Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

獣の見る夢(3) (終)

2014/04/22 07:08:24
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※タイトルは俄雨氏オマージュです。

※俺設定、俺キャラ、俺展開、俺世界あり。注意。注意ですよ^^;


僕は今から 今を捨てて

人間の虹を 空から見るの

笑うのかな 歌うのかな

それとも呼吸を止めるのかな

「へっくしゅん」/RADWINPS


数日。あいかわらず、里への物の怪どもの接触や侵入はあとをたたず、必然的に、後生の家に居候した藤原も、いとまのときはごろごろしていたり、あるいは菊理の手伝いにうでまくりをしてうごいていたりと、常時かわらないようだった。(件の家借りしていたという男については「どうしたんだ?」と聞いたが「会ってないよ」と、簡素な返事がかえってくるだけだった。ほんに面の皮の厚い女である)
とはいえ藤原が殺した獣の子の親はその数日のあいだに山からおりてきたところを殺されており、砂子も警らの話は断ったものの、今里に起きていることは立派な異変であるらしく、しょっちゅう里におりてきて、おまけに後生らのところに厄介になりはじめていた(泊まる部屋は遠慮したのか、藤原と相部屋となる本家のほうを借りたようだが)。
そしてこれが一番となったであろうが、
そんな日の中で、ついに人に変化した妖怪の類が徒党で村をおそってきた。


とっぷりと暮れた夜。

しかし、この日の里はずれは騒がしかった。数日の侵入だの結界をふんだだの言う騒ぎで、逆に警らの者らの一部には気のゆるみがちな面もなかったとはいえない。鳴子がいっせいに鳴りだし、その踏んだ者らの居る方向を複数と特定したのが半刻ほどまえのこと。


村はずれの一角。夜。すさまじい数の飛びかかってくる黒い影を腕でなぎ払い、続いて飛びかかってきたものらには斬りつけかえし、ぎゃあ!! と、数匹の悲鳴と怒号のいりまじった鳴き声を聞く。しかしそこまでだ。後生のうしろからふみでた多原ともうひとりの同僚が、払いきれなかった鼠どもを刀でおいはらいおしかえす。

(無理か)
「なかなかやるねぇ、お兄さんもその刀も。どっちも只者ではないようだね」

娘の声が茶化して言う。おぞましいほどの鼠がさえずりいななき、村へ侵入しようとしている。その鼠どもをあやつっているのがどうやらこの娘――里のまわりでよく見かけられるもののように、人型、頭からおおきな鼠の耳を生やした珍奇な格好の娘の姿をしている――のようだ。
他所のところでも、似たような、(人型の娘)妖怪少女らの姿がおなじく目撃されている。多少散まんなやり方ではあるが、ついにこの類の者らが徒党をくむようなまねをして、里におりてきたのだ。
しかし妙な、と後生はかんぐったが、いまはそれどころではなさそうだし、目の前の妖怪娘は、その元より赤いはずの両眼をさらにらんらんとぎらつかせていて、とても正気の沙汰には見えない。

(月の光に狂うとは聞くが、しか――)

思考がなかばでとぎれ、次の瞬間にはぼわっと音と鳴るかのような勢いで起きた炎熱の塊に、まるで野火が秋風に広がるかのように、鼠どもがあるいは炭化し、あるいは黒焦げとなり、あるいは有無をいわせぬ豪風にぶっとばされて、ちりぢりになって飛んだ。

(藤原――?)

と、一瞬思ったが、その当人はたしかまったく別所の、同じく妖怪どもが入りこんだ方へ行っているはずだ。そう思う間にも、炎のあいだから現れたのは、元の金色を、その毛の一本一本からがつつみこまれた気で輝かせる、見るもうつくしい九尾の尾だった。
新手、ではない。炎をまくように現れたのは、奇妙な入り紋のみえる、青と白地で構成された柄の、異国風、というのか、そんな見慣れない形の衣を揺らし、白っぽい帽子が、まるで耳を思わせる、背の高い娘だった。その短めに切られた頭髪は同じく黄金、眉も金、まつげの長いひきしまった顔だちと柔らかな口唇の線におおわれて、目の前の妖怪娘と同じように煌々とした赤色の瞳が光っている。その姿をみるや、やや余裕の表情を硬くした鼠耳の娘が、ひゅっ! と、指を輪のようにしてくわえ、するどい口笛をきった。それで火を恐れ後退した鼠共の後ろから、ざざざ、と地面を舐めるようにして、おぞましい鼠共の群れが、狐の娘の前まで這い寄る。しかし、これはバン!! と、まるで気合いを一閃したかのような勢いで吹きあげられ、ぎィ! ぎィィ! と耳ざわりな音をたてて、たったの一撃で後退させられた。

「ひゅーっすごいねぇ、お姉さん」
「やかましい」

狐の娘は、鼠耳のからかいをものともせず、そのまわりにふわふわと白い炎をうかべた。狐火だ。

「どこの者だか知らないけれど、ずいぶんとちくるった真似をしているようね。我が主は今御休み中よ。起きないうちにとっととここから立ち去って、二度と足を踏み入れないことね」
「お怖いことだ」

鼠耳の娘は、しかしそう言うと、急にその姿を闇に溶かした。そして、次の瞬間ピィーー!! と、いく千の笛を鳴らしたかのようなすさまじい音が鳴りひびき、それを合図に、鼠共がすさまじい勢いで引きはじめた。そのひいていく波が落ちていた鼠共の死体をかっさらい、やがてその場は、ちりひとつも残らないようになった。

(終わった……か?)

しばしの沈黙を経て、村のあちこちの方角からほーい、ほーい、かんかんかん、と、警ら衆の合図につかう呼び子やら、音声やらが聞こえた。

「終わったようだな……」

後ろで多原が言うのが聞こえ、ちかくにいた同僚のひとりがほーい、と音声をかき鳴らし、やがて呼び子も鳴りはじめた。

(やれやれ……)

後生は剣をおさめつつ、むこうから駆けてくる砂子が、こちらの姿を認め、足を緩める姿を目にした。

「ああ、無事だったのね。あれ、らん。来てたの?」
「えぇ」

藍、と呼ばれた狐耳の娘は答え、そこに砂子が親しげな様子で近よった。

「知りあいか?」

まぁ、と砂子は後生の問いにあいまいに答え、後は藍と何やら話しこみはじめた。聞こえるような声ではあったが「紫は――」「――いえ。何も――」と、何やら込み入った話のようなので、ふぅ、と息をつき、さりげに立ち聞きをさけ、その場をはなれた。後生たちの持ち場には、かろうじて損害はなかったようだ。これもおそらくはあの藍という娘が駆けつけたおかげであろう、と、後生は心の中で謝意を起こした。

(しかし……)
「後生」

と、やや遠慮のない声で藤原が呼んだので、後生は思考を中断させた。

「ああ。無事か」
「ま、無事ってほどには無事かしらね。無事以外ありえないんだけど」

そらそうか、と後生は言いかけたが、「あぁ」と、口に出すのはやめておいた。負傷者もないようだ、と辺りを見回してみると、ふと何かに気づいたような――思いついたような、と言ってもいいが、後生はそれをみのがした。そのまま手を取られるまで、「ん?」と間抜けた反応を返すほどには注意をはらっていなかった――顔をした藤原が、そうなったと思いきや、後生の腕を強くひいた。

「何だ。おい」
「いいから」

藤原は言いつつ、ずんずんと進み、「お、ちょっとまて」と、言いつのる後生を無視してひっぱり、やがてそこにひっそりとはなれてたたずむような一軒の廃屋を見つけると、そのなかに後生を放りこみ、ばたん、と扉を閉め、月のあかりを遮断した。
何を、と後生が言う前に、藤原はどん、と覆いかぶさるように後生を倒すとその上にかぶさるような形で唇を重ねた。

「――。――、」

後生が何も言われずされるがままになっているのをあざけるように、唇をむさぼり、やっと息が切れるか切れないかのあいだをぬって、藤原は唇をはなした。ついでに少し身体も離し、ふぅ、と、馬のりのような姿勢から後生を見おろす。

「何を――」

言いかけた後生の口を手のひらでおおい、「いいから、お前、黙って私と寝ろ」と、ややおさえた声で言った。

「は?」


ほんのしばし。

かび臭く、ほこり臭い廃屋の中で、申し訳程度にしかれた衣の上から、ふぅ、ふぅ、と、荒い息をしながら身を起こすと、藤原はようやくぬぎ捨てた服や下着を身につけ、足首のつけねまである髪をばさりとかきあげ、梳きはじめた。事の後の気だるさ(不本意ではあったが)と、先ほどまでの妖怪どもとの戦いの疲労から、大人しく藤原の裸体をよせ、そのうっすらと汗をかき、呼吸さえつたわる、熱い腕を乗せられていた胸のあたりから、先ほどまで感じていた藤原の身体や、そのうねるように上下する様を思い起こしかけつつ、後生はどうにか両手をついて半身を起こした。廃屋の闇の中に射す月光と獣の鼻が、むせるような事後の空気をかぎとる。

「何つうことをするんだ」
「ん? よくなかったか?」
「そういう質問は却下だ」

後生はふてくされたように藤原から目をそらしたまま、はー、とあさく息を吐き、ふかく頭を抱えた。

「お前、虫でも湧いてるのか?」
「何だ、やぶから棒にさ」
「あのなぁ……」
「はっきりしない男だな、あんたも」

藤原は言いながらこっちを見、うなじをかきあげた。その顔がくす、と笑っている。まだ衣を引っかけたままの裸体が、うっすら気色ばんだまま、少し乱れた呼吸に上下している。

「何てこった。どの面さげて菊理の前に出ればいいんだ? 俺は」
「いつもの間抜け面よ。それ以外なにかあるの? それよりはやく身支度したほうがいいわよ。あんまり行方くらましてると、それこそ事でしょ」

髪をおおざっぱに整え終えた藤原は、さっさと衣の裾をととのえはじめた。

「それとも私が着せる?」


ぎぃ、と、きしむ廃屋の扉を閉め、後生は疲れきった顔でなんとなく衣の裾を嗅いだ。後ろから藤原が歩み出てくる。

「あんたがなにやらもだもだしているようだからね。気をはっきもたせてやろうかと思ったのだけど」
「なんの話だ?」
「まだ子供できてないんだってね。菊理のやつが気にしていたんだけれど?」
「……、あぁ……」
「ちゃんと毎晩してるかって聞いたらしてるって言うもんだからね。ただ、あの子が言うにはあんたに何か心配ごとがあるようだって」

そんなことまで話すのか、と後生はおもわず苦虫をかみつぶしそうになったが、そんなことには構わず、藤原は手を裏返して見せながら続けた。

「何かあんたが遠慮してるみたいなんだってさ。思い切り抱かれてる心地がしないんだって」


詰所のちかく。あんたの好きなようになったら、もっと。

「あの子だって頑張ってるのよ」
(しがらみに囚われているのは俺だけではない。逆に言えば俺がそう自分で思いこんでいるだけの馬鹿たれだと言いたいのか)

そりゃあもう言ったじゃない。あんたは餓鬼だってさ。そう言って笑うと、藤原は手をふって帰っていった。よく考えれば今回の件は村に起こった一大事であるし、この後の協議に藤原も同席するべきはずだが、後生としてはもういいか、というつもりになっていた。あの女については適当に言いくるめておこう。


夜半。お帰りなさいませ、と、いつものように言った菊理をあぁ、と何食わぬ顔で応じ、その後勧められるままに飯を食い、では、と先に食べ終えて部屋に戻ろうとする菊理の手をとり、後生はその目を見た。

「菊理」
「はい……」
「片づけはいい。今日はもう部屋にいこう」

菊理はややとまどったような目をしたが、おだやかな後生の表情を見ると、「はい」と、従った。


菊理を組み敷くあいだ、自分は最低だ、と、何度も後生はののしった。身体だけがいつまでも熱く、いつまでもおさまらなかった。


夜半。

褥。風呂くらい入るべきだったなと思い、今さらながらに恥が出て、しかし後生は汗ばんだ身体をそのままにしてまどろんでいた。隣の菊理は気を失うように眠ってしまった。汗ではりついた髪の毛を梳いてやり、その額にすこしくちづけをして、熱くなった汗のしずくを少し吸った。少しだけ塩の味がし、なぜか無性に菊理がいとしく思えた。唇を、菊理の鼻をすべらせ、その顎をなぞり、「ん……」と、せつなげな吐息をもらす唇を唇とかさね、かすかにふくらんだ口唇のあたりに舌の先をあて、くすぐる。
そうして、その夜、後生はもう一度菊理を抱いた。それでもまだ抱きたりず、もう一度抱いた。


