Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

信ギ山エン起

2013/04/07 10:30:07
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 転生はある。そう信じられる者はこの現代日本に、反スピリチュアリズムに犯された科学世紀の日本に、果たして何人いるだろうか。そもそも死後を生きている間に証明できるのは悪魔しかいないのだから、人の身で確信など得られるものか。
 ところが「来世を見た」と言った男がいた。悪魔ではないが今の人でもない。記録によれば延喜の時、大和の信貴山にて修行していた命蓮という僧である。勿論ただの坊主でもなかった。
 この命蓮、法力で倉を飛ばしたり醍醐帝の病気を治したりと奇怪な逸話には事欠かない。伝聞とは時と人を経る度歪められるものであるからして、直に言葉を聞いた者以外には彼が発したという前提さえ疑わしい。そしてその最初の視聴者、彼の実姉にあたる尼公ですら信じられなかったという始末だ。ちなみに姉弟は長らく離れ離れで、年老いてから共に過ごすようになったとされている。話の発端はそう、命蓮を訪ねて間もない尼公がある質問をしたことであった。
 二人の暮らす堂に度々顔を出す少女は一体何者なのか。どうも尼ではないらしい。法衣こそ纏ってはいるが髪は降ろしていない。どことなく近寄りがたい雰囲気を持ち、向こうも露骨にこちらを避けてくるくせに、命蓮にだけは懐いている様子。それが尼公には不思議でならなかった。ところが命蓮、それ以上に不可思議な返答を寄越す。

「あの子、一輪は妖怪だ。今度彼女の頭上に注目してごらん、仲間の入道妖怪が目を光らせているから」
「よ、妖怪!?」
「そういうわけで在家のままだし人間を警戒している。ただ唯一素性を知り受け入れた僕はまた彼女から受け入れられているんだ」
「ちょっと待って、どうして彼女がそうだって……?」

 そしてこの男はグッと溜めてにんまりしてから言うのであった。来世を見たからだ、と。
 尼公は首を傾げた。当然だ。誰だって答えになっていないと思うだろう。命蓮も承知ですぐに補足する。

「来世を垣間見てね、そこに彼女の今と変わらぬ姿があったんだ。今よりずっと後のはずなのに、だよ? だからこの子は妖怪の類に違いないとね。もしかしたら仙人様かもしれないけど、多分妖怪」
「は……からかっているのですか、命蓮」
「今回はからかっていません。本当です姉上。そこそこ大真面目ですよ姉上」

 と命蓮はふざけて言う。そんな調子なのだから尼公は疑いを強めるのであった。

「そうですね、貴方は真面目な僧侶だったはずです。来世を見た? もう少し説得力のある冗談は言えなかったのですか?」
「説得力はないが冗談でもない、つもりだよ僕は。釈明は聞いていただきたい」

 尼公の鋭い視線をそのまま返して命蓮は語る。彼が「来世を見た」経緯について。それがまた尼公には騙っているように思えた。目の前の弟の姿が自分の信じる弟像、幼少期の純朴さと噂に聞く高僧ぶり、からあまりにもかけ離れていたため信じられなかったのだ。彼女、頭は固い方である。老いて一層。
 対して若さゆえの過ちもある。命蓮がそうで彼の告白は本当は仏門に入りたくなかったというところから始まった。修行なぞしたくはないし、そもそも信心など一切持ち合わせていなかった。けれども両親を病で失い生きていくには出家しか方法がない、当時の社会では当たり前のことだ。これは姉の方も同じはずだが真面目に励んできた彼女には思いもよらぬことだった。あるいは考えないようにしていたか。考える余裕すらなかったか。
 始めこそ嫌々髪を丸めた命蓮だったが密教と出会い修行にのめり込むようになったと言う。仏の存在すら信じられないからこそ、それを確かめようと、ひたすらに真理を追い求めたと。で、幸か不幸か天性の才能が後押しした。
 そこまでは良いとしよう。だが次第に命蓮の探究は仏法の域を超え、外法、いや魔法と呼ぶべきだろうと彼自身は言う、に手を出してしまった。その頃には半ばトランス状態となって人の形を留めなくなっていき――
 そして、見た。

