Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『密室少女の悲愴 #5』

2014/02/12 23:13:40
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 ヴワルは形なき世界だ。無限の本たちがただ概念として存在するだけの魔法空間である。そこに物質は介入できない。ヴワルは魔力の渦なのだ。そこに溶け込んだ文字と知識の群へ触れるには、本をヴワルごと実体化させる手順が必要となる。
 塔の上に立ち、レミリアは都市の形を取ったヴワルを見渡した。久しぶりに見る景色だった。いや正確に言えば、彼女がこの街並みを目にしたのは初めてである。大抵はレミリアたちが生活する周囲くらいしか「管理者」は実体化しないので、これほど広範囲に渡って実体化したヴワルにはなかなかお目にかかれないのだ。
 彼女がヴワルの依り代に選び魔法術式をかけた東欧の地方都市と比べると、この街の規模は数倍に及ぶだろう。つまり今回の来訪者は、それだけ強大な魔力を扱える存在だということだ。

「団体で5名様、ご案内~」

 軽薄な声が耳に入って、レミリアは忌々しげにそちらを振り返る。「管理者」は舌先をちらりと覗かせて、愉快極まりないといった表情でヴワルを見下ろしていた。紅い髪から突き出した一対の小さな蝙蝠羽が落ち着きなく羽ばたく。

「いやぁ、壮観ですねぇ。レミリアちゃんがここへ来たとき以来ですから……えーと何年前でしたっけ」
「『ちゃん』は止めろ」

 不機嫌さを隠すことなく、吸血鬼は言った。

「次に私をそんな風に呼んだときは……」
「呼んだら、どうしますか。私を殺しますか?」

 頭ひとつ高いところから、管理者はにんまりとレミリアを見下ろした。気高く強大なツェペシュの末裔は、その全身に殺気を漲らせながら、その眼を睨み返す。強く握り締められた拳が震え、指の間から赤い血が滲む。
 しかし、その拳が振るわれることはなかった。レミリアは何かを振り切るように、視線を再び都市の地平へと戻す。その様子を、管理者はにたにたと眺めている。

 この「管理者」は、吸血鬼の足下にも及ばぬ低級悪魔だ。レミリアにしてみれば、本来なら片手で捻り潰すことのできる程度の存在であるはずだった。
 しかし彼女が「管理者」である限り、その力関係は無意味である。この世界を構成する膨大な魔力が彼女を保護するからだ。それに加えて、管理者はヴワル内の全事象を司る。創造、具現、破壊、再生、その全てを、まるで神のごとく。

 当然、やって来た者をヴワルへと監禁することも、朝飯前である。

 どのような経緯でこの悪魔が管理者となったのかはレミリアも知らない。確かなのは、レミリアがここへ到達したときにはもう既に管理者は彼女であったということだけだ。そしてヴワルへと囚われた吸血鬼は、すっかり管理者の玩具と化してしまっている。

「ぐふふふふ、どうしよっかなぁ。こんなに大勢で来てくれるなんて。なら1人か2人は殺しちゃっても構わないかなぁ。……あ、野郎がいやがりますね。こういういかにも爽やかそうな猫被り男、大っ嫌いなんですよ。こいつはいの一番に血祭りにしてくださいね、レミリアちゃん」
「ふん」

 レミリアは頷く代わりに鼻を鳴らした。耐え難き屈辱だが、彼女は従う他にどうしようもない。比類なき力であるはずの吸血鬼の全力も、ヴワルに守られる管理者には痛くも痒くもないのだ。

 少女はそっと胸元に手をやる。真紅のペンダントトップを握り、声には出さずに遠い妹の名を呼んだ。その紅玉は、出立のときに預かった妹の一部だ。これをレミリアが持つ限り、たとえ世界が違おうと姉妹は繋がっている。
 ヴワルより知識を持ち帰り、妹の狂気を収められるのは、一体どれくらい未来の話になるのだろう。

「……うふ。一糸纏わぬ下僕少女たちが私の命令でくんずほぐれつ。ぐふふふふ」

 下卑た管理者の笑い声に、もう何度目になるかも分からないが、レミリアは思い知る。
 自分は、無力だ。





     ◆     ◇     ◆





「さっさと私を元の世界へ戻しなさい、この優男!」
「私は女です!」

 星さんの悲痛な叫び声に、メリーベル・ハーン ―― という名前だけは何とか聞き出した ―― は目を丸くして私を見る。

「……ホントに?」
「ホントに」

 かつて同じ間違いを犯した私に、それ以上何も言えるはずもなく。
 いじけた星さんは、しゃがみ込んですっかり小さくなってしまった。

「何なんですかもう。ここ最近ずぅっとこうですよ。この前なんか調伏した小鬼に説法してたら『貴様それでもタマ付いてんのか』とか言われましたよ。ありませんよ、そんなもん端っから」
「いい加減、三揃えを止めたらどうだい。どだいそんなものを着ているのが間違いの元なんだ」
「だってこっちの方が動き易いんですもん!」
「だぁぁもう! 良いから元に戻してよ!」

