命蓮寺へと向かう途中、もう寺とは目と鼻の先と言うところで路肩に蹲る少女の姿が目に入った。
(まいったな……)
と、ナズーリンは僅かに眉を顰める。
見ておきながら気付かないフリというのはさすがに色々なモノの手前出来ない。あまり面倒に首を突っ込みたくはないのだが……
「お腹でも痛いのかい?」
ナズーリンは少女に歩み寄りながら声を掛けた。
内心、出来れば蟻ン子観察でもしてくれているのがベストなんだけどなぁ、と思うけれど、こちらに振り向いた少女の泣き顔はナズーリンの淡い希望をあっさりと却下した。
ヒックヒックとしゃくり上げる上に、如何にも要領を得ない少女の説明ではあったが、ナズーリンは根気よく耳を澄ませて事態を把握した。
「なるほど」
少女の言う事には、どうやら命蓮寺に来たところ、大切にしていた櫛を無くしてしまったらしい。帰宅してからそれに気付き、慌てて取って返したところで、どこをどう探しても見つからず、現在こうして途方に暮れながら草叢を掻き分けていたそうだ。
「そんな大切なものならもっと大切に保管しておくべきだろうに」
半ば呆れ、思わず口にしてしまった言葉に、少女の表情がさらに悲嘆に暮れる。
しまった、と自らの失言を後悔したところですでに少女はさめざめと泣いている。
(まいったな)
今日二度目の「まいった」だった。子供の涙が苦手とか、そういうわけではないけれど、これは如何にも体裁が悪い。
ナズーリンは一つ嘆息すると、「仕方ない」と漏らす。
「今日のところは帰りたまえ。そして明日今と同じ時間にもう一度ここに来なさい。それまでに私が君の櫛を探しておいてあげるよ」
ナズーリンの言葉に少女は驚き、戸惑うような表情を見せた。妖怪への不信か、それとも遠慮しているのかは分からない。
「なに、安心したまえ。こう見えて私は探し物が得意だよ。それに私の知り合いには君より酷い紛失癖を持った者もいるしね」
さすがに、それが誰なのかまでは体裁上言えはしないが……
「だから君は枕を高くして寝るといい」
腰に手を当て小さい胸をむんと張って見せると、ようやく少女はクスッと笑った。そのことにナズーリンも内心で胸をなで下ろし、少女を帰るように促してやった。
手を振り去っていく少女に軽く応えながら、ナズーリンは息を吐く。
「……少し、安請け合いだったかな」
苦手意識があったわけではないけれど、子供の涙にやられたというところは多少あるのかもしれない。
(まぁ、今更反故には出来るわけが無いし……)
気持ちを切り替えてナズーリンはネズミたちに櫛捜索の指示を出した。その段になって、櫛の特徴を聞きそびれていたことに気付いたが、仕方なくこの近辺に落ちている櫛という指示を与えておいた。
明朝、ねぐらには帰らずに命蓮寺に宿泊したナズーリンの枕元には十を超える櫛が転がっていた。寝ている間にネズミたちが置いて行ったらしい。
「……何故こんなに」
良く見ると、かなり古そうな物も混ざっている。これまでの長い歴史を辿れば、この近辺で櫛を無くした人間というのもそう少なくは無かったらしい。
(まぁ、多い分には構わないか)
この中から少女に見つけて貰えばいいだけの話だ。
櫛を箱に入れて、ナズーリンはそれを持って部屋を出た。すると丁度そこで寅丸星と出くわした。
「おはよう御主人」
「おはようございます、ナズーリン」
挨拶を交わす星の視線が、自然とナズーリンの持つ箱に注がれる。
「その箱は?」
「落し物だよ。昨日ちょっとあってネズミたちに拾わせたんだが、予想より多く集まってしまった。とりあえず『落し物』とでも張り紙して寺の出入り口にでも置いておこうかと思ってね」
箱の中身を示しながらナズーリンは言った。
「櫛ですか……って、あーっ!この鼈甲は私の櫛!」
突然目を見開いた星が箱から一つ櫛を取り出した。
「すごく気に入っていたのにどこかにいっちゃって……部屋の中どれだけ探しても見つからなかったんですよ!ありがとう、ナズーリン!」
「……」
喜ぶ星に、ナズーリンは白い眼を向けてしまう。
ネズミが探してきたなら少なくとも外に落ちていた物だ。室内をいくらひっくり返しても出てくるわけが無い。
「……まぁ、御主人の物の管理能力の低さを問うのは今更か」
「え!?」
驚く星の脇を抜けて、ナズーリンは寺の門へと向かう。
果たして命蓮寺の正門の前には昨日の少女の姿があった。
約束したのは昨日と同じ時刻だったはず。そう考えると随分早い。
(だがまぁ、それだけ心配していたのだろう)
ナズーリンは少女に声を掛け、箱を少女に差し出した。
「どうだろう、この中にあるかな?」
その数に少女は少し驚き、それから期待に満ちた表情で櫛を検分し始めた。
一つ一つ調べていくうち、徐々に少女の表情から明るさが失せていくのがナズーリンの目にも見て取れた。
(まさか、ない?)