「いや仏様が見せてくれたのかもしれない。目に映るものしか信じられない愚かものにも慈悲を。そして僕は信じざるをえなかったよ。と同時にひどく安心した。それからは悔い改めて正しく善行を積むようになった……とは嘘だ」
「ほっ、やっぱり冗談でしたか。ですが命蓮、冗談でもあまり……」

 安心して一息つく尼公だが、それを命蓮は打ち消す。

「嘘なのは最後の部分だけだよ。一輪の件に関してもそうだが僕は来世を見るという「ズル」をした挙句そこで得た知識を悪用している。地獄行きは免れないどころか何度生まれ変わってもこの先救いはない。まさしくそういう来世だったしね」

 思わず尼公の表情が強張る。対して命蓮は穏やかで、冷ややかでさえあった。それも自分の未来を知っているがゆえの余裕、あるいは諦観か。
 彼は自分の来世は石ころだと言った。石ころは考えない。善行など積めずただ転がり続けるだけ、罪を償うことなどできない。下手すれば凶器として使われ殺生に加担してしまう。そして罪を重ねに重ねた末、あまりの重さに六道からも外れてしまうのだと。
 外道、すなわち妖怪となる。

「姉上は知らないだろうが妖怪というのは死なないんだ。正確には死んで生まれ変わることがない。彼らは退治されると塵一つ残さず消滅する。魂さえ、だ」

 パンッと軽やかな音が響く。命蓮は叩いた手を合わせたまま拝んでみせる。

「けれども見方を変えれば解脱しているとも言える。妖怪というのは仏様に最も遠いようで近い存在だと僕には思えてならない。ならば妖怪だって仏道修行に励めば悟りが開けるかもしれない。そういう仏教があってもいい、と一輪にも教えているよ」

 それこそ来世の知識の悪用だ、だから自分の罪は重くなるばかりだ、などと命蓮は自嘲する。そんな姿が意図せずして尼公に恐怖を喚起させた。そう、死の恐怖だ。来世を語るということは即ち死ぬということ。お互いもういい年なのだからそれを意識してしかるべきだ。けれども彼女はまだ先のこと、自分には関係のないことと、無意識に考えを避けていた。
 それは仕方のないことかもしれない。両親の死が幼少期の尼公に与えたトラウマは大きい。だが同類のはずの命蓮からこの事実を突き付けられた。だからこそ信じられない、いや信じたくなかったのだ。愛する弟の死も、自分の死も。そうして尼公は疑惑の目を向け続ける。来世から、死の先からは背けたまま。

「あの娘が妖怪だとか、貴方が妖怪に生まれ変わるだとか、そんな与太話をされても信ずるに値しませんよ」
「まぁそうでしょうね……僕も昔はそうだったし、またそうなる……はぁ」

 溜息を吐く命蓮はどこか遠い目をしていた。彼の言うことが本当であれば限定的に未来を知っていることになる、だからこその諦めといったところか。けれどもこの男、完全に運命を受け入れたわけでもなかった。

「もっとも見たのは一部だし、その先は……」

 命蓮がブツブツ呟いていると、勝手に部屋の襖が開いて鉢がひとりでに飛び込んでくる。彼お得意の飛鉢の法である。鉢の中には筆が入っていて、それをさっと取り出すと内底に何やら書いて、また飛ばした。雷のごとき速さで、瞬く間に二人の視界から消える。尼公は一体何をしたのかと問うた。

「そう遠くない種蒔きですよ」

 言葉通りの意味に受け取る程尼公は馬鹿ではなかったが、これ以上の詮索はやめることにした。この話題を忘れるためにも。命蓮はどことなく寂しげな表情で姉の顔を見つめていた。





