Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

誰にも嫌われたい

2013/08/23 19:08:55
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 熱に浮かされた宴が終わった。霊夢は最後の酔っ払いが飛び立っていくのを見送ったあと、余韻を振り切ってそそくさと片付けを始めた。庭先にまで転がり落ちたとっくりや酒瓶、誰かが鼻をかんで捨てたチリ紙を拾い集めていく。霊夢は表情にうんざりした気持ちを隠しもしなかったが、どうせ、誰も見ていないのだ。
 手近な食器から集めて、台所で片っ端から洗った。そうしている間にも、頭では残り物の処理を考えて憂鬱になった。
 居間のほうから物音が聞こえてきた。霊夢は洗い物の手を止めずに耳をそばだてる。食器の打ち付ける、箸の動く音、畳みの上を歩き回る足音も聞こえてくる。こうした宴や祭りのあと、よく耳にするものだった。幻聴ではない。音の正体は分かっていた。今までは無視していたが今日は事情が違った。霊夢は紫と針妙丸とで話しあったことを思い出して、覚悟を決める。
 居間は普段は八畳間の霊夢の要塞だが、宴の際には襖を取り払って隣の寝室と合体させ、合計十六畳の広間にする。参加者が多いときには、神社の境内も開放するが、普通は母屋だけで事足りた。
 霊夢は廊下から硝子障子戸の隙間越しに居間を覗きこんでみた。聞こえてくるのは、恥知らずの残飯漁りの音だ。他人がねぶった箸を使い、他人がつばつけた残り物を口にしている。一つの皿を食べ終わると、次の皿を目指してどたどた歩く。犯人が居間の中央にやってきた。小さな二本角を頭に飾る少女は、霊夢の予想にぴったり当てはまっていた。
 霊夢は静かに戸を開いて居間に踏み込んだ。鬼人正邪はすぐに気付き、見開いた目で振り返ってきた。中腰からすぐに立ちあがると、箸を放りだして逃げ出そうとするが、霊夢はせっかく話をするつもりだったので逃がしたくなかった。
「ちょっとお話しましょう」
 やさしく語りかけると、正邪の動きが止まる。縁側から今にも飛び出しかけた彼女は、おずおずとこちらを見つめたが、近づいてはこなかった。そこで霊夢は近くに放り出されていた座布団に座り、正邪のぶんも引っ張って用意した。手招きをした。正邪は注意深げに近づいてくると、わざわざ座布団を離して距離をとってから、ようやく座った。
「何の用」
「あんた、宴には参加しないんだ」
「しないよ。誰だと思っているんだ」
 正邪はこれでどうだとでも言いたげに腕を組んで、鼻で笑った。霊夢は片手を頬に添えて彼女の一筋縄でないことを憂いる。天邪鬼とは、誰でもこんなものだろうか、と。
 今まで正邪が催しに顔を出したことはなかった。霊夢が知る限り、博麗神社で行われた催しにはすべて。だが催しの始まる前後、主催者にとって多忙で油断のならない期間に、彼女はたびたび訪れた。ひっそりと現れて、用意した食事や酒を盗んだりした。めぼしいものがあれば、手を出すこともあった。霊夢の場合はこんな経験がある。一時期神社で繰り返し上演していた能楽のあと、こころに報酬として渡す予定だった酒を奪われたのだ。心底困り、こころに頭を下げることとなった。彼女は気にしていない様子だったが、それなりに礼儀と儀式を重んじる霊夢からすれば手痛い失敗だ。
「ねえ、正邪」
「なんだ」
「あんたも宴に参加しなさい。こそこそするより楽しいわよ」
 露骨に嫌な顔をする正邪に、霊夢は負けまいとした。
