※タイトルは俄雨氏オマージュです。
※俺設定、俺キャラ、俺展開、俺世界あり。注意。注意ですよ^^;
満月。
空。
人里の裏の竹林。後生は坂を駆けていた。天頂さして昇りはじめた月が、丘を登る後生の横を静かに追いかけ、丘を沈んでいく。
光る眼をふとキロ、と闇に覗かせて、後生はザザッと地を蹴り方角を変えた。
(臭い……?)
血の臭い、ではない。もっと肉が生きたまま焦がされるときの嫌な臭いだった。
(……。術か何かか?)
そう思いつつ、後生はしかし、足を速めた。焼かれているのは竹やぶや化物とは限るまい。
腰にさげた宝刀の柄がチャリ、と鳴る。やがてちょうど月光のさすあたりで、後生はちょうど空に投げていた身を着地させ、土と竹の葉の落葉をザクッ! と大きく舞いたたせた。
(……。?)
とはいえ、わざとそうするままにしておいたのは、ほんの直前、その場に動く者の気配がないからだった。代わりに光の当たるなかの陰にさされた部分に、その嫌な、鼻をつく臭いを発するものの巨体が転がっているのを見つけた。付近に徘徊しておる、巨大な獣じみた物の怪のたぐいのようだ。
そのようなものがここにいることに、多少らしからぬ違和感は感じいたったものの、そのまえに目にした、そこにうずくまっている者の姿に、それどころではなく思考を打ちけして近よる。
「おい。大丈夫か?」
竹の葉を踏みしだいて近より、落ちついた風を心がけて声をかける。呼吸の音、身にまとう香りの独特さからどうやら人影は年若い娘と思われた。思われた、と思考に迷いが混じったのは、どうにも状況からして、一瞬、この娘がこの獣を討ったかのように判断されたからだった。
(まさか)
と打ちけす自分をよけいなことだと、打ちはらうあいだに迷いが入った。ともあれ、娘の横にしゃがみこんで、その身体がよりかかり座っている竹の束とのあいだに手を差しいれ、身体を支えてやろうとする、が、「いい」と、これに娘が反応して言った。ぶっきらぼうだが、どこか垢ぬけた味の漂うような妙ななまりだ。
「よかぁないだろう。見せてみろ。どう見てもその怪我、ただ事じゃない」
「いい。いいから、向こうへ行ってくれ。構わなくていい」
「いいから見せろ」
なぜだかこちらの腕を振りはらおうとしているが、娘の手には力がなかった。もう片方の腕でかばっている腹部が、闇夜にも見えそうなほど血で汚れている。
「やめろ!」と、やや弱々しい声で言ってくる娘の手をどけさせ、後生は傷口を月明かりにすかそう、として、ふと妙な顔をした。
(ん?)
娘の手をどけた先には、乙女の白い柔肌があるだけだった。服こそはだけ、その様子が不自然なほどに血で汚れていたが、傷口などどこにもない。と、驚きと呆気にとられたのをついて、横からがつん!! と振動と耳鳴りがおそった。
「ったく、お節介が!!」
娘が乱暴に吐きすてる声が夜にひびき、後生はえらい力で打たれた(殴られた)顔面をおさえつつ、ようやく起きあがった。
痛みにうめいているあいだに、娘はさっさと向こうへ歩いていってしまったようだ。立ちあがりかけこそ足もとがふらついていた(音でそう聞こえた)ようだが、あとはわりかししっかりとした足どりで、向こうへいったようだ。回遊する虫の音のあいだから、その去っていく足音の残しが聞かれた。りぃ、りぃ、ちちちち、と、あとに残ったのは、ぴくとも動かない黒こげの小山と暗闇にしみる顔の痛みだけだ。
(っつぁ~)
後生は心中でうめきつつも、忌々しげに呟いていた。
「まったく、本当に女か……?」
間。
翌明け。
里の周回の仕事を終え、後生は家に戻るのも早々に、博麗の社へと足を向けていた。
途中、稗田の家に寄り、体を崩しているらし菊理の様子を見にいったが、門人に様子をたずねるだけで帰ってきてしまった。
(半可なことはするものじゃないな)
内心で呟きながら、菊理の顔を見てこなかったことを今さらになって気にしている自分に呆れを覚え、どこかうろ覚えな心地で道先を進んでいかなければならぬ、と後悔する。
そのうちに石段をのぼり、博麗の社へとつづく鳥居をくぐってしまっていた。そして、そこでふと目にした情景に、後生はちょっと白毛の入った眉をあげた。生まれながらに混じった銀と白のある毛を短髪にし、満月ともなれば金色のたて長、つまりは猫の目のようにでもなる目をちょっとけげんに、というより当惑がちに開き、目の前、前方に立つ二人の女子らしき影を見やる。そのうち一方、蒼白い着物に編みこみを入れた長い白髪を垂らした女子のほう(人外であろう、おそらく)がなんの前ぶれもなく、目の前の巫女服の娘からはなれ、こちらに向かって歩いてきた。
行きちがうときにちらりと確かに後生を見、覗き見にも気づいたようだが、くすっといたずらっぽく笑っただけで、そのまま階段を下りていってしまった。
「――、」
横をすれちがうときに、そう、なにか呟いたのがわかったが、なにを言ったのかまではわからなかった。
(ふむ……)
人外の姿に身がまえるものを感じていた後生は、自覚して警戒をとき、中途だった階段をのぼりきった。
(助平ね)
(性根の昏いことだ)
今さらながらに、娘の呟きが理解できたのに呟きかえしながら、「砂子」と、立ちつくしていた砂子に声をかけると、こちらには気づいていたのか、ちら、と不機嫌そうな横目――いや、後生に怒っているというわけでなく、どうやら、さきほどからなにかをかみしめるような顔をしていたようで、今のしかめ面はその延長のようだが。――を向けて、ちょっと目線を下げて挨拶のようなものをすると、さっ、さっ、と、持っていた箒を動かしはじめる。
「何だ、今のは? ――知り合いか?」
「まぁね。で? なに?」
「あぁ、まぁ、何でもいいんだがな」
「何よ歯切れの悪い」
「いや。お前、そういう趣味があったのか?」
「それ以上言うと殴るけどいいの?」
さっ、さっ、と箒を動かしながら、そこまで言って初めて後生のほほにべったりと湿布がはってあるのを見つけたような反応を返して、「ま、いいや。どうせ何かあったんでしょう。上がりなさいよ」と、適当に切りあげることにしたらしい境内の掃除を止め、砂子は掃いていた土だの小石だのをまとめてちり取りに放りこみ、かたんと木のふたを下ろした。
社。
砂子の住む社のなかの客間。
といったものの、客間に踏みこんだ後生は少なからずぎょっとしたし、頭もかかえた。
「お前なぁ。客間にこれは無いだろう」
「急に来る方が悪いのよ」
砂子は悪びれた様子もなく、――あられもなく散らかっていた下ばきやら寝巻きらしいが、あきらかに放りっぱなしにしていたらしい白衣やら、真新しい色のにじむ袴やら――片づけながら言い、それらを部屋のすみにごちゃっとまとめると後生に座るよううながして、とたとたと奥にひっこんでいった。
後生は片づけ(?)忘れたらしい白足袋がちゃぶ台の下にだらしなく置き去られているのを気にしつつ、畳に座った。ほどなく砂子が茶の用意をしつつ戻ってくる。
「それ、何?」
コト、と湯呑みをならべつつ、砂子が言う。
「あんたのとこの菊理って子だっけ。やられちゃった?」
「なんで俺が菊理になぐられるんだ」
「へえ。なぐられたの、それ?」
ぺしぺし、と自分のほほを示して見せながら、砂子が言う。なぜかすでに茶の用意はしてあったらしく、用意した急須からは、こぽこぽと番茶が流れでてくる。
「あぁ、昨日の夜にな。里の警らをしていたら、結界に物の怪の反応があったのでいったんだが」
「へぇ。物の怪って女の子?」
「んなわけあるか……ともいわんが違うよ。これはその場にいたヘンな女に……いや、そうじゃなかった。今日きた用件はだな」
「なにか怒らせることでもしたんでしょ? あんたぶきっちょだし。菊理ってコも大変よね」
「あのな」
「里の周辺で物の怪なんて珍しいわね。いや、最近多いのか。あんた寝不足ぎみじゃない? そんなカオであいさつにいってもひと様を心配させるだけだから気をつけなさいね」
「いーからすこし俺の話を聞け。今日来たのはそのことじゃないんだ」
後生はへきえきしつつ言った。この巫女ときたら生来カンが聡く、よけいなことをズバズバ言ってのけるので、非常に話がしにくい。
「里のなかで起きた件なんだがな。ことがことなので、お前に頼みを入れるよう村役どのから達しが入っている」
「なにかあったの?」
パリパリと、茶うけがわりに持ってきたタクワンをつまみながら、興味なさげに砂子は茶をすすった。その目のした――特徴的な目だ。普段はあまり意識しないが、砂子の目は左右で微妙に色がちがい、左は茶と黒をまぜこんだような深みのある碧で、右は血を流したようなどす黒い紅色をしている――に、うっすらとクマがうかんでいるのを見ながら、後生は無意識に腕ぐみしつつ、眉をちょっと上げた。
「……お前、寝不足か?」
「昨晩気分が悪くて眠れなくてね。二回ほどもどしたし、まぁお腹も空いてるわ。そうだ、どうせ里にいくんでしょ? なにかおごって」
「まだ何も言ってないのにたかるなよ」
「ひさしぶりに川魚の焼いたのが食べたいわね。むぎ飯もやま盛りがいいわ」
「……。わかった。とりあえず里にいこう。そのほうが話が早そうだ」
人里。ちょうど昼まえ。
めし処。