冬。

秋の落葉にささえられていたものが崩れるよう、冬が来た。空にのぼる月もいっそう冷えこみ、すきとおって見えた。よう、と、詰所へむかう道すがら、帰ってきた藤原とすれちがった。

「いま、帰りか」
「あぁ。どうも今日はまた妖怪どもも静からしいね」
「あぁ、なによりだ。菊理がとん汁をつくっているそうだ。食ってやってくれ」
「へぇ。そりゃ楽しみね」

じゃあ、と藤原は特別なにごとも気にかけず、いま後生が来た道を戻っていった。後生はすこし口のはしを苦笑のかたちにしながらも、このやりとりが何度目か、いつから自然になどなったか、と思いつつ、身を切る冷たさを肩に流しながら詰所へとむかった。
いつごろからか、藤原はそれなり里や頼まれごとだったはずの仕事にもなじんだようであるらしく、後生が世話役などという暗黙の了解はうやむやのうちに解消された、無論、村の事態がそれだけ進んできたというのもある。あれから不定期な妖怪どもの襲撃は数えるのがおっくうになるほどにはあったが、妖怪の賢者、八雲の賢人(砂子に言わせれば賢いかどうかは疑問だという話だが)の式、八雲藍――秋暮れ、妖怪らがはじめて襲ってきたときに後生がみた狐の娘がそうであったらしい――の助力がえられたおかげで、里の防備は守られていた。
そういえば、と、それで後生は思いだした。

(あいつ、最近見ないな)


翌昼。

里からはなれた小道。
考えてみれば、ここ二週間ものあいだ、砂子は里にあらわれていないようだった。博麗の社へは昼もすこしかたむいた頃に着くこととなったが、頂上へ着いてみると、おもいがけずあっさりと砂子の姿は見かけられた。

(なんだ、健在なのか?)

元々、里の警らに頼まれた件は彼女自身が藤原になかば押しつけるようなかたちで回してしまい、砂子自身に対する依頼はそれで無くなった。その後なにかと里に入り出して、警ら衆の仕事に手を貸すようなかたちをとっていたのは、彼女自身の厚意(か? と正直後生は思っていたが)であったらしい。つまり砂子が手を貸すような義理は元々なかったので、途中でふっつりとそれが途切れても、特に疑念やなにかすると言ったほどではない。気のせいか、と、不自然に思っていた自分をうちけし、砂子、と後生は呼んだ。

「……。あぁ。あんたか」

砂子はこちらをむくと――また例のごとく、目の下にうすい隈をつくっている――ついぞかわらぬ様子(いや、ちと不機嫌か、と後生には感じられた)で、ややぶっきらぼうな例の口調でいってのけた。もう昼もさがるというのに今起きてきたかのような様子で、髪だけはおざなりにととのえられているものの、色違いの片目は半分まなこがさがっており、眉も柔和とはほど遠い様子だ。

(また寝不足か……?)
「なにか用?」
「いや、用というほどじゃない。最近顔をみないからな」
「あぁ。気づかってくれたの。ありがと」
「体調悪いのか?」
「別に。あんたこそ何かあったの? 妙にすっきりしてるって面ね。あー。菊理と仲良くやってるのか。よかったじゃないの。懸案も解決したみたいで」

解決というのかな、と思いつつ、腕組みし、後生は考えるように右のほほをさすった。

「まぁ、俺たちのことはいいんだが……里の懸案のほうがまだまだのようでな」

言うと、砂子はちょっと考えるように後生を見たが、その後無言で箒を動かしはじめた。その何の飾りもしない赤毛じみた黒髪が、肩口でゆれているのを見つつ、むう、と思いながら後生は後をつづけた。

「妖怪の侵入がやまん」
「知ってるわよ。藍から聞いてるし」
「……そうなのか?」
「あいつからも言われたけれど、私はもう里の方の手伝いはしないわよ。義理は果たしたし、……まぁ体の方もなんか悪いしね、近頃。あんたのとこにお邪魔しなくなった理由はそんなとこよ。稗田さんの方の屋敷に借りてた部屋も、お礼してひきはらって来たから」
「……そうか」

後生は、――別に妙なものを感じた、というわけでないが――砂子をほんのしばし、まじまじと見てから、

「まぁ、気がむいたら是非力を貸してくれ。いま、里にはお前の力が必要とされていると思う」
「まぁね」

それに砂子は手のひらを裏返して見せただけで答えてきた。
後生はしかたなくそれだけですまし、じゃあな、と言って境内をあとにした。


が。

階段を下りかけたところで、後生は思わず足をふみはずしそうになり、あわてて踏みとどまった。

(……!?)

なんだ!? と。全身の毛がざわりと蠢くような感触を一瞬おぼえ、後生は、今自分が下ってきた階段の頂上をみた。くす。そこに立っていたのはいつかみた、青白い衣の娘だった。

(助平ね)

いつか聞いた言葉が頭の奥をかすめる。後生はおもわず目をすがめるようにして、その娘のいる方から発せられる、強烈な、耐えがたいほどに醜悪な臭いを鼻にいれ、思わず腕でさえぎった。

(なんだ、これは)

娘は笑みを浮かべたまま、ふいにふらりと身をひるがえすと、境内の方へと姿を消していった。物の怪。後生は思わず階段をのぼり、行くな、としったする足を強引にしりぞけて、境内のはしに立った。だが、そこにはなにもなかった。

「……ん。なに?」

先ほどと全く変わらぬ位置にいて、箒を動かしていた砂子が、意外なものを見た、というちょっと驚きに目を開いた顔で、後生の――おそらく青白く、また、得たいのしれない化物でも見たような顔をしているだろう――顔を見て言った。

(女に恥をかかせないでよ)

いつかの砂子の台詞が頭に浮かんだ。


翌昼下がり。

里。詰所前。

「ん? なんだ、早いな」

後生の顔を見るなり、今日組む予定になっている多原が言った。

「ああ」
「……ん? 何だ。寝不足、か? ひどい顔をしてるぞ、お前」
「そうか?」
「あぁ。まぁな。はは。何があったかしらんが、お前が窮しても俺じゃ助けてやれんからな。俺の身を案じるんなら、せいぜい気ぃ張って仕事してくれ」
「あぁ。嫁さんもらうんだったな、近々」
「まぁな。とはいえ、今日は何だか村役どのからの達しらしくてな。俺たちは警らとは別の仕事だそうだ」
「ほぉ」
「まぁ詳しくは向こうに行きながら話す。出るまでにまだ時間があるから、のんびりしてろ」
「あぁ」

じゃああとでな、と、多原は言い残して、いったん詰所の外に出ていってしまった。首に布を巻いていたからどこか出かけるようだが、と、そんなことを考えながら後生は茶の準備をし、そこではじめて誰もいない詰所の中に、例の狐耳の娘がいることにようやく気がついた。狐だから、ということもないだろうが、寒さは感じないのか、火鉢から離れた隅のほうに、背を向けてじっと座っている。

(見事な尻尾だ)

本人に気取られないのをよきにして無礼なことを考え、ふと後生は思い立って、「八雲殿。よろしいか」と、伺いをたててみた。すると、(意外にも、だったが)ん? と、外面的にはそう見える厳しさや気難しさはなく、むしろやや気さくげに、藍はこちらを向いてきた。「何か?」と尋ねる顔も、狐狸のたぐいの変化にしてはずいぶん柔和な面立ちをしている。とはいえ、後生はさすがに最低限の礼節はかかさぬように言った。

「いえ。お尋ねしたいことがあったのだが――聞くところによれば、八雲殿は、博麗殿と知った仲であられるとか」
「えぇ。そうね――あいつが社に着いたときからだから、だいたいのことは見聞きしているかしら。まぁ実際に会うのはちょくちょくだし、こまかいところまでは見ていないけど」
「……失礼ながら、その、ずいぶんと気さくですな? いえ、申しわけありませぬ。もうちと気難しいかたかとお見受けしていたので」
「そうかしらね? まぁ、いいけど。それで、砂子がどうかしたの?」

藍は気にかける風もなく、さばさばした様子で話してくる。
ちと妙にも思ったが、まぁ、年へた妖獣のたぐいはこんなものなのか、と、ひとりで納得しつつ、後生は最近砂子にかわった様子がないか、――社で見た娘の姿には触れず――それとなく聞いた。

「妙な様子――あぁ。あなたはそういえば砂子と親しくしているんだったわね。そうか……」

藍はちとほほに指をすべらせ、

「変わった様子、というと? あなたが実際に砂子に会ったときにそれを感じたというのかしら?」
「はぁ。まあ、そのような……」

本当は社そのものに違和感を感じた、といった方が、いや、そこに満ちる気、だから、正確には社そのものではないが。
言いあぐねていると、やや考えるように眉をよせた(ふと見るとひどく妖えんな顔だちをしている。柔和なそのものの造形自体には反しているが、そう見うけられた)藍が、「ねぇ、あなた、あの社に行ったとき、何か見なかった?」と、思いがけない質問を口にしてきた。


「はぁ。何か、と、申されると……」
「……あなたに話すことかどうか分からないけれど、どうもあの社には強烈な臭気のような、何者かの妖気がこびりついているのが感じられるのでね。――あぁ。すまないけれどこれはここだけの話にしてほしいのだけどね。私もそれとなく砂子に探りを入れているのだけど、どうにもあいつも口が重いようでね」

とにかく、と前置きして藍は続けた。

「あなた、なるべくならあの社には近づかない方がいいわよ。あそこには、何かあるわ」

言って、藍は独特の袖手を組むような態勢にもどると、後生に背を向けて黙りこんだ。


里の道すがら。

「お前、あの妖狐どのと何を話してたんだ?」
「……いや。気づいたか?」
「まぁ、何となくな。勘だ。言っておくが俺は立ち聞きは好かんからしていないぞ」

そうか、と後生は多原に返して言うと、少し考える素振りで黙りこんだ。もっとも素振りをしただけで、何か考えることがあったわけではない。そのうち、多原が手で声をひそめる仕草をして、「手ぇだすなよ?」とぼそ、と呟いてきた。無論周りをはばかる風など形だけで、聞く者がいればつつぬけといった体だっただろうが。後生は「あぁ?」と眉をひそめた。

「いいや。お前は普段話しているときの気性ぶりとは裏腹に、どうも女の気をひきやすいというか……そういう面で得な徳をどうも持っているようだからな? あの女生どのが見目に似ず、気さくでどうにも気やすいところがあるらしいというのは俺もうすうすは知ってきたからな」
「おいおい。お前、いくら話すからって……相手は妖狐どのだぞ?」
「はてさて、妖狐というのは男も嗜む癖があるというぞ。妖えん高まんにしながら下賤にして堕落をあわせもつというのが狐様だが、かの女生にもよもやその気があるかしれぬ」
「大丈夫か、お前。何やらお前の方が気心しんしんと言った感じだが……」

言うと、しかし多原はにしし、と笑った。

「ばかめ、婚姻むすびねんごろとなるまではひとり身よ。あのような美生は人間にもおらぬ。気ごころひかれ、あらぬ妄言を吐くのは、ま、性よな」
「その美生が人にあらぬのはそれが人外たるゆえんだろう。やれやれ……」
「ま、な。だからこそ言うたのだが。ほれ、お前もすでに妻持つ身だ。ゆえにな」
「……何だ」
「女のことで身をほろぼすなよとな。正直言ってお前がかの藤原どのや博麗どのと親しくしておるというのも、やもすればはかばかしきぞ、同輩」
「……」
「ん?」
「いや」

