それは、ある晴れた日の昼下がりのこと。
「……華扇、は……いいとして」
それは、幻想郷の一角にある、落ちぶれた……もとい、ひなびた……でもなくて、質素な……で、いいだろう……神社こと博麗神社での出来事。
「……何であんたがいんの」
「あ、お気になさらずに」
といわれても気にせずにはいられない。
今、この神社の主、博麗霊夢の前には二人の女がいた。
一人がピンク頭の仙人、茨華仙こと茨木華扇。
もう一人が、青い髪の仙人、邪仙こと霍青娥。
彼女たちが何でこんなところにいるのか。
霊夢は理解できずに、相手を見据えている。
「いやまぁ、華扇はわかるのよ。華扇は。よく来るし。
だけど、何であんたが来るのよ。繰り返すけど」
「お気になさらずに」
「気にするから聞いてんのよ」
青娥は何を言っても聞く耳持たず。
ならばと華扇に助けを求めてみるのだが、華扇の視点もまた、ある一点に定まったまま動かない。
ついでに言えば青娥もだ。
彼女たちの見ている先、そこには――。
「ケーキ、美味しいです~」
博麗神社にある、数少ない金目のもの。
黒檀で出来たテーブルの上で、お皿の上に載ったケーキをぱくつく小人――少名針妙丸。
先日、ちょいとした事情で霊夢が身柄を預かることになった人物である。
彼女は小人である。
小人というのは、まぁ、小さい人間である。『小人閑居して~』と言われる類のものではない。
まぁ、それはさておき。
小人は体のサイズが小さいものであるからして、人間大のサイズのあらゆるものが巨大となる。
この彼女、針妙丸に与えられたケーキもまた、人間大のサイズのケーキであった。
人間の目で彼女の今の状態を再現するとなると、部屋くらいのサイズのケーキが目の前に鎮座していることになる。
それを両手で抱えて、器用にフォークを使って食べる針妙丸は、確かに、見た目、とっても愛らしい。
……のだが。
「……こいつら……」
霊夢は呻いて、手元に置いてあるお茶を一口した。
最近、お茶というやつには精神を安定させる効果があることを、霊夢は知った。霊夢にとっての精神安定剤は、まさしく、この一杯のお茶であったのだ。
お茶すごい。
~華扇side~
――羨ましい。
華扇は素直に、そう思っていた。
目の前にいる小人、少名針妙丸。
彼女に、己の隣に座っている女、霍青娥が『お土産ですわ』と持って来たショートケーキ。
真っ白なクリームとふわっふわのスポンジ。そしてたくさんのいちご。
いちごは現在、旬真っ盛り。
サイズも大きければ甘味もたっぷり蓄えている。これを利用したいちごだいふくなど、もう絶品の一言。最近では、保存食として、紅魔館――幻想郷に数少ない『洋』の文化を蓄えた屋敷である――からもたらされた技術によって『いちごジャム』も幻想郷に流通を始めている。
そんな、旬の食材をたっぷり使ったいちごのショートケーキ。
クリームは滑らか艶やかに、スポンジは甘くとろけるように。
もはや芸術品と言っても相違ない出来であるそれを、この彼女は!
「抱えて……食べているなんて……!」
しかも、ただ抱えているのではない。
針妙丸の体のサイズとケーキを比較すると、まさしく彼女一人分のケーキがそこに存在していることになる。
切って、抱えて、口に運んでも、まだまだたくさんケーキは残っている。
「ああ……あんな風に、大きなケーキにかぶりついてみたい……! 等身大サイズのいちごとか、食べてみたいっ!」
針妙丸は口を大きくあーんと開けて、ケーキの中から取り出したいちごをかじる。
一口では、当然、食べきれない。何度も何度も、もぐもぐぱくぱくと。
しかし、一向にいちごは減らないのだ。
自分が食べたら、どんなに大切に食べても、3、あるいは4口が限度だというのに!
あんなに、食べても食べても減らないいちごなんて、此の世にあったのだろうか!?
信じられない……! だが、これは現実なのだ……!
