「私の誕生日、ですか?」
食後のデザートを頂いている時、青娥は訊ねられた。
青娥はその日、仙界の道場で神子たちと夕食を共にしていた。飛鳥の頃の記憶が色濃く残っている彼女らとの食事では、食卓は使わない。床に座って、みんなで輪を作って食べる。
千四百年ぶりにするその食べ方は、懐かしさを感じさせてくれるのだが、それもメニューがチョコレート一色で染まっていれば、話は別だ。
日付は如月の十四日。西洋から伝わったバレンタインデーという、女性が意中の相手にチョコレートを贈る日のこと。それをどう間違えたのか、ねぼすけ飛鳥三人娘(神子、布都、屠自古)は、この甘い祝日を大量のチョコレートを食べまくるパーティにしていた。まるでお店ごと買い取ったかのように、並べられた多種多様のチョコレートを見ては、さすがの青娥も呆れ果てていた。
こういう時に役立つはずの芳香は、朝一番に青娥自身が特別愛(主に量的な意味で)を込めたチョコを与えたすぎたせいでダウンしてしまっている。まぁ、それに関しては、キョンシーも赤い鼻血を出すという新発見があったので良しとしたのだけれど。
そんな中でのこの質問である。質問者の布都はチョコレートケーキを頬張っていた。
「ほら、『けぇき』は誕生日に食べるものなのだろう。どうせだから青娥殿の時も、と思ったのだが、まだあなたの誕生日は教えてもらってなかったからな」
一週間前にあたる如月の七日は、豊聡耳神子の誕生日だった。昔とは暦の読み方が変わっているため厳密にいうと違うのだが、「細かいことを気にしてはいかぬ!」という布都の一声で、神子が現世に蘇ってからは初の誕生祝いが催された。
祝い自体は内輪のみで行う簡素なもので、弟子たちの手料理や布都や屠自古が買ってきた現代の菓子などを五人で食べて騒ぐものだった。
その時にケーキも買ってきていて、どうやら彼女たち全員がこの洋菓子を大層気に入ってしまったらしい。前回は真っ白なショートケーキだったが、今回はお日柄に合わせてのチョコレート。二種類のクリームに甘酸っぱいレーズンという組み合わせはそれほど悪くない(……積み重なる甘さに辟易さえしていなければ)
「そういえばそうかも。誕生日どころか、あんまり個人的な話はしてくれませんでしたよね」
紅茶のおかわりを持ってきた屠自古も話に加わってきた。
カップに注いでもらい、軽くお礼を言ってから一口頂く。少し濃すぎる気もするが、いまはその苦さが丁度良く感じた。
「誕生日と言いましてもねぇ、はていつだったか……」
「覚えていないのですか?」
布都が目を丸くして青娥を見る。
「どうでもいいことは忘れてしまうのですよ」
「ご自分の大切な日でしょう?」
屠自古も尋ねてくる。
「うーん、大切と言っても、仙人になってからは祝ってくれる人もいませんでしたからねぇ」
母や夫の家族が祝ってくれたこともあったが、それも千五百年以上も前の話だ。仙人となってからは一人でいたことの方が多かったし、誕生日などすっかり忘れてしまっていた。
元々、記念日のように特別な一日を大事にする性格でもない。うっすらと残る記憶では、雪が降っていたような気もするけど……。
「梅雨頃、でしたかね」
唐突に、それまで黙っていた神子が口を開いた。
「ジメジメした雨が降っていて、ひどく憂鬱だったのを覚えています。書物にも集中し切れずに、ただぼんやりとした考えだけが頭の中を巡っていました」
よく落ち着いた静かな響きに、いつの間にかその場にいた全員が神子を見つめていた。
神子の話は不思議と聴く者を惹きつける。特別に熱が込められているでもなく、ただそこに張り続ける池の水面のような静かな語り口が、自然と耳を傾けたくさせるのだ。
