私は乱雑とした店の中でパチュリーから借りてきた本を乱読していた。今回は慌ててかっぱらって来たため、いざ見るとあまり面白い本がない。
この本は何だろうか。表紙が無い白い本が目についた。背表紙を見てみると『ヒンドゥー教』とあった。どうやらヒンドゥー教の神話の本だ。
神話というのは魔法使いにとってはバイブルにもなる。神様のやることを真似したら大体魔法と呼ばれるから。
しかし既に熟読する気の失せていた私は適当にパラパラ捲って、目についたところを読むことにした。
目についたのは落書きのような法螺貝の絵があるページだった。早速目を通す。
パンチャジャナという法螺貝の姿の悪魔が居た。でも、クリシュナという勇者に倒されて法螺笛にされてしまった。
その笛を吹くと神々は勇み立ち、悪魔は震えあがる。後にヒンドゥーの最高神、ヴィシュヌの持ち物になる。
シャーマンの持つトゥンカルや山伏の法螺貝も元をたどればここがルーツだとか。
悪魔から神様の持ち物なんて随分な躍進をした物だ、それにしても何とも便利な音色だろうか。一つの物で色々な効果がでるなんて、中々面白い考え方だ。
そんな魔法があったら便利かもしれない。法螺貝があったら作れるのだろうか。
私は本を乱暴に閉じると、積み上げられた本の上にそっと置いた。今はしっかりと読む気には成れなかった。
崩れないか三秒程眺めて動かないのをしっかり確認して外に出た。仕方ないから神社に行こう。
いつもの如く、箒で神社に向かった。神社付近に来ると、焚き火をしているのだろうか、神社の表の方から煙が上がっているのが見えた。
煙の元へ一直線、しようと思ったら神社の裏に何か落ちている物が目に入った。あれはさっき見たような。何故こんな所に?
しかし箒は急に止まれない、まず表の方にまで行きゆっくり降りる。霊夢は火を向いたまま何かしている。
「何してるんだ?」
私は聞きながら降りた。何かを焼いているようだ。
「野焼き」
「焼き物か……結構面倒なんだよな、焼いても割れたりするし」
「土を乾かしてる間に飽きたわ、いざ焼き始めたら動くのも心配だし」
霊夢はだるそうに応えた。確かに土を乾かしている間は手を加えられないし、完成を待つだけでもないからもどかしい。
ミニ八卦炉や窯も無い霊夢は此処を暫く離れずにいたんだろう、疲れるのは想像に容易い。
しかも、覗いてみると大半の物は割れているようだ。私は今度は言ってくれたら協力するように言ってみた。
少し経つと焼き終わったようだが、霊夢はあまり上手く焼けなかったからか不機嫌そうで話しかけ難かった。
大人しく見ていると、片付け終わり座敷に上がった霊夢は力なく座卓の前に座り込んだ。
一緒に裏の物を見に行きたかったが仕方ない、自分で持ってこよう。
「お疲れ様。ところで神社の裏に変なもの有ったがありゃなんだ、巻貝みたいだったが」
「はあ?巻貝なんて知らないけど……」
「だよなあ。ちょっと持って来る、要らなかったらくれ」
直ぐに裏手の方に走った、正直な所かなり気になっていた。さっき見たのは恐らく……法螺貝だったから。
裏手に回るとやはりそれは法螺貝だった。まさかこんな所にあろうとは、不思議でならないがラッキーかもしれない。
私は意気揚々と法螺貝に近寄った、この時の私はさぞニヤけていただろう。
「むおおっ?」
両手でひょいっと持ち上げ……られなかった。法螺貝の重さに逆に身体がもってかれそうになって、思わず変な声が出てしまった。
気恥ずかしくなって周りを見たが幸い誰も居なかった。今度は慎重に力を入れて持ち上げた。
この重さは中身が入っているに違いない。手の上で回転させると蓋もついている。ますます何故こんな物が神社にあるのか分からない。
私は手の限界も考え、小走りで神社の表に戻ると足を擦り合わせ適当に靴を脱いで座敷に上がり、霊夢が置いたらしい焼き物を載せた盆を避けて座卓の上においた。
「うわ、なにこれ」
霊夢も不思議がっていた。
暫く法螺貝を二人で弄っていたがあまりにも反応が無いので次第に二人共飽きてきた。
いざ面白そうと思っても、こんなもんかと思った途端に詰まらなくなってしまうのが人間の性だ。
「素焼きなら簡単だと思ったんだけど、やっぱり窯じゃないと駄目かしら」
霊夢もしびれを切らしたようで、盆の上にあった焼き物の方に話を移した。
「もうちょっと窯っぽく石とかで囲めば外でもできる」
「窯っぽい見た目が足りなかったのね」
多分、そういう問題じゃない。
「たぶんな……ところでこの二つ有る変なのは何だ?」
私は焼き物の盆の中から卵の様な物を一つ手に取った。持った瞬間中で何かか転がって、カランと音を立てた。どうやら土鈴だったらしい。
「なんだ土鈴か」
「そ、遊びがてら作ったんだけど」
霊夢も一つ手に取ると、何処からか出した朱筆で土鈴に何か書き付けた。
さらにそのまま此方に向けてきた、どうやら何か当てろという事らしい。世出と書いてある。
「なになに、世出?世に出るのか」
「合ってるけど合ってないというか……」
「ちょっといいかー?」
急に声がして私も霊夢もそちらを向いた。答えを聞く前だったのにお預けを食らってしまったな。
声の主を見ると九つの尻尾を揺らし腕を組む姿が在った。八雲藍だ。
「藍がうちをわざわざ尋ねるなんて、珍しいわね」
霊夢は驚いていた。話を聞くと紫の代理で結界と霊夢の様子を見に来たらしい、狐も大変なんだ。
「あんたならこれ分かるんじゃない?」
霊夢が先の鈴をぷらぷらとさせながら言った。藍は近づいて来て、鈴を少し見ると直ぐ答えた。
「これは……出世鈴?」
「大正解」
「流石は紫代理だけあるなぁ」
私は素直に感心した。出世鈴、私は聞いたことが無い。左から読んでいたが、右から読むものだったようだ。名前的に出世の御守なんだろう。
「これは出世稲荷という神社の御守だから、狐として知ってるさ」
藍は少し得意げだった。狐が関係しているのなら答えられるのも道理だ。
でも霊夢は何で出世鈴なんて作ったんだろうか。考えられるのは……
