夜伽に投稿している英題の咲霊シリーズのifです。単品でもわかると思いますので安心してお読みください。
注意
少々痛い描写を含みます。どうしても無理だという方はお引き取りください。
急な雨が降り始めた。人々は逃げるように近くの建物へと入っていく。
そんな中、道の真ん中で黒髪の少女が空を仰いでいた。雨に濡れることは気にしてはいないようで、じっと、ただ立っていた。
ざーざーと降る雨に打たれ全身はびしょ濡れで、薄い着物は体のラインを透かす。豊満とも貧相とも言えない、平均的なしかし整った体がはっきりと見えた。
空を見るのをやめ大きく息をつくと、何事もなかったかのように、里の外へと向かって歩き出す。
「ちょっと」
背後からかけられた声に一瞬肩を震わせて、振り返ることなく無視するように速度を早めた。
声をかけた赤い傘をさした少女は、追いかけて、一気に横についた。むっとした様子で傘を濡れた少女のほうへと少し寄せる。
「あなた、家はどこ?傘、無いなら入りなさい」
「………………」
「あ、濡れて帰るのは無しね。ほら、もうちょっと寄ってくれない?私の肩が濡れちゃうから」
「あの」
「あ、私は怪しいもんじゃ無いわよ。私の名前は」
「博麗霊夢」
「あら、知ってたの?」
「………ええ、まあ。有名ですし」
会話が途切れる。傘を伝った雨がぽつん、ぽつん、と地面に弾けた。一面水溜まりになった地面を、二人並んで、ぴちゃりぴちゃり踏みしめて歩く。
左右にあった建造物が消えて、視界が開けた。木々に囲まれて、獣道のように細くうねうねと道が続いていた。
霊夢はこのまま進んでいいの?とびしょぬれの少女に目をやるも、少しうつむいたままに進み続けたので、少女が傘から出てしまわないよう少し慌ててついていく。
里から離れ神社の石段の前に着いた。
「なんだ、ウチに用だったの」
霊夢が振り返ると少女と目があう。少女が勢いよく口を開くも、声は出ずにぱくぱくと動いた。霊夢は不思議そうに顔を見下ろす。少しして少女が改まって口を開き、おずおずと話し出した。
「あの、私、文なんです」
「アヤちゃんね」
「違います!いや、違わないけど。文々。新聞の射命丸文です」
霊夢は一歩引こうとして、そうすると濡れることに気付いたのか半歩だけ引いて、少女をまじまじと見つめた。
言われてみれば少女は服装こそ違うものの射命丸文その人にしか見えなかった。
妖力を隠していたとはいえども、「博麗」が気付かないのは異常なことだったのだが、さして気にもしていないように話す。
「まさか霊夢さんが気がつかないとは思いませんでした。少々焦りました」
「うまく化けてたわね」
「伊達に千年も生きていませんよ」
で、と改めて霊夢が口を開く。目は鋭く、文を睨み付ける。
「どうして里で話してたときに言わなかったの?」
言外に何か悪さをするつもりだったのか、と含ませて。
「あの場で妖怪だとバレたら色々と面倒が起こったでしょうから。最近人食い妖怪が出たとやらで殺伐としてますし。それで取材に行ってたんですが」
人喰い妖怪という単語が出た途端霊夢が肩を震わせた。元々白い肌から血の気が引き、白を越してうっすら青みがかっている。
「どうしました?」
「べつに、たいしたこと、無いわ」
「たいしたことありますよ。顔はこの間郷に来た吸血鬼ほどに青白いですし。……あぁ、肩が濡れちゃってるじゃないですか。体を冷やしちゃダメですよ。人間なんですから」
「このくらい、大丈夫だから」
霊夢はぎこちなくもいつも通りに煩わしそうな仕草をする。文は思うところがあったのか少し目を閉じ考えると、霊夢から傘を取り上げた。霊夢が濡れないように傘をそちらに傾けて持ち、腰に腕を回す。
「仕方がないわね。私の責任だし。ほら、しっかり掴まってて」
霊夢を掴まらせると扇を取りだし、ばさり、と仰ぎ、跳んだ。
石段を10段ほど飛ばしに駆け上がると、すぐに鳥居の前までたどり着いた。
「今からお風呂用意してあげるから、その間に体を拭いていて」