「そうしたら君がやってきたんですよ、青娥。死を乗り越える仙術と道教を大いに広めたいという夢を携えて。思えば、あの日から君のこの国での活動は始まったのでしたね」
確かにあの日は酷い雨だった。今でも変わらないのだが、倭国のあの時期の雨は本当にうっとうしい。湿度が高いために、何もする気が起きなくなることが儘ある。
そう、それは聖人・豊聡耳神子であっても変わらなかった。青娥が初めて見た彼女は床に寝そべり、自らの服の裾を弄っている、幼子の姿そのものだった。
それがいま、こうして立派に成長しているのだ。改めてその姿を見ると、感慨深いものがある。僅かに目を伏せ、背筋の伸びた座り方をしている麗人が、あのしかめっ面の子供だったとは到底思えない。
「おぉ、閃いたぞ! 青娥殿の誕生日は梅雨時のいずれかにすれば良いのだ」
布都の上げた大声が、厳かな空気をぶち壊した。
「ゲホッ、ゲホッ。……何言ってんのよ。誕生日を後から決めるとか、ついにボケたか、アホ布都め」
驚いた拍子に、紅茶が蒸せてしまったらしい屠自古が毒づく。けれども、布都の十八番となっている得意顔は、そんなことでは消えはしない。
「ふっ、お主は何も分かっておらんな。青娥殿と太子様が出会われた日こそ、正に歴史の変わり目。聖徳道士・豊聡耳神子の産まれた瞬間ぞ。
更には、それを導く仙人・青娥娘々の名が歴史に刻まれる日でもあったのだ。つまりは、青娥殿のこの国における誕生日と言っても過言ではなかろう」
「どう考えてもおかしいわよ」
屠自古の言う通りだ。青娥の名前は表舞台に出ることの無い類の物だし、神子の記念日というほうがまだ相応しい気がする。
「それで太子様、青娥殿とお会いしたのは具体的にいつのことなのです?」
屠自古に構うことなく、布都は神子の方へ向き直る。
「しっかりとした日付は覚えていないのだけど、水無月の半ば頃だったかしら」
「それだけ分かれば十分! 我が最も良い日取りを占って進ぜよう。では、これにて失礼!」
「だから、何で誕生日を勝手に決めようとすんの……って、ケーキ持ってくなぁ!」
布都は残ったケーキを大皿ごと持って、自分の部屋へと駆けだした。屠自古が怒鳴りながらそれを追っていく。
子どもみたいな鬼ごっこを繰り広げる二人を見て、青娥は笑みをこぼす。
あの二人は本当に仲が良い。
昔から何かと無茶苦茶なことをする布都に、文句を言いつつ面倒を見ている屠自古。そんな関係も豊聡耳神子という主がいるからこそのものであろう。蘇我と物部同士の戦いだとか、使役する者とされる者の立場なんて、この偉大な聖人を前にすればどうでもよくなってしまうのだ。
そうして青娥が二人の駆けて行った方を和やかに見つめていると、おもむろに神子が口を開いた。
「迷惑、だった?」
いきなり話しかけられ、何の話だか一瞬分からず、青娥は神子の顔色を窺った。しかし、何故か彼女は顔を伏せていて青娥と視線を合わせてくれなかった。
「誕生日。勝手に決めちゃったでしょ」
「ああ……いえ、私は別に。むしろ豊聡耳様こそよろしいのですか? その日はあなたにとっても大事な日なのでは?」
青娥と会った日。ということは、すなわち神子の最大の望みである不老不死を手に入れられると知ることが出来た日でもあるのだ。結局それはまた別の形、一度死んで尸解仙としてこの幻想郷で蘇るという結果に繋がってしまったのだが、あの日が彼女にとって大きな変換点になったのは確かだ。
「……ええ、大切ですよ。とっても」
神子はそう言って、青娥を見た。才持つ者の証である、星の輝きを持つ瞳が青娥を捉える。
