※本作品は他所で過去に公開していたものを加筆・修正したものです。
――そこにはバナナの皮が落ちていた。
それは決して特別なものなどではありはしない、ただの生ゴミだった。そんなものがゴミ箱にも入れられず、ただ床に落ちていること自体が珍しい光景だといえなくもない。しかし、ことこの場所に限ればそれこそが普通の光景といえた。
そこにはバナナの皮に限らず、様々なものが雑然と散らかっていた。どれが必要なもので、どれがゴミなのか。はたから見てもそれを見分けることは困難だった。おそらくそれを見分けることが可能なのは、ここの家主である霧雨魔理沙(きりさめまりさ)以外にはいないだろう。
しかしその魔理沙とはいえ、この部屋のどこに必要なものがあるのかを完全には把握していないに違いない。
「まるで局所的に台風でも通ったみたいだぜ」
その局所的な台風である魔理沙は、なんとなしにそんな独り言を呟く。
そして、どうにかしてこの部屋を「地道に片付ける以外」の方法で綺麗に出来ないだろうかと、そんな都合のいいことを考えた。
といっても、すでに何度もその試みは失敗していた。家を片付ける魔法の研究をした結果として以前よりもさらに散らかしてしまう、などということはそれこそ日常茶飯事だった。
魔理沙は基本的に物を破壊する魔法が得意である。それは言い換えれば、基本的に物を壊すことしか出来ないということでもあった。
つまり必要なものとゴミを分別して、部屋を片付けるというような繊細な魔法は苦手であり、どれだけ研究しても未だに上手くいった試しはなかった。
あまりにも上手くいかないため、いっそのこと家ごと吹っ飛ばしてしまおうかと、そんな物騒なことを考えたこともあるほどだった。
「なんというか、細々としたことは性に合わないんだよな。もっとこう、バーンとダイナミックで画期的な方法じゃないと――」
そんなことを言いながら、魔理沙は部屋を片付ける魔法のアイディアを考える。
そうして魔理沙は椅子に座りながら、しばらく考えていた。その時間を片付けに充てれば、おそらくはそれなりに片付いたであろうが、今の魔理沙には地道に片付けるという発想自体がそもそもない。
しかしそうして考えた甲斐があってか、魔理沙の表情は突然ぱっと明るくなった。
「そうだ、この部屋自体の時間を散らかる前まで戻せばいいんだぜ!」
椅子から跳ぶように立ち上がった魔理沙はそう言うが早いか、次の瞬間には資料になる魔導書を探すために部屋の中を物色しはじめた。
「お、こんなところにあったぜ」
魔理沙は部屋を散らかしながら、なんとか目的の魔導書を見つけ出した。それは時間に纏わる魔法を扱った魔導書だった。
そして魔理沙はその魔導書を両手で胸に抱えたまま、決定的な一歩を踏み出した。
――そこにはバナナの皮が落ちていた。
そして魔理沙は《滑った》のである。
「痛っ……誰だよ、こんなところにバナナの皮を置いたのは、ってあれ?」
地面に倒れていた魔理沙は上体を起こし、その周囲を見回したところで異変に気付いた。
「なんだこりゃ?」
周囲を見渡せば、そこにあるのはどこかで見たような草原だった。
見覚えがあるといえばあるが、どこか違うといわれればそんな気もするというような、小さな違和感がそこにはあった。
「よく見れば知っている光景な気もするが……それ以前に、どうして私は外にいるんだぜ?」
他の何よりもまず、魔理沙の一番の疑問はそこにあった。
魔理沙は床に落ちていたバナナの皮で滑ったことを覚えている。
そしてその直前までは、確かに自分の部屋にいたことも覚えていた。
それなのにどうして。
どうして周囲の光景が一瞬で草原に変わってしまったのだろうか。
魔理沙はそのことを考えずにはいられなかった。
・パターンA:滑った拍子にびっくりして魔法が暴発、家や魔法の森もろとも消滅した。
「いや、さすがにそんな馬鹿なことがあるはずもないぜ」
魔理沙は即座にその仮説を破棄した。さすがの魔理沙とはいえど、そこまでの大破壊魔法は扱えるものではない。それにそもそも周囲の草原には、そういった破壊の痕跡はなかったのだ。
・パターンB:滑った拍子に頭を強く打ち、今は夢の中にいる。
魔理沙はその仮説を確かめるために、思いきり自身の頬をつねった。
「いひゃいぜ」
魔理沙はつねった頬に明晰な痛みを感じた。つまり、おそらく夢ではないのだろう。
「とすると、やっぱりあの魔導書が原因か?」
あの魔導書とは、魔理沙がバナナの皮で滑ったときに抱えていたものである。
その魔導書は時間に纏わる魔法を扱ったマジックアイテムだが、魔理沙がそれを以前軽く読んだときの記憶では、時間と空間には密接な関係があると書かれていた。
そこから魔理沙は一つの仮説を導き出した。
・パターンC:滑った拍子に魔法が暴発して空間が歪み、どこか見覚えのある草原に吹っ飛ばされた。
「これが一番ありそうな気がするぜ」
手元に今魔導書がない理由として、魔理沙だけが吹っ飛んでしまったと考えれば、その辻褄も合うだろう。
「ちょっと部屋を片付けようと思っただけなのに、ついてないぜ。全く、殊勝なことは考えるものじゃないな。……家のものが無事だといいけどな」
魔理沙には蒐集癖があるので、当然あの家には魔理沙にとって大切なものがたくさんある。だからこそ今の魔理沙にとっての心配事はそこだった。
けれど魔理沙はまだ気付いてはいなかった。
自身に迫っている危機には、まだ気付くことが出来ないでいた。
とりあえず魔理沙は遠くに見える山の位置などから、今いる場所のおよその位置を割り出した。そして大体の方角を見定めてから、迷わず空を飛んで家を目指した。
そしてその最中に人間の里の上空へと差し掛かった辺りで、その違和感に気付いた。
最初は気のせいかとも思ったが、確かめるために地上に降りたことでその違和感はより強くなっていった。
「……何だこりゃ?」
そこは確かに人間の里だった。妖怪の脅威に怯えながらも、日々のささやかな平和を享受する。そんな人間たちが生きる場所。それは魔理沙の良く知るものと何ら違いはなかった。
それでも、確かに違っていた。確実な差異が、そこにはあった。どこまでも正確に、間違っていた。
それでも現状を理解することは、今の魔理沙には困難だった。
違うことは分かる。けれど一体どこが違うのかと言われると、口をつぐむほかない。
そんな魔理沙に、今おかれている状況を理解させたのは一人の少女である。
その少女は全速力で走りながら、立ち尽くす魔理沙の背中に衝突した。
「うぉわ!」
その不意打ちに魔理沙は素っ頓狂な声をあげながら転倒し、地面に顔面を強打した。
「……うぅ、痛いぜ」
「痛いのはこっちの方よ! 全く、ちゃんと後ろを見て立ちなさいよ!」
地面に倒れ伏す魔理沙の背中に、そんな無茶苦茶な言葉が投げかけられる。それは鈴が鳴るように高く、そしてどこか幼い声だった。
魔理沙はその相手の喧嘩腰の態度に腹を立て、相手の方に向き直りながら口を開く。
「な、そっちからぶつかって来ておいて何言って……って、お前は――」
その顔には見覚えがあった。さらりと伸びた青い髪とその強気な瞳。何故かいつも被っているはずの桃をいくつか載せた特徴的な黒い帽子は被っていなかったが、その人物は間違いなく――。
「――比那名居天子(ひなないてんし)!」
魔理沙はよく知るその天人の名前を大声で叫んだ。
けれど、目の前の人物の反応は魔理沙の予想とは異なっていた。
「何、天子って誰よ。私は地子(ちこ)。比那名居地子――それが私の名前よ」
「あ、何、地子?」
「そうよ、何、文句でもあるの?」
「いや、ぶつかってきたことには当然文句があるんだが……」
それよりも魔理沙が気になるのは、少女が名乗った《地子》という名前。もう一度よく目の前の少女を観察した。するとある違和感に気付いた。
その違和感を確かめるために、地面に倒れたままだった魔理沙は立ち上がった。
そして、魔理沙は先ほど覚えた違和感の正体に気付いた。
「あれ、天子……お前そんなにチビだったか?」
「だから地子だって言ってるでしょ! それと今チビって言ったわね!」
そういって可愛らしく怒る天子もとい地子は、確かにどうみても五、六歳くらいの身長しかなかった。決して身長は高いほうではない魔理沙から見ても、その身長はかなり低いと言えた。
(地子……そういえば天子が天人になる前はそんな名前だったとか言ってたか?)
実際魔理沙はうろ覚えだったが、その少女は小さいとはいえ、間違いなく比那名居天子だという確信があった。
問題は、どうしてその天子が小さいのかということだった。
その問題を解決すべく、魔理沙は冷静に、論理的に、矛盾を孕む要因を一つずつ除外し、排斥していく。
そして一つの合理的な、しかしどうにも荒唐無稽でにわかには信じられないような答えにたどり着いた。
「まさか……そんな馬鹿なことがあるのか……?」
「何一人でぶつぶつ言ってるのよ、変なの」
天子のそんな憎まれ口も、今は魔理沙の耳に届くこともなかった。
魔理沙は気付いたのだ。
今の自分が、一体どういう状況に巻き込まれているのかに気付いた。
それがどれほどに信じられないことであっても、目の前にいる地子と名乗る小さな《比那名居天子》の存在が、何よりも雄弁に真実を語っていた。
魔理沙はバナナの皮で滑った。ただ滑っただけだと、そう思っていた。
滑るにしても、まさか《タイムスリップ》までしてしまうなんて、そんなことは考えていなかった。しかしそれこそが真実だった。
魔理沙は確かに、タイムスリップしてしまっていたのだ。
かごめかごめ
籠のなかの鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ?
目をふさいだ状態で天子のその歌を聴きながら、魔理沙はその歌の意味を考えていた。
夜が明けたのに晩というのは明らかにおかしい。そして何より突然出てくる鶴と亀も不自然だった。鶴は千年、亀は万年とは言うけれど、鶴も亀も実際はそんなに長生きではない。だがしかし、その鶴と亀が《滑った》というのなら、もしかしたらこの歌の意味は千年や万年の時間をタイムスリップしたということに――。
(絶対になるわけないぜ!)