ナズーリンの内心の言葉に応じる様に、少女は沈んだ表情でゆるゆると頭を振った。
「もしや君の櫛は鼈甲か?」
まさか、と思いナズーリンは言う。決して自分の主人を疑う訳ではないけれど、あの人物ならばうっかりやってしまいかねないことに思えた。
しかし、それも少女は頭を振って否定した。
どうやら、少女の櫛はどこにでもあるような朱色の物らしい。そして、確かにそう言ったものはこの箱の中にはない。
(しまった……まさか誰かに拾われていたのか?)
その段になってナズーリンはようやくハッとした。あまりにも単純な可能性で、本来ならば真っ先に思いつかなければならないような発想。しかし、自らの探索能力への過信か、または少女の落としたという言葉に惑わされたか、それともやはり泣き顔に冷静な判断を欠いていたか、或いはそれら全てが重なった結果か、ナズーリンは昨日あの場でその考えを導くことが出来なかった。
(あと一日おいてネズミでの捜索範囲を広げるか?……いや、命蓮寺にどれだけの人出がある。里中に捜索の手を伸ばす必要が出てくる。それに朱色の櫛というだけじゃネズミで探させるには無理があるだろう。特にネズミは色の識別能力が高いわけじゃない……となると、ダウジングで探すか?これも難しいか……朱色の櫛という特徴だけじゃ、イメージが弱い……その上、場所の特定も怪しいとなると、探せたとしてもかなり時間を食ってしまう)
渋い思考がそのまま表情に出てしまっていた。そのことをナズーリンが自覚したときには、少女は無理に作ったような笑顔を浮かべていた。
今にも涙が出てきそうな表情のまま少女はぺこりと頭を下げて、もう十分してもらった、諦めるという旨をナズーリンに告げた。
「あ――……!」
一瞬、ナズーリンの口から無意識のうちに言葉が溢れかけた。
(なんだ?私は、何を言う気だ?)
凍りつくナズーリンに背を向けると、少女はゆっくりと歩き始める。
(見つけるまで探すと言うのか?そこまでする義理はなんだ?不用意に期待を煽った責任を取るのか?だが、探すのにどれぐらいの時間を食うのか見当も付かないことだぞ?私は当初の約束通り近辺の櫛を探したじゃないか!それでもなお責任を負わなくちゃならないのか?安請け合いした罰か?私は罰で探さなくちゃならないのか?)
ナズーリンは遠ざかる少女の背中を見つめながら、奥歯を噛み締める。
(あの子供だって諦めると言っているじゃないか。失くした物が戻らないなんてよくあることだ。喉の奥に刺さった小骨みたいに、いつかは抜けて取れることだ。それは私の今の気分も同じはずだ。煮え切らない、失敗したという思いだって、遠からず無くなる。こんなことは小事だ。気に病むようなことじゃない)
津波の様に押し寄せる自責の念と、それを遮る防波堤のように築き上げられる理論。しかし、どれだけ防ごうとも、目を逸らせる事実ではない。
「御主人なら……」
知らず、呟いていた。
(最後まで探すか?)
あるいは聖なら?いや、この寺に住まう者達なら、何も考えずに少女の為にと力になるのだろうか?