 もはやあそこへ割って入る気力もない。騒がしい2人から一旦目を離し、辺りを見渡す。

 街並みは一見何も変わっていなかった。色のない空の下、ビルディングも日本橋も先程と寸分変わらぬ形でそこにある。しかし、動くものは私たち以外に何もなかった。あれほど大勢いた通行人も、忙(せわ)しなく行き交っていた路面電車も姿が見えない。

 ここのどこが「書物の世界」だというのか。私も最初はそう思ったが、すぐに理由を理解した。
 壁という壁の全てが、本で埋め尽くされているのだ。大きさも言語もバラバラな本がみっしりと収められた本棚が、東京の街並みを象っていた。日本橋の欄干も全て本の背表紙に彩られている。

 パチュリーが魔法陣を仕掛けたのは、皇居を中心とした帝都全体だ。まさか東京のあらゆる建造物がこの調子なのだろうか。本棚になった建物も、入り口や窓はそのままなので、中にだって入れそうだ。内壁まで全て本棚だというなら、その蔵書量はどれほどだろう。

「簡単だったわね、思ったよりもずっと」

 いつの間にか私の脇へ来ていたパチュリーが、やっぱり平坦な声で言った。子供なんだから、もうちょっと嬉しそうにしたって良さそうなものだけれど。

「まだスタートラインに立ったところよ。目的はここにある本を探すことだもの」
「ふぅん。どんな本を探してるの? やっぱり貴重な魔法書とか」

 私の問いに、どうしてか魔女は答えない。その視線はただ前を向いたまま、何も見てはいないような気がした。
 立ち尽くすパチュリーに何も言えずにいると、メリーベルの矛先がこちらを向く。

「あの人じゃ埒(らち)が開かないわ。おチビちゃん、あなたが術者でしょう。早く私を元の世界へ戻して」
「戻す?」

 魔導書を抱き締めながら、パチュリーは小首を傾げる。

「戻すって、どうやって?」
「だからそれをあなたに聞いてるんじゃない」
「私は知らないわ、帰る方法なんて」
「な、何だって!?」

 困惑の声を上げたのは那津だった。星さんはまだ地面に「の」の字を書いている。

「どういうことだ、それ」
「どうもこうも、そのままの意味よ。本に載っていたのはヴワルへ辿り着く術だけ」
「聞いてないぞ、そんなの! じゃあどうやって帰るっていうんだ」
「さぁ? 聞いてないって今更言われても、私は聞かれなかったから言わなかったんだし」

 静寂が場を支配した。誰もが絶句していた。
 わなわな震える那津に、魔女は追撃を放つ。

「もしかして、『行きの切符があるなら』なんて甘いことを考えていたのかしら? 見た目通りのお子様じみた危機管理能力ね」

 ぐぬぬ、と鼠は唸る。増上寺での一言は、ばっちり聞かれていたらしい。

「ま、ここには膨大な知識があるわ。ありとあらゆる英知が集う世界だもの。探せば帰る手段だって見つかるでしょう」
「捜すったって」

 メリーベルの声には絶望が滲む。

「こんな大量の本から、どうやって……」
「 ―― 何だ、捜せばあるのですね」

 場の空気と真っ向から対立する、朗らかな声とともに星さんが立ち上がった。今いじけた寅がもう笑っている。

「なら大丈夫です。捜し物に関しては那津の右に出る者などいませんから。ね?」
「あぁ、やっぱりそうなるんだね。全く」

 大仰な嘆息とともに那津は首を振った。

「ここには鼠もいないようだし、時間がかかりそうだ。『帰る手段が載っている本』だなんてふわっとした条件じゃ更にね。だから先に、パチュリーや私たちの捜し物を先に片づけてしまおう。……で、君は」

 どこからか取り出したダウジングロッドで、ダウザーはメリーベルを指す。

「どうする? 私たちを退治するのもいいが、そうしたら君はここから脱出できまい。たぶん永久にね」
「……分かったわよ」

 不承不承、西洋の退魔術師は頷いた。

「ここにいる間は、あなたたちに手は出さない」
「賢明だ。ついでに君も、欲しい本があるなら探していくといい」

 とりあえずの結論と方針は決まった。とは言えほとんど予定通りだ。想定外なのは、捜し物と道連れがそれぞれひとつずつ増えたことくらいである。

 会話が途切れると、辺りに静寂が戻った。街の喧騒など全くない、それこそ図書館の静謐さだ。巨大な何かに包まれたような、そんな籠もった温もりに満ちた世界だ。
 こういう空気は苦手だった。走ってはいけません、五月蠅くしてはいけません。そうやって私を押さえ付ける誰かの声が嫌いだったからだ。別に騒ぎたいわけじゃない。ただ、やってはいけないと言われるとどうしてだか反発したくなって、そういうことほどやりたくなるものだ。