「しかも、しかも……! しかも、たった一つのケーキで、あんなに満足するなんてこと……!」
彼女は、甘いものが好きだった。とても好きだった。
しかし、仙人とは世俗からはなれ、禁欲を是とするもの。『頑張った自分へのご褒美』くらいが精一杯だった。
『甘味処』の暖簾がはためくお店の前で、何度、足を止めて、しかし、敷居をまたぐのを諦めたことだろう。
修行中、その煩悩を抑えるために砂糖の摂取すら我慢したことがあった。
そんな彼女が出会った、新たな味覚――それが、ケーキ。洋菓子という、新たな境地。
これを今まで知ることのなかった自分は、なんて、人生無駄にしてきたんだろう――彼女はその時の、新鮮な想いをそう述懐する。
だが、彼女は仙人。たとえ、新たな味覚に出会ったからとて、常日頃、禁欲、禁欲、我慢、我慢!
その我慢の果て、己が新たなステージへと辿り着いた時に、彼女は今まで押さえつけていた、我慢してきた自分を『よくやった!』と褒め称えるのだ。
だから摂取する量がぱねぇことになってるのだがそれはさておき。
「……なんて……羨ましい……!」
自分のおなかを満足させるくらいまでケーキを食べるとしたら、どれくらいの量になることだろう。
あまり想像したくない。実行しているのはさておいて。
金銭的にも非常に痛い。しかし仙人はお金使わないので数少ない出資先である。
それなのに、この少女は、たった一つのケーキ――いや、その一つのケーキの一部ですら満足することが出来るのだ。
省エネ。それでいて超がつく満足。この相反する二つが同居するなど、世の理に反している!
幻想郷の常識の外に生きている少名針妙丸。
その彼女のことが、華扇ちゃんには、とっても羨ましかった。
~青娥side~
はっきり言えば、青娥は小さくてかわいいものが大好きである。
だから子供が大好きだ。幼い子供は、皆、天使。彼ら彼女らは、皆、慈しみの対象である。
よい子も悪い子も関係ない。むしろ、ちょっとくらいやんちゃで生意気な子の方がかわいらしい。
その中でも、青娥は特に、小さな女の子が大好きであった。
「……まずいわね」
つぶやく青娥。
彼女の視線は、今、ぱくぱくケーキを頬張る針妙丸に向けられている。
そのかわいらしさといったら。
小動物的なかわいらしさと少女としてのかわいらしさが同居し、相乗され、まさに最強。
己の淑女としての自負と自覚、そして鋼鉄の自制心がなければ、思わずお持ち帰りしていただろう。
淑女とは、気高く、潔癖である。
この幻想郷に存在する紳士、そして淑女は、皆、崇高なる存在である。
小さな子供たちを心から愛し、だが、決して手を出さない。遠くで微笑みながら、見つめ、見守るだけ。それが紳士淑女としての在り方であり、それが出来ないものは紳士淑女足り得ない。
幼き子供たちを蝶よ花よと愛でてきて、しかし、手を出した瞬間、その蝶は毒の燐ぷんを、花は猛毒の茨を放ってくる。
手を出した瞬間、彼らはその毒に犯され、死に逝く運命。
紳士淑女とは、臆病な存在でもあった。
己が長く生きるために。永く生きて、いつまでも幼き子供たちを見つめていたいがために。
彼らは、紳士となり、淑女となった。
それは、青娥も同じである。
「……こらえろ……こらえるのよ、霍青娥……。
そう、わたくしは淑女……。隣を御覧なさい……尊敬する茨華仙さまがいらっしゃる……。この方の前で無様な姿は見せられない……!」
此の世には、たくさんの紳士淑女がいる。
だが、生物には、いずれ種としての終わりが来る。紳士も淑女も、それは例外ではない。いずれ彼らは滅びるのだ。
しかし、そうなった時、幼き子供たちを誰が守るというのか?
野に放たれた子供たちに、邪悪な毒牙が襲い掛かったとき、誰がそれをとどめ、打ち払うというのだ。
青娥は、決意した。
己を滅びの運命から解き放ち、永遠に、幼き子供たちを見守る淑女となるべく、彼女は生物の運命を外れ、外道の存在になった。
己を邪仙と呼称するのは、それが理由である。
自らが人の道を外れ、外法を会得した時点で、己はこの世界の生命体より一つ下の存在となったのだ。
いわば、咎。永久に背負うこととなった罪。それが、青娥が邪仙を名乗る理由。
だが、それでもいい。
己は外道と成り下がったが、そのおかげで、幼き子供たちを永久に見守っていくことが出来るのだから。
青娥は、今、幸せなのだ。
「なんて……かわいらしい……」
針妙丸のかわいらしい笑顔。そして、美味しそうにケーキを食べるその姿。
そのかわいらしさといったら!
