「あ、あのさ」
金曜の宵の口、二つのビールジョッキを挟んで少女たちは座っていた。
街は華の金曜日とあってほのかにざわめき立ち始めている。彼女たちの周りにも次第に学生らしい姿が増えていた。
「もう大学も終わりとなると思うのよ、これでよかったのかって」
組替えた足に当たってボーラーハットが床に落ちた。黒髪の彼女はそれに気づかない。
「私は結構満足しているよ。蓮子に振り回されるのは面白かったし」
ガーリーなブロンドがハットを拾い、軽くはたいて、蓮子に渡した。
「私だってメリーに振り回されていたけど、ね。面白かったことには異存ないの、だけど」
「だけど?」
まだ時計は床と垂直に針を示したばかりだというのに、蓮子は頭を揺らしている。ビールは温くなる間もなく彼女たちの喉を鳴らしていた。
「長かった夏休みが終わる時の感覚、楽しかったけど何もできなかったような」
二人のジョッキが空になるのを見計らってメリーは再度ビールを頼んだ、二リットルジョッキで。
「やっぱり大ジョッキはドイツ流が一番ね」
「ドイツかぶれは誰でも一度は通る道よね」
しかしながら、ドイツジョッキで飲まれたのはオランダビールであった。得てして、こだわりなどというものはその程度のものであるし、その程度で留めるべきものである。
「まあ、その気持ちもわからないこともないわよ。境界をまたぐ恐怖っていうか」
「日本人的な発想ね。国籍不明な見た目のくせに」
メリーはにやりとして鼻を鳴らす。
「西洋的美少女と言ってほしいものですわ」
「少女って歳でもないけどね」
二人は苦笑いをした。
「カウントダウンを始めてしまった何かの区切り目って言うのはさ、もう境界が有耶無耶になっていて、敷居の上に乗っているような不快感があるのよね」
「敷居を踏まないっていうのは実利を伴うけれどね。ただ宙ぶらりんな状態っていうのも気に食わないの。新しいことも始められないし」
「そこはもう蓮子らしく、ヤーッとやってみればなんとかなるんじゃないの」
「やりだしたらなんとかなるのよね、なんだって」
蓮子は緑のネオン管を見つめる。
「“僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安”ってね」
蓮子は机に突っ伏し、紅く染まった頬を膨らませる。メリーは蓮子に帽子を被せた。
「秀才のイケメン文豪にそんなこと言われちゃ、私達なんて生きていけないわよね」
酩酊寸前の蓮子を引き上げ、メリーは会計を済ませた。
徐々に暖かくなってきたとはいえ、日が落ちてからはまだ冷える。メリーは上着の襟を立て、蓮子にマフラーをしめた。
「ほらシャキシャキ歩いて帰るわよ、蓮子」
「わたしはまだまだのめるぞ」
蓮子は千鳥足に路地へと突っ込んでいった。
「あ、境界」
整備された表通りに対して、路地は未だ二〇世紀の趣を残している。室外機がならび、雨樋からのパイプが壁を這っている。
「やった。行きましょ、メリー」
ふらふらとメリーの左手を掴み、蓮子は倒れこむようにして前に進んだ。
「またサナトリウム送りになるのは嫌なんだけど」
「あなたとランデブーしたいって言ったら着いてきてくれるかしら、お嬢さん?」
メリーはじっとりと蓮子を見つめるだけだった。
「それにやってみればなんとかなるってメリーがさっき言ったんじゃない。境界なんてひとっ飛びよ」
「はいはい分かりましたよ」
「あ、前世紀のビールバー」
「はしご酒ね」
金曜の宵の口、二つのビールジョッキを挟んで少女たちは座っていた。
街は華の金曜日とあってほのかにざわめき立ち始めている。彼女たちの周りにも次第に学生らしい姿が増えていた。
「もう大学も終わりとなると思うのよ、これでよかったのかって」
組替えた足に当たってボーラーハットが床に落ちた。黒髪の彼女はそれに気づかない。
「私は結構満足しているよ。蓮子に振り回されるのは面白かったし」
ガーリーなブロンドがハットを拾い、軽くはたいて、蓮子に渡した。
「私だってメリーに振り回されていたけど、ね。面白かったことには異存ないの、だけど」
「だけど?」
まだ時計は床と垂直に針を示したばかりだというのに、蓮子は頭を揺らしている。ビールは温くなる間もなく彼女たちの喉を鳴らしていた。
「長かった夏休みが終わる時の感覚、楽しかったけど何もできなかったような」
二人のジョッキが空になるのを見計らってメリーは再度ビールを頼んだ、二リットルジョッキで。
「やっぱり大ジョッキはドイツ流が一番ね」
「ドイツかぶれは誰でも一度は通る道よね」
しかしながら、ドイツジョッキで飲まれたのはオランダビールであった。得てして、こだわりなどというものはその程度のものであるし、その程度で留めるべきものである。
「まあ、その気持ちもわからないこともないわよ。境界をまたぐ恐怖っていうか」
「日本人的な発想ね。国籍不明な見た目のくせに」
メリーはにやりとして鼻を鳴らす。
「西洋的美少女と言ってほしいものですわ」
「少女って歳でもないけどね」
二人は苦笑いをした。
「カウントダウンを始めてしまった何かの区切り目って言うのはさ、もう境界が有耶無耶になっていて、敷居の上に乗っているような不快感があるのよね」
「敷居を踏まないっていうのは実利を伴うけれどね。ただ宙ぶらりんな状態っていうのも気に食わないの。新しいことも始められないし」
「そこはもう蓮子らしく、ヤーッとやってみればなんとかなるんじゃないの」
「やりだしたらなんとかなるのよね、なんだって」
蓮子は緑のネオン管を見つめる。
「“僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安”ってね」
蓮子は机に突っ伏し、紅く染まった頬を膨らませる。メリーは蓮子に帽子を被せた。
「秀才のイケメン文豪にそんなこと言われちゃ、私達なんて生きていけないわよね」
酩酊寸前の蓮子を引き上げ、メリーは会計を済ませた。
徐々に暖かくなってきたとはいえ、日が落ちてからはまだ冷える。メリーは上着の襟を立て、蓮子にマフラーをしめた。
「ほらシャキシャキ歩いて帰るわよ、蓮子」
「わたしはまだまだのめるぞ」
蓮子は千鳥足に路地へと突っ込んでいった。
「あ、境界」
整備された表通りに対して、路地は未だ二〇世紀の趣を残している。室外機がならび、雨樋からのパイプが壁を這っている。
「やった。行きましょ、メリー」
ふらふらとメリーの左手を掴み、蓮子は倒れこむようにして前に進んだ。
「またサナトリウム送りになるのは嫌なんだけど」
「あなたとランデブーしたいって言ったら着いてきてくれるかしら、お嬢さん?」
メリーはじっとりと蓮子を見つめるだけだった。
「それにやってみればなんとかなるってメリーがさっき言ったんじゃない。境界なんてひとっ飛びよ」
「はいはい分かりましたよ」
「あ、前世紀のビールバー」
「はしご酒ね」