藤原のことをいわれ、多少なりと額に汗がうかぶのを感じ、後生は口元をさすった。さいわい多原は(何か気にかかったようではあったが)見て見ないふりをしてくれたようだ。

(全く心の臓にわるいことだ……)
「お。着いたぞ。ここだ」

心中でつぶやく後生に構わず、多原が言った方を見あげると、さびれた一軒の屋敷があった。この里で代々つづく家柄の家はたいてい名家のようなあつかいを受け、その家もおおきいが、どうやらここはそのひとつであるようだった。
だが堂々とした門にはながく開かれた跡がなく、屋根の瓦はどころどころくずれてみずぼらしさを与えている。これだけの広さの屋敷を持ちながら、長年人の手がはいっていない様子には、どこかこの屋敷に起きたことの不吉さをただよわせる。

「ここは……」
「あぁ。かの浅倉屋敷だ」

多原が意味有りげにその名を口にするが、無論、後生にはその名がわかった。というより、ここは子供らのいわゆるかくれたあそび場のひとつとなっていた時期があって、当然後生も大人らの目をぬすみ、内緒で侵入していた前科がある。それは多原もおなじであったのか、にし、と例の笑いかたで、含みのある言い方をしそうな顔をする。

「ま、そのようすだとお前もご存じのくちのようだな。我らが青春の草むらにたたずむこの屋敷だが、その由来は聞いたことがあるか?」
「朝倉の分家すじの屋敷だって話か? たしかに聞いたことがあるが、大兄どのにげんこつ打たれながら聞いた話だからな……」
「あぁ。俺も母上どのに聞かされたくちだ。だが、村役どのの話によると、あの話は尾ひれがついてはいるがすべて本当のことだそうだ」

ふむ、と後生は応じつつ、この屋敷にまつわる話をうろおぼえに思いだした。元々、ここには里では悪名のたかい、朝倉というふるくからの家の分家すじに連なる者たちが住んでいたが、その者たちはみな、すべてむごたらしい様であるときこの屋敷から見つかったことがあり、それは彼ら浅倉の家の者たちが生みだした魔女の呪いを受けたためだ、ということだそうだ。――そして、この屋敷には今も殺された者たちと、「ここで」生まれ育った魔女の怨念がわだかまっており、不用意にちかよる者に不幸を為す。いかにも子供を近づけないためのおとぎ話だが、確かに子供たち(出入りしていた後生らのような子供たち、だ)のあいだでは、屋敷の開かない扉から、すさまじく嫌な、形容しがたい臭いを嗅いだだの、天井に、ちょうど子供くらいの大きさの、人型に見えなくもない得たいのしれない染みがあるだの、そのような目撃情報は多々あったし、後生も里のほかの子らといっしょに行ったとき、得たいのしれない硝子のような瓶に、干からびたなにかのくずのようなものがはみだしてころがっているのは実際に見たことがあった。(子供心に背すじに走るもんを覚えたものだが)

「……しかし、なんでいまさら」
「まぁ、歩きながら話す。鍵は村役どのが開けてくださっているそうだが――おっと、これか……。とりあえずはいろう。言っておくが、いちおう気をつけろよ」


暗闇。ぱき、ぱき、と足音をたてながら、屋敷のなかを進む。

「そも、ここがなぜ今のような廃屋と化したのか、それは今より百十数年はさかのぼる話だそうだ。もともと、ここは里の中でもあまりいいうわさのない家でな。なんでもそのころからすでに魔法――西洋のしろものだな。そいつを熱心に研究していたそうでな。で、あるときそれがおのが身にむくいとなってふりかかったという話だ」

多原はひろい屋敷のなかを、後生にはなんのと言っておいて、警戒のない足どりで歩きながら言った。

「くわしくは当時の者らが――なにぶん時が時だから、当時を知る者はとっくと昔にみな亡くなっていてな。そういう事情で、話のくわしい部分はところどころ抜けているが、はじまりはこうだ。かつてこの屋敷には、家のひとり娘である、うつくしい娘がいた。名前を浅倉のさゑ、と言ったそうだが」

言いつつ、火打石をたたき、多原はろうそくに火をともした。たちどまって屈みつつ、かこん、と、もってきていた空のがんどうに火をいれる。

「まぁうつくしいとは言ったもののそれは何か病的なものでな。むしろ見る者に漠ぜんとした恐怖や嫌悪を植えつけかねないものだったといい――とにかくこの娘もやはり浅倉ということもあって忌避されていたのだそうだ。そして、あるとき狂ったのか、それとも恨みつらみの念によるものか……このさゑという娘、一族の者どもを家人もろともすべて皆殺しにした。当時の現場を見た者はその凄絶さに、ある者は口を閉ざし、ある者は精神すら病ませた。それでもまぁ、気のしっかりとした者は、蒼白になりながらも語ったそうでな。ある者はこぼれた内ふを脈うたせたまま世にもおそろしい形相で目をかっぴらいており、ある者は壁にべっとりとはりついた染みのようになって、首だけがその身体のあったところの存在をものがたっており――誰の子かしらぬが幼子もいたそうでな。これは天井に何度も叩きつけられたのか、身体の半面がぽっこりとへこみ、目や舌は飛び出……まぁ、語るにおそろしい有様だったそうでな。それをやったとおぼしきさゑという娘は、そのときに村の者らによってたたき殺され、遺体は無縁塚にはこばれ、捨て置かれた」

多原は手のひらを裏返しにし、拍子にがんどうをゆれ動かせた。

「だが、この話はそこで終わりではなかった。この娘、なんでも希代の魔法の才能をもっていたらしくてな。死すよりとっくのまえに、死後、自らが人外の者として蘇るよう、身体に魔法をかけていたらしい。そうして妖魔として蘇った娘は、今度は自分を殺し、死体もばらばらにきざみ散らしてさらしものにした里の者どもに恨みを向けてな。世にも不可思議な魔法をもって里に押し迫った。自らの魔法で狂わせた里の廻りの妖怪どもを多数に引きつれてな。……しかしそれも結局は失敗し、さゑはおなじ朝倉の血すじの者どもに葬られ、死体を封印されたのだそうだ」
「多原」
「ん?」
「その話はわかったが、いったいそれがどう俺たちの仕事と関係する? 村役どのはなんと言って我々をここによこしたんだ」
「何?」

多原は言った。

「後生、お前何を言ってい、るん、」

がたん!! といきなりがんどうの灯がゆれ、がらん!! と、その台が落ちた。多原の身体が、がくんとけいれんして、ひざが落ち、腕がだらんとさがるのを、後生はあわててささえた。

「多原!! おい――」

かたん。
後生は、音のしたほうを見た。すると、さっきまでなにもみえなかった場所に、こつぜんと娘の姿があらわれている。腰までとどく白い髪、青白く、暗闇にとけていきそうなにぶい光彩を放つ色合い。それはよく見ると白い蝶だった。いく羽も群れて。白い樹のまわりを飛んでいる。
娘がくす、と笑うと、どこからか――いや、どこからか、ではない、それは後生が支えもった多原の、だらんとたれた顔の、だらしなくひらかれた口の中から――現れた白一色で、りんかくのまるでみえない蝶がひよひよと飛んで、娘のさしだしていた手にとまった。娘はちょっと笑って、その不規則にゆれる羽のはしをくわえ、蝶をぱたぱたと嫌がらせた。

「何者だ――」

後生はほとんど習性的に獣の目を怒らせたが、その動作も声も、下からつきつけられた多原の刃がとめた。いつのまにか、後生がささえもっていたはずの多原が、刀を手にし、その刃を、後生ののど元に、ひたりと押しあてるようにしている。
多原に声をかけようとして後生はやめた。多原はまだ気を取り戻していない。後生に身体を支えもたれ、うなだれ、だらんとした身体のまま、腕だけが不自然に刀をぬきはなち、のど元につきつけている。

「……貴、さま。……」
(御機嫌よう、いつかの助平さん)

娘はなにもいわず、嫌がる蝶から唇をはなしただけだったが、どこからかそう声が聞こえた。そして、がらん! と音がして、多原の腕が落ち、ぎゃああぁ!!! と、つづいて耳をつんざく悲鳴、ひぁぁ!! いぁっ!!! と、すさまじい笑い声とともに、だれかの声が聞こえた。やめてぇ!! えれぇ!!! ひぇっ――と、耳が痛くなるようなその声に、おもわず耳をおおう。まるで、――ここの住人は、娘に殺されたのではない――げぁぁっ!! ぎぇっ!! ひぁぁぁ!! ぎゃぁぁ――途中でとぎれる子供の声。娘の笑い声。
ここの者たちはみな――

(殺させたのよ)

また声がした。耳をつんざくひと際大きな悲鳴、断末魔が聞こえ、ようやくすべての音がとぎれた。幻のように。

(殺させたの。くすくす。私が――)

ひらひらと一匹の蝶がとび、不意にその足や羽がぼろぼろとおちて消えた。


暗闇。不意に、がろん! がらがらがらがら――と、激しい音が聞こえはじめ、それではじめて、後生は自分が多原の身体を支えもったまま、じっと硬直していたのに気がついた。どうにか多原を揺り起こすと、二、三度、がくがく、とけいれんしたあと、ごほっ!! と咳をして、多原はようやく正気にもどったようだった。後生はどうにかまだ具合のよからぬ多原をつれ、屋敷の外へと這いだした。
鳴子が狂ったように鳴っていた。

「なんだ。また妖怪どもか!?」

多原が、その音を聞きつけて、走りだした。後生もならぶように走る。

(殺させたのよ)
「急げ!」

後生は身にしみつくような悪寒をふりはらい、言った。おう、とこたえる多原の声を聞きながら、ぴく、と反応して不意に宝刀をぬきはなつ。

(馬鹿な!)

思いながら、むきあった瞬間、こちらへおおいかぶさろうとしていた真っ黒ななにかの群れを切り払い、切り払う。「何だと!?」と、言いつつもすばやく刀をぬきはなっていた多原も、そちらに流れていた黒いなにかの群れを、顔をかばいつつ切り払った。

(虫?)
「ちぇ。めんどーくさいなぁ」

そう言ったのはすこしむこうに立つ、娘の姿をした、――妖怪だろう。茶色がかった短めの髪に、なにかの冗談のように、虫のものらしき触角をはやしている――妖怪のたぐいだった。

(ここは里を少し入ったあたりだ――なぜいまさら鳴子が鳴っているのだ!)
「下がりなさい!」

凛、とした声が響き、新たに放たれた――今度は剣などでは払えない、すさまじい数の群れだ――得たいのしれない虫の群れを、突如爆発したかのような、ひろく巨大な炎の塊が、いくえにもつらなって、燃やしつくした。「いっ」という妖怪娘の声を無視し、炎を巻いて、藍の姿が現れる。

「八雲殿……」
「全く、どうなっているのかしらね。あなたたちはすぐに東のはずれに向かって。今日の侵入はいつもの比ではないわ。今、砂子も呼んだけれど、こっちへ向っているみたいだから。時間がないからこの穴を使いなさい。通り抜ければ詰所に出れるわ」

かちっ、と長い爪を鳴らすと、ぶお、と風を巻いて、黒い穴がひろがり、そこだけ別の場所の風景が映し出される。

「かたじけない!」
「気をつけてね」


詰所から走った東のはずれ。

事は後生が予想した以上だった。
以前まではなんとか損害なく、陣を保って戦えていたのが、今日はちがった。数体の、常軌を逸してうごく影どもに攻勢を許し、いく人もの同僚らがあるいは倒れたまま動かず、あるいは血を流しながら刀をふり抜いている。熟練の術士、業士らの姿も見受けられたが、ここはてうすなようで、ほんの二、三人だ。後生は考える間もなく攻勢を押しかえそうとする者たちにくわわり、剣をふるった。詰所でわかれた多原、また藤原がどこに行ったか気にかかるのを振りはらい、目の前の膝をついた者を容赦なく狙う、翼をはやした娘の姿をした者に斬りかかり、かわしたところへ気勢を上げて、その長い爪を弾きかえす。

「あーらら、爪がかけちゃうわ~」

のんきな声をあげて、珍奇なぼうしをかぶった娘は、何やら鼻歌のようなものを漏らした。たわ言か、と思う後生に、突如ぶわ、と視界を防ぐまっくろいものが覆いかぶさる。

(ちっ)

鼻や耳、口にぶぅんとしたにがい虫のような羽音を聞きながら、後生は口の中のそれらを歯ぎしりついでにかみつぶし、まったくの勘をたよりに刃をふるい、がん!! と首すじをねらってきたするどいものの先たんをはじき、さらに一歩前へ出てぶん、と――これはからぶりだったようだ――手ごたえのない斬撃を見まいつつ、体勢をたてなおしてみあげると、ぶわっと一気に黒いものが晴れた。

「あらあら~。どうやらあなたはあんまり人間じゃあないようね~♪」

翼とぼうしの娘が、いつのまにやら木の枝の高いところにちょいと座り、足をぶらぶらさせながら、例の鼻歌を歌っているようだ。

(歌声――こいつか!?)

