寝室の窓からティグリス河畔の灯台をぼんやりと眺めていると、不意に声を掛けられた。
「お久しぶりですね、エーラーン及び非エーラーン諸王の王。ホスロー・パルヴィーズ。」
声の主を確かめると、こちらを睨め付ける双つの眼は明らかに尋常の者では無い。
だがその声には聞き覚えがあった。
「皇后か。」
この皇后――マルヤムに始めて会ったのは王位に就く前。
バフラームにクテシフォンを追われて居た時である。
時のビザンツ皇帝マウリキウスから援軍を得る引き換えに皇女を娶る事となった。
彼女が―今は亡き―マルヤムである。
「御冗談を。皇后様はそちらの寝台でお休みになられているシーリーン殿でしょう?」
「久しぶりだと言うのに手厳しいな。死んだとは言え、今でも君の事は依然変わりなく皇后だと思っているよ。」
言い終わったところでああ、これは失敗したなと思った。
「随分と人を馬鹿にした事を言えるものですね。死して尚遺恨堪え難く、こうして黄泉路より帰り来たにも拘らず、まるで何事も無かったかのような仰り様ですもの。」
「生憎だが、亡者よりも先にこの世の者から喉元に刃を突き付けられているところでね。
先日ニネヴェにおいてペルシア全軍が覆滅し、ギリシア共がこのアル=マダーインに殺到しつつあると。
そうでなくても今夜君の代わりに息子のカワードが刺客を送り込んできたかも知れないしね。」
やや自棄になって長台詞を言い終わったところで、「それはご愁傷さまですこと。」と短く切り捨てられた。
「気に掛けてもらって恐縮だね。それで今日は…僕を取り殺しに来たのかい?」
「その通りです。」
彼女は短く言い切ると、しばらく沈黙した。
空いている夜光杯に葡萄酒を注いで彼女に進めつつ、自分の杯を取って話を促した。
「それだけかい?用事を済ませたらすぐ帰れなどとつれない事は言わないつもりだ。」
良く口が回るものだと皮肉を投げかけられるだろうと考えていると、
「……一つ、あなたに聞きたいことがある。」
先程までよりもやや低い調子で彼女は話し出した。
「今更、私を愛していたかなどとと下らない事を聞くつもりはありません。」
「貴方の心はそこに居るシーリーンにしか向いていなかった。」
「聞きたいのは一つの事実だけ。」
そこまで言うと、一旦呼吸を置いた。
――自分の方に心は向いていない――
そう思うのは無理もない。何故なら、
私が「そういう風に振る舞ったから」だ。
彼女はもう一人の妃を認めなかったし、シーリーンも自分が只一人の妃にならない事には後宮に宮廷に入ろうとしなかった。
それで、私が「もう一人の妃」に拘い、歓心を得ようと腐心する度に彼女の瞳は冥く沈んでいった。
心労を重ねた皇后が倒れたのは丁度こんな風に葡萄酒を飲んでいた時。
「『あの時』葡萄酒に混ぜていたサパ(注)はシーリーン付きの召使いから私の手に渡ったものです。
中身がどういう物か、凡そ見当はついていました。
これを受け取らずに宮廷で打ち捨てられたままの日々を続けるか、自分の命とともに断ち切るか、どちらか選べ。
少なくとも私は、そう言っている。と受け取りました」
「あなたに聞きたいのはもう一つの私がとうに切り捨てていた可能性。」
「もし―」
「『あれ』を毒が入っているかも知れない、調べて欲しいと願い出ていたら―」
「あなたは讒言として私を大ぴらに処分していた?」
「私が倒れてから、あなたは最後まで付きっ切りで看病をしてくれた。
あなたが王位に就いてから、優しくしてくれたのはそれが最初で最後。
それでも私は、あなたは何かあれば私を廃立するつもりだと、
せめて惨めな死に方はしたくないと思って黙っていた。
最後にあなたを信じて良かったのか、それだけが知りたい。」
「その問いには答えられないなあ。」
なぜなら
「元々『それ』は私が渡すように頼んだものだからね。」
彼女は唖然とした顔になった。
「実言うと、毒を盛るのはそれが始めてじゃないんだ。」
「君が衰弱していったのは心労のせいだけじゃない。」
打ち捨てたのは貴女の冥い眼を見たかったから。傷めつけたのは貴女の苦しむ姿が見たかったから。
今にも掴み掛りそうな形相の彼女にこう言った。
「最後に一つだけ頼みがあるんだ。」
「シーリーンを起こさないでやってくれ。」
当然、こういう風に言うだろう。
「ホスロー!!あなたと言う人は!」
叫ぶや否や、彼女は万力の様な力で私の頸を締め上げた。
緑色に光る瞳は身の内に抑え切れない憎しみが溢れ出てくる様相だった。
ああ、そうだ。
私は貴女のその目が見たかったんだ。
「お久しぶりですね、エーラーン及び非エーラーン諸王の王。ホスロー・パルヴィーズ。」