寝室へ霊夢を押し込んで、ぱたぱたとお風呂を用意しに走る。
風呂を適温に調整し、霊夢に入るよう促す。文の方が濡れているからと先に入ることを勧められたが妖怪はその程度で体調を崩さないと断った。
畳を濡らさないようにと、落ちていた先程の霊夢が使ったのだろう湿気ったタオルを拾い上げ、服の上から軽く水気を拭う。タオルを手にしたまま少し悩み服のまま座るよりはましだろうと判断すると、小さく折り畳み、座布団がわりに座った。
先ほどに比べ大分穏やかになってしとしとと降る雨を眺めながら、今日の様子のおかしかった霊夢を思い返していた。
暫くしてぺたぺたと足音を立て霊夢が戻ってきた。
いつもの巫女服ではなく白地の浴衣を着て、濡れて艶々と光る髪を首に掛けたタオルで拭いている。風呂に浸かったにしては短い時間だったがしっかり暖まれたらしく、頬は紅潮し、先程までの青白い顔で暗く何かに怯えていた様子などどこにもなかった。
いつもの仏頂面ではなく、薄くとはいえ朗らかな笑みを浮かべる霊夢に、どこか恐ろしいものを感じたが、それを突き止めることはなくぼんやりと眺める。と、霊夢が唇が当たらんばかりに近づいてきて思わずのけぞる。
「な、なに」
「姿、戻さないの? 文なのに妖気もなくて、見た目も人間なんて、凄く違和感があるんだけど」
「……いつもの服じゃないし、穴を開けるのも嫌じゃない」
「それもそうか。じゃあ仕方がないわね。お風呂、あんたも入ってきなさい。妖怪だって言ったって体を冷やしすぎちゃ良くないわ」
「本当に大丈夫なんだけど」
「お風呂入れてくれたのあんたじゃない。服は……そうね、多分入るだろうし、そこの箪笥から適当に着て」
「巫女服以外も持ってたの?」
いつもよりも多少朗らかとはいえ、神社の前でのおかしかった様子とは違い、普段通りで、文も調子が出てきた。箪笥をあけると、紅、白、紅、白、とスカートと上衣が並んでいる。呆れて思わず少し笑いながら振り返る。
「こればっかりじゃない」
「その下の段にあるわよ!」
言われて開けてみると、そこには色鮮やかに普段着が入ってあったが、その数は先ほどの巫女服と比べるとかなり少なかった。
「これだけ?」
「いいの! 他の服なんてほとんど着る機会なんてないし」
「それもどうなのよ」
突っ込みながら次の段を開けると、大人しい色合いの浴衣がいくらか入っていた。
適当なものに手をかけると涼しげな薄い藍にうちわの柄で、季節的にどうなんだと思い、少し悩む。しかし出しかけたこの状態からまた綺麗に戻すのは面倒だな、と判断するとそのまま引っ張り出した。
「冬なのに、うちわ?」
「……いいのよ、うちわならいつも持ってるし」
「どんな理屈よ」
「ところで、下着も貸して欲しいんだけど、……あぁ、霊夢のサイズじゃ入らないわね」
ふざけながら言ってみると、霊夢は普段のように、怒った表情で手を振り上げてかかってきた。
「あんたねぇ」
怒ったような表情でも本当に怒っているわけではないとわかっているので、何回かよけてからかってやろうと、ふわり、と避けようとする。と、足元の机に足をぶつけてよろめいた。
ちょっと待ってくれと伝える間もなくこぶしが振り下ろされ、避けそこねた結果前のめりに倒れることになった。
霊夢の驚いた顔が、視界の端に映る。ガツンッ、頭に衝撃が走った。つーと額を熱いものが流れる。ああそうだ今人間だからか、と冷静に思う一方、痛みで脳内が白黒していた。
「いたたたた、霊夢さん、痛いじゃ……」
手の甲で血をぬぐいながら顔をあげると、霊夢の顔は先ほどの神社の前のときよりも蒼白になっていた。
「風呂、行って」
指先で傷に触れる。触れた指先には新しい血液は付かず、傷こそ治ってはいないものの出血は止まっているようだった。人間に化けているとはいえ、妖怪でよかったなとふと考える。
様子のおかしい霊夢をよくよく見てみると、顔面蒼白なだけでなく小刻みに震えており、うっすら涙が滲んでいるようにも見えた。