「なんだ、そういう……沢山つくって売ろうって魂胆か」
「ち、ちがうって……土鈴でなんとなく思いついたの」
霊夢は私の手から土鈴を奪いそれにも文字を入れた。
二つで一つらしい。紐を二つの土鈴の小さい穴に通し繋げてお盆の上に置いた。
カラン、と音がした。こうして見ると御守にしては中々の存在感を示している。
藍は座卓に乗っていた法螺貝の方にも興味を示したらしく、
「それ、出世螺になる法螺じゃないか」
「しゅっせぼら?」
この正体は出世螺と呼ぶのだろうか?流石は紫代理だ、こっちの正体まで分かるとは思わなかった。
「なんだ、知らないで捕まえたのか」
藍も悪い気はせず説明しようと座敷に上がる。
「すいませーん、射命丸ですけどー」
今度は上の方から声が聞こえた。どうやらブン屋の射命丸文が来たらしい。
すると藍は急に私の手から出世螺を片手で乱暴に引ったくって座卓の下に押し込み、縁側から見えないようにその前に座った。
私は突然の出来事に、目を不自然に開けたり閉じたりするしか無かった。
それはさて置き、聞くとどうやら天狗は私が見つけた法螺貝を探していたらしい。
時々山に出て食用にするのだという、今回は逃げられたとか。
「痛っ!」
霊夢が突然声を挙げた。皆で振り向くと霊夢は手をゴソゴソと動かしている。どうやら机の下で何かが起こっているようだ。
足攣っちゃったの、なんて霊夢は言ってるが怪しすぎる。藍も訳あって隠したのかもしれないし、私は適当に助け舟を出すことにした。
「で、それを見つけないとお前が出世できないのか?」
文に聞いてみた。山はどうやら社会が築かれているらしいし、此処には出世鈴がある。我ながら良い方向転換だろう。
「はなから出世する気がある天狗ならこんな所にはいなさそう」
だが即座に応えたのは藍だった。文も苦笑いで、まあそうかもしれないです。と後から答えた。
「出世したいんだったら此方のほうがいいかもしれんしな」
私は出世鈴をカラカラと鳴らしてみた。
「出世鈴ですか、出世鈴を売ってる出世稲荷も経営難で移転したらしいですよ。それも効果があるのやら」
文は目を少し細めて出世鈴を見ると、やれやれという感じで言った。
そもそも出世は経営が良くなることとは別の気もするが……移転して小さくなったのなら確かに出世とは真逆かもしれない。
「そうなの?何か逆に縁起悪い気がしてきたわ……」
作者に見捨てられそうな出世鈴も不憫だ。
「それより法螺貝って食べられるのか、中身出すの大変そうだ」
素直に気になったので聞いてみた。
「そうですね……大きい法螺貝は割らない場合、逆さにして長時間吊るしておくんです。そうすると自分の重さで勝手に出てきます。まあそれでも内蔵とかが引きちぎれて殻の中に残ったりしますが」
想像以上にグロかった。
そんな無駄話を幾らかすると文は別の場所を探しにまさしく風の様に飛んで行った。
「別に隠さなくても良かったんじゃないか、元々天狗のっぽかったぞ」
一段落したので藍の方を向いて言った。
「天狗は好き勝手やってる様なのでちょっとした嫌がらせ。それに二人とももう少し知りたそうだったから」
大した理由は無かったらしい、でも私としては有り難い。
一方霊夢はそこまで興味は無かったんだけどね、と呟き出世螺を座卓の下から出して机の上においた。
──ビリィ──
霊夢が座卓の上に法螺貝を置くと布が裂ける音がした。霊夢は慌てて服を確認している。
どうやら何処か引っ掛けて袖が破けたらしい、巫女服の袖は長いからか。
「巫女服は大変だなあ」
「ふん、巫女だからね。それでその法螺貝はどうしたら良いのよ」
ようやく本題に入りそうだ、私は藍の方を向いた。藍は咳払いすると説明を始めた。
藍が言うには、山に三千年、里に三千年、海に三千年と経て、その後龍になった出世螺という妖怪がいて、この法螺はその途中の物で別の場所に移動の時節なのではないかという。非常に胡散臭い。
それでも何故、神社に居たのか。という点は不明だったが、藍は仮説を立てた。
紫から聞いた話では外の世界では出世をしたがらない人間が増えているらしく、文の言う出世稲荷の移転もそれが原因ではないか。
その結果、無くなった分の出世欲は幻想郷で増加し、この出世螺が幻想から外の世界の現実の物へと出世しようとしているという。
正直私にはさっぱりだったが、藍に私や霊夢には出世なんてわからないと言われてしまった。言い返せない。
出世螺は特に何の反応も見せなかった。寿命が伸びるという話もあったので少し欲しかったが、数十年位らしいので少なくとも今は必要ないと思って止めた。此処で見逃せば後々恩返しに来たりするかもしれないし。
三人で元居た場所の近くの目立たない位置に置いた。少し見ていたがやっぱり動く気配はなかった。
「折角だから出世鈴も上げるわ」
霊夢は最後にと出世螺の殻の先端に出世鈴を掛けた。私も念を押しておこう。
「情けは人のためならず、私が助けたんだ出世したら恩返しに来るんだぞ」
強要する感じになってしまったが、まあ良いか。
「藍はやけにこいつ庇ってたようにも見えたけど……なんか有るの?」
霊夢は出世螺から目を離すと藍の方を向いて聞いた。
「ちょっとした気まぐれだよ。今の人間には中々分からないかもね、寿命を超える年を経て格上の物に成るっていうのは」
藍は九つの尻尾を少しだけ揺らす。心なしか顔も少しだけ緩んでいた。
「天狗だってそういう奴ら多そうだけど、山の社会と気まぐれ自由業紫との違い此処にありだな」
私は藍を見ながら一人頷いてみた。きっと烏天狗も年を経て天狗になったのだろうから。
「なによそれ……ってあれ?」
気がつくと何時の間にか出世螺は居なくなっていた。三人で辺りを軽く見回す。
音も立てず消えてしまったようだ、そんな複雑怪奇な状況の中、私は残されている物に気がついた。
「出世鈴。置いてったのか?」
拾い上げると、カランと乾いた音が虚しく響いた。霊夢がたった今出世螺にあげた物だ。三人で不思議そうに出世鈴を見つめる。