「命令は聞きたくないかもしれないけど。ただ参加するだけでいいの。食べるのも呑むのも、そこでしなさい。盗み食いなんて、みっともない」
 正邪はむっつりと黙って睨みつけてくるばかりだ。あんまり敵意が過ぎる。思い通りにいかない説得が霊夢を苛立たせる。
 そんな折、正邪は急にニヤニヤしだした。その表情は警戒を呼び、次に何を言い出すのか霊夢に想像させてくれなかった。なので、次に口から出てきた言葉は意表を突いた。
「いいぞ。参加してやろうではないか。次の宴はいつだ」
 数日後、博麗神社で小さな宴を開くことになった。一から十まで霊夢が企画し、ごく些細な広報を行ったに過ぎなかったが、囃し物を好む妖怪がすぐ集まってくるのはいつものことだった。萃香などの顔なじみも寄ってきて、普段と変わらぬ賑やかさが期待できた。
 居間につどって杯を交わし始める妖怪たちをよそに、霊夢は庭先で空を見つめていた。じっとできないのは当然だ。なぜならこの宴は、公表こそしていないが正邪のために開いたもので、彼女がこなければ意味がない。正邪を見ておけと言っていた紫がどこかにいるかもしれないし。
 正邪はまだ来ていない。参加するといったのは嘘だったのだろうか、と霊夢は無闇に石ころを蹴飛ばした。
 縁側からふらふらと萃香が近づいてきた。この呑んだくれはすっかり赤らめた頬に笑顔を咲かせて、気のいい調子で話しかけてくる。
「呑まないの?」
 霊夢は萃香の低い頭を見下ろして、立派に突き出る二本角を眺めた。木彫り細工のように絶妙な皺が刻まれる重厚な姿は、そのまま萃香のふところ深さに繋がっている気がした。霊夢はとつぜん正邪にも角が生えていたことを思い出す。あの小さな角、あれが彼女のふところの度量を示しているとしたら、などと考えた。
「萃香は天邪鬼のこと、どう思う」
「ああん。ひねくれ者がどうしたって。霊夢は妖怪と付き合いがいいだろうけど、有無を言わさず札を張らなきゃいけないヤツもいるんだよ」
「鬼人正邪が今日の宴にくるはずなんだけど」
「え、来るの。ちょっと不味いんじゃないかな……」
 萃香が目を細めて思わせぶりな言葉を言ったとき、居間のほうからひときわ大きな物音がした。霊夢と萃香が振り返ると、さっきまで宴を満たしていた喧騒が鳴りをひそめて、みんな息を飲んでいる様子だった。遠目に何が起こっているのか確かめようとして、廊下と通じる戸のあたりに目が吸い寄せられる。そこに正邪が立っていた。恐らく台所の裏口から入ってきたのだろう。
 ようやく訪れた本命に霊夢は目を輝かせて、今にも走り出す勢いだった。萃香が腕をつかんで無言で止めてくるまでは。ものすごい剛腕に霊夢はのけぞり、振り返って睨みつけると、萃香は小さく首を振った。怪訝に思っていると、静まり返っていた参加者たちが険呑な言葉を吐きはじめた。
「なんであんたがいんの」
「酒が不味くなっちゃう、ひっこんでよ」
「天邪鬼、あんたの顔は覚えてるよ。ちょっと仕返しさせな」
 喧々囂々といったところか。割り込む隙のない非情の言葉の連続が居間を震わせた。霊夢があっけにとられて眺めている中、正邪は涼しい顔をしている。それどころか、嬉しそうにさえ見えるのだった。
「ならば追い出してみるがよい。酔っ払いなど恐るるに足らぬわ」
「なにを!」
 正邪の挑発にのって誰かが叫ぶと、腰を据えていた大勢が立ちあがってたちまち正邪が隠れてしまった。霊夢がアッと思っているうちに、弾幕の光が輝きはじめ、怒号とともに流れ弾が庭先に殺到しはじめる。霊夢と萃香はたまらず空に飛び上がった。