後生はまたよってこようとする闇をかみちぎるように刃をくいしばり、ちかくにいた同僚に「すまん! かりる!」というと、その肩をぐんとおしさげるようにひき、「おわっ」とよろめいた相手の肩をだんとけりつけ、めざす木の幹をけり、蹴り、ばきり、と、足場にした枝をぶちおり、「へ?」と、思わず歌声をとめた翼の娘に斬りつけた。

「うひゃっ!!」

娘はいいつつ、さらに幹を蹴って上からおそう後生に「にゃろ!」と、するどい爪を振ったが、草履一枚でこれを防がれ、そのままがつ、ぐり、と刃を右肩におしこまれ「うあ!!」と苦もんの声をあげて思い切り地面に――たたきつけられるのを見送るまえに、後生は剣をてばなして、もろに前方へごろごろと転がっていた。そのままの勢いで木にぶつかったため、ぐわ~んとさかさまの視界がくらみ、咳が出た――叩きつけられ、ぼうしを落とした。だが相討ちのように着地に失敗(草履一枚斬らせたつもりが足の裏の皮一枚ほどまで切っていたためだ)した後生もさすがに動けず、のろのろと烏帽子をなおし、なんとか木の幹にそって立ちあがった。

「まったくぶざまねー」

そこへ、聞きなれた声がし、「とっ!」と、なにかをはじく音をたてた。よろよろと起きた自分のまえに立ったのは妖怪か、それとも藤原あたりか、と思ったら、朱の袴に白の巫女装束。それに御神刀なのか、鈴と白帯のついた短い剣をにぎった砂子だった。

(あぁ、御神具か)

などと思う間にも、はっとして後生は地面にころがった宝刀を目にし、「ばーか! おぼえてろ!!」という子供じみた罵声を聞き、それでさっきの翼の娘が逃げ去ったのを気づいた。

(ふぅ……)
「……ちっ」

後生は宝刀を拾い上げながら、先ほどの衝撃が、背部のあたりを圧迫しているのをかんじつつ、体をよろめかせた。

「ぬぅ」
「ほら、無理してないでそこで休んでなさいよ。あんたが抜けたってもう状況はかわらなそうよ」
「負傷した者たちの保護をたのむ。出来る範囲で」
「はいはい」

砂子は後生を座らせてから、ついでとばかりに頭をぺしんとたたき、「いって」と言わせてから、混戦の最中へ駆けだしていった。とはいえ、いつまでもこうしている場合ではない。そう思い、口をつかって片そでをびりびりと裂きはじめた後生のうしろで、ふと、ひら、と舞うものが行き過ぎた。後生はそれを見つめ、白い蝶、と言葉を思いうかべたところで、ふっと視界のはし、木の幹の反対がわに気配を感じた。

(駄目ねぇ。なかなか意外と駄目ねぇ)

娘の声。

(こんなもんじゃまだまだ駄目ねぇ。もっともっといっぱいっぱいおしよせないと。砂つぶがおしよせるみたいに虫がはっぱのしんのないところに喰らいつくみたいに、蟻が木の葉を押しつぶすみたいに、首をちぎってその付け根を槍でぐさぐさ抉るみたいに、どんどん血が流れているところに、まだところかまわずいく十本もさしこむみたいに、幼子の耳にさわる泣き声をのどぶえちぎってふみつぶして、それを何の感情もなくぐさぐさと針山にするみたいに、もっともっと……)
(こいつ――!!)

めまいが耳をかすめるようにしてさしたが、後生はそれをかまわずかみつぶすように、宝刀をぬきざま、気勢をあげて斬りつけた。だが、手に返るのは土の地面が刃をはねかえすにぶい手ごたえだ。

(もっともっと)

ちゃき、と構えなおして、後生はそれがどこからくるかをさぐった。ふわ、と怖気のするような気配が耳をかすめたが、びく、と肩をふるわせただけでやりすごし、やがて、ぼう、と視界の向こうにあらわれた娘の姿を見やる。

(またこいつ――)
(浅倉さゑ。あなたには自己紹介しなかったかしら、ハクタクさん)
(お前は――、お前、が……)

「ぐっ」と、後生はつよく頭をおさえた。目まいのせいではない。強烈な頭痛がする――。

(……お前が、こいつらをけしかけているのか? なんの狂言だ。この里はみだりに襲われてはならぬと――)
(ふふ。くすくす。そう。そうね。あのひと。八雲。やくも。私はなんでも大抵知っている。私が失敗して殺されることも知っていた。それでもよみがえってまた失敗することも知っていた。あのひとに封印されることもやっぱり知っていた。だからね。待っていたの、死んだふりをした私がこうしてまた封印をほどかれることも知っていたから……)
(なにを言っているかわ――)

どぱぁん!! と、そのとき叩きつけられた札が、娘の残影をかき消した。そう、それは、残影だ。本体はもう――。

「りんびょうとうしゃ……れつざいぜん、りんびょう――」
「おい!! こちらだ! 物の怪どもの大将じゃ!!」

そう叫んだのは里つきの術士のひとりで、後生と娘のあいだに割りこんできた砂子にならび、おなじく護身の法を唱えはじめた。そのあいだから警ら衆やもうひとり、里つきの術士がこれをひきいたのか、数人の弟子たちとともにやってきて、娘を包囲した。

「一帯の妖魔どもの気は去った。ものもの、こやつを逃がされるな! 妖怪どもの正気をうばうこの術は邪法、噂に名高き浅倉の魔女のものよ!」
(砂子)

浅倉? 魔女ってあれは――、と、警ら衆がざわつく中、娘が言うのが聞こえた。助けて、と。ばしん!! と、縛りの結界が完成し、警ら衆がおお!! と、突撃の陣を組み、今まさに斬りかかろうとした。その瞬間。ぐぁぁぁっ!! と、警ら衆の中から悲鳴が上がり、貴様!! 「何をする!!」「やめろ!!」と、またたくまに怒声と混乱が広がった。

(何だ――)

言う間に、後生は横からの斬撃をかろうじて防いだ。それは、里つきの術士の弟子のひとりが横からはなったものだった。

「くそっ!」

わけもわかわず刀をふるい、「御免!」と、隙をみせた相手の脇腹を横ざまからえぐりあげ、みしみし、と(やりすぎた、と、心の中で冷汗をかいたが)ろっ骨に悲鳴をあげさせ、「げぼっはっ!!」と、うつろな顔を――先ほどの多原のようにだ!――した相手がとたんに表情をとりもどしてうなだれるのと、その口から、ひら、とこぼれ落ちた花びらのようなものを見やる。

(馬鹿な)
(混戦で夢中になってるひとって周りが見えないのよねぇ)

娘の声が聞こえた。いつのまにか縛りの結界を抜けた宙にいる。そんな馬鹿な、と後生は言葉だけをならべて目を見開き、それからぼんやりと反すうした。

「――博麗殿!! 何を――」
(砂子。助けて)
(女に恥をかかせないでよね)

横からきたすさまじい力に気をかき消され、骨も折れよとばかりに叩きつけられる自分の身体と、また、自身が巻きおこしたらしいすさまじい霊気の暴走に身体をずたずたにされ、天たかく舞いあがり落ちていく砂子の身体を見つつ、後生が頭にかすめたのは、あれをうけとめなければ、ということだったとおもう。

「後生」

「助けて……」


気がつけば、後生は臨時でもうけられた救護所にはこばれていたらしく、そばには稗田の家で顔なじみとなっている、菊理の生まれたときから仕えているらしいという老爺がきて、いつもの好々爺とした笑みを見せていた。

奥方様がたいそう胸を痛めておいででした、という老爺の言葉にはうしろ髪ひかれたが、ひとまずふりきり、無事な警ら衆は詰所に集まっているらしいとのことを聞きつけ、後生は寒くしみ透る夜の月光をあびながら――聞けばあの戦いのときから一日ちかく経っており、後生が気がついたのは、事がひと収束した日の翌日の暮れだった。急速に消えつつある日中の温かみに、怪我が多少痛んだが、首に巻いた厚手の布のあたたかさでそれをごまかしつつ、後生は詰所へたちいった。とはいえ、話はずいぶん険悪な方へ向っているようだった。
おう、とこちらも左手に包帯を巻いている姿の多原が、しかしきびしい表情を崩そうとして失敗したような顔をして、こそりと事情を耳打ちしてきた。


「どういうことなのだ、それは!?」

当人が不在のまま、詰所内での糾弾は続いていた。内容は博麗の巫女である砂子のことについてである。詰所には危険など承知のうえでか、目を閉じた村役がおり、その正面に警ら衆の長と副頭、両者のあいだにはさまれる形で藍が座っており、入口にいる後生らから背を向けているのは、里つきの術士たちだ。そして怒っているのは警ら衆の副頭だった。横の長は何も言わず厳しい目をぱちぱちと揺れる火に向けている。実際に問われているのは村役、そして藍のようだったが、どちらもながく沈黙をたもったままだ。無理もない。妖魔退治の場に立ち、里にもそれなりの信を寄せられるあの博麗の社の巫女が、魔の侵食をうけいれていたというのだから。話は、今だ怪我がおもく、ふせっている途中の巫女が、藍に話すかたちで聞きだされたものだということだった。あの妖怪どもの頭目とみられる娘に取りつかれていたこと。それをあえて甘受したまま今のいままで娘の復活(いや、これは藍も不確定だと言っていたらしいが、娘、さゑの封印を解いたのがそもそも封印されながらにしてなお外の世界への干渉を可能にしていたさゑに憑かれていた、砂子であったらしい)すら知りながらだれにもしらせずにいたこと。またさゑを縛から解くようわざと欠陥のある結界をはり、その反動で霊力を暴走させたのは、さゑにあやつられたのではなく自分の意思でやったことだということ。――そのまま死ぬつもりだったということ。

「警らの皆々方には大変申し訳のない結果になり、主人になりかわり秩序をみる者として謝罪の言葉もうかびませぬ。こたびの責は私の蒙まいにもあると――」
「あなたが責を負うのは勝手だけれど、せめて、本人をまじえたところで話しなさいな」

後ろから聞こえた声に場の何人かが意を突かれたようで、意外なのは藍と村役の反応だった。「ちょっとどいて、」と、後生のいるあたりを、肩に手をかけて入ってくる砂子に立ちあがって歩み寄ると、いきなりほほ面を叩き、「――なんでここに来たの! 馬鹿やってんじゃないわよ!」と、藍がすぐさまぐいぐいと出ていかせ、そして、村役とともに、砂子の説得らしきものを始めた。が、そのうちに表の話し声をいらいらした様子で聞いていた副頭がええい、と立ちあがり、数人の者らをうしろに連れ、入口の者たちを押しのけた。それに長もやれやれ、と息をついて立ちあがり、「すまぬ。」と、入口の者たちに詫び、静かな足どりで外へ出ていく。後生はそれを無言で見ていたが、やがて警ら衆の何人かがそちらに走っていくのを見て、やれやれと思いつつ、横の多原の視線を感じつつ、詰所を出た。最初に聞こえたのは砂子の声である。

「ですから、お話ししたことはそれで全てです」
「ふざけるな!」

そうだ、我々を愚ろうしているのか、と、警ら衆の者どもが騒ぐ。藍や村役が予期したとおり、当然のように空気は険悪さを通りこして、巫女への実害にすら及ばんとしていた。

「そのようなつもりはありません。あの妖魔については私の手で調伏します。お約束します」
「砂子!」
「信じられるとでも思うのか」

そう言ったのは、長だった。けして怒りだけではない、慎重な目が砂子を見つめながら言う。

「このような言を言いたくはないが、いままでの話を伺う時点では、あなたに弱き心があるものと感ずる。それはそれであろう、人とはみなそうだ。だが、放任できるかどうかは、やはりそれを許容できるかどうかで決まるものであろう」
「警らの長殿――」
「失礼ながら狐殿、あなたは我ら人間とは違う。口をさし挟むのを控えてはいかがか!」
「待て、副頭――」

