掃除をしたが、汗だくになってしまった。
 縁側に座っていると夏めいた風は爽快で、気分も幾分晴れた心地がした。
 空気を吸っていたら、目の前を小さな不吉な影が横切った。
 夏になると多くの人を不快にさせるという虫。蚊だ。
 梅雨が終わって、本格始動するだろう。
 霊夢はぼんやり空を仰ぎ、見えない時節に目を凝らす。
 例年ではもう吊っている頃だ。長引いた梅雨であまり見かけなかったが、これからは蚊も他の虫も増えるだろう。

 蚊帳はその昔、陰陽師が吉日を占い、その日に掛けたそうだ。
 神事で蚊帳を垂らし、里の人はその日以降でないと蚊帳を出さないという所もあると聞く。
 勿論、幻想郷にそこまでのルールは無いが、蚊帳というのは吊るタイミングも重要なのだ。
「よし」
 霊夢は座敷の方にあがって、まず暦を確認してみた。
 この暦は香霖堂に有った物で陰陽道でも使う十二直が載っている。
 しかも三年分の日付が有って。鬼が見たら笑い死ぬんじゃないかという珍品だ。
 今日は七月二七日なので十二直なら『閉』。あんまり良い日でも無い。
 近々で言えば三十日が良さそうだ。十二直は吉日ともされる『満』。

 日付は決めたので、今度は押入れから蚊帳を取り出してきた。
 座卓を端に立てかけ、申し訳程度にゴミを払ってから畳の上に広げて伸ばす。

 霊夢が思ったより蚊帳の状態はずっと悪かった。
 ずっとあった物で非常に古い。色は明らかにくすみ、網目が広がっているところもある。
 去年まで大事に使っては来たが、これの中ではとても安心とは思えなかった。
 そろそろ換え時だ。

 霊夢は腕を組んでしばし悩む。蚊帳は結構高いのだ、出来合いを買うのは避けたいところ。
 だからといって一から平織りしていたら何ヶ月掛かるかわかりゃしない。蚊帳生地を買って縫製するのが妥当だ。

 ならせっかく天気も良いし、生地は今日買ってきてしまおう。
 そう思い立ち、霊夢は蚊帳ほひとまず座卓に掛けて、がま口片手に里に向かった。


 里は普段に比べると外に出ているが多かった。梅雨が明けて、ようやく息継ぎができたという人も多いようだ。
 他に用もないので霊夢はすぐさま蚊帳生地を探したが、呉服屋や雑貨屋に行っても見つからない。
 霊夢は往来で頭を掻いた。蚊帳の様な作るのが大変なものは、講組を作って皆寄り集まって作る事も多いのだ。むしろ普通かもしれない。
 里でもあまり買うものでは無いのかもしれない。そうなると霊夢が手に入れることは難しい。

「巫女じゃあ無いか、今日は珍しく買い物かの?」
 棒立ちでいる霊夢の前に、マミゾウがひょっこり現れた。
 やけに整った傘を持っているのは、続いた雨で壊しでもしたか。
「蚊帳の生地を探しているのよ、中々無くてね」
「ほう、蚊帳講があるから中々見つからなかろうて」
「そうなのよね、出来合いの物は結構するし、生地だけ欲しいんだけど」
「お前さんは講には入っとらんのか? 念仏講や金貸しの頼母子(たのもし)講とか、ねずみ講とか」
「里にはあまり来ないし……その三つを私がやってるわけ無いでしょ」
「ああ、お主が入れるのは無礼講くらいじゃったか?」
「しょうがないから、あんたの仲間を生地に化けさせて縫い合わせようかなぁ」
「こらこらお伽話でもそんな酷いことはせんぞ。ちょっとした冗談じゃ」
 眉を吊り上げる霊夢にマミゾウはわざらしく顔を緩ませる。
「里ではお目こぼししてもらっとるしな、儂が口利きしてやろう」
「そんなことできるの? 何か癪だけど、お願いしようかしら……」
 自分より里に通じているマミゾウに衝撃を受けつつ、霊夢としてはありがたい。
 マミゾウが「まかせろい」と二つ返事すると下駄の音軽快に歩き出したので、霊夢も小走りで付いて行った。

