Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『夜明け迄、この夢、胡蝶の夢 #8』

2014/07/03 01:38:35
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 堰を切ったように良香の憎悪は溢れ出した。ずっと眺めていることしかできなかった憎い仇を、ようやくこの手で屠ることができるのだ。昂ぶった感情は鋭い10の爪を通じ、闇を裂く深紅の爪跡となって刻まれる。

 堅い石の足場を蹴る。宙にて羽衣に腰掛ける邪仙への、数度目の突撃。防御も受け身も考えない、ただ殺意のみを籠めた一撃は、しかしまた容易くいなされてしまう。

「はっはァ!」

 それでも良香は笑った。空中にて真っ逆さまになったまま笑った。ただ感情のままに身体を動かすことが、愉しくて仕方がなかった。

「そう来なくっちゃ。あんまりあっさり終わっちゃったんじゃ、つまんないもんなぁ!」

 直後、良香は頭から地面へ激突した。首ががきりと嫌な音で軋むが、痛みはない。キョンシーの身体は頑丈だ。良香がどれだけ無茶をしても、それに応えられるだけの強度はある。彼女はすぐに立ち上がって未だ空にある敵を睨(ね)めつけた。

 一方の、その視線を受け止める青娥は飄々としている。愛してやまないキョンシーを見つけてそれで満足したのか、その変貌を意に介している様子はない。

「まったく、何が入り込んじゃったのかしら。芳香の身体は芸術なのよ。それをこんなに乱暴に」
「何が芸術だ。ひとの身体に滅茶苦茶してくれたのは貴様のほうだ。それに入り込んだんじゃない。私は最初からここにいた!」

 芳香はほぼ腹這いになるまで身を沈め、たっぷりと脚に力を溜めてから、再び邪仙へ向けて跳び上がった。両の腕の先端で、10の爪が不吉に紅く輝く。渾身の呪いとともに振り抜かれる爪撃は、まともに当たれば仙人の首さえ飛ばすほどの威力だ。
 しかし数多の死線を掻い潜ってきた蒼い仙人にしてみれば、単調な突撃などは稚児の遊技がごときものである。腰掛けた羽衣から、青娥は後ろへと身を投げ出した。首を狙った良香は、仰向けに倒れ込んでいく邪仙の真上を空しく通過する。2人の視線が一瞬、至近距離で交錯した。

「……最初から、ねぇ」

 そのまま青娥は後ろ向きに、羽衣を軸とした宙返りを打つ。とそのとき突然、羽衣の両端がぐいと伸びた。泳ぐ蛇のように、2本の布が良香を追う。

「そんなことを言うってことは、ひょっとしたらひょっとするのかしら?」
「な、何を」

 何とか逃れようと良香は空中で身を捩(よじ)るが、無駄な足掻きでしかなかった。羽衣は両足首にするりと巻き付く。一方の邪仙はすでに羽衣の上へと復帰していた。

「はい、捕まえた」

 羽衣は蔦のごとく良香へと絡みついていく。脚だけでなく、腰から胴へ、そして腕と首へと。あっという間に良香はぐるぐる巻きとなってしまった。

「はぁ、憂鬱だわ。また材料の調達から始めないといけないなんて」

 言葉とは裏腹に口の端を少しだけ釣り上げながら、青娥は腕を振り上げる。するとそれに合わせるように、良香を捕らえている羽衣が持ち上がった。意図を察した良香は精一杯もがいたが、もはやどうしようもない。

「芳香を傷つけた報いは受けてもらうわ。けどその前に答えなさい。芳香は今、『そこ』にいるの?」
「い、いや、ここにはいない。どこかに行っちゃったよ、札を剥がした瞬間に」

 良香の言葉を噛み砕く青娥の表情は、目だけが笑っていなかった。
 彼女の腕が勢い良く振り下ろされる。主に忠実な羽衣は、逆らったキョンシーをビルの屋上へと叩き付けた。猛烈な衝撃にビルは丸ごと揺れ、砕けた混凝土の破片が舞い上がる。

 追撃を加えようとして、しかし邪仙の手は止まった。見上げたはるか上空、黒い雲の中からの、不穏な気配。

「そんな、まさか、どうして」

 青娥が抑え込んでいたはずの、蘇我屠自古の執念。眠っていた雷雲が再び蠢き始めていた。そして、まるで広がる波紋を逆回しにするように、光電のエネルギーがビルの直上へと集まってきている!
 雷は高い所に落ちる。このままでは。青娥は羽衣をその場に固定したまま飛び降りた。