憤っているのか、話し合いに口を挟む副頭を眉をひそめてなだめるが、その長の言葉も、憤ったほかの者どもの罵りにかき消される。

「長! いまさら何を話し合う余地があります!」
「だから、待てと言っておるのだ」
「そうだそうだ!」
「今里を襲っている危難は寄りにも寄ってこいつのせいだということでありましょう!」
「半端者が。それほど妖魅に心惹かれるというなら、村の外へでも入り混じり仲良くしていろ!!」
「半人め!」
「おい、やめろ!!」
「やめぬか!!」

後生が思わず言って砂子の肩をつかむのと、長が一喝するのはほぼ同時だったが、長の言葉で静まりかえらぬ者は、今度は後生に目を向けてしまったようだ。とはいえ、後生も砂子をかばい立てしたのではない。一瞬、砂子が我を忘れるような目をしたからだ。

(こいつ、本気で殺そうとしたな……)
「後生! 貴様かばい立てするつもりか!」
「いくら稗田の婿殿とはいえ勝手は許さぬぞ!!」
「そうではない。だが今は争うときではなかろう。現在として村の危難は去っていないのだぞ。それに、今は一人でも人手が必要というのもある」
「ばかな。そのようなたわけ者の手を借りようというのか。それとも貴様も所詮は奴らの仲間ということか。その人外のしるしは伊達ではあるまい!」
「そうだ! こやつも半人であることに変わりは――」
「やめぬか。このような時に不毛な争いの種を蒔くな。気を鎮めよ。そして我々がいかにするかを早急にきめねばならぬ。見よ空を。満月じゃ。妖が力増すことこのうえなしと言われる刻限じゃ。すでにみなも知っておろう、村の要所に篝火をあげ、警戒に当たって――」

がらん!! がらがらがらん!! がらがらがらん!!
鳴子が激しく鳴った。

「急ぎ配置につけ! 先に警戒に当たっている者らと各所合流せよ! 術士どのたちをお連れするのを忘れるな!!」

語っていた長がするどく言い、にわかに詰所はさわがしくなった。
ただ立っているのも結構な邪魔となる中、後生は気づき、どこかへ向おうとする砂子の手をつかんだ。

「……おい、どこへ行く」
「私がこの村を守る義理はもう無いわ。紫が知らせを聞けば即刻任をといて放免するでしょうしね」
「だからどうするつもりだ」
「神社に帰るのよ。離して」
「お前あれだけ啖呵をきっておいていざこざにまぎれてとんずらこくつもりなのか?」
「あれだけ言われてどうして働く義理があるのよ」
「ぶん殴られたいのか? お前」

後生は言い、砂子の手を握る手に力がこもるのを感じた。

「いいか、お前のやったことに、もしかして俺や誰かが弁護する気になってるかってんならとんだかんちがいだぞ。俺はお前が感情にまかせてどうこうしそうだったから止めただけだ。お前に同情もしてないし、かといってこのまま逃げるってんならひきとめもしない。お前の好きにしろ。ただけじめだけはきっちりつけろ。それがお前の役割だろ」

後生は言いおえると、砂子の手を離した。砂子はそれ以上進もうとはせずに、両腕をさげて立ちつくしていた。後生はまだなにか言おうとしたが、砂子を見てやめた。頭を切り替えて、駆け足で砂子から離れていく。


「おい」

後生がいったあと、立ちつくしていると、砂子に声をかけてくる者があった。砂子がそちらをむくかいなかで、そのほほに拳が見舞われ、肩や肘をつぎつぎと殴られ、体勢を崩しかけたところに蹴り足が入り、地面に倒れたあとにも、ところ構わずに殴られ、蹴られ、踏みつけられた。
そうして砂子を痛めつけた者どもは「行くぞ」「おう」と声をかけあい、最後に砂子に唾を吐きかけて、各々の配置へと走っていった。

(お前の好きにしろ)

じんじんと耳鳴りのするなかでその声を聞きつつ、打たれた腹と鼻を押さえつつ、砂子は近くの壁に寄りかかって立ちあがった。

(冗談)


里のはずれ。

夜はおおいに騒がしくなってきているようだ。あちこちで小競り合いの音がする中、「うひゃ!!」と、後生が着くなり襲いかかってきた例の翼にぼうしの娘が横からきた炎の鳥に一瞬つつまれ、火の粉を散らしながら逃げていく。

「ちっくしょー!! 次を見てなさいよーっ!」
「よぅ」
「藤原。どこに行ってたんだ?」
「ちょっと隣の里に助けを求めにいこうって案が出てさ。その付きそいで行ってきたけど、駄目ね。途中で待ちぶせしてた連中の襲撃にあったんで逃げ帰ってきたわよ」
「そうか……」

言っていると、またどこかから鼠の大群が猛烈な勢いで押しよせてくる。後生は藤原からばっと離れつつ、地面を埋めつくすような鼠どもを薙ぎはらい、足でけ飛ばした。さらに藤原の炎が広い範囲を焦がし、鼠の群れをつぎつぎと炭塊に変える。

「やれやれここらが引き際かね。いくら鼠風情ったって、こうも仲間を減らす戦いばかり強いられたんじゃぁかなわない。ちょうど満月だしあの魔女娘の術から抜けだすには、いいころ合いだ」

ピィーーッ!! と、例のいく千の笛を鳴らす音をたて、鼠どもが徐々に徐々にひいていく。後生は闇の奥(なぜかもうひとつ闇をかけたかのように、むこう側が見通せないが)にぷらぷらと揺れる靴下の足を見かけたが、追うにも鼠の群れにしんがりをまもられ、できなかった。そのうち、がささ、としげみを抜けだして、頭から昆虫の触角をはやした娘が「ちくしょっ! 今年の夏の冷害がなけりゃ、もっと力を出せたのにぃ!」と叫びつつ、ところどころ焦げた服の後ろに無数の虫からなるおぞましい数の羽虫のたぐいを引きつれ、林の方へ逃げさっていく。

(逃げる者も出始めたか!? だが相変わらず村を覆う妖気が晴れん!)
(やれやれここらが引きぎわかね)

なぜかその台詞が反すうされ、後生は直感のままに目の前をおおう羽虫どもを切りはらい、切りはらいし、ざっと竹の葉と雪の混じる土をけった。

「おい、どこ行く!」

藤原が後を追ってくる。お前はいいから村の防衛に、と言いかけるのをやめて、後生は黙って村の道を駆けた。妖気が強くないながらも、独特のにおいをはなっている。獣には分かる、怨みの念だ。それがつよくこごったもの。

(俺ひとりではどうにもならん)
「すまん、ついてきてくれ!」


村のはずれ。

朝倉家。
元々が村の者たちとの付きあいうすい、この一風かわった西洋のものを模したという屋敷――いや、館、と呼ぶほうが合っている、この屋敷には、しかし村役の配慮によって最低限の防御の者たちがよこされていたはずだ。朝倉家の者たちは里でこそ忌まれているが、代々の当主は常々村役との関係だけは大事に見てきたとされている。しかしその館は静まり返り、見たところ灯りひとつついていない。

「ここははじめて来るな。ほー。立派な建物だ」
「お前、珍しくないのか?」
「私はこの里に来たのが最近でね。いろいろ外を回っていたからこれでも見聞はあるわよ」
「そうか……」

後生は気なさそうに応えながら周りをみた。この騒ぎだ。いくら妖怪の襲撃はなかったにしても、人の気配がまったく感じられないというのはおかしい。いや。気配はないわけではないが、それはどうやら屋敷の中からしている。
不吉を孕んだ空気とともにだが。ぱん! とその時音がした。つづいて、ぱん、ぱん、かちゃん、ぱりん! がちゃん! と、どんどん音が連なっていく。

「なんだ!?」

後生はうろたえ気味に宝刀を抜いた。窓? というのか。それがつぎつぎに陶器のわれるような音をたて、その破片が散っている。

「砂子……」

先にそうつぶやいて走りだしたのは藤原だった。それに遅れ気味になりつつも、後生は後ろをとるように走り、館の裏手へとまわり、そこでいきなり木がまるごとふっ飛ばされ、ずずん!! と、砂をまいてつきささり、倒れるのを目にする。藤原もどうにかよけたようだったが、それでまず目に入ったのは手前に倒れている人影だった。警ら衆の同僚たちと、こちらに配置されていた術士勢の弟子たち――一気になにかに翻ろうされたかのようにばらばらに倒れており、うぅ、とうめき声をもらす者もいることから、全員が死んでいるというわけではないようだ。

(あはははは)

例の娘の声が聞こえ、後生は思わず耳を押さえようとした。すさまじい爆音のようになって、娘の笑い声が一瞬耳を圧迫するようにひびく。

(妖怪……!!)
(あはははははは!)
「くそったれ……」

藤原も聞こえているのか、わずらわしそうに目をほそめて呟き、そして次の瞬間、ずずずん!! と雷の鳴るような音がした。わけも分からずに、目をすがめて音のしたほうを見やると、館の石壁が崩れ、ばらばらになった数歩も先に、衣を獣の爪のようなもので裂かれ、ところどころぼろぼろにし、なおかつ腰まであるあの長い髪をだらんと地に投げだし、まるでぶん投げられた人形のようになった、さゑだった。じゃり、から、と、大きく(どのような力をもってしたのか、目に入るぶんの館の壁一面を下半分ほど崩し、亀裂が二階部分ままでも及んでいる)くずされた壁の向こうから、はっ、はっと肩で息をつく砂子が出てきて、おもわず、といった様子で足元の瓦礫につまづいて転んだ。そのまま、すぐに、ぐ、と地面を噛むように身を起こす。
そこに無言で藤原が駆けより、手を貸してやる。後生もあわてて近より、しゃがんで砂子のようすに目をやりつつ、ゆらり、と、あやつられるように起き上がるさゑの動きにも目を配った。

(おや、おや。砂子のほかにも勘のいい人がいたみたい。ふふ。よく分かったわね。私がここにくるって。正解おめでとう!)
「ふざけるな……」

後生は奇きょうな言動に惑わされぬように強気で犬歯を鳴らした。さゑの様子は見るにもぼろぼろで砂子の一方的な攻勢だったようにしか見えないのに、砂子の方が消もうしている、

「あんたたち……向こうは……片づいたの……?」
「いいや。だが抑えている。この女の怪しげな術を断ちきれば、妖魔どもは引くはずだ。この間にこいつを片づける」
(ふふふははは。強気。強気ね)

さゑはあいかわらずいっさい口を動かさない、(のどの辺りに呪符をなぞったような奇々な文様の布を巻いているが、声はそこから出ているようにも思える)まばたきもしない奇妙な喋り方で、その目を狂おしいほどに赤く輝かせている。眠りから覚めたばかりのような、一見寝ぼけたそれに見えるようなまなこを細め、くす、と笑う。

(あなたたちは知らないでしょう――)
(……きに、しろ、よ、……)

うねる女の裸体。月光に映える、足元をつく白毛がたれさがり、女の動きにあわせ――何? と後生は、今脳裏によぎったことを、誰かも分からぬ者に尋ねた。ぐぅん、ぐぅん、と、眩い速さで、その情景と、体温と、呼気、熱が、廃屋に立ちこめる臭いがよみがえる。何故。

(好きにしろよ)

自分に組み敷かれながら、みだらな舌先を出し、藤原がつぶやく。

(くっ……)
(砂子は私のお気に入りなのよ)
(なんだってんだ……!)