何度見ても本当に綺麗だ。いまだかつて、青娥これほど美しい瞳を持つ者にあったことがない。だが、それゆえに彼女が考えていることを、読み取ることは出来ない。
何故、神子は何度も私から顔を逸らすのだろう。青娥には、神子を害す気持ちなどこれっぽっちもなかった。かつてのように、ちょっとした手違いで迷惑をかけることはあっても、故意に傷つけるつもりはない。神子だってそれを知っているからこうして交流を続けてくれているのだろう。それなのにどうして時折、正面から向き合うことを拒絶しようとするのか。
自分などよりも遥かに賢いこの聖人の考えが、青娥には時々分からなかった。
「そうだ。何か欲しい物はある? 誕生日の贈り物に用意してあげる」
不意に神子が明るく尋ねる。
「そうですね……なら、幻想郷とか欲しいです♪」
「却下」
「えー」
「あと二、三ケ月でどうしろというの。ふざけてないで、ちゃんと現実的な話をしてちょうだい」
「ふふふっ、冗談に決まってるじゃないですかぁ。もう、豊聡耳様ったらマジメなんだから」
青娥がおかしそうに笑うのに対し、神子は顔をひきつらせていた。彼女の耳には、青娥の本当の欲が聴こえているのだから。
「……そういうことにしておきましょうか。で、他にないの? もう少し無理のない物で」
「うーん、急にそう言われましてもねぇ……」
何となしに辺りを見回していると、神子の手前にある取り皿が目に入った。チョコレートケーキは、もうほとんど食べられてしまっていて、小さなかけらしか残っていない。それを見て、青娥はパッと顔を輝かせた。良いことを思いついたのだ。
「豊聡耳様、あ~ん」
実に楽しそうな悪戯欲を聴き、身構えていた神子にもそれは予想外だった。
青娥は、まだ残っていた自分のケーキをフォークに刺して、神子に差し出していた。
「……何のつもり」
「先程から豊聡耳様のご機嫌があまりよろしくないようでしたので、甘い物なんてどうかと思いまして」
「そういうことを言ってるのではなくてですね……!」
「あら、いらないんですか?」
「あっ」
ひょい、とフォークを動かしてみせる。すると、釣られて神子の視線もフォークを追いかける。
無意識に行ってしまった行動に、神子は顔を赤くした。青娥はそれを見て、愉悦の笑みを零すのだった。
豊聡耳神子が、他の誰よりもチョコレートの虜になっていることなど、青娥にはお見通しだった。今夜の食事の席で、ケーキを口に運ぶたびに顔をほころばしていたのを見逃さなかったのだ。
「ほらほら、我慢は身体に悪いですわよ。はい、あ~ん」
「……ん」
観念したのか、神子は差し出されたフォークをおずおずと、口に含んだ。
「おいしいですか?」
「…………うん」
無表情を決め込んではいるが、顔は火が付いたように真っ赤だった。
ゆっくりと、味わうように咀嚼している神子は、なかなかに年相応に見える。
「おいしかった」
その様子に、青娥はふと思いついた。
「そうだ。先程のプレゼントの件なのですが、これでもいいですか?」
「何よ。また、やるっていうの」
神子は身体を強張らせて訊きかえした。よっぽど恥ずかしかったのだろう。しかし、青娥の考えはその上を行っていた。
「いえいえ、今度は私が豊聡耳様『に』あ~んしてもらうという形でお願いしようかと」
「……そんなことして、何がおもしろいの?」
「あら、意味ならありますよ」
青娥は身を乗り出し、神子の頬に触れた。ぴくりと身体が撥ねるかつての弟子に、青娥は優しく微笑んだ。
「歴史に残る偉大な聖人であり、この国初の仙人となられたお方のお手でおやつを頂けるなんて、光栄の極みですわ」
つ、と神子は顔を逸らしてうつむいてしまう。
「ふ、ふざけないでよっ」
「ふざけてなどいません。