そのままカラカラと鈴を手のひらで転がし、目の高さまで持って来るとふと思った。
「もしかして、出世螺も出世したく無かったんじゃないのか?」
「うーん……」
誰も答えを出せなかった。出世螺……いや、法螺貝は法螺貝として慎ましく生きていたいのかもしれない。今の私には出世などまったく分からないけど、勝手に期待されるのにありがた迷惑もあるのは分かる。
あの法螺貝は出会ってから殆ど何も変わらなかった。一方私は初めは直ぐに飽きてたのに、出世螺かもと分かったら囃し立て、変に態度を変えてしまった。
出世したら恩返しに来いだなんて言わないほうが良かったかな。第一、私はパチュリーの本を見てから面白がっていただけだ、座卓の下で霊夢にちょっかい出していたみたいだけど、私から逃げたかったのかもしれないな。思えば不純な接し方しか私はしてなかった。出会った時から。
でも後悔をしている訳でもなかった。私は私できっとそういう生き物だから。
結局そのまま直ぐに解散することになり、私は藍と一緒に神社を後にした。
「それにしても……本当に九千年も掛けて法螺貝が龍になるのか?」
私はそんな途方も無い時間を設定されている事を疑わしく思っていて、その事を詳しそうな藍に歩きながら聞いてみた。
「どうしてそんなに嘘だと思うんだ」
藍は前を向いたままだけど応えてくれた。どうやら話は聞いてくれるらしい。
「だって、有史の時代は精々二千年~三千年前ぐらいなんだろ?九千なんて突拍子がないじゃないか。誰が見てたんだよ」
「ヴードゥー三千年区切りは比喩だよ、三千歳の桃や優曇華の花だって三千年に一度咲くって言うし」
「珍しい物の代名詞三回分ってインフレもいい所だ。いい加減に考えたんだろ絶対」
「少なくとも桃よりは妥当だと私は思うけどね」
藍は笑って言った。
「そうか?私は……」
先を言いかけた時、軽快で小気味よい足音が向かいから聞こえてきた。音の方を見ると猫の耳、二つの尻尾、オレンジの服、と見ただけですぐに誰か解かった。
藍の式、橙だ。橙は私の方には目もくれず、藍の前に立ちふさがる。藍も私も歩みを止めた。
「藍様~、もう巫女の方はいいんで?」
「もう終ったよ、どうかしたかな」
「いえね、変な物拾ったんで見てもらおうかと」
橙はゴソゴソと服を弄ると何かを掴んで取り出した。
「化け猫は物拾いするのか」
「うるさいなあ、人のこと言えないでしょ」
睨みつけられてしまった。そこはスルーして私は藍と一緒に橙の持ってきた物を見てみた。
橙が掴んでいたのは石だった。ただの石では無く、石の中に見ると螺旋状の殻の様なものが有る。
「こりゃ、化石じゃないか?巻貝っぽいな」
「ふむ、これはオリゴプティクシスという貝だろう。何処で見つけたんだ」
「流石藍様!博識だなあ。山の辺りを歩いてたら落っこちてた」
「おいおい、博識ってレベルじゃ無いだろ。生き百科事典でも例えが足らん」
「たまたま知ってただけだよ。山か……折角だし、ちょっと法螺のネタばらしをしてやろうか」
「ネタばらし?」
「ああ、法螺の伝説の一端は『法螺抜け』という現象なんだ。法螺抜けはいわゆる土砂崩れ。嵐の日に土砂崩れがあるとその跡から法螺貝が見つかることがあって、法螺から龍が抜けたと考えられた」
「なるほど、龍になるってのはそういう話から来てたのか」
「うんうん、なるほど」
橙は多分わかってないが、頷いて分かった振りをしていた。
「法螺がない場合も蛇抜けと言ったりする、結構どこにでもある伝説だ。でも実は法螺が見つかったというのは、土砂崩れの跡に残っていた巻貝の化石が元だったとも言われている」
「山肌が削られて古い地層が出て来るってことだな」
「そうだ、じゃあお前たちに一つ問題を出してみよう」
そう言うと藍は橙の持っていた化石を取り、少しだけ先に歩いて振り返ると化石を指さした。
「この化石は何年位前の物だと思う?」
私と橙はお互いに顔を見合って、二人で首を傾げた。
「えーっと、籃様と同じくらい?」
何となくだけど、と橙は苦笑いで付け加えた。
「三千年とか?」
何となくだが、と私も付け加える。藍は少し首を振ってから言った。
「外の情報だが、オリゴプティクシスは六千万年以上前に生きていたとされているよ。下手したら一億年前かもしれない」
「ろ、ろくせんまんねん……これが……」
橙は目を皿の様にして化石を見た。
「そんな古いのか」
「海が山になる程度に古いです。九千年なんか目じゃないだろう?」
藍は笑いながら言った。自分の言った言葉を逆手に取られると痛い。
「でもそういうのは年代の測定とかするんだろ?伝説とは比べられないぞ」
「年代測定自体、曖昧な物が多いんだ。少なくとも外の技術じゃあやふやな物が殆ど。なのに化石は信じる奴が多い。誰も生きてた頃を見ていないのにね」
藍は化石をチラチラと太陽にかざして、そのまま続けた。
「人間は不思議だよ、自分が生きた遥かに前の時代を知ろうとする。それで勝手に幻想を抱く。だから人間が存在したかも分からない時代のモノが妖怪や神になる事がある」
「出世螺も結局は人間から生まれたって事か。それは当人たちにとって嬉しいことなのかな」
「そこはもう、哲学の領域だろう。でもあの出世螺は間違いなく今を生きていた、それだけさ」
「もう、何の話してるのかわからない」
橙はむくれながらぷいと横を向いて歩き出す。
「悪い悪い、色々あってな。コレやるから許してくれー」
魔理沙と藍は慌てて橙を追いかける。魔理沙は帽子を脱いで、歩きながら中から出世鈴を取り出した。
「持ったままだったのか」
「まあな、要らなさそうだったから大丈夫だろう」
「何これ?土鈴?私は飼い猫じゃないのに、鈴をつけろだなんて」
「えっ、違ったのか」
「からかうな。橙、これは出世の御守だ。霊夢作だけど貰っておいたら」
藍は魔理沙の後ろから説明を加えた。
「へー、私が出世したらどうなるんだろう」
「九尾の狐を式にできるかもしれん」
「え!?そんな背徳的な事が……」
橙は雷に打たれたかのように大げさに驚き、恐る恐る出世鈴を手にとった。
