※現代入り要素を含みます
※皆さんの知っている天むすとは違ったものかもしれません
※設定がよくわからないという方は、「東方名古屋飯」で検索するといいかもしれません
八雲紫は忌避している。
名古屋飯のイメージは、といえば、どうだろうか。「濃い」と答える人の方が多いだろうか。「まずい」という人もいるだろうか。「癖になる」という人もいるだろう。「ボリューミー」と満足げに語るだろうか。「変わってる」と思う人もいるだろうか。「独創的」とオブラートに包む人もいるはず。
「味噌」というのが大きく占めているだろうか。確かに、味噌を題材とした料理は少なくない。食べ物につけたり、かけたりするための味噌が販売していたり、何でも味噌で煮込んだり、コンビニのおでんに味噌がついていたり、そもそも味噌そのまま食ってんじゃないかなんて思う人も中にはいるだろう。
そう、名古屋飯はグルメのジャンルとして大きな存在感を持っていることは確かだが、その評判は二分化されている。恐らく中道という言葉はないのではないだろうか。
その一つの要因として、味付けがあるだろう。赤味噌文化圏だから味噌を使った料理も多いのだが、例えば、あんかけスパゲッティのような、どうしてここまでコッテリと仕上げたと言いたくなるようなものもある。まあ大部分、味噌がネックとなっているところもあるに違いない。
味噌煮込みうどんが鍋焼き文化圏にはウケないように、味噌カツがソースカツの勢いに圧されているように、やはり、名古屋圏のご当地グルメにはグローバル性というものが他に比べて薄いのだろう。
故に、幻想郷に名古屋飯ブームが到来しても、八雲紫はなかなか手を出すことが出来ず、躊躇っていた。
もちろん興味はある。友人の西行寺幽々子とその従者もその虜であるし、紅魔館も独自のブランドを立ち上げようと躍起であるし、地底でも続々と店舗を増やしているようだ。さらには妖怪の山にてコンテストなるものまで開催され、天狗の記事の一面にもなるほど。人里は言うまでもなく、大繁盛だそうだ。
名のある大妖怪が次々と波に乗ろうとしている。危惧することがないわけでもないが、特段悪い出来事でもなく、今までは黙認してきた。これだけの流行の中で、私としても食べたい、という欲求もあり、手を伸ばせばすぐ手が届く状態だ。だがそれ以上に、外の産物である以上やはり前評判というものが気になるのは当然のことだ。
インターネットで名古屋飯と検索したり、掲示板の評判をみたり、番組の特集をみたりと、出来るだけ公正な判断を下せるようにしたつもりだ。それによると、合う人には合う、しかし、合わない人には徹底的に合わないというのが、大体の相場らしい。熱狂的なファンが熱心にリピートを続けるような中毒性。「山」の名を冠する喫茶店のメニューは、選ばれし猛者、地元民の中でも相当コアな層にしか受け入れられていないというのが現実らしいのだが、全国に知名度があるメジャーな料理は、大体そういう感じである。
私には、その未知なる世界に突き進む勇気というのが、依然として足りていない。様々に革新的な策を練り続けてきた私だが、その中の保守的な考えが、私の挑戦を妨げている。
食わず嫌いはよくないことであるが、やはり、食べるからには美味しいものを食べたい。そう思うのは、特段変な心理でもないのではなかろうか。
そして私は、ついに新しい扉を開けようと試みることを決意した。
私はたまに、外の世界の様子を視察することがある。文明や情勢、風潮、流行や衰退の状態を確認し、さらには、外に取り残されている妖怪への接触、交渉、援助など、幻想が幻想足らしめるためにしなければならないことを執り行っているのだ。
「まったく、頭の凝り固まったご老人方は……」
今日はたまたま、たまたま名古屋圏に用事があった。この国有数の大都市でありながら、農業都市を有するこの地域は、少なからず現代に適応し変化しつつある妖怪や神々が多い。
「私のことを小娘呼ばわりとはいい了見ね。これだから頑固者の相手は困る」
非常に厄介だった彼らへの顔見せを済ませると、私は名古屋を少し離れた郊外へと足を運んだ。
聞くところによると、都市内では味はピンからキリまであり、その落差は激しく、少し離れたところの方が味が保証されているらしい。
「ティッシュどうぞー」
「……」