 そのまま呉服屋に入ると、手早く蚊帳生地を売ってくれる様に取り繕ってくれた。仲が良い風でも無いが、顔見知りでは有るようだ。
 蚊帳がなくて困っていると霊夢が伝えると、店主は快く生地を持ってきた。既に裁断した物があるらしくそれで良ければと言う。
 霊夢は頭を下げ、生地を手に取って見つめる。
「やっぱり新品は目も綺麗だし、涼やかね」
「見事な萌黄じゃなぁ」
 断る理由などない。その場で決めた代金を支払って、生地は風呂敷にしまって、手に下げた。
 もう一度お礼を言ってから霊夢は呉服屋を後にした。

 往来を二人歩いていると、マミゾウは傘を閉じたまま肩に掛け、興味深そうに問う。
「蚊帳が壊れてしまったのかの」
「古くって、それにだいぶ汚れてきちゃったのよ。蚊帳って洗えないのが玉に瑕よね」
「ふむ。外では絡み織と言って洗える蚊帳もあったのじゃが、まだこっちでは見てないの」
「ふーん、蚊帳は外でも現役なのね」 
「そうとも言えんが……。そうだ、蚊帳といえば最近蚊帳吊り狸が出てくると、里の連中が言っておってな」
 マミゾウは肩を傘で叩きつつ、思い出したように言う。
「あんたの仲間じゃないのそれ」
「まさか。狸合戦があったりした所の怪異じゃから、狸と直結しているんじゃ。狸とは関係なかろう」
「胡散臭いなぁ……」
「狸の仕業と言われると気分が悪いから頼むんじゃよ、仲間なら巫女になんて言わん」
 それもそうか。霊夢は買った蚊帳生地を見てから頷いた。
「まぁ、居たら懲らしめておくわ。確か丹田に力を込めて、三六枚目めくると出られるのよね」
「そうじゃ。里の外に出る連中は抜け方を知っておるし、そもそも見ても入らん。捕って食うようなやつ奴でもない。できたらで構わんぞ」
 マミゾウは蜂の巣ができた位の調子で言ってる様だが、霊夢としても放っておきたくは無い。
「なんか特徴とかある? 見た目が変とか、喋るとか」
「外に蚊帳があって見た目が変も何もあるか……じゃが、丈夫そうな蚊帳だったと言っておったかの」
「丈夫そう、ね」
 霊夢は言葉にして頭の片隅に置いた。
「まぁ、お前さんなら怪異の方から寄ってくるかもしれんな」
「何言ってんのよ」

 マミゾウは言いたいことが言い終わると、手をひらひらさせ里の中に消えていった。
 霊夢は折角だからと鈴奈庵に立ち寄り、少し迷惑そうにする小鈴を無視し、本を読み倒した。三十日までに蚊帳を作るのだから早く帰った方が良かったかな、と気がついたのは日が沈み始めた頃だ。

 有明の月が昇る空の下、博麗神社に向けて飛んでいると、あろうことか神社へ続く林道に蚊帳が吊られているのが目に入る。
 そんなまさかと思いつつ、霊夢は蚊帳の前に降り立った。
 明らかに怪しい萌葱の空間。聞いた蚊帳吊り狸と見て間違いなさそうだ。
 マミゾウの言うことが的中していて戸惑うが、この道を塞がれるのは面倒だ。神社に来ようとする人は確実に減るし、変な噂を立てられても困る。
 攻撃して追っ払おうとしたが、中に人が居たら危険だ。霊夢は中を確認すべく蚊帳を捲った。

「誰かいる? 居たら返事してね」
 強めの声で応答を求めるが、返答は無い。奥の蚊帳を捲ってみると、そこもまた蚊帳だった。
 となればもう戻ろうが、左右に行こうが蚊帳の中だ。
「実際こういう事されると気分悪いわね……」
 ぶつぶつ言うと霊夢はお腹に力を込める。要は臍下丹田というわけだ。
 そのまま黙って一枚、二枚と蚊帳を捲って行った。

「これで三十六枚、と」
 霊夢は軽やかに蚊帳を捲る。
「ん?」
 その先もまだ蚊帳の中だった。
 首を捻りつつ数え間違えたと自分を納得させ再び捲ってみる。
「うーん?」
 何故か外に出られなかった。
 霊夢は取り敢えず心を入れ替えたつもりで一から順に捲り直したが、それでも出ることができない。
 ただ事じゃないと思い、霊符を放って蚊帳を破ってみたが出られず。完全に閉じ込められたらしい。