頭をふる心地で言いながら、ふと背後にふわ、という、無数の、それも、無数どころではない、しかし、音も重さももたない何かのうごめきを感じ、後生はしゃべくる娘から目をはなさず、見開くようにして背後の気配をさぐった。とたん、ひら、ひらひら、ひら――と、まいちる桜の花びらのような唐とつさで幾羽もの白い蝶が背後から飛んでくる。ぼうっ!! と、背中から、全てを焼き焦がすような炎が上がる。後生は横から触れる何者かの手を感じ、好きにしなよ、と、自分をあざけ笑うような笑いを感じ、触るな、といいそうになる気をおさえ、とっさに前に飛んだ。宝刀を持ちかえざま、土に手をつき、ぐっと後ろを見やる。すると炎を背景にして館が発光していた。いやちがう。その内側、あらゆる窓という窓に、おぞましくなるほどの白い蝶の群れが重なり、発光しているかのように見えている。

(砂子の体にはいくつもの私が刻んだ痕がある――交わった跡がある。うふふ、ふふ。彼女が私を愛したように、私も砂子のことがとてもいとしいの。今でも、ほら、こんなに)

館の窓にはりつくようにして映し出された人々の顔――蝶に周りをふちどられ、その中から顔をあえがすようにして出している。おそらくは朝倉家の者たちだ――から目をひきはがしつつ、女を見やると、自らの股の間に差し入れた手を、す、とこちらに返してみせたところだった。その指先は月光に光るほどぬらぬらとぬれており、線状の虫がうごめき、粘っていた。――変態が。後生は吐きそうになるのを堪えた。

「……むし女」
(私を卑下するのはあまり感心しないわ。あなたも貶めることになる)

その言葉にあわせるように、げえ、と、砂子が不意にうつむいて吐いた。びしゃびしゃと落ちたその中にはびた、びた、と、一匹ではない。数匹もの長い虫と、甲虫のようなものがうぞうぞとうごめいている。

(私を拒絶しようとすれば――)
(好きにしなさいよ)

ぐら、と、また後生の目の前が歪む。組み敷いていた女は今度は砂子になり、ぬらぬらと動く裸体と、虫のような舌を出して、あざけ笑ってくる。

(あんたの好きにしたらいいのよ)
「……黙れ……」
(黙、れ)

口に出したのは後生ではなく、砂子だった。その手が動き、ぐぐ、と、自らの腰にさした神具の剣を取りあげる。その動きはおそろしくにぶい。

(兄様。お好きになさいませ。あなたの自由に)
「黙れ!!!」

幻が、月光に照らされ、自らがあの夜、くちびるを重ねた菊理のひかえめな舌を出して唇をあざけりの形に変えたものになるのを斬りはらうように、後生はざっとさゑに斬りかかった。

(あなたも同じ。砂子と同じ。呪っている。呪っている。怨んでいる。私ともおんなじ。おんなじ。あはははは)
「黙――」

ざぉっ!! と、眼前を炎が駆けぬけ、思わず後生は動きを止めた。

「何をしてんだ、死にたいのか!? 前も見ないで突っこんで!!」

炎を巻いた藤原が、激しく自分の前で喝を飛ばしてくる。どうやらあまりにうかつなつっこみ方だったらしい。もう少しで藤原が横からはなっていた炎の鳥に巻きこまれるところだった。

(術、か!?)
(あなたも同じ。その人と同じ。私と同じ。あはははははふふ)
「くそ!」

後生は口元を押さえ、ちょっと構え直して一歩さがった。退くのも前に進むのも危険と判断し、その場にとどまる。

(誰が何を――呪っているって?)

砂子の方をちらりと見るが、今かろうじて立ちあがったところだ。動けるかどうかは微妙だが、あまり当てにしない方がいいかもしれない。自分より少し前に陣取り背中を向けている藤原の位置が気になったが、その前に女の声が割りこんでくる。下の唇を指で触れながら。

(この世界全て。人々全て)
「ちっ……」
(あははは、ふふふ)

『りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん……りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん……』砂子が呟き、気を高めるのが聞こえる。その青白い横顔に玉のように冷汗がうかび、ぽつん、とあごを垂れ、唇の端に血がにじむ。

(へたなことはやめないと、本当に死ぬわよ、砂子?)

くすくす、という声がすぐそばでした、と思うと、だん!! がしゃん! と、――後生には、娘が消えたようにしか見えなかった――いきなりちかくで鳴った音に、後生は荒くなった息をもたげながら(おかしい、急に息苦しくなったようだ、と、歯を軋りつつ)ばっと砂子の方を見た。すると、ぼんやりとした輪かくをしだいに娘の形にしたものが、砂子を――叩きつけたのだろう――地面からひきはがし、そのままのど元の服を掴んで、片手一本で持ち上げるのが目に入った。

(くそ!!)

後生は踏みだそうとして、そのままよろける足元といきなりのめまいに頭をくずし、剣をすっぽぬかせて転んだ。力の入らない冷たい指で、ぐっと口元に袖を引きよせる。

(このにおい……なぜ気づかなかった……毒、だ!)
(効きが鈍かったわねぇ。残念残念♪)

さゑが笑う。気づけば、藤原も、いつのまにか口元をかばい、地面で咳をしていた。嵌められた。臭いのしない毒。

(そう、正確にはあまり臭いのしない毒ね。あなた鼻が敏感だから、このくらい強くなれば気づくんじゃないかしら? ふふふ)

さゑはそのまま、ぶん、と飽きたように腕をふって、砂子を投げつける。そのまま、藤原の方へ歩むと、そのえりを絞りあげて持ちあげ、ず、と、自らの唇を、藤原のものとかさねた。そのまま、寝子とでもするように深く深く口づける。「ぐっ!!?」と、藤原がさけぶと、くすくす笑って、また物のように放り捨てる。

(蓬莱人は厄介よねぇ。厄介だから、私のとっておきをあげる)

そうして、今度は後生に近づいてくる。えりを絞りあげて、持ちあげる。

(あなたもあげる?)

そう言ったとたん、ずぉ!!! と、後生の鼻先をかすめるほどちかくに、炎が舞った。その勢いに思わず後生はうめき、ついでとたんに重くなった自分の身体が、瓦礫の山を鳴らすのを、耳元で聞く。

(く……)
「ひとのおとこ、に、……手ぇだすんじゃ、ないよ……むしおんな……!!」

藤原が言い、ぶっ、がふっ、と、とめどなく口から血を溢れさせる。

(まだ動けるなんてすごいのねぇ。殺しちゃうと復活しちゃうし……。では内ふの中ではなく、頭の中に入れてあげましょう。私の虫♪)

藤原が気づいて炎を吹きあげかけるが、それはなかばで中断された。そのまま急な勢いで倒れこみ、「ぐぁぁぁぁ……ぁがぁぁぁぁぁぁ!!!」と、頭を狂ったように押さえ、獣のようにさけぶ。
そのそばにいつのまにか現われていたさゑが「よしよし」とでもいうように、その頭を撫でる。

(ねんねこ、ねんねこや~♪)

ひとしきり、はげしく悶える藤原の様子を目をほそめて眺めおえると、さて、とでも言うようなのんきな足どりで、ざっ、ざくっ、と、後生の方に歩んできた。

(さぁ。今度こそ誰にも邪魔されずたのしみましょう♪ ハクタクさん?)

ぐっと後生のそばで、胸ぐらを掴んでその身体を持ちあげると、密かに掴んでいた宝刀も手ではらいのけ、ひろって、後ろにぽいと捨てさる。

(無粋なものは抜きにしてくださいな。さぁ――)
(兄様、楽しみましょう?)
(俺はそんなことを考えていない)
「俺……そんな……」

あらぬ体勢で言う菊理のまぼろしが、真実のように目の前の埋めるのを見ながら、後生は為すすべなくさゑに唇を吸われた。ふかぶかと。ゆっくりと。後生のなかを嬲るように。それにともない、このうえないほどの怖気と嫌悪感が、次第に白いさゑの蝶の姿をしたなにかに、喰われるように侵されすり替わっていくのを感じる。魔性。後生は必死にあらがったがどうにもならない。かっ! と、夏場の太陽のように白熱した頭が、下腹のモノが、さゑの衣の下にある裸体を思うさま抱きたい。組み敷きたい。肌を吸い、乳を噛みつき、腿を撫でたい。甘い噛み傷をのこし、吸いついた跡を、陰部に、腕に、脚に、足に、あらゆるところへ残したい。

(さぁ……この虫を呑んで、私とひとつになりましょう? 何も考えなくていい、ところ、へ、)

するりと落ちていたさゑの身体が硬直し、衣が、病的なものを思わせる純白の肌が。直前に見えた、闇に光る色ちがいの目と、神々しいほどの意思をごちゃまぜにしたような、くいしばった歯と、宝剣の。
刃。

(あら……)

右の胸のあたりから、ななめに生えた真っ赤な刃が、後生の左肩ぎりぎりを擦って、宙に突きでている。……とうしゃ、……つざい、ぜん……。りんびょうとうしゃ、かいじんれつざいぜん。
刃がぐっと捻られると、ごぶり、と、しぶくように、さゑの笑う唇や、鼻の穴から、おもわず噴き出すほどに大量の血がどしゃ、べしゃべしゃと流れでた。りんびょうとうしゃ、かいじんれつざいぜん、りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん、と唱えながら、砂子がおもわずぞっとするほどの気力でぐぐ、と刃をさらに差しこんだ。娘の手から、後生の身体が離れる。

(痛いわ……砂子……)

ざっと、さゑが砂子の手を捻り、そのまま力任せにねじる。みき、と音がし、あああああ!!!と、砂子の声が聞こえた。さゑは宝刀を身体に刺したまま、砂子の胸ぐらを持ちあげた。

(あなたにはもうちょっと虫みたいに死んでもらいたかったけど……封印をといてくれたお礼もあったしね……。そう、あなたは、まだ封印されていたころの私に、「何も」侵されていないのに……どこで知ったのか、封印を解いてくれたから……私の友達として扱ってあげてもよかったのに……あはは、うふふ。そうね、かつては愛しあったふたり、危うくて壊れっぱなしの悪の心を持ったあなたに、私がとっておきの死を添えてあげようと、思っていたけど、もういいわね。せいぜい苦しんで死んでね、砂子)

歯をくいしばる砂子に、まるで別れのそれのような、そっとした、血まみれの唇をあわせると、そのまま深々と吸いついた。藤原にしたのと同じように。

「が……ぐぁぁぁぁぁぁぁ!!! あがぁぁぁぁ!!!」

びし、と何かに亀裂をいれられたかのように、さゑが唇を離した一瞬遅れで、砂子が獣のような声を上げはじめた。いけない。

(ふふ――)

ぴしゅ。と、音がして、とん、と、さゑの首をうしろから射たのは、一本の、堂々とした、絶対とした矢だった。さゑがくる、とうしろを向いた瞬間、その身体じゅうを矢が射ぬく。いく本も。

「つがえよ!!」

そう言って、弓を捨てたのは藍だった。その後ろにいた数人の者どもが、ぎぃ、と、影の姿のまま矢を引く。

(あらあら)
「放て!!」

そのひと言で、さゑの身体に、さらに倍以上の矢が刺さり、さゑの身体が燃えあがった。ただの矢ではない。呪印をほどこした、特殊な矢。

(残念)

ぶし、と、矢の一本を引きぬくと、それを両手で持って、さゑはそのまま自らののどを思い切り貫いた。


すべて終わり――。

博麗の社。床の間。
村での処置を終えた砂子は、すぐに身柄をこちらに移された。厄介払いといえばそうだ――後生は村役の人柄を信じ、砂子にかわり礼を言いたい気ではあったがあえてそうせず、社の方へ来ていた。村に置いていればこの騒ぎで命を落とした者、手や足を失った者たちの身内知人がなにをするか分からない――ったが、後生はあの後すぐに菊理に顔を見せ、その喜んだような、感情を抑えきれないでいるかのような、涙を流した笑い顔に、求める気をこらえ、後始末のためだといい、この社に来ていた。砂子を運んできた術士勢の弟子たちとすれ違いに少し様子を聞き、(この者たちは無関係であるがゆえに砂子を恨んでいないことに安堵を覚えたのを、すこしの罪悪感に変え、)社をおとずれると、玄関から顔を出した藤原――無論のこと、すでに例の術を使ってけろっとしていた――にちょっとへんな顔をされつつも中にはいり、付き添っていた藍の姿に礼をし、座ってから、だいぶの時が経っていた。
砂子は死んだかのように眠っている。

(縁起でもないが)

後生は考えつつ、隣に人ひとりぶんほど離れ座る藍の、袖手して目を閉じた姿勢の綺麗な横顔――あさく眠っているのかもしれない、とも思った。式という役目ゆえに、仕事に忠実な印象があった――を見つつ、ふむ、と目を閉じた。

(縁起でもない、か)