「ただいまキャンペーン中です! 是非この機会に!」
「……」
「ねえねえきれいな姉ちゃん、俺たちとどこか遊びにいかない?」
「……」
今回、私は社会に溶け込むためにいつものドレスは着ていない。この私の見た目ぐらいの年齢の女性が少し奮発して買ったぐらいの、ありふれた服装だ。二十代前後といったところか。
外の世界では、関係のないことは無興味でいなければ渡っていけない。まるで狭苦しく寂しい世の中だが、幻想である私にはあまり関係のないことだ。しかし今だけは、無駄に付き合って時間を潰すわけにはいかないのだ。
お昼ご飯時が近い。そろそろ頃合いか。
目的のところがあるなら能力を使った方が早いが、この見た目でスキマを使う気にはならず、しかもそもそも行く先など決めていない。目についたところが、私の目的地なのだ。
郊外へは電車を利用して移動することにした。ツインタワーの乗っかる駅にたどり着いた。捻れた塔の前には多少広い場所があるはずだが、どこもかしこも人の流れに支配されていた。
驚くことに、大都市であるにも関わらず私鉄がひとつしかない。国鉄との寡占状況だ。競合することがないからか私鉄の方の値段が高い。短距離ならば圧倒的に国鉄の方がお得である。私は一瞬切符を買おうか迷ったが、ここは社会の規則に乗っとり、私は国鉄の切符を買った。
そこまで都心から離れるつもりはなかったから、ほどほどに民家の建っていそうな所まで行って、私は電車を降りた。
「さてと、未開の地ですわ。いったいどうしま……あら?」
さて、どうやって探そうか、と思い辺りを見回してみると、駅前に一軒、盛り上がっていそうな店を見つけた。ちょうどよく名古屋飯を押す看板も見つかった。
「……ここにしましょう」
そう呟いた私は勇気を振り絞って戦いへと赴くのだった。
さて、私は目ぼしい店を見つけて入ったわけだ。老舗でもなく個人経営のところでもないが、なかなか繁盛しているところだ。店先に名古屋飯を売り出しているのを見て、自信があるようなら、と私はここに決めたわけだが、客たちは皆名古屋飯を頼んでいる。当たりだったようだ。
メニューを開いて一体どれにアタックするかを迷っていると、二つ隣の客の食事に目が行った。いや、いかざるを得なかった。
磯の香り香ばしい海苔にくるまれた白米から、赤い突起が飛び出していたからだ。
目を見開きをそれを観察すると、メニューと見比べそれが何であるかを確かめようとする。
あった。『天むす』というものらしい。妙に心惹かれるものがあった私はその定食を頼むことにした。
しばらくすると、定番の赤味噌汁、サラダ、――なんということか――ミニ豚カツ、ならんで、例のものが運ばれてきた。
素晴らしい盛り付けだ。しかし、それ以上に存在感を放つのが、天むすだ。なんと、赤い突起の正体は、海の幸の王道である海老を揚げた、『海老天』であった。黄色い衣に包まれた海老の体は、まるで鎧のように重厚感溢れる、そして光輝く白き鎧に包まれ、優しい海のような包容感を持つ海苔に包まれている。仕上げには頂点より上品にタレのようなものがかかり、完成されたものとしての威厳を誇っていた。
美味しそうだ、食欲もそそられる、しかし、
ご飯に、油である。
汁物に天かす程度なら許そう。ラーメンやきしめんや味噌汁などにいれることもあるらしい。それはいいとしよう。もう一回言う。ご飯に、油である。しかも、炒飯のように絡み付いているのではなく、実体を持つものとして、存在しているのだ。
しかもこの衣、パン粉を揚げたものではない。衣揚げと言い、小麦粉のグルテンという成分の性質を利用した揚げ方で調理されている。想像してほしい。米のモッチリ感と、衣のもっさり感。合わせても、どうにもならない気がする。
「……」
しかしここまで来た以上、食わないわけにもいかない。何度か手が止まるものの、海老天の尻尾を取り、思いきって、一口、かじってみた。
乾いた音が心地いい。海の風味が伝わると同時に、今度は瑞々しい米が。これがそのままならどれだけいいことか、そう紫は思った。
「……?」
しかし、どれだけ噛んでも違和感がない。もう一口。パリッと音を鳴らす。
「……!」
しっとりとした衣に甘いタレがかかっているのはわかるが、齟齬が生じているという印象はない。