博麗の社からは、後生の住まう里まではけっこう歩くため、つく頃にはそんな刻になっていた、というだけだが、つくなり砂子は適当な店にはいってメシを要求してきた。女にしては背がやや高めで、しかし腹や脚は女生らしい細身である砂子は、だが外見には似ず大食気味である。
「やっぱり里のメシはおいしいわねー」
がつがつと音が聞こえそうな健たんぶりで、かたちのいい小ぶりな唇にメシをはこぶ砂子をほおづえついて放っておきつつ、後生は茶をすすった。
「俺の金で喰らうメシはうまいだろう、博麗」
「なに仏頂面してんの。メシが不味くなるから笑いなさい」
「痛った!! なにさらす!!」
湿布の上から指はじきを喰らい、言ってのけるが、砂子は応える風もなく、行儀わるくハシの先をなめている。
「それで? 私に頼むけん案てなによ。今なら気分がいいからこころよく聞いてあげるわよ」
「くいものでつられるとか山ざるか……いった!! おい!」
「なんなの、それで?」
「……、つい先日、子供がひとり行方知れずになってな。それから二人目、三人目とたてつづけに同じような事例が起きた。村に不審が広がっている」
「ふーん。ひとさらいか何かじゃない?」
「村ではその筋が濃いと考える者もいて、その線で調べを進めている者らもいる。俺たちがたのまれたのは、もう一方の線だ」
「妖怪かなにかの仕業だって? そんなの妖気が残るからすぐわかるでしょ。あぁ。妖気がのこってないのか」
たん、とかるくハシを置いて、フー、と赤みがかった肩にかかる程度の黒髪を丁寧にさげて行儀よくあわせた手を離すと、砂子はズズ、と茶をすすった。
「そうだ。だが、手口から考えて物の怪どもの仕業とも考えている。ことの前後にあやしいやつが見かけられなかったのも、ひとさらいと決めつけられん理由でな」
「里の人間が手びきしたって筋でうたぐってるやつもいるわけね。なるほどそれで私を呼んだのね。内部調査なんて面倒くさいことも私たちがやるの? ことわりたいな」
「そう言うと思ってお前は俺と一緒に妖怪の仕業をうたがって調べてもらうことになった。ひと息いれたら現場のほうにむかうぞ」
里のすこし外れた場所。
背の高い草が多くしげるむこうに、すぐふかいやぶをのぞんでいる平地。
家々の連なるのが途切れはじめ、夏の残滓かおる翠色した草と一軒の廃屋が目に入るにつれ、そこにちらちらと見え隠れする子供らの姿を見るにつけ(後生は目がよく、彼らの気づくまえに気づき)、後生はしかめ面をつくった。
「こら! お前たち!」
わぁ! と、子供たちが気づき、蜘蛛の子を散らすようにばたばたとちりぢりに逃げていく。
あっという間にいなくなった子供らの姿に呆れつつ、後生はぶつぶつと言った。
「まったく……親連中にはここで遊ばんようかたく言われておるだろうに」
「頭悪いからね。あなたもけっこうなめられているんじゃない?」
こそこそと廃屋のかげにかくれて興味ありげにこちらを見ている子供らを見つつ砂子が言うのに、後生はやっと見とがめて、そちらをじっと見た。きゃあ、とかん声じみた声をあげて子供たちが散っていく。
憤まんそうに袖手に腕ぐみして、とにかく後生はやぶの方に目をうつした。
「ここが最初に子供がいなくなったと思われる草むらだ。あまりやぶに近いようなので、危険とは前々から言われていたようだが、子供らは遊び場にしていたようでな。何か臭うか?」
後生にいわれ、しかし砂子はあまり聞こえてないように、関心のうすい目で周囲を見わたしていた。
「たしかに妖気は感じないわね。でもかすかにこびりついているのは感じるわ。でも、このくらいなら、そこらの里にいる術士には当然わかると思うけど、私が見る意味ないんじゃない?」
「ちがう観点からの意見がほしかった。たしかにかすかな妖気が残っているようだという意見はこの里につく術士からもあったことだが、気にする程度ではないかもしれない、と、なんとも微妙な話でな」
ため息をもらすように言い、後生は腰に手を当てた。
「この程度ならば妖獣か、とおりすがりの野良妖怪がのこしていった気と大差ないとの見解だ。あるいは知恵のきくやつが、わざと妖気をおさえ、そう見えるよう見せかけていったようではないかとの見解もある。意見はまとまらず、調べは難航だ」
「ふーん」
「て、おい」
「妖気とかそういうたぐい調べるんなら私より優れてる術士や専門の人なんて、ごろごろいるわよ。さ、次行きましょう」
里のはずれ、だが、今度は先ほどと別の区画。
今度も先ほどと似たような場所だった。ほそ道が、ふかい木立ちのあたりにつづくのを、両側から背の高い草がおおって、獣の通路のようにしている。
「久しぶりに歩くと里も広いわね。まぁ昔よりかは楽だけどさ」
「お前子供の頃はここにいたんだったな」
「まーね。あ、そういえばここいらへんは来たことあるわね。そのころちょうど村の悪いデブガキが私に目ぇつけて取り巻きといっしょに「やーいひとつめおばけ」だのなんだのごちゃごちゃ言ってきたから、そこらにころがってる手頃な重さの石でなぐったら血垂らしてぐったりしちゃって、あとで村役さんに連れられてそいつの親にあやまりにいったのよね。なつかしいわ」
「お前の武勇伝は笑えないからやめろ。で、ここはどうなんだ?」
「さぁ? そろそろお腹空いたわね。三ツ刻かしら」
「おい」
「さっきも言ったでしょ? 私でもわかるくらいのことはとっくに誰か見やぶってるからイミないわ。とりあえず茶菓子でもすすりましょ。あんたのおごりで」
「頭が痛くなってきたな。ちょっとわけもなくお前叩いてもいいか?」
「自分より背の低い女ひっぱたくなんて男らしくないわよ」
言いつつ、ろくに見る様子もなく、砂子はすたすたと歩いていく。はー、と頭をかるくおさえるようにしつつ、
歩きだそうとして、後生はふいにがくん、と足場がゆれるのを感じた。
(お前のせいだ。お前の――)
女のわめき声。
(……? ……)
「後生?」
前から誰か――いや、砂子だ。分かっている。――が呼ぶ声を聞いて、後生はかぶりを振った。
いや、我を失っていたわけではない。
強い幻聴。いや、幻聴?
「……違う。俺の――」
言いかけて口をつぐみ、後生は頭をおさえていた手をはなした。
「どうかした?」
「なんでもない」
「そう?」
砂子はちょっと身ぶりでやれやれ、といった風をあらわして、それからまた関心なさそうな目に戻るかと思ったが、ふと後生を見て、ちょっと神妙な顔で言った。
「後生。あんた、あとで専門の人に見てもらった方がいいわよ」
「何が?」
「あんた憑かれてるわ」
言うと、砂子は今度こそふいと前をむいて歩きだした。
(……? ……)
里のなかほど。
めし処。
後生もそろそろ小腹が空いていたので、砂子におごる(らされる、だが。正確には)ついでにかるく食事をとった。
「さて」
と、茶菓子をつまんで茶をのみ終えると言い、けげんな顔をする後生のまえで、
「じゃあ、ご馳走様。私はこれで」
「待ちやがれ」
「残りの調べは明日でいいわよ。今日できることはあと無いんでしょう? それに、たぶんだけど、今日はもう何もやることはないわ」
「博麗!」
「勘です」
またそれかと思いつつ、後生はかるく頭をかかえた。この巫女は自分の勘になにか確信的なものを見いだしているのか、自分がそうと感じたら根拠もなしに行動する。そう思う間にも、「明日の朝、村の広場でおちあいましょう。また来るから」と言いおいて出ていこうとする。
「おいこら。勝手に決めるな。朝っていつだ」
「鳥が啼くころ」
里なか。
まったくあいつは、とぼやきながらも、店のなかで騒いでは妙な噂でも流れかねず(ただでさえ博麗の社に近よる者はへんな目で見られるうえに、後生も砂子と年の近い男子であるから里の同僚の中には面白はんぶんで勘ぐってくる者もいる)、実際そのような気配でこっちを見ている店の者たちの目を感じつつ、後生は不味くなったメシをかっこんで早々に店を立ちさった。
さてなにをしたものか、と思い、後生はどうせ砂子のきまぐれのおかげだ、と心中で責を負わせ、これ幸いと稗田の屋敷にむかった。
顔なじみの門人はすでにこころ得ていて、後生を見ると、「どうも。嬢でしたら御会いになられると待っておいでですよ」と、からかう風もなく頭を下げてくる。
すみませぬ、ともなんとも言えず、いかにも年嵩の先達といった風の上品な老爺に礼をし、案内の者に連れられて屋敷に上がった。
「――兄様。ご無沙汰いたしておりました」
菊理は、ほほに血色のさした顔で笑ったが、いつものごとく、布団には半分入ったままだった。
「ああ。来れなくて相済まなかった」
「いえ――」
菊理は言いつつ、ふと後生の顔を見て、ちょっとくす、と笑った。
「なんだ?」
「いえ、なんでもありません。失礼しました」
ちょっとなぞめいた風でありながら、無邪気な風でもある自分のいいなずけを見つつ、後生はほほに張られた湿布の下あたりをかるく指でかいた。この有様なら朝に聞いているはずだが、と思っていると、菊理がふと見すかしたようににこりと笑って言ってくる。
「あ、いえ。失礼をいたしました。悪気は、まぁ、無かったといえばうそになりますけれど、ありませんでした」
「どっちなのだ? それは」
「どっちもでしょうか?」
