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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『科学世紀の妖怪都市 #2』

2013/11/06 20:45:24
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 私には幼い頃から、不思議なものが見えていた。

 物心ついて初めての記憶は、家の暗がりからこちらを眺めている一つ目の顔だ。他にも足だけの幽霊とか、天井に張り付く舌の長い妖怪とか、我が家には数え切れないほどの「何か」が住み着いていた。外に出てみても、空にはいつだって大きな何かが飛んでいて、足下を小人たちがうろちょろしていた。
 幼い私はそれを恐ろしいとは露にも思わず、むしろ面白がって話しかけては両親に気味悪がられ、同年代の子供たちからも敬遠された。そして何やら大仰な名前の精神疾患と診断された段になって、ようやく私はそれが異常なことであると思い知ったのである。

 それでも見えているものは仕方ないじゃないか、と憤った私は周囲の圧力に強く反発した。処方された薬を全て無視し、病院へ通うことも拒否した。けれど、私に向けられる周囲の目は厳しくなるばかりで、家でも尋常小学校でも孤立し煙たがられた私は、三年生のときについに折れた。

 物の本によれば、そういった怪異は「見える」人間に集まってくるのだという。自分を認めてくれる存在の近くにいたがるのだ、と。
 だから私は、彼らが見えないふりをした。お化けたちがじゃれついてきても話しかけてきても、完全に無視を決め込んだのだ。効果は大きかった。しばらくは彼らも寂しそうに私にまとわりついていたけれど、一年ほどで寄ってこなくなったのである。

 こうして私は、まともな人間になった。

「宇佐見さん、結婚するんだって?」

 対面に座る学友の一言に、珈琲を飲んでいた私は思わず咳き込んでしまう。私より彩度の高い女学生服の彼女はにやにやと笑っている。派手好みの令嬢である彼女のあだ名は「孔雀様」だった。幾分の揶揄も含んでいるはずのそのあだ名を、孔雀様自身気に入っているらしい。

「……まだ決まったわけじゃない、お見合いするってだけよ」

 銀座の喫茶店はとても静かで、大きな声を出すことは憚られた。今年の春に尋常小学校を卒業したばかりの、十四歳の小娘二人だけでこんな場所にいられるのは、ひとえに家族を言いくるめる技術を研鑽したおかげである。

「もう実家同士じゃほとんど決まってる。許嫁みたいなものだって聞いたけど」
「どうしてそんなことまで知ってるかな……。誰にも言ってなかったのに」
「人の口に戸は立てられないのだよ、君」

 孔雀様は冷やし珈琲を一口吸った。真っ赤な口紅がストローを染める。化粧までばっちりとこなしてみせる彼女は、金木犀のように匂い立つ色香を放っていた。

「桜子は、結婚、嫌なの?」
「嫌も何も」

 油絵の具で描いたようなその笑顔が疎ましくて、私は目を閉じる。結婚の件がどうして広まったのかは本当に謎だった。私は家族くらいとしか、その話をしていないはずなのに。

「だってさ、私は相手のひとを写真でしか知らないのよ? そんな相手といきなり結婚しろって言われても」
「桜が散るみたいで嫌だ、と」

 肯定の代わりに鼻を鳴らしてみせた。孔雀様は本当に、神経の逆撫でが上手い。
「桜が散る」という言葉は、私をからかう意味で友人たちがよく使う。昔、授業で書いた作文が先生に何故か気に入られて貼り出され、そのとき散々からかわれた。そのときの作文をざっくりまとめると「『桜は散るからこそ美しい』と無責任な言説を吐く輩は、散る方の身になってみやがれ」という論旨だったのである。
 今となっては少しくすぐったい思い出だけれど、その主張自体を私はまだ曲げるつもりはない。

