雪に埋もれた神社を蕎麦の入った袋を持って訪ねると、霊夢は風邪で寝込んでいた。
驚かせてやろうと突然部屋の障子を開けた私はびっくりして、右手に箒と袋とを持ったまま、しばらくその布団の盛り上がりを見ていた。
外からの寒い風が吹き込んでいるのに気づいて、慌てて部屋の中に入って障子を閉めた。
立て付けが悪くて障子はうまく閉まらなかった。
さっきほど寒くはなかったが、隙間からびゅうびゅうと風が唸りのような音を立てた。
「誰……?」と霊夢は呻いた。
「誰かな」と私は言った。
箒を壁に立て掛けて、袋と帽子をちゃぶ台の上に置いた。
霊夢の枕元を見ると、冷めきったお茶が湯呑みの底の方に薄く残っていた。
淹れ直すのも億劫でちびちびと節約して飲んでいたのだろう。
台所へと繋がった襖を開けて、湯呑みの乗った盆ごと流しに持っていく。
古い中身を捨てて、とりあえず水を入れて枕元に置いてやると、霊夢は布団の中で俯せになって顔と右手を出し、湯呑みから水を啜った。
私は火をおこして湯を沸かす準備をした。
棚から茶葉を出して急須の用意をした。
咳をする乾いた音が後ろから聞こえてきた。
私は居間の方に戻ってちゃぶ台の上の蕎麦の袋を取り上げた。
どうしたものかな、と私は思った。
結局、蕎麦は病人食にだってうってつけだろう、と私は思った。
考えてるときにまた外で風が吹いて、障子の隙間が唸りをあげた。
「うるさいなあ」と私は呟いた。
それはちょうど(そして極めてタイミング悪く)、霊夢が咳をしたときだった。
「ごめん」と霊夢は言った。「ごめんなさい」
ああ、まずったな、と私は思った。
私が言ったのは、霊夢の言うようなことではなかったのだが、しかしながら、霊夢が何を言わんとしているのかは分かってしまっていた。
私はゆっくりと振り向いて霊夢を見た。
霊夢は布団を上げて身体を起こしていた。
熱で腫れた顔が、白い寝間着のせいで余計に赤く見えた。
その顔に怯えたような表情を浮かべていた。
「なに? どうした?」と私は優しく訊いた。
「咳、煩いでしょう……?」と彼女は言った。彼女は私の顔色を窺っていた。泣きそうな顔をしていた。
「咳? まさか」と私は言った。
私はいかにも驚いた、という振りをしてみせた。
そんなこと考えもしなかった、という風に。
それは実際本当のことなのに、それを演技しなければいけない、というのが溜まらなく……何というか、やるせなかった。
「障子の立て付けのことを言ったんだよ」と私はゆっくりと言った。「外の風が響いて仕方ないだろ」
「ああ、ああ……そう。そうね」と霊夢はほっとした顔をして言った。それが余りにも素直に表情に出ていて、見ていて痛ましかった。
「冬は木が縮むからかもしれないわ」と霊夢は言った。
「うん」と私は言った。
湯の沸く音がした。
私は台所に行こうとして立ち上がった。
「一体何してたんだよ?」と私は訊いた。
「まあ、なんやかやとね」と霊夢は言った。決まり悪そうな笑顔を一瞬だけ浮かべて、それからもう一度咳き込んだ。
私はたっぷりと沸かしたお湯を小分けにして、急須に入れ、だしを作り、蕎麦を茹でた。
ネギを刻んで、鶏卵を取り出し、月見にしようと思ったが病人に生は良くないだろうと思い直して、といて茹でることにした。
箸とれんげと湯呑みを添えて盆に乗せ、居間の敷居を跨いだ。
布団から顔を出して、私と蕎麦を見比べていた霊夢は、ゆっくりと起きあがってちゃぶ台の前に座った。
私は盆をちゃぶ台の上に乗せて、畳の床にうっちゃってあったどてらを拾い上げて背中に着せてやった。
霊夢はれんげを取り上げてつゆを啜った。
「……美味しい」と霊夢が言った。「美味しい」ともう一度言った。
「そりゃあ良かった」と私は言った。
そのうちに霊夢の肩が震えだした。
私は後ろから見ていて何事かと思っていたが、そのうちに嗚咽が聞こえてきて、霊夢が泣いているのだと分かった。
私はびっくりして、しばらくその場で固まっていた。
「霊夢?」と私は呼んでみた。
霊夢は私に寄りかかってきた。
私の服を掴んでしゃくりあげ始めて、ちょっとどうして良いのか分からなかった。
ぎこちなく頭を撫でてやる。
風呂に入れていないのだろう、時々指が髪に引っかかった。
霊夢の呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
「大丈夫だから」としばらくして私は静かな声で言った。「蕎麦が冷めちゃうぜ」
霊夢は頷いてゆっくりと身を起こした。
それからしばらくの間、蕎麦と洟を啜る音だけが聞こえてきた。
他には何も聞こえなかった。