 容赦ない光の群れはしばらく縁側を彩り続けた。霊夢はもしかしたら止めに入らねばならないかもと、懐に手を突っ込んでいつでも札と針を取り出せるようにした。やがて雨が止むようにぽつぽつと弾幕が弱まってきて、最後にはひたりと収まった。
 妖怪たちが縁側から空にむかってぞろ移動をはじめ、霊夢と萃香のそばを横切っていく。服を多少汚していたり、まるで無傷だったりした。今の事件が嘘のようにカラッとした明るい調子で声をかけてくる。
「ごめん巫女さん。今日はお開きにさせてもらうよ」
「部屋が荒れちゃったけど許してね」
「二次会いくかい?」
 みんないなくなった。霊夢と萃香は庭に降り立ち、そこから居間の惨状に目を通す。皿や瓶が散らかり放題、もちろん食べ物に飲み物もだ。とはいえ、こんな荒事には霊夢とて慣れていた。問題なのはそこではない。
 壁の隅っこでは服をずたずたにして悪態をつく正邪がいた。少し顔色が悪い。彼女は霊夢が近づくと顔をあげて、にやりとする。
「どうだ。天邪鬼がくると、どんな宴でもこうなる」
 正邪はクスクス笑いながら立ちあがると、膳の上にあった未開封の酒瓶を持って、足早に縁側から去っていった。霊夢は声もかけられず背中を見送った。彼女がいなくなった後に。萃香は無事だった座席に戻って、呑気に酒を呑みはじめる。地酒を口に含む合間合間に、説教じみた言葉を投げかけてきた。
「妖怪に嫌われている妖怪だって少なくないよ。典型的なのは、天邪鬼ね」





 ある夜のこと、霊夢は噂をもとに里の酒場の一つに赴いた。暖簾をくぐって中に入ると、小さな店中では人間だけがひっそりと盛り上がっていた。そんな中にかすかな妖怪の気配を感じ取り、いちばん奥の座敷に向かった。
 奥の座敷には二人席を一人で使っている者がいた。角を隠すニットキャップをかぶり、村娘が着るような地味な着物を身にまとっているのは、誰あろう正邪だった。彼女はつまらなさそうに酌をしていたが、霊夢が近づくと頬づえをやめて鋭い目を向けてきた。霊夢は空いていた席にすわって正邪に話しかける。
「いつもここで呑んでるんだ」
「いつもは山にいる。本当に呑みたくなったときだけ」
 妖怪の入れる酒場を避けて、あえて人間だけが利用する酒場にくる妖怪とは奇妙なものだ。だが嫌われ者の正邪にとってこれが落ちつける場所だった。正邪が里の酒場に出没するという風の噂は本当だった。
 霊夢は少し黙ってから、心のうちを伝えることにした。
「ねえ、どうせ呑むなら私のところに来なさいよ」
 正邪の顔がゆがむ。そういう反応は重々承知の上だったが、やはり霊夢は内心でぎくりとした。あの宴の悲劇が頭に浮かぶ。
「晩酌に付き合ってよ。二人きりで呑むの」
「いやだ。なぜそのような面倒を」
「他の妖怪とは合わせないようにするわ。こそこそしなくていいのよ」
 霊夢は正邪の心をこちらに傾けようと注力した。最後まで正邪の表情はあまり変わらなかったが、説得を続けるにつれ神社に来てやってもいいと、譲歩の言葉を口にするくらいにはなった。霊夢は来てくれることを約束させ、念を押したあと、酒場を後にした。
 霊夢には正邪にずっと隠していることがある。針妙丸、紫との相談ごとは一言も正邪にむけて漏らしていない。三人で彼女を監視しておこうと取り決めたことだ。力の弱い妖怪とはいえ一度はレジスタンスを名乗った者だ、動きを知っておかなければならない。
