その日はおおよそ平均的な雨の幻想郷で、つまるところいつも通り私が神社で暇を潰す日だった。いつもと違うのはお昼ごはんを済ませた後のことだ。
発端は針妙丸だった。
「きのことたけのこ、どっちがいいのか投票だって。二人はどう思う?」
居間のちゃぶ台の上で、針妙丸は新聞を打ち出の小槌で小さくして読みやすくしていた。これぐらいの願いならリスク無く叶えられるらしい。
「きのこだろう。焼いてよし、煮てよし、おまけに魔力までとれる」
「たけのこでしょ。お酒に合うし、コリコリして美味しいわ」霊夢が口を挟んだ。
「きのこは芸風が広い。和洋中のオールラウンダーだ。マリネにしてもイケるぞ。普段はやらんがな」
「たけのこだって酢味噌和えにできるわ。きのこなんてぶにゅぶにゅとして気持ち悪いじゃないの」
「たけのこだってエグいだろ」
「それはアク抜きに失敗しただけでしょ」
畳の上に寝っ転がっていた私が身体を起こすと、座布団の上でお茶を飲んでいる霊夢と目が合った。沈黙の中にぱらぱらと春雨の音が混じる。
「ちょっとちょっと、喧嘩はやめてよ」
針妙丸はあわあわとしているが、元凶が何を言おうが知ったこっちゃない。
霊夢だってしめじの入った味噌汁はよく作ってるし(おいしい)、私だってタケノコ料理を作らないわけでもない。だがこうなりゃ意地だ。
「やる?」
「私が勝ったら霊夢がキノコ狩りだ。人に狩らせたキノコはさぞおいしいことだろうよ。この季節はハルシメジが美味い」
「あら、今日の博麗神社の午後の予定は魔理沙一人のタケノコ掘り大会よ。この雨の中で風邪をひかないといいわね」
霊夢が封魔針を手に取り、私も帽子の中に入れておいたフラスコを漁った。
弾幕勝負に突入するかと思われた所で、例によってスキマから紫の上半身がぬるりと出てきた。ちょうどちゃぶ台の上で、垂れ下がった金髪にぶつかりそうなところを針妙丸が慌てて避けた。私は危うくフラスコの中身を紫の顔にぶちまけるところだった。
「あらあら? どうしたのかしら」
私は説明してやった。
「きのことたけのこどっちがいいか、ですって? ……ああ、なるほどね」
紫は得心すると、身体を首までスキマに戻して何やらごそごそとやり始めた。首だけが宙に浮いて左右に揺れているのは相変わらず絶妙な気持ち悪さだ。針妙丸は金髪に結ばれた赤いリボンを引っ張って遊んでいる。やがて探し当てたのか、ドレスグローブに包まれた両手がにゅるりと出てきて、金の両目が針妙丸をじろりと睨みつけた。針妙丸は怯えて虫かごに引っ込んだ。まったく大人げない。
「はい、どうぞ」
ちゃぶ台に置かれたのは黄色と緑の箱が二つ。きのことたけのこのイラストがなんともファンシーでかわいらしい。今まで見たお菓子のどの箱とも違う、特徴的なデザインだった。
紫の言うには、きのことたけのこがセットで語られる時はたいてい外の世界で人気のこのお菓子を指しているらしい。こうしたチョコレート菓子は生産中止になると幻想郷にも廃棄寸前の在庫が入ってくるが、このタイプを見るのは紫以外の全員が初めてだった。
「両方とも外界じゃ現役バリバリだからねえ。ここに普通に入ってくるのはあと数十年、いや百年は先でしょうね」
「どっちが人気なんだ?」
「言ってしまったらバイアスが掛かってしまいますわ。自分で食べて確かめなさい」
「どうやって開けるんだ、これ」
紫は『開け口』に指をかけてぺりぺりと開けてくれた。
「さあ、召し上がれ。私はちょっと藍の様子を見に行くから、食べたら感想を聞かせてちょうだいね」
「結局お前は何をしにきたんだ」
「おやつがあればご相伴にあずかろうかと思ってね。強制的に」
霊夢が何か言いたげにしていたが、逆におやつをもらってしまった手前黙っていることにしたようだ。
私は真っ先にきのこを手に取った。手のひらでころころと転がしてやると、ひだの付いたチョコレートの傘、つるつると手触りのよいナツメ色の柄、たしかにきのこのフォルムとしては完璧のようだ。
さっそく口に放りこんでやると、強い甘みとココアバターの油の味が舌の上に広がった。鼻を抜ける、かりっとしたビスケットの風味とカカオの香りが混ざってなんとも気持ちいい。