「体は? もういいのか?」
後生が聞くと、ええ、と他愛のない風に聞いて、菊理は楽しそうに笑ってくる。まだ十五。後生とは八才ほども違う、娘ではあるが、どこか年に似かよわない聡さももっているのがこの菊理である。年幼くしてすでに病弱という重荷をかかえて生まれた身体は、同い年の娘たちに似ず、切りそろえられた短めの髪は絹のようにほそく、大きめの瞳とつぶらな唇は外気に触れないため人形のそれのようには見えた。
よく見ると目の下にうすいクマがあるな、とたあいのないことを考えつつ、いつもどおり、菊理が聞いてくる仕事やらなんやらのことをはぐらかしたり、なんのことはないようによそおったりではあるが少ししながら教え、時をすごし、やがて屋敷の者からそろそろ、と暗に告げられ、その場を辞した。
三か月もたてば婚礼だ、とは、ずっと前から知っていたことで、後生も承知をすでにそれなりに固めてはいる。そも、この許嫁の取りきめは、上白沢の家と稗田の家同士で、八年前から決まっていたことだ。後生が十五をむかえる年のころ、後生の親爺どのと友人であった菊理の父がある日持ちかけたのだという。
「のう、上白沢。うちの菊理はあのような身体じゃ。できるなら、早いとこ婿を決め、その子を成させてやりたい」と、菊理の父が言うにはこうだった。「幸い、ぬしのところの三男殿を、菊理は憎からずといった風で想うておる。わしもかの御仁ならば人柄見聞きして異存はない。率直に申すが、うちの子を人と成るを待って貰ってはくれまいか」
たっての頼みに義理を感じた後生の父はふたつ重い返事をかえして、これを承知したという。ただし、稗田の家の事情をおもんばかり、後生は婿に出すといったかたちにした。「よきことと存ずる。ただし、主の家の役目、またのちのちのことも考えれば、後生を婿に出すが相応であろう。そのようにしよう」そうして交わされたのが八年前。菊理は三年前にはもう後生を夫にむかえる予定であったが、初潮がくるのが遅れたため、これを三年後の十五におくらせ、今に至る。
翌日。
村の広場。鳥が啼く頃。
「遅いわよ」
そう第一声を発した砂子の顔ははた目にも蒼白く、目のしたにはクマが深くなって刻まれていた。
「なんだ、どうした? お前、そのカオ」
「ゆうべ、ちょっと気分が悪くて寝れなくてね。またお腹空いてるから、向こうのめし処に行きましょう。あんた朝餉は? まだでしょ」
「あぁ」
「じゃあまたあんたのおごりね」
何がじゃあだ、と思いつつも、さっさと歩きだす砂子について、後生は憎らしく自分の財布の具合をたしかめた。
めし処。
とはいえ、自分も早くに出てきたせいで、ろくに朝飯にありつけておらなかったので、後生も自分のぶんを注文し、大食漢の(痩せの大食い、というのか)娘とむかいあってがつがつ食べた。
「昨日、気分が悪くて眠れなかったから、ひと晩水ごりしてたんだけどね。そしたら予感がきてね。悪いとは思ったけど、さっさと里にきて聞きこみしてきたわ。里のひとって朝早いのね」
ほほにごはん粒をつけたまま、行儀わるくハシをくわえるようにして、砂子が言った。後生は聞きとがめて、ちょっとハシを止めたが、思いなおして、かたんと置いて、湯のみをとった。
「それで」
「十日前に外から来た母子連れがしばらく村にいついていたらしいわね。村のはずれの廃屋にいたって話なんだけど、それがつい最近になって、村役さんの判断で追いだされたって」
「……。あぁ」
「その母子連れがその後どうなったかは知らないけど、たまたま山にはいった人が、山奥の山小屋に子供らがはいっていくのを見たらしいわ。小屋の中は覗いたのかって聞いてみたけど、しかめ面されてそれ以上は教えてもらえなかったわね。たぶん覗いたと思うけど言いたくはなかったんでしょう」
「あぁ」
「あんた知ってたでしょう? 仕事柄」
「あぁ」
後生は短く答えて茶をすすった。
無論、知っていた。知っているどころではなく、村役の指示で、その件の母子を追いだしたのは後生たち村の警ら衆であった。
この妖怪どもの住処と接してたたずむ里は、その在り方の特殊性から、基本的に外の厄介ごとは受けいれない。女がただの乞食であったなら見すごしただろうが、所作やら言葉づかいなど、その前についての疑わしさが勝っていたため、村役がこれを判断して実行させたのだ。無論こと、里のの周囲は賊も寄りつかぬ妖怪どもの魔境の中にあるが、そのことは折り込み済みで決定は下された。
追いたてるときにすがりついた女のわめき声、子の叫び声やらは、耳に残っている。
(――幻聴か)
ところ移り、しばらくして。
山中。
話に聞いた小屋。
というよりは、話に聞いたとおりの、元は山小屋だったのだろう廃屋だった。周りはさびれすたれた様子がうかがえ、使う者の絶えて久しい井戸は枯れているのか、水おけに砂がこびりつき、カタカタと風が吹くたび揺れている。
小屋の片側面についている日さし戸がわずかに開けられっぱなしになっていた。
(……)
「人の気配はないな」
後生はもやもやとした心中を感じながら、どこへともなく呟いた。とはいえ妖気も感じない。
あるのは、ここ最近まで人がいたような独特の匂いと、臭いだった。後生は特有の獣の感覚をもつ鼻で、なかば習性のように霊感を張り巡らしたが、それでも掴めるのは、閑古とした虚しい空気だけだった。満月をやや過ごしたとはいえ、上白沢の家に度々生まれる獣の因子持つ子の能力は霊的な感覚に秀でておる生まれつきの馴染んだ力を後生に感じさせる。
少し待て、と、うしろでやや眠たそうな空気を出している(そういうことも後生の感覚には敏感にひっかかる)砂子に告げ、ささ、と茂みを抜けだし、片手を刀の柄にかける。少し開いた日さし戸のすき間を覗くと、中はやや暗いが、向こうの壁についている格子戸が、何もない床と粗末な炊事場を映し出してのける。床には木くずや毛布が投げだされているだけで、なかば覚悟していたような光景どころか、なにもなかった。ふむ、と後生は言いおいて、そのまま歩いて砂子のところへ戻ってきた。
「何もいない」
「死体も?」
「無い」
「ふーん」
「……。待てよ、だいたい俺たちは、子供の神隠しを調べていたはずだろう。何でこんな」
言う後生の口に手をあて、砂子は何やらじゃらじゃらした棒のたばを取りだして、ぶつぶつ言いながら、それをじゃらん、じゃらん、と鳴らしはじめた。そして、何も敷かれていない土の地面に構わずばっとひろげる。
砂子は一瞬押し黙って、ふーん、と呟くと、関心なさげにこちらにちらっと目を向けてきた。
「山狩りはしたんでしょう?」
「ああ。真っ先にそれはやったはずだ」
「でも何も見つからなかった。妖怪の仕業と思しき痕も」
「あぁ」
「今の占いによると凶気と吉気が同時にここから出てるわ。まるで交わるように。これは明らかな活路、あるいは凶路。ここには必ず何かある。わずかに残っていた妖気。何もない小屋。母子連れはどこへ消えたのか……」
左右色違いの目をじっとこらし、砂子はどこか異界を覗いているような色をよぎらせた。それから、何も言わずに見ている後生に構わず、占いの道具を片づけはじめる。
「さてと。お腹すいた。私、一旦里に戻るわ。ご飯食べてくる」
「は?」
「あんたはここで異変が起きないか見張っててよ。あとで魚の干したやつくらいなら持ってきてあげるから」
「酒盛りでもする気か? おい待て」
言う間にも、砂子はすたすたと歩いていき、そしてふと思いついたように――それは明らかに、何かを「思いついた」顔だった。――、「後生」と呼びかけてくる。
「……何だ」
「それ貸して。あんたの刀」
「あぁ? 冗談言うな。これは家宝の――」
「いーから貸しなさいよ。ちょっと見るだけだから」
「おい!」
半ば強引に後生の手から宝刀をむしり取ると、砂子はいったんしげしげと眺め、それから目を閉じ、印を切りはじめた。二度、三度。そして目を開くと、にっこりとほほ笑んで、後生に刀を返してきた。
「何なんだ一体」
「おまじないよ。後生」
「何だ」
「気をつけてね」
夕暮れ。
茂み。
結局、砂子は戻って来ず、また、小屋にも何も起きないまま、日暮れをむかえてしまった。
「何やってんだ、あいつは」
後生はやや空いた腹を抱えつつ、ぶつぶつと文句を漏らした。何かある、と砂子は言ったものの、小屋の周りでは何か起きるような気配はない。
(気をつけろ、か)
無論、あのいい加減な巫女の忠言がよく当たるということは付きあいのうえで後生も知っていた。あの砂子の目――本人が言っていたところによると、自分は神様と妖怪の血を少しづつ継いでいる、と言うことだが、後生もあまり真に受けてはいない、――、異種のものどもとの混血があのような目をもたらすと言われるが、そのせいなのか、砂子は異常に勘がするどく、たまに予知じみている。
しかし、当然それは普通の、もしくは砂子以外の者にはしょせん図りようのない感覚であり、ざっくり言ってしまえば、はてしなく不吉な材料にしかならない。それをわざわざ残されてもな、ということで後生は少々気が立っており、知らず感覚を鋭くさせていた。それが最初に嗅感となって表れたのもそのせいだったのかもしれない。気配を感じるより早く敵を察知する、獣の予感。
(……?)