思わず、頭をなでなでして、ほっぺたぷにぷにしたくなる!
しかし! だが!
それをすれば、淑女ではなくなるのだ! それは、ただの、罪業を背負っただけの罪人となるのである。
青娥は淑女であるために、淑女で在り続けるために、ただ、針妙丸の、その、小動物ちっくな愛らしい姿を見つめていることしか出来ないのだ。
見つめて、脳内にしっかり焼き付けて、『記憶の棚』に番号振って速攻取り出せる状態にする――それが限界なのだ。
今、必要なのは我慢。そして、淑女としての気構え、誇り。
その想いを胸に、針妙丸を見守るのが、青娥の役目なのだ。
~霊夢side~
「美味しかったー!
だけど、もう食べられないです」
「じゃあ、それ、氷室に入れておくから。また好きな時に食べなさい」
「はい!」
結局、針妙丸は、ケーキを半分どころかほとんど残した状態でおなかいっぱいぽんぽん状態になった。
ケーキの載った皿をよいしょと持ち上げ、ぴょんとテーブルから飛び降りて、とたとた走っていく。
霊夢はそれを見送った後、ふぅ、と息をついて、一度、天井を見上げた。
それから、彼女は内心でつぶやく。
――お母さん……私って、きっと、こんなことばっかりだからあまり人に理解されないんだよね……。
だけど、お母さん、言ったよね?
『霊夢が正しいと信じること。霊夢が、その行いが己の道となると判断したのなら、迷わずに進みなさい」
……って。
私……迷わないよ。お母さん――
今、愛しい母は、どこで何をしているのだろう。
また、いつ、あの優しい笑顔に会えるのだろう。それは、わからない。
会いたい。
久々に会って、一緒にご飯を食べて、一緒の布団で眠りたい。
しかし、それはわがままなのだ。
彼女の母は、彼女が『一人前』になったと判断したから、彼女の前から去った。
それは彼女のことを、誰よりも信用しているからに他ならない。
会いたいと思うことは勝手だが、それをなすのはわがままであり、母の期待を裏切ることになる。
――はっきり言って、霊夢はお母さん子である。『ママ大好き!』なのだ。
だからこそ、愛する母のために、その想いは胸の内にしまっておく。
いずれ、母の方から、またここに現れる――それを、彼女は信じているのだから。
霊夢は立ち上がり、大きく、息を吐く。
そして――。
夢 想 封 印 ! !
~以下、文々。新聞一面より抜粋~
『博麗神社で謎の爆発事故! 神社の一角、丸ごと消滅!
本日午後、幻想郷の東側に位置する博麗神社にて謎の爆発事故が発生した。
爆発の威力はすさまじく、神社の母屋が7割消滅し、境内が半分ほど消し飛ぶという事態になっている。
目撃者である人里の田中さん曰く、『神社の方でいくつもの爆発が発生し、そのたびに七色に輝く閃光が煌くのが見えた』とのことである。
この博麗神社の住人、博麗霊夢女史は無事であり、彼女の元に居候している少名針妙丸女史もまた、無事が確認された。
全く、不幸中の幸いである。
この事故による被害は、現在、鬼の伊吹萃香女史によって神社そのものの復旧が進んでおり、一両日中にも建物と境内の再建は完了するとの事である。
博麗神社は幻想郷にとって、重要な場所。ここに何かがある時は、幻想郷にも未曾有の大災害が降りかかっていることだろう。
その日が来ないことを、本紙記者は、ただ祈るだけである。
なお、この爆発事故の際、黒焦げの物体が一つ幻想郷の彼方に向かって吹っ飛び、爆発事故によって発生した巨大クレーターの中から、また別の黒焦げの物体が一つ確認されたらしいが、あくまで噂の域を出ない。
本紙記者が取材に当たった時には、すでにこれら、黒焦げの物体は確認できなかったためである。
念のため、人里公安部所属小兎姫女史が現地の調査及び聞き取りを行っているとの事だ。
何か続報があり次第、本紙面でも情報を開示して行く次第である。
