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ラテルナマギカ ~寅と鼠と桜の巫女~ 『科学世紀の妖怪都市 #1』

2013/10/30 21:21:18
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 私が明治という時代を思い出すとき、真っ先に浮かぶ光景がある。
 謎と不思議に満ちた、あの夢のような一年間だ。

 時代が目まぐるしく移り変わっていた、明治の終わりの東京。
 人間の造り上げた、巨大な冷たい石の街。

 それでもまだ、彼女たちはそこにいた。
 存在すら否定された人ならざる化生たちが、忘れてくれるなと懸命に叫んでいた。

 あの一年間の出来事は、決して歴史には残らない。
 帝都を奪おうとしていた妖怪たちのことも、それを守るため戦った妖怪たちのことも。

 今となってはきっと誰もが、幻想だと切って捨てるだろう。
 荒唐無稽な戯言と笑われてしまうだろう。

 けれど構わない。私にとっては、紛れもない真実なのだ。
 私の手の中で、あの日々の思い出は未だ宝石のように輝いている。
 その光は私にとって、何よりも大切なものだ。





     §





 今年に入って二つ目の台風が関東平野を通り過ぎた。秋はその高い青空をすっかり取り戻して、東京には軽やかな風が吹いていた。わだかまっていた重たい空気を、台風が持ち去っていったのだろう。嵐の間は家に閉じ籠っていた人々も、丸洗いされてしまった街をすいすいと歩いている。

 瓦斯(ガス)灯の周りを、アキアカネが一匹ふらふらと飛んでいた。摩天楼のどこぞで嵐を凌いでいたのか、あるいは風で山から運ばれてきてしまったのか。いずれにしてもどこか疲れを感じさせるその飛行跡は、そこらを颯爽と歩く人間たちとは対照的であった。

 やがて浮いているのにも限界が訪れたようで、彼はどこかで羽を休めることにした。しかし意地悪い風が、彼を行き交う人混みの中へと降ろしていく。巨大な人の群れに飲まれてしまえば、小さな蜻蛉の身体など簡単に踏み潰されてしまうだろう。
 彼が目を付けたのは、道行く人の中でも一番小柄な少女だった。薄墨色の小紋姿に帯を胸高に締めている。その身に不釣り合いな大きな行李を背負い、幼い眼差しを物珍しげにあちこちへ向けている姿は、誰が見ても御上りさんだと分かる微笑ましさであった。

 その行李の上に、落下するように赤蜻蛉が落下する。
 少女はそれに気づかないまま、きょろきょろと煉瓦の街並を見回しながら、人混みの中を進んでいく。

 そんな忙しない少女に、数歩後ろを歩いていた連れが声をかけた。

「那津、ちょっとそのまま、止まって」

 まるで発条仕掛けの人形のように、那津と呼ばれた少女はびくんと立ち止まった。彼女はしばらくそのまま瞬きだけをぱちぱちとしていたが、やがて連れがアキアカネを引っ付けた指先を目の前に突き出すと、ちょっとだけ驚いてからじとりと横目で睨んだ。

「星、あなたって人は……この忙しいときに」
「あはは。可愛かったから、つい」

 可愛い、というのは私と蜻蛉のどちらのことなのだろう、と那津はちょっとだけ考えてしまってから、頭を振って雑念を雑踏へと振り払った。

 星と呼ばれた少女は大きな竹製のトランクを提げていたが、今やそれを地面に降ろしてしまって、指先のアキアカネにすっかり夢中である。赤いビードロのような身体を青空にかざしてみたり、指でぐるぐると渦を描いて蜻蛉の目を回そうとしたり。子供っぽい遊びを飽きもせずに続けている様子は、三つ揃えの背広をさっぱりと着こなした年恰好にはいささか似つかわしくない。

 それを呆れた目で見ていた那津だったが、やがて行李を背負い直すと大仰に畏まって言った。

「ほら、そろそろ参りますよ、御坊ちゃま」
「ちょ、何ですか。『御坊ちゃま』って」
「御坊ちゃま、お取り込み中のところ大変恐縮ですが」

 星は顔を赤く染めるも、那津は気にも留めない。

「私たちはこの先の停留所で路面電車に乗らないといけません。私は先に行きますので、御坊ちゃまもどうかお遅れになりませんよう」
「那津、そんなに怒らないでくださいよぉ」

 弱り切った声に耳を貸さず、那津はすたすたと歩いていってしまう。その小柄な人影はすぐに人混みの中へと消えていった。
 少しの間、星は那津の行ってしまった先と指先のアキアカネを交互に見比べていた。だがやがてそれを自分のシャッポにくっつけると、トランクを手に取り那津の後を追い始める。赤蜻蛉は硝子のブローチのように、そのままシャッポにじっと止まっている。

