Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

掌編2作[化け猫化かす/木を切らば]

2013/05/11 10:01:54
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■ 化け猫化かす

 先の一件で久しぶりに地上へ上がったお燐であったが、その喜びを表すためにしばらく人を化かしていた。本気ではない、せいぜいびっくりさせるくらいのものである。
 お燐は数十年ぶりに化け猫然としはじめたため、いまいち勝手を忘れている節があった。それ以上に幻想郷の人々は妖怪幽霊に慣れきっていて、そうそう驚いてくれなかった。昔は老若男女かまわず化かしていたが、今のお燐は若人に絞って驚かしていた。それでも満足はできた。
 ある日、お燐はある男の子に狙いを定めた。彼は他によくいる人間と同じくして人里に住んでいるが、わんぱくに里の外へも出向いていた。お燐はそこに目をつけた。
 男の子が一人で林に分け入って、岩をひっくり返したり、土を掘り返しているとき、猫の姿でそっと近づいていった。頃合いを見計らってにゃあと一声発せば、男の子はたちまちキョロキョロしはじめる。そこでにゃあともう一声かければ、すぐとこちらに気づいてくれる。そしたらもうこっちのもので、お燐は猫なで声をあげながら擦り寄っていけばよい。
 男の子のほうは非常にキラキラと目を輝かせてこう言った。
「なんだお前」
 言葉は粗野だが態度はかわいく、お燐が近づいていくと腋からつかんで抱き寄せてくれた。加減を知らぬ手つきだが幼子ならこんなものだろうと、お燐はもひとつにゃんと鳴く。
 これは幼子に限らないことであるが、人間一人のとき人懐こいものに出会うと、むやみに話しかける習性がある。男の子も今ここらで何々虫を見つけただの、母が何々せよと毎日うるさいだの、聞かぬでも話してくる。こういう世間話も醍醐味の一つには違いなく、お燐は愛想よく聞き行っていた。
 会って一日目であんまり仲良くなるのも度が過ぎる。お燐は伊達に化け猫をやっているわけではないので、押し引きの具合もよく知っていた。そろそろというところで男の子の腕からするりと抜け出ると、そのまま草むらに隠れた。男の子は当然探しはじめるが、見つかりはしない。
 こんなことを数日ほど続けた。すると男の子はどんどん野良猫に愛着をもつようになり、警戒心は薄れていくことしきり。いよいよ慣れ親しんだ頃になってから、お燐はイタズラを始めるのである。
 その日、男の子はまたもや林の中で遊んでいた。しかし以前と違ってそわそわしている。いつもの野良猫を待ちかねているからに他ならない。お燐は草むらからそれを覗きながらクスクスやっていたが、じきに鳴き声をあげて飛び出してやった。
 男の子がこちらを見つけると、喜びに顔を輝かして近寄ってきた。お燐は化かすために考えていた筋書きを思い起こす。さしあたりゆっくりと立ち上がって二足になり、前足を人間よろしく振りながら「やあやあ今日も御苦労さま」と人語を喋ってみせるのである。
 お燐がいざ立ち上がろうとしたときだった。ふいに頭上から聴き知らぬ声が聞こえてきたのである。
「化け猫ばかされた。化け猫ばかされた」
 飄々とした声が林に響き渡り、お燐も男の子もびっくりして木の上を眺める。お燐は梢にとまっている動物の影を見つけたが、猫の姿ではないか。そいつは同じ文句を楽しそうに繰り返す。
「化け猫ばかされた。化け猫ばかされた」
 茫然としていた男の子はやがてお燐に、疑り深い目をむけてきた。お燐は焦って近づいたが、退かれてしまう。
「なんだ、おまえ化け猫なの?」
 お燐はそう言われてまったく落胆した。男の子に疑りが生まれてしまったようで、あんまり粘っても甲斐がないので、諦めてその場を去るしかなかった。
 林の深みに入ったお燐は木の上にのぼって、さっきの失礼な猫がいた場所を見おろしたが、姿はとうに消え失せている。声もいつの間にか聞こえなくなっている。とんだ邪魔をされたものだと、腹の虫がおさまらなかったが、相手がいないのでは虫の下しようがない。