著:射命丸文』
「……華扇、は……いいとして」
それは、幻想郷の一角にある、落ちぶれた……もとい、ひなびた……でもなくて、質素な……で、いいだろう……神社こと博麗神社での出来事。
「……何であんたがいんの」
「あ、お気になさらずに」
といわれても気にせずにはいられない。
今、この神社の主、博麗霊夢の前には二人の女がいた。
一人がピンク頭の仙人、茨華仙こと茨木華扇。
もう一人が、青い髪の仙人、邪仙こと霍青娥。
彼女たちが何でこんなところにいるのか。
霊夢は理解できずに、相手を見据えている。
「いやまぁ、華扇はわかるのよ。華扇は。よく来るし。
だけど、何であんたが来るのよ。繰り返すけど」
「お気になさらずに」
「気にするから聞いてんのよ」
青娥は何を言っても聞く耳持たず。
ならばと華扇に助けを求めてみるのだが、華扇の視点もまた、ある一点に定まったまま動かない。
ついでに言えば青娥もだ。
彼女たちの見ている先、そこには――。
「ケーキ、美味しいです~」
博麗神社にある、数少ない金目のもの。
黒檀で出来たテーブルの上で、お皿の上に載ったケーキをぱくつく小人――少名針妙丸。
先日、ちょいとした事情で霊夢が身柄を預かることになった人物である。
彼女は小人である。
小人というのは、まぁ、小さい人間である。『小人閑居して~』と言われる類のものではない。
まぁ、それはさておき。
小人は体のサイズが小さいものであるからして、人間大のサイズのあらゆるものが巨大となる。
この彼女、針妙丸に与えられたケーキもまた、人間大のサイズのケーキであった。
人間の目で彼女の今の状態を再現するとなると、部屋くらいのサイズのケーキが目の前に鎮座していることになる。
それを両手で抱えて、器用にフォークを使って食べる針妙丸は、確かに、見た目、とっても愛らしい。
……のだが。
「……こいつら……」
霊夢は呻いて、手元に置いてあるお茶を一口した。
最近、お茶というやつには精神を安定させる効果があることを、霊夢は知った。霊夢にとっての精神安定剤は、まさしく、この一杯のお茶であったのだ。
お茶すごい。
~華扇side~
――羨ましい。
華扇は素直に、そう思っていた。
目の前にいる小人、少名針妙丸。
彼女に、己の隣に座っている女、霍青娥が『お土産ですわ』と持って来たショートケーキ。
真っ白なクリームとふわっふわのスポンジ。そしてたくさんのいちご。
いちごは現在、旬真っ盛り。
サイズも大きければ甘味もたっぷり蓄えている。これを利用したいちごだいふくなど、もう絶品の一言。最近では、保存食として、紅魔館――幻想郷に数少ない『洋』の文化を蓄えた屋敷である――からもたらされた技術によって『いちごジャム』も幻想郷に流通を始めている。
そんな、旬の食材をたっぷり使ったいちごのショートケーキ。
クリームは滑らか艶やかに、スポンジは甘くとろけるように。
もはや芸術品と言っても相違ない出来であるそれを、この彼女は!
「抱えて……食べているなんて……!」
しかも、ただ抱えているのではない。
針妙丸の体のサイズとケーキを比較すると、まさしく彼女一人分のケーキがそこに存在していることになる。
切って、抱えて、口に運んでも、まだまだたくさんケーキは残っている。
「ああ……あんな風に、大きなケーキにかぶりついてみたい……! 等身大サイズのいちごとか、食べてみたいっ!」
針妙丸は口を大きくあーんと開けて、ケーキの中から取り出したいちごをかじる。
一口では、当然、食べきれない。何度も何度も、もぐもぐぱくぱくと。
しかし、一向にいちごは減らないのだ。
自分が食べたら、どんなに大切に食べても、3、あるいは4口が限度だというのに!
あんなに、食べても食べても減らないいちごなんて、此の世にあったのだろうか!?
信じられない……! だが、これは現実なのだ……!