 それはそれとして、と霊夢は思う。正邪のつむじ曲がりがこれで少しでも緩和されたらいいのだが。コソ泥のように催しに紛れこんだり、参加しても他の妖怪を煽ったり、やはりそんな姿を見せられるのは気分がよいものではなかった。せめて自分の目が届く範囲では気楽にやってほしかった。監視しろとは言われたが、その方法までは指示されていない。霊夢が正邪を宴や晩酌に誘ったのは、密かに案じていたからだ。
 翌日の夜中に、正邪はひょっこりと姿を現した。他人の家にも関わらず裏口から入ってくるのは気持ちが悪いが、霊夢はそのくらいは我慢することにした。ただ招待したその翌日に来るとは思っていなかったので、まだ晩酌の用意をしていなかった。霊夢は急いで二人分の用意をはじめたが、正邪は厭味ったらしくこう言った。
「なんだ。私が来ることを疑っていたのだな」
「そんなこと言わないで、座ってなさい」
 神社で作った地酒とかるい肴を膳に並べて居間に運ぶ。霊夢はいそいそとコップに酒を注いで正邪に手渡す。正邪はまるで毒でも警戒しているかのように恐る恐るそれを受け取って、匂いまで嗅ぐ始末だ。霊夢は苦笑いをした。
「あんた、なにそれ、命でも狙われてんの」
「好きにさせろ」
「遠慮しないでよ。ゆっくりしましょう」
 二人は呑んだ。じっくりと、静かに、誰にも邪魔されることなく酒で臓器を満たし、控えめに言葉を交わし合った。虫の音のほうがよく聞こえたほどだった。博麗神社の夜はいつも以上に悠々と過ぎていった。
 酒がなくなると、正邪はさっさと神社から帰っていった。帰る際にも逆鱗を撫でるような言葉を忘れることがなかったが、霊夢は自然と受け入れた。少しでも一緒に過ごせば、なんだかかわいらしく思えてきた。
 その帰り際に霊夢は忘れず話しかける。
「明日もきなさいよ」
 素直に言うことを聞いてくれたのか、翌日も正邪はやってきたので二人で夜を過ごした。何の進展もない夜のひとときに、霊夢はほのかな期待を抱いて尽くした。そして相手が感謝もせずに帰っていくとき、次も来てほしいと伝えるのを忘れなかった。
 次は少し間を開けて数日後にやってきた。この頃には霊夢は晩酌の用意を忘れずにして、文句を言わせないようにしていた。正邪のほうも突っかかれる粗がなくなったことで、すっかり黙ってしまった。そうやって一見無駄に思える時間が流れていった。
 霊夢はうまくいけそうな気がしてきた。このまま正邪と親しくなるのも悪くないかもしれない。有無を言わさずお札を張らなきゃいけない妖怪だと萃香は言っていたが、この正邪はどうだ。霊夢が注いだ酒を黙々と呑む正邪はどうだ。彼女だって、人並みの付き合いができるはずだ。
 今宵の晩酌は、霊夢は丸腰になった。誰かと呑むのに武装するなんて馬鹿げているかもしれないが、いつもそうしていた。今日はお札や退魔針を持たないかわりに、ちょっと高い酒を用意した。村人が奉納したもので、封を切ることはないと思われていた。
 夜が更け、居間に晩酌の準備を進める霊夢。奉納酒を膳に置くとワクワクしてきた。これを正邪が見たらどんな反応をするか考えてみた。悪態をつくのか、素直に受け止めるのか。どっちにしても微笑ましいではないか。
 待ち構えていると、裏口の戸が開く音が聞こえた。台所を越え、廊下をひたひた歩く音がし、居間を隔てる硝子障子戸が動いた。正邪は相変わらず快くなさそうな顔で居間に入り、用意されていた座布団に静かに腰を下ろした。視線がうごいて普段はそこにない酒瓶に注がれる。
「なにそれ」
「気付いた? これねえ、奉納酒なんだけど、もったいないから開けちゃうの」