(それが正しいのか?それが賢い行いか?結果返ってくるのは櫛一個じゃないか!宝塔のように価値のあるものじゃない。あの少女にとってだって、ああして諦めると言える程度の物だ。本当に大切で価値があるものなら、諦めるなんて言えないハズじゃないのか?)
止まらない思考の奔流に、ナズーリンはぶんぶんと頭を振った。
(私は間違っていない……)
間違っていないけれど……
「答えが欲しい……」
正解だという、確たる証拠が。
「どうかしましたか?」
「ぅひゃあっ!?」
独り言のつもりだったのに、突然傍で声がしたものだからナズーリンは数センチ飛び上るほどに驚いた。
「っ……び、びっくりさせないでください、ナズーリン」
「それはこっちのセリフだよ!突然耳元で、驚かさないでくれ!一体何の用だい!?」
心臓がバクバクいっている。
「わ、私はただ落し物ボックスの設置はどんな感じかと思って見に来ただけですよ」
「……」
そちらに話を振られ、ナズーリンは思わず言葉を詰まらせてしまう。
同意が欲しい。
一切合財事の顛末全て話して、星に同意して欲しい。
「それは仕方がないですね」と、少し困ったような表情で一言言ってくれればそれでいい。
「ナズーリン?」
星が不思議そうに首を傾げる。
「何かありました?」
「……いや、少し考え事をしていただけだ」
一瞬、口が別の動きをしたけれど、結局ナズーリンが全てを話すことは無かった。同意を得られないことを恐れたわけではない……ないハズだ。
「折角だから、御主人にも少し考えて貰おうか」
代わりに、ナズーリンの口は別の言葉を紡いでいた。
「考える……ですか?う、うぅん、あんまり自信がないなぁ」
いきなり頼りない主人の言葉を無視して、ナズーリンは続ける。
「……そう、例えばご主人が聖に与えられた仕事を失敗したとしよう」
「う……何か嫌な設定ですね」
「しかし、聖はその仕事はもういいと言う。内心ではその仕事の成功を期待しているように見えるが、口ではもういいと言うんだ」
「……はあ」
本当に話を理解しているのか、星の反応は鈍い。
「その仕事は困っている聖に、御主人が自ら手伝いを志願したものだったが、当初の見積もりよりも仕事完了には大幅に時間を食うということが発覚した。そのせいで聖は諦めると言い出したのだが……どうだろう、仕事から手を引くことは間違っているだろうか?」
御主人ならどうする?……という質問を、ナズーリンは意図的にしなかった。
「うぅん」と、星が唸る。
「いつ終わるか分からない仕事で、聖も諦めると言ってるんですよね?」
「そう」
「それなら、手を引いても間違いじゃないと思います」
うん、と頷いて星は言う。
その言葉に、ナズーリンは内心で大きく息を吐いた。
期待通りが嬉しいのか、本当は否定されたかったのか……
「けれど――」と、星は続ける。
「私が言い出したことなら、時間が掛かっても最後までやって、スッキリしたいですよね」
そう言って笑う星の姿に、ナズーリンは吐いた息を吸い込めなくなった。
(スッキリしたい)
少女のためじゃない。
罰でするんじゃない。
自分のために。
スッキリするために。
その答えは思わず笑ってしまうほどに単純で……
(今の私には一番だ!)