「しかも、しかも……! しかも、たった一つのケーキで、あんなに満足するなんてこと……!」
彼女は、甘いものが好きだった。とても好きだった。
しかし、仙人とは世俗からはなれ、禁欲を是とするもの。『頑張った自分へのご褒美』くらいが精一杯だった。
『甘味処』の暖簾がはためくお店の前で、何度、足を止めて、しかし、敷居をまたぐのを諦めたことだろう。
修行中、その煩悩を抑えるために砂糖の摂取すら我慢したことがあった。
そんな彼女が出会った、新たな味覚――それが、ケーキ。洋菓子という、新たな境地。
これを今まで知ることのなかった自分は、なんて、人生無駄にしてきたんだろう――彼女はその時の、新鮮な想いをそう述懐する。
だが、彼女は仙人。たとえ、新たな味覚に出会ったからとて、常日頃、禁欲、禁欲、我慢、我慢!
その我慢の果て、己が新たなステージへと辿り着いた時に、彼女は今まで押さえつけていた、我慢してきた自分を『よくやった!』と褒め称えるのだ。
だから摂取する量がぱねぇことになってるのだがそれはさておき。
「……なんて……羨ましい……!」
自分のおなかを満足させるくらいまでケーキを食べるとしたら、どれくらいの量になることだろう。
あまり想像したくない。実行しているのはさておいて。
金銭的にも非常に痛い。しかし仙人はお金使わないので数少ない出資先である。
それなのに、この少女は、たった一つのケーキ――いや、その一つのケーキの一部ですら満足することが出来るのだ。
省エネ。それでいて超がつく満足。この相反する二つが同居するなど、世の理に反している!
幻想郷の常識の外に生きている少名針妙丸。
その彼女のことが、華扇ちゃんには、とっても羨ましかった。
~青娥side~
はっきり言えば、青娥は小さくてかわいいものが大好きである。
だから子供が大好きだ。幼い子供は、皆、天使。彼ら彼女らは、皆、慈しみの対象である。
よい子も悪い子も関係ない。むしろ、ちょっとくらいやんちゃで生意気な子の方がかわいらしい。
その中でも、青娥は特に、小さな女の子が大好きであった。
「……まずいわね」
つぶやく青娥。
彼女の視線は、今、ぱくぱくケーキを頬張る針妙丸に向けられている。
そのかわいらしさといったら。
小動物的なかわいらしさと少女としてのかわいらしさが同居し、相乗され、まさに最強。
己の淑女としての自負と自覚、そして鋼鉄の自制心がなければ、思わずお持ち帰りしていただろう。
淑女とは、気高く、潔癖である。
この幻想郷に存在する紳士、そして淑女は、皆、崇高なる存在である。
小さな子供たちを心から愛し、だが、決して手を出さない。遠くで微笑みながら、見つめ、見守るだけ。それが紳士淑女としての在り方であり、それが出来ないものは紳士淑女足り得ない。
幼き子供たちを蝶よ花よと愛でてきて、しかし、手を出した瞬間、その蝶は毒の燐ぷんを、花は猛毒の茨を放ってくる。
手を出した瞬間、彼らはその毒に犯され、死に逝く運命。
紳士淑女とは、臆病な存在でもあった。
己が長く生きるために。永く生きて、いつまでも幼き子供たちを見つめていたいがために。
彼らは、紳士となり、淑女となった。
それは、青娥も同じである。
「……こらえろ……こらえるのよ、霍青娥……。
そう、わたくしは淑女……。隣を御覧なさい……尊敬する茨華仙さまがいらっしゃる……。この方の前で無様な姿は見せられない……!」
此の世には、たくさんの紳士淑女がいる。
だが、生物には、いずれ種としての終わりが来る。紳士も淑女も、それは例外ではない。いずれ彼らは滅びるのだ。
しかし、そうなった時、幼き子供たちを誰が守るというのか?
野に放たれた子供たちに、邪悪な毒牙が襲い掛かったとき、誰がそれをとどめ、打ち払うというのだ。
青娥は、決意した。
己を滅びの運命から解き放ち、永遠に、幼き子供たちを見守る淑女となるべく、彼女は生物の運命を外れ、外道の存在になった。
己を邪仙と呼称するのは、それが理由である。
自らが人の道を外れ、外法を会得した時点で、己はこの世界の生命体より一つ下の存在となったのだ。
いわば、咎。永久に背負うこととなった罪。それが、青娥が邪仙を名乗る理由。
だが、それでもいい。
己は外道と成り下がったが、そのおかげで、幼き子供たちを永久に見守っていくことが出来るのだから。
青娥は、今、幸せなのだ。
「なんて……かわいらしい……」
針妙丸のかわいらしい笑顔。そして、美味しそうにケーキを食べるその姿。
そのかわいらしさといったら!