そして魔理沙はその無意味な思考を中断した。というよりも、歌の意味を考えるというのはそういう意味ではなかったはずなのだ。
考えるべきだったのは、どうしてその歌が今歌われているのか――。
「って、ちょっと待てよ。二人で《かごめかごめ》なんて出来るわけがないだろ」
魔理沙は思わず抗議の声をあげた。天子に言われるがまま、目をふさいでしゃがみ込んでいたが、まさか《かごめかごめ》が始まるとは思ってもいなかった。
「えー、せっかく出来ると思ったのに」
天子は口を尖らせてすねるようにした。とはいっても、かごめかごめはそもそも二人で出来るような遊びではないことは天子も理解していたらしく、おとなしく引き下がった。
「こういう遊びはもっと多人数でやるものなんだぜ? どうせやるならお前の友達とかも呼んでからやろうぜ」
「……いないもん」
「は?」
「……友達なんて、いないもん!」
そういって天子はどこへとなく、逃げるかのように走り出した。
「お、おい! ちょっと待てって」
「きゃっ――」
即座に追いついた魔理沙の両手が天子を捕まえ、そして軽く抱え上げた。
天子はふいにその足が地に着かなくなったことに驚き、その脚をバタバタと動かして暴れた。
「お、おい、危ないから暴れるなって」
「やだー、はなして!」
魔理沙はそういったがしかし天子は暴れることをやめず、魔理沙の脚やスカートを何度も蹴飛ばした。そうしているうちに天子の蹴りが、魔理沙のスカートに仕込んである魔法のキノコに命中した。
スカートから転げ落ちたそのキノコを見て、魔理沙の顔は瞬時に青ざめた。
「げっ、やば――」
そう魔理沙が言い終わる前に――キノコは爆発した。
「けほっ、けほっ、やっぱり今日はついてないぜ……」
魔理沙はそう呟いたが、一方で天子は突然の爆発に驚いてか、言葉を失ったかのように黙り込んでいた。
「おい、大丈夫か?」
様子を窺うように天子の顔を覗き込む魔理沙。しかし次の瞬間、天子は――。
「――あは、あはははは」
――笑い出した。
「……?」
その反応は魔理沙の想定外だった。当然ながら爆発したキノコには笑い茸の成分は入っていない。だからこそ魔理沙には天子がどうして笑っているのかが分からなかった。
「なあ、一体何がおかしいんだぜ?」
「だって、お姉ちゃん、変な顔!」
天子は魔理沙の顔を指差すと、また大声で笑い出した。
そして気付いた。先ほどの爆発のせいで、きっと魔理沙の顔はすすだらけなのだろう。
それは鏡を見なくても分かった。
魔理沙の顔を笑っている天子の顔も、すすだらけなのだから。
「お前の顔だって、酷いじゃないか」
そういって魔理沙も笑った。
そうしてしばらく二人で笑っていただろう。
その後に先に口を開いたのは天子だった。
「ねえ、お姉ちゃん――」
天子は魔理沙の名前を知らないため、魔理沙をそう呼んだ。
「私のことは魔理沙って呼んでくれていいぜ。変わりに私はお前のことを天子と呼ぶけどな」
「魔理沙? それはいいけど、でも天子って何? 私の名前は――」
「地子だろ? それは知ってるぜ。だから天子っていうのはニックネームみたいなものだ」
「ニックネーム?」
「そう。仲の良い者が呼ぶ、特別な名前だぜ?」
魔理沙の言葉は確かに嘘ではないが、それは嘘みたいなものだった。
「仲の良い……わかったわ、魔理沙。私のことは天子って呼んでいいよ」
そういって天子がどこか照れくさそうに笑ったので、魔理沙もその頬を掻きながら笑った。
「それで天子。お前、どうして友達がいないんだぜ?」
普通ならば訊きづらいことだが、そんなことはお構いなしの魔理沙だった。
「知らない。……でも、私が比那名居家っていう変わった家に生まれたから。みんなとはちょっと違うから、だから仲間外れにされるんだと思う」
「……なるほどな」
天子の話を聞いて、魔理沙は大体の状況を理解した。
普通とは少しだけ違う。少しだけとはいえ、確かに違う。
違うということは、怖いことだと魔理沙は思う。
違うことは怖い。違うものは恐い。誰だって自分とは違う存在、普段とは異なる状況には、それなりの恐怖を感じることだろう。
自分と違う価値観で生きる存在とは、おそらく友達にはなれないだろう。相手と価値観が同一である必要はないが、互いの価値観を理解し、尊重し、共有することが出来なければ、その相手はただの恐怖の対象でしかない。
怖いからこそ、排斥する。それこそが仲間外れの最たる原因だった。
だからこそ、魔理沙は尋ねる。
「天子は、自分はみんなと何が違うって思うんだ?」
「……そんなの分からないわ」
「……そうか」
――それならよかったと、魔理沙は思った。
自分はみんなと同じだと、そう天子自身が思っているのなら、あとの話は簡単なのだから。
「だったら、早速行くとするか」
「行くって、何しに?」
「そんなの決まってるだろ? ……友達を作りに行くんだぜ」
「ねえ魔理沙……やっぱりやめようよ。叱られちゃうよ」
それを聞いた魔理沙はこの素直な子供が将来、あの天子になってしまうのだと思うと苦笑するしかなかった。
「別にいいじゃないか。叱ってくれる人がいるうちは、どんどんいたずらをすればいいんだぜ? そしていたずらは、派手であれば派手であるほどいいんだぜ!」
そういって魔理沙は楽しそうに笑った。
「よし、それじゃあ言ったとおりに……さあ行ってくるんだぜ!」
「もう、知らないから!」
そう言い残して天子は、広場でかごめかごめをして遊ぶ里の子供たち目掛けて走り出した。そしてすぐにその足音に気付いた子供たちの注意が天子に集まる。それを確認した天子は大声で言った。
「みんな! 悪い魔法使いが追いかけてくるから逃げて!」
それを聞いた子供たちの反応は様々だった。
「うわ、比那名居の娘がこっちに来るぞ! しかも何かよく分からないことを言ってる!」
「ああ、悪い魔法使いが追ってくるとか何とか」
「馬鹿ね、悪い魔法使いなんて里に来るわけないじゃない」
「本当にね。私は魔法使いってみんな家にずっと引きこもってる根暗って聞いたわ」
「じゃああれは比那名居の娘の嘘か?」
「そうよ。絶対そうに決まって――」
騒がしくなった子供たちが対応を決めかねている今が好機と思った魔理沙は、即座に物陰から飛び出した。
「オッス、オラ悪い魔法使いの魔理沙だぜ、よろしくな!」
「………………」
「………………」
――そして場の空気は凍りついた。
「だから言ったじゃない、上手くいきっこないって! それにどうしてくれるのよ、魔理沙の作戦のせいで私が嘘つきってことになっちゃったじゃない!」
まくし立てるように怒鳴る小さな天子に、魔理沙はただ謝るしかなかった。
「だから悪かったって言ってるじゃないか。悪い魔法使いっていうのがどんなのか思いつかなかったんだから」
「だからってどうして『オッス、オラ悪い魔法使い』なのよ! もっとこうあるでしょ、『泣く子はいねーかー』とか」
「それじゃあただの《なまはげ》だぜ」
魔理沙は冷静につっこんだ。それでも「うー」と唸りながら、なおも恨みがましい目で見てくる天子から目を逸らすようにして魔理沙は続けた。
「まあとにかく、一つ目の作戦は失敗してしまったわけだが、ちゃんと次の作戦は考えてあるぜ」
「えー、まだやるのー?」
「なんだよ、天子は一回失敗したくらいで諦めるのか?」
「別に、そういうわけじゃないけど――」
――上手くいく気がしないとは、さすがの天子も言えなかった。
そしてどうせ上手くいかないのなら、やらない方が良いとも天子は思っていた。
しかし魔理沙はその天子の心を見抜いた。天子の不安を見抜いた。
――友達は欲しい。けれど、これ以上嫌われることは何よりも怖い。
「あのな、最初から負けない強さなんて誰も持ってないんだぜ? だから本当の強さというものは、何回負けてもまた立ち上がることを言うんだ。なあ天子。お前は弱いのか? それとも強いのか?」
「……そんなの分かんない」
「そうかもな。じゃあ別の話にするぜ。……一歩目を踏み出すのは簡単なようで難しい。――だからって立ち止まっていても、何も変わらないぜ?」
「………………」
「仲間に入れてもらう努力もしないで、いつの日か勝手に仲間に入れてもらえるなんて、そんなことはまずありえない。もしそんなことを考えているのだとしたら、言うことは一つ――甘えるなよ?」
びくりと、心臓の跳ねる音が聞こえた。
「……どうして、そんなこと言うの?」
「ん、別に大した意味はないぜ? ただ私は、欲しいものは何としてでも欲しいと思う奴が好きだって話さ。何事も簡単に諦めるような奴は、少なくとも私の友達にはいないからな」
――それは未来の天子だって同じだと、そこまでは魔理沙も言わなかった。
「……私は、どうすればいいの?」
「何、そんなの簡単じゃないか……作戦を続行するんだぜ」
「……うん、わかった!」
そうして魔理沙は純粋な幼き天子を、上手く口車に乗せたのであった。
「あ、悪い魔法使いの魔理沙だ」
「本当だ。比那名居の娘も一緒にいるぞ」
先ほどと同じ広場に集まる子供たちがそんな声をあげた。それを見て魔理沙は好都合だと思い、そして口を開いた。
「よしお前ら、集合だぜ!」
「………………?」
しかし子供たちが動き出す気配はなかった。この変な魔法使いは一体何を言っているのだろうかと、そんな目で魔理沙をただ見るだけだった。
「魔理沙の馬鹿、そんなので集まるわけがないじゃない」
小声で天子が指摘した。確かに魔理沙の言うことを聞く理由は、少なくとも子供たちにはないだろう。
「よし、プランBだぜ。……うわー危なーい、キノコ爆弾だぜー」
そう棒読みで言った魔理沙は大きく振りかぶって、キノコ爆弾と名付けられた物騒な代物をいくつも子供たちの向こう側へと投げつけた。
そして放物線を描くキノコを見て、子供たちは――。