ざわ、と毛が逆立つような、覚えのある感触を覚え、後生は反射的に小屋の方を見やり、そして、そこに反射的に見た原因を見た。人魂? いや、鬼火か。
そう思ってのけたのは、その青白く、仄かな白火の中に、人の子供、赤ん坊のような異形の形がぼけて見え、それがはっきりと形を為していくのを見たからで、後生はそれでその正体を類すいした。
(餓鬼……)
(――だ! お前の――)
お前の所為だ!!
キィン、と耳に残る残滓とともに強い幻聴が頭をかすめるのと同時、ズキリと痛んだ頭を押さえつつ、後生は後方に向かい、抜いた刀を、思い切り、気配に向かって、振り抜いた。歯にがつん、と返るような鈍い手応えが筋を強張らせる。ついで、耳障りな鳴き声が鼓膜をつんざき、ざざっと、今度は、今しがた後方にしていた肩の後ろからそんな音が聞こえ、後生の肝をはねさせる。しかし、慌てて(勿論慌てている余裕など無いが)振り見た先から聞こえたのはぎしぃ!! という悲鳴と、燃えあがる火の熱が肺を焦がすような錯覚、そして現れた赤白い体色を持った餓鬼の一体を思い切り蹴飛ばした赤い袴だった。
(砂子!)
「後ろ!!」
そう聞く前に、すでに後生は柄をぐるんとひっくり返すように、後ろで起きあがりかけていた(先ほど飛びかかろうとして落とされた)一体の目を目がけ、思い切り刃を突き入れ、ぐり、と抉った。ぎしぁっと歯を軋るような音がして、もんどりうった餓鬼を、そのまま刃ごと地に叩き伏せる。
それと同時、飛びかかろうとしたすぐ横にいた餓鬼が、ドパァン! という、派手な音を立てて、叩き込まれた札の一枚で吹き飛ばされ、ぎぁっ!! と、木の幹にズズン、と追突して、小さい四肢と木の枝を震わせるのを見送る。
そしてさらに。その横から飛び出してきたひときわ大きな女生、か? と思しき人型を、これは斬撃する余裕も無く、刃を跳ねあげて、半ば直感でその腕と思しき部分を――斬れなかった。何か非常に硬い何やらかとぶつかって――はねあげ、危うくかわす。
(ちっ)
避けきれなかったほほが血を流すのを感じつつ、後生はじゃっ、と刃を構えた。囲まれた。
(ひい、ふう、――六匹、か)
とはいえ、先程木に叩きつけられた一体はろくに動かれないようだし、後生が頭の中ほどまで刃を抉った一体と、砂子に術を喰らった一体は、動きがにぶくなっている。
「どこにいた?」
「そこの木のあたりに隠形して伏してたんだけど。気がつかなかった?」
「全く」
後生はぶっきらぼうになるのを自覚しつつ返事し、茂み側にいるまだ動く三体の気配と、そして、今新たに小屋の屋根と井戸の辺りから這い出してきたのが、振り向く直前確認できた二体の他に、先程ふっ飛ばしてやった、女生のような四肢と身体に、ぼろのような衣を引っかけた何者かを見やった。
ざんばらな、白いものの混じったくしに、両脇に従えた餓鬼どもと同じ、ぎょろりとして肉皮のない、白だくした目。そして、指に長く伸びた爪。
鬼女。
「こいつは――」
「件の母子でしょ。そして、こいつが人攫いの頭目よ」
「こいつが?」
「餓鬼に骨まで、生きたまま貪られた人間は、その怨念から同じく餓鬼として取り込まれるわ。例の母子連れは母親がひとり、子がふたり。そして行方不明になった子供は三人。数は合ってるわ」
「まさか、こんな里の近くに餓鬼なんぞうろついていたというのか?」
「あの鬼女は餓鬼の類ではないわ。子を殺した母親は鬼となるから、その類でしょう」
砂子は首をかしげそうな後生を置きざりに、続けた。
「この小屋に過ごしていた母子連れの、母親は、おそらく子供のために、何か食べられるものがないか、森に探しに出ていたんでしょう。しかし、妖怪や何かに襲われるか、死体がまだ見つからないところを見ると攫われて住処まで運ばれたかして死んでしまい、しかし子に対する未練から、怨霊となってここに帰ってきたのね。でも怨霊となった時点で人は正気を失い、見る人の恐怖を煽る存在となる。だから、ここにいた子を殺したのは母親自身。子の死体を喰らった鬼女の念に中てられて、その子らまでそのけん属となる餓鬼となって現れた。里の子供たちをさらっていたのは、つまり自分の子たちのためよ」
(お前のせいだ!! お前の!!)
「道理で、死体が上がらないわけだ……」
「低俗な輩とはいえ、鬼の類の隠形を見破るのは容易いことではないわ。相手の正体を見極めなければ、よほど図抜けた術士でもない限り、それを隠形であるとさえ見極められないでしょう。これらの輩は昼すぎに私たちが来たときにもずっと隠れていたのよ。ここに」
ぐらりとめまいのするような声を聞きつつ、砂子の声を聞く。まぶたからはいり、眼球をえぐってこめかみを貫くような罵声。あれは幻聴などでは――、
(俺のせいじゃない!)
「ちなみにあんたが覗いた小屋の中も隠形。現場に妖気が残っていたのは、これは鬼特有の小知恵でいいでしょう。ただの妖怪の仕業を、最悪におわせるようにしたかった。以上」
夜が近い。のぼった月の欠け具合を脳裏にうかべ、後生は眼光をたけらせ、ザワ、と、金の色をかすかに帯びはじめた頭髪がさわぐのを感じ、キァァァァアアア!!! と、形容しがたい声をはいて動いた鬼女をいなし、おくれて襲ってきた餓鬼のどて腹を、ズン! と貫き、地面にたおした。そのまま力まかせに刃を抜いて、一寸あけず、刃をひねり、喉を刺しつらぬく。カォ、と、わずかな声を上げ、餓鬼の一体が動かなくなる。
(お前の所為だぁ!!)
「違う!!」
さけび、胴をひねりざま、手首を捻るように刃を引っこ抜き、キロ、と動かした獣の瞳に、餓鬼の一体を乱暴に蹴り飛ばし、一体にばしん、と強引な手刀を見まう砂子が、ヒュとよけるのが見え、すぐに鬼女がもう然と突っ込んでくる様が見えた。
砂子をよけざまこちらへ来るのを、かろうじて正面から刀で受けとめる。刃が無ければすんでで心ぞうを抉られていたところだ。
(お許しください!! お許しを!! 子供らだけは――)
ぎゃぁんと泣く子供たちの声が、餓鬼の一体が上げた断末魔の声にかさなった。こちらを見ようと、餓鬼の仕留めたやつを血塗れの手で放りすてた砂子が、別の方へ視線を動かし、襲ってくる餓鬼どもをかわすのが見える。
歯の滑るような音。しくじった。容赦もなくがっちりとかみ合った刀の向こうに鬼女の面を見すえつつも、しかし後生は、まるでばねのように力を溜め、それを一気に解き放ち、鬼女の体勢も自分の体勢もかまわずに、とにかく弾いた。
ザン!! と、同時にたたらを踏みつつ、鬼女の胴を目がけて、骨と骨のすきまを突きいれる心地で、刃を斜め気味に繰りだす。びしゅっ! と耳を掠めた激痛よりも、まず目に飛びこんだのは、繰りだした宝刀がなにかの冗談(悪い、だ。もちろん)のようにパキン、と折れたところだった。
そして、すかさず飛びこんで来るように後ろから踏みこんだ砂子が、ズン!! と一突きに、背中から鬼女の胸部にかけて、後生の手にあるのと「全く変わらぬ」宝刀で、一直線に刺しつらぬくところだった。耳をつんざくような雄叫びとともに鬼女の身体が木を目がけてぶち当り、その背中に足をかけた砂子がひきぬいた刀を返す勢いで残りの餓鬼の最後の一匹を切りすて、ヒュウ、と口笛を吹くのまでが、後生の目には映った。
間。
「すごい刀ね……。あんたがいっつも宝剣って言ってたの、伊達じゃなかったんだ」
というのを背後に聞きながし、後生はわなわなと震えていた。打ちひしがれて。
「……。……宝剣が。すめらぎより授かりし由緒ある上白沢の宝剣が、鬼の下賎なたぐいごときに……」
「……後生?」
「砂子。もう俺は駄目だ。父上や兄上、また上白沢の血を継いできた尊き先人方全てに申し訳が立たん。切腹して果てるから介錯してくれ。首は見えぬように包んで家に……」
「あら。……うん。そうか。切腹しちゃうのね、後生。分かったわ、知己のよしみで骨は拾ってあげる。ついでにこの剣は頂いていくけどそれでいいわね?」
「ああ……そうしてくれ。それと菊理には、不甲斐なくも許嫁の誓いを破る……待てこら」
後生は急に我に返った目で砂子を見た。
「お? お? こら。なんだそら、こら。何でお前が俺の刀を持ってんだ?」
「さっきおまじないとかなんとか適当にごまかして印切ったときに」
「ふざけんな。この剣は何だ!?」
「そっくりに作った紛い物です。さすがに鬼相手には折れちゃったわね」
砂子が言いつつ拾うのに、がっちりと詰めより、後生はぼたぼたと安どとも怒りともつかない涙をこぼした。
「テメェェェェ!! 洒落になってねえぞこのあま! 阿呆か? お前阿呆か!? なぁ、おい!!」
「だって一回使ってみたかったんだもの」
「何だその軽い理由は? もしまかり間違ってそれで俺が死んでたらどうすんだ? 笑うのか? 歌うのか?」
「まぁ落ちついて、後生。地が出てるわ。私そんなあなたの顔もちょっぴり見たいけどそういう理由でやるほど戯けてないから」
「大戯けだ木瓜ぇぇぇぇ!!!」
そして夜は更けていった。
(続く)
※俺設定、俺キャラ、俺展開、俺世界あり。注意。注意ですよ^^;
満月。
空。
人里の裏の竹林。後生は坂を駆けていた。天頂さして昇りはじめた月が、丘を登る後生の横を静かに追いかけ、丘を沈んでいく。
光る眼をふとキロ、と闇に覗かせて、後生はザザッと地を蹴り方角を変えた。
(臭い……?)