「変な話にするなって。立派な身分になれるようにって願うものだ」
「折角なんで貰う、ありがとう」
橙は出世鈴をカラカラ鳴らしながら、じっと見ていた。
「そういや外では出世したがらない奴が増えてるらしいな」
魔法の森までもう少しあったのでまた一つ聞いてみた。
「紫様は組織内で責任だけ増える場合があるからと仰っていたよ」
「山に入った時に天狗が、組織に属すると自分の意思だけでは動けなくなる、って言ってたな」
「組織っていうのは利益や理念あっての組織だからな、上に行くほど余計に上下の扱いを考えなくちゃいけない」
「猫は自由気ままが売りなのに……」
橙は、むっと出世鈴を睨んだ。
「お前はそういうのはあまり関係ないだろ。私も捨虫で魔法使いになったら出世したと言えるのかな」
「どうかな。組織のない所での出世ってのも、曖昧なものかもしれない」
藍は私の顔を見ると、目を閉じて付け足した。
「でも、お前は出世しそうな気がするよ」
気がつくともう香霖堂の前辺りに来ていた。
「やっぱりこれ返す」
橙は出世鈴を私に突き返してきた。鈴はカランと音を立てる。
「なんだお前も返すのか?」
「猫に鈴をつけたら鼠が取れないよ」
「一理あるが……別に常時つけてなくもよさそうだぞ。それにしても結局この出世鈴も振られてばっかだな、私も別に欲しくはないし」
藍にも要らないか目で合図したが、首を振られてしまった。
「欲しくないのに何で持ってきたんだ」
藍は呆れた声で言った。
「つい、癖でな。仕方ないからその変に置いとくか、物好きが持っていくかもしれない」
「それ自分の事言ってるんでしょ?」
橙も呆れた様子だった。
「何とでも言え」
取り敢えず、踏まれたりはしないように道端の見えやすそうな所に置いた。
「あ、これも置いとこう、持って帰っても仕方ない」
藍は巻貝の化石を出世鈴の隣に置いた。
「お前の家はこの辺だろう、私はもう少し結界の確認したりするから、さようなら」
「色々聞いてすまんかったな」
偶には良いよと藍は言ってくれた。そのまま橙と香霖堂の前を素通りして行き、私は香霖堂の前で止まった。
「私はちょっと香霖の様子も見とくか」
─カランカラン─
扉を開けると、いつもの青い服の香霖は居なかった。
店主の代わりに香霖が普段いる場所で店番をしていたのは、霊夢だった。
「あれ、何で霊夢がこんな所に?」
「魔理沙も来たの。私は破れた袖を直してもらってたのよ」
霊夢は袖を振って見せた。多分もう直してもらったのだろう。
「香霖はどうしたんだ?」
「なんか少し野暮用があるとか言って出てった。そろそろ帰って来るんじゃないかしら」
「霊夢に店番を頼むなんて、不用心だなあ」
「魔理沙には言われたくないけど」
─カランカラン─
帰って来たようだ。扉の方を見ると、香霖と目が合った。
「魔理沙も来たのか」
「お邪魔してるぞ、買い物はしないけどな」
だろうな、とため息混じりの一言で返すと香霖は霊夢の元に一直線で近づいて、机の上に土鈴を置いた。
「これをやろう。今拾ったんだが、霊夢には必要そうだ」
「え、なんでこれを霖之助さんが……?」
紛れもなく霊夢が作って、私がさっき道の端に置いた出世鈴だった。さっき置いた出世鈴は早速香霖が拾っていたのだ。
「これが何か知ってるのか。なら話が早い、出世払いと言うんだったら、これを毎日拝む位はしてもらわないと」
香霖は微かに笑いながら霊夢を見た。霊夢が出世払いという名の踏み倒しをしようとしていたのだろう。
私は霊夢より香霖が持ったほうが早い気がするが、霊夢も香霖も自分が出世しようという気はないらしい。
「ちょっと魔理沙、どういうことなのよこれ」
「世間は広いようで狭いってこと……かな?」
「さっぱりなんだけど……」
「これを拾ったのも何かの縁だ、霊夢を出世させて代金を払わせろという商売の神の使いかもしれない」
「そんなわけ無いでしょうが」
「ちゃんと代金を払ってくれたら僕はそれでいいんだ。出世して払えるなら霊夢も万々歳だろ」
「私が出世してお金が入ってくるとでも?」
「入るまで出世してくればいい」
霊夢と香霖が言葉の応酬を繰り返す中、出世鈴は整然と机の上に有った。
私は二人の会話から取り残されてしまったため、出世鈴に言葉をかけることにした。
組んだ腕に顎をのせる様にして、ぐっと出世鈴に近づくと小声で囁いてみる。
「お前は責任重大だね」
この本は何だろうか。表紙が無い白い本が目についた。背表紙を見てみると『ヒンドゥー教』とあった。どうやらヒンドゥー教の神話の本だ。
神話というのは魔法使いにとってはバイブルにもなる。神様のやることを真似したら大体魔法と呼ばれるから。
しかし既に熟読する気の失せていた私は適当にパラパラ捲って、目についたところを読むことにした。
目についたのは落書きのような法螺貝の絵があるページだった。早速目を通す。
パンチャジャナという法螺貝の姿の悪魔が居た。でも、クリシュナという勇者に倒されて法螺笛にされてしまった。
その笛を吹くと神々は勇み立ち、悪魔は震えあがる。後にヒンドゥーの最高神、ヴィシュヌの持ち物になる。
シャーマンの持つトゥンカルや山伏の法螺貝も元をたどればここがルーツだとか。
悪魔から神様の持ち物なんて随分な躍進をした物だ、それにしても何とも便利な音色だろうか。一つの物で色々な効果がでるなんて、中々面白い考え方だ。
そんな魔法があったら便利かもしれない。法螺貝があったら作れるのだろうか。
私は本を乱暴に閉じると、積み上げられた本の上にそっと置いた。今はしっかりと読む気には成れなかった。
崩れないか三秒程眺めて動かないのをしっかり確認して外に出た。仕方ないから神社に行こう。
いつもの如く、箒で神社に向かった。神社付近に来ると、焚き火をしているのだろうか、神社の表の方から煙が上がっているのが見えた。
煙の元へ一直線、しようと思ったら神社の裏に何か落ちている物が目に入った。あれはさっき見たような。何故こんな所に?