 一瞬の後、轟音とともに顕現したのは、齢千年を超す大樹のような、ごつごつとした光柱だった。羽衣は良香を根本とした避雷針と化し、その膨大なエネルギーを余すことなく反逆者へと注ぎ込む。青娥は耳を塞いでいたが、それでも背骨を千切られるような、不快な空気の軋みは打ち消せない。
 落雷はビルを網となって包み込んだ。そしてその衝撃は、屋上に立ち尽くすばかりだった博麗の巫女にも、容赦なく襲いかかったのだった。桜色が弾けるのを、青娥は確かに見た。





     ◆     ◇     ◆





(私は誰の味方なんだろう。)

 その問いに答えを出せる気が全然しなくて、それでも決めなければいけない気がして、指先ひとつも動かせないままに、私は立ち尽くしていた。あるいは呼吸や、鼓動すらも止まっていたかもしれない。頭の中に、無数の幻像が浮かんでは消えていった。私を博麗の巫女にした八雲紫。帝都のど真ん中で暴れていた唐傘と巨人。花の絵に囲まれた喫茶店の女マスター。西洋の光の退魔術師。図書館世界と小さな魔女。天狗の新聞記者。黒雲。そして、白蓮寺の寅と鼠。

(私はどうして戦ってるんだろう。)

 白い光が明滅している。メリーベルは次々と光弾を発射し、星さんと那津を手当たり次第に攻撃していた。最新鋭の霊力機構を惜しげもなく注ぎ込んだ一点物の退魔鎧は、メリーベルの乏しい霊力を循環増幅し、大妖怪とも渡り合えるほどの力を発揮するのだという。父親の遺産のほとんどを、彼女はそれの開発に費やした。ただ仇を討つために。ただ復讐のために。
 対する星さんは槍を手にしてはいるものの、弾の直撃をいなすばかりで防御に徹している。那津もそうだ。ダウジングロッドとペンデュラムを最大限に活用して、自分の身を守っている。人間と妖怪の両方のために戦う、と2人は常々言っていた。だからメリーベルと刃を交えることはしないのだ。不特定多数に害を為す妖怪は懲らしめるけれど、彼女はそうじゃない。純粋な敵意とともにメリーベルは立ち向かっている。なんとか傷つけずに矛を収めてもらおう、そんなことを考えているに違いない。

(私は……。)

 13分と3秒間にわたった思考は、突然の轟音によって破られた。何かがもの凄い速度で落下してきて、私のすぐ傍に叩き付けられたのだ。あまりの勢いに、ビルディングが丸ごと大きく揺れる。
 それは布でぐるぐる巻きにされたキョンシーだった。悲鳴すら聞こえなかった。彼女は意識を失っているのか、衝撃に窪んだ混凝土の中で身じろぎひとつしない。

「良香」

 駆け寄ろうと一歩を踏み出した瞬間、私は真っ白な光の中にいた。
 胸元で、桜が散った。

 白と黒と白と黒が訪れて、そこに音は何も無い。そして白と黒と白と黒が訪れて、そこにやっぱり音は何も無い。いや、ありすぎるから聞こえないだけなのか。そして白と黒と白と黒が訪れて、そこにやっぱり音は何も無かった。いろんなものが弾けた。弾けて、乱れて、飛んだ。白と黒と白と黒と白と黒と白と黒。光と闇。私は宇宙空間から東京を見下ろしている。白と黒と白と黒と白と黒と白と黒。何もかもを忘れ去ってしまったような、圧倒的な快感。この世の悦びのすべて。いや違う。これはこの世の苦しみのすべてだ。白と黒。光と闇。北極と南極を往復する巨大な振り子に私はなる。白と黒と白と黒が訪れて、そこにやっぱり音は何も無い。いや、ありすぎるから聞こえないだけ。世界中の独り言を余さず集めた交響曲。誰もが皆歌っている。誰もが皆歌っている。私以外の皆、大きな声で、独りで、歌っているんだ、世界中で。白と黒と白と黒と白と黒と白と黒。そこに音は何も無い。そこに音は何も無い。音は、何も、無い。