 今度は蚊帳に札を貼ったりしてみたが、効果は見られない。
 そのついでに蚊帳を触ってよく見た。すると網目が普通の蚊帳と違う事に気がついた。
 蚊帳は普通、縦と横の糸を上下にくぐらせて行く平織りで、糊で固めてある。
 でもこの蚊帳は、縦糸が二本を捩って一本にしていて、その捻れに横糸が通り、絡み合っているようだ。
 もしかしてこれは、マミゾウの言っていた絡み織りか。
 平織りは糊を使っているため水で洗うことができないのだが、これは純粋に糸の絡みで動かないようになっていて、洗っても平気そう。それもマミゾウの言葉と一致する。
 そして何の偶然か、初めて見た霊夢はこの蚊帳を見た印象は、丈夫そう。

 霊夢は蚊帳を手から離して考えた。この出られない蚊帳は何なのか。
 里で噂の蚊帳は皆直ぐに出られたみたいだし、これは別物と考えるのが筋か。
 でもこんな蚊帳があったら行方不明者として騒ぎになるし、後々戻れても特徴として周知されるだろう。そうなるとこれは完全な新種ということになる。
 ただ、里の人が口々にしたという丈夫そうな蚊帳だ。
 考えて閃いたことは一つ。

 もしかして私だけ出れないのでは?

 霊夢は一人首を傾げた。お前は普通じゃないよ、と蚊帳に言われている気がした。
 とにかくまず出なければ、誰かに相談することもままならない。既に中にいる以上、正攻法以外はよほど特別なことでないと駄目だ。
 霊夢が思いついたのは、亜空穴を使い蚊帳の外に出てしまおう、という策だった。
 特殊な状況で、特殊なことをするのだから、上手くいくとは限らないというのは、承知だ。

 普段やっているような面持ちで、一思いに別の場所に飛んだ。これで大空にでもぱっと飛び出そう。
 そう思った霊夢だったが、地面に着地した。
「よっ、と?」
 うまく体制を整え再び辺りを見回しても、まだ蚊帳の中だった。何も無い、蚊帳の中。けれど蚊帳に貼ったはずの札も無い。
「あっ!」
 霊夢は弾かれたようにもう一度辺りを見回す。蚊帳生地を置いたまま亜空穴を使ってしまったのだ。
 風呂敷は見あたらない。ここも蚊帳の中なら何処かにあるか、と思って蚊帳を捲るが今まで捲った蚊帳と違うような違和感を覚える。
 よく見ていたわけでは無いが、地面がもう少し柔らかい土だった気がする。それに変な風が吹いていた。その風は直ぐに止んだが、釈然としない気持ちは収まらない。
 ため息混じりの深呼吸してみると、空気もどこか違った。

 霊夢は前を見据えてもう一度、三十六枚捲ることにした。
 どんどん進んでいると、符が一枚、地面に置いてあるのが目に入る。霊夢の物ではない。
 早苗の使っている符のようだ。もしかして早苗が居るのだろうか。霊夢は四方を捲って確認すると、更に符のある所と、無いところが有った。やはり先ほどの蚊帳とは違う。
 符を追うように進み、十枚目を捲ると、ついに本人と出くわした。
 早苗は何故か臨戦態勢といったポーズで佇んでいた。霊夢は言葉を選びつつ声をかけた。

「あんたも引っかかったの?」
「なんだ……妖怪かと思っちゃいました」
 話を聞くと、早苗は布教の帰りにただ引っかかって、出る方法を知らないようだ。霊夢は自分が蚊帳から抜けられない事は黙っておくことにした。無理に不安にさせては、早苗が本来の方法で出られなくなる可能性もある。心の平静が無くては丹田に力を込めることは難しい。