しかし箒は急に止まれない、まず表の方にまで行きゆっくり降りる。霊夢は火を向いたまま何かしている。
「何してるんだ?」
私は聞きながら降りた。何かを焼いているようだ。
「野焼き」
「焼き物か……結構面倒なんだよな、焼いても割れたりするし」
「土を乾かしてる間に飽きたわ、いざ焼き始めたら動くのも心配だし」
霊夢はだるそうに応えた。確かに土を乾かしている間は手を加えられないし、完成を待つだけでもないからもどかしい。
ミニ八卦炉や窯も無い霊夢は此処を暫く離れずにいたんだろう、疲れるのは想像に容易い。
しかも、覗いてみると大半の物は割れているようだ。私は今度は言ってくれたら協力するように言ってみた。
少し経つと焼き終わったようだが、霊夢はあまり上手く焼けなかったからか不機嫌そうで話しかけ難かった。
大人しく見ていると、片付け終わり座敷に上がった霊夢は力なく座卓の前に座り込んだ。
一緒に裏の物を見に行きたかったが仕方ない、自分で持ってこよう。
「お疲れ様。ところで神社の裏に変なもの有ったがありゃなんだ、巻貝みたいだったが」
「はあ?巻貝なんて知らないけど……」
「だよなあ。ちょっと持って来る、要らなかったらくれ」
直ぐに裏手の方に走った、正直な所かなり気になっていた。さっき見たのは恐らく……法螺貝だったから。
裏手に回るとやはりそれは法螺貝だった。まさかこんな所にあろうとは、不思議でならないがラッキーかもしれない。
私は意気揚々と法螺貝に近寄った、この時の私はさぞニヤけていただろう。
「むおおっ?」
両手でひょいっと持ち上げ……られなかった。法螺貝の重さに逆に身体がもってかれそうになって、思わず変な声が出てしまった。
気恥ずかしくなって周りを見たが幸い誰も居なかった。今度は慎重に力を入れて持ち上げた。
この重さは中身が入っているに違いない。手の上で回転させると蓋もついている。ますます何故こんな物が神社にあるのか分からない。
私は手の限界も考え、小走りで神社の表に戻ると足を擦り合わせ適当に靴を脱いで座敷に上がり、霊夢が置いたらしい焼き物を載せた盆を避けて座卓の上においた。
「うわ、なにこれ」
霊夢も不思議がっていた。
暫く法螺貝を二人で弄っていたがあまりにも反応が無いので次第に二人共飽きてきた。
いざ面白そうと思っても、こんなもんかと思った途端に詰まらなくなってしまうのが人間の性だ。
「素焼きなら簡単だと思ったんだけど、やっぱり窯じゃないと駄目かしら」
霊夢もしびれを切らしたようで、盆の上にあった焼き物の方に話を移した。
「もうちょっと窯っぽく石とかで囲めば外でもできる」
「窯っぽい見た目が足りなかったのね」
多分、そういう問題じゃない。
「たぶんな……ところでこの二つ有る変なのは何だ?」
私は焼き物の盆の中から卵の様な物を一つ手に取った。持った瞬間中で何かか転がって、カランと音を立てた。どうやら土鈴だったらしい。
「なんだ土鈴か」
「そ、遊びがてら作ったんだけど」
霊夢も一つ手に取ると、何処からか出した朱筆で土鈴に何か書き付けた。
さらにそのまま此方に向けてきた、どうやら何か当てろという事らしい。世出と書いてある。
「なになに、世出?世に出るのか」
「合ってるけど合ってないというか……」
「ちょっといいかー?」
急に声がして私も霊夢もそちらを向いた。答えを聞く前だったのにお預けを食らってしまったな。
声の主を見ると九つの尻尾を揺らし腕を組む姿が在った。八雲藍だ。
「藍がうちをわざわざ尋ねるなんて、珍しいわね」
霊夢は驚いていた。話を聞くと紫の代理で結界と霊夢の様子を見に来たらしい、狐も大変なんだ。
「あんたならこれ分かるんじゃない?」
霊夢が先の鈴をぷらぷらとさせながら言った。藍は近づいて来て、鈴を少し見ると直ぐ答えた。
「これは……出世鈴?」
「大正解」
「流石は紫代理だけあるなぁ」
私は素直に感心した。出世鈴、私は聞いたことが無い。左から読んでいたが、右から読むものだったようだ。名前的に出世の御守なんだろう。
「これは出世稲荷という神社の御守だから、狐として知ってるさ」
藍は少し得意げだった。狐が関係しているのなら答えられるのも道理だ。
でも霊夢は何で出世鈴なんて作ったんだろうか。考えられるのは……
「なんだ、そういう……沢山つくって売ろうって魂胆か」
「ち、ちがうって……土鈴でなんとなく思いついたの」
霊夢は私の手から土鈴を奪いそれにも文字を入れた。
二つで一つらしい。紐を二つの土鈴の小さい穴に通し繋げてお盆の上に置いた。
カラン、と音がした。こうして見ると御守にしては中々の存在感を示している。
藍は座卓に乗っていた法螺貝の方にも興味を示したらしく、
「それ、出世螺になる法螺じゃないか」
「しゅっせぼら?」
この正体は出世螺と呼ぶのだろうか?流石は紫代理だ、こっちの正体まで分かるとは思わなかった。
「なんだ、知らないで捕まえたのか」
藍も悪い気はせず説明しようと座敷に上がる。
「すいませーん、射命丸ですけどー」
今度は上の方から声が聞こえた。どうやらブン屋の射命丸文が来たらしい。
すると藍は急に私の手から出世螺を片手で乱暴に引ったくって座卓の下に押し込み、縁側から見えないようにその前に座った。
私は突然の出来事に、目を不自然に開けたり閉じたりするしか無かった。
それはさて置き、聞くとどうやら天狗は私が見つけた法螺貝を探していたらしい。
時々山に出て食用にするのだという、今回は逃げられたとか。
「痛っ!」