「爆弾って、何?」
「えっ?」
子供たちが爆弾を知らないとは魔理沙も思っていなかった。
「いや、ほら爆弾っていうのはこう、ドカーンと爆発するから危ないんだぜ。だからお前たちはこっちに逃げてこいって――」
(――じゃないと爆弾から逃げてくる子供たちを一人残らず捕まえて天子との話し合いの場を持たせる、という完璧な作戦が台無しだぜ)
「でも、キノコだし」
「だって、キノコだもん」
「ほら、ただキノコじゃん」
魔理沙が注意喚起したにもかかわらず、好奇心旺盛な一人の男の子がキノコ爆弾を拾ってきてしまった。
「って馬鹿っ、それを早く遠くに投げるんだ!」
魔理沙の鬼気迫る声色に気圧されてか、本来は言うことを聞くはずのない子供も素直に魔理沙の指示に従った。が、しかし――。
「――だからってこっちに投げるな!」
――そしてキノコは爆発した。
「ははは、傑作だったぜ」
「全然傑作じゃない! 魔理沙のせいで今度は『すすおんな』っていうありがたくないあだ名をつけられちゃったじゃない!」
「ははは。良いじゃないか、すすおんな」
「全然良くない!」
そのやり取りからも分かるように、またも魔理沙の作戦は失敗に終わった。
「もう、魔理沙の作戦は詰めが甘いどころか最初から穴だらけじゃない。こうなったら次は私が作戦を考えるわ。魔理沙もそれで文句ないでしょ?」
「ああ、別に構わないぜ?」
「よし。それじゃあ凄い作戦を考えちゃうんだから。それで、絶対にあいつらを友達にしてやる!」
(友達にしてやるって……まあいいか)
何にしても今の天子の傾向は、魔理沙の目から見れば最初と比べて随分と良くなったと思うのだった。でもそれはただそれだけの話でしかない。
「……それにしても、上手くいかないものだぜ」
若干疲れた顔をした魔理沙がそう言った。あれから何度となく作戦を決行してはその全てが失敗に終わっていた。
ただ魔理沙が疲れているのは天子の立てた、どうやって友達を作るつもりなのかがよく分からない不思議な作戦を何度も行った結果だった。特に「ヒャッハー! 魔理沙様のお通りだぜぇ!」と言いながら箒に乗って暴走を繰り返すだけの作戦に一体どんな意味があったのか、それは今でも分からないのであった。
「全く、これだけやっているのにどうして友達になってくれないのかしら?」
一方で小さな天子はそんなことを真剣に考えていた。しかしその顔に悲壮感は全くなく、むしろ次はどんな作戦を行おうかと、それ自体を楽しみにしているかのようだった。
そんな天子を見て、魔理沙は少し心配になった。そのうち友達が出来なくてもいいと天子が思ってしまうのではないか。天子はこの現状を楽しんでいて、そして楽しいのだから現状のままでも構わないと、そう考えてしまうのではないか。魔理沙にはそんな不安があった。
しかしそれ以上に、天子と関係のないところで魔理沙の不安はどんどんと大きくなっていた。
「ねえ魔理沙、次の作戦は――」
「悪い天子。……もう作戦は終わりにするか」
「え?」
「だから、次の作戦で最後にしようって言ったんだぜ」
「でも、また上手くいかなかったら……」
天子はそういって不安そうな目で魔理沙を見た。
「上手くいくかどうかは天子次第だ。天子が自分に素直になって、難しいけどその一歩目を踏み出すことが出来れば絶対に上手くいく。そのきっかけは私が作るから、だからこれで作戦は最後にしようぜ?」
いつになく真面目な魔理沙の表情を見て、どうしてか天子は魔理沙がどこか遠くへと行ってしまうような気がしてしまった。けれど、魔理沙が自分のためにそこまで言ってくれるのであれば、その作戦は失敗させるわけにはいかないと天子は思った。
それが魔理沙の言うとおり最後の作戦であるのなら、最後くらいは絶対に成功させる。
天子はそんな決意を胸に、だからこそ真っ直ぐと魔理沙の目を見て言う。
「うん。絶対に成功させようね、魔理沙」
天子は走っていた。
時間が無かったのだ。すでに日は落ちかかっていた。もう少ししたら里の子供たちはみんな家に帰ってしまうだろう。もしかしたらもう帰ろうとしているかもしれない。
――間に合え。
天子は祈るようにして走った。
最後の作戦を天子に伝える前に、魔理沙は言っていた。
――友達っていうのは、やっぱりなろうと思って無理矢理なるものじゃないんだ。
――楽しいこととか、悲しいこととか、興奮することとかってあるだろ。
――そういう感情をさ、何かの出来事をきっかけに共有するんだ。
――そうした後、気付いた時には友達になっているものだと思うんだぜ。
それはもしかしたら、魔理沙の言うとおりなのかもしれない。
けれど仲間外れにされて誰とも一緒にいることさえ出来なかった天子には、そんな感情を里の子供たちと共有する機会なんてなかった。
――だからその機会を、私が作ってやる。
魔理沙は自信満々に笑いながらそういった。
そして作戦の内容をたった一言――。
――この夜空にでっかくて派手な花を、いっぱい咲かせてやろうじゃないか。
どうやってそんなことをするのかまでは魔理沙も言わなかった。それまでの魔理沙を見ていれば、そんな途方も無い作戦が成功するようには、とてもじゃないが天子には思えなかった。しかし、それを言ったときの魔理沙は――。
「――かっこよかった」
そのときの魔理沙は、何か凄いことをやってくれそうな気がした。そんな期待感がどこからともなく湧き出ていた。
そして天子にとってはそれだけで魔理沙を信用するには充分だった。
「上手くいったら魔理沙のおかげ。そして――失敗したら私のせいだ」
本来は何の関係もないはずの天子と魔理沙。その魔理沙がどうして天子のために協力してくれるのかは分からなかった。それが天子の嫌う同情心からくるものかもしれないし、また別の意図があってのものかもしれない。
でもそれが、例えどんなものでももう構わなかった。すでに天子は魔理沙を信じると決めたのだ。そしてこの作戦を絶対に成功させると決心したのだから。
だからこそ天子は、そのたった一つの目的のために――走っていた。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね、もう暗くなったし」
天子が広場に着いたときには、子供たちはそんな話をしていた。
迷わず天子は口を開いた。
「みんな待って!」
「……? なんだよ、また比那名居の娘かよ」
「待てって言われても、そろそろ家に帰らないと親に叱られるんだけど」
「でも、もうすぐ空に大きな花が咲くの!」
「空に、花?」
「それもまた嘘? もういい加減飽きたんだけど」
子供たちは天子の言葉を全く信じてはいなかった。それは仕方のないことだった。
今までの天子だったら、自分の言っていることが真実であってもここで引き下がっただろう。けれど、今の天子は違った。
ここで引き下がることは確かに簡単だ。
――だからって立ち止まっていても、何も変わらないぜ?
魔理沙のその言葉が聞こえた気がした。
(そうだ、ここで引き下がったら何も変わらない)
そう思ったからこそ天子は――
――簡単なようで難しいその一歩を、今確かに踏み出した。
「私は嘘なんかつかない! ただみんなと一緒にそれが見たいだけなの!」
天子は心からそう思い、そしてその思いを真っ直ぐにぶつけた。
そしてその心は、確かに子供たちに届いたのであった。
「な、なんだよ……まあそこまで言うなら、ちょっとくらいなら待ってもいいけど、なあ?」
「まあ、お前がそう言うなら」
「それに帰るのが遅くて怒られるのはいつものことだしな」
子供たちはまだ帰らなくてもいいという様々な理由を無理矢理につけた。
それを聞いて天子は思った。
(素直になれないのは、私だけじゃないんだ)
だからまずは自分が素直になる番だと、そう思うことにした。
「みんな、ありがとう!」
そして――
――空に、大きな花が咲いた。
「いっけー、キノコ花火with魔符『スターダストレヴァリエ』!」
魔理沙の掛け声と共に、またも夜空に大きな花が咲いた。
空に咲く花の正体。それは魔法のキノコで作った花火と、美しいスペルカードとが融合したものだった。
かれこれ十数分の間、魔理沙は里の外れの小さな丘でこうして空に花を咲かせていた。
「あー、あの時かっこつけてないでいつ終わるかちゃんと天子に言っておくんだったぜ」
それは今更言っても仕方ないことではあったが正直な話、魔理沙はやめどきを見失っていた。
「まああの天子のことだから多分もう上手くやっただろうし、そろそろフィナーレといくか」
そう独り言をつぶやきながら、魔理沙は空高く飛翔した。
そしてスカートからありったけのキノコを取り出し、それを全部まとめて天高く放り投げた。
「よーし、いくぜ! マスタースパーク!」
魔理沙お得意の大火力のスペルカード。それを放り投げたキノコ目掛けて、上向きに全力で放った。
そして空中のキノコは一つも残すことなく撃ちぬかれて、その全てが同時に、夜空に大輪の花を咲かせた。
その後しばらくしてから、天子が魔理沙目掛けて手を振りながら走ってきた。
その晴れやかな天子の顔を見て、魔理沙は作戦が成功したことを理解した。
「魔理沙、凄かったよ! みんなも凄く綺麗だって褒めてたもん!」
天子は興奮した様子で嬉しそうにそう語った。
「そうか、それは何よりだぜ」
魔理沙も笑顔でそう答えた。
その魔理沙のどこか不自然な笑顔を見て、天子は何を思っただろう。
「ねえ、魔理沙」
「ん、どうした?」
「……ううん、今日はありがとうね」
「別にお礼を言われるようなことは何もやってないぜ?」
魔理沙はそういった。そしてそれは謙遜などではなく、確かな事実であるのだ。
そしてそれはどうしてだろうか、幼い天子にもはっきりと伝わっていた。
「……やっぱり魔理沙は、私と友達にはなってくれないんだね」