 その日は散々だったが、お燐は気を取り直して翌日からも化かしを続けた。また別の狙い頃な女の子を見つけたので、すり寄って行った。これはまたうまいこと運ぶことができた。
 だが、その子をいざ化かすという段階までやってきたとき、またしても予期せぬ事態になった。女の子と毎日出会っていたとある小屋の裏手で、その子にごろにゃん鳴きついていたら、唐突に屋根の上から軽妙な声が聞こえてきた。
「ほれほれ。化け猫ばかされた。化け猫ばかされた」
 またしても種明かしの声だ。お燐はうろたえ、女の子はびっくりした調子で話しかけてきた。
「えー、猫ちゃん妖怪だったの?」
 こんなつれない返事をされては仕様がない。驚かす絶好の機会を奪われてしまい、お燐は苦し紛れの鳴き声を発して飛び去った。ついでに屋根までのぼった。すると遠慮ない例の猫がひょっと屋根から近くの木へ飛び移っていく。見逃すまじとお燐も続き、木から木へと猿渡りに渡っていく。
 お燐は足にはそれなりの自慢があったものだが、どういうわけか相手の猫にいっこう追いつけない。困っているうちにどんどん離れていき、じき梢の裏に見えなくなってしまった。
 お燐はがっかりして地面に降り立ちながらも、よくよく注意しなければと心を戒める。
 が、その甲斐はなかった。同じことがあと何度も起こった。お燐が人を見つけて化かす準備をしても、ここぞというところで必ず邪魔者が割り込んでくるのである。耳にタコができるほど例の文句を聞かされた。どうやら相手を抑えるためには、捕まえるなり何なりしないとならないらしかった。
 あるはつらつとした青年を化かそうとしたときのことであるが、お燐はそのときばかりは別の目的に心を燃やしていた。すなわち、今日こそ奴をとっちめるぞと。
 人里近くの道端で青年を待ち構えていると、いつも通り夕方頃に向こうから歩いてやってきた。お燐はまず周囲をうかがい、まだ例の猫が見えないことを確かめる。そろそろと忍び出ていって青年の目につくところでにゃあと演技をした。ここまで異変なし。青年が顔に似合わぬかわいい言葉づかいをしながら近づいてくる。まだ見えない。青年が両手で抱き寄せようとしてきた。
「やいやい。化け猫ばかされた。化け猫ばかされた」
 頭上から声が聞こえたと同時に、お燐は青年の手元から離れて木の上に登り立つ。すかさず相手の猫が退いていくが、負けじと追いかける。この日のために木渡りをいくども鍛えておいたお燐は、さすが速かった。以前のようなていたらくは表に出さない、先方の尾を噛む勢いである。
 今度の追いかけっこは長く続いた。お燐がいいかげんバテ始めた頃には、二匹は地面を走り回っていた。たびたび相手を見極めようとしたものの、ぼんやりしていてよく分からない。ブチのようだし黒猫のようだし、猫でないものに見えることもある。
 間もなくすると相手が掻き消えた。アッと思った矢先、目の前にいきなり小屋がそびえたった。お燐は慌てて立ち止まり、その場でぐるぐる回って小屋を観察する。古いあばら屋であった。藁ぶき屋根は苔むして、一部ではすっかり穴が開いている。板張りの壁は黒ずみ隙間だらけ。だがお燐をもっとも警戒させるのは、小屋から漂う臭気であった。腐臭である。死体運びの化け猫には嗅ぎ慣れている死体の臭いに違いなかったが、同類の臭いであるのはいかがなものか。
 お燐はさすがに入るのをためらったものの、ここで退けばまだ弄ばれ続けるであろうと、勇んで踏み込んでいった。
 腐って崩れ落ちた戸口をまたいで、土間に入っていく。腐臭はいっそう強くなり、だいぶん近い。お燐はごくりと唾を飲みこみながら居間に上がった。ささくれ立ち水気を含みぶよぶよになった畳みの上、目線は自然と居間の中央に引き寄せられた。そこには無数の猫の死骸がつんであった。骨になっているもの、腐りかけのもの、いずれもまとめて山積みである。