霊夢が突然声を挙げた。皆で振り向くと霊夢は手をゴソゴソと動かしている。どうやら机の下で何かが起こっているようだ。
足攣っちゃったの、なんて霊夢は言ってるが怪しすぎる。藍も訳あって隠したのかもしれないし、私は適当に助け舟を出すことにした。
「で、それを見つけないとお前が出世できないのか?」
文に聞いてみた。山はどうやら社会が築かれているらしいし、此処には出世鈴がある。我ながら良い方向転換だろう。
「はなから出世する気がある天狗ならこんな所にはいなさそう」
だが即座に応えたのは藍だった。文も苦笑いで、まあそうかもしれないです。と後から答えた。
「出世したいんだったら此方のほうがいいかもしれんしな」
私は出世鈴をカラカラと鳴らしてみた。
「出世鈴ですか、出世鈴を売ってる出世稲荷も経営難で移転したらしいですよ。それも効果があるのやら」
文は目を少し細めて出世鈴を見ると、やれやれという感じで言った。
そもそも出世は経営が良くなることとは別の気もするが……移転して小さくなったのなら確かに出世とは真逆かもしれない。
「そうなの?何か逆に縁起悪い気がしてきたわ……」
作者に見捨てられそうな出世鈴も不憫だ。
「それより法螺貝って食べられるのか、中身出すの大変そうだ」
素直に気になったので聞いてみた。
「そうですね……大きい法螺貝は割らない場合、逆さにして長時間吊るしておくんです。そうすると自分の重さで勝手に出てきます。まあそれでも内蔵とかが引きちぎれて殻の中に残ったりしますが」
想像以上にグロかった。
そんな無駄話を幾らかすると文は別の場所を探しにまさしく風の様に飛んで行った。
「別に隠さなくても良かったんじゃないか、元々天狗のっぽかったぞ」
一段落したので藍の方を向いて言った。
「天狗は好き勝手やってる様なのでちょっとした嫌がらせ。それに二人とももう少し知りたそうだったから」
大した理由は無かったらしい、でも私としては有り難い。
一方霊夢はそこまで興味は無かったんだけどね、と呟き出世螺を座卓の下から出して机の上においた。
──ビリィ──
霊夢が座卓の上に法螺貝を置くと布が裂ける音がした。霊夢は慌てて服を確認している。
どうやら何処か引っ掛けて袖が破けたらしい、巫女服の袖は長いからか。
「巫女服は大変だなあ」
「ふん、巫女だからね。それでその法螺貝はどうしたら良いのよ」
ようやく本題に入りそうだ、私は藍の方を向いた。藍は咳払いすると説明を始めた。
藍が言うには、山に三千年、里に三千年、海に三千年と経て、その後龍になった出世螺という妖怪がいて、この法螺はその途中の物で別の場所に移動の時節なのではないかという。非常に胡散臭い。
それでも何故、神社に居たのか。という点は不明だったが、藍は仮説を立てた。
紫から聞いた話では外の世界では出世をしたがらない人間が増えているらしく、文の言う出世稲荷の移転もそれが原因ではないか。
その結果、無くなった分の出世欲は幻想郷で増加し、この出世螺が幻想から外の世界の現実の物へと出世しようとしているという。
正直私にはさっぱりだったが、藍に私や霊夢には出世なんてわからないと言われてしまった。言い返せない。
出世螺は特に何の反応も見せなかった。寿命が伸びるという話もあったので少し欲しかったが、数十年位らしいので少なくとも今は必要ないと思って止めた。此処で見逃せば後々恩返しに来たりするかもしれないし。
三人で元居た場所の近くの目立たない位置に置いた。少し見ていたがやっぱり動く気配はなかった。
「折角だから出世鈴も上げるわ」
霊夢は最後にと出世螺の殻の先端に出世鈴を掛けた。私も念を押しておこう。
「情けは人のためならず、私が助けたんだ出世したら恩返しに来るんだぞ」
強要する感じになってしまったが、まあ良いか。
「藍はやけにこいつ庇ってたようにも見えたけど……なんか有るの?」
霊夢は出世螺から目を離すと藍の方を向いて聞いた。
「ちょっとした気まぐれだよ。今の人間には中々分からないかもね、寿命を超える年を経て格上の物に成るっていうのは」
藍は九つの尻尾を少しだけ揺らす。心なしか顔も少しだけ緩んでいた。
「天狗だってそういう奴ら多そうだけど、山の社会と気まぐれ自由業紫との違い此処にありだな」
私は藍を見ながら一人頷いてみた。きっと烏天狗も年を経て天狗になったのだろうから。
「なによそれ……ってあれ?」
気がつくと何時の間にか出世螺は居なくなっていた。三人で辺りを軽く見回す。
音も立てず消えてしまったようだ、そんな複雑怪奇な状況の中、私は残されている物に気がついた。
「出世鈴。置いてったのか?」
拾い上げると、カランと乾いた音が虚しく響いた。霊夢がたった今出世螺にあげた物だ。三人で不思議そうに出世鈴を見つめる。
そのままカラカラと鈴を手のひらで転がし、目の高さまで持って来るとふと思った。
「もしかして、出世螺も出世したく無かったんじゃないのか?」
「うーん……」
誰も答えを出せなかった。出世螺……いや、法螺貝は法螺貝として慎ましく生きていたいのかもしれない。今の私には出世などまったく分からないけど、勝手に期待されるのにありがた迷惑もあるのは分かる。
あの法螺貝は出会ってから殆ど何も変わらなかった。一方私は初めは直ぐに飽きてたのに、出世螺かもと分かったら囃し立て、変に態度を変えてしまった。