血の臭い、ではない。もっと肉が生きたまま焦がされるときの嫌な臭いだった。
(……。術か何かか?)
そう思いつつ、後生はしかし、足を速めた。焼かれているのは竹やぶや化物とは限るまい。
腰にさげた宝刀の柄がチャリ、と鳴る。やがてちょうど月光のさすあたりで、後生はちょうど空に投げていた身を着地させ、土と竹の葉の落葉をザクッ! と大きく舞いたたせた。
(……。?)
とはいえ、わざとそうするままにしておいたのは、ほんの直前、その場に動く者の気配がないからだった。代わりに光の当たるなかの陰にさされた部分に、その嫌な、鼻をつく臭いを発するものの巨体が転がっているのを見つけた。付近に徘徊しておる、巨大な獣じみた物の怪のたぐいのようだ。
そのようなものがここにいることに、多少らしからぬ違和感は感じいたったものの、そのまえに目にした、そこにうずくまっている者の姿に、それどころではなく思考を打ちけして近よる。
「おい。大丈夫か?」
竹の葉を踏みしだいて近より、落ちついた風を心がけて声をかける。呼吸の音、身にまとう香りの独特さからどうやら人影は年若い娘と思われた。思われた、と思考に迷いが混じったのは、どうにも状況からして、一瞬、この娘がこの獣を討ったかのように判断されたからだった。
(まさか)
と打ちけす自分をよけいなことだと、打ちはらうあいだに迷いが入った。ともあれ、娘の横にしゃがみこんで、その身体がよりかかり座っている竹の束とのあいだに手を差しいれ、身体を支えてやろうとする、が、「いい」と、これに娘が反応して言った。ぶっきらぼうだが、どこか垢ぬけた味の漂うような妙ななまりだ。
「よかぁないだろう。見せてみろ。どう見てもその怪我、ただ事じゃない」
「いい。いいから、向こうへ行ってくれ。構わなくていい」
「いいから見せろ」
なぜだかこちらの腕を振りはらおうとしているが、娘の手には力がなかった。もう片方の腕でかばっている腹部が、闇夜にも見えそうなほど血で汚れている。
「やめろ!」と、やや弱々しい声で言ってくる娘の手をどけさせ、後生は傷口を月明かりにすかそう、として、ふと妙な顔をした。
(ん?)
娘の手をどけた先には、乙女の白い柔肌があるだけだった。服こそはだけ、その様子が不自然なほどに血で汚れていたが、傷口などどこにもない。と、驚きと呆気にとられたのをついて、横からがつん!! と振動と耳鳴りがおそった。
「ったく、お節介が!!」
娘が乱暴に吐きすてる声が夜にひびき、後生はえらい力で打たれた(殴られた)顔面をおさえつつ、ようやく起きあがった。
痛みにうめいているあいだに、娘はさっさと向こうへ歩いていってしまったようだ。立ちあがりかけこそ足もとがふらついていた(音でそう聞こえた)ようだが、あとはわりかししっかりとした足どりで、向こうへいったようだ。回遊する虫の音のあいだから、その去っていく足音の残しが聞かれた。りぃ、りぃ、ちちちち、と、あとに残ったのは、ぴくとも動かない黒こげの小山と暗闇にしみる顔の痛みだけだ。
(っつぁ~)
後生は心中でうめきつつも、忌々しげに呟いていた。
「まったく、本当に女か……?」
間。
翌明け。
里の周回の仕事を終え、後生は家に戻るのも早々に、博麗の社へと足を向けていた。
途中、稗田の家に寄り、体を崩しているらし菊理の様子を見にいったが、門人に様子をたずねるだけで帰ってきてしまった。
(半可なことはするものじゃないな)
内心で呟きながら、菊理の顔を見てこなかったことを今さらになって気にしている自分に呆れを覚え、どこかうろ覚えな心地で道先を進んでいかなければならぬ、と後悔する。
そのうちに石段をのぼり、博麗の社へとつづく鳥居をくぐってしまっていた。そして、そこでふと目にした情景に、後生はちょっと白毛の入った眉をあげた。生まれながらに混じった銀と白のある毛を短髪にし、満月ともなれば金色のたて長、つまりは猫の目のようにでもなる目をちょっとけげんに、というより当惑がちに開き、目の前、前方に立つ二人の女子らしき影を見やる。そのうち一方、蒼白い着物に編みこみを入れた長い白髪を垂らした女子のほう(人外であろう、おそらく)がなんの前ぶれもなく、目の前の巫女服の娘からはなれ、こちらに向かって歩いてきた。
行きちがうときにちらりと確かに後生を見、覗き見にも気づいたようだが、くすっといたずらっぽく笑っただけで、そのまま階段を下りていってしまった。
「――、」
横をすれちがうときに、そう、なにか呟いたのがわかったが、なにを言ったのかまではわからなかった。
(ふむ……)
人外の姿に身がまえるものを感じていた後生は、自覚して警戒をとき、中途だった階段をのぼりきった。
(助平ね)
(性根の昏いことだ)
今さらながらに、娘の呟きが理解できたのに呟きかえしながら、「砂子」と、立ちつくしていた砂子に声をかけると、こちらには気づいていたのか、ちら、と不機嫌そうな横目――いや、後生に怒っているというわけでなく、どうやら、さきほどからなにかをかみしめるような顔をしていたようで、今のしかめ面はその延長のようだが。――を向けて、ちょっと目線を下げて挨拶のようなものをすると、さっ、さっ、と、持っていた箒を動かしはじめる。
「何だ、今のは? ――知り合いか?」
「まぁね。で? なに?」
「あぁ、まぁ、何でもいいんだがな」
「何よ歯切れの悪い」
「いや。お前、そういう趣味があったのか?」
「それ以上言うと殴るけどいいの?」
さっ、さっ、と箒を動かしながら、そこまで言って初めて後生のほほにべったりと湿布がはってあるのを見つけたような反応を返して、「ま、いいや。どうせ何かあったんでしょう。上がりなさいよ」と、適当に切りあげることにしたらしい境内の掃除を止め、砂子は掃いていた土だの小石だのをまとめてちり取りに放りこみ、かたんと木のふたを下ろした。
社。
砂子の住む社のなかの客間。
といったものの、客間に踏みこんだ後生は少なからずぎょっとしたし、頭もかかえた。
「お前なぁ。客間にこれは無いだろう」
「急に来る方が悪いのよ」
砂子は悪びれた様子もなく、――あられもなく散らかっていた下ばきやら寝巻きらしいが、あきらかに放りっぱなしにしていたらしい白衣やら、真新しい色のにじむ袴やら――片づけながら言い、それらを部屋のすみにごちゃっとまとめると後生に座るよううながして、とたとたと奥にひっこんでいった。
後生は片づけ(?)忘れたらしい白足袋がちゃぶ台の下にだらしなく置き去られているのを気にしつつ、畳に座った。ほどなく砂子が茶の用意をしつつ戻ってくる。
「それ、何?」
コト、と湯呑みをならべつつ、砂子が言う。
「あんたのとこの菊理って子だっけ。やられちゃった?」
「なんで俺が菊理になぐられるんだ」
「へえ。なぐられたの、それ?」
ぺしぺし、と自分のほほを示して見せながら、砂子が言う。なぜかすでに茶の用意はしてあったらしく、用意した急須からは、こぽこぽと番茶が流れでてくる。
「あぁ、昨日の夜にな。里の警らをしていたら、結界に物の怪の反応があったのでいったんだが」
「へぇ。物の怪って女の子?」
「んなわけあるか……ともいわんが違うよ。これはその場にいたヘンな女に……いや、そうじゃなかった。今日きた用件はだな」
「なにか怒らせることでもしたんでしょ? あんたぶきっちょだし。菊理ってコも大変よね」
「あのな」
「里の周辺で物の怪なんて珍しいわね。いや、最近多いのか。あんた寝不足ぎみじゃない? そんなカオであいさつにいってもひと様を心配させるだけだから気をつけなさいね」
「いーからすこし俺の話を聞け。今日来たのはそのことじゃないんだ」
後生はへきえきしつつ言った。この巫女ときたら生来カンが聡く、よけいなことをズバズバ言ってのけるので、非常に話がしにくい。
「里のなかで起きた件なんだがな。ことがことなので、お前に頼みを入れるよう村役どのから達しが入っている」
「なにかあったの?」
パリパリと、茶うけがわりに持ってきたタクワンをつまみながら、興味なさげに砂子は茶をすすった。その目のした――特徴的な目だ。普段はあまり意識しないが、砂子の目は左右で微妙に色がちがい、左は茶と黒をまぜこんだような深みのある碧で、右は血を流したようなどす黒い紅色をしている――に、うっすらとクマがうかんでいるのを見ながら、後生は無意識に腕ぐみしつつ、眉をちょっと上げた。
「……お前、寝不足か?」
「昨晩気分が悪くて眠れなくてね。二回ほどもどしたし、まぁお腹も空いてるわ。そうだ、どうせ里にいくんでしょ? なにかおごって」
「まだ何も言ってないのにたかるなよ」
「ひさしぶりに川魚の焼いたのが食べたいわね。むぎ飯もやま盛りがいいわ」
「……。わかった。とりあえず里にいこう。そのほうが話が早そうだ」
人里。ちょうど昼まえ。
めし処。
博麗の社からは、後生の住まう里まではけっこう歩くため、つく頃にはそんな刻になっていた、というだけだが、つくなり砂子は適当な店にはいってメシを要求してきた。女にしては背がやや高めで、しかし腹や脚は女生らしい細身である砂子は、だが外見には似ず大食気味である。