 いくら妖怪のお燐と言え、同類のむごい死にざまをありありと見せつけられては吐き気の一つも催した。くらくらして、毛が逆立つ。すっかり気が滅入り、できるだけ臭いを嗅ぐまいとしながら踵を返そうとした。
 後ろを振り返ったとき、そこにいた影にびくりと震える。猫のようなものがいて、口をもごもご動かした。
「化け猫ばかされた。化け猫ばかされた」
 お燐が瞬きしているうちに、猫は影法師のごとく巨大になっていった。猫背が崩れかけた天井に接するかどうかといったところまでくると、右の前足を振り上げてお燐に叩きつけてきた。飛び上がって何とかしのぎ、巨猫の股下をくぐって逃げだす。すると奴の尻尾の振り回しが迫り来て、あえなく全身で受け止めた。吹き飛んだお燐は土間の竃に落ち込んでいった。竃にはへどろの浮かぶ水が溜まっていて、薄緑の水しぶきがあがった。
 びしょぬれですばやく竃から脱すると、巨猫が飛びかかってくる様を見てすぐ小屋の外に出た。あとはもう逃げまわるだけである。
 がむしゃらに疾走したお燐は、ようやくのところで道端に出た。さっき青年を待ち構えていた場所であったが、彼はもういない。赤々とした夕日が遠くの山に沈もうとしている。そろそろ逢う魔が刻である。お燐はぶるっと震えたあと、背後に何もいないのを確認しながら足早に帰り路を急いだ。人里の近くで化け猫をやるのはよしたほうがよいと、心の隅で観念していた。
 妖怪は人を化かすばかりにあらず。妖怪を化かす妖怪も少なからずいる。特に人を化かし慣れている妖怪を化かしてみせるのは、かなりの強力であると言えよう。お燐もあと一瀬というところで、化かされかけたわけである。





■ 木を切らば

 幻想郷で山といえば、大抵は妖怪の山を指していると思われる。それがもっとも大きく、妖怪たちの根城だからである。しかし幻想郷に山は大小かぎらず数多あり、名がついているものも珍しくない。
 妖怪の山のとなりに一回り小さな山があって、これを天狗連中は代り山と呼んでいる。昔は木の伐採をするのに、本拠地である妖怪の山で行うと具合が悪いから、隣山を代りにしていた。それが名の由来である。さてこれからは話を滑らかにするために、妖怪の山を単に山と称し、代り山をそのままで呼ぶことにする。
 代り山は凡庸な山であるが、近づく者は妖怪であれど多くない。山に住む天狗たちがここの森に留まることなし。こんなものだから、人間が代り山を知ることは極めて稀である。凡庸ながら、やや鬱蒼とした景観強し。
 ある日のことになる。射命丸文が幻想郷の端まで取材に行ったその日、帰り道で羽ばたきつかれて留まる場所を探した。文はちょうど代り山の上空にいて、少し進めば山が待っていながら、おっくうさに打ち負けた。てごろな梢を見つけると、そこの具合を高下駄でたしかめてから腰を下ろした。
 文とて代り山に近づいたことはなかったが、いざ寄ってみると噂通り映えのない山であった。あるいはこんなつまらない眺めだから誰も近寄らないのかと思いつつ、足をふってくつろいでいた。そうしていると、どういうことか穏やかだった風がにわかに激しくなりはじめた。この程度の風圧は天狗には常ながら、予想だにしていなかった風向きの変化が文を訝しませた。
 周囲の森がぞろぞろ呻きはじめたところ、とある木の後ろに動く影があった。文がおやと思ってじっと見つめてみると、同類天狗の影が木の周囲をうろうろしているようであった。自分と同じく羽休めにきた者かと合点して、おういと一声かけてみた。
 同類は反応もみせず、相変わらず木を巡り続けている。天狗の声は風になど負けぬから聞こえぬはずはない。文はもうひとたび声をかけながら梢から飛び立ち近づいていった。
 目当ての木の上に行ってみて首をひねった。同類はどこにもあらず、周囲を見れど姿なし。もしか枝葉の形を見間違えたのだろうか、今日はよくよくアテが外れるな、と思いながら文は山に帰ることにした。
 別の日、文はまた代り山で休息をとった。ここがそれほど近寄りがたい場所ではないと分かったので、好んで立ち寄ることにしたのである。