 昔々、地上を追われた妖怪達がいた。彼らは妖怪の中でも特に忌み嫌われ、地下活動を余儀なくされたのである。かつて地獄と呼ばれた仄暗い底が、彼らの新たな都となった。
 古明地一家もそうした妖怪の一員である。相手の心を読むことができる覚妖怪の一族で、迫害される理由も当然その能力ゆえだ。人は誰しも秘密を持っている。それを好き勝手に暴露できる存在、など恐怖しか感じないだろう。そして恐怖は憎悪に変わる。武士の世が終わろうとしても覚退治は再三再四行われた。
 そういうわけで一家と言いつつ、故郷から逃げてきた時には幼い姉妹二人にまで数を減らしている。結局他の移民達からさえ嫌われた彼女らは、洋館を建ててそこに引き籠った。こうして姉のさとりはひとまず満足したという。
 ところが妹の方は違った。同じ逃げるにしても種族の背負う宿命から逃れようと心を読む能力を封印した。その結果姉と違って他者を遠ざける必要も無くなり、地上にさえ出没することに成功している。その代償として存在感を失い、他人も自分自身でさえも自分を意識することができなくなってしまったわけだが。彼女が「さとり」ではなく「こいし」と呼ばれるのはそういう事情による。
 ある時、さとりが体を壊して寝込んでいた。人間よりも遥かに頑丈な妖怪が体調を崩すものか? いや土蜘蛛が撒き散らした瘴気に当てられもすれば誰だってこうなろう。むしろ妖怪でもなければ即死だった。
 してこうした時、周囲とのコミュニケーションを断った引き籠りは辛い。当時は世話を看てくれるペットなどもおらず、ベッドの上で自力の回復を待つ他なかった。放っておいても死に至る病ではない、ならばしばらく我慢しておけばいいだけ話。さとりはぼんやりとした頭で天井を眺めていた。
 眠るのにも飽きてきた頃合いだ。寝室に妙な臭いが立ち込めているのに気付きふと顔を横に向けたなら、傍の机に見知らぬ籠が飛び込んでくるではないか。中に深緑の葉の束が無造作に突っ込まれていて、臭いの元がソレなのは明らかだった。いつの間に、誰が? 自分でないのならもう一人の同居人に決まっている。

「こいし? こいしなのね?」

 さとりは上半身を起こして妹の名前を呼ぶ。ただしキョロキョロと動き回る彼女の瞳にこいしの姿は映らない。心の読めない相手を上手く認識できないのはさとり特有の病気である。

「いるのよね? こいし」
「そうだ。こいしいるんだ」

 一方で姉に呼ばれるまで同じ部屋にいたことにも気づかないのがこいし特有の病気であった。

「これ、あなたが私にくれたの?」

 こいしと反対方向に顔を向けたまま、さとりは青臭い籠を手に取る。こいしはハッと目を丸くした後頷く。

「私が持ってきたみたい」
「私のために?」
「お姉ちゃんの病気を治すため」
「じゃあ薬草?」

 こいしは満面の笑みを浮かべて肯定を示す。勿論あらぬ方を向いているさとりには気づけないのだが。

「食べて! ……食べないの?」

 籠の中身を一度掴むも、放すさとり。そのまま机の上にまで置き戻したのを見て、こいしはひどく憤慨した。姉の不信を感じて。

「何でよ! せっかくお姉ちゃんのために取ってきたのに! 何で食べないのよ!」
「毒草? まさか……いやあり得えなくもない……」
「毒草? そんなはずないそう決まっているじゃない! 私のこと信じられないの? 心が読めないから? お姉ちゃんいつもそうだよね、私のこと疑ってるでしょ」

 バンバンと机を叩く音が鳴り響く。こいしはいつもの癇癪を起こしていた。

「待って、勘違いよ、こいし」
「お姉ちゃんは間違ってる! 見える物しか信じられないさとりなんて大嫌いだ! 目の前からいなくなれ!」

 無意識が爆発する。言葉通りこいしはすぐに傍の姉を、姉の涙を認識することができなくなった。それどころか自分の涙も、自分自身さえも。
 さて籠の中身だが結局誰にも口にされないまま腐敗してしまった。そうなっては薬草だったのか毒草だったのか、あるいは毒にも薬にもならない草だったのかどうかは判断しようがない。こいし自身わからぬまま摘んできたのだから。
 薬のつもりで毒を拾ってくるようなことは無意識で行動している以上よくある。その辺を姉だけあってさとりは熟知していた。ある意味こいしを信じているからこそ摂取を控えたのだろう、そこに思いやりがあるかどうかは別にしても。相手を信じていないのはこいしの方だった。
 当然こいしが姉への疑惑を自覚することはできない。何しろ彼女はそういう妖怪なのだから。