だから天子はそんなことを言った。それは魔理沙の心を見透かされたのだとしか考えられなかった。
「……やっぱり分かったのか」
「どうしてか、訊いてもいい?」
天子は無表情でそういった。それは全てを知る覚悟をした表情だと魔理沙は思った。
「そうだな……。多分信じないと思うけど、私はこの時代の人間じゃないんだよ。今のこの時代から、ずっとずっと未来からきただけの、言ってしまえば完全な部外者なんだ」
天子の覚悟を目の当たりにした魔理沙は、だから全てを明かすことにした。天子の表情が変わらないことを確認してから、魔理沙は続ける。
「最初はただ事故でちょっと遠くに吹っ飛んだだけだと思ってたんだ。だから安心していた。安心しきっていたんだぜ? だってただ真っ直ぐ家に向かって空を飛んでいれば、すぐに着くはずの距離だったんだからさ。でも、違ったんだ。この里の風景を見て気づいたんだ。ここは私の知っている人間の里じゃない。そこに現れたのが天子、お前だよ」
「………………」
「私はお前のことを良く知っている。だから分かったんだ。ここは私の知っている世界じゃない、私の知っている時代とは違うんだ、ってな。お前から見たらそうは思えなかったかも知れないけど、これでも私は不安だったんだぜ? だってどうすれば元の時代に帰ることが出来るのか、全く分からないんだからな」
ここまでは天子にとって、それほど聞くのに覚悟が必要な内容ではなかった。確かに衝撃的で信じがたい内容ではあったが、ただそれだけの話だった。
しかし、ここから先はそうではない。
魔理沙は一呼吸置いてから、一旦目を伏せる。そして再び天子のその強い意志を秘めた瞳を真っ直ぐに見据え、真実を告げる覚悟をした。
――天子を傷つける覚悟をした。
「私はお前を見て不安になった。そのことで頭がいっぱいだった。精一杯強がろうとしたけど、本当にそれで精一杯だったんだ。……いや、それは言い訳だな。すでにその覚悟をしているお前には正直に話すよ。……だから本当に、私は最初から、お前のことなんてどうでもよかったんだ」
――お前のことなんてどうでもよかったんだ。
魔理沙は確かにそう言った。
「お前に友達が出来ようが出来まいが、本当に心底どうでもよかった。それはお前のことを考えてやる余裕がなかったとか、そんなことは一切関係なくだぜ? だって、私にとってはここでの出来事は遥か昔に、とっくに終わっていることなんだからさ。……だから私にとって重要だったのは、このどうしようもない不安を紛らわすことが出来るかどうかだけだったんだ」
――だからこそ、それに利用するために天子に協力したのだと、そう魔理沙は言った。
「……でも魔理沙は、真剣に私に協力してくれたじゃない」
「だからそれはあれだぜ。真剣にやらないと、不安を忘れられないじゃないか」
魔理沙は誤魔化すように笑いながらそういった。
「違う! そういうことじゃないの!」
そう大声で叫び、天子は首を大きく何度も横に振った。
「だって魔理沙は真剣に私と一緒にいろんな作戦をやってくれたじゃない。それでたくさん失敗して、それでも一緒に楽しく笑ったりしたじゃない。作戦を一緒にやって、それで楽しいっていう感情を一緒に共有したじゃない。……それなのにどうして友達になってくれないのって、私は最初からそれを訊いてるのよ!」
天子は気付けば涙目になりながら、その感情を吐露していた。
魔理沙がどうして自分に協力してくれるのか、それを天子は確かに不思議に思っていた。だからこそ魔理沙が今言ったように、天子をただ利用するためだけに協力していたのだという事実はショックだった。
(でもそれは、お互い様だ)
そう天子は思った。何故なら天子だって、友達を作るために魔理沙を利用していたのだから。魔理沙が時折見せた不安そうな表情に気付いていて、それでもあえて何も言わなかったのだから。
もし魔理沙に「どうしたの?」と訊いてしまったとして。
それで今の楽しい時間が終わってしまったら。
そう考えると、魔理沙の心にあと一歩踏み込むことが難しかった。
でもそこで立ち止まっていることが原因で魔理沙と友達になれないのだとしたら――。
――そんなのは絶対に嫌だった。
「……楽しかったからだよ」
魔理沙は小さな声でそう言った。
「えっ……?」
しかし天子は聞こえたその言葉が信じられなくて。
だからもう一度、今度は大きな声で魔理沙は言う。
「お前との時間が楽しかったから。だからこそ私はお前と友達にはなれないんだ。作戦自体は失敗続きでも、それをお前が楽しいと思ったのと同じで、私だって楽しかったんだ。こんな時間がずっと続けばいいって、本来の目的から逸れるそんなことをお前が思ったのと同じで、私だってそう思ったんだ。だから、だからこそ――私はお前とはまだ友達にはなれない」
そこで魔理沙は一度言葉を切り、そして一つの決意を胸に口を開いた。
「――お前と一緒にいたら、元の時代に帰れなくてもいいんじゃないかって、私はそう思ってしまいそうになるんだよ」
――だから私は今、お前と友達になることは出来ない。
そう魔理沙は言った。
「……そう」
天子は悲しそうな顔で、ただそう呟いた。そして続ける。
「それなら、よかった」
――よかった、そう天子は言った。
「天子……?」
「だってそうでしょ? 魔理沙は別に私が嫌いなわけじゃないんだもん。魔理沙と友達になれないのは確かに残念だけど、でもそれだって《まだ》なれないだけなんでしょ? 魔理沙は私のことをよく知っているって言ってたし、だったら魔理沙の時代では、私と魔理沙は友達なんだよね?」
そういって無邪気に笑う天子。その笑顔を見て、魔理沙もまるで救われたかのように自然な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだよ。おそらく天子は今日のことを忘れてしまうんだろうけど、それでも天子と私は友達になれる。いや、私だけじゃないぜ。いっぱい友達が出来るんだ。……まあ、みんな変な奴ばかりだけどな」
「変な奴って、魔理沙だって変じゃない。嘘つきでひねくれ者で、全然素直じゃないもん」
「お前がそれを言うのか?」
そういって、魔理沙と天子は笑いあった。
しばらくそうして笑いあい、そしてその声が止むとその場を静寂が支配した。
――先に口を開いたのは天子だった。
「……魔理沙、帰っちゃうんだね」
「ああ、そうだな」
「私、魔理沙のこと忘れないよ」
「ははは、いや、それは無理だと思うぜ?」
未来の天子を知っている魔理沙は、その天子の宣言をそういって笑い飛ばした。
「絶対に忘れないもん!」
魔理沙の態度に腹を立てて、天子は年齢相応に頬を膨らませて抗議した。
そんな天子を見て魔理沙は嬉しく思うが、やはりそれは無理だろうと思った。
魔理沙の存在は、やはりこの時代からすれば部外者に他ならない。ともすれば歴史は大きな力をもって、その影響を排除しようとするだろう。魔理沙が関わった事象は無かったことになるか、少なくとも誰にも見えないものにされてしまうはずだった。
しかし、それでもいいと魔理沙は思った。
例え歴史が本来あるべき形に修復されたとしても、それで全てが嘘になるわけではないのだから。
――だからそれでいいんだ。魔理沙はそう思うのであった。
「……あー、そろそろ別れの時間みたいだぜ」
魔理沙は魔力が集まるような不思議な感覚をもってそれを理解した。おそらく歴史の修復力が、魔理沙を元の時代に戻そうとしているのだろう。
「……ねえ魔理沙」
「ん、何だぜ?」
多分それが最後の会話になるだろうと、そう二人は思った。
「――また会おうね」
「――ああ、またな」
魔理沙がそういうと同時に、その存在が不確かになっていくのを天子は感じた。
魔理沙の姿が徐々に見えなくなっていく。魔理沙という名前が記憶から薄れ、それが魔法使いだったという記憶も薄れ、そして黒い帽子を被った少女という外見の記憶さえも曖昧になっていった。
完全に見えなくなったときには直前までそこにいたのが誰かも思い出せなくなっていた。
天子はふと我に返り、どうして自分がこんな里の外れにいるのかを考えた。
けれど何も思い出せなかった。
覚えているのは黒い帽子を被った少女という、断片的な情報だけだった。
それが重要な情報かどうかも分からなかったけれど、どうしてかそれは忘れてはいけないことのように天子は感じた。
だから天子は一つのことを思いついた。
――自分も黒い帽子を被ろう。
そうすれば黒い帽子を被った少女のことを、きっと忘れないだろう。
そんなことをまだ幼い天子は思ったのであった。
――こうして魔理沙の不思議な時間旅行は幕を閉じた。
「――魔理沙! 魔理沙ったら!」
耳元で名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。
地面に倒れている魔理沙は、頭に痛みを覚えてそこを抑えながら言う。
「痛っ……誰だよ、こんなところにバナナの皮を置いたのは、ってあれ?」
「何よ?」
不思議そうな顔をしながら魔理沙の顔を覗き込んでくる一人の少女。
「いや、なんでもないぜ。それにしてもどうしたんだ、天子。何か用か?」
「何か用って、別に用ってわけじゃないけど。ほら、いつも通り桃を届けにきたのよ」
「おお、それは悪いな。ありがたくいただくぜ、まあ何もお返しはしないけどな」
「別にお返しなんて最初から期待してないわよ……特に魔理沙にはね」
そんな風に呆れたような声を出す天子。
「そうだ魔理沙、久々にみんなを誘って花火大会でもやらない?」
「花火大会? まあそれは別に構わないぜ?」
と、魔理沙はそこまで言ってから一つのことに思い当たった。
(久々って言うけど、そもそも花火大会なんて、やったことがあったか?)