 霊夢と早苗はしばらく世間話をした。
「そういえばさ、外でも蚊帳って現役なんでしょ?」
「現役と言われると微妙ですかね。今は蚊取り線香の進化した様な奴が主流ですよ」
「へぇ、毎日焚いてたら面倒くさそうね」
「いえいえ、指一つでオン・オフできて、90日や150日も持つんですよ、値段も安いですし」
「そんなに? そりゃあ蚊帳要らずね」
 一夏は余裕だ。それならば普通、使いはしないだろう事は想像が付く。
「でも古民家チックな所には蚊帳もありましたよ。秘密基地みたいで蚊帳は蚊帳で好きですけどね」
 早苗が懐かしむように言って感傷に浸る。霊夢は蚊帳がそういう対象である事に少し驚いた。
 もしかしてこの蚊帳はそんな現状を恨んでるんじゃあるまいな。
「便利な物があるのに、不便な物を懐かしむってどうなのよ」
「あはは、人間ってそういうもんです」
「そうかしら?」
「霊夢さんは普通と違うから、中々分からないのかも知れません」
「あんたには言われたくないわね」
「私なんてまだまだ。博麗神社にも蚊帳あるんですか?」
「あるけど古いのよ。多分先代が作ったんだろうけど」
「素敵じゃないですか」
 蚊帳を作ろうとしていたことを思い出す。
 神社に有った蚊帳はボロいけど、良い蚊帳ではあった。
 先代が人を集めて作ったのだろう。普通だったら、そうやって作るものだ。
 霊夢は早苗を蚊帳作りに誘おうとしたが、上手く切り出せなかった。作り方は教えられるとしても、単に断られてしまいそうな気もした。
 暫くタイミングを計りつつ話していたが、あんまり遅くなると早苗にも悪いと思い、出ることを促した。

 自分が先に行って出れないとまずいので、早苗を先にやり、霊夢は早苗がめくってから追うようにした。その際ふと下に目がいく。
「そういえばこの符は何?」
 落ちている符のことだ。
 早苗が言うには目印に蚊帳中に置いたらしい。霊夢は早く帰りたそうな早苗の代わりに拾おうと提案したが、同時にひらめいた。そうだ、これを口実に出来ないだろうか。
「今度うちの神社で蚊帳作るの手伝ってくれない?」
 若干卑怯と思ったが、「構いませんけど」と早苗も了承してくれた。

 霊夢は内心しめしめと思いながら、落ちている霊符を手に取った。
 ぐにゃり。と妙な手触りがする。見てみれば、白蛇の赤い瞳と目が合った。
「ひっ」と喉奥から声が出て、霊夢は蛇を放り投げた。
「ちょっと何これ! 符が蛇になったんだけど!」
 叫びつつ、既に早苗の消えた蚊帳を鋭く睨みつけた。返事はなく追いかけて一枚捲ってみたが、早苗の姿はもう無い。
 早苗が出られたのかも気になり、霊夢はそのまま一周したが、どこにも居なかった。出られたならまぁいいか、ともかく約束は約束なので、蛇に変わる怪符は針で串刺しにしてどうにか回収した。

 一段落と思って霊夢は今一度三十六枚捲ってみたが、相変わらず蚊帳の中だった。
 外に出られた早苗と、自分で何が違うのか。霊夢は顧みてみるが、今一つ心当りがない。
 そもそも違う所が多すぎる。結局、手詰まりだ。
 霊夢はもう一度亜空穴を開いて飛んでみることにした。



 今度はまた違う所だ、と霊夢が気づいたのは辛うじて月明かりが見えたからだ。
 思えば早苗の場所では見えなかったし、初めに蚊帳を入った時は有明の月でこんなに月明かりがある筈はない。
 でも、そう考えると自分が飛んできた所は何処……いや、何処というより何時なのか?
 もしかしてとんでもない状況になって居るんじゃないかというのは、今は考えないようにして霊夢は蚊帳を捲ってみた。
 片手で上までのける様に上げた瞬間、思わず手が止まった。
 蚊帳の向こうにメイドが横たわっている。
 霊夢は目をこすって確認すると、咲夜だった。息はしているし、寝ているだけだろうか。
 霊夢は少し迷ったが、声をかけた。
「こんな所で寝ていると風邪引くわよ?」

「霊夢?」とふにゃっと言うと、咲夜はがばっと起き上がり、普段無いような壮絶な慌てっぷりを見せた。手で髪を撫でながら目を瞬かせ、服を整えながら咳払いする。
 時間を止めればいいのに。やけに頑張って取り繕っていたのが、霊夢にはおかしく思えた。
「さては出られなくなったんでしょ。あんたも意外と抜けてるわね」
 霊夢が意地悪を言ってみると、ふて腐れたような顔をした。

 咲夜はと言うと、蚊帳吊り狸から抜ける方法を知らず、時間を止めたり空間をいじくったりしたらしい。そのせいで亜空穴がおかしな時間に飛んでしまったのだろうか。
 霊夢は脱出法を教え、少し話をした。やはり動揺するようなことを言うのは気が引けるので、世間話だ。