思わず、頭をなでなでして、ほっぺたぷにぷにしたくなる!
しかし! だが!
それをすれば、淑女ではなくなるのだ! それは、ただの、罪業を背負っただけの罪人となるのである。
青娥は淑女であるために、淑女で在り続けるために、ただ、針妙丸の、その、小動物ちっくな愛らしい姿を見つめていることしか出来ないのだ。
見つめて、脳内にしっかり焼き付けて、『記憶の棚』に番号振って速攻取り出せる状態にする――それが限界なのだ。
今、必要なのは我慢。そして、淑女としての気構え、誇り。
その想いを胸に、針妙丸を見守るのが、青娥の役目なのだ。
~霊夢side~
「美味しかったー!
だけど、もう食べられないです」
「じゃあ、それ、氷室に入れておくから。また好きな時に食べなさい」
「はい!」
結局、針妙丸は、ケーキを半分どころかほとんど残した状態でおなかいっぱいぽんぽん状態になった。
ケーキの載った皿をよいしょと持ち上げ、ぴょんとテーブルから飛び降りて、とたとた走っていく。
霊夢はそれを見送った後、ふぅ、と息をついて、一度、天井を見上げた。
それから、彼女は内心でつぶやく。
――お母さん……私って、きっと、こんなことばっかりだからあまり人に理解されないんだよね……。
だけど、お母さん、言ったよね?
『霊夢が正しいと信じること。霊夢が、その行いが己の道となると判断したのなら、迷わずに進みなさい」
……って。
私……迷わないよ。お母さん――
今、愛しい母は、どこで何をしているのだろう。
また、いつ、あの優しい笑顔に会えるのだろう。それは、わからない。
会いたい。
久々に会って、一緒にご飯を食べて、一緒の布団で眠りたい。
しかし、それはわがままなのだ。
彼女の母は、彼女が『一人前』になったと判断したから、彼女の前から去った。
それは彼女のことを、誰よりも信用しているからに他ならない。
会いたいと思うことは勝手だが、それをなすのはわがままであり、母の期待を裏切ることになる。
――はっきり言って、霊夢はお母さん子である。『ママ大好き!』なのだ。
だからこそ、愛する母のために、その想いは胸の内にしまっておく。
いずれ、母の方から、またここに現れる――それを、彼女は信じているのだから。
霊夢は立ち上がり、大きく、息を吐く。
そして――。
夢 想 封 印 ! !
~以下、文々。新聞一面より抜粋~
『博麗神社で謎の爆発事故! 神社の一角、丸ごと消滅!
本日午後、幻想郷の東側に位置する博麗神社にて謎の爆発事故が発生した。
爆発の威力はすさまじく、神社の母屋が7割消滅し、境内が半分ほど消し飛ぶという事態になっている。
目撃者である人里の田中さん曰く、『神社の方でいくつもの爆発が発生し、そのたびに七色に輝く閃光が煌くのが見えた』とのことである。
この博麗神社の住人、博麗霊夢女史は無事であり、彼女の元に居候している少名針妙丸女史もまた、無事が確認された。
全く、不幸中の幸いである。
この事故による被害は、現在、鬼の伊吹萃香女史によって神社そのものの復旧が進んでおり、一両日中にも建物と境内の再建は完了するとの事である。
博麗神社は幻想郷にとって、重要な場所。ここに何かがある時は、幻想郷にも未曾有の大災害が降りかかっていることだろう。
その日が来ないことを、本紙記者は、ただ祈るだけである。
なお、この爆発事故の際、黒焦げの物体が一つ幻想郷の彼方に向かって吹っ飛び、爆発事故によって発生した巨大クレーターの中から、また別の黒焦げの物体が一つ確認されたらしいが、あくまで噂の域を出ない。
本紙記者が取材に当たった時には、すでにこれら、黒焦げの物体は確認できなかったためである。
念のため、人里公安部所属小兎姫女史が現地の調査及び聞き取りを行っているとの事だ。
何か続報があり次第、本紙面でも情報を開示して行く次第である。
著:射命丸文』
青娥さまは後についていくだけで可愛い。
針妙丸ちゃんは食べちゃいたいくらい可愛い。
……変態? いえいえわたくしは立派な紳士ですから。
そしたら、ちいさくなあれ!としてもらえば万事解決!