 今日も穏やかな一日で、陽はよく照って風はやさしく、梢の上にいるとそれらを味わうことができた。が、休みはじめて間もなくすると、にわかに風向きが怪しくなった。気づいた頃には、森はずいぶんやかましくなっていた。
 これでは休む気も起きぬと、梢に立ち上がって飛び上がろうとした文であったが、そのとき代り山の麓のほうに天狗の影がちらついた。昨日と同じに木の回りをうろついているようで、きっとその人かもしれないと思わせた。
 目をこらしてみると、天狗は一柄の長尺なノコギリで木を挽いている最中であった。これまた文におやおやと勘ぐらせる。天狗の間での規則として、伐採は決められた者が決められた日時にしか行なってはならない。これは資源の限られた幻想郷では無視できぬ事柄なりて、天狗連中は身内で強く戒め合っている。そして、最近では代り山で伐採を行うことは稀なことであった。
 代り山にて一人で伐採を行なっているのは甚だ不思議なことで、その筋に深くない文であっても疑問を呈するものであった。もぐりの伐採者かもしれぬと心構えて、より観察の目を強めた。そうこうしているとはや天狗はノコギリを挽き終えたらしく、木がゆっくりと傾きはじめた。なれど倒れるぞおの掛け声もなく、天狗は倒れ掛かってくる木をじっと見つめて逃げもしない。文がギョッとしているさなかにも、木の冠にうずもれていった。
 大事故かと思われたところ、天狗はいつの間にか木の上に浮遊していた。倒木に巻き込まれたように見えしかれど、早業で逃げ出してみせたかと文はホッとした。とはいえ彼への不審は高まる一方である。
 文がそちらに向かおうとしたとき、天狗は文を睨みつけてきた。初めて見る顔は烏天狗の風貌であるが、どうも見慣れぬ。眼光はいやにぎらぎらしていて、ふとすれば飛びついてこぬとも知れぬ気配がした。不安になって声をかけるのをためらっていると、相手は遠くへ飛び立ってしまった。
 あの天狗はいかにも怪しく、なお注意しておくのがよいだろうと思わせた。今はとにかく見失ったので文も帰路についた。
 山の奥深く、天狗が集う集落の小屋の一つに文は戻った。ところが戻ってみると小屋の回りに仲間が寄り集まり、しきりと小屋を見つめ回していた。何事だと驚いていると、人混みから姫海棠はたてがすり抜けて、話しかけてきた。
「あんたどこ行ってたの。見てみなさいよ」
 はたてに煽られ、人混みわけて連れて行かれたところ、丸太が小屋にたてかけられてあった。大きく、枝をそぎ落としておらず、玄関をふさいでいる。集まっていた天狗の一部が数人がかりでどかしている最中であった。文はその様子をぽかんと眺めたあと、皆の話し合っているものに気がついた。
 皆は誰が丸太を運んできたかを話しているらしかったが、既にとある一個の名前をしきりと囁き合っている。文は不思議になってはたてに問いかけた。
「もう犯人が分かってるの?」
 するとはたては、驚いた顔で言葉を返してきた。
「あんたうつろてんぐのこと知らないの」
「はあ、うつろてんぐ」
「呆れたわ。外ばっかり見てるから疎くなるのよ」
 はたて曰く、うつろてんぐという天狗あり。天狗の間では名だたる噂の一つなれば、知らぬ者なしと言える。あけすけに言えば幽霊の一種である。かつて山を縦横無尽に飛び回り、休むときには仲間と同様、梢に留まっていた。ちょうど休んでいたとき激しい突風が巻き起こり、周囲の木が倒れ伏した。彼は倒木に巻き込まれてあえなく失せてしまった。以来は霊体となり、山の回りを飛び恨めしい木を挽き続けて、他の者と出会ったならば容赦なく呪うという。うつろてんぐに目をつけられた者は、住居に目印として挽いた倒木を置いていかれるそうだ。
 はたては気遣う調子で言った。
「お祓いを受けときなさいよ。天狗とはいえ呪いは侮れないわ」
 文はそう脅されても怯む心をもっていない。むしろ僥倖だとほくそ笑む。昔話を究明するというのも面白い、ひとつ新聞の隅の行増しに使ってやろう。と、ひそかに計画をたてた。