私の頭の中にハテナが続出する。どうしてもこの疑問がなんなのかが知りたい。夢中でかぶりつく。
「……あら」
いつのまにか、一個を食べきってしまっていた。
今度はしっかりと味わうように噛み締めてみることにする。
するとどうだろうか。その違和感の正体は、意外なほどの親和性であった。脂っこさは普通、ご飯そのものには合わない。何かしらのファクター、繋ぎのようなものがなければ組合わさることなどないのだ。しかし、今、私の舌では、うまいこと両者が共演しているのである。
身の詰まった海老に歯を弾ませ、噛む度に口内に風を送る衣、甘味がどんどん増してくる白米に、極め付きはほどよく調合されたタレだ。
甘酸っぱいようでほんのり甘味に片寄っているが、それが舌にかかることで油と米を繋ぎ合わせている。口の中に悪しき連鎖が起きないようにと、両者の間を取り持っているのだ。
さすがに少し舌が疲れてきたので、少し休憩を挟もうとした。入れられた緑茶を飲むが、どうにもまだスッキリとしない。油がやや強すぎるか。
ここで、味噌汁に手をつける。器を持つとまだほんのり暖かく、飲みやすいように工夫されているようだ。辛口な塩味が喉を通る。飲みごたえはやはり赤味噌が断然いいだろう。
ようやく口内をリセットすることができ、最後のひとつに取りかかる。
今度はかぶりついてみよう。そう思った私は人目を気にすることなく、大口を開けて頬張ってみる。
噛めば噛むほど味わい深く、海老からこぼれ出る旨味、コッテリとした油の湖に包み込まれている米を救うのは秘伝のタレ。何となくしっとりとした海苔から塩の風味が染み出してきた。海と陸、そして、人と海老、それぞれが互いに協力しあい、新しい境地を産み出していたのか、と私は驚愕した。
ああなんだ、今まで避けてきた私がバカみたいじゃないか。ざまあみろ、ナポレオン。お前のその性分は損なんじゃないかと私は思っていたのだ。その通りだったんだ。
うまいものを食べるというのは、生きる上での至高の快楽である。そう私は確信する。
他の名古屋飯を食べてもいいかもしれない。そう思う私、八雲紫の一日だった。
「えっ、これの寿司もあるの!?」
※皆さんの知っている天むすとは違ったものかもしれません
※設定がよくわからないという方は、「東方名古屋飯」で検索するといいかもしれません
八雲紫は忌避している。
名古屋飯のイメージは、といえば、どうだろうか。「濃い」と答える人の方が多いだろうか。「まずい」という人もいるだろうか。「癖になる」という人もいるだろう。「ボリューミー」と満足げに語るだろうか。「変わってる」と思う人もいるだろうか。「独創的」とオブラートに包む人もいるはず。
「味噌」というのが大きく占めているだろうか。確かに、味噌を題材とした料理は少なくない。食べ物につけたり、かけたりするための味噌が販売していたり、何でも味噌で煮込んだり、コンビニのおでんに味噌がついていたり、そもそも味噌そのまま食ってんじゃないかなんて思う人も中にはいるだろう。
そう、名古屋飯はグルメのジャンルとして大きな存在感を持っていることは確かだが、その評判は二分化されている。恐らく中道という言葉はないのではないだろうか。
その一つの要因として、味付けがあるだろう。赤味噌文化圏だから味噌を使った料理も多いのだが、例えば、あんかけスパゲッティのような、どうしてここまでコッテリと仕上げたと言いたくなるようなものもある。まあ大部分、味噌がネックとなっているところもあるに違いない。
味噌煮込みうどんが鍋焼き文化圏にはウケないように、味噌カツがソースカツの勢いに圧されているように、やはり、名古屋圏のご当地グルメにはグローバル性というものが他に比べて薄いのだろう。
故に、幻想郷に名古屋飯ブームが到来しても、八雲紫はなかなか手を出すことが出来ず、躊躇っていた。
もちろん興味はある。友人の西行寺幽々子とその従者もその虜であるし、紅魔館も独自のブランドを立ち上げようと躍起であるし、地底でも続々と店舗を増やしているようだ。さらには妖怪の山にてコンテストなるものまで開催され、天狗の記事の一面にもなるほど。人里は言うまでもなく、大繁盛だそうだ。