「あの吸血鬼にも困ったものね、欲しい物があるなら自分で探したらいいのに」
 咲夜はレミリアの頼みで里に行く途中、引っかかったという。我が儘に付き合わされた結果がこれだから、ひがんだって罰は当たらないだろう。
「でもそれが私の役目だもの」
 咲夜はしれっと言った。
「蚊帳の外にされてるとか、思わないの? あんただけでしょ紅魔館でそんなことさせられてるの」
「時々は思うかもね。でも外に出るから霊夢や魔理沙とも付き合いが持てるし、里にも出られる。何だかんだお嬢様も私のこと人間として扱ってくれてるのよ」
 咲夜はほんのり笑うと、その破顔を残しつつ今度は困ったような顔になった。 
「それに、蚊帳の中に居るから、孤独を感じる事もあるんじゃない?」
 咲夜は卑下するように言うが、霊夢にも突き刺さる言葉だ。

 咲夜はだいぶ落ち着いたらしく、自ずと立ち上がった。
 霊夢は折角だから、早苗と同じ時のように提案してみた。
「あ、そうそう……今度さ、ちょっと蚊帳作るの手伝ってくれない? ただ面を合わせるだけだからさ」
 咲夜は若干嫌そうだったが、来てくれると約束してくれて、更に担保としてナイフを一つよこしてきた。いつもばら撒いているのに担保になるのかと霊夢は思ったが、嘘つく奴とも思えなかったので預かっておく。
 そうして咲夜は一枚一枚捲っていくとそのまま蚊帳吊り狸を抜けた。霊夢も続こうとしたがやはり出ることは叶わなかった。やり方は間違っていない、間違っていないはずなのに。
 皆が出て行く蚊帳の中一人残されてしまうのは何故なのか。
 月明かりがぼんやりと見守る中、霊夢は亜空間を使って三度蚊帳の脱出を試みた。

 相変わらずの蚊帳の中に着地したが、足の裏に妙な感覚を覚え霊夢は下を見た。
「なにこれ?」
 足をどかすと粉々になった砂糖らしき物があった。
 四方の蚊帳を捲って確認すると、どうやら金平糖があったらしい。早苗と同じように目印代わりというところか。
 金平糖を拾い上げていつ見ても不思議な突起を眺めていたら、今度は轟音が響いてきた。
 何だ何だ、と思う間もなく、霊夢が傾げた頭の横を雷の様な光と勢いで何かが突っ切った。
 時間差で突風が吹き荒れ、霊夢の髪がたなびく。
 あまりの事に霊夢は猫の様に固まったままだったが、布の落ちるぱさりという小さな音で、時間を取り戻した。
 落ちたのは白いリボンがチャームな黒いトンガリ帽だった。持ち主が落としたのだろうか、こんな帽子を被っているのは魔理沙しか居ない。
 もう少しで首が吹き飛んだかも。そう思うとふつふつと怒りが込み上げてきた霊夢だったが、文句を言う相手はもう居ない。
 霊夢は脱出がてら蚊帳を散策してみたが、魔理沙は見つからなかった。居たら居たで突進してくる魔理沙を避け続ける羽目になっていたが。

「はぁ」と息を吐く。皆、簡単に抜けているのに、自分だけ出れないとなると、ため息を禁じ得ない。霊夢は手にしたままだった金平糖を、何とは無しに口に含んだ。下で転がすと少しちくちくする。それと同時に甘さが体に染み渡る。そういえばお腹も空いてきた。
 魔理沙の帽子は一応拾って行く。このまま放置するとどうなるか分からないし、機会があれば文句も交えて返そうか。もう懐が早苗の霊符やらナイフで空きが無かったので、霊夢は頭に被った。
 がり、と金平糖を噛んで、もう一度亜空穴で飛んだ。

 着地すると、見覚えのある風呂敷が落ちている。
 慌てて霊夢が解いてみると、里で買った蚊帳生地だった。

「やっと帰ってこれたー……」
 霊夢はがくりと座り込む。外に出られた訳では無くとも、見失ったスタート地点に戻ったのは大きい。勿論これで終わりでは無く、蚊帳の散策含め三十六枚捲ったのだが、やっぱり出られない。もう半ば予測はついたので、霊夢は一つの蚊帳の中で腰を下ろした。