そう思うと同時にナズーリンはダウジングロッドを取りに駆け出していた。
「あ、ナズーリン!?答えは!?私の答えは正解なんですか!?」
「それを今から証明しに行くよ!」
「え?」
首を傾げる星をおいて、ナズーリンは一人、命蓮寺を飛び出した。
ほどなく、少女から櫛をひっそりと抜き取る悪戯をしていた正体不明の妖怪の存在を発見し、無事に少女の櫛を見つけることが出来た。
次に少女を探し、ナズーリンは櫛を届けてあげた。
涙ながらに何度も感謝の意を告げる少女に、「構わない」とナズーリンは答えた。
結構時間は掛かったけれど、
得られる物は無かったけれど、
「まぁ、スッキリはしたさ」
そう呟いて、ナズーリンは笑った。
《おわり》
(まいったな……)
と、ナズーリンは僅かに眉を顰める。
見ておきながら気付かないフリというのはさすがに色々なモノの手前出来ない。あまり面倒に首を突っ込みたくはないのだが……
「お腹でも痛いのかい?」
ナズーリンは少女に歩み寄りながら声を掛けた。
内心、出来れば蟻ン子観察でもしてくれているのがベストなんだけどなぁ、と思うけれど、こちらに振り向いた少女の泣き顔はナズーリンの淡い希望をあっさりと却下した。
ヒックヒックとしゃくり上げる上に、如何にも要領を得ない少女の説明ではあったが、ナズーリンは根気よく耳を澄ませて事態を把握した。
「なるほど」
少女の言う事には、どうやら命蓮寺に来たところ、大切にしていた櫛を無くしてしまったらしい。帰宅してからそれに気付き、慌てて取って返したところで、どこをどう探しても見つからず、現在こうして途方に暮れながら草叢を掻き分けていたそうだ。
「そんな大切なものならもっと大切に保管しておくべきだろうに」
半ば呆れ、思わず口にしてしまった言葉に、少女の表情がさらに悲嘆に暮れる。
しまった、と自らの失言を後悔したところですでに少女はさめざめと泣いている。
(まいったな)
今日二度目の「まいった」だった。子供の涙が苦手とか、そういうわけではないけれど、これは如何にも体裁が悪い。
ナズーリンは一つ嘆息すると、「仕方ない」と漏らす。
「今日のところは帰りたまえ。そして明日今と同じ時間にもう一度ここに来なさい。それまでに私が君の櫛を探しておいてあげるよ」
ナズーリンの言葉に少女は驚き、戸惑うような表情を見せた。妖怪への不信か、それとも遠慮しているのかは分からない。
「なに、安心したまえ。こう見えて私は探し物が得意だよ。それに私の知り合いには君より酷い紛失癖を持った者もいるしね」
さすがに、それが誰なのかまでは体裁上言えはしないが……
「だから君は枕を高くして寝るといい」
腰に手を当て小さい胸をむんと張って見せると、ようやく少女はクスッと笑った。そのことにナズーリンも内心で胸をなで下ろし、少女を帰るように促してやった。
手を振り去っていく少女に軽く応えながら、ナズーリンは息を吐く。
「……少し、安請け合いだったかな」
苦手意識があったわけではないけれど、子供の涙にやられたというところは多少あるのかもしれない。
(まぁ、今更反故には出来るわけが無いし……)
気持ちを切り替えてナズーリンはネズミたちに櫛捜索の指示を出した。その段になって、櫛の特徴を聞きそびれていたことに気付いたが、仕方なくこの近辺に落ちている櫛という指示を与えておいた。
明朝、ねぐらには帰らずに命蓮寺に宿泊したナズーリンの枕元には十を超える櫛が転がっていた。寝ている間にネズミたちが置いて行ったらしい。
「……何故こんなに」
良く見ると、かなり古そうな物も混ざっている。これまでの長い歴史を辿れば、この近辺で櫛を無くした人間というのもそう少なくは無かったらしい。
(まぁ、多い分には構わないか)
この中から少女に見つけて貰えばいいだけの話だ。
櫛を箱に入れて、ナズーリンはそれを持って部屋を出た。すると丁度そこで寅丸星と出くわした。
「おはよう御主人」
「おはようございます、ナズーリン」
挨拶を交わす星の視線が、自然とナズーリンの持つ箱に注がれる。
「その箱は?」
「落し物だよ。昨日ちょっとあってネズミたちに拾わせたんだが、予想より多く集まってしまった。とりあえず『落し物』とでも張り紙して寺の出入り口にでも置いておこうかと思ってね」
箱の中身を示しながらナズーリンは言った。
「櫛ですか……って、あーっ!この鼈甲は私の櫛!」
突然目を見開いた星が箱から一つ櫛を取り出した。
「すごく気に入っていたのにどこかにいっちゃって……部屋の中どれだけ探しても見つからなかったんですよ!ありがとう、ナズーリン!」
「……」
喜ぶ星に、ナズーリンは白い眼を向けてしまう。
ネズミが探してきたなら少なくとも外に落ちていた物だ。室内をいくらひっくり返しても出てくるわけが無い。
「……まぁ、御主人の物の管理能力の低さを問うのは今更か」
「え!?」
驚く星の脇を抜けて、ナズーリンは寺の門へと向かう。
果たして命蓮寺の正門の前には昨日の少女の姿があった。
約束したのは昨日と同じ時刻だったはず。そう考えると随分早い。
(だがまぁ、それだけ心配していたのだろう)
ナズーリンは少女に声を掛け、箱を少女に差し出した。
「どうだろう、この中にあるかな?」
その数に少女は少し驚き、それから期待に満ちた表情で櫛を検分し始めた。
一つ一つ調べていくうち、徐々に少女の表情から明るさが失せていくのがナズーリンの目にも見て取れた。
(まさか、ない?)