霊夢も霊夢でたけのこの方を満足そうにもぐもぐとやっていたが、きのこの方には手を付けようとしなかった。私も同じ気持だ。たけのこなんて食べてやるもんか。
「あっずるい! 私にもちょうだい」
針妙丸が喚くので、ちゃぶ台の皿の上にきのこをひとつ出してやった。霊夢もたけのこをひとつ出した。針で削ったそれらを突き刺しては口に運び、もきゅもきゅと口を動かしている様は小動物そのものだ。
「あんた、どっちが美味しいと思う?」霊夢が先手を打った。
「ええ? どっちもおいしいと思うけど……」
「きのこだよな?」
「たけのこよね?」
「ちょっと二人とも、両方食べもしないでなに言ってるのよ。実際に食べてみなよ」
もっともなツッコミが入るが、こればっかりは譲れない。
「そうだ針妙丸、たしか家から持ってきたブロークンマロングラッセがあるはずなんだが、箸休めにどうだ?」
「たしか紫の差し入れの豆源モッツァレラアーモンドが……」
「モノで釣るなー!」
ここまであからさまだと流石に怒るらしい。口の端からよだれを垂らしていてはイマイチ説得力に欠けるが。
このままでは一対一でドローだ。紫が戻ってくるとも思えないし、はてさてどうしたものか。
膠着状態が数分進んだところで、霊夢が後ろから肩を叩いた。
「食べなさい」
私が振り向くと、霊夢はたけのこをひょいとつまみ、クッキー生地の方を唇に挟んでくわえて見せた。紅い唇の奥から白い歯がのぞいている。
……おい、なにやってるんだ? 私はしばし呆然としていた。しかし私の脳みそではどうしても一つの解答しか導けない。
「おい、まさか」
「え? なに霊夢? なにやってるの?」
針妙丸が騒ぎ出した。
「ちょっと黙ってろ」
私の帽子をかぶせてやる。
『えー何よ、隠さないでよー』
帽子からくぐもった声が漏れる間にも、霊夢のほっぺが唇に負けないぐらい紅くなってくる。『なにバカやってるのかしら私』と目で言っているかのようだ。
つまり、そういうことだよな。
……何を考えてんだ! いくらたけのこを食わせたいからって、そんなこと思いつくだなんて、まして実行するだなんて、どう控えめに見ても頭がおかしいだろう!
いやいやと首をふると、むっとした霊夢が距離を詰めてきた。おおかた『ほら、クッキーが湿気っちゃうから早く取りなさい』とでも思っているのだろう。
自分の中の天秤の片方に置かれた『理性』と『意地』が、もう片方に置かれた『霊夢のくちびる』にじりじりと重さで負けはじめている。やめろ、それ以上近づくな。顔が近い。
ああくそ、こいつまつげ長いな。
その感想を最後に、天秤の『理性』が上空に吹っ飛んだ。
思い切って最後の数センチを詰めると、くちびるとくちびるが、ふにゅ、と触れ合った。霊夢の匂いと、口の中に入ってきたチョコレートの香りが混ざって、なんだか変な気分になってくる。
あいつが困ってる顔を見たくて、わざとゆっくり時間を掛けて取ってやる。
……つもりでいたんだが、すぐに顔を離してしまった。『理性』が天秤に戻ってきたらしい。いや、どちらかというと『羞恥心』か。
後ろに手をわたわたとさせて後ずさった挙句、ちゃぶ台に腰をぶつけた。思わず手のひらで口を抑える。仏教の行者は身体の血流を自在にコントロールできる、と前に白蓮から聞いたが、あいにく私はそこまでの器用さは持ち合わせていない。
「……どう?」
いまさらのように口の中で主張を始めたたけのこを、ゆっくりと愛おしむように噛んだ。チョコレートに混じったクッキー生地が私の舌の上でさくさくと溶けていく。飲み込むと少し喉が渇く。
「……おいしい」
「なら、私の勝ちね」
紅いお面に得意顔が張り付いている。霊夢は後ろを向くと、なにかをごまかすように歌を歌い出した。
「今日のお夕飯は魔理沙のたけのこご飯〜♪」
あっ……くそ、すっかり忘れてた。霊夢との、その、それですっかり気が抜けてしまったから、夕飯なんて作る気はとっくに失せている。ましてタケノコ掘りなんてまっぴらごめんだ。私は焦って霊夢の肩を強くたたいた。怒ったように振り向く。