 あえて正邪が来るまで未開封だった瓶の封を切り、コップに中身を注ぐ。透明な滴がなみなみとコップに満たされると、ほのかな香りが立ち昇る。正邪の目の色が少し変わり、そわそわして手を差し出してきた。この子でもこんな態度が取れるのかと、霊夢は笑顔でコップを渡してやった。霊夢が自分のぶんを注いでいる間に、正邪は顔をほころばせて、ちびちびと酒を減らしていった。
「うまいではないか」
「いいの作ってくれるわ」
「こんなよいものをタダで呑めるとは、羨ましいやつめ」
「もっとうまい酒をもらったことがあるわよ」
「へえ」
 会話は一度道が出来ると、なかなか止まらなくなる。
 いけるかもしれない。霊夢は会話の中、正邪がやっと浮かべてくれた純粋な笑顔をみてそう思った。せめて二人きりのときには楽にしてほしい。これで正邪の痛々しい姿を見なくて済む。それに、監視もできて自分が紫に怒られなくて済む。
 霊夢は用事のために正邪を一人のこして居間から出た。彼女の落ちついた笑顔を見るに、今日は素敵に最後を迎えることができそうだった。厠で用事を済ませて、裏口でふと立ち止まる。正邪の脱ぎ散らされた靴を、わざわざ整えた。そんなことをしたいほど、成功を確信していた。
 居間にもどった霊夢が見たのは、座布団の上でうなだれる正邪の姿だった。見ようによっては悪酔いした風だ。霊夢は不安になってそばに駆け寄る。
「具合わるいの?」
 正邪が顔を上げる。何とも言えない苦々しい顔、目を細めて歯を食いしばっている。その表情は肉体的苦痛からくるものではなく、精神的苦痛からくるものらしかった。何か気に障ることでもしたのだろうかと霊夢を焦らす。
「どうしたの」
「……ちがう」
「何が違うの。お酒のこと?」
「ダメだ」
「だから何がよ」
 正邪はわめき散らした。
「ダメだ、こんなに楽しくてはダメだ」
「なにがダメなのよ」
「うるさい!」
 正邪は立ちあがると霊夢を突き飛ばした。霊夢はよろけて膳を蹴飛ばし、畳みの上に尻もちをつく。そのうえ正邪は目の前で力を解き放った。空気がたちまち重苦しくなってくる。霊夢は危険を感じて退こうとしたが、うまくいかなかった。
 霊夢は出口のない壁にむかって走っていた。自分で気づいて方向を変えようとすると、足が目当ての方向に動かない。そうしているうちに視界がねじ曲がって畳と天井が逆転して、もうワケが分からなくなった。だが部屋中にふつふつと湧き始めた光弾はしっかりと意識することができる。正邪は部屋の中で暴れるつもりだ。霊夢はとっさに懐に腕をいれたが、何も道具を持っていないことを思い出した。デタラメな視界の中にあって何もできないというのは、彼女の危機感を一杯まで高めていく。逃げ出したかったがもう遅い。弾幕がうねりはじめたので、その場に屈みこんで身を守るしかなかった。
 正邪が下品な笑い声をたてはじめた。霊夢は容赦なく降り注いでくる弾幕に背中をひりひりさせながら、声を振り絞った。
「やめなさい。部屋の中よ!」
「こうだ。こうでないと。もっと嫌がれ」
「もう、やめてったら」
 どれだけ訴えかけても、正邪は笑い続けていた。無抵抗の者をなぶることにためらいがない。このままでは命の危険さえあるかもしれないと、霊夢をおののかせた。
 が、あるとき急に弾幕が収まり、彼女の笑い声もやんだ。霊夢が顔をあげてみると、正邪は縁側のほうをニヤニヤと睨みつけている。さて縁側には萃香が毅然として立っていた。間髪いれずに正邪の弾幕がまた閃き、規模が大きくなって霊夢はおろか萃香にまで狙いをつけた。