ナズーリンの内心の言葉に応じる様に、少女は沈んだ表情でゆるゆると頭を振った。
「もしや君の櫛は鼈甲か?」
まさか、と思いナズーリンは言う。決して自分の主人を疑う訳ではないけれど、あの人物ならばうっかりやってしまいかねないことに思えた。
しかし、それも少女は頭を振って否定した。
どうやら、少女の櫛はどこにでもあるような朱色の物らしい。そして、確かにそう言ったものはこの箱の中にはない。
(しまった……まさか誰かに拾われていたのか?)
その段になってナズーリンはようやくハッとした。あまりにも単純な可能性で、本来ならば真っ先に思いつかなければならないような発想。しかし、自らの探索能力への過信か、または少女の落としたという言葉に惑わされたか、それともやはり泣き顔に冷静な判断を欠いていたか、或いはそれら全てが重なった結果か、ナズーリンは昨日あの場でその考えを導くことが出来なかった。
(あと一日おいてネズミでの捜索範囲を広げるか?……いや、命蓮寺にどれだけの人出がある。里中に捜索の手を伸ばす必要が出てくる。それに朱色の櫛というだけじゃネズミで探させるには無理があるだろう。特にネズミは色の識別能力が高いわけじゃない……となると、ダウジングで探すか?これも難しいか……朱色の櫛という特徴だけじゃ、イメージが弱い……その上、場所の特定も怪しいとなると、探せたとしてもかなり時間を食ってしまう)
渋い思考がそのまま表情に出てしまっていた。そのことをナズーリンが自覚したときには、少女は無理に作ったような笑顔を浮かべていた。
今にも涙が出てきそうな表情のまま少女はぺこりと頭を下げて、もう十分してもらった、諦めるという旨をナズーリンに告げた。
「あ――……!」
一瞬、ナズーリンの口から無意識のうちに言葉が溢れかけた。
(なんだ?私は、何を言う気だ?)
凍りつくナズーリンに背を向けると、少女はゆっくりと歩き始める。
(見つけるまで探すと言うのか?そこまでする義理はなんだ?不用意に期待を煽った責任を取るのか?だが、探すのにどれぐらいの時間を食うのか見当も付かないことだぞ?私は当初の約束通り近辺の櫛を探したじゃないか!それでもなお責任を負わなくちゃならないのか?安請け合いした罰か?私は罰で探さなくちゃならないのか?)
ナズーリンは遠ざかる少女の背中を見つめながら、奥歯を噛み締める。
(あの子供だって諦めると言っているじゃないか。失くした物が戻らないなんてよくあることだ。喉の奥に刺さった小骨みたいに、いつかは抜けて取れることだ。それは私の今の気分も同じはずだ。煮え切らない、失敗したという思いだって、遠からず無くなる。こんなことは小事だ。気に病むようなことじゃない)
津波の様に押し寄せる自責の念と、それを遮る防波堤のように築き上げられる理論。しかし、どれだけ防ごうとも、目を逸らせる事実ではない。
「御主人なら……」
知らず、呟いていた。
(最後まで探すか?)
あるいは聖なら?いや、この寺に住まう者達なら、何も考えずに少女の為にと力になるのだろうか?