声の主を確かめると、こちらを睨め付ける双つの眼は明らかに尋常の者では無い。
だがその声には聞き覚えがあった。
「皇后か。」
この皇后――マルヤムに始めて会ったのは王位に就く前。
バフラームにクテシフォンを追われて居た時である。
時のビザンツ皇帝マウリキウスから援軍を得る引き換えに皇女を娶る事となった。
彼女が―今は亡き―マルヤムである。
「御冗談を。皇后様はそちらの寝台でお休みになられているシーリーン殿でしょう?」
「久しぶりだと言うのに手厳しいな。死んだとは言え、今でも君の事は依然変わりなく皇后だと思っているよ。」
言い終わったところでああ、これは失敗したなと思った。
「随分と人を馬鹿にした事を言えるものですね。死して尚遺恨堪え難く、こうして黄泉路より帰り来たにも拘らず、まるで何事も無かったかのような仰り様ですもの。」
「生憎だが、亡者よりも先にこの世の者から喉元に刃を突き付けられているところでね。
先日ニネヴェにおいてペルシア全軍が覆滅し、ギリシア共がこのアル=マダーインに殺到しつつあると。
そうでなくても今夜君の代わりに息子のカワードが刺客を送り込んできたかも知れないしね。」
やや自棄になって長台詞を言い終わったところで、「それはご愁傷さまですこと。」と短く切り捨てられた。
「気に掛けてもらって恐縮だね。それで今日は…僕を取り殺しに来たのかい?」
「その通りです。」
彼女は短く言い切ると、しばらく沈黙した。
空いている夜光杯に葡萄酒を注いで彼女に進めつつ、自分の杯を取って話を促した。
「それだけかい?用事を済ませたらすぐ帰れなどとつれない事は言わないつもりだ。」
良く口が回るものだと皮肉を投げかけられるだろうと考えていると、
「……一つ、あなたに聞きたいことがある。」
先程までよりもやや低い調子で彼女は話し出した。
「今更、私を愛していたかなどとと下らない事を聞くつもりはありません。」
「貴方の心はそこに居るシーリーンにしか向いていなかった。」
「聞きたいのは一つの事実だけ。」
そこまで言うと、一旦呼吸を置いた。
――自分の方に心は向いていない――
そう思うのは無理もない。何故なら、
私が「そういう風に振る舞ったから」だ。
彼女はもう一人の妃を認めなかったし、シーリーンも自分が只一人の妃にならない事には後宮に宮廷に入ろうとしなかった。
それで、私が「もう一人の妃」に拘い、歓心を得ようと腐心する度に彼女の瞳は冥く沈んでいった。
心労を重ねた皇后が倒れたのは丁度こんな風に葡萄酒を飲んでいた時。
「『あの時』葡萄酒に混ぜていたサパ(注)はシーリーン付きの召使いから私の手に渡ったものです。
中身がどういう物か、凡そ見当はついていました。
これを受け取らずに宮廷で打ち捨てられたままの日々を続けるか、自分の命とともに断ち切るか、どちらか選べ。
少なくとも私は、そう言っている。と受け取りました」
「あなたに聞きたいのはもう一つの私がとうに切り捨てていた可能性。」
「もし―」
「『あれ』を毒が入っているかも知れない、調べて欲しいと願い出ていたら―」
「あなたは讒言として私を大ぴらに処分していた?」
「私が倒れてから、あなたは最後まで付きっ切りで看病をしてくれた。
あなたが王位に就いてから、優しくしてくれたのはそれが最初で最後。
それでも私は、あなたは何かあれば私を廃立するつもりだと、
せめて惨めな死に方はしたくないと思って黙っていた。
最後にあなたを信じて良かったのか、それだけが知りたい。」
「その問いには答えられないなあ。」
なぜなら
「元々『それ』は私が渡すように頼んだものだからね。」
彼女は唖然とした顔になった。
「実言うと、毒を盛るのはそれが始めてじゃないんだ。」
「君が衰弱していったのは心労のせいだけじゃない。」
打ち捨てたのは貴女の冥い眼を見たかったから。傷めつけたのは貴女の苦しむ姿が見たかったから。
今にも掴み掛りそうな形相の彼女にこう言った。
「最後に一つだけ頼みがあるんだ。」
「シーリーンを起こさないでやってくれ。」
当然、こういう風に言うだろう。
「ホスロー!!あなたと言う人は!」
叫ぶや否や、彼女は万力の様な力で私の頸を締め上げた。
緑色に光る瞳は身の内に抑え切れない憎しみが溢れ出てくる様相だった。
ああ、そうだ。
私は貴女のその目が見たかったんだ。
着眼点が好みなだけに、そう思ってしまいます。
あと、この文体で書くのなら、改行はもっと少なくした方が良かったと思います。まあ、私が元々改行が好きじゃないってのもあるんですけど。