「霊夢さん?どうしたの、私はこのくらい全然大丈夫」
「風呂」
「え?」
「さっさと入ってきて」
暗く俯き、ぼそり、と指示する。急に様子が変わったことに霊夢を観察しながらも、反論できずに部屋を出る。
大人しく風呂に向いかけるも、やはり先ほどの様子のおかしさが気になり、足音を忍ばせ部屋の前へと戻った。戸の隙間から覗き込むと、霊夢はなにやら箪笥をあさっているようだった。
箪笥から何かを握り取り出した。しかし文の方からは霊夢の体が邪魔になり、それが何かは見えない。霊夢はそのまま床に座り込み、手を内から外へとスライドさせる。背中が揺れ、大きく息を吐いたことがわかる。ぱたりと手が落ちた。手には赤の付いた剃刀が握られていた。
ふとももを血が伝い、一滴、血が畳へ落ちた。
霊夢はそれを確認すると、背後にあった先ほどのタオルを手に取り、下に敷いた。結果的に背を向けていた文の覗く戸を右に見ることになったが、俯いていたため覗かれていることに気づくことはなかった。
日に当たらないからか、透けるように白いふとももを、細く紅い血液が伝う。霊夢は脱力したままに暫しそれを眺めていたが、また手を持ち上げると今度は服をはだけて胸部へと剃刀を付きたてた。
きれいな白い肌と血のコントラストの美しさと、普段の適当でなにも気にしないような雰囲気、今の思い詰めたようなどこか痛々しい雰囲気とのギャップで、思わず見惚れる。
いつもの感情の見え隠れする無表情ではなく、元々感情など無いと言わんような不気味な無表情。
気が付くと膝をついて霊夢を観察していた。
すっと剃刀を引くと細い赤い線が走って、ぱかっとひらく。
傷口にじわじわ血が溜まりぷっくりと輝く。
血は暫くぷるぷると震え、溢れだして、跡を残しながらつーと滴った。
身体にぱっくり開いた傷口をじっとみつめて、もう一度傷口に刃を当てる。触れた瞬間痛みからか顔が歪んだ。
文は静かに戸を開け、侵入した。直ぐそばまで近づいても、霊夢は気付いた様子はなかった。
「なにしてるの」
そっと声をかけると、霊夢は勢いよく振り返った。霊夢の視線を感じたまま、ゆっくりと前にまわり、しゃがみこんで視線を合わせる。
「っ!……止めるの?」
「死なれたら困るけど、死なない程度なら別に止めないわ」
「…………」
霊夢は無表情に無言で、文を見つめた。文も無言で見つめ返す。霊夢の着物にじわじわと血が染み込んで赤い模様ができてきた。着物を捲りあげていることで見えている太ももには紅い傷口が、
そこから滴る血が、見えていた。
「聞き方を変えましょうか?なぜ、自分を傷つけるの?」
「……昔、魔理沙が階段から落ちたの」
じっと見つめられ、霊夢はぽつりぽつりと話し出した。
魔理沙を追いかけて怪我をさせたこと。そのとき初めて自らを傷つけて罰したこと。先日里で事件を起こした妖怪に以前会っていたこと。
そのとき、情けをかけて、見逃したこと。
「それから、人間を傷つけるのが怖いの。さっきも、本当は文だってわかっていたのに、人間の姿だってだけで、傷つけてしまったことが怖くて、怖くて、抑えられなかった」
「そう。傷、もう痛くないの?」
「痛い、よ。痛いのがいいの」
「そう」
霊夢は急に話を切り替えられたことに困惑した様子だったが、返事をする。
すると文は黙って手を伸ばした。霊夢は座ったままに少し逃げるが、逃げ切れるわけもなくすぐ文の手が脚に届く。無遠慮に傷口に直接触れられ、痛みから反射的に眉を寄せた。
くちゃ、と小さく水音が聞こえた。傷に指が押し込まれ、痛みから小さく喘いだ。
「ぁっ、文?」
名前を呼ばれるも、そんなのは耳に入っていないのか、痛みに歪む顔を見ながら、傷口をいじる。
文はほう、と熱っぽい息を吐いた。
「きれい、ね」
傷を弄っていた紅く染まった指を艶かしく舐め、ふと顔を上げると瞳に涙を溜めた霊夢と目が合った。
その霊夢の顔は美しく、ぺろりと涙を舐めた。
「あや?」
涙をなめたそのまま、吸い寄せられるように、くちびるが合わさる。