「やっぱり里のメシはおいしいわねー」
がつがつと音が聞こえそうな健たんぶりで、かたちのいい小ぶりな唇にメシをはこぶ砂子をほおづえついて放っておきつつ、後生は茶をすすった。
「俺の金で喰らうメシはうまいだろう、博麗」
「なに仏頂面してんの。メシが不味くなるから笑いなさい」
「痛った!! なにさらす!!」
湿布の上から指はじきを喰らい、言ってのけるが、砂子は応える風もなく、行儀わるくハシの先をなめている。
「それで? 私に頼むけん案てなによ。今なら気分がいいからこころよく聞いてあげるわよ」
「くいものでつられるとか山ざるか……いった!! おい!」
「なんなの、それで?」
「……、つい先日、子供がひとり行方知れずになってな。それから二人目、三人目とたてつづけに同じような事例が起きた。村に不審が広がっている」
「ふーん。ひとさらいか何かじゃない?」
「村ではその筋が濃いと考える者もいて、その線で調べを進めている者らもいる。俺たちがたのまれたのは、もう一方の線だ」
「妖怪かなにかの仕業だって? そんなの妖気が残るからすぐわかるでしょ。あぁ。妖気がのこってないのか」
たん、とかるくハシを置いて、フー、と赤みがかった肩にかかる程度の黒髪を丁寧にさげて行儀よくあわせた手を離すと、砂子はズズ、と茶をすすった。
「そうだ。だが、手口から考えて物の怪どもの仕業とも考えている。ことの前後にあやしいやつが見かけられなかったのも、ひとさらいと決めつけられん理由でな」
「里の人間が手びきしたって筋でうたぐってるやつもいるわけね。なるほどそれで私を呼んだのね。内部調査なんて面倒くさいことも私たちがやるの? ことわりたいな」
「そう言うと思ってお前は俺と一緒に妖怪の仕業をうたがって調べてもらうことになった。ひと息いれたら現場のほうにむかうぞ」
里のすこし外れた場所。
背の高い草が多くしげるむこうに、すぐふかいやぶをのぞんでいる平地。
家々の連なるのが途切れはじめ、夏の残滓かおる翠色した草と一軒の廃屋が目に入るにつれ、そこにちらちらと見え隠れする子供らの姿を見るにつけ(後生は目がよく、彼らの気づくまえに気づき)、後生はしかめ面をつくった。
「こら! お前たち!」
わぁ! と、子供たちが気づき、蜘蛛の子を散らすようにばたばたとちりぢりに逃げていく。
あっという間にいなくなった子供らの姿に呆れつつ、後生はぶつぶつと言った。
「まったく……親連中にはここで遊ばんようかたく言われておるだろうに」
「頭悪いからね。あなたもけっこうなめられているんじゃない?」
こそこそと廃屋のかげにかくれて興味ありげにこちらを見ている子供らを見つつ砂子が言うのに、後生はやっと見とがめて、そちらをじっと見た。きゃあ、とかん声じみた声をあげて子供たちが散っていく。
憤まんそうに袖手に腕ぐみして、とにかく後生はやぶの方に目をうつした。
「ここが最初に子供がいなくなったと思われる草むらだ。あまりやぶに近いようなので、危険とは前々から言われていたようだが、子供らは遊び場にしていたようでな。何か臭うか?」
後生にいわれ、しかし砂子はあまり聞こえてないように、関心のうすい目で周囲を見わたしていた。
「たしかに妖気は感じないわね。でもかすかにこびりついているのは感じるわ。でも、このくらいなら、そこらの里にいる術士には当然わかると思うけど、私が見る意味ないんじゃない?」
「ちがう観点からの意見がほしかった。たしかにかすかな妖気が残っているようだという意見はこの里につく術士からもあったことだが、気にする程度ではないかもしれない、と、なんとも微妙な話でな」
ため息をもらすように言い、後生は腰に手を当てた。
「この程度ならば妖獣か、とおりすがりの野良妖怪がのこしていった気と大差ないとの見解だ。あるいは知恵のきくやつが、わざと妖気をおさえ、そう見えるよう見せかけていったようではないかとの見解もある。意見はまとまらず、調べは難航だ」
「ふーん」
「て、おい」
「妖気とかそういうたぐい調べるんなら私より優れてる術士や専門の人なんて、ごろごろいるわよ。さ、次行きましょう」
里のはずれ、だが、今度は先ほどと別の区画。
今度も先ほどと似たような場所だった。ほそ道が、ふかい木立ちのあたりにつづくのを、両側から背の高い草がおおって、獣の通路のようにしている。
「久しぶりに歩くと里も広いわね。まぁ昔よりかは楽だけどさ」
「お前子供の頃はここにいたんだったな」
「まーね。あ、そういえばここいらへんは来たことあるわね。そのころちょうど村の悪いデブガキが私に目ぇつけて取り巻きといっしょに「やーいひとつめおばけ」だのなんだのごちゃごちゃ言ってきたから、そこらにころがってる手頃な重さの石でなぐったら血垂らしてぐったりしちゃって、あとで村役さんに連れられてそいつの親にあやまりにいったのよね。なつかしいわ」
「お前の武勇伝は笑えないからやめろ。で、ここはどうなんだ?」
「さぁ? そろそろお腹空いたわね。三ツ刻かしら」
「おい」
「さっきも言ったでしょ? 私でもわかるくらいのことはとっくに誰か見やぶってるからイミないわ。とりあえず茶菓子でもすすりましょ。あんたのおごりで」
「頭が痛くなってきたな。ちょっとわけもなくお前叩いてもいいか?」
「自分より背の低い女ひっぱたくなんて男らしくないわよ」
言いつつ、ろくに見る様子もなく、砂子はすたすたと歩いていく。はー、と頭をかるくおさえるようにしつつ、
歩きだそうとして、後生はふいにがくん、と足場がゆれるのを感じた。
(お前のせいだ。お前の――)
女のわめき声。
(……? ……)
「後生?」
前から誰か――いや、砂子だ。分かっている。――が呼ぶ声を聞いて、後生はかぶりを振った。
いや、我を失っていたわけではない。
強い幻聴。いや、幻聴?
「……違う。俺の――」
言いかけて口をつぐみ、後生は頭をおさえていた手をはなした。
「どうかした?」
「なんでもない」
「そう?」
砂子はちょっと身ぶりでやれやれ、といった風をあらわして、それからまた関心なさそうな目に戻るかと思ったが、ふと後生を見て、ちょっと神妙な顔で言った。
「後生。あんた、あとで専門の人に見てもらった方がいいわよ」
「何が?」
「あんた憑かれてるわ」
言うと、砂子は今度こそふいと前をむいて歩きだした。
(……? ……)
里のなかほど。
めし処。
後生もそろそろ小腹が空いていたので、砂子におごる(らされる、だが。正確には)ついでにかるく食事をとった。
「さて」
と、茶菓子をつまんで茶をのみ終えると言い、けげんな顔をする後生のまえで、
「じゃあ、ご馳走様。私はこれで」
「待ちやがれ」
「残りの調べは明日でいいわよ。今日できることはあと無いんでしょう? それに、たぶんだけど、今日はもう何もやることはないわ」
「博麗!」
「勘です」
またそれかと思いつつ、後生はかるく頭をかかえた。この巫女は自分の勘になにか確信的なものを見いだしているのか、自分がそうと感じたら根拠もなしに行動する。そう思う間にも、「明日の朝、村の広場でおちあいましょう。また来るから」と言いおいて出ていこうとする。
「おいこら。勝手に決めるな。朝っていつだ」
「鳥が啼くころ」
里なか。
まったくあいつは、とぼやきながらも、店のなかで騒いでは妙な噂でも流れかねず(ただでさえ博麗の社に近よる者はへんな目で見られるうえに、後生も砂子と年の近い男子であるから里の同僚の中には面白はんぶんで勘ぐってくる者もいる)、実際そのような気配でこっちを見ている店の者たちの目を感じつつ、後生は不味くなったメシをかっこんで早々に店を立ちさった。
さてなにをしたものか、と思い、後生はどうせ砂子のきまぐれのおかげだ、と心中で責を負わせ、これ幸いと稗田の屋敷にむかった。
顔なじみの門人はすでにこころ得ていて、後生を見ると、「どうも。嬢でしたら御会いになられると待っておいでですよ」と、からかう風もなく頭を下げてくる。
すみませぬ、ともなんとも言えず、いかにも年嵩の先達といった風の上品な老爺に礼をし、案内の者に連れられて屋敷に上がった。
「――兄様。ご無沙汰いたしておりました」
菊理は、ほほに血色のさした顔で笑ったが、いつものごとく、布団には半分入ったままだった。
「ああ。来れなくて相済まなかった」
「いえ――」
菊理は言いつつ、ふと後生の顔を見て、ちょっとくす、と笑った。
「なんだ?」
「いえ、なんでもありません。失礼しました」
ちょっとなぞめいた風でありながら、無邪気な風でもある自分のいいなずけを見つつ、後生はほほに張られた湿布の下あたりをかるく指でかいた。この有様なら朝に聞いているはずだが、と思っていると、菊理がふと見すかしたようににこりと笑って言ってくる。
「あ、いえ。失礼をいたしました。悪気は、まぁ、無かったといえばうそになりますけれど、ありませんでした」
「どっちなのだ? それは」
「どっちもでしょうか?」
「体は? もういいのか?」