 明くる日、文は用事ついでや羽休めではなく、ただ一つの目的をもって代り山にやってきた。この日は空けわしく曇り、風は髪を乱した。文は薄々と感づいていたが、例の天狗が出てくる際には風が苛立つものである。
 梢に留まって待ち構えていると、瞬く間に強まる風向きであった。文は霊障迫る予感に胸を高鳴らせ、代り山のそわそわする景観に目をこらした。すると遠い麓のほうに、見え隠れする影を捉えた。うつろてんぐだ。手にノコギリを持ち、木の周囲をうろついている。
 文はカメラを両手にそっと構えると、気配を押し殺して相手を写す準備をした。妖怪の気配を殺すというのは、人間の息を潜めるとは異なり、五感六感に至るまで惑わす技なり。
 と、文が見ているうちに、うつろてんぐの影は元いた場所におらず、いつの間にか別の木立をうろついていた。しかれども文はうろたえず、幽霊は定めて神出鬼没なものだとむしろ合点した。そんな幽霊を撮影したこと数多ある彼女としては、これも難しいことではないと思われた。
 うつろてんぐはそこらの木陰をいったり来たりして容易には撮影させぬようであった。惑わしに負けず文は何度かシャッターを押したものの、満足する構図は得られない。もう少し近ければよいがと思っていると、実は相手が徐々に接近していることに気づいた。はじめは麓に小さく見えていた影も、今では文とそういくつも木をまたがない位置にいた。天狗らしい紗のあしらわれた修験者衣装に、古臭い頭巾まで、ハッキリと見通せられた。
 うつろてんぐは出し抜けに飛び上がったかと思うと、文めがけて落下してきた。文はアッと思って退いたが、そのときには既に相手は見えなくなっていた。付近にいるのは間違いないので、少々恐れて離れることにした。
 いったん別の木に留まろうとしたが、途端に下から引き寄せられて滑り落ちていく。文は驚いて梢を掴み抵抗したが、右足にかかる引力は凄まじい。振りほどこうにも足を振り回すことすら難しかった。もがいていると下から「キ……キ……」とうめき声が聞こえてくる。
 何とか蹴りあげて脱出した文は急いで足元を見おろしたが、そこには何もいない。周囲にも気配なし。だが文の右足首にはたしかに掴まれた跡が残っており、うつろてんぐの手相をまざまざとさせていた。
 みっともない結果に終わってしまった文は、とぼとぼと帰路についた。小屋にはいつかのような丸太はなく、やや物足りないながらも心が落ち着いた。
 戻っていくつかの写真を現像してみたものの、いずれにもうつろてんぐらしき影がゴマほどにしか写っていなかった。あの足を掴まれたときが格別のシャッターチャンスだったのであろうと、悔しがりつつ寝床にもぐりこむ文であった。
 寝ようと思い立ったのはいつだったか、文がそんな些細なことを考えはじめるのも、いっこうに眠れないからであった。掴まれた右足首が妙に気に病んだ。外はいつ頃からか風が吹き荒れており、小屋の戸口がうめいた。あるいはそれが悩ましい夜を演出しているのかもしれない。
 そのとき、風に紛れて何かの降り立つ音が聞こえたような気がした。文は枕に伏せる頭を動かして外の様子をうかがった。夜更けに誰かが訪れるというのは、妖怪ならば不思議でもないが、降り立った限り沙汰がないのは奇妙であった。風に飛んできたモノでも落ちたのかと思っていると、次にはひときわ大きな音がした。かすかな地響きが小屋に伝わり、文が飛び起きるのもやむを得ない。
 慌てて外に出てみると、玄関のすぐ先をふさぐものがあった。文がますます驚いて見渡せば、なんと丸太ではないか。小屋にたてかけられていた。しかもついさっきの出来事であるらしく、まだ安定せずかすかに揺れ動いていた。
 文は苛立って犯人を探そうとした。うつろてんぐだか何だか知らぬが、人の眠りを妨げるとは甚だ不愉快なりと、目を光らせて小屋の屋根まで飛び立った。すると小屋の裏から声が聞こえてくるのに気付いた。風に紛れているが、耳をこらせばなんと言っているのか聞き取れた。
「キヲキラバ……キヲキラバ……」