 幻想が失われた現代。と言われるが実はなくなったのではなく、一カ所に集められていた。その場所は読んで字のごとく幻想郷。人間と妖怪が共生している不思議な里だ。
 ここに最近建った寺も当然ただの寺であるはずがない。妖怪が経を読み修行する妖怪寺なのである。名は妖怪仏教の創始者にちなんで命蓮寺と付けられた。里での人気は高く、入門者は後を絶たないとの評判だった。
 そういった者の一人だろうか、鍔の大きい帽子を被った少女が命蓮寺の門を叩く。妖怪が姿を潜め、人間が起き出すにはまだ早い時間だけあって、音がよく響く。しかし彼女はこれといった目的意識があってそうしたわけではなかった。
 何故なら彼女、地下から出てきた無意識の妖怪、古明地こいしなのである。今回も人に名前を呼ばれて初めて自分が知らない場所に入っていることに気付いた。

「ちょっとどちら様? ん? んん? あっ……古明地こいし、さん?」

 門からセーラー服の少女が透けて現れる。様子を見に来た村紗水蜜はそのままこいしの体も通り抜けて、それからしばらくしてから振り返って彼女を見つけた。

「おはよう、古明地こいしよ」
「あぁおは……お待ちしておりました」

 水蜜は惚けた顔を瞬時に引締め、こいしを中に引き入れる。キャプテンムラサというあだ名が示す通り彼女は命蓮寺の所有者だった。所有者だからといって住職ではない。元々この寺の建物は幽霊船で彼女はその船長をやっていた念縛霊なのである。ちなみに船が寺に変形するなどは幻想郷ではよくある話なので誰も不思議には思わない。
 こいしが疑問にしたのは無計画でここへ来たはずなのに相手から来客と認識されたことだった。これに水蜜は手短に答える。

「何か用があるのでしょう? 私はそう聞いていますけど」
「知らないわ」
「じゃあ聖が貴方に用があるのかな……さぁ、本堂の方へ」
「聖? 知らない人……」

 船頭の後をこいしはトコトコついていく。途中水蜜は何度も後ろを振り返った。定期的に視界に入れておかないと最初からいなかったように錯覚してしまいそうなのが古明地こいしという少女なのだから。
 だがそれでも注意不足だったようで――ふと目を離した時にはすでに手遅れ、こいしの姿は綺麗さっぱり消えていた。

「Oh,my God!」

 水蜜が場違いな叫び声を上げて慌てふためいていた一方、こいしはというと境内の外れの方にある小さな石地蔵に吸い寄せられていた。この地蔵、寺の者が掘ったにしては年季が入っており、ずっと前からそこにひっそりと佇んていたような気配を感じさせる。彼女はその前に屈んでぶっきらぼうに語りかけた。

「そんなところにいたら、誰にも拝んでもらえないよ?」

 地蔵は返事をしない。こいしをじっと見つめたままそこにあり続ける。

「なんか、私みたいなやつ。でも意思はあるの。立派ね」

 こいしには地蔵の視線が和らいだように感じられた。それが少し不快で、立ち上がって背を向ける。
 私はこいしだ、私にあるはずがない、と否定の言葉を投げつけてその場を離れようとした時、注意を何かが引いた。特別大層な物とも思えなかったが、どうしてかそれが閉じた瞳を僅かにでも開かせようとする。すれば得体の知らない恐怖が襲う。無視無私無意識とこいしは何度も唱えながら、ひたすら足を動かした。
 そうしているうちにこいしは本来の目的地に辿り着いていた。いつもは門下の妖怪達で賑わっている本堂内も、この時間となるとただただ広く、寂寥感をもたらす。来客の駆け足が静寂を破ると呼応して、四十八畳の上にただ一人座していた尼僧が透き通るような声を発した。