「知らない相手との結婚なんて、一昔前じゃ普通よ。むしろ形だけでも見合いの席があるだけマシだわ。結納まで顔を見たことない夫婦だっているのに」
「何それ、安土桃山の話? あのね、今や自由恋愛の時代よ。両親の決めた見合い婚なんて過去の遺物だわ」
「じゃあ桜子お嬢様には、懸想している殿方がいらっしゃると」
「……いないけど」
「それなら、結婚せずに追いかけたい夢があるわけ?」
「う、留学したい、かな」
「方便ね」

 孔雀様の憂いを帯びた様な表情は、悔しいくらいに絵になっていた。彼女は頭の回転もとても速くて、それがまた腹立たしい。数少ない友人を失いたくないから、黙って我慢するけれど。

「別にいいじゃない。やりたいこともないなら、さっさと結婚しちゃえば? 相手も良家のご子息なんでしょう。軍のお偉いさん、もっとも三男って聞いたけど」
「本当にどうしてそんなことまで……。じゃああんたはどうなのよ。結婚しろって親に言われて、はいそうですかって言える?」
「そりゃ、言うわよ」

 孔雀様は机の上に身を乗り出す。

「私の望みはただ一つ、自分をいつでも美しく保つことだけ。でもそれにはお金が要る。だからそれを叶えてくれる旦那様のもとになら、喜んで嫁ぎますわ。今回のあなたの場合なら、私が代わってあげたいくらいの好条件なのだけど」

 黒目勝ちの瞳は、揺るぎない。私はその強い視線に負けて、目を逸らしてしまった。
 宇佐見家は女系の家系であり、代々婿養子を取っている。私の両親もそうやって結婚した。そうやって大河のごとく流れてきた歴史の中に、私も組み込まれようとしている。いや、もう最初から組み込まれている。宇佐見家は娘の名前に、必ず花の名前を入れるのだ。私も勿論、そうやって名付けられた。生まれたときから逃れられない運命がそこにある。

「……ま、決めるのはあなたであって私じゃないし」

 孔雀様は音を立ててグラスの中身を飲み干した。

「そろそろ出よっか。あ、そうだ桜子、いつものやつ」

 伝票を机の中心に置いて、孔雀様は懐中時計を取り出した。それを私に見えないよう開く。死角にあるはずのその文字盤が、それでも私にはくっきりと見えるようだった。口の端が緩む。今日も絶好調だ。
 私にしか見えない時計を読み上げてみせる。

「午後三時十六分……四、三、二、一、いま十七分」

 孔雀様は諦めた様に盤面をこちらへ向けた。時計の針は秒単位まで正確に、私が言った通りの時刻を指している。

 友人とお茶をするときの、些細なゲーム。現在時刻を私が推測し、的中したら私の勝ち、この場は奢っていただけるという簡単な遊びだ。勿論、時計がない場所限定の。
 そしてこれは、入店時に時刻を確認さえしておけば、私が絶対に負けることのないゲームである。

「相変わらず不気味よね。いつか負かしてみたいと思ってるんだけど、もう止めようかな」
「その方がいいかもね。私ばっかり得してるし」

 私の持つほんの少しだけ不思議な力。
 経過時間をいつでも正確に計測できる程度の、ただそれだけの能力が私の些細な自慢だ。





     §





 一足先に外へ出ると、太陽が眩しく私の目を刺した。台風一過のせいで混じりっ気なしの青さに満ちた秋空はいっそ毒々しい。日に焼けて焦げ付いてしまいそうだったので、私は慌てて日陰へ避難する。目の前を通り過ぎた洋装の婦人が鍔広の帽子を柔らかくかぶっていた。あれほど大きいものでなくとも、帽子があるとこういう日は便利かもしれない。

 日焼けを気にするようになったのはいつからだろう。昔はそんなことを全く気にせずに、どんなに晴れていても遊んでいたものだったのに。母に言われてからだったか。あるいは、同年代の女の子たちに染まってからだったかもしれない。今となっては当たり前になってしまったのに、その切っ掛けが思い出せない。