そんなことも思う。厄体もない、とも言えない考えだったが、そう考えざるを得ないのは仕方なかった。砂子は里を追われることになるだろう。村役はそう漏らした。自棄気味だったとはいえ、あのとき口にしていた巫女を解かれる、という言葉にどうやら偽りはなかったらしい。だが彼女のやったことは、すでに後生の住む里の人々の中には知れ渡ってしまったとみていい。この閉鎖された人と人とのつながりの中でそういった前与が広まることは、すでにそこで暮らしていけなくなることを意味している。砂子が望み歩み寄ろうとすれば、里のはしに住まい、安全のひとはしを協調することを許すことだけはあるかもしれないが、彼女の身の上を考えればやはり難しいだろう、と。

(ひとつめおばけ)
(半人め!!)
「少し寝たら?」

ふと、横の藍に言われ、後生は目を開いた。藍が目を閉じ、ぴんとした動かない姿勢のまま、口だけを動かしてくる。

「いや。済まぬ」
「そう」

藍は言うと、ちゃぷ、と、脇の桶の水の具合を確かめ、すぐそばに置いていた布をもって立ちあがった。

「水を替えてくるわ。様子を見ていて」
「わかった」


しばし。

藍が出ていって少しか、それともすぐだったか、なにも隣にいず、浅い呼吸だけをくりかえす砂子ひとりがいるだけの空間は、時の流れすらもおぼろげにさせる。

「ん……ぁ……」

と、不意に砂子が声をあげたことで、後生はその枕もとに寄った。眠かけしていた目をなんとか起こさせ、見やると、砂子はふるえるまつげを開き、ぼう、とした瞳を、しかし、気のはっきりとして色は見える顔に開かせ、それが天井をさ迷うのを見やる。
「……砂子。大丈夫か」

後生は静かに声をかけた。

「待っていろ。今藍どのが戻ってくる」
「それは都合が悪いわね」

砂子が言うのを聞いた瞬間、後生は凄まじい力で胸ぐらを掴まれ、力任せに押し倒されていた。

(残念。残念ね、ハクタクさん♪)
(貴様……)

思わず歯を軋るように砂子の衣の裾をつかむが、それを押し戻すように、ぎり、と、喉を直接掴んだ手がぎし、みし、と音をたて、後生の口を強引に開けさせる。

(大人しくしないと首の骨が折れるわよ。言ったでしょ、私にはたいていのことはわかるって。だからいつも保障を用意しておくの。さすがに脳まで虫を侵入させたのは不味かったし、砂子の片腕、動かなくなっちゃったけど、まあ十分。さ、あなたも私の保障になって頂戴な♪)

動かない唇のはしに、ちろ、とのぞいた舌のようなものを動かし、砂子は――いや、砂子の顔をしたさゑが顔を近づけてくる。近くで見ると、舌のようなものは、赤い甲かくをもつ、大きな甲虫だった。それが間近でぎし、ぎしし、と、蠢いている。後生は全身を総毛立たせて抗おうとしたが、さゑの手はびくともうごかない。

「ふざけ、るん、じゃ――な、い、わ、よ、」

びく、と砂子の動きが――いや、身体が、だ――とまり、ぎぎ、ぎ、ぎぎ、と、力をこめたかと思うと、いきなりばりん! と、くわえた甲虫の身体を、歯をたてて噛みつぶした。

(砂子――)

さゑのきょとんとしたような声が聞こえ、砂子の身体が後生から離れたかと思うと、ばっと血とほこりに塗れた巫女装束のはしから、なにか、ちょうど手におさまるくらいの、横長いものをばっと取りだした。ちゃき、とすばやく指だけで取り払われた鞘がきん、と、畳で音を立てる。そのまま砂子は距離も持たせず、最短の動きで、自分の腹の一点を狙って、ざくり、と、短刀の刃をさしこんだ。それをぐり、と捻り、ずぶ、と深く埋める。

(今、度、は、)

さゑの顔が言った。

(残、念、も、な、い、わ、ね)

そのまま、ぶふ、とせきこみ、鼻と口、そして耳と目からも、どす黒い液体がどろどろと流れだした。その勢いは湯水のようにはげしく、たちまち砂子の衣服や、その下にいた後生の服を汚し、たえまなく流れでた。やがて、砂子がごふ、とせきこみ、今度は黒い粘液にまじり、鮮血が、口と鼻から同時に流れだした。

「砂子!!」

後生は砂子の身体をささえ、呼びかけた。そこでちょうど何事か、と、急ぎ駆けもどって来た藍、そして藤原が姿を見せた。畳の上に、黒と赤の入り混じったようなどす黒い色がとめどないように広がった。


しばし。医者を呼んでくる、と、藍が出ていったのがしばし前、急ぎ処置をほどこされた砂子は、ふたたび布団に寝かされていた。急所は外れている、というのが藤原のみたてだった。

「助かるかはまぁ五分五分ってところじゃないかしら。まぁあの虫女郎は抜けたと思うけど、あとで里にも注意うながしておいたほうがいいわね。またごきぶりみたいに動きだしたらたまったもんじゃないし」

血でべっとりとよごれた手を洗いながら藤原は言い、荒い終えると、布でよく手をぬぐった。ぽん、と後生の身体をたたく。

「災難だったわね。でも悪いけど、落ちつくまで砂子の様子見てて。私は外にいるからさ」

そう言って藤原が部屋を出ていったのが今さっきだ。後生は袖手にして、宝刀をかたわらにおき、ふたたび砂子の布団に付きそう形で座った。安どか、単なる疲労か、ふぅ、と息を漏らし、顔をこする。

(……たいした奴だ……)

口元をさすり、それだけを呟く。砂子に対する称賛だったが、それになんの意味があったのかを考え、後生は妙に冷徹な心地になり、かぶりを振るようにして、ふたたび砂子を見下ろした。

(あるいはそうなってしまえば俺も楽になれたか、か? 度しがたいな)

いまだ短い呼吸をくり返すような砂子の顔に、うっすらと汗が浮いている。後生は藤原が、持っていった桶とは別にもうひとつ残しておいた水の具合をはかり、脇にひたしてあった布をとってしぼり、砂子の顔を丁寧にふいてやった。

そのまままた同じ姿勢で座していると、廊下を誰かが歩いてくるのが聞こえた。
誰かは判然としない、と思ったが、後生は反射的に宝剣にのばそうとした手をこらえた。誰だ、とは不審に思ったが、なぜかそれを警戒するのは間違いだ、と、直感がそう言った。なぜだ。そう思う間にもその、何となく異国の風情を思わせる奇妙な紋に、ふざけたような色合いの、ふるい陰陽をしめす太極の印を入れた服――これはどことなく藍のものに似ていたが、それは衣裳がもつ雰囲気だけのことで、こちらはもっと装飾をこらした、ほのかに淡い黄地がかった白い布で基調をとった優美な服だった――を着た、頭にのせたぼうしのしたで、きらめくような金糸の髪をまとめている女生は、まるでそこにいるのが当然であるかのように桶をすこしよけ、砂子の枕もとのあたりに座り、その額に触れはじめた。
その笑んだような横顔は、あのさゑのような妖気に満ちてはいたが、もっとふかく不気味で、もっと深く陰うつなものを含んでいた。
そのうちに、後生はその女生の顔を思いだした。昔、村役が話しているのを見た覚えがある。それは、
妖怪の賢者。
八雲。

「あなたは……」
「お初にお目に掛かりますかしら? 急な訪問で失礼」

八雲某は言うと、砂子のほほに当てていた手をのけた。しばし考える様子になって言う。

「そうね……」

それだけ言うと、考えるのをやめ、すっと立った。そして、なにも告げずに出ていこうとする。

「砂子は助かるのですか?」

と、部屋を出る直前、後生が言おうとしたことを先んじて言ってくる。

「否。砂子は助かりません。ただし、死ぬこともありません。生き続けるでしょう」

八雲某は続けて言った。

「それはどのような?」

また、後生の疑念と、そこからでる質問をぴたりと当てて言ってくる。

「それはどのような? 彼女にとってその形で助かることは、おそらく助かることにはあたらないからです。それは? それは? 砂子が神と妖怪の血を少しづつ引いている、と言うのをあなたは冗談めかして聞いたことがあるのでしょう? それは冗談と思っているのはあなたの砂子に対する印象と感情故であり、実は本当のことです。彼女は人間でありながら妖怪の血を引き、そこへ神の血をうけた数奇な子です。彼女の死とは人間としての死であり、それは人間としての血が絶えることを意味しています。元々、彼女は自分でもそのことを分かっていませんでしたが、神の血をその身に宿した子故、光り輝く面と、闇に堕ちる面との差が非常に激しく、それゆえ、自分でも時々、感情に任せて何をしてしまうか分からない面があることには、気づいており、知らず知らずに自分で感情を抑えて対応することが多くありました。それはつまりどういうことですか? それはつまり、このままでは人間の血が絶え、神と妖の血しか彼女の身には残らないということです。そして信仰を受けず人々の厄と怨みをうけた彼女の身体は反神を起こし、強力な妖怪となって甦ってきてしまうでしょう。私は彼女を巫女の任から解きますか? はい。私は彼女を巫女の任から解き、放逐するでしょう。そのような者がこの神社を預かることは、容認できませんから。私は生まれつき色々なことがわかるたちなので、先のこともけっこう色々と見通せます。私はいずれこの場所を境として、現と幻の境界を分かつことを長老の方々に提案し、それはすったもんだの末に受け入れられるでしょう。その時はもうそろそろなのです。なぜ、あなたはこんな話を?」

八雲某は言い、少し言葉を止めた。

「なぜ、あなたはこんな話を? そうあなたが思うのは無理からぬことですが、それに対して、私はとてもとても残酷な答えを返します。あなたはそれを恨むでしょうが、大変すみませんが、私にはあなたや砂子よりもこの里の方が大事でいとしいのです。ですから私はこう答えを返すでしょう。砂子は妖怪になることを死ぬより嫌だと言うでしょうから、今のうちに斬ってあげて下さい。あなたにはそれができます。砂子が本当に妖怪になってしまったら、私でも殺してあげられるかどうかわかりませんから。お願いしますね。それでは、またいつか」

言いおえると、八雲某は足音もなく廊下へ消えさり、そのまま気配もにおいも消えた。後生は静かに口をつぐんでいたがやがて、力任せに畳を殴りつけた。憎い。殺してあげて下さいね。

「何と……勝手な……!!」

何と勝手なことを。その内に、後生は砂子の息が少し荒くなっているのに気がついた。耳が痛くなるほどの怒りで最初はふ抜けていたが、砂子の様子に目を戻すと、どくん、どくん、となにかが脈打つように、その下腹部のあたりでうねっているのがわかった。

「ご……ょ……ぅ……」
「止めろ。砂子。気をしっかり持て」
「後……生……」

どくん。
ほほを激しく紅潮させ、耳まで真っ赤にし、砂子は苦しげに舌を紡いだ。

「や……め……て……」
「砂子! しっかりしろ。もうすぐ藍どのが戻ってくる!」
「やめ……て……。後……生……。だ……め……」
「止めろ!!」
「後……生……後生!! い、や……私……、なりたく……ない……なりたく、ない!」
「砂子! 落ちつけ! 気を強くもて! まだ助かる! まだ――」
「今、……今……あんたを……食べたいって……腹が減ったって……言うの……あんたを食べたい、って……腹が減ったから……おいしそうだって!!」

砂子はすでにはぁっはぁっと、目に見えて息を乱し、涙をたれ流すように、ぼろぼろとこぼしていた。

「嫌、嫌ぁ……、抑えられないの……人間が……人間が食べたいって、私……思ってるのよ! 嫌なの! そんなの!! 嫌だ!! やめて! やめて!! 私、私は、……、化物になんて、なりたくない!! 嫌ぁぁぁ!!」
「砂子! やめろ!!」
「殺して!! 殺して!! 後生!! お願い!! 殺してよ!! 私、あんたを食べたくない!! 化物になりたくない!! そんなものになって生きたく――」


間。

社。境内。そういえば、いつもここには砂子がいたな、と後生は思った。いつも箒を手にして、面倒そうに掃除をしていたな、と。

境内へ出てきた自分を、藤原の目が出迎えた。どこへ行っていたのか、今鳥居をくぐって、こちらへ近寄ってくる。着がえたばかりの真新しい衣に、砂子の血をべったりとはりつけた自分の様子を見、手の刀を見る。

「……」
「……藤原」

後生は言ったが、その声は自分でもふ抜けていたと思った。

「俺は……、何を?」

そんなことを言う。藤原はだまって近寄ってくると、がつん! と、いきなりほほを殴りつけてきた。後生はそれでよろめき、かしゃん、と手から刀をとり落とした。
それでもふ抜けた顔をしていたのか、がつん! と、もう一撃、反対のほほを殴られる。

「……」
「……。目は覚めた? で、何があったの?」
「何が……」

後生は言いかけて、一度口をつぐんだ。さっきより意識が鮮明になった気がした。

「俺は……砂子のやつが、言ったんだ。妖怪になりたくないって、俺を食いたくないって。だから、俺は……」
「……。その刀で、斬った?」
「そうだ。この刀で、斬った」

自分で言い、頭を振って、あらためて闇に映える、べったりと血の張りついた宝剣を見やった。雪が降りはじめていた。白く静かな雪が、肌をくすぐった。

「博麗は死んだのね?」
「……、死んだ」
「そう。なら、死体を葬ってやらなくちゃね。それが生きてる者の役目だよ。あんたはまだ生きてるでしょう」
「……ああ」

藤原は言いおえると、後生が出てきた社の方へと入っていった。後生は立ちつくし、あいかわらずちらちらと控え目に降る雪の中にいたがやがて、宝剣を拾いあげた。血のりを見つめる。

(……。くそ)

(……、くそ!)