「私のも食べろよ」
そう言って私はきのこを箱から一つ取り出して、口に挟んだ。あんまりにもあんまりな結論に自分でも顎がふるふるとしてくるが、恥はもう十分かいた。毒を食らわば皿までだ。
霊夢が唖然としている。あはは、面白え。
「ちょっと待って、あれで懲りてないの?」
うるさい。お前も食べなきゃ不公平だろ。
たぶん私も狂ってるんだと思う。
きのこの傘の、くちびるに触れているあたりが油でべとべととしてきた。早くしろよ、溶けちまうぞ、と顎で言ってやると、霊夢は諦めたように近づいてきた。
閉じたまぶたの上から伸びるまつげを存分に見せつけながら、さっきの私よりは丁寧に口付けてきた。思わず後ろに両手をつく。
柄のビスケットのあたりをしっかりと歯ではさんで、わざと取れにくいようにしてやる。
お前が困ってる顔を見たいからだ。決してさっきの……さっきのが物足らなかったからじゃないぞ。勘違いするなよ。
霊夢が背中に手を回してくると、下についた右手に力が入る。空いた左手で霊夢の髪の毛を撫でてやった。豊かでいい匂いをしたものが、指の間をするする流れていく。こればかりは勝てない。私は目を閉じた。
うなじの辺りの髪を深く梳くと、霊夢の奴は私の脇に手を入れてきた。くすぐったさにきのこの柄を離してしまう。むせそうになる。油断が過ぎたらしい。
その拍子に腕から力が抜けて、仰向けに倒れた私に霊夢が覆いかぶさる形になった。二人分の髪の毛が畳にこすれてざりざりと音をたてる。
こいつときたら、とっくにきのこは口の中だってのに唇を離そうとしない。猫みたいに喉の奥をごろごろと鳴らして、鼻と鼻を触れさせ合う。耳の裏をくすぐってくる。こいつも理性をふっ飛ばしやがった。耳の下あたりの血管がだくだくと音を立ててうるさい。
私は観念して、しばらくされるがままにしていた。今度は霊夢も私の髪の毛をふわふわと触ってくる。もうちょっと丁寧にブラシ掛けときゃよかったかな。でももう色々と遅い。霊夢が襲い。なんちゃって、ハハハ……だんだん考えにもとりとめがなくなってきて、意識が遠のく。
もう少しで私の『意地』まで消し飛ぶというところで、針妙丸が帽子をはねのけた。
「ぷはあ! もうひどいじゃないっ……えっ」
霊夢ががばりと起き上がり、私も振り返ってちゃぶ台の方を見た。目を見開いて、口をあんぐりとさせている。
「えっ、えっ、おおお女の子同士でそそそそんな」
そいつは紫の髪の根元まで真っ赤にして、ぐるぐると回った挙句、帽子のつばに足を引っ掛けて後ろに倒れた。
「おおっと針妙丸が倒れた! これはいけないぜ!」
私は腹ばいになって霊夢の下から抜け出し、よたよたとちゃぶ台の方に向かう。背中に追いすがるような視線を感じるが、これ以上は私の心臓がもちそうにない。
針妙丸の襟の辺りをつまんで持ち上げ、虫かごのミニチュアベッドに寝かせてやった。小槌で記憶を消してやろうと思ったが、そんなことでリスクを取る気にもなれなかったのでやめておいた。多分誰にもしゃべらんだろう。そんなことしたらまた倒れそうだし。そもそも私じゃ小槌使えなかった気もするし。
向き直ると、霊夢ももくもくと顎を動かしていた。顔を唇よりも紅くして、ぺたんこ座りでぐったりと肩を落としている様子は、針妙丸に負けない小動物具合だった。
「きのこもおいしいだろ?」精一杯のスマイルを作ってやる。
霊夢は飲み込んでから、こくりと頷いてくれた。さっきまで聞こえていなかった雨の音が、急に強くなった気がした。
紫が完全に腑抜けと化している私たちを見ていったいどうしたのかと聞いてきたが、その追及はなんとかかわした。あとなんか二人でタケノコとハルシメジの炊き込みご飯を作った気がする。これ以上は思い出したくない。
今こうして日記に書いていても恥ずかしくて死にそうだが、霊夢にきのこを食わせることが出来たから良しとする。たけのこもおいしかったし。
発端は針妙丸だった。
「きのことたけのこ、どっちがいいのか投票だって。二人はどう思う?」