魔理沙はそんなことを思ったけれど、やはり記憶にはなかった。
「――魔理沙? 何変な顔してるのよ」
「……いや別に、何でもないぜ?」
考えても分からないことは、いくら考えても仕方ない。
それよりも今大事なのは、花火大会という名の宴会の準備に違いなかった。
そしてふと魔理沙は天子を見た。
派手ないたずらをして八雲紫(やくもゆかり)にこっぴどく叱られたこの天人は、いつもと同じ一風変わった黒い帽子を被っていた。
「なあ天子、その帽子」
「この帽子が、何よ?」
天子の黒い帽子を見て、魔理沙は思ったことを口にする。
「――どうして桃が載ってるんだぜ?」
「オシャレよ! 別にいいでしょそんなの!」
そういって怒る天子を、魔理沙は笑いながらなだめるようにする。
――そしてまた、魔理沙にとっての普段どおりな一日が始まるのであった。
――そこにはバナナの皮が落ちていた。
それは決して特別なものなどではありはしない、ただの生ゴミだった。そんなものがゴミ箱にも入れられず、ただ床に落ちていること自体が珍しい光景だといえなくもない。しかし、ことこの場所に限ればそれこそが普通の光景といえた。
そこにはバナナの皮に限らず、様々なものが雑然と散らかっていた。どれが必要なもので、どれがゴミなのか。はたから見てもそれを見分けることは困難だった。おそらくそれを見分けることが可能なのは、ここの家主である霧雨魔理沙(きりさめまりさ)以外にはいないだろう。
しかしその魔理沙とはいえ、この部屋のどこに必要なものがあるのかを完全には把握していないに違いない。
「まるで局所的に台風でも通ったみたいだぜ」
その局所的な台風である魔理沙は、なんとなしにそんな独り言を呟く。
そして、どうにかしてこの部屋を「地道に片付ける以外」の方法で綺麗に出来ないだろうかと、そんな都合のいいことを考えた。
といっても、すでに何度もその試みは失敗していた。家を片付ける魔法の研究をした結果として以前よりもさらに散らかしてしまう、などということはそれこそ日常茶飯事だった。
魔理沙は基本的に物を破壊する魔法が得意である。それは言い換えれば、基本的に物を壊すことしか出来ないということでもあった。
つまり必要なものとゴミを分別して、部屋を片付けるというような繊細な魔法は苦手であり、どれだけ研究しても未だに上手くいった試しはなかった。
あまりにも上手くいかないため、いっそのこと家ごと吹っ飛ばしてしまおうかと、そんな物騒なことを考えたこともあるほどだった。
「なんというか、細々としたことは性に合わないんだよな。もっとこう、バーンとダイナミックで画期的な方法じゃないと――」
そんなことを言いながら、魔理沙は部屋を片付ける魔法のアイディアを考える。
そうして魔理沙は椅子に座りながら、しばらく考えていた。その時間を片付けに充てれば、おそらくはそれなりに片付いたであろうが、今の魔理沙には地道に片付けるという発想自体がそもそもない。
しかしそうして考えた甲斐があってか、魔理沙の表情は突然ぱっと明るくなった。
「そうだ、この部屋自体の時間を散らかる前まで戻せばいいんだぜ!」
椅子から跳ぶように立ち上がった魔理沙はそう言うが早いか、次の瞬間には資料になる魔導書を探すために部屋の中を物色しはじめた。
「お、こんなところにあったぜ」
魔理沙は部屋を散らかしながら、なんとか目的の魔導書を見つけ出した。それは時間に纏わる魔法を扱った魔導書だった。
そして魔理沙はその魔導書を両手で胸に抱えたまま、決定的な一歩を踏み出した。
――そこにはバナナの皮が落ちていた。
そして魔理沙は《滑った》のである。
「痛っ……誰だよ、こんなところにバナナの皮を置いたのは、ってあれ?」
地面に倒れていた魔理沙は上体を起こし、その周囲を見回したところで異変に気付いた。
「なんだこりゃ?」
周囲を見渡せば、そこにあるのはどこかで見たような草原だった。
見覚えがあるといえばあるが、どこか違うといわれればそんな気もするというような、小さな違和感がそこにはあった。
「よく見れば知っている光景な気もするが……それ以前に、どうして私は外にいるんだぜ?」
他の何よりもまず、魔理沙の一番の疑問はそこにあった。
魔理沙は床に落ちていたバナナの皮で滑ったことを覚えている。
そしてその直前までは、確かに自分の部屋にいたことも覚えていた。
それなのにどうして。
どうして周囲の光景が一瞬で草原に変わってしまったのだろうか。
魔理沙はそのことを考えずにはいられなかった。
・パターンA:滑った拍子にびっくりして魔法が暴発、家や魔法の森もろとも消滅した。
「いや、さすがにそんな馬鹿なことがあるはずもないぜ」
魔理沙は即座にその仮説を破棄した。さすがの魔理沙とはいえど、そこまでの大破壊魔法は扱えるものではない。それにそもそも周囲の草原には、そういった破壊の痕跡はなかったのだ。
・パターンB:滑った拍子に頭を強く打ち、今は夢の中にいる。
魔理沙はその仮説を確かめるために、思いきり自身の頬をつねった。
「いひゃいぜ」
魔理沙はつねった頬に明晰な痛みを感じた。つまり、おそらく夢ではないのだろう。
「とすると、やっぱりあの魔導書が原因か?」
あの魔導書とは、魔理沙がバナナの皮で滑ったときに抱えていたものである。
その魔導書は時間に纏わる魔法を扱ったマジックアイテムだが、魔理沙がそれを以前軽く読んだときの記憶では、時間と空間には密接な関係があると書かれていた。
そこから魔理沙は一つの仮説を導き出した。
・パターンC:滑った拍子に魔法が暴発して空間が歪み、どこか見覚えのある草原に吹っ飛ばされた。
「これが一番ありそうな気がするぜ」
手元に今魔導書がない理由として、魔理沙だけが吹っ飛んでしまったと考えれば、その辻褄も合うだろう。
「ちょっと部屋を片付けようと思っただけなのに、ついてないぜ。全く、殊勝なことは考えるものじゃないな。……家のものが無事だといいけどな」
魔理沙には蒐集癖があるので、当然あの家には魔理沙にとって大切なものがたくさんある。だからこそ今の魔理沙にとっての心配事はそこだった。
けれど魔理沙はまだ気付いてはいなかった。
自身に迫っている危機には、まだ気付くことが出来ないでいた。
とりあえず魔理沙は遠くに見える山の位置などから、今いる場所のおよその位置を割り出した。そして大体の方角を見定めてから、迷わず空を飛んで家を目指した。
そしてその最中に人間の里の上空へと差し掛かった辺りで、その違和感に気付いた。
最初は気のせいかとも思ったが、確かめるために地上に降りたことでその違和感はより強くなっていった。
「……何だこりゃ?」
そこは確かに人間の里だった。妖怪の脅威に怯えながらも、日々のささやかな平和を享受する。そんな人間たちが生きる場所。それは魔理沙の良く知るものと何ら違いはなかった。
それでも、確かに違っていた。確実な差異が、そこにはあった。どこまでも正確に、間違っていた。
それでも現状を理解することは、今の魔理沙には困難だった。
違うことは分かる。けれど一体どこが違うのかと言われると、口をつぐむほかない。
そんな魔理沙に、今おかれている状況を理解させたのは一人の少女である。
その少女は全速力で走りながら、立ち尽くす魔理沙の背中に衝突した。
「うぉわ!」
その不意打ちに魔理沙は素っ頓狂な声をあげながら転倒し、地面に顔面を強打した。
「……うぅ、痛いぜ」
「痛いのはこっちの方よ! 全く、ちゃんと後ろを見て立ちなさいよ!」
地面に倒れ伏す魔理沙の背中に、そんな無茶苦茶な言葉が投げかけられる。それは鈴が鳴るように高く、そしてどこか幼い声だった。
魔理沙はその相手の喧嘩腰の態度に腹を立て、相手の方に向き直りながら口を開く。
「な、そっちからぶつかって来ておいて何言って……って、お前は――」
その顔には見覚えがあった。さらりと伸びた青い髪とその強気な瞳。何故かいつも被っているはずの桃をいくつか載せた特徴的な黒い帽子は被っていなかったが、その人物は間違いなく――。
「――比那名居天子(ひなないてんし)!」
魔理沙はよく知るその天人の名前を大声で叫んだ。
けれど、目の前の人物の反応は魔理沙の予想とは異なっていた。
「何、天子って誰よ。私は地子(ちこ)。比那名居地子――それが私の名前よ」
「あ、何、地子?」
「そうよ、何、文句でもあるの?」
「いや、ぶつかってきたことには当然文句があるんだが……」
それよりも魔理沙が気になるのは、少女が名乗った《地子》という名前。もう一度よく目の前の少女を観察した。するとある違和感に気付いた。
その違和感を確かめるために、地面に倒れたままだった魔理沙は立ち上がった。
そして、魔理沙は先ほど覚えた違和感の正体に気付いた。
「あれ、天子……お前そんなにチビだったか?」
「だから地子だって言ってるでしょ! それと今チビって言ったわね!」
そういって可愛らしく怒る天子もとい地子は、確かにどうみても五、六歳くらいの身長しかなかった。決して身長は高いほうではない魔理沙から見ても、その身長はかなり低いと言えた。
(地子……そういえば天子が天人になる前はそんな名前だったとか言ってたか?)
実際魔理沙はうろ覚えだったが、その少女は小さいとはいえ、間違いなく比那名居天子だという確信があった。
問題は、どうしてその天子が小さいのかということだった。
その問題を解決すべく、魔理沙は冷静に、論理的に、矛盾を孕む要因を一つずつ除外し、排斥していく。
そして一つの合理的な、しかしどうにも荒唐無稽でにわかには信じられないような答えにたどり着いた。
「まさか……そんな馬鹿なことがあるのか……?」
「何一人でぶつぶつ言ってるのよ、変なの」
天子のそんな憎まれ口も、今は魔理沙の耳に届くこともなかった。
魔理沙は気付いたのだ。
今の自分が、一体どういう状況に巻き込まれているのかに気付いた。
それがどれほどに信じられないことであっても、目の前にいる地子と名乗る小さな《比那名居天子》の存在が、何よりも雄弁に真実を語っていた。
魔理沙はバナナの皮で滑った。ただ滑っただけだと、そう思っていた。
滑るにしても、まさか《タイムスリップ》までしてしまうなんて、そんなことは考えていなかった。しかしそれこそが真実だった。
魔理沙は確かに、タイムスリップしてしまっていたのだ。
かごめかごめ
籠のなかの鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ?
目をふさいだ状態で天子のその歌を聴きながら、魔理沙はその歌の意味を考えていた。
夜が明けたのに晩というのは明らかにおかしい。そして何より突然出てくる鶴と亀も不自然だった。鶴は千年、亀は万年とは言うけれど、鶴も亀も実際はそんなに長生きではない。だがしかし、その鶴と亀が《滑った》というのなら、もしかしたらこの歌の意味は千年や万年の時間をタイムスリップしたということに――。
(絶対になるわけないぜ!)