 その文句を聞いてははあと文は心得た。うつろてんぐは噂では木を挽くのに執着しているから、そんな思いが言葉になっているのだなと。そこにいるのは間違いなしと、文は裏に回り込んだ。
 小屋裏の上までいった文は、そっと下をうかがった。その途端に例の声は止み、そこには何もいない。周囲にくまなく目を通したが、影も形も見当たらない。またもや弄ばれた様子であった。
 文は不満がりながらも、いったん玄関の丸太を片付けようと引き返すことにした。
 くるりと踵を返したとき、ふいに右足首が引っ張られ、彼女は屋根に倒れて腹這いになった。足元を見て、ハッと肝を冷やした。宵闇の中からぬっと浮かびあがってきたうつろてんぐが、左手で文の足首を掴み、右手にはノコギリを構えていた。その頭は何に打たれたか真っ二つに割れ、血みどろの中に、どくろの白がぬめりと浮き彫りになっていた。目玉は垂れ出ていながら眼光なお激しく燃え、文を睨みつけながら震えた舌で言葉を吐き出した。
「キヲキラバ……キヲキラバ……」
 うつろてんぐはノコギリを文の足首にあてがいはじめた。焦った文は必至にうつろてんぐを振りほどこうとした。ところが相手の腕は万力のごとく足首を捕まえ、いっこう離れる気配がない。爪がめりめりと食い込む。
 ノコギリの冷たい歯が肌に感じられた瞬間、文はさすがに恐怖を禁じ得なかった。間もなく迫ってくるであろう痛みを予感して体がこわばり出した。
 出し抜けに森の向こうから閃光が走った。文は目がくらんで顔を伏せながらも、ふっと足が軽くなったのですみやかにうつろてんぐを蹴り上げて脱出を試みた。屋根の上空に逃げ出したところで、二度目の閃光が周囲を包み込んだが、もう文は顔を伏せもせず光の正体を見定めた。
 光はカメラのフラッシュ、森から現れたのは携帯電話を片手にするはたてであった。はたては屋根の付近でもがくうつろてんぐに向かって、続けざま撮影を繰り返した。するうちうつろてんぐは音もなく消え失せていった。
 文とはたては屋根上に降り立った。文は茫然としながらも、はたてにお礼を言った。
「あー、助かったわ」
 はたては携帯電話の画面をむけてきた。そこには悪鬼のようなうつろてんぐと、すっかり怯えきって顔をひきつらせた文が写り込んでいたが、うつろてんぐのほうはボケていた。どうも気恥かしかったので茶化さずにはおれなかった。
「そんな写真じゃ記事にはできないわね」
「本当よ、私、知り合いの足が切断されたなんて記事は書きたくないわよ」
 どうやらはたては本気で言っているらしく、文はゾッとする気持ちを思い出すことになった。
 文はこの出来事以来、代り山に訪れることはなくなった。うつろてんぐがまだいるからである。天狗らの写真は霊力魔力を吸い取る力がありしかば、うつろてんぐも大人しくなることは間違いないが、巫女の神力のように退治にはむかない。今も代り山のどこかで木を挽き、近づく者を木と見立てて襲ってこないと限らないのである。
今回はオーソドックスなホラーを書けました
しかし妖怪の幽霊なんてものは、怪しいものですが

文の話は独自の設定をつくりすぎたので少し反省しています
ただ山の名の由来がどうとか、幽霊の由来が云々だとか、
いかにも昔話な感じがして入れたくてしょうがありませんでした
今野
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
確かに、いかにも怪談らしい怪談。
2.名前が無い程度の能力削除
ホラーでありながら、読みやすい軽妙さがある。軽妙でありながら、ゾッとする古風な恐ろしさがある。怪談とはまさにこういうものなのでしょうね。
面白かったです。好きです、こういうの。
3.名前が無い程度の能力削除
はたては文を気にかけていたんでしょうね。

怪異を軽んじたり、欲を出したり、そういったことを戒める教訓的な性質のあるところ、まさに怪談のよさだと思いました。
4.名前が無い程度の能力削除
二本目の古典ぽさがよかった
5.奇声を発する程度の能力削除
らしい怪談でした