「れいむ」
危なげで儚げなものこそ、美しい。
注意
少々痛い描写を含みます。どうしても無理だという方はお引き取りください。
急な雨が降り始めた。人々は逃げるように近くの建物へと入っていく。
そんな中、道の真ん中で黒髪の少女が空を仰いでいた。雨に濡れることは気にしてはいないようで、じっと、ただ立っていた。
ざーざーと降る雨に打たれ全身はびしょ濡れで、薄い着物は体のラインを透かす。豊満とも貧相とも言えない、平均的なしかし整った体がはっきりと見えた。
空を見るのをやめ大きく息をつくと、何事もなかったかのように、里の外へと向かって歩き出す。
「ちょっと」
背後からかけられた声に一瞬肩を震わせて、振り返ることなく無視するように速度を早めた。
声をかけた赤い傘をさした少女は、追いかけて、一気に横についた。むっとした様子で傘を濡れた少女のほうへと少し寄せる。
「あなた、家はどこ?傘、無いなら入りなさい」
「………………」
「あ、濡れて帰るのは無しね。ほら、もうちょっと寄ってくれない?私の肩が濡れちゃうから」
「あの」
「あ、私は怪しいもんじゃ無いわよ。私の名前は」
「博麗霊夢」
「あら、知ってたの?」
「………ええ、まあ。有名ですし」
会話が途切れる。傘を伝った雨がぽつん、ぽつん、と地面に弾けた。一面水溜まりになった地面を、二人並んで、ぴちゃりぴちゃり踏みしめて歩く。
左右にあった建造物が消えて、視界が開けた。木々に囲まれて、獣道のように細くうねうねと道が続いていた。
霊夢はこのまま進んでいいの?とびしょぬれの少女に目をやるも、少しうつむいたままに進み続けたので、少女が傘から出てしまわないよう少し慌ててついていく。
里から離れ神社の石段の前に着いた。
「なんだ、ウチに用だったの」
霊夢が振り返ると少女と目があう。少女が勢いよく口を開くも、声は出ずにぱくぱくと動いた。霊夢は不思議そうに顔を見下ろす。少しして少女が改まって口を開き、おずおずと話し出した。
「あの、私、文なんです」
「アヤちゃんね」
「違います!いや、違わないけど。文々。新聞の射命丸文です」
霊夢は一歩引こうとして、そうすると濡れることに気付いたのか半歩だけ引いて、少女をまじまじと見つめた。
言われてみれば少女は服装こそ違うものの射命丸文その人にしか見えなかった。
妖力を隠していたとはいえども、「博麗」が気付かないのは異常なことだったのだが、さして気にもしていないように話す。
「まさか霊夢さんが気がつかないとは思いませんでした。少々焦りました」
「うまく化けてたわね」
「伊達に千年も生きていませんよ」
で、と改めて霊夢が口を開く。目は鋭く、文を睨み付ける。
「どうして里で話してたときに言わなかったの?」
言外に何か悪さをするつもりだったのか、と含ませて。
「あの場で妖怪だとバレたら色々と面倒が起こったでしょうから。最近人食い妖怪が出たとやらで殺伐としてますし。それで取材に行ってたんですが」
人喰い妖怪という単語が出た途端霊夢が肩を震わせた。元々白い肌から血の気が引き、白を越してうっすら青みがかっている。
「どうしました?」
「べつに、たいしたこと、無いわ」
「たいしたことありますよ。顔はこの間郷に来た吸血鬼ほどに青白いですし。……あぁ、肩が濡れちゃってるじゃないですか。体を冷やしちゃダメですよ。人間なんですから」
「このくらい、大丈夫だから」
霊夢はぎこちなくもいつも通りに煩わしそうな仕草をする。文は思うところがあったのか少し目を閉じ考えると、霊夢から傘を取り上げた。霊夢が濡れないように傘をそちらに傾けて持ち、腰に腕を回す。
「仕方がないわね。私の責任だし。ほら、しっかり掴まってて」
霊夢を掴まらせると扇を取りだし、ばさり、と仰ぎ、跳んだ。
石段を10段ほど飛ばしに駆け上がると、すぐに鳥居の前までたどり着いた。
「今からお風呂用意してあげるから、その間に体を拭いていて」
寝室へ霊夢を押し込んで、ぱたぱたとお風呂を用意しに走る。