そして魔理沙はその無意味な思考を中断した。というよりも、歌の意味を考えるというのはそういう意味ではなかったはずなのだ。
考えるべきだったのは、どうしてその歌が今歌われているのか――。
「って、ちょっと待てよ。二人で《かごめかごめ》なんて出来るわけがないだろ」
魔理沙は思わず抗議の声をあげた。天子に言われるがまま、目をふさいでしゃがみ込んでいたが、まさか《かごめかごめ》が始まるとは思ってもいなかった。
「えー、せっかく出来ると思ったのに」
天子は口を尖らせてすねるようにした。とはいっても、かごめかごめはそもそも二人で出来るような遊びではないことは天子も理解していたらしく、おとなしく引き下がった。
「こういう遊びはもっと多人数でやるものなんだぜ? どうせやるならお前の友達とかも呼んでからやろうぜ」
「……いないもん」
「は?」
「……友達なんて、いないもん!」
そういって天子はどこへとなく、逃げるかのように走り出した。
「お、おい! ちょっと待てって」
「きゃっ――」
即座に追いついた魔理沙の両手が天子を捕まえ、そして軽く抱え上げた。
天子はふいにその足が地に着かなくなったことに驚き、その脚をバタバタと動かして暴れた。
「お、おい、危ないから暴れるなって」
「やだー、はなして!」
魔理沙はそういったがしかし天子は暴れることをやめず、魔理沙の脚やスカートを何度も蹴飛ばした。そうしているうちに天子の蹴りが、魔理沙のスカートに仕込んである魔法のキノコに命中した。
スカートから転げ落ちたそのキノコを見て、魔理沙の顔は瞬時に青ざめた。
「げっ、やば――」
そう魔理沙が言い終わる前に――キノコは爆発した。
「けほっ、けほっ、やっぱり今日はついてないぜ……」
魔理沙はそう呟いたが、一方で天子は突然の爆発に驚いてか、言葉を失ったかのように黙り込んでいた。
「おい、大丈夫か?」
様子を窺うように天子の顔を覗き込む魔理沙。しかし次の瞬間、天子は――。
「――あは、あはははは」
――笑い出した。
「……?」
その反応は魔理沙の想定外だった。当然ながら爆発したキノコには笑い茸の成分は入っていない。だからこそ魔理沙には天子がどうして笑っているのかが分からなかった。
「なあ、一体何がおかしいんだぜ?」
「だって、お姉ちゃん、変な顔!」
天子は魔理沙の顔を指差すと、また大声で笑い出した。
そして気付いた。先ほどの爆発のせいで、きっと魔理沙の顔はすすだらけなのだろう。
それは鏡を見なくても分かった。
魔理沙の顔を笑っている天子の顔も、すすだらけなのだから。
「お前の顔だって、酷いじゃないか」
そういって魔理沙も笑った。
そうしてしばらく二人で笑っていただろう。
その後に先に口を開いたのは天子だった。
「ねえ、お姉ちゃん――」
天子は魔理沙の名前を知らないため、魔理沙をそう呼んだ。
「私のことは魔理沙って呼んでくれていいぜ。変わりに私はお前のことを天子と呼ぶけどな」
「魔理沙? それはいいけど、でも天子って何? 私の名前は――」
「地子だろ? それは知ってるぜ。だから天子っていうのはニックネームみたいなものだ」
「ニックネーム?」
「そう。仲の良い者が呼ぶ、特別な名前だぜ?」
魔理沙の言葉は確かに嘘ではないが、それは嘘みたいなものだった。
「仲の良い……わかったわ、魔理沙。私のことは天子って呼んでいいよ」
そういって天子がどこか照れくさそうに笑ったので、魔理沙もその頬を掻きながら笑った。
「それで天子。お前、どうして友達がいないんだぜ?」
普通ならば訊きづらいことだが、そんなことはお構いなしの魔理沙だった。
「知らない。……でも、私が比那名居家っていう変わった家に生まれたから。みんなとはちょっと違うから、だから仲間外れにされるんだと思う」
「……なるほどな」
天子の話を聞いて、魔理沙は大体の状況を理解した。
普通とは少しだけ違う。少しだけとはいえ、確かに違う。
違うということは、怖いことだと魔理沙は思う。
違うことは怖い。違うものは恐い。誰だって自分とは違う存在、普段とは異なる状況には、それなりの恐怖を感じることだろう。
自分と違う価値観で生きる存在とは、おそらく友達にはなれないだろう。相手と価値観が同一である必要はないが、互いの価値観を理解し、尊重し、共有することが出来なければ、その相手はただの恐怖の対象でしかない。
怖いからこそ、排斥する。それこそが仲間外れの最たる原因だった。
だからこそ、魔理沙は尋ねる。
「天子は、自分はみんなと何が違うって思うんだ?」
「……そんなの分からないわ」
「……そうか」
――それならよかったと、魔理沙は思った。
自分はみんなと同じだと、そう天子自身が思っているのなら、あとの話は簡単なのだから。
「だったら、早速行くとするか」
「行くって、何しに?」
「そんなの決まってるだろ? ……友達を作りに行くんだぜ」
「ねえ魔理沙……やっぱりやめようよ。叱られちゃうよ」
それを聞いた魔理沙はこの素直な子供が将来、あの天子になってしまうのだと思うと苦笑するしかなかった。
「別にいいじゃないか。叱ってくれる人がいるうちは、どんどんいたずらをすればいいんだぜ? そしていたずらは、派手であれば派手であるほどいいんだぜ!」
そういって魔理沙は楽しそうに笑った。
「よし、それじゃあ言ったとおりに……さあ行ってくるんだぜ!」
「もう、知らないから!」
そう言い残して天子は、広場でかごめかごめをして遊ぶ里の子供たち目掛けて走り出した。そしてすぐにその足音に気付いた子供たちの注意が天子に集まる。それを確認した天子は大声で言った。
「みんな! 悪い魔法使いが追いかけてくるから逃げて!」
それを聞いた子供たちの反応は様々だった。
「うわ、比那名居の娘がこっちに来るぞ! しかも何かよく分からないことを言ってる!」
「ああ、悪い魔法使いが追ってくるとか何とか」
「馬鹿ね、悪い魔法使いなんて里に来るわけないじゃない」
「本当にね。私は魔法使いってみんな家にずっと引きこもってる根暗って聞いたわ」
「じゃああれは比那名居の娘の嘘か?」
「そうよ。絶対そうに決まって――」
騒がしくなった子供たちが対応を決めかねている今が好機と思った魔理沙は、即座に物陰から飛び出した。
「オッス、オラ悪い魔法使いの魔理沙だぜ、よろしくな!」
「………………」
「………………」
――そして場の空気は凍りついた。
「だから言ったじゃない、上手くいきっこないって! それにどうしてくれるのよ、魔理沙の作戦のせいで私が嘘つきってことになっちゃったじゃない!」
まくし立てるように怒鳴る小さな天子に、魔理沙はただ謝るしかなかった。
「だから悪かったって言ってるじゃないか。悪い魔法使いっていうのがどんなのか思いつかなかったんだから」
「だからってどうして『オッス、オラ悪い魔法使い』なのよ! もっとこうあるでしょ、『泣く子はいねーかー』とか」
「それじゃあただの《なまはげ》だぜ」
魔理沙は冷静につっこんだ。それでも「うー」と唸りながら、なおも恨みがましい目で見てくる天子から目を逸らすようにして魔理沙は続けた。
「まあとにかく、一つ目の作戦は失敗してしまったわけだが、ちゃんと次の作戦は考えてあるぜ」
「えー、まだやるのー?」
「なんだよ、天子は一回失敗したくらいで諦めるのか?」
「別に、そういうわけじゃないけど――」
――上手くいく気がしないとは、さすがの天子も言えなかった。
そしてどうせ上手くいかないのなら、やらない方が良いとも天子は思っていた。
しかし魔理沙はその天子の心を見抜いた。天子の不安を見抜いた。
――友達は欲しい。けれど、これ以上嫌われることは何よりも怖い。
「あのな、最初から負けない強さなんて誰も持ってないんだぜ? だから本当の強さというものは、何回負けてもまた立ち上がることを言うんだ。なあ天子。お前は弱いのか? それとも強いのか?」
「……そんなの分かんない」
「そうかもな。じゃあ別の話にするぜ。……一歩目を踏み出すのは簡単なようで難しい。――だからって立ち止まっていても、何も変わらないぜ?」
「………………」
「仲間に入れてもらう努力もしないで、いつの日か勝手に仲間に入れてもらえるなんて、そんなことはまずありえない。もしそんなことを考えているのだとしたら、言うことは一つ――甘えるなよ?」
びくりと、心臓の跳ねる音が聞こえた。
「……どうして、そんなこと言うの?」
「ん、別に大した意味はないぜ? ただ私は、欲しいものは何としてでも欲しいと思う奴が好きだって話さ。何事も簡単に諦めるような奴は、少なくとも私の友達にはいないからな」
――それは未来の天子だって同じだと、そこまでは魔理沙も言わなかった。
「……私は、どうすればいいの?」
「何、そんなの簡単じゃないか……作戦を続行するんだぜ」
「……うん、わかった!」
そうして魔理沙は純粋な幼き天子を、上手く口車に乗せたのであった。
「あ、悪い魔法使いの魔理沙だ」
「本当だ。比那名居の娘も一緒にいるぞ」
先ほどと同じ広場に集まる子供たちがそんな声をあげた。それを見て魔理沙は好都合だと思い、そして口を開いた。
「よしお前ら、集合だぜ!」
「………………?」
しかし子供たちが動き出す気配はなかった。この変な魔法使いは一体何を言っているのだろうかと、そんな目で魔理沙をただ見るだけだった。
「魔理沙の馬鹿、そんなので集まるわけがないじゃない」
小声で天子が指摘した。確かに魔理沙の言うことを聞く理由は、少なくとも子供たちにはないだろう。
「よし、プランBだぜ。……うわー危なーい、キノコ爆弾だぜー」
そう棒読みで言った魔理沙は大きく振りかぶって、キノコ爆弾と名付けられた物騒な代物をいくつも子供たちの向こう側へと投げつけた。
そして放物線を描くキノコを見て、子供たちは――。
「爆弾って、何?」
「えっ?」
子供たちが爆弾を知らないとは魔理沙も思っていなかった。
「いや、ほら爆弾っていうのはこう、ドカーンと爆発するから危ないんだぜ。だからお前たちはこっちに逃げてこいって――」
(――じゃないと爆弾から逃げてくる子供たちを一人残らず捕まえて天子との話し合いの場を持たせる、という完璧な作戦が台無しだぜ)