もう! 豊聡耳様、あなたはもう少しご自分の魅力に気づくべきですわ。ありとあらゆる欲を受け入れ、人並み外れた才とそれを使いこなす器量を持っているのですから。そして何より、こんなにも、かわいらしいんですもの。
そんな方の手で自らおやつを食べさせてもらえることが、嬉しくないわけありませんわ」
青娥が手を離しても、神子はなかなか顔をあげようとしなかった。少しからかいすぎたかもしれない、と少し心配になった時だった。
「相変わらず度し難い人ね」
神子は笑っていた。幼いころの面影はそのままに、どことなく余裕のある笑みで青娥を見つめていた。
「人の欲が聴こえるようになっても、君の求める物は理解するのが難しい」
「そうですか? 私としては人並みな物しか求めていないつもりなのですが」
首を傾げる青娥に神子は笑みを深め、青娥の手にあるケーキに目をやった。
「青娥、それいらないんでしょ? もう少しちょうだい」
「急に積極的になりましたね。太っても知りませんわよ?」
神子はそんなからかいには応えなかった。
「あーん」
やはり、この人の考えていることは分からない。さっきまでの照れた様子はどこへやら、今は涼しい顔で口を開けてケーキが運ばれるのを待っている。自分の方がリードしていたはずなのに、すっかりペースを握られてしまっているようで、少し悔しく感じてしまう。
「はいはい、分かりましたわ」
ケーキの欠片にフォークを刺し、神子の口に運んだ。
「うん、おいしい」
青娥が控えめな甘さと感じるその味を、彼女はとろけるような笑みで咀嚼する。こんな顔を見せてくれるのなら、小さな敗北感などどうでもよくなってしまう。
梅雨のいつの日か――この少女と出会った季節に行われるらしい、自分の誕生祝いが、青娥は楽しみになってきたのだった。
食後のデザートを頂いている時、青娥は訊ねられた。
青娥はその日、仙界の道場で神子たちと夕食を共にしていた。飛鳥の頃の記憶が色濃く残っている彼女らとの食事では、食卓は使わない。床に座って、みんなで輪を作って食べる。
千四百年ぶりにするその食べ方は、懐かしさを感じさせてくれるのだが、それもメニューがチョコレート一色で染まっていれば、話は別だ。
日付は如月の十四日。西洋から伝わったバレンタインデーという、女性が意中の相手にチョコレートを贈る日のこと。それをどう間違えたのか、ねぼすけ飛鳥三人娘(神子、布都、屠自古)は、この甘い祝日を大量のチョコレートを食べまくるパーティにしていた。まるでお店ごと買い取ったかのように、並べられた多種多様のチョコレートを見ては、さすがの青娥も呆れ果てていた。
こういう時に役立つはずの芳香は、朝一番に青娥自身が特別愛(主に量的な意味で)を込めたチョコを与えたすぎたせいでダウンしてしまっている。まぁ、それに関しては、キョンシーも赤い鼻血を出すという新発見があったので良しとしたのだけれど。
そんな中でのこの質問である。質問者の布都はチョコレートケーキを頬張っていた。
「ほら、『けぇき』は誕生日に食べるものなのだろう。どうせだから青娥殿の時も、と思ったのだが、まだあなたの誕生日は教えてもらってなかったからな」
一週間前にあたる如月の七日は、豊聡耳神子の誕生日だった。昔とは暦の読み方が変わっているため厳密にいうと違うのだが、「細かいことを気にしてはいかぬ!」という布都の一声で、神子が現世に蘇ってからは初の誕生祝いが催された。
祝い自体は内輪のみで行う簡素なもので、弟子たちの手料理や布都や屠自古が買ってきた現代の菓子などを五人で食べて騒ぐものだった。