後生が聞くと、ええ、と他愛のない風に聞いて、菊理は楽しそうに笑ってくる。まだ十五。後生とは八才ほども違う、娘ではあるが、どこか年に似かよわない聡さももっているのがこの菊理である。年幼くしてすでに病弱という重荷をかかえて生まれた身体は、同い年の娘たちに似ず、切りそろえられた短めの髪は絹のようにほそく、大きめの瞳とつぶらな唇は外気に触れないため人形のそれのようには見えた。
よく見ると目の下にうすいクマがあるな、とたあいのないことを考えつつ、いつもどおり、菊理が聞いてくる仕事やらなんやらのことをはぐらかしたり、なんのことはないようによそおったりではあるが少ししながら教え、時をすごし、やがて屋敷の者からそろそろ、と暗に告げられ、その場を辞した。
三か月もたてば婚礼だ、とは、ずっと前から知っていたことで、後生も承知をすでにそれなりに固めてはいる。そも、この許嫁の取りきめは、上白沢の家と稗田の家同士で、八年前から決まっていたことだ。後生が十五をむかえる年のころ、後生の親爺どのと友人であった菊理の父がある日持ちかけたのだという。
「のう、上白沢。うちの菊理はあのような身体じゃ。できるなら、早いとこ婿を決め、その子を成させてやりたい」と、菊理の父が言うにはこうだった。「幸い、ぬしのところの三男殿を、菊理は憎からずといった風で想うておる。わしもかの御仁ならば人柄見聞きして異存はない。率直に申すが、うちの子を人と成るを待って貰ってはくれまいか」
たっての頼みに義理を感じた後生の父はふたつ重い返事をかえして、これを承知したという。ただし、稗田の家の事情をおもんばかり、後生は婿に出すといったかたちにした。「よきことと存ずる。ただし、主の家の役目、またのちのちのことも考えれば、後生を婿に出すが相応であろう。そのようにしよう」そうして交わされたのが八年前。菊理は三年前にはもう後生を夫にむかえる予定であったが、初潮がくるのが遅れたため、これを三年後の十五におくらせ、今に至る。
翌日。
村の広場。鳥が啼く頃。
「遅いわよ」
そう第一声を発した砂子の顔ははた目にも蒼白く、目のしたにはクマが深くなって刻まれていた。
「なんだ、どうした? お前、そのカオ」
「ゆうべ、ちょっと気分が悪くて寝れなくてね。またお腹空いてるから、向こうのめし処に行きましょう。あんた朝餉は? まだでしょ」
「あぁ」
「じゃあまたあんたのおごりね」
何がじゃあだ、と思いつつも、さっさと歩きだす砂子について、後生は憎らしく自分の財布の具合をたしかめた。
めし処。
とはいえ、自分も早くに出てきたせいで、ろくに朝飯にありつけておらなかったので、後生も自分のぶんを注文し、大食漢の(痩せの大食い、というのか)娘とむかいあってがつがつ食べた。
「昨日、気分が悪くて眠れなかったから、ひと晩水ごりしてたんだけどね。そしたら予感がきてね。悪いとは思ったけど、さっさと里にきて聞きこみしてきたわ。里のひとって朝早いのね」
ほほにごはん粒をつけたまま、行儀わるくハシをくわえるようにして、砂子が言った。後生は聞きとがめて、ちょっとハシを止めたが、思いなおして、かたんと置いて、湯のみをとった。
「それで」
「十日前に外から来た母子連れがしばらく村にいついていたらしいわね。村のはずれの廃屋にいたって話なんだけど、それがつい最近になって、村役さんの判断で追いだされたって」
「……。あぁ」
「その母子連れがその後どうなったかは知らないけど、たまたま山にはいった人が、山奥の山小屋に子供らがはいっていくのを見たらしいわ。小屋の中は覗いたのかって聞いてみたけど、しかめ面されてそれ以上は教えてもらえなかったわね。たぶん覗いたと思うけど言いたくはなかったんでしょう」
「あぁ」
「あんた知ってたでしょう? 仕事柄」
「あぁ」
後生は短く答えて茶をすすった。
無論、知っていた。知っているどころではなく、村役の指示で、その件の母子を追いだしたのは後生たち村の警ら衆であった。
この妖怪どもの住処と接してたたずむ里は、その在り方の特殊性から、基本的に外の厄介ごとは受けいれない。女がただの乞食であったなら見すごしただろうが、所作やら言葉づかいなど、その前についての疑わしさが勝っていたため、村役がこれを判断して実行させたのだ。無論こと、里のの周囲は賊も寄りつかぬ妖怪どもの魔境の中にあるが、そのことは折り込み済みで決定は下された。
追いたてるときにすがりついた女のわめき声、子の叫び声やらは、耳に残っている。
(――幻聴か)
ところ移り、しばらくして。
山中。
話に聞いた小屋。
というよりは、話に聞いたとおりの、元は山小屋だったのだろう廃屋だった。周りはさびれすたれた様子がうかがえ、使う者の絶えて久しい井戸は枯れているのか、水おけに砂がこびりつき、カタカタと風が吹くたび揺れている。
小屋の片側面についている日さし戸がわずかに開けられっぱなしになっていた。
(……)
「人の気配はないな」
後生はもやもやとした心中を感じながら、どこへともなく呟いた。とはいえ妖気も感じない。
あるのは、ここ最近まで人がいたような独特の匂いと、臭いだった。後生は特有の獣の感覚をもつ鼻で、なかば習性のように霊感を張り巡らしたが、それでも掴めるのは、閑古とした虚しい空気だけだった。満月をやや過ごしたとはいえ、上白沢の家に度々生まれる獣の因子持つ子の能力は霊的な感覚に秀でておる生まれつきの馴染んだ力を後生に感じさせる。
少し待て、と、うしろでやや眠たそうな空気を出している(そういうことも後生の感覚には敏感にひっかかる)砂子に告げ、ささ、と茂みを抜けだし、片手を刀の柄にかける。少し開いた日さし戸のすき間を覗くと、中はやや暗いが、向こうの壁についている格子戸が、何もない床と粗末な炊事場を映し出してのける。床には木くずや毛布が投げだされているだけで、なかば覚悟していたような光景どころか、なにもなかった。ふむ、と後生は言いおいて、そのまま歩いて砂子のところへ戻ってきた。
「何もいない」
「死体も?」
「無い」
「ふーん」
「……。待てよ、だいたい俺たちは、子供の神隠しを調べていたはずだろう。何でこんな」
言う後生の口に手をあて、砂子は何やらじゃらじゃらした棒のたばを取りだして、ぶつぶつ言いながら、それをじゃらん、じゃらん、と鳴らしはじめた。そして、何も敷かれていない土の地面に構わずばっとひろげる。
砂子は一瞬押し黙って、ふーん、と呟くと、関心なさげにこちらにちらっと目を向けてきた。
「山狩りはしたんでしょう?」
「ああ。真っ先にそれはやったはずだ」
「でも何も見つからなかった。妖怪の仕業と思しき痕も」
「あぁ」
「今の占いによると凶気と吉気が同時にここから出てるわ。まるで交わるように。これは明らかな活路、あるいは凶路。ここには必ず何かある。わずかに残っていた妖気。何もない小屋。母子連れはどこへ消えたのか……」
左右色違いの目をじっとこらし、砂子はどこか異界を覗いているような色をよぎらせた。それから、何も言わずに見ている後生に構わず、占いの道具を片づけはじめる。
「さてと。お腹すいた。私、一旦里に戻るわ。ご飯食べてくる」
「は?」
「あんたはここで異変が起きないか見張っててよ。あとで魚の干したやつくらいなら持ってきてあげるから」
「酒盛りでもする気か? おい待て」
言う間にも、砂子はすたすたと歩いていき、そしてふと思いついたように――それは明らかに、何かを「思いついた」顔だった。――、「後生」と呼びかけてくる。
「……何だ」
「それ貸して。あんたの刀」
「あぁ? 冗談言うな。これは家宝の――」
「いーから貸しなさいよ。ちょっと見るだけだから」
「おい!」
半ば強引に後生の手から宝刀をむしり取ると、砂子はいったんしげしげと眺め、それから目を閉じ、印を切りはじめた。二度、三度。そして目を開くと、にっこりとほほ笑んで、後生に刀を返してきた。
「何なんだ一体」
「おまじないよ。後生」
「何だ」
「気をつけてね」
夕暮れ。
茂み。
結局、砂子は戻って来ず、また、小屋にも何も起きないまま、日暮れをむかえてしまった。
「何やってんだ、あいつは」
後生はやや空いた腹を抱えつつ、ぶつぶつと文句を漏らした。何かある、と砂子は言ったものの、小屋の周りでは何か起きるような気配はない。
(気をつけろ、か)
無論、あのいい加減な巫女の忠言がよく当たるということは付きあいのうえで後生も知っていた。あの砂子の目――本人が言っていたところによると、自分は神様と妖怪の血を少しづつ継いでいる、と言うことだが、後生もあまり真に受けてはいない、――、異種のものどもとの混血があのような目をもたらすと言われるが、そのせいなのか、砂子は異常に勘がするどく、たまに予知じみている。
しかし、当然それは普通の、もしくは砂子以外の者にはしょせん図りようのない感覚であり、ざっくり言ってしまえば、はてしなく不吉な材料にしかならない。それをわざわざ残されてもな、ということで後生は少々気が立っており、知らず感覚を鋭くさせていた。それが最初に嗅感となって表れたのもそのせいだったのかもしれない。気配を感じるより早く敵を察知する、獣の予感。
(……?)