居間のちゃぶ台の上で、針妙丸は新聞を打ち出の小槌で小さくして読みやすくしていた。これぐらいの願いならリスク無く叶えられるらしい。
「きのこだろう。焼いてよし、煮てよし、おまけに魔力までとれる」
「たけのこでしょ。お酒に合うし、コリコリして美味しいわ」霊夢が口を挟んだ。
「きのこは芸風が広い。和洋中のオールラウンダーだ。マリネにしてもイケるぞ。普段はやらんがな」
「たけのこだって酢味噌和えにできるわ。きのこなんてぶにゅぶにゅとして気持ち悪いじゃないの」
「たけのこだってエグいだろ」
「それはアク抜きに失敗しただけでしょ」
畳の上に寝っ転がっていた私が身体を起こすと、座布団の上でお茶を飲んでいる霊夢と目が合った。沈黙の中にぱらぱらと春雨の音が混じる。
「ちょっとちょっと、喧嘩はやめてよ」
針妙丸はあわあわとしているが、元凶が何を言おうが知ったこっちゃない。
霊夢だってしめじの入った味噌汁はよく作ってるし(おいしい)、私だってタケノコ料理を作らないわけでもない。だがこうなりゃ意地だ。
「やる?」
「私が勝ったら霊夢がキノコ狩りだ。人に狩らせたキノコはさぞおいしいことだろうよ。この季節はハルシメジが美味い」
「あら、今日の博麗神社の午後の予定は魔理沙一人のタケノコ掘り大会よ。この雨の中で風邪をひかないといいわね」
霊夢が封魔針を手に取り、私も帽子の中に入れておいたフラスコを漁った。
弾幕勝負に突入するかと思われた所で、例によってスキマから紫の上半身がぬるりと出てきた。ちょうどちゃぶ台の上で、垂れ下がった金髪にぶつかりそうなところを針妙丸が慌てて避けた。私は危うくフラスコの中身を紫の顔にぶちまけるところだった。
「あらあら? どうしたのかしら」
私は説明してやった。
「きのことたけのこどっちがいいか、ですって? ……ああ、なるほどね」
紫は得心すると、身体を首までスキマに戻して何やらごそごそとやり始めた。首だけが宙に浮いて左右に揺れているのは相変わらず絶妙な気持ち悪さだ。針妙丸は金髪に結ばれた赤いリボンを引っ張って遊んでいる。やがて探し当てたのか、ドレスグローブに包まれた両手がにゅるりと出てきて、金の両目が針妙丸をじろりと睨みつけた。針妙丸は怯えて虫かごに引っ込んだ。まったく大人げない。
「はい、どうぞ」
ちゃぶ台に置かれたのは黄色と緑の箱が二つ。きのことたけのこのイラストがなんともファンシーでかわいらしい。今まで見たお菓子のどの箱とも違う、特徴的なデザインだった。
紫の言うには、きのことたけのこがセットで語られる時はたいてい外の世界で人気のこのお菓子を指しているらしい。こうしたチョコレート菓子は生産中止になると幻想郷にも廃棄寸前の在庫が入ってくるが、このタイプを見るのは紫以外の全員が初めてだった。
「両方とも外界じゃ現役バリバリだからねえ。ここに普通に入ってくるのはあと数十年、いや百年は先でしょうね」
「どっちが人気なんだ?」
「言ってしまったらバイアスが掛かってしまいますわ。自分で食べて確かめなさい」
「どうやって開けるんだ、これ」
紫は『開け口』に指をかけてぺりぺりと開けてくれた。
「さあ、召し上がれ。私はちょっと藍の様子を見に行くから、食べたら感想を聞かせてちょうだいね」
「結局お前は何をしにきたんだ」
「おやつがあればご相伴にあずかろうかと思ってね。強制的に」
霊夢が何か言いたげにしていたが、逆におやつをもらってしまった手前黙っていることにしたようだ。
私は真っ先にきのこを手に取った。手のひらでころころと転がしてやると、ひだの付いたチョコレートの傘、つるつると手触りのよいナツメ色の柄、たしかにきのこのフォルムとしては完璧のようだ。
さっそく口に放りこんでやると、強い甘みとココアバターの油の味が舌の上に広がった。鼻を抜ける、かりっとしたビスケットの風味とカカオの香りが混ざってなんとも気持ちいい。
霊夢も霊夢でたけのこの方を満足そうにもぐもぐとやっていたが、きのこの方には手を付けようとしなかった。私も同じ気持だ。たけのこなんて食べてやるもんか。
「あっずるい! 私にもちょうだい」