 風呂敷の中をぼんやり眺める。蚊帳生地と一緒に札、ナイフ、一応畳んだ帽子も突っ込んだ。
 魔理沙は抜け方を知っていたのだろうか? 多分知らなかったんだ、知っていたら箒で突っ込んで来ないだろう。抜け方の知らない奴が抜けられて、知ってる私が出られないとはどういうことか。やはり、自分には何かが足りないのだ。
 魔理沙だけじゃない、咲夜に、早苗に、里の人に有って私に無い、何かが有るはずだ。それを見つけなければ外には出られない。

 霊夢が眉をしかめて考えていると、不意に蚊帳が捲れた。
「やや、巫女だ! 調度良かった、この蚊帳なんとかして~」
 とぼけた調子で言ってきたのは、中華風の緑の服と帽子、暗い中でも一目で分かる橙色の髪を揺らす、紅魔館の門番だった。
「なんであんたがこんなとこ居るのよ」
 考え事もままならない。
「いたっていいでしょ、たまのオフタイムは自由。それより大変! この蚊帳妖怪っぽいの」
「自分だって妖怪じゃないの……丹田に力を込めて三十六枚捲れば出れるわよ」
 何やってんだか。霊夢が投げやりに答えれば、美鈴はきょとんとした顔で頭を掻いた。
「それだけ? 悩んでて損しちゃったな~。ありがとね」
 美鈴は深呼吸一つするとさっと蚊帳を捲った。

「ちょっと待った!」
 霊夢は思わず引き止めた。
 思えばやっと相談しても問題なさそうな奴が入ってきてくれたのだ、みすみす一人にされるのは口惜しい。旅は道連れの心持ちを抑えられなかった。
「うーん、ここで戦おうって言うのはちょっと無理が……」
「そうじゃなくて、ちょっと、聞いて欲しい事があるというか」
「巫女が? 何でまた私に……」
「あんたなら、私の言うことに動揺しなさそうだから」

 霊夢は現状を確かめるように説明した。
 蚊帳を作ろうと里に行って、蚊帳吊り狸の噂を聞いたこと。目の前で魔理沙や咲夜、早苗が出て行ったこと。なのに、自分が出られなくて、悪戦苦闘していること。
 その間美鈴は帽子をうちわ代わりにしながら黙って聞いて、霊夢が話し終わると頭に戻した。
「巫女は勘違いしているんだね」
 きっぱり言い切られる。
「何が勘違いなのよ」
 霊夢は首をかしげる。
「丹田に力を込めるって意味がズレてるかな」
「お腹に力をいれて、どーんって感じじゃ無いの?」
「アバウトだなぁ。丹田は内丹を生む為にある。内丹ははしょって言えば、世の真理を得るための物なのよ」
 美鈴が得意げに高々と言う。
「その説明も十分アバウトじゃない」
「端的と言って欲しいな。要はさ、目的の為に頑張ろうって気持ちが丹田なんだよ」
「目的ねぇ……そういえば何で入ったんだっけ、退治する為に中の確認で入って……」
「違う、それは中に入った目的でしょ? 外に出る目的は、自分の目的でないと駄目だ」
 やれやれと肩をすくめる美鈴に、霊夢は「むう」とうなって考える。
「見つけたから偶々入っただけだしなぁ」
「行く手を阻む妖怪を目的地にしているから出られないんだよ。外に出てやるべきだったことを思い出すんだ」
「そんな単純な話なのかしら」
「その単純で普通な事が、出来てなかったんだよ。いいから考えてみて」
 目的があってこそ、丹田に力を込める意味があるらしい。
 何で蚊帳吊り狸から出なくちゃいけないのか。霊夢はぼんやり考える、咲夜は使いの途中と言っていた、早苗は布教からの帰りだった。私も、蚊帳退治では無く、帰ってやるべき事を思い出さなくちゃ。
 手を見れば、帰ってやることは直ぐに思い出せた。
 この蚊帳生地で蚊帳を作って、三十日には吊る。だから、出なくちゃいけない。

「じゃあレッツチャレンジ」
 霊夢は丹田に力を込めて一枚一枚、捲って行った。三十六枚目、捲ったらあっさりと外だった。神社の近く。夏特有の湿った夜は、蚊帳の中とは確かに違う。