 萃香は仁王立って弾幕を受け止めた。まるで動じる様子がない。また空気が一段と重苦しくなってきて、霊夢は息がつまりそうになる。視界がひっくりかえるあの狂った感覚がまた近づいてくる。影響は萃香にも及んでいるはずだが、彼女は平気そうにずんずん正邪に近づいていった。
 萃香に触れていた弾幕がモヤのように霧散して、かえって正邪へ突撃しはじめる。これは正邪には予想できなかったようで、眼を見開いてそのまま諸に食らう。そうして身動きとれないところに萃香はあっさり迫り、彼女の胸倉をつかむと縁側に向かって投げ飛ばした。
 正邪は庭先の砂利に滑り落ちたあと、すぐさま飛び跳ねて天井より高く昇った。服を砂まみれにしながらも、楽しそうに笑みを浮かびてこう言うのだ。
「巫女も神社もボロボロにしてやったわ。ざまあみろ」
 ひときわ甲高い笑い声を夜空に木霊させながら、正邪は向こうの暗闇に消えていってしまった。萃香の手を借りて立ちあがった霊夢はすかさず正邪の行方を追ったが、既に遅く、ただ木霊の余韻だけが残っているに過ぎなかった。やがてそれも空に染みいり、かわって虫の音が鳴りはじめる。
 萃香は居間で膳を片付けながら、晴れやかな笑顔を霊夢にむけてきた。
「いや、災難。前の宴会であいつが来た時から、ちょっと危ないと思ってたんだけどね」
「萃香、こうなること知ってたの」
「いんや。けど、だって、あいつは誰かと楽しく過ごすってのが堪えられない。そういう妖怪なの」
 霊夢は自分のボロボロになった服を見た。調子の悪いときに弾幕ごっこをしたときより、もっと酷いやられ方をしている。正邪の笑い声がいつまでも耳の奥に残って消えない。あれは心底から吹きだす真の喜色を孕んでいたが、それは霊夢にとって計り知れないショックだった。彼女は霊夢と酒を酌み交わすよりも、霊夢を拒絶するほうに恍惚を覚えていたのだ。
 霊夢はそれから数日、晩酌の用意をして夜を待ったが、正邪のかわりに萃香が訪れるようになった。正邪は晩酌どころか、宴の前後にも顔を出さなくなった。逆さ城の後のように、しばらく行方が知れなかった。おかげで紫がちょっと不満を漏らしてきたが、霊夢は上の空で聞いたものだった。
 それからある日、里で行われた祭りで揉め事が起きたという話を小耳にはさんだ。人間同士のいさかいで、片方の所在はハッキリしているが、もう片方はそれっきり分からない。ただニットキャップを被って地味な着物を身に着けていたという目撃情報だけだった。
正邪の「人を喜ばせると自己嫌悪する」という性格に触発されて書きました。
萃香、というか鬼と絡ませるのも悪くないかなあと書いてて気付く。
今野
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
かわいいな正邪。
天邪鬼の性質を、捨てるわけにはいきませんものね。
そして萃香さん頼もしい。
2.名前が無い程度の能力削除
天邪鬼という存在は、不思議な歪みと淋しさに満ちていますね
自分が幸福でいることに感覚として耐えられない
3.奇声を発する程度の能力削除
良いですね
面白かったです
4.名前が無い程度の能力削除
これはすごく、いいものですね
5.名前が無い程度の能力削除
なんて難儀な妖怪なんだ…。辛いけどかなりありえそうな話で、良い二次創作だったと思います。
6.名前が無い程度の能力削除
やっぱそうなっちゃうよなあ。性格的な問題じゃなくて性質だけになあ
7.名前が無い程度の能力削除
今になってこの作品を読んだことにちょっぴり後悔。
もっと早くに読んでおきたいくらいに惹かれました。
8.ばかのひ削除
いい正邪でした すごく面白かったです