針妙丸が喚くので、ちゃぶ台の皿の上にきのこをひとつ出してやった。霊夢もたけのこをひとつ出した。針で削ったそれらを突き刺しては口に運び、もきゅもきゅと口を動かしている様は小動物そのものだ。
「あんた、どっちが美味しいと思う?」霊夢が先手を打った。
「ええ? どっちもおいしいと思うけど……」
「きのこだよな?」
「たけのこよね?」
「ちょっと二人とも、両方食べもしないでなに言ってるのよ。実際に食べてみなよ」
もっともなツッコミが入るが、こればっかりは譲れない。
「そうだ針妙丸、たしか家から持ってきたブロークンマロングラッセがあるはずなんだが、箸休めにどうだ?」
「たしか紫の差し入れの豆源モッツァレラアーモンドが……」
「モノで釣るなー!」
ここまであからさまだと流石に怒るらしい。口の端からよだれを垂らしていてはイマイチ説得力に欠けるが。
このままでは一対一でドローだ。紫が戻ってくるとも思えないし、はてさてどうしたものか。
膠着状態が数分進んだところで、霊夢が後ろから肩を叩いた。
「食べなさい」
私が振り向くと、霊夢はたけのこをひょいとつまみ、クッキー生地の方を唇に挟んでくわえて見せた。紅い唇の奥から白い歯がのぞいている。
……おい、なにやってるんだ? 私はしばし呆然としていた。しかし私の脳みそではどうしても一つの解答しか導けない。
「おい、まさか」
「え? なに霊夢? なにやってるの?」
針妙丸が騒ぎ出した。
「ちょっと黙ってろ」
私の帽子をかぶせてやる。
『えー何よ、隠さないでよー』
帽子からくぐもった声が漏れる間にも、霊夢のほっぺが唇に負けないぐらい紅くなってくる。『なにバカやってるのかしら私』と目で言っているかのようだ。
つまり、そういうことだよな。
……何を考えてんだ! いくらたけのこを食わせたいからって、そんなこと思いつくだなんて、まして実行するだなんて、どう控えめに見ても頭がおかしいだろう!
いやいやと首をふると、むっとした霊夢が距離を詰めてきた。おおかた『ほら、クッキーが湿気っちゃうから早く取りなさい』とでも思っているのだろう。
自分の中の天秤の片方に置かれた『理性』と『意地』が、もう片方に置かれた『霊夢のくちびる』にじりじりと重さで負けはじめている。やめろ、それ以上近づくな。顔が近い。
ああくそ、こいつまつげ長いな。
その感想を最後に、天秤の『理性』が上空に吹っ飛んだ。
思い切って最後の数センチを詰めると、くちびるとくちびるが、ふにゅ、と触れ合った。霊夢の匂いと、口の中に入ってきたチョコレートの香りが混ざって、なんだか変な気分になってくる。
あいつが困ってる顔を見たくて、わざとゆっくり時間を掛けて取ってやる。
……つもりでいたんだが、すぐに顔を離してしまった。『理性』が天秤に戻ってきたらしい。いや、どちらかというと『羞恥心』か。
後ろに手をわたわたとさせて後ずさった挙句、ちゃぶ台に腰をぶつけた。思わず手のひらで口を抑える。仏教の行者は身体の血流を自在にコントロールできる、と前に白蓮から聞いたが、あいにく私はそこまでの器用さは持ち合わせていない。
「……どう?」
いまさらのように口の中で主張を始めたたけのこを、ゆっくりと愛おしむように噛んだ。チョコレートに混じったクッキー生地が私の舌の上でさくさくと溶けていく。飲み込むと少し喉が渇く。
「……おいしい」
「なら、私の勝ちね」
紅いお面に得意顔が張り付いている。霊夢は後ろを向くと、なにかをごまかすように歌を歌い出した。
「今日のお夕飯は魔理沙のたけのこご飯〜♪」
あっ……くそ、すっかり忘れてた。霊夢との、その、それですっかり気が抜けてしまったから、夕飯なんて作る気はとっくに失せている。ましてタケノコ掘りなんてまっぴらごめんだ。私は焦って霊夢の肩を強くたたいた。怒ったように振り向く。
「私のも食べろよ」
そう言って私はきのこを箱から一つ取り出して、口に挟んだ。あんまりにもあんまりな結論に自分でも顎がふるふるとしてくるが、恥はもう十分かいた。毒を食らわば皿までだ。
霊夢が唖然としている。あはは、面白え。