出世したら恩返しに来いだなんて言わないほうが良かったかな。第一、私はパチュリーの本を見てから面白がっていただけだ、座卓の下で霊夢にちょっかい出していたみたいだけど、私から逃げたかったのかもしれないな。思えば不純な接し方しか私はしてなかった。出会った時から。
でも後悔をしている訳でもなかった。私は私できっとそういう生き物だから。
結局そのまま直ぐに解散することになり、私は藍と一緒に神社を後にした。
「それにしても……本当に九千年も掛けて法螺貝が龍になるのか?」
私はそんな途方も無い時間を設定されている事を疑わしく思っていて、その事を詳しそうな藍に歩きながら聞いてみた。
「どうしてそんなに嘘だと思うんだ」
藍は前を向いたままだけど応えてくれた。どうやら話は聞いてくれるらしい。
「だって、有史の時代は精々二千年~三千年前ぐらいなんだろ?九千なんて突拍子がないじゃないか。誰が見てたんだよ」
「ヴードゥー三千年区切りは比喩だよ、三千歳の桃や優曇華の花だって三千年に一度咲くって言うし」
「珍しい物の代名詞三回分ってインフレもいい所だ。いい加減に考えたんだろ絶対」
「少なくとも桃よりは妥当だと私は思うけどね」
藍は笑って言った。
「そうか?私は……」
先を言いかけた時、軽快で小気味よい足音が向かいから聞こえてきた。音の方を見ると猫の耳、二つの尻尾、オレンジの服、と見ただけですぐに誰か解かった。
藍の式、橙だ。橙は私の方には目もくれず、藍の前に立ちふさがる。藍も私も歩みを止めた。
「藍様~、もう巫女の方はいいんで?」
「もう終ったよ、どうかしたかな」
「いえね、変な物拾ったんで見てもらおうかと」
橙はゴソゴソと服を弄ると何かを掴んで取り出した。
「化け猫は物拾いするのか」
「うるさいなあ、人のこと言えないでしょ」
睨みつけられてしまった。そこはスルーして私は藍と一緒に橙の持ってきた物を見てみた。
橙が掴んでいたのは石だった。ただの石では無く、石の中に見ると螺旋状の殻の様なものが有る。
「こりゃ、化石じゃないか?巻貝っぽいな」
「ふむ、これはオリゴプティクシスという貝だろう。何処で見つけたんだ」
「流石藍様!博識だなあ。山の辺りを歩いてたら落っこちてた」
「おいおい、博識ってレベルじゃ無いだろ。生き百科事典でも例えが足らん」
「たまたま知ってただけだよ。山か……折角だし、ちょっと法螺のネタばらしをしてやろうか」
「ネタばらし?」
「ああ、法螺の伝説の一端は『法螺抜け』という現象なんだ。法螺抜けはいわゆる土砂崩れ。嵐の日に土砂崩れがあるとその跡から法螺貝が見つかることがあって、法螺から龍が抜けたと考えられた」
「なるほど、龍になるってのはそういう話から来てたのか」
「うんうん、なるほど」
橙は多分わかってないが、頷いて分かった振りをしていた。
「法螺がない場合も蛇抜けと言ったりする、結構どこにでもある伝説だ。でも実は法螺が見つかったというのは、土砂崩れの跡に残っていた巻貝の化石が元だったとも言われている」
「山肌が削られて古い地層が出て来るってことだな」
「そうだ、じゃあお前たちに一つ問題を出してみよう」
そう言うと藍は橙の持っていた化石を取り、少しだけ先に歩いて振り返ると化石を指さした。
「この化石は何年位前の物だと思う?」
私と橙はお互いに顔を見合って、二人で首を傾げた。
「えーっと、籃様と同じくらい?」
何となくだけど、と橙は苦笑いで付け加えた。
「三千年とか?」
何となくだが、と私も付け加える。藍は少し首を振ってから言った。
「外の情報だが、オリゴプティクシスは六千万年以上前に生きていたとされているよ。下手したら一億年前かもしれない」
「ろ、ろくせんまんねん……これが……」
橙は目を皿の様にして化石を見た。
「そんな古いのか」
「海が山になる程度に古いです。九千年なんか目じゃないだろう?」
藍は笑いながら言った。自分の言った言葉を逆手に取られると痛い。
「でもそういうのは年代の測定とかするんだろ?伝説とは比べられないぞ」
「年代測定自体、曖昧な物が多いんだ。少なくとも外の技術じゃあやふやな物が殆ど。なのに化石は信じる奴が多い。誰も生きてた頃を見ていないのにね」
藍は化石をチラチラと太陽にかざして、そのまま続けた。
「人間は不思議だよ、自分が生きた遥かに前の時代を知ろうとする。それで勝手に幻想を抱く。だから人間が存在したかも分からない時代のモノが妖怪や神になる事がある」
「出世螺も結局は人間から生まれたって事か。それは当人たちにとって嬉しいことなのかな」
「そこはもう、哲学の領域だろう。でもあの出世螺は間違いなく今を生きていた、それだけさ」
「もう、何の話してるのかわからない」
橙はむくれながらぷいと横を向いて歩き出す。
「悪い悪い、色々あってな。コレやるから許してくれー」
魔理沙と藍は慌てて橙を追いかける。魔理沙は帽子を脱いで、歩きながら中から出世鈴を取り出した。
「持ったままだったのか」
「まあな、要らなさそうだったから大丈夫だろう」
「何これ?土鈴?私は飼い猫じゃないのに、鈴をつけろだなんて」
「えっ、違ったのか」
「からかうな。橙、これは出世の御守だ。霊夢作だけど貰っておいたら」
藍は魔理沙の後ろから説明を加えた。
「へー、私が出世したらどうなるんだろう」
「九尾の狐を式にできるかもしれん」
「え!?そんな背徳的な事が……」
橙は雷に打たれたかのように大げさに驚き、恐る恐る出世鈴を手にとった。
「変な話にするなって。立派な身分になれるようにって願うものだ」
「折角なんで貰う、ありがとう」