 早足で歩いていくと十字路があった。星が左右を探すと、すぐに停留所は見つかった。左手、三十メートルほど先だ。しかし間の悪いことに、すでに黄色い車両が停まっていて、その乗降口に那津の背負う行李が吸い込まれていく。

「那津!」

 呼んだ名前に、彼女の代わりに発車の鐘がちりんちりんと応えた。路面電車がこちらを待ってくれるはずもなく、那津を乗せた黄色い車両は星を置き去りに走り出してしまう。

 考えている時間はなかった。星は電車の後を追って走り出す。トランクがぎしりと軋んだ。地面を強く蹴りつけるたびに、乾き始めた道路からは砂埃が立った。

 加速していく車両よりも圧倒的な加速度で、星は彼我の百メートルを詰めていく。すれ違う人々が何事かと振り返るも、彼女は気にも留めない。

 那津が路面電車の中から連れを振り返り、驚いた顔をした。彼女が乗降口から身を乗り出した頃には、加速した星は黄色い車両とほとんど並走していた。
 竹のトランクが車内に放り込まれる。那津が何とかそれを受け取ると、星は空いた手でそのまま手擦りを掴んだ。そして一際大きく跳び上がる。たっぷり鼓動が三つ打つ間、その長身がまるで飛ぶかのようにふわりと浮いた。そのまま星は乗降口へと静かに着地する。

 走り出した電車に追い付くという荒業をやってのけた直後にもかかわらず、彼女は息一つ乱していないどころか、微笑みすら浮かべている。明らかに人間業ではない。
 那津の呆れ顔に気が付いたのか、星は手をひらひらと振って見せた。

「大丈夫ですよ、誰も気付いてなんかいませんって」
「全くもう、あなたという人は。こんな人の多いところで……」

 那津は大仰に溜息を吐いてみせる。頭の上で、その大きな丸い耳がぴくぴくと動いた。表面上は平静を取り繕っていても、それが不安に感じているときの印であると星は知っている。

 ほんの少しだけ風に乱れたシャッポの上で、アキアカネはまだじっとしていた。二人の少女が千年以上の齢を重ねる妖怪であることを、彼はもちろん知らない。





     §





 かつて白蓮寺は紀伊半島の山間にひっそりと開いていた。普通の寺とは違い、それは人間と妖怪のための寺である。悪さをする妖怪を改心させたり、逆に人間に虐げられる妖怪を助けたりすることがその主な活動であった。あまり名の知られた寺ではなかったが、それでも白蓮寺の力を求める者は数多くあった。いつの時代も、妖怪と人間の間に諍いは絶えなかったのである。
 星は毘沙門天の代理として、那津はその使いとして、二人は長きに渡り白蓮寺を支え続けてきた。妖怪退治の依頼も力を失った妖怪も、津々浦々からひっきりなしに舞い込んだ。それらをひたすら解決していく忙しいながらも楽しい日々は、しかし唐突に終わりを迎えた。

 ある日、二人が遠方での仕事を終えて帰ってくると、白蓮寺は滅茶苦茶に破壊されていたのである。

 折しも神仏分離令が発布された直後のことであり、全国を廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた。元々は神仏習合の現状から純粋なる神道の復興を目指した詔であったものを、中には曲解し寺院財産の収奪に及んでしまった地方もあった。歴史の陰に隠れていた白蓮寺も、その手から逃れることはできなかったのである。

 多くのものが失われ、値の付くものは売りに出されていたが、那津は素早く手を回してそのほとんどを回収した。多くの鼠を従わせ操る妖怪である彼女は捜し物を得意としていたのだ。
 しかしそれでもただ一つ、もっとも重要なものの行方が未だに知れない。それが毘沙門天より授かった秘宝の宝塔であった。

「そろそろですね」

 その声に那津ははっと目を覚ます。星は座席から立ち上がって網棚からトランクを下ろしていた。いつの間にかうとうとしてしまっていた。ここ最近は引っ越しの作業に追われていたので、疲れが溜まっているのかもしれない。

 毘沙門天の宝塔は強い力を秘めており、言うまでもなく貴重な品だ。簒奪者が手に入れれば真っ先に売り払いそうなものだが、那津の全力をもってしてもその在処が皆目分からない。これはすなわち、宝塔がただ単に誰かの手へ渡ったというわけではないのだ、と那津は結論付けた。

 二人は慣れ親しんだ山を下りることに決めた。寺を同じ場所に再建することは諦めたのだ。白蓮寺の本尊は毘沙門天代理である星自身なので、彼女が在る場所がすなわち白蓮寺となる。新たな寺を開くことにしたのは、帝都東京の真ん中であった。人も金も情報も集まる日本一の街ならば、宝塔の行方の手がかりも掴めるかもしれないと二人は考えたのだ。