 日本橋から続く大通りを、那津を先頭に進んでいく。その脚に迷いは見られない。目指すべき場所はもう見当が付いているのだろう。
 私には別に欲しい本があるわけでもない。あとはもう帰るだけである。ダウジングとやらが無事に帰途を発見してくれることを祈るばかりだ。

「ねぇ、あなた」

 少しばかりぼんやりしていたので、後ろから呼ぶ声にどきりとした。
 メリーベルは脚を止め、こちらに怪訝な視線を向けている。

「桜子は妖怪退治をする人間なのよね?」
「えぇと、うーん、まぁ、一応は」
「じゃあどうして、妖怪と一緒にいるの」

 ずいと詰め寄られ、私は立ち竦んだ。答えを探す、けれど言葉が何も見つからない。
 窮した私へと、メリーベルは畳み掛けるように続ける。

「人間を襲う妖怪を倒すのが退魔術師でしょう。それが妖怪と一緒にいたんじゃ、何が何だか分からないわ」
「わ、悪いやつは退治してるって、ちゃんと」
「妖怪はみんな悪いやつなのよ。人間の味方に見えるやつだって、結局は取り入るために近づいてきてるだけなんだから」
「そんな……」

 星さんが、那津だって、人間を救うために頑張っている。僅かひと月ほどだけど、私はそれを傍で見てきた。嘘や打算で、二人が動いているというのか。

「……そんな筈ないじゃない。あんたが何を知ってるって言うの?」
「ふん、いずれ尻尾を出すわ。現に私のパパは」

 メリーベルの父親が何だったのか、そのときは結局聞けなかった。
 何かに気付いた彼女が言葉を切って、私を急に引き倒したからである。

「なっ」

 何をするの、と言う暇もあればこそ、突如として爆音が轟いた。どぎつい妖気だ。
 そのままメリーベルの上へと倒れ込む。がちゃんという音と、硬い感触。

 今の今まで私が立っていた位置には、紅く巨大な槍のようなものが突き刺さっている。本棚が一部、衝撃波によって削り取られて消滅していた。

「大丈夫ですか!?」

 先行していた星さんたちが戻ってくる。

「えぇ。それより、向かいのビルの上!」

 メリーベルが叫んだ方向へ、皆が視線を向けた。
 そこにいたのは子供だった。小柄な影は、パチュリーと同じくらいの年恰好だ。
 だが勿論、人間ではあるまい。放つ妖気がケタ外れに強い上に、その背中には一対の大きな蝙蝠羽。

「吸血鬼、ねぇ」

 パチュリーが分厚い魔法書の頁を繰りながら呟いた。

「何かいるだろうとは思ってたけど、よもやこれほどのやつだとは思わなかった」
「あれは、強いのか?」
「少なくとも、あなたみたいな鼠を指先ひとつで潰せるくらいにはね」
「私との比較じゃあ参考にならないね。これでも力勝負はからっきしなんだ」
「……自慢気に言うことかしら。とにかく、誰でもいいから、詠唱の時間を稼いでくれる?」

 誰でもいいから、と言いながら、パチュリーの目線は星さんを捉えていた。確かにこの中で、最も近接戦闘に長けているのは彼女だろう。寅の瞳は金色に輝いて、油断なく屋上の少女を見上げていた。

「……もう1人、いますね」
「えっ」

 するとまるで星さんが言葉にするのを待っていたかのように、道の反対側で闇が渦巻いた。つむじ風は一瞬で解けて、中から2人目が現れる。扇情的なドレスの裾がふわりと浮かび上がって、病的に白い太腿がやたらと目についた。

「よぉぉぉこそヴワルへ! えーと、どこからいらっしゃったんですかね。ま、とにかくはるばるお疲れ様です」
「何よ、あれ」

 魔女の声色に久々の変化があった。眉を顰めているようだ。

「上と下で不釣り合いが過ぎるわ。吸血鬼の使い魔? いや、というよりもこの魔力の流れはむしろ……」
「早速ですがぁ」

 甘ったるい声で、2人目の悪魔は言い放つ。

「この私に跪くか、それともここで死ぬか、好きな方を選びなさい!」




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
毎回楽しみにしてます!
2.名前が無い程度の能力削除
小悪魔から漂う絶望的な小物臭。大物は、最初に目的があってそのための手段を求めるのです。
3.名前が無い程度の能力削除
あ この小悪魔さんもうだめだ ぱちぇさんに土下座させられる運命しか見えない
4.名前が無い程度の能力削除
オリジナル要素の混じり具合がいいなあ。