橙は出世鈴をカラカラ鳴らしながら、じっと見ていた。
「そういや外では出世したがらない奴が増えてるらしいな」
魔法の森までもう少しあったのでまた一つ聞いてみた。
「紫様は組織内で責任だけ増える場合があるからと仰っていたよ」
「山に入った時に天狗が、組織に属すると自分の意思だけでは動けなくなる、って言ってたな」
「組織っていうのは利益や理念あっての組織だからな、上に行くほど余計に上下の扱いを考えなくちゃいけない」
「猫は自由気ままが売りなのに……」
橙は、むっと出世鈴を睨んだ。
「お前はそういうのはあまり関係ないだろ。私も捨虫で魔法使いになったら出世したと言えるのかな」
「どうかな。組織のない所での出世ってのも、曖昧なものかもしれない」
藍は私の顔を見ると、目を閉じて付け足した。
「でも、お前は出世しそうな気がするよ」
気がつくともう香霖堂の前辺りに来ていた。
「やっぱりこれ返す」
橙は出世鈴を私に突き返してきた。鈴はカランと音を立てる。
「なんだお前も返すのか?」
「猫に鈴をつけたら鼠が取れないよ」
「一理あるが……別に常時つけてなくもよさそうだぞ。それにしても結局この出世鈴も振られてばっかだな、私も別に欲しくはないし」
藍にも要らないか目で合図したが、首を振られてしまった。
「欲しくないのに何で持ってきたんだ」
藍は呆れた声で言った。
「つい、癖でな。仕方ないからその変に置いとくか、物好きが持っていくかもしれない」
「それ自分の事言ってるんでしょ?」
橙も呆れた様子だった。
「何とでも言え」
取り敢えず、踏まれたりはしないように道端の見えやすそうな所に置いた。
「あ、これも置いとこう、持って帰っても仕方ない」
藍は巻貝の化石を出世鈴の隣に置いた。
「お前の家はこの辺だろう、私はもう少し結界の確認したりするから、さようなら」
「色々聞いてすまんかったな」
偶には良いよと藍は言ってくれた。そのまま橙と香霖堂の前を素通りして行き、私は香霖堂の前で止まった。
「私はちょっと香霖の様子も見とくか」
─カランカラン─
扉を開けると、いつもの青い服の香霖は居なかった。
店主の代わりに香霖が普段いる場所で店番をしていたのは、霊夢だった。
「あれ、何で霊夢がこんな所に?」
「魔理沙も来たの。私は破れた袖を直してもらってたのよ」
霊夢は袖を振って見せた。多分もう直してもらったのだろう。
「香霖はどうしたんだ?」
「なんか少し野暮用があるとか言って出てった。そろそろ帰って来るんじゃないかしら」
「霊夢に店番を頼むなんて、不用心だなあ」
「魔理沙には言われたくないけど」
─カランカラン─
帰って来たようだ。扉の方を見ると、香霖と目が合った。
「魔理沙も来たのか」
「お邪魔してるぞ、買い物はしないけどな」
だろうな、とため息混じりの一言で返すと香霖は霊夢の元に一直線で近づいて、机の上に土鈴を置いた。
「これをやろう。今拾ったんだが、霊夢には必要そうだ」
「え、なんでこれを霖之助さんが……?」
紛れもなく霊夢が作って、私がさっき道の端に置いた出世鈴だった。さっき置いた出世鈴は早速香霖が拾っていたのだ。
「これが何か知ってるのか。なら話が早い、出世払いと言うんだったら、これを毎日拝む位はしてもらわないと」
香霖は微かに笑いながら霊夢を見た。霊夢が出世払いという名の踏み倒しをしようとしていたのだろう。
私は霊夢より香霖が持ったほうが早い気がするが、霊夢も香霖も自分が出世しようという気はないらしい。
「ちょっと魔理沙、どういうことなのよこれ」
「世間は広いようで狭いってこと……かな?」
「さっぱりなんだけど……」
「これを拾ったのも何かの縁だ、霊夢を出世させて代金を払わせろという商売の神の使いかもしれない」
「そんなわけ無いでしょうが」
「ちゃんと代金を払ってくれたら僕はそれでいいんだ。出世して払えるなら霊夢も万々歳だろ」
「私が出世してお金が入ってくるとでも?」
「入るまで出世してくればいい」
霊夢と香霖が言葉の応酬を繰り返す中、出世鈴は整然と机の上に有った。
私は二人の会話から取り残されてしまったため、出世鈴に言葉をかけることにした。
組んだ腕に顎をのせる様にして、ぐっと出世鈴に近づくと小声で囁いてみる。
「お前は責任重大だね」
もし初めから両話のプロットがあったのなら群像劇めざして綺麗にまとめられれば良かったかも。
色んな書き方をすれば見えてくるところも有るらしいし。
あ、でも作者さんの伝承とか民俗に主題を持つやり方は持味でしょうし変わらず居て欲しいですね。
どちらも見ていただいた様でありがとうございます!
最初から全部は考えてなかったのですが、確かに群像劇みたいなのがやりたかったのかも……
きっと描写も地力足りずな所に無理に寄せていったような前半がガタガタに。
やっぱり土台がしっかりしてないと駄目ということですね、
お恥ずかしながらあまり手法とか明るくないもので。とても参考になりました、ありがとうございます
橙のキャラがアクセントになって、なんかいいですね。
すいません、編集したと思ったんですが出来てませんでして、だいぶ遅れましたが
ご指摘の通り思いっきり誤字でした!直しておきます、ご指摘ありがとうございます
>>4
あっさりたっぷり感があるやも・・・のんびり見て頂けたら幸いです。
橙って何かほのぼの感が漂っていて好きなんですよね~、コメントありがとうございます!
>>7 こちらにも居らっしゃるんですね!試みの段階ですが、また見てやって下さい