名のある大妖怪が次々と波に乗ろうとしている。危惧することがないわけでもないが、特段悪い出来事でもなく、今までは黙認してきた。これだけの流行の中で、私としても食べたい、という欲求もあり、手を伸ばせばすぐ手が届く状態だ。だがそれ以上に、外の産物である以上やはり前評判というものが気になるのは当然のことだ。
インターネットで名古屋飯と検索したり、掲示板の評判をみたり、番組の特集をみたりと、出来るだけ公正な判断を下せるようにしたつもりだ。それによると、合う人には合う、しかし、合わない人には徹底的に合わないというのが、大体の相場らしい。熱狂的なファンが熱心にリピートを続けるような中毒性。「山」の名を冠する喫茶店のメニューは、選ばれし猛者、地元民の中でも相当コアな層にしか受け入れられていないというのが現実らしいのだが、全国に知名度があるメジャーな料理は、大体そういう感じである。
私には、その未知なる世界に突き進む勇気というのが、依然として足りていない。様々に革新的な策を練り続けてきた私だが、その中の保守的な考えが、私の挑戦を妨げている。
食わず嫌いはよくないことであるが、やはり、食べるからには美味しいものを食べたい。そう思うのは、特段変な心理でもないのではなかろうか。
そして私は、ついに新しい扉を開けようと試みることを決意した。
私はたまに、外の世界の様子を視察することがある。文明や情勢、風潮、流行や衰退の状態を確認し、さらには、外に取り残されている妖怪への接触、交渉、援助など、幻想が幻想足らしめるためにしなければならないことを執り行っているのだ。
「まったく、頭の凝り固まったご老人方は……」
今日はたまたま、たまたま名古屋圏に用事があった。この国有数の大都市でありながら、農業都市を有するこの地域は、少なからず現代に適応し変化しつつある妖怪や神々が多い。
「私のことを小娘呼ばわりとはいい了見ね。これだから頑固者の相手は困る」
非常に厄介だった彼らへの顔見せを済ませると、私は名古屋を少し離れた郊外へと足を運んだ。
聞くところによると、都市内では味はピンからキリまであり、その落差は激しく、少し離れたところの方が味が保証されているらしい。
「ティッシュどうぞー」
「……」
「ただいまキャンペーン中です! 是非この機会に!」
「……」
「ねえねえきれいな姉ちゃん、俺たちとどこか遊びにいかない?」
「……」
今回、私は社会に溶け込むためにいつものドレスは着ていない。この私の見た目ぐらいの年齢の女性が少し奮発して買ったぐらいの、ありふれた服装だ。二十代前後といったところか。
外の世界では、関係のないことは無興味でいなければ渡っていけない。まるで狭苦しく寂しい世の中だが、幻想である私にはあまり関係のないことだ。しかし今だけは、無駄に付き合って時間を潰すわけにはいかないのだ。
お昼ご飯時が近い。そろそろ頃合いか。
目的のところがあるなら能力を使った方が早いが、この見た目でスキマを使う気にはならず、しかもそもそも行く先など決めていない。目についたところが、私の目的地なのだ。
郊外へは電車を利用して移動することにした。ツインタワーの乗っかる駅にたどり着いた。捻れた塔の前には多少広い場所があるはずだが、どこもかしこも人の流れに支配されていた。
驚くことに、大都市であるにも関わらず私鉄がひとつしかない。国鉄との寡占状況だ。競合することがないからか私鉄の方の値段が高い。短距離ならば圧倒的に国鉄の方がお得である。私は一瞬切符を買おうか迷ったが、ここは社会の規則に乗っとり、私は国鉄の切符を買った。
そこまで都心から離れるつもりはなかったから、ほどほどに民家の建っていそうな所まで行って、私は電車を降りた。
「さてと、未開の地ですわ。いったいどうしま……あら?」
さて、どうやって探そうか、と思い辺りを見回してみると、駅前に一軒、盛り上がっていそうな店を見つけた。ちょうどよく名古屋飯を押す看板も見つかった。
「……ここにしましょう」
そう呟いた私は勇気を振り絞って戦いへと赴くのだった。
さて、私は目ぼしい店を見つけて入ったわけだ。老舗でもなく個人経営のところでもないが、なかなか繁盛しているところだ。店先に名古屋飯を売り出しているのを見て、自信があるようなら、と私はここに決めたわけだが、客たちは皆名古屋飯を頼んでいる。当たりだったようだ。
メニューを開いて一体どれにアタックするかを迷っていると、二つ隣の客の食事に目が行った。いや、いかざるを得なかった。