「ちょっと待って、あれで懲りてないの?」
うるさい。お前も食べなきゃ不公平だろ。
たぶん私も狂ってるんだと思う。
きのこの傘の、くちびるに触れているあたりが油でべとべととしてきた。早くしろよ、溶けちまうぞ、と顎で言ってやると、霊夢は諦めたように近づいてきた。
閉じたまぶたの上から伸びるまつげを存分に見せつけながら、さっきの私よりは丁寧に口付けてきた。思わず後ろに両手をつく。
柄のビスケットのあたりをしっかりと歯ではさんで、わざと取れにくいようにしてやる。
お前が困ってる顔を見たいからだ。決してさっきの……さっきのが物足らなかったからじゃないぞ。勘違いするなよ。
霊夢が背中に手を回してくると、下についた右手に力が入る。空いた左手で霊夢の髪の毛を撫でてやった。豊かでいい匂いをしたものが、指の間をするする流れていく。こればかりは勝てない。私は目を閉じた。
うなじの辺りの髪を深く梳くと、霊夢の奴は私の脇に手を入れてきた。くすぐったさにきのこの柄を離してしまう。むせそうになる。油断が過ぎたらしい。
その拍子に腕から力が抜けて、仰向けに倒れた私に霊夢が覆いかぶさる形になった。二人分の髪の毛が畳にこすれてざりざりと音をたてる。
こいつときたら、とっくにきのこは口の中だってのに唇を離そうとしない。猫みたいに喉の奥をごろごろと鳴らして、鼻と鼻を触れさせ合う。耳の裏をくすぐってくる。こいつも理性をふっ飛ばしやがった。耳の下あたりの血管がだくだくと音を立ててうるさい。
私は観念して、しばらくされるがままにしていた。今度は霊夢も私の髪の毛をふわふわと触ってくる。もうちょっと丁寧にブラシ掛けときゃよかったかな。でももう色々と遅い。霊夢が襲い。なんちゃって、ハハハ……だんだん考えにもとりとめがなくなってきて、意識が遠のく。
もう少しで私の『意地』まで消し飛ぶというところで、針妙丸が帽子をはねのけた。
「ぷはあ! もうひどいじゃないっ……えっ」
霊夢ががばりと起き上がり、私も振り返ってちゃぶ台の方を見た。目を見開いて、口をあんぐりとさせている。
「えっ、えっ、おおお女の子同士でそそそそんな」
そいつは紫の髪の根元まで真っ赤にして、ぐるぐると回った挙句、帽子のつばに足を引っ掛けて後ろに倒れた。
「おおっと針妙丸が倒れた! これはいけないぜ!」
私は腹ばいになって霊夢の下から抜け出し、よたよたとちゃぶ台の方に向かう。背中に追いすがるような視線を感じるが、これ以上は私の心臓がもちそうにない。
針妙丸の襟の辺りをつまんで持ち上げ、虫かごのミニチュアベッドに寝かせてやった。小槌で記憶を消してやろうと思ったが、そんなことでリスクを取る気にもなれなかったのでやめておいた。多分誰にもしゃべらんだろう。そんなことしたらまた倒れそうだし。そもそも私じゃ小槌使えなかった気もするし。
向き直ると、霊夢ももくもくと顎を動かしていた。顔を唇よりも紅くして、ぺたんこ座りでぐったりと肩を落としている様子は、針妙丸に負けない小動物具合だった。
「きのこもおいしいだろ?」精一杯のスマイルを作ってやる。
霊夢は飲み込んでから、こくりと頷いてくれた。さっきまで聞こえていなかった雨の音が、急に強くなった気がした。
紫が完全に腑抜けと化している私たちを見ていったいどうしたのかと聞いてきたが、その追及はなんとかかわした。あとなんか二人でタケノコとハルシメジの炊き込みご飯を作った気がする。これ以上は思い出したくない。
今こうして日記に書いていても恥ずかしくて死にそうだが、霊夢にきのこを食わせることが出来たから良しとする。たけのこもおいしかったし。
最後にちゃんとご飯炊いているのがえらいですね。
結局タケノコとキノコのご飯を作るあたりがもう素晴らしすぎる。私はアルフォー党ですが。
歌う霊夢かわいい。
コーヒービートが好きです。
こう、積極的な霊夢に押されてのっちゃう魔理沙がね…いいですよね…。
私はたけのこ派です
針妙丸も可愛かったです。
ところで私の目の前に砂糖の山が出来た挙げ句口の中もジャリジャリするんだがどうして落とし前を着けてくれる(ボソッ