ざわ、と毛が逆立つような、覚えのある感触を覚え、後生は反射的に小屋の方を見やり、そして、そこに反射的に見た原因を見た。人魂? いや、鬼火か。
そう思ってのけたのは、その青白く、仄かな白火の中に、人の子供、赤ん坊のような異形の形がぼけて見え、それがはっきりと形を為していくのを見たからで、後生はそれでその正体を類すいした。
(餓鬼……)
(――だ! お前の――)
お前の所為だ!!
キィン、と耳に残る残滓とともに強い幻聴が頭をかすめるのと同時、ズキリと痛んだ頭を押さえつつ、後生は後方に向かい、抜いた刀を、思い切り、気配に向かって、振り抜いた。歯にがつん、と返るような鈍い手応えが筋を強張らせる。ついで、耳障りな鳴き声が鼓膜をつんざき、ざざっと、今度は、今しがた後方にしていた肩の後ろからそんな音が聞こえ、後生の肝をはねさせる。しかし、慌てて(勿論慌てている余裕など無いが)振り見た先から聞こえたのはぎしぃ!! という悲鳴と、燃えあがる火の熱が肺を焦がすような錯覚、そして現れた赤白い体色を持った餓鬼の一体を思い切り蹴飛ばした赤い袴だった。
(砂子!)
「後ろ!!」
そう聞く前に、すでに後生は柄をぐるんとひっくり返すように、後ろで起きあがりかけていた(先ほど飛びかかろうとして落とされた)一体の目を目がけ、思い切り刃を突き入れ、ぐり、と抉った。ぎしぁっと歯を軋るような音がして、もんどりうった餓鬼を、そのまま刃ごと地に叩き伏せる。
それと同時、飛びかかろうとしたすぐ横にいた餓鬼が、ドパァン! という、派手な音を立てて、叩き込まれた札の一枚で吹き飛ばされ、ぎぁっ!! と、木の幹にズズン、と追突して、小さい四肢と木の枝を震わせるのを見送る。
そしてさらに。その横から飛び出してきたひときわ大きな女生、か? と思しき人型を、これは斬撃する余裕も無く、刃を跳ねあげて、半ば直感でその腕と思しき部分を――斬れなかった。何か非常に硬い何やらかとぶつかって――はねあげ、危うくかわす。
(ちっ)
避けきれなかったほほが血を流すのを感じつつ、後生はじゃっ、と刃を構えた。囲まれた。
(ひい、ふう、――六匹、か)
とはいえ、先程木に叩きつけられた一体はろくに動かれないようだし、後生が頭の中ほどまで刃を抉った一体と、砂子に術を喰らった一体は、動きがにぶくなっている。
「どこにいた?」
「そこの木のあたりに隠形して伏してたんだけど。気がつかなかった?」
「全く」
後生はぶっきらぼうになるのを自覚しつつ返事し、茂み側にいるまだ動く三体の気配と、そして、今新たに小屋の屋根と井戸の辺りから這い出してきたのが、振り向く直前確認できた二体の他に、先程ふっ飛ばしてやった、女生のような四肢と身体に、ぼろのような衣を引っかけた何者かを見やった。
ざんばらな、白いものの混じったくしに、両脇に従えた餓鬼どもと同じ、ぎょろりとして肉皮のない、白だくした目。そして、指に長く伸びた爪。
鬼女。
「こいつは――」
「件の母子でしょ。そして、こいつが人攫いの頭目よ」
「こいつが?」
「餓鬼に骨まで、生きたまま貪られた人間は、その怨念から同じく餓鬼として取り込まれるわ。例の母子連れは母親がひとり、子がふたり。そして行方不明になった子供は三人。数は合ってるわ」
「まさか、こんな里の近くに餓鬼なんぞうろついていたというのか?」
「あの鬼女は餓鬼の類ではないわ。子を殺した母親は鬼となるから、その類でしょう」
砂子は首をかしげそうな後生を置きざりに、続けた。
「この小屋に過ごしていた母子連れの、母親は、おそらく子供のために、何か食べられるものがないか、森に探しに出ていたんでしょう。しかし、妖怪や何かに襲われるか、死体がまだ見つからないところを見ると攫われて住処まで運ばれたかして死んでしまい、しかし子に対する未練から、怨霊となってここに帰ってきたのね。でも怨霊となった時点で人は正気を失い、見る人の恐怖を煽る存在となる。だから、ここにいた子を殺したのは母親自身。子の死体を喰らった鬼女の念に中てられて、その子らまでそのけん属となる餓鬼となって現れた。里の子供たちをさらっていたのは、つまり自分の子たちのためよ」
(お前のせいだ!! お前の!!)
「道理で、死体が上がらないわけだ……」
「低俗な輩とはいえ、鬼の類の隠形を見破るのは容易いことではないわ。相手の正体を見極めなければ、よほど図抜けた術士でもない限り、それを隠形であるとさえ見極められないでしょう。これらの輩は昼すぎに私たちが来たときにもずっと隠れていたのよ。ここに」
ぐらりとめまいのするような声を聞きつつ、砂子の声を聞く。まぶたからはいり、眼球をえぐってこめかみを貫くような罵声。あれは幻聴などでは――、
(俺のせいじゃない!)
「ちなみにあんたが覗いた小屋の中も隠形。現場に妖気が残っていたのは、これは鬼特有の小知恵でいいでしょう。ただの妖怪の仕業を、最悪におわせるようにしたかった。以上」
夜が近い。のぼった月の欠け具合を脳裏にうかべ、後生は眼光をたけらせ、ザワ、と、金の色をかすかに帯びはじめた頭髪がさわぐのを感じ、キァァァァアアア!!! と、形容しがたい声をはいて動いた鬼女をいなし、おくれて襲ってきた餓鬼のどて腹を、ズン! と貫き、地面にたおした。そのまま力まかせに刃を抜いて、一寸あけず、刃をひねり、喉を刺しつらぬく。カォ、と、わずかな声を上げ、餓鬼の一体が動かなくなる。
(お前の所為だぁ!!)
「違う!!」
さけび、胴をひねりざま、手首を捻るように刃を引っこ抜き、キロ、と動かした獣の瞳に、餓鬼の一体を乱暴に蹴り飛ばし、一体にばしん、と強引な手刀を見まう砂子が、ヒュとよけるのが見え、すぐに鬼女がもう然と突っ込んでくる様が見えた。
砂子をよけざまこちらへ来るのを、かろうじて正面から刀で受けとめる。刃が無ければすんでで心ぞうを抉られていたところだ。
(お許しください!! お許しを!! 子供らだけは――)
ぎゃぁんと泣く子供たちの声が、餓鬼の一体が上げた断末魔の声にかさなった。こちらを見ようと、餓鬼の仕留めたやつを血塗れの手で放りすてた砂子が、別の方へ視線を動かし、襲ってくる餓鬼どもをかわすのが見える。
歯の滑るような音。しくじった。容赦もなくがっちりとかみ合った刀の向こうに鬼女の面を見すえつつも、しかし後生は、まるでばねのように力を溜め、それを一気に解き放ち、鬼女の体勢も自分の体勢もかまわずに、とにかく弾いた。
ザン!! と、同時にたたらを踏みつつ、鬼女の胴を目がけて、骨と骨のすきまを突きいれる心地で、刃を斜め気味に繰りだす。びしゅっ! と耳を掠めた激痛よりも、まず目に飛びこんだのは、繰りだした宝刀がなにかの冗談(悪い、だ。もちろん)のようにパキン、と折れたところだった。
そして、すかさず飛びこんで来るように後ろから踏みこんだ砂子が、ズン!! と一突きに、背中から鬼女の胸部にかけて、後生の手にあるのと「全く変わらぬ」宝刀で、一直線に刺しつらぬくところだった。耳をつんざくような雄叫びとともに鬼女の身体が木を目がけてぶち当り、その背中に足をかけた砂子がひきぬいた刀を返す勢いで残りの餓鬼の最後の一匹を切りすて、ヒュウ、と口笛を吹くのまでが、後生の目には映った。
間。
「すごい刀ね……。あんたがいっつも宝剣って言ってたの、伊達じゃなかったんだ」
というのを背後に聞きながし、後生はわなわなと震えていた。打ちひしがれて。
「……。……宝剣が。すめらぎより授かりし由緒ある上白沢の宝剣が、鬼の下賎なたぐいごときに……」
「……後生?」
「砂子。もう俺は駄目だ。父上や兄上、また上白沢の血を継いできた尊き先人方全てに申し訳が立たん。切腹して果てるから介錯してくれ。首は見えぬように包んで家に……」
「あら。……うん。そうか。切腹しちゃうのね、後生。分かったわ、知己のよしみで骨は拾ってあげる。ついでにこの剣は頂いていくけどそれでいいわね?」
「ああ……そうしてくれ。それと菊理には、不甲斐なくも許嫁の誓いを破る……待てこら」
後生は急に我に返った目で砂子を見た。
「お? お? こら。なんだそら、こら。何でお前が俺の刀を持ってんだ?」
「さっきおまじないとかなんとか適当にごまかして印切ったときに」
「ふざけんな。この剣は何だ!?」
「そっくりに作った紛い物です。さすがに鬼相手には折れちゃったわね」
砂子が言いつつ拾うのに、がっちりと詰めより、後生はぼたぼたと安どとも怒りともつかない涙をこぼした。
「テメェェェェ!! 洒落になってねえぞこのあま! 阿呆か? お前阿呆か!? なぁ、おい!!」
「だって一回使ってみたかったんだもの」
「何だその軽い理由は? もしまかり間違ってそれで俺が死んでたらどうすんだ? 笑うのか? 歌うのか?」
「まぁ落ちついて、後生。地が出てるわ。私そんなあなたの顔もちょっぴり見たいけどそういう理由でやるほど戯けてないから」
「大戯けだ木瓜ぇぇぇぇ!!!」
そして夜は更けていった。
(続く)