磯の香り香ばしい海苔にくるまれた白米から、赤い突起が飛び出していたからだ。
目を見開きをそれを観察すると、メニューと見比べそれが何であるかを確かめようとする。
あった。『天むす』というものらしい。妙に心惹かれるものがあった私はその定食を頼むことにした。
しばらくすると、定番の赤味噌汁、サラダ、――なんということか――ミニ豚カツ、ならんで、例のものが運ばれてきた。
素晴らしい盛り付けだ。しかし、それ以上に存在感を放つのが、天むすだ。なんと、赤い突起の正体は、海の幸の王道である海老を揚げた、『海老天』であった。黄色い衣に包まれた海老の体は、まるで鎧のように重厚感溢れる、そして光輝く白き鎧に包まれ、優しい海のような包容感を持つ海苔に包まれている。仕上げには頂点より上品にタレのようなものがかかり、完成されたものとしての威厳を誇っていた。
美味しそうだ、食欲もそそられる、しかし、
ご飯に、油である。
汁物に天かす程度なら許そう。ラーメンやきしめんや味噌汁などにいれることもあるらしい。それはいいとしよう。もう一回言う。ご飯に、油である。しかも、炒飯のように絡み付いているのではなく、実体を持つものとして、存在しているのだ。
しかもこの衣、パン粉を揚げたものではない。衣揚げと言い、小麦粉のグルテンという成分の性質を利用した揚げ方で調理されている。想像してほしい。米のモッチリ感と、衣のもっさり感。合わせても、どうにもならない気がする。
「……」
しかしここまで来た以上、食わないわけにもいかない。何度か手が止まるものの、海老天の尻尾を取り、思いきって、一口、かじってみた。
乾いた音が心地いい。海の風味が伝わると同時に、今度は瑞々しい米が。これがそのままならどれだけいいことか、そう紫は思った。
「……?」
しかし、どれだけ噛んでも違和感がない。もう一口。パリッと音を鳴らす。
「……!」
しっとりとした衣に甘いタレがかかっているのはわかるが、齟齬が生じているという印象はない。
私の頭の中にハテナが続出する。どうしてもこの疑問がなんなのかが知りたい。夢中でかぶりつく。
「……あら」
いつのまにか、一個を食べきってしまっていた。
今度はしっかりと味わうように噛み締めてみることにする。
するとどうだろうか。その違和感の正体は、意外なほどの親和性であった。脂っこさは普通、ご飯そのものには合わない。何かしらのファクター、繋ぎのようなものがなければ組合わさることなどないのだ。しかし、今、私の舌では、うまいこと両者が共演しているのである。
身の詰まった海老に歯を弾ませ、噛む度に口内に風を送る衣、甘味がどんどん増してくる白米に、極め付きはほどよく調合されたタレだ。
甘酸っぱいようでほんのり甘味に片寄っているが、それが舌にかかることで油と米を繋ぎ合わせている。口の中に悪しき連鎖が起きないようにと、両者の間を取り持っているのだ。
さすがに少し舌が疲れてきたので、少し休憩を挟もうとした。入れられた緑茶を飲むが、どうにもまだスッキリとしない。油がやや強すぎるか。
ここで、味噌汁に手をつける。器を持つとまだほんのり暖かく、飲みやすいように工夫されているようだ。辛口な塩味が喉を通る。飲みごたえはやはり赤味噌が断然いいだろう。
ようやく口内をリセットすることができ、最後のひとつに取りかかる。
今度はかぶりついてみよう。そう思った私は人目を気にすることなく、大口を開けて頬張ってみる。
噛めば噛むほど味わい深く、海老からこぼれ出る旨味、コッテリとした油の湖に包み込まれている米を救うのは秘伝のタレ。何となくしっとりとした海苔から塩の風味が染み出してきた。海と陸、そして、人と海老、それぞれが互いに協力しあい、新しい境地を産み出していたのか、と私は驚愕した。
ああなんだ、今まで避けてきた私がバカみたいじゃないか。ざまあみろ、ナポレオン。お前のその性分は損なんじゃないかと私は思っていたのだ。その通りだったんだ。
うまいものを食べるというのは、生きる上での至高の快楽である。そう私は確信する。
他の名古屋飯を食べてもいいかもしれない。そう思う私、八雲紫の一日だった。
「えっ、これの寿司もあるの!?」
もうしばらくどん兵衛ばっかだから駅前の天むす買って来ます!
おもしろかったです!