数十年以上。

上白沢の屋敷。離れのひとつ。長い長い時が経ち、あのときの事件のことも、全て人の記憶の中、知る者も絶え、知る者たちも同じようにまた絶えた。半妖の身に流るる時は、人のそれよりも長く、そして永かった。百の齢をこえてなお生きつづけ、そして今、後生という名の、もう何でもない者は、そろそろこの世から去ろうとしていた。

ある夜。さく、さく、と、足音がした。

外はしんしんと雪が降り、すでに何十度、何百度か、そんなわからぬ昔日の幻を老いた目に残し、走る子供のうしろ姿のように目を引き
、そして過ぎていくだけだった。ぼんやりと月明かりに浮かぶ人影はいつかの長い白毛の女となって現れ、がらりと開けられた障子から、ふわりとした寒気とともに入ってきたのは、少し昔と服装の変わった藤原だった。

「よぅ」

と、すこし酔った声で挨拶し、そのまま縁側に腰かけ、とん、と、持ってきた徳利を置き、猪口をかたん、とふたつ置く。こぽぽ、かたん、という音がして、やがて藤原が酒をやりはじめるにおいが漂ってきた。

「寒いな」
「そうか」

藤原は、そのまま障子戸を閉めることなく、酒をくい、とあおっている。風情をたのしんでいるかのように見えなくもないが、悪い酒のように見えなくもない。老いてよりこっち、ますます色々なことが分かるようになったが、分からなくなったことも多い。老成した心と娘の心を同じく持つらしい、この年を取らない娘の心持ちは昔ほど察せなくなったが、察することができるようになったこともある。

(また自棄酒をあおりにきたか)

徳利から猪口に注ぎ、また何をするともなくあおる姿を見ながら、後生はまた昔のことなぞ色々と思いだした。ついぞかわらない藤原のうしろ姿など見ていると、思いでなど美しくもなんともない、ただの記憶として蘇る。
こうして齢を重ねると、その頃には考えを巡らせるだけだったことが、いつのまにかそんな目など必要なく、そのままの感覚として蘇ってくる。

(よいことではないんだろうな)

思いでは美しい方がよく、後悔はときに身を砕かんばかりに押し寄せる重荷であった方がいい。嬉しいことは嬉しく、悲しいことは悲しい方がいい。いつしかそれもだんだんとすり減って摩もうしてしまうものである方がいい。若い頃の青い心を忘れるのは、昔日の子供(餓鬼)の頃の記憶を忘れるのは、若く力あふれた身体であったように錯覚するのは、もうついていけぬ自分の身体が無理をできぬ、してはならぬと戒める、必要な哀しみだ。憎しみと怒りだ。妬みなのだ。その内に「おい」と、藤原が尋ねてきた。

「何だ」
「今何を考えてる」
「なぜそんなことを聞く」
「興味があるからよ。もうすぐ無何有に旅立っちまう奴が、一体何を考えるものなのか、こうも死ねない時間を過ごしていると、そんな仕様もないことを知りたくなるもんなのさ」
「興味本位で聞くことではなかろうに」
「そうだな」
「これまでの私の人生について考えているよ。毎日毎日、ちょうどこうして夜になるとな。お前のことや、八雲殿のこと、あの蝶の娘のこと、博麗の巫女のこと。色々さ」
「思いでってやつかしらね」
「いや。ただの記憶だな。そうして妻や娘のことも考える。いつのまにか眠っている。こうして外もろくに出歩かれない身体になった自分のことを考える。竹林を歩き回り、駆けずり回っていた日々のことも考える。そうしてこう思う。一体、あれは何だったのかと。私の人生なるものは、一体何だったのかと」
「そんなこと毎晩考えてるの?」
「何もすることがないからな。そしてこう思うのさ。私の人生なるものは、一体何だったのか? そう、それは何でもなかった。何もなかったのではないかとね。妻は子を産んで二年あまりで先立ち、その娘は稗田のお役目の子として稗田の当主を継ぎ、父親よりはるかに早く亡くなった。何の思いでもなく、何も成せず、私の手にあるものといえばそこに飾られた古い宝剣ぐらいだ。私があの日守れと十五の歳に与えられ、今はふるうこともかなわぬ宝剣くらいだ。形あるものはみなのうなる。それは分かっている。だが、それでも、私は――」

そう言っている途中で、がしゃん!! と、徳利が割れる音がし、「っざけんじゃないよ!!」と、藤原が荒れた足音を立てて、こちらの胸ぐらを掴みあげるのが感じられた。後生は何も言わず、自嘲気味な笑い方でそれを見送った。

「ざけんなよ!! お前、よくそんなことが言えたな!! ひん死のじじいの妄言だからってなんでも言っていいと思ってんじゃねえぞ、腐臭がすんだよ! わかるか!? あぁ!? 分かってんのか、こら。お前、何もない!? 何もないって言ったか!? お前に殺された砂子は!? お前と子を育んだ菊理は!? お前の娘の気持ちは!? その他にも、みんなみんな、みんなだ!! てめえとかかわってきた奴ら全員だよ!! 何もなかった!? はっ、何もなかっただ!?」

藤原は後生から手をはなすと、せまい室内を、ところ構わず、嵐のように暴れはじめた。がしゃん!! ばりっぐしゃん!! がしゃあん!! どんどんどん、どんどんどん、と、廊下から襖をたたく音がする。

「旦那さま!? 旦那さま!? どうなさいました!?」
「構わんでいい。ただの年寄りの愚痴だ。そう、ただの愚痴さ……」

世話の娘に襖の向こうまで聞こえるよう話しかけ、そう、年寄りの愚痴だ。と、自分に言い聞かせる。過ぎた愚痴だ、と。やがて、藤原は、少しは気がおさまったのか、はぁっ、はぁっ、と乱した息を白く吐きながら、また叫んだ。

「お前、今何も無いって言ったな!? この下らない剣一本以外は何も無いってよ!! ふざけんな! 何も無いだと!! どの面下げて言いやがる、この度を過ぎた幸福者が!! てめえが悲観ぶって勝手にてめえを否定すんなら勝手にしろよ! だが、てめえを思い、思いを残して死んでいった奴らまで貶めるのは許さねえ!! まだ分からねえのか、このくそじじい!! だったらこの剣なんぞ、ここで叩き折って目を覚まさせてやる!! あぁ、こんな剣なんぞ叩き折ってやるよ!!」

宝剣を手にし、ばきばきに破れ、ぶち壊れた障子を背景に言う藤原に、後生は何も言わず、息をついた。白い息を。そのうち、藤原は荒い足音を立て、また縁側に行くと、ちょこんと何とか申し訳程度には無事だった猪口を手にし、宝剣をがしゃん、と脇に叩きつけるように置いた。くい、と、荒い息を静めようとするかのように、猪口を口づける。

「藤原。まぁ、待ってくれ」

後生は言った。藤原はなにも答えなかった。

「そいつを折るのは無しにしてくれ。代わりにひとつ頼みごとを聞いてくれ。何も無いなんて言ったのは詫びる。謝るよ。だから、まぁ私の言うことをひとつだけ聞いてくれ。藤原」
「何よ」
「その剣はな。今よりそれこそ忘れるほどの昔に上白沢の家に授けられ、代々守られてきた宝剣だ。大そうな霊剣なのだよ。私はもう少しの暇もなく死ぬが、その剣は遺り、そして次なる守り手に受け継がれていくことだろう。私はそいつを与えられ、ずっと所持する者として生きてきたが、何一つとして守れた者はいない。娘は死んだ。菊理も死んだ。砂子は私がこの手で殺した。私が本当に守りたかったものは、みな私の手の届く範囲で死んでいった。守れなかった。守りたかったのに、殺してしまった。だから、藤原よ。お前がこれからどうするかは知らないが、もし、この郷に来て、この剣を持つ者と出会い、関わることになるんなら、そいつが守りたいものを守るよう、お前が守ってやっちゃくれないか。私の最期の頼みだ」
「……くそじじいめ。やっぱりお前はろくなやつじゃなかったよ。自分の死を盾に死にもしないと分かってるもんに重荷を残すなんぞ、くそったれのすることだ。とっととくたばっちまえよ」

藤原は受けるとも何とも言わず立ちあがり、ひと呼吸ほどおいて、口をひらき、「いいよ。約束してやろうじゃないか」と言った。

「じゃあな、くそじじい」
「あぁ。――そうだ。お前にひとつだけ聞きたいことがあったんだ」
「何よ」
「あのときお前が身を寄せてた男な、――多原じゃなかったか?」
「よく分かったな」
「あぁ。勘さ。私は、昔から勘が利くからな」
「勘ね」


竹林。

ちらちらと雪が舞う中、お、と、妹紅は目をとめ、そのこんもりとした土盛りに近よった。「慧音。こっちよ」と、少し向こうにいた慧音に呼びかける。うす暗い竹林の中、「あったんですか?」と、慧音はすぐに近よってきて並んだ。「あぁ」と、妹紅は答え、持っていた一升瓶をぽんと開け、とぽとぽと土盛りに注いでやった。それが終わると、空になった瓶を脇に置いて、申し訳程度に手を合わせる。それから、ほんのひと間をおいて、立ちあがった。土盛りに背を向ける。妹紅よりほんの少し念入りに手を合わせていた慧音が、少し遅れて背中を追いかけてくる。

「誰かのお墓ですか?」
「あぁ。知りあいよ。むかーしの」
「こんなところにお墓があったとは知りませんでしたが……」
「あぁ。お墓じゃないからね。本当のそいつの墓は、もっと他所よ。あそこに埋めてあるのは、ただのお猪口」
「本当の墓には参らないのですか?」
「あぁ。昔は一回行ったけど、人目を忍んで行くの、億劫になっちまってさ。代わりにそいつとよく飲んでたときの品を埋めてお墓ってことにしてね」
「いい加減ですね……」
「旅の坊さんつかまえて経もあげてとむらってもらったからいいのよ、この方が気楽で」

ふうん、と、納得いかなさげな声で慧音は言った。妹紅は気にせず、首に巻いたマフラーを直し、空を見あげた。

積りそうだ。



さよならたったひとりのおともだち

え?あなたじゃないですよ

哀れすぎて笑えません

あなたの役目はもう終わりです

私にはもう誰も必要ない

あなたを消し去る時はきっと

(この悲しみも消えるのかも)
「編集済み」

別の所であばれて下さい

それこそ私の希望

あなたなんかもう知りません

今はただ消えてくれればいい

今はただ消えてくれればいい

今はただ消えてくれればいい(あなたに居てほしい)

(あぁ……行ってしまった)

「Want You Gone」 / GLaDOs

わーい、投降おわった
さて寝  よ       う(  ゴ       ト      ッ

お読みいただきありがとうございました
三元豚
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