「外の空気おいしいー」
 美鈴は目を細め伸びをしている。
「んで、あんたは何処に行くつもりだったのよ」
「神社。最近巫女が居ないと噂だから、太極拳の練習でもしていようかと。そっかもう巫女いるし帰ろうかなぁ」
 霊夢は目を丸くした。神社を空けていた記憶など全くない。
「ちょっと待って、今日って何日?」
 美鈴は首を傾げつつ、夜風に流すようにぽつりと答えた。
「三十日だけど……」


 霊夢は急いで神社に戻ると、朝掃除したはずなのに薄汚れた部分があった。
 だがそれよりも、蚊帳を作る筈だった日なのに、もう日が沈んでいるのが問題だ。
 別に無理に今日作る必要も無いかもしれないが、蚊帳吊り狸からは蚊帳を作るために抜けた。三十日に蚊帳を吊りたかった気持ちは本物だ。

「こうなったら一人でやってやるわ」
「良かったら私も手伝う?」
 霊夢が横を向けば、美鈴は裁縫のジェスチャーをして見せる。
「あんた、まだ居たの?」
「行くとこ無いんだもん。蚊帳は作ったこと無いけど、縫い物は少しできるよ」
 霊夢は考えたが、意地でも蚊帳を作ってやろうという気持ちもあったので、止む無く頼んだ。
 早速道具を渡したが、霊夢の想像以上にこなれた様子だ。
「あんた結構上手いのね、もしかして裁縫の妖怪だったりして」
「必要な分は自分でやってるだけだよ、でも年季が違うからね」
 美鈴は、ふふんと鼻を鳴らした。
「神社に太極拳とか裁縫とか、まさにお婆さんね」
「ええー、そう言われるといい気はしないなぁ」
 頬をふくらませる美鈴が可笑しくて、霊夢は頬が緩んだ。
 しかし、ペースが速くとも取り掛かるのが遅すぎた。夜が粛々と深まる中、半分すら終わらない。
「そういえば早苗達に手伝ってって約束したけど……来ないわよね」
「聞いた限り時間がおかしかったので、望みは薄いかと」
 だろうなぁ、霊夢は黙ってうつむいた。美鈴は平然とやっていたが、霊夢の方は疲れが眠気を呼び、全く進まない。
 普段なら寝ている時間だ。しかも朝の掃き掃除と、幾度となく蚊帳を捲っていたので、全身くたくただった。
「年中、門の外なんで蚊帳なんて全然知らないけど、今日作らなきゃ駄目なの?」
「少なくともこの蚊帳は今日吊るための物だったから……後の日に回したら縁起が悪いじゃない。蚊帳はそういうの敏感な物なの。これが駄目だったら今年はもう作らないかも」
「そうなんだ……」
 沈黙する。もし今日中に吊るならば、話している暇も本当は無い。
 けれど、話でもしていないと霊夢の意識は徐々に落ちていく。うつらうつら頭を揺らし、瞼が下がった。

「おーい、手、止まってるよ?」
「あ、ごめん」
 美鈴に声をかけられ、つい妖怪相手に言わないような言葉も出てくる。
「巫女に謝られるとか気持ち悪いってー」
 美鈴が笑い飛ばすが、霊夢はそんな状況に虚しさを感じてしまった。
 親指の爪を指にたて何とか意識を保ち、ぼんやりと考えにふけり始めた。

 助けてもらったとは言え、妖怪と二人きり。私はどうして夜更けに蚊帳を作っているのか。
 もしこのまま完成しても嬉しいのだろうか? 妖怪に仲介してもらった蚊帳生地、それを妖怪と一緒に完成させてしまうなんて、それこそ普通でない蚊帳だ。作りたいのは、ただ普通の蚊帳で良い。
 みんな私の事、普通じゃないみたいに言うが、普通が嫌なわけじゃない。
 普通は出来無いことができて、普通に抜けられる蚊帳から抜けられなくて、それは自分でも分かる。でも普通でしかるべきと思う事だって、たくさんあると思う。
 だから私は人間として妖怪退治を一つの生業にしているし、今日だって早苗や咲夜を外に出す手伝いが出来て本当に良かったなと思う。

 だから、少しだけ現状に不満もある。
 助けて貰ったのは妖怪とはいえありがたいことだ、こいつが悪いわけは無い。
 けど、だけれど、一つだけ思うのは。
 私も人間に助けてもらいたかった……。