「お待ちしておりました。古明地こいしさんですね?」
「そうよこいしなのよ。そう言う貴方はだ……お姉ちゃん? 嘘、いや」

 こいしは驚いた。一瞬相手が自分の姉に見えたこと、そんな風に見てしまった自分に。

「えっ? あの、私こちらの住職をやっております聖白蓮と申します。以後お見知りおきを」

 白蓮も予想外の反応に少し戸惑いつつ自己紹介を済ます。聖白蓮。彼女も魔法の力で千年以上生き長らえている、れっきとした人外である。聞き覚えのある名前を頭の中で復誦するうちにこいしも落ち着きを取り戻して、一言よろしくと返事した。
 それから白蓮の手招きを受けて、距離を少し詰めて座る。それでもなお十畳ほどの開きがあったが、こいしはこれ以上近づかなかった。

「何か用があるのでしょう? 私はそう聞いていますけど」

 数分前の水蜜の問いかけをこいしはそのまま流してみた。緊張を纏う白蓮は息を深く吸ってから質問で返す。

「はい、前々からこいしさんにお伺いしたいことがありまして。不躾ながらうちに入門していただきたいと思っておりまして、その」
「いいよ」
「い、よろしいのですか!?」

 快諾に拍子抜けする白蓮だったが、即答した後で悩み始めるのがこいしである。案の定取り消してやめると言い出した。

「入門ってお坊さんになるんだよね? それはちょっと……家に帰れないのは困るかも」
「そう、ですか……あっ入門と言っても出家せずに在家のままで通うというのはどうでしょう? そうしておられる方も多いですし。こちらに訪れるのも気が向いた時とかでいいですので」
「今みたいに?」
「ええ」
「それならいいかな」

 改めて首を縦に振るのを見て、白蓮はほっと胸を撫で下ろした。無意識で行動することのできるこいしは、仏教的観点から見れば「空」の域に達した稀有な存在である。そんな存在を仏教徒が放っておくことなど出来はしない。それは妖怪仏教の妖怪寺の妖怪住職であっても、だ。しめたと内心思っていた。
 もしこいしがごくごく普通の覚妖怪だったなら、相手の意図を読み取って警戒していたであろう。そもそもそうなら勧誘もされないが。ともかく話が一つまとまったところでこいしは立ち上がり、歩みを再開した。
 一畳、また一畳後にする度に、白蓮の視界に収められた少女の姿は鮮明になっていく。すると今度は白蓮の方が目を見開いて驚いた。視線がこいしからこいしが左手に持っている物に移り、それだけを拡大して映す。

「そ……れ……それ、は……」
「何?」
「左手の……」

 言われてこいしは白蓮の左手を見た後、自身の左手を見て、何かを掴んでいることに気付いた。その薄汚い年代物にはどこかで見覚えがある。

「石地蔵の横に落ちてた……なんで拾ってきちゃったんだろう」

 あの時に受けた嫌な感じは今ではさほどなかった。けれどこいしの手は勝手にそれを放り投げる。いつの間にか二人の間は一畳分にまで縮まっていたため、ちょうど白蓮の膝の上に落ちた。恐る恐る白蓮がそいつを持ち上げると、声を一層震わせる。

「飛鉢……まっ、間違い、ない……この鉢!」
「もしかして貴方のだった?」
「いいえ、これっ……これは命蓮の、弟の、鉢です……あぁやっと会えた……」

 ボロボロの鉢を抱きしめて白蓮は涙ぐむ。その光景を見たこいしはもしかして何かいけないことをしてしまったのではないかと恐れた。自分が何かする度泣いてしまう姉への申し訳なさを思い出しながら。そうしてこいしは謝るが、白蓮は首をぶんぶん横に振って否定しつつ感謝を述べるのであった。