その時にケーキも買ってきていて、どうやら彼女たち全員がこの洋菓子を大層気に入ってしまったらしい。前回は真っ白なショートケーキだったが、今回はお日柄に合わせてのチョコレート。二種類のクリームに甘酸っぱいレーズンという組み合わせはそれほど悪くない(……積み重なる甘さに辟易さえしていなければ)
「そういえばそうかも。誕生日どころか、あんまり個人的な話はしてくれませんでしたよね」
紅茶のおかわりを持ってきた屠自古も話に加わってきた。
カップに注いでもらい、軽くお礼を言ってから一口頂く。少し濃すぎる気もするが、いまはその苦さが丁度良く感じた。
「誕生日と言いましてもねぇ、はていつだったか……」
「覚えていないのですか?」
布都が目を丸くして青娥を見る。
「どうでもいいことは忘れてしまうのですよ」
「ご自分の大切な日でしょう?」
屠自古も尋ねてくる。
「うーん、大切と言っても、仙人になってからは祝ってくれる人もいませんでしたからねぇ」
母や夫の家族が祝ってくれたこともあったが、それも千五百年以上も前の話だ。仙人となってからは一人でいたことの方が多かったし、誕生日などすっかり忘れてしまっていた。
元々、記念日のように特別な一日を大事にする性格でもない。うっすらと残る記憶では、雪が降っていたような気もするけど……。
「梅雨頃、でしたかね」
唐突に、それまで黙っていた神子が口を開いた。
「ジメジメした雨が降っていて、ひどく憂鬱だったのを覚えています。書物にも集中し切れずに、ただぼんやりとした考えだけが頭の中を巡っていました」
よく落ち着いた静かな響きに、いつの間にかその場にいた全員が神子を見つめていた。
神子の話は不思議と聴く者を惹きつける。特別に熱が込められているでもなく、ただそこに張り続ける池の水面のような静かな語り口が、自然と耳を傾けたくさせるのだ。
「そうしたら君がやってきたんですよ、青娥。死を乗り越える仙術と道教を大いに広めたいという夢を携えて。思えば、あの日から君のこの国での活動は始まったのでしたね」
確かにあの日は酷い雨だった。今でも変わらないのだが、倭国のあの時期の雨は本当にうっとうしい。湿度が高いために、何もする気が起きなくなることが儘ある。
そう、それは聖人・豊聡耳神子であっても変わらなかった。青娥が初めて見た彼女は床に寝そべり、自らの服の裾を弄っている、幼子の姿そのものだった。
それがいま、こうして立派に成長しているのだ。改めてその姿を見ると、感慨深いものがある。僅かに目を伏せ、背筋の伸びた座り方をしている麗人が、あのしかめっ面の子供だったとは到底思えない。
「おぉ、閃いたぞ! 青娥殿の誕生日は梅雨時のいずれかにすれば良いのだ」
布都の上げた大声が、厳かな空気をぶち壊した。
「ゲホッ、ゲホッ。……何言ってんのよ。誕生日を後から決めるとか、ついにボケたか、アホ布都め」
驚いた拍子に、紅茶が蒸せてしまったらしい屠自古が毒づく。けれども、布都の十八番となっている得意顔は、そんなことでは消えはしない。
「ふっ、お主は何も分かっておらんな。青娥殿と太子様が出会われた日こそ、正に歴史の変わり目。聖徳道士・豊聡耳神子の産まれた瞬間ぞ。
更には、それを導く仙人・青娥娘々の名が歴史に刻まれる日でもあったのだ。つまりは、青娥殿のこの国における誕生日と言っても過言ではなかろう」
「どう考えてもおかしいわよ」
屠自古の言う通りだ。青娥の名前は表舞台に出ることの無い類の物だし、神子の記念日というほうがまだ相応しい気がする。
「それで太子様、青娥殿とお会いしたのは具体的にいつのことなのです?」
屠自古に構うことなく、布都は神子の方へ向き直る。
「しっかりとした日付は覚えていないのだけど、水無月の半ば頃だったかしら」