風呂を適温に調整し、霊夢に入るよう促す。文の方が濡れているからと先に入ることを勧められたが妖怪はその程度で体調を崩さないと断った。
畳を濡らさないようにと、落ちていた先程の霊夢が使ったのだろう湿気ったタオルを拾い上げ、服の上から軽く水気を拭う。タオルを手にしたまま少し悩み服のまま座るよりはましだろうと判断すると、小さく折り畳み、座布団がわりに座った。
先ほどに比べ大分穏やかになってしとしとと降る雨を眺めながら、今日の様子のおかしかった霊夢を思い返していた。
暫くしてぺたぺたと足音を立て霊夢が戻ってきた。
いつもの巫女服ではなく白地の浴衣を着て、濡れて艶々と光る髪を首に掛けたタオルで拭いている。風呂に浸かったにしては短い時間だったがしっかり暖まれたらしく、頬は紅潮し、先程までの青白い顔で暗く何かに怯えていた様子などどこにもなかった。
いつもの仏頂面ではなく、薄くとはいえ朗らかな笑みを浮かべる霊夢に、どこか恐ろしいものを感じたが、それを突き止めることはなくぼんやりと眺める。と、霊夢が唇が当たらんばかりに近づいてきて思わずのけぞる。
「な、なに」
「姿、戻さないの? 文なのに妖気もなくて、見た目も人間なんて、凄く違和感があるんだけど」
「……いつもの服じゃないし、穴を開けるのも嫌じゃない」
「それもそうか。じゃあ仕方がないわね。お風呂、あんたも入ってきなさい。妖怪だって言ったって体を冷やしすぎちゃ良くないわ」
「本当に大丈夫なんだけど」
「お風呂入れてくれたのあんたじゃない。服は……そうね、多分入るだろうし、そこの箪笥から適当に着て」
「巫女服以外も持ってたの?」
いつもよりも多少朗らかとはいえ、神社の前でのおかしかった様子とは違い、普段通りで、文も調子が出てきた。箪笥をあけると、紅、白、紅、白、とスカートと上衣が並んでいる。呆れて思わず少し笑いながら振り返る。
「こればっかりじゃない」
「その下の段にあるわよ!」
言われて開けてみると、そこには色鮮やかに普段着が入ってあったが、その数は先ほどの巫女服と比べるとかなり少なかった。
「これだけ?」
「いいの! 他の服なんてほとんど着る機会なんてないし」
「それもどうなのよ」
突っ込みながら次の段を開けると、大人しい色合いの浴衣がいくらか入っていた。
適当なものに手をかけると涼しげな薄い藍にうちわの柄で、季節的にどうなんだと思い、少し悩む。しかし出しかけたこの状態からまた綺麗に戻すのは面倒だな、と判断するとそのまま引っ張り出した。
「冬なのに、うちわ?」
「……いいのよ、うちわならいつも持ってるし」
「どんな理屈よ」
「ところで、下着も貸して欲しいんだけど、……あぁ、霊夢のサイズじゃ入らないわね」
ふざけながら言ってみると、霊夢は普段のように、怒った表情で手を振り上げてかかってきた。
「あんたねぇ」
怒ったような表情でも本当に怒っているわけではないとわかっているので、何回かよけてからかってやろうと、ふわり、と避けようとする。と、足元の机に足をぶつけてよろめいた。
ちょっと待ってくれと伝える間もなくこぶしが振り下ろされ、避けそこねた結果前のめりに倒れることになった。
霊夢の驚いた顔が、視界の端に映る。ガツンッ、頭に衝撃が走った。つーと額を熱いものが流れる。ああそうだ今人間だからか、と冷静に思う一方、痛みで脳内が白黒していた。
「いたたたた、霊夢さん、痛いじゃ……」
手の甲で血をぬぐいながら顔をあげると、霊夢の顔は先ほどの神社の前のときよりも蒼白になっていた。
「風呂、行って」
指先で傷に触れる。触れた指先には新しい血液は付かず、傷こそ治ってはいないものの出血は止まっているようだった。人間に化けているとはいえ、妖怪でよかったなとふと考える。
様子のおかしい霊夢をよくよく見てみると、顔面蒼白なだけでなく小刻みに震えており、うっすら涙が滲んでいるようにも見えた。
「霊夢さん?どうしたの、私はこのくらい全然大丈夫」
「風呂」