「来年は」
 美鈴のはっきりとした声に耳を刺激され、霊夢は寝ぼけ眼を擦る。
 門番は頬を掻きつつ、言葉を続けた。
「咲夜さんとか、白黒の魔法使いとか、山の巫女とか……一緒にやれると良いね」
 流石に考えが口には出ていないと思うが、何か気取られてしまったようだ。
 霊夢は無意識に視線を落とした。
「なんだか悪いわね」
「普通そんなもんさ。妖怪と一緒に居たくないなんて、妖怪冥利に尽きるよ」
 自分の事を普通の人として理解してくれるのが、妖怪というのは皮肉だ。
「私は、里で蚊帳生地を買わせて貰ったときから、ちょっと思っていたの。自分が人間として生きて無くて、だから蚊帳から抜けられないのかもって」
「そりゃ変な勘違いだね。私から見たら普通の人間だもん」
「一番落ち着いてなかったのは私だったのね、多分」
「巫女もまだまだって事だね。裁縫の腕も人並みとみた」
 美鈴は手にしていた蚊帳と道具を差し出した。霊夢が受け取ると綺麗に縫合されている。
「まぁ、来年の為に練習しとこうかしら」
 霊夢は顔がほころんだ。

「私はそろそろ帰る。門番の朝は早いから、オフタイムも実は大して自由じゃないの」
 にっこり笑うと美鈴は立ち上がり、靴を履いて、たちまち闇夜の中を消えていった。気を使っているのか居ないのか。
 霊夢の方は急激な眠気に耐えかね、ろくに片づけず布団を敷いて寝てしまった。

 翌朝、完成しなかった蚊帳は倉に押しやった。捨てるのは忍びない。暫く倉の肥やしにしておきたかった。
 三日くらい消えたことになっていたのに、霊夢を気にしてくれている人はあまり居なかった。そのほうがらしいかな、と霊夢も別に僻んだりはしない。
 風呂敷は箪笥の中にしまった。もう蚊帳の中で預かった物しか入っていない。結局約束はどうなったか、誰にも確かめなかったが、多分記憶にないだろう。そんな気がする。

 午前中は再び掃除に費やした。午後は助けて貰ったのにろくすっぽお礼も言わなかった事を少し申し訳ないと思い、霊夢は紅魔館を訪れた。
 門前には誰も居なくて、少し敷地の方を見たら時計草の咲き乱れる花畑の側で、寝ていた。
 あんまり気持ちよさそうだったので、呆れつつも声をかけず帰ってしまった。

 帰りの道すがら、蚊帳吊り狸の事をふと思う。
 絡み織りだったあの蚊帳は、きっと外の世界の蚊帳だ。
 外の世界では、蚊帳よりも便利な物があるらしいし、迷い込んでくる奴があっても不思議ではない。化けたなら、なおさらだ早苗も何処か失われた物を見るように、懐かしがっていたし……。
 でもその思いを抱いたのは、果たして早苗だけだったのだろうか。
 蚊帳も同じで、昔を懐かしんでいたのかもしれない。人が入って、過ごす。普通の事を味わっていたくて、入った人間を閉じ込めていたような気がして成らない。
 それが既に普通では無い事だったとしても、だ。

 そう考えると心なしか親近感が沸いた。
 普通で居たくて、普通で居たくて、だから普通でなくなってしまう。人をかどわかし、迷わす蚊帳もまた、己のあり方に迷っていたんだ。

 霊夢は神社に戻ると、結局今まで使っていた蚊帳を吊った。
 ボロいけど、普通の蚊帳。ついでにと縁側に吊るした風鈴が涼しい音色を奏でる。
 あの蚊帳は、今も誰かを待って何処かに独り垂れ下がっているのだろうか。私が抜けられたように、いつかは些細なことに気づいて普通の蚊帳に戻るのだろうか。それともずっと……。
 もしまた見つけたら、作り物の普通に少しだけ付き合って上げたい気もした。
久々にこちらに。四畳半の中 或蚊帳吊り狸の事のおまけSS。
蛇足感その他ありますが供養がてら、霊夢と蚊帳吊り狸のお話でした。
ことやか
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
いろんな見方があるんですね
2.奇声を発する程度の能力削除
面白いね
3.絶望を司る程度の能力削除
これはまた......面白い。
4.名前が無い程度の能力削除
この世界観、すごくいい…!
霊夢の思考もらしいようならしくないような感じでいい雰囲気です
5.名前が無い程度の能力削除
すてきでした。
6.名前が無い程度の能力削除
こっちのお話も面白いなあ
霊夢さんに幸あれ