「それだけ分かれば十分! 我が最も良い日取りを占って進ぜよう。では、これにて失礼!」
「だから、何で誕生日を勝手に決めようとすんの……って、ケーキ持ってくなぁ!」
布都は残ったケーキを大皿ごと持って、自分の部屋へと駆けだした。屠自古が怒鳴りながらそれを追っていく。
子どもみたいな鬼ごっこを繰り広げる二人を見て、青娥は笑みをこぼす。
あの二人は本当に仲が良い。
昔から何かと無茶苦茶なことをする布都に、文句を言いつつ面倒を見ている屠自古。そんな関係も豊聡耳神子という主がいるからこそのものであろう。蘇我と物部同士の戦いだとか、使役する者とされる者の立場なんて、この偉大な聖人を前にすればどうでもよくなってしまうのだ。
そうして青娥が二人の駆けて行った方を和やかに見つめていると、おもむろに神子が口を開いた。
「迷惑、だった?」
いきなり話しかけられ、何の話だか一瞬分からず、青娥は神子の顔色を窺った。しかし、何故か彼女は顔を伏せていて青娥と視線を合わせてくれなかった。
「誕生日。勝手に決めちゃったでしょ」
「ああ……いえ、私は別に。むしろ豊聡耳様こそよろしいのですか? その日はあなたにとっても大事な日なのでは?」
青娥と会った日。ということは、すなわち神子の最大の望みである不老不死を手に入れられると知ることが出来た日でもあるのだ。結局それはまた別の形、一度死んで尸解仙としてこの幻想郷で蘇るという結果に繋がってしまったのだが、あの日が彼女にとって大きな変換点になったのは確かだ。
「……ええ、大切ですよ。とっても」
神子はそう言って、青娥を見た。才持つ者の証である、星の輝きを持つ瞳が青娥を捉える。
何度見ても本当に綺麗だ。いまだかつて、青娥これほど美しい瞳を持つ者にあったことがない。だが、それゆえに彼女が考えていることを、読み取ることは出来ない。
何故、神子は何度も私から顔を逸らすのだろう。青娥には、神子を害す気持ちなどこれっぽっちもなかった。かつてのように、ちょっとした手違いで迷惑をかけることはあっても、故意に傷つけるつもりはない。神子だってそれを知っているからこうして交流を続けてくれているのだろう。それなのにどうして時折、正面から向き合うことを拒絶しようとするのか。
自分などよりも遥かに賢いこの聖人の考えが、青娥には時々分からなかった。
「そうだ。何か欲しい物はある? 誕生日の贈り物に用意してあげる」
不意に神子が明るく尋ねる。
「そうですね……なら、幻想郷とか欲しいです♪」
「却下」
「えー」
「あと二、三ケ月でどうしろというの。ふざけてないで、ちゃんと現実的な話をしてちょうだい」
「ふふふっ、冗談に決まってるじゃないですかぁ。もう、豊聡耳様ったらマジメなんだから」
青娥がおかしそうに笑うのに対し、神子は顔をひきつらせていた。彼女の耳には、青娥の本当の欲が聴こえているのだから。
「……そういうことにしておきましょうか。で、他にないの? もう少し無理のない物で」
「うーん、急にそう言われましてもねぇ……」
何となしに辺りを見回していると、神子の手前にある取り皿が目に入った。チョコレートケーキは、もうほとんど食べられてしまっていて、小さなかけらしか残っていない。それを見て、青娥はパッと顔を輝かせた。良いことを思いついたのだ。
「豊聡耳様、あ~ん」
実に楽しそうな悪戯欲を聴き、身構えていた神子にもそれは予想外だった。
青娥は、まだ残っていた自分のケーキをフォークに刺して、神子に差し出していた。
「……何のつもり」
「先程から豊聡耳様のご機嫌があまりよろしくないようでしたので、甘い物なんてどうかと思いまして」