 生まれ変わったような、そんな気がして、私は目を開けた。
 白い霧の中に、私は立っていた。

 柔らかい光が溢れコボレている。湿った森の匂いが鼻をつくほどに濃い。さっきまでいた嵐雲の下の帝都とは、まるで正反対だった。ここはどこなんだろう。まったく知らない場所だ。
 柱のようなものに手を着いていることに気づく。見上げると、それは小さな鳥居だった。凹凸の多い表面は窪みの隅々まで朱色にきちんと塗られている。
 背後は長い長い石の階段だった。私はどうやら、どこかの神社の入り口に立っているらしい。

 しばらく独りぽつねんと佇んでいたけれど、小鳥の囀る声がちぃちぃと響くばかりだ。それでも動けずにいると、霧の向こうからこちらを見つめられているような気配、それも複数の視線を感じる。やがて「ふふっ」と誰かが笑った気がして、いや確かに誰かが小さく笑って、その段になってようやく私は歩を進めた。石段は降りてはいけない。歩くのなら前へだけだ。何故だか、強くそう思った。

 綺麗に整った石畳を進むと、すぐに社殿が靄の中に浮かび上がってきた。それほど大きな神社ではないようだけれど、漂う空気は異界そのものだ。深く呼吸をすることすらためらわれる清浄さである。
 辿り着いた社殿は、何の変哲もない木造の建物だった。小さな賽銭箱がぽつんと備えられている。小銭を投げようか、と考えて、財布を持っていないことに気づく。幽香さんの喫茶店に置いてきてしまったのだ。
 二拝二拍一礼にて参拝をした。願掛けは特になかった。下げた頭を上げると、なんと賽銭箱の向こうに私がいた。

「ひっ……!?」

 いや違った。私の分身とかではなかった。だが博麗の巫女には違いない。だって私と全く同じ装束を着ている。
 私の驚きは結構なものだった。こんな奇抜な格好をした女がこの世に2人もいるだなんて思ってもみなかったのだ。しかし向こうは眉ひとつ動かさない。おかしな睨めっこは11秒間続き、それを破ったのは相手の方だった。彼女は奈落の底まで届きそうな、深い深い溜息を吐いた。

「紫の悪趣味にも大概慣れたと思ったけど。まだまだ私も甘かったみたい」
「え、あの」
「ほら、あっちよ。今日の神社は貸し切りなの。あの仙人と、あんた達にね」

 巫女は私の背後を指さす。振り向くと、何かが一際眩しく輝いた。先ほどまで参道には誰もいなかったのに、今そこには3つの人影があった。うち2つには見覚えがある。呆然と突っ立っているのは復讐を企んだキョンシーで、それにぎこちなく縋り付くのは忠実な方のキョンシーだ。同じ身体を共有していたはずの2人は、今はどうしてだか完全に分離して存在している。最後のひとり、3人目の少女は誰だか分からない。はっきりしているのは、確実に人間ではないということだけだ。スカートからのびるはずの脚がなく、かわりに霊体が雲のようにたなびいている。あの古典的な姿は幽霊に違いない。2人のキョンシーと合わせて、死んだ存在ばかりだった。

 そして光の中から、さらにもうひとりの人間が瑞気を纏って現れる。そう、瑞気だ。死者ばかりの空間に、全てを浄化してしまうほどの聖なる気が満ち溢れている。後光を伴ってこちらへ歩いてくる人影は、直線的な影を霧へと投影していた。

「あ、あ……」

 それが誰だか理解しているのは、この場においてはあの幽霊だけであるようだった。私もキョンシーたちも目を丸くするばかりだったが、幽霊はまるで雷に打たれたように、その場でガタガタと震えだした。
 逆光の中、その人影は両腕を広げる。すると纏うマントが広がって、影は羽根を広げたミミズクのような形に膨らんだ。

「 ―― 此の度は、身内がとんだご迷惑をおかけしたようですね」

 私の勘が告げていた。この人物こそが、今回の事件を引き起こす原因の大元だ。きっと直接何かをしたわけではない。けれどその間接的な影響力でさえ、大都市ひとつを大混乱に陥れることができるほどの、強大な存在なのだ。

「どうも、初めまして。豊聡耳神子と申しま……わぷっ」

 名乗りを遮って、幽霊がその胸に飛びついた。そして、まるで赤子のようにわんわんと泣き出したのだった。




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
とじこ可愛い
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