「でも、キノコだし」
「だって、キノコだもん」
「ほら、ただキノコじゃん」
魔理沙が注意喚起したにもかかわらず、好奇心旺盛な一人の男の子がキノコ爆弾を拾ってきてしまった。
「って馬鹿っ、それを早く遠くに投げるんだ!」
魔理沙の鬼気迫る声色に気圧されてか、本来は言うことを聞くはずのない子供も素直に魔理沙の指示に従った。が、しかし――。
「――だからってこっちに投げるな!」
――そしてキノコは爆発した。
「ははは、傑作だったぜ」
「全然傑作じゃない! 魔理沙のせいで今度は『すすおんな』っていうありがたくないあだ名をつけられちゃったじゃない!」
「ははは。良いじゃないか、すすおんな」
「全然良くない!」
そのやり取りからも分かるように、またも魔理沙の作戦は失敗に終わった。
「もう、魔理沙の作戦は詰めが甘いどころか最初から穴だらけじゃない。こうなったら次は私が作戦を考えるわ。魔理沙もそれで文句ないでしょ?」
「ああ、別に構わないぜ?」
「よし。それじゃあ凄い作戦を考えちゃうんだから。それで、絶対にあいつらを友達にしてやる!」
(友達にしてやるって……まあいいか)
何にしても今の天子の傾向は、魔理沙の目から見れば最初と比べて随分と良くなったと思うのだった。でもそれはただそれだけの話でしかない。
「……それにしても、上手くいかないものだぜ」
若干疲れた顔をした魔理沙がそう言った。あれから何度となく作戦を決行してはその全てが失敗に終わっていた。
ただ魔理沙が疲れているのは天子の立てた、どうやって友達を作るつもりなのかがよく分からない不思議な作戦を何度も行った結果だった。特に「ヒャッハー! 魔理沙様のお通りだぜぇ!」と言いながら箒に乗って暴走を繰り返すだけの作戦に一体どんな意味があったのか、それは今でも分からないのであった。
「全く、これだけやっているのにどうして友達になってくれないのかしら?」
一方で小さな天子はそんなことを真剣に考えていた。しかしその顔に悲壮感は全くなく、むしろ次はどんな作戦を行おうかと、それ自体を楽しみにしているかのようだった。
そんな天子を見て、魔理沙は少し心配になった。そのうち友達が出来なくてもいいと天子が思ってしまうのではないか。天子はこの現状を楽しんでいて、そして楽しいのだから現状のままでも構わないと、そう考えてしまうのではないか。魔理沙にはそんな不安があった。
しかしそれ以上に、天子と関係のないところで魔理沙の不安はどんどんと大きくなっていた。
「ねえ魔理沙、次の作戦は――」
「悪い天子。……もう作戦は終わりにするか」
「え?」
「だから、次の作戦で最後にしようって言ったんだぜ」
「でも、また上手くいかなかったら……」
天子はそういって不安そうな目で魔理沙を見た。
「上手くいくかどうかは天子次第だ。天子が自分に素直になって、難しいけどその一歩目を踏み出すことが出来れば絶対に上手くいく。そのきっかけは私が作るから、だからこれで作戦は最後にしようぜ?」
いつになく真面目な魔理沙の表情を見て、どうしてか天子は魔理沙がどこか遠くへと行ってしまうような気がしてしまった。けれど、魔理沙が自分のためにそこまで言ってくれるのであれば、その作戦は失敗させるわけにはいかないと天子は思った。
それが魔理沙の言うとおり最後の作戦であるのなら、最後くらいは絶対に成功させる。
天子はそんな決意を胸に、だからこそ真っ直ぐと魔理沙の目を見て言う。
「うん。絶対に成功させようね、魔理沙」
天子は走っていた。
時間が無かったのだ。すでに日は落ちかかっていた。もう少ししたら里の子供たちはみんな家に帰ってしまうだろう。もしかしたらもう帰ろうとしているかもしれない。
――間に合え。
天子は祈るようにして走った。
最後の作戦を天子に伝える前に、魔理沙は言っていた。
――友達っていうのは、やっぱりなろうと思って無理矢理なるものじゃないんだ。
――楽しいこととか、悲しいこととか、興奮することとかってあるだろ。
――そういう感情をさ、何かの出来事をきっかけに共有するんだ。
――そうした後、気付いた時には友達になっているものだと思うんだぜ。
それはもしかしたら、魔理沙の言うとおりなのかもしれない。
けれど仲間外れにされて誰とも一緒にいることさえ出来なかった天子には、そんな感情を里の子供たちと共有する機会なんてなかった。
――だからその機会を、私が作ってやる。
魔理沙は自信満々に笑いながらそういった。
そして作戦の内容をたった一言――。
――この夜空にでっかくて派手な花を、いっぱい咲かせてやろうじゃないか。
どうやってそんなことをするのかまでは魔理沙も言わなかった。それまでの魔理沙を見ていれば、そんな途方も無い作戦が成功するようには、とてもじゃないが天子には思えなかった。しかし、それを言ったときの魔理沙は――。
「――かっこよかった」
そのときの魔理沙は、何か凄いことをやってくれそうな気がした。そんな期待感がどこからともなく湧き出ていた。
そして天子にとってはそれだけで魔理沙を信用するには充分だった。
「上手くいったら魔理沙のおかげ。そして――失敗したら私のせいだ」
本来は何の関係もないはずの天子と魔理沙。その魔理沙がどうして天子のために協力してくれるのかは分からなかった。それが天子の嫌う同情心からくるものかもしれないし、また別の意図があってのものかもしれない。
でもそれが、例えどんなものでももう構わなかった。すでに天子は魔理沙を信じると決めたのだ。そしてこの作戦を絶対に成功させると決心したのだから。
だからこそ天子は、そのたった一つの目的のために――走っていた。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね、もう暗くなったし」
天子が広場に着いたときには、子供たちはそんな話をしていた。
迷わず天子は口を開いた。
「みんな待って!」
「……? なんだよ、また比那名居の娘かよ」
「待てって言われても、そろそろ家に帰らないと親に叱られるんだけど」
「でも、もうすぐ空に大きな花が咲くの!」
「空に、花?」
「それもまた嘘? もういい加減飽きたんだけど」
子供たちは天子の言葉を全く信じてはいなかった。それは仕方のないことだった。
今までの天子だったら、自分の言っていることが真実であってもここで引き下がっただろう。けれど、今の天子は違った。
ここで引き下がることは確かに簡単だ。
――だからって立ち止まっていても、何も変わらないぜ?
魔理沙のその言葉が聞こえた気がした。
(そうだ、ここで引き下がったら何も変わらない)
そう思ったからこそ天子は――
――簡単なようで難しいその一歩を、今確かに踏み出した。
「私は嘘なんかつかない! ただみんなと一緒にそれが見たいだけなの!」
天子は心からそう思い、そしてその思いを真っ直ぐにぶつけた。
そしてその心は、確かに子供たちに届いたのであった。
「な、なんだよ……まあそこまで言うなら、ちょっとくらいなら待ってもいいけど、なあ?」
「まあ、お前がそう言うなら」
「それに帰るのが遅くて怒られるのはいつものことだしな」
子供たちはまだ帰らなくてもいいという様々な理由を無理矢理につけた。
それを聞いて天子は思った。
(素直になれないのは、私だけじゃないんだ)
だからまずは自分が素直になる番だと、そう思うことにした。
「みんな、ありがとう!」
そして――
――空に、大きな花が咲いた。
「いっけー、キノコ花火with魔符『スターダストレヴァリエ』!」
魔理沙の掛け声と共に、またも夜空に大きな花が咲いた。
空に咲く花の正体。それは魔法のキノコで作った花火と、美しいスペルカードとが融合したものだった。
かれこれ十数分の間、魔理沙は里の外れの小さな丘でこうして空に花を咲かせていた。
「あー、あの時かっこつけてないでいつ終わるかちゃんと天子に言っておくんだったぜ」
それは今更言っても仕方ないことではあったが正直な話、魔理沙はやめどきを見失っていた。
「まああの天子のことだから多分もう上手くやっただろうし、そろそろフィナーレといくか」
そう独り言をつぶやきながら、魔理沙は空高く飛翔した。
そしてスカートからありったけのキノコを取り出し、それを全部まとめて天高く放り投げた。
「よーし、いくぜ! マスタースパーク!」
魔理沙お得意の大火力のスペルカード。それを放り投げたキノコ目掛けて、上向きに全力で放った。
そして空中のキノコは一つも残すことなく撃ちぬかれて、その全てが同時に、夜空に大輪の花を咲かせた。
その後しばらくしてから、天子が魔理沙目掛けて手を振りながら走ってきた。
その晴れやかな天子の顔を見て、魔理沙は作戦が成功したことを理解した。
「魔理沙、凄かったよ! みんなも凄く綺麗だって褒めてたもん!」
天子は興奮した様子で嬉しそうにそう語った。
「そうか、それは何よりだぜ」
魔理沙も笑顔でそう答えた。
その魔理沙のどこか不自然な笑顔を見て、天子は何を思っただろう。
「ねえ、魔理沙」
「ん、どうした?」
「……ううん、今日はありがとうね」
「別にお礼を言われるようなことは何もやってないぜ?」
魔理沙はそういった。そしてそれは謙遜などではなく、確かな事実であるのだ。
そしてそれはどうしてだろうか、幼い天子にもはっきりと伝わっていた。
「……やっぱり魔理沙は、私と友達にはなってくれないんだね」
だから天子はそんなことを言った。それは魔理沙の心を見透かされたのだとしか考えられなかった。
「……やっぱり分かったのか」
「どうしてか、訊いてもいい?」
天子は無表情でそういった。それは全てを知る覚悟をした表情だと魔理沙は思った。
「そうだな……。多分信じないと思うけど、私はこの時代の人間じゃないんだよ。今のこの時代から、ずっとずっと未来からきただけの、言ってしまえば完全な部外者なんだ」
天子の覚悟を目の当たりにした魔理沙は、だから全てを明かすことにした。天子の表情が変わらないことを確認してから、魔理沙は続ける。