「そういうことを言ってるのではなくてですね……!」
「あら、いらないんですか?」
「あっ」
ひょい、とフォークを動かしてみせる。すると、釣られて神子の視線もフォークを追いかける。
無意識に行ってしまった行動に、神子は顔を赤くした。青娥はそれを見て、愉悦の笑みを零すのだった。
豊聡耳神子が、他の誰よりもチョコレートの虜になっていることなど、青娥にはお見通しだった。今夜の食事の席で、ケーキを口に運ぶたびに顔をほころばしていたのを見逃さなかったのだ。
「ほらほら、我慢は身体に悪いですわよ。はい、あ~ん」
「……ん」
観念したのか、神子は差し出されたフォークをおずおずと、口に含んだ。
「おいしいですか?」
「…………うん」
無表情を決め込んではいるが、顔は火が付いたように真っ赤だった。
ゆっくりと、味わうように咀嚼している神子は、なかなかに年相応に見える。
「おいしかった」
その様子に、青娥はふと思いついた。
「そうだ。先程のプレゼントの件なのですが、これでもいいですか?」
「何よ。また、やるっていうの」
神子は身体を強張らせて訊きかえした。よっぽど恥ずかしかったのだろう。しかし、青娥の考えはその上を行っていた。
「いえいえ、今度は私が豊聡耳様『に』あ~んしてもらうという形でお願いしようかと」
「……そんなことして、何がおもしろいの?」
「あら、意味ならありますよ」
青娥は身を乗り出し、神子の頬に触れた。ぴくりと身体が撥ねるかつての弟子に、青娥は優しく微笑んだ。
「歴史に残る偉大な聖人であり、この国初の仙人となられたお方のお手でおやつを頂けるなんて、光栄の極みですわ」
つ、と神子は顔を逸らしてうつむいてしまう。
「ふ、ふざけないでよっ」
「ふざけてなどいません。
もう! 豊聡耳様、あなたはもう少しご自分の魅力に気づくべきですわ。ありとあらゆる欲を受け入れ、人並み外れた才とそれを使いこなす器量を持っているのですから。そして何より、こんなにも、かわいらしいんですもの。
そんな方の手で自らおやつを食べさせてもらえることが、嬉しくないわけありませんわ」
青娥が手を離しても、神子はなかなか顔をあげようとしなかった。少しからかいすぎたかもしれない、と少し心配になった時だった。
「相変わらず度し難い人ね」
神子は笑っていた。幼いころの面影はそのままに、どことなく余裕のある笑みで青娥を見つめていた。
「人の欲が聴こえるようになっても、君の求める物は理解するのが難しい」
「そうですか? 私としては人並みな物しか求めていないつもりなのですが」
首を傾げる青娥に神子は笑みを深め、青娥の手にあるケーキに目をやった。
「青娥、それいらないんでしょ? もう少しちょうだい」
「急に積極的になりましたね。太っても知りませんわよ?」
神子はそんなからかいには応えなかった。
「あーん」
やはり、この人の考えていることは分からない。さっきまでの照れた様子はどこへやら、今は涼しい顔で口を開けてケーキが運ばれるのを待っている。自分の方がリードしていたはずなのに、すっかりペースを握られてしまっているようで、少し悔しく感じてしまう。
「はいはい、分かりましたわ」
ケーキの欠片にフォークを刺し、神子の口に運んだ。
「うん、おいしい」
青娥が控えめな甘さと感じるその味を、彼女はとろけるような笑みで咀嚼する。こんな顔を見せてくれるのなら、小さな敗北感などどうでもよくなってしまう。
梅雨のいつの日か――この少女と出会った季節に行われるらしい、自分の誕生祝いが、青娥は楽しみになってきたのだった。
楽しんで読ませて頂きました。
今から青娥さんの誕生日が楽しみです。