 乗降口を降りると、そこは先程までの都会の喧噪が嘘のような閑静な街だった。

「……何だか、安くなさそうな土地に見えるんだけど、騙されてはいないよね?」

 怪訝な顔で那津は星に問うた。

「うちの蓄えなんて、あってないようなものだし。せっかく取り返した仏具を質に入れて、なんてのは御免だよ」
「心配ありませんって。あ、こっちですね」

 星はすたすたと歩き出して、那津はそれに従った。彼女の自信たっぷりな顔ほど当てにならないものはない、というのが星と長年付き合って得た那津の教訓であった。何も自信過剰なわけではない。星は細かいところを気にしない、良く言えば大らかな、悪く言えば大雑把な性格なのだ。賃貸契約の書類なぞ、まず間違いなく流し読みしているだろう。
 その点、那津は正反対である。細かいところまで徹底したがる完璧主義者だ。

「えーと、ここが三丁目だから……」

 住所と地図を頼りに、整理された静かな街を二人は歩いていく。一軒一軒の家が大きい。暮らしている人々はきっと裕福であるに違いない。それは結構なのだが、ますますここに貧乏寺は似つかわしくないような印象を那津は受けた。
 やがて正面に一際大きな西洋門が現われた。これまた随分と金がかかっていそうな代物だな、などと那津が考えていると、星はその門の前で立ち止まった。そして住所を照らし合わせている。

「ふむふむ、どうやらここの様ですね」
「……何かの間違いじゃ?」

 目の前に建っているのは西洋様式のような三階建ての家だった。百坪ほどの敷地に建つそれは、おそらくは正式な西洋建築ではない。日本の大工が西洋の家を真似て作った、後の世には擬洋風と呼ばれることになる様式だ。
 どこからどう見ても高級住宅である。これを賃借するのにいくら必要になるのか、那津は考えたくもなかった。

 というか、そもそも。

「ここを本気で寺にするつもりなのか!?」
「そうですけど」

 目をぱちくりとさせる星は一切悪びれる様子がない。素直に本心からそう考えているのだろう。那津は言葉を失った。千年付き合っておきながら、まさかここまで細かいところを気にしない人だとは思わなかった。どこの世界にこんな寺があるというのだ?

「本当はもっと小さな、それこそ長屋の一室みたいなところを借りる予定だったんですが、後から来た方がどうしてもって仰るから譲ったんですよね。何でも火事で焼け出されて一家共々住む場所がないとかで」
「私たちも境遇としては似たようなものなんだが」
「えぇ、そう言ったら、巡り巡ってここを紹介されたんです」

 長屋の家主が知り合いの伝手を辿って空き物件を探してくれたらしい。その結果がこの豪邸というわけだ。出自が寅の妖怪である星は存在自体が縁起の良いもので、彼女自身の天運も相当なものではある。だがここまでの、藁しべ長者もかくやという豪運は那津も初めて見た。

「……家賃は? ちゃんと確認しているんだろうね」

 契約書面を引ったくり、隅々まで目を通す。確かに那津が見ても、怪しい文面のない正式な契約だ。家賃も長屋のそれに毛が生えた程度の額で、多少切り詰めれば払えるだろう。

「まさか契約書読んでないと思ってます? 那津は私をそこまで信用していないんですか……?」
「う、ごめんなさい」

 目の端に涙まで浮かべられると流石に申し訳なくなって、那津は詫びながら書面を返す。

「まぁ、借りたのはここで間違いないにしたって、本当にここで白蓮寺を開くのか? 寺の様式やら何やら、あらゆる原則を完全に無視することになるけど」
「そんなものは二の次三の次でいいのです。私がいる場所がすなわち白蓮寺なのですから。それに建物の色だって真っ白で、『白蓮』の名前通りでしょう?」

 トランクを手に取りながらそう言った星は、一瞬だけ遠いところを見た。寺の号は、彼女がずっと待ち望む大切な人の名を取っている。忘れないように、消え去ってしまわないように。

「さぁ、新しい白蓮寺の始まりですよ!」

 星は鍵を取り出して、大きな門を押し開いた。ぎぎぎと重たい音とともに、寅と鼠の新しい道が開かれた。





 これからの一年間が、二人の長い道のりの中でも一際の波乱に満ちたものとなることを、もちろん彼女たちは知る由もない。





 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
続きが気になります!
2.名前が無い程度の能力削除
来週の水曜日を楽しみに待たせてもらうよ!
3.名前が無い程度の能力削除
うるめさんの連載とか
マジで楽しみです!
4.名前が無い程度の能力削除
これは続きに期待大ですね。廃仏毀釈とか懐かしいなー。
5.奇声を発する程度の能力削除
続きが気になります
6.名前が無い程度の能力削除
この後どう話が進むのか大変楽しみ
首を長くしてお待ちしております