「違います嬉しいんです。これ届けてくださって本当に有難う、何とお礼をしたらいいのやら!」
「えっ私は別に、ただ無意識のうちにそれを……」
「貴方が飛鉢を拾ったのも、もしかすると命蓮の導きなのかもしれませんね」

 ふと白蓮は、いつぞやに命蓮から聞いた話を思い出していた。例の来世を見た云々の話である。その時命蓮は鉢を飛ばしていたが、これがまさにその時のものではないか。ならば――
 底を見てみる。普通は字が書いてあったとしても経年劣化で読める状態ではないはずなのだが、そこは怪僧の法力が込められた飛鉢、白蓮の意思に反応して突如光り出すと、当時の姿を取り戻して文字が浮かび上がった。
 命蓮直筆の一文。それは彼が未来に当てたメッセージのようなものだった。その意図を完全に理解した白蓮は、ついに鉢を落として泣き崩れた。
 彼女の叫び、懺悔する声は寺の隅々まで響き渡る。眠りにあった者達は一様に目を覚まし、相変わらず客人の捜索を続けていた水蜜などはすぐさま本堂へと飛んだ。どうしたんだろうとこいしも鉢の中を覗き込む。するとそこには簡潔に「見えぬ物を意識せよ、信じる者は救われる」とだけ書いてあった。

「私は信じられなかった……その結果がこの様。でもそうしてやっと気付けた、だから今は信じられます! 貴方もっ、救いをぉ!」

 それより先は言葉にならなかった。白蓮、いや千年生きた尼公は積み重ねてきた罪を洗い流すかのように涙を流し、感情のままに嗚咽する。水蜜が、後から一輪や他の門下生が駆け付けた時、そこにはこいしに抱き留められた幼い子供の姿があった。
 どうしてそんなことをしたのか、こいし自身はわかっていない。けれど気付いたこともあった。それは不信。それは過ち。それは後悔。それは意思。だから彼女も、ポツリと漏らす。

「お姉ちゃん、私も信じてみるよ」

 潤う三つ目の瞳に、少女は懐かしい姿を見た。
一月間が空きましたが新作です、が前々作と方向性はたいして変わっていない気が……今回は短いですが。
タイトル通り信貴山縁起をベースとして、構成・展開もある程度踏襲しています。その上で命蓮とこいしという原作では接点のない二人を結びつけて、尼公の巻の続きから東方求聞口授に至るまでを妄想してみましたが如何でしょう。
命蓮のキャラはもう少しはっちゃけさせて良かったやもしれません、琵琶を破壊してお経をシャウトするような……はないか。

※誤字修正しました(4/8)ご指摘ありがとうございます!
※誤解を招かぬよう「底」の初出時を「内底」と改めました(4/15)他に適切な表現があれば教えていただけたらなと思います。ともあれご指摘ありがとうございました。
宇佐城
http://tukiusajou.blog.fc2.com/
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
ムラサの叫び声に吹いたwww
2.名前が無い程度の能力削除
短いながらもとても良く練られていた。
人物の所作が細かく、コミカルに描かれていたのが中々楽しめた。
終盤物語は畳み掛ける様にこいしにも白蓮にも氷解を齎すが、納得の行くものであった。ほろりとさせられた。

個人的なお気に入りの文は、
>パンッと軽やかな音が響く。命蓮は叩いた手を合わせたまま拝んでみせる。
>言われてこいしは白蓮の左手を見た後、自身の左手を見て、何かを掴んでいることに気付いた。
>~~~はさとり(こいし)の特有の病気であった。

誤字っぽい物
>そこに彼女の今と変わらぬ姿をあったんだ
>だから自分の罪は重くばかりだ、
>唾の大きい帽子
3.名前が無い程度の能力削除
村紗ぁ
4.名前が無い程度の能力削除
再読して気づいたけど
>どうしたんだろうとこいしも鉢の中を覗き込む。
命蓮が書いたのは確か底……
コンパクトな話には何度も読み返せる利点がある。
5.奇声を発する程度の能力削除
ムラサww