「え?」
「さっさと入ってきて」
暗く俯き、ぼそり、と指示する。急に様子が変わったことに霊夢を観察しながらも、反論できずに部屋を出る。
大人しく風呂に向いかけるも、やはり先ほどの様子のおかしさが気になり、足音を忍ばせ部屋の前へと戻った。戸の隙間から覗き込むと、霊夢はなにやら箪笥をあさっているようだった。
箪笥から何かを握り取り出した。しかし文の方からは霊夢の体が邪魔になり、それが何かは見えない。霊夢はそのまま床に座り込み、手を内から外へとスライドさせる。背中が揺れ、大きく息を吐いたことがわかる。ぱたりと手が落ちた。手には赤の付いた剃刀が握られていた。
ふとももを血が伝い、一滴、血が畳へ落ちた。
霊夢はそれを確認すると、背後にあった先ほどのタオルを手に取り、下に敷いた。結果的に背を向けていた文の覗く戸を右に見ることになったが、俯いていたため覗かれていることに気づくことはなかった。
日に当たらないからか、透けるように白いふとももを、細く紅い血液が伝う。霊夢は脱力したままに暫しそれを眺めていたが、また手を持ち上げると今度は服をはだけて胸部へと剃刀を付きたてた。
きれいな白い肌と血のコントラストの美しさと、普段の適当でなにも気にしないような雰囲気、今の思い詰めたようなどこか痛々しい雰囲気とのギャップで、思わず見惚れる。
いつもの感情の見え隠れする無表情ではなく、元々感情など無いと言わんような不気味な無表情。
気が付くと膝をついて霊夢を観察していた。
すっと剃刀を引くと細い赤い線が走って、ぱかっとひらく。
傷口にじわじわ血が溜まりぷっくりと輝く。
血は暫くぷるぷると震え、溢れだして、跡を残しながらつーと滴った。
身体にぱっくり開いた傷口をじっとみつめて、もう一度傷口に刃を当てる。触れた瞬間痛みからか顔が歪んだ。
文は静かに戸を開け、侵入した。直ぐそばまで近づいても、霊夢は気付いた様子はなかった。
「なにしてるの」
そっと声をかけると、霊夢は勢いよく振り返った。霊夢の視線を感じたまま、ゆっくりと前にまわり、しゃがみこんで視線を合わせる。
「っ!……止めるの?」
「死なれたら困るけど、死なない程度なら別に止めないわ」
「…………」
霊夢は無表情に無言で、文を見つめた。文も無言で見つめ返す。霊夢の着物にじわじわと血が染み込んで赤い模様ができてきた。着物を捲りあげていることで見えている太ももには紅い傷口が、
そこから滴る血が、見えていた。
「聞き方を変えましょうか?なぜ、自分を傷つけるの?」
「……昔、魔理沙が階段から落ちたの」
じっと見つめられ、霊夢はぽつりぽつりと話し出した。
魔理沙を追いかけて怪我をさせたこと。そのとき初めて自らを傷つけて罰したこと。先日里で事件を起こした妖怪に以前会っていたこと。
そのとき、情けをかけて、見逃したこと。
「それから、人間を傷つけるのが怖いの。さっきも、本当は文だってわかっていたのに、人間の姿だってだけで、傷つけてしまったことが怖くて、怖くて、抑えられなかった」
「そう。傷、もう痛くないの?」
「痛い、よ。痛いのがいいの」
「そう」
霊夢は急に話を切り替えられたことに困惑した様子だったが、返事をする。
すると文は黙って手を伸ばした。霊夢は座ったままに少し逃げるが、逃げ切れるわけもなくすぐ文の手が脚に届く。無遠慮に傷口に直接触れられ、痛みから反射的に眉を寄せた。
くちゃ、と小さく水音が聞こえた。傷に指が押し込まれ、痛みから小さく喘いだ。
「ぁっ、文?」
名前を呼ばれるも、そんなのは耳に入っていないのか、痛みに歪む顔を見ながら、傷口をいじる。
文はほう、と熱っぽい息を吐いた。
「きれい、ね」
傷を弄っていた紅く染まった指を艶かしく舐め、ふと顔を上げると瞳に涙を溜めた霊夢と目が合った。
その霊夢の顔は美しく、ぺろりと涙を舐めた。
「あや?」
涙をなめたそのまま、吸い寄せられるように、くちびるが合わさる。
「れいむ」
危なげで儚げなものこそ、美しい。