何も。
驚かせてやろうと突然部屋の障子を開けた私はびっくりして、右手に箒と袋とを持ったまま、しばらくその布団の盛り上がりを見ていた。
外からの寒い風が吹き込んでいるのに気づいて、慌てて部屋の中に入って障子を閉めた。
立て付けが悪くて障子はうまく閉まらなかった。
さっきほど寒くはなかったが、隙間からびゅうびゅうと風が唸りのような音を立てた。
「誰……?」と霊夢は呻いた。
「誰かな」と私は言った。
箒を壁に立て掛けて、袋と帽子をちゃぶ台の上に置いた。
霊夢の枕元を見ると、冷めきったお茶が湯呑みの底の方に薄く残っていた。
淹れ直すのも億劫でちびちびと節約して飲んでいたのだろう。
台所へと繋がった襖を開けて、湯呑みの乗った盆ごと流しに持っていく。
古い中身を捨てて、とりあえず水を入れて枕元に置いてやると、霊夢は布団の中で俯せになって顔と右手を出し、湯呑みから水を啜った。
私は火をおこして湯を沸かす準備をした。
棚から茶葉を出して急須の用意をした。
咳をする乾いた音が後ろから聞こえてきた。
私は居間の方に戻ってちゃぶ台の上の蕎麦の袋を取り上げた。
どうしたものかな、と私は思った。
結局、蕎麦は病人食にだってうってつけだろう、と私は思った。
考えてるときにまた外で風が吹いて、障子の隙間が唸りをあげた。
「うるさいなあ」と私は呟いた。
それはちょうど(そして極めてタイミング悪く)、霊夢が咳をしたときだった。
「ごめん」と霊夢は言った。「ごめんなさい」
ああ、まずったな、と私は思った。
私が言ったのは、霊夢の言うようなことではなかったのだが、しかしながら、霊夢が何を言わんとしているのかは分かってしまっていた。
私はゆっくりと振り向いて霊夢を見た。
霊夢は布団を上げて身体を起こしていた。
熱で腫れた顔が、白い寝間着のせいで余計に赤く見えた。
その顔に怯えたような表情を浮かべていた。
「なに? どうした?」と私は優しく訊いた。
「咳、煩いでしょう……?」と彼女は言った。彼女は私の顔色を窺っていた。泣きそうな顔をしていた。
「咳? まさか」と私は言った。
私はいかにも驚いた、という振りをしてみせた。
そんなこと考えもしなかった、という風に。
それは実際本当のことなのに、それを演技しなければいけない、というのが溜まらなく……何というか、やるせなかった。
「障子の立て付けのことを言ったんだよ」と私はゆっくりと言った。「外の風が響いて仕方ないだろ」
「ああ、ああ……そう。そうね」と霊夢はほっとした顔をして言った。それが余りにも素直に表情に出ていて、見ていて痛ましかった。
「冬は木が縮むからかもしれないわ」と霊夢は言った。
「うん」と私は言った。
湯の沸く音がした。
私は台所に行こうとして立ち上がった。
「一体何してたんだよ?」と私は訊いた。
「まあ、なんやかやとね」と霊夢は言った。決まり悪そうな笑顔を一瞬だけ浮かべて、それからもう一度咳き込んだ。
私はたっぷりと沸かしたお湯を小分けにして、急須に入れ、だしを作り、蕎麦を茹でた。
ネギを刻んで、鶏卵を取り出し、月見にしようと思ったが病人に生は良くないだろうと思い直して、といて茹でることにした。
箸とれんげと湯呑みを添えて盆に乗せ、居間の敷居を跨いだ。
布団から顔を出して、私と蕎麦を見比べていた霊夢は、ゆっくりと起きあがってちゃぶ台の前に座った。
私は盆をちゃぶ台の上に乗せて、畳の床にうっちゃってあったどてらを拾い上げて背中に着せてやった。
霊夢はれんげを取り上げてつゆを啜った。
「……美味しい」と霊夢が言った。「美味しい」ともう一度言った。
「そりゃあ良かった」と私は言った。
そのうちに霊夢の肩が震えだした。
私は後ろから見ていて何事かと思っていたが、そのうちに嗚咽が聞こえてきて、霊夢が泣いているのだと分かった。
私はびっくりして、しばらくその場で固まっていた。
「霊夢?」と私は呼んでみた。
霊夢は私に寄りかかってきた。
私の服を掴んでしゃくりあげ始めて、ちょっとどうして良いのか分からなかった。
ぎこちなく頭を撫でてやる。
風呂に入れていないのだろう、時々指が髪に引っかかった。
霊夢の呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
「大丈夫だから」としばらくして私は静かな声で言った。「蕎麦が冷めちゃうぜ」
霊夢は頷いてゆっくりと身を起こした。
それからしばらくの間、蕎麦と洟を啜る音だけが聞こえてきた。
他には何も聞こえなかった。
何も。
心が震えた。
点数を入れられないのが残念だ