「最初はただ事故でちょっと遠くに吹っ飛んだだけだと思ってたんだ。だから安心していた。安心しきっていたんだぜ? だってただ真っ直ぐ家に向かって空を飛んでいれば、すぐに着くはずの距離だったんだからさ。でも、違ったんだ。この里の風景を見て気づいたんだ。ここは私の知っている人間の里じゃない。そこに現れたのが天子、お前だよ」
「………………」
「私はお前のことを良く知っている。だから分かったんだ。ここは私の知っている世界じゃない、私の知っている時代とは違うんだ、ってな。お前から見たらそうは思えなかったかも知れないけど、これでも私は不安だったんだぜ? だってどうすれば元の時代に帰ることが出来るのか、全く分からないんだからな」
ここまでは天子にとって、それほど聞くのに覚悟が必要な内容ではなかった。確かに衝撃的で信じがたい内容ではあったが、ただそれだけの話だった。
しかし、ここから先はそうではない。
魔理沙は一呼吸置いてから、一旦目を伏せる。そして再び天子のその強い意志を秘めた瞳を真っ直ぐに見据え、真実を告げる覚悟をした。
――天子を傷つける覚悟をした。
「私はお前を見て不安になった。そのことで頭がいっぱいだった。精一杯強がろうとしたけど、本当にそれで精一杯だったんだ。……いや、それは言い訳だな。すでにその覚悟をしているお前には正直に話すよ。……だから本当に、私は最初から、お前のことなんてどうでもよかったんだ」
――お前のことなんてどうでもよかったんだ。
魔理沙は確かにそう言った。
「お前に友達が出来ようが出来まいが、本当に心底どうでもよかった。それはお前のことを考えてやる余裕がなかったとか、そんなことは一切関係なくだぜ? だって、私にとってはここでの出来事は遥か昔に、とっくに終わっていることなんだからさ。……だから私にとって重要だったのは、このどうしようもない不安を紛らわすことが出来るかどうかだけだったんだ」
――だからこそ、それに利用するために天子に協力したのだと、そう魔理沙は言った。
「……でも魔理沙は、真剣に私に協力してくれたじゃない」
「だからそれはあれだぜ。真剣にやらないと、不安を忘れられないじゃないか」
魔理沙は誤魔化すように笑いながらそういった。
「違う! そういうことじゃないの!」
そう大声で叫び、天子は首を大きく何度も横に振った。
「だって魔理沙は真剣に私と一緒にいろんな作戦をやってくれたじゃない。それでたくさん失敗して、それでも一緒に楽しく笑ったりしたじゃない。作戦を一緒にやって、それで楽しいっていう感情を一緒に共有したじゃない。……それなのにどうして友達になってくれないのって、私は最初からそれを訊いてるのよ!」
天子は気付けば涙目になりながら、その感情を吐露していた。
魔理沙がどうして自分に協力してくれるのか、それを天子は確かに不思議に思っていた。だからこそ魔理沙が今言ったように、天子をただ利用するためだけに協力していたのだという事実はショックだった。
(でもそれは、お互い様だ)
そう天子は思った。何故なら天子だって、友達を作るために魔理沙を利用していたのだから。魔理沙が時折見せた不安そうな表情に気付いていて、それでもあえて何も言わなかったのだから。
もし魔理沙に「どうしたの?」と訊いてしまったとして。
それで今の楽しい時間が終わってしまったら。
そう考えると、魔理沙の心にあと一歩踏み込むことが難しかった。
でもそこで立ち止まっていることが原因で魔理沙と友達になれないのだとしたら――。
――そんなのは絶対に嫌だった。
「……楽しかったからだよ」
魔理沙は小さな声でそう言った。
「えっ……?」
しかし天子は聞こえたその言葉が信じられなくて。
だからもう一度、今度は大きな声で魔理沙は言う。
「お前との時間が楽しかったから。だからこそ私はお前と友達にはなれないんだ。作戦自体は失敗続きでも、それをお前が楽しいと思ったのと同じで、私だって楽しかったんだ。こんな時間がずっと続けばいいって、本来の目的から逸れるそんなことをお前が思ったのと同じで、私だってそう思ったんだ。だから、だからこそ――私はお前とはまだ友達にはなれない」
そこで魔理沙は一度言葉を切り、そして一つの決意を胸に口を開いた。
「――お前と一緒にいたら、元の時代に帰れなくてもいいんじゃないかって、私はそう思ってしまいそうになるんだよ」
――だから私は今、お前と友達になることは出来ない。
そう魔理沙は言った。
「……そう」
天子は悲しそうな顔で、ただそう呟いた。そして続ける。
「それなら、よかった」
――よかった、そう天子は言った。
「天子……?」
「だってそうでしょ? 魔理沙は別に私が嫌いなわけじゃないんだもん。魔理沙と友達になれないのは確かに残念だけど、でもそれだって《まだ》なれないだけなんでしょ? 魔理沙は私のことをよく知っているって言ってたし、だったら魔理沙の時代では、私と魔理沙は友達なんだよね?」
そういって無邪気に笑う天子。その笑顔を見て、魔理沙もまるで救われたかのように自然な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだよ。おそらく天子は今日のことを忘れてしまうんだろうけど、それでも天子と私は友達になれる。いや、私だけじゃないぜ。いっぱい友達が出来るんだ。……まあ、みんな変な奴ばかりだけどな」
「変な奴って、魔理沙だって変じゃない。嘘つきでひねくれ者で、全然素直じゃないもん」
「お前がそれを言うのか?」
そういって、魔理沙と天子は笑いあった。
しばらくそうして笑いあい、そしてその声が止むとその場を静寂が支配した。
――先に口を開いたのは天子だった。
「……魔理沙、帰っちゃうんだね」
「ああ、そうだな」
「私、魔理沙のこと忘れないよ」
「ははは、いや、それは無理だと思うぜ?」
未来の天子を知っている魔理沙は、その天子の宣言をそういって笑い飛ばした。
「絶対に忘れないもん!」
魔理沙の態度に腹を立てて、天子は年齢相応に頬を膨らませて抗議した。
そんな天子を見て魔理沙は嬉しく思うが、やはりそれは無理だろうと思った。
魔理沙の存在は、やはりこの時代からすれば部外者に他ならない。ともすれば歴史は大きな力をもって、その影響を排除しようとするだろう。魔理沙が関わった事象は無かったことになるか、少なくとも誰にも見えないものにされてしまうはずだった。
しかし、それでもいいと魔理沙は思った。
例え歴史が本来あるべき形に修復されたとしても、それで全てが嘘になるわけではないのだから。
――だからそれでいいんだ。魔理沙はそう思うのであった。
「……あー、そろそろ別れの時間みたいだぜ」
魔理沙は魔力が集まるような不思議な感覚をもってそれを理解した。おそらく歴史の修復力が、魔理沙を元の時代に戻そうとしているのだろう。
「……ねえ魔理沙」
「ん、何だぜ?」
多分それが最後の会話になるだろうと、そう二人は思った。
「――また会おうね」
「――ああ、またな」
魔理沙がそういうと同時に、その存在が不確かになっていくのを天子は感じた。
魔理沙の姿が徐々に見えなくなっていく。魔理沙という名前が記憶から薄れ、それが魔法使いだったという記憶も薄れ、そして黒い帽子を被った少女という外見の記憶さえも曖昧になっていった。
完全に見えなくなったときには直前までそこにいたのが誰かも思い出せなくなっていた。
天子はふと我に返り、どうして自分がこんな里の外れにいるのかを考えた。
けれど何も思い出せなかった。
覚えているのは黒い帽子を被った少女という、断片的な情報だけだった。
それが重要な情報かどうかも分からなかったけれど、どうしてかそれは忘れてはいけないことのように天子は感じた。
だから天子は一つのことを思いついた。
――自分も黒い帽子を被ろう。
そうすれば黒い帽子を被った少女のことを、きっと忘れないだろう。
そんなことをまだ幼い天子は思ったのであった。
――こうして魔理沙の不思議な時間旅行は幕を閉じた。
「――魔理沙! 魔理沙ったら!」
耳元で名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。
地面に倒れている魔理沙は、頭に痛みを覚えてそこを抑えながら言う。
「痛っ……誰だよ、こんなところにバナナの皮を置いたのは、ってあれ?」
「何よ?」
不思議そうな顔をしながら魔理沙の顔を覗き込んでくる一人の少女。
「いや、なんでもないぜ。それにしてもどうしたんだ、天子。何か用か?」
「何か用って、別に用ってわけじゃないけど。ほら、いつも通り桃を届けにきたのよ」
「おお、それは悪いな。ありがたくいただくぜ、まあ何もお返しはしないけどな」
「別にお返しなんて最初から期待してないわよ……特に魔理沙にはね」
そんな風に呆れたような声を出す天子。
「そうだ魔理沙、久々にみんなを誘って花火大会でもやらない?」
「花火大会? まあそれは別に構わないぜ?」
と、魔理沙はそこまで言ってから一つのことに思い当たった。
(久々って言うけど、そもそも花火大会なんて、やったことがあったか?)
魔理沙はそんなことを思ったけれど、やはり記憶にはなかった。
「――魔理沙? 何変な顔してるのよ」
「……いや別に、何でもないぜ?」
考えても分からないことは、いくら考えても仕方ない。
それよりも今大事なのは、花火大会という名の宴会の準備に違いなかった。
そしてふと魔理沙は天子を見た。
派手ないたずらをして八雲紫(やくもゆかり)にこっぴどく叱られたこの天人は、いつもと同じ一風変わった黒い帽子を被っていた。
「なあ天子、その帽子」
「この帽子が、何よ?」
天子の黒い帽子を見て、魔理沙は思ったことを口にする。
「――どうして桃が載ってるんだぜ?」
「オシャレよ! 別にいいでしょそんなの!」
そういって怒る天子を、魔理沙は笑いながらなだめるようにする。
――そしてまた、魔理沙にとっての普段どおりな一日が始まるのであった。
天子「ばーか」
仲がいいようで何より。
魔理沙「時間は万能だな」
帽子にブドウ載せてる神もいるし、桃だって珍しいことでもないのかしらん。