 庇の下から見ると、並ぶデパートのビルがちょうど水平線のように青空を切り取っていた。東京の空は四角い、と形容したのは誰だっただろうか。最近じゃ路面電車の電線までそこに加わって、ひびの入った硝子板のようになっている。

 その青い四角の中に、人影がひらりと踊り入った。
 屋上に誰かいるのか、とも思ったけれど、その考えをすぐ否定する。屋上の縁をなぞる様にやってくるその影は、たっぷり十秒は浮いていた。跳躍ではなく滑空だ。誰かが東京の空を身一つで飛んでいるのだ。

 普通に考えればあり得ない光景に、しかし私は驚かなかった。それどころか懐かしさすら感じていた。幻覚や見間違いではない。私が決別したはずの「お化け」の姿を、数年ぶりに目にしたのだ。

 喫茶店の軒先から飛び出る。人影は通りの向かいのビルの上を風に滑りながら、時折くるりと宙返りなどしつつ飛んでくる。手に大きな紫色の傘を持っていることが遠目にも分かった。纏っているのは襤褸切れ寸前の振袖だ。風に今にも千切れそうにはためいている。

「お待たせ……どうしたの?」
「あ、あー、いや」

 上を見上げたまま孔雀様へ空返事を返した。彼女も釣られて空を見るけれど、「何かある?」と聞いてくるあたり、きっとあの人影は見えていない。道行く人々だって、誰一人空を見てなどいない。昔と同じだ。お化けは私にしか見えていない。

 心が躍るのを感じた。まともな人間になったはずの私の前に、再びお化けが現われるなんて思ってもみなかった。それも、ビルばかりがどんどん増えていくこの東京のど真ん中で。

 襤褸振袖の傘少女は高度を下げ、速度を乗せたままデパートの屋上を駆け抜けた。そして私の正面を通り過ぎて、屋上の縁から再びぽーんと飛び上がる。そのまま交差点の向こうへ、新橋の方面へと消えていく。

「桜子?」
「ごめん、用事を思い出した。先に帰るね!」

 ぽかんとしている孔雀様を置き去りにして、私は思わず駆け出し、空を舞うお化けを追いかけていた。ひりつくような陽差しの中を、ありったけの速さで。後先なんか考えずに。

 どうしてそんなことをしたのだろう。理由なんて後からいくらでも付けられる。不思議なものに惹かれたから、懐かしく思ったから、孔雀様から離れる口実が欲しかったから。どれも決め手に欠けるけれど、どれもたぶん嘘じゃない。もしかしたらその全部なのかもしれない。とにかく私は、ビルの上を飛んでいくその姿を見て高揚していた。

 何か素敵なことが始まるような、そんな予感でいっぱいだった。目の前の憂鬱を忘れさせてくれるような、とびっきり楽しい何かだ。何の疑いもなくお化けたちと遊んでいたあの頃の様な、混じり気のない喜楽。それを取り戻せるはずだと確信していた。

 そして、これが最後のチャンスだという予感もあった。私が追いかけなければ、お化けたちはもう二度と東京には現れないだろうと感じたのだ。昼も夜も人間が我が物顔で歩く大都会。そのどこにお化けたちの居場所があるというのか。

 結論から言うと、私のその予感は半分正解で半分外れていた。
 とにかく、私の物語は、この駆け出した瞬間から始まったのだ。




 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
ちょっとこれは点数振れないのが惜しいくらいわくわくしてきましたよ?
2.名前が無い程度の能力削除
こいつぁおもしれえぜ… しかも毎週楽しめるのか
3.名前が無い程度の能力削除
まだ各人物らの紹介部分でしょうが、ワクワクが止まらない。
4.奇声を発する程度の能力削除
面白くなってきました
5.名前が無い程度の能力削除
うーん面白い。続き期待していまっす!
6.名前が無い程度の能力削除
100点で。宇佐美「家」のキャラクターとは、先が楽しみです。
7.名前が無い程度の能力削除
おいおい、毎週の楽しみができちまったじゃないか