(それが正しいのか?それが賢い行いか?結果返ってくるのは櫛一個じゃないか!宝塔のように価値のあるものじゃない。あの少女にとってだって、ああして諦めると言える程度の物だ。本当に大切で価値があるものなら、諦めるなんて言えないハズじゃないのか?)
止まらない思考の奔流に、ナズーリンはぶんぶんと頭を振った。
(私は間違っていない……)
間違っていないけれど……
「答えが欲しい……」
正解だという、確たる証拠が。
「どうかしましたか?」
「ぅひゃあっ!?」
独り言のつもりだったのに、突然傍で声がしたものだからナズーリンは数センチ飛び上るほどに驚いた。
「っ……び、びっくりさせないでください、ナズーリン」
「それはこっちのセリフだよ!突然耳元で、驚かさないでくれ!一体何の用だい!?」
心臓がバクバクいっている。
「わ、私はただ落し物ボックスの設置はどんな感じかと思って見に来ただけですよ」
「……」
そちらに話を振られ、ナズーリンは思わず言葉を詰まらせてしまう。
同意が欲しい。
一切合財事の顛末全て話して、星に同意して欲しい。
「それは仕方がないですね」と、少し困ったような表情で一言言ってくれればそれでいい。
「ナズーリン?」
星が不思議そうに首を傾げる。
「何かありました?」
「……いや、少し考え事をしていただけだ」
一瞬、口が別の動きをしたけれど、結局ナズーリンが全てを話すことは無かった。同意を得られないことを恐れたわけではない……ないハズだ。
「折角だから、御主人にも少し考えて貰おうか」
代わりに、ナズーリンの口は別の言葉を紡いでいた。
「考える……ですか?う、うぅん、あんまり自信がないなぁ」
いきなり頼りない主人の言葉を無視して、ナズーリンは続ける。
「……そう、例えばご主人が聖に与えられた仕事を失敗したとしよう」
「う……何か嫌な設定ですね」
「しかし、聖はその仕事はもういいと言う。内心ではその仕事の成功を期待しているように見えるが、口ではもういいと言うんだ」
「……はあ」
本当に話を理解しているのか、星の反応は鈍い。
「その仕事は困っている聖に、御主人が自ら手伝いを志願したものだったが、当初の見積もりよりも仕事完了には大幅に時間を食うということが発覚した。そのせいで聖は諦めると言い出したのだが……どうだろう、仕事から手を引くことは間違っているだろうか?」
御主人ならどうする?……という質問を、ナズーリンは意図的にしなかった。
「うぅん」と、星が唸る。
「いつ終わるか分からない仕事で、聖も諦めると言ってるんですよね?」
「そう」
「それなら、手を引いても間違いじゃないと思います」
うん、と頷いて星は言う。
その言葉に、ナズーリンは内心で大きく息を吐いた。
期待通りが嬉しいのか、本当は否定されたかったのか……
「けれど――」と、星は続ける。
「私が言い出したことなら、時間が掛かっても最後までやって、スッキリしたいですよね」
そう言って笑う星の姿に、ナズーリンは吐いた息を吸い込めなくなった。
(スッキリしたい)
少女のためじゃない。
罰でするんじゃない。
自分のために。
スッキリするために。
その答えは思わず笑ってしまうほどに単純で……
(今の私には一番だ!)
そう思うと同時にナズーリンはダウジングロッドを取りに駆け出していた。
「あ、ナズーリン!?答えは!?私の答えは正解なんですか!?」
「それを今から証明しに行くよ!」
「え?」
首を傾げる星をおいて、ナズーリンは一人、命蓮寺を飛び出した。
ほどなく、少女から櫛をひっそりと抜き取る悪戯をしていた正体不明の妖怪の存在を発見し、無事に少女の櫛を見つけることが出来た。
次に少女を探し、ナズーリンは櫛を届けてあげた。
涙ながらに何度も感謝の意を告げる少女に、「構わない」とナズーリンは答えた。
結構時間は掛かったけれど、
得られる物は無かったけれど、
「まぁ、スッキリはしたさ」
そう呟いて、ナズーリンは笑った。
《おわり》
櫛の在り処をぬえの悪戯に求めるオチは東方らしいとはいえ少し乱暴すぎやしませんかね…
絞